年賀状を書かなくなったのはいつの頃からだろう。
小、中学生の頃は、先生や仲の良いクラスメイトや親戚に書くのが慣例で、元日の朝は、年賀状が届くのを首を長くして待っていたものだ。
それが高校、大学になると親しい友人くらいにしか出さなくなった。
社会人になると、社内外の人間や、親友、旧友に出すようになり、会社勤めが長くなると共に、枚数は多くなっていった。当初は一枚一枚手書きしていたのが、そのうち社用の年賀状に一筆添えるタイプや、プリントごっこやワープロ、パソコンによる印刷へと変わっていった。一時、電子メールによる年賀挨拶が社内を中心に流行ったが、これは添付画像の重さや通信者の増加が災いして、社内メール網のトラブルにつながり、社内では厳禁になった。
社内の虚礼廃止、経費削減の通達と共に、社用は主だった取引先のみに絞られ、それを機に友達、知人用も絞り込まれ枚数は減少していった。
ここ4、5年はまったく書かなくなった。
それにより取引先、交友関係に支障を来たしたことは全くない。
いまだに新年になると20通ほどの年賀状が届く。ほとんど取引先関係だが、中には社内の後輩からの、家族写真や、子供の写真を印刷した賀状もある。笑えるが、こいつは家族を大切にしているんだな、と思うようにしている。
美しい日本の伝統的習慣は、残ればいいし、それに価値を見出さない人間は、批判はせず傍観していればいいだけのことだ。
今年も平穏な一年でした。
皆様よい新年をお迎えください。
小、中学生の頃は、先生や仲の良いクラスメイトや親戚に書くのが慣例で、元日の朝は、年賀状が届くのを首を長くして待っていたものだ。
それが高校、大学になると親しい友人くらいにしか出さなくなった。
社会人になると、社内外の人間や、親友、旧友に出すようになり、会社勤めが長くなると共に、枚数は多くなっていった。当初は一枚一枚手書きしていたのが、そのうち社用の年賀状に一筆添えるタイプや、プリントごっこやワープロ、パソコンによる印刷へと変わっていった。一時、電子メールによる年賀挨拶が社内を中心に流行ったが、これは添付画像の重さや通信者の増加が災いして、社内メール網のトラブルにつながり、社内では厳禁になった。
社内の虚礼廃止、経費削減の通達と共に、社用は主だった取引先のみに絞られ、それを機に友達、知人用も絞り込まれ枚数は減少していった。
ここ4、5年はまったく書かなくなった。
それにより取引先、交友関係に支障を来たしたことは全くない。
いまだに新年になると20通ほどの年賀状が届く。ほとんど取引先関係だが、中には社内の後輩からの、家族写真や、子供の写真を印刷した賀状もある。笑えるが、こいつは家族を大切にしているんだな、と思うようにしている。
美しい日本の伝統的習慣は、残ればいいし、それに価値を見出さない人間は、批判はせず傍観していればいいだけのことだ。
今年も平穏な一年でした。
皆様よい新年をお迎えください。