★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ルージュの伝言

2015年03月31日 00時01分37秒 | 徒然(つれづれ)
 荒井由実のこの曲を初めて聴いたのは1975年、大学3年の初夏だ。
 
 邦楽シーンでは歌謡曲と、拓郎や陽水、かぐや姫などのフォークソングが混在していた頃だ。
 フォークもアコギだけの編成から、エレキのバックバンドやオーケストラを従えて、四畳半フォークから豪邸フォークへと変遷していた時期だ。

 そんな時期に、歌謡曲にもフォークにもジャンル分けできない、のちにニュー・ミュージックとして確固たるジャンルを築く、オールディーズ・テイストの曲が忽然と現れたのだ。
 新しさの中にも、懐かしさが同居するシンプルなメロディライン、ドゥワップのリズム、あっけらかんとした能天気な歌詞。
 歌っているのが、歌謡曲のアイドル性やフォークの泥臭さもない、いかにも都会の金持ちのお嬢。

 それまでに何曲かシングル盤をリリースしていたはずだが、「ルージュの伝言」、および収録アルバムの「コバルトアワー」は、その後のユーミンの方向性を決定した名曲、名アルバムだ。
 私が唯一買ったユーミンのアルバムだ。
 このアルバムこそ、日本のニュー・ミュージックの原点だと言われる。

 といっても、私は別にニュー・ミュージックのファンでも、ユーミンのファンでもない。
 その当時の私の心象風景にぴったりシンクロしたアルバムだったのだ。
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私がウクレレにハマった理由

2015年03月28日 20時35分34秒 | 徒然(つれづれ)
 ウクレレを買って本格的に練習し始めたのが、今から6、7年前だ。
 それまでは下手なアコギを弾いていたが、嫁からは煩がられるし、テクニックも頭打ちで自然と弾く機会も少なくなっていた。

 ある時You Tubeで、ウクレレをギターみたいにかき鳴らすバカテク兄ちゃんを見つけた。
 ハワイのミュージシャン、ジェイク・シマブクロだ。
 ハワイアンはもとより、ポップス、ロック、はてはジャズや歌謡曲まで、4弦を自在に操りギター顔負けに演奏していたのだ。
 
 ウクレレでここまで出来るんだ、そう考えた私は、即、楽器店へ走って3万円程のウクレレを買った。
 もともとギターをやっていたので、初心者レベルの奏法は難なくクリアできた。
 ギターと違い小さく軽くて、音量も普通に弾く分には、さほど煩くない。
 旅行や外出時にも気軽に携帯できる。
 将来病気で入院しても、病室で弾けるかもしれない。

 ギターより弦数が2本も少なく、フレット幅も短いが、よく考えるとギターも6弦すべてを弾くことは稀だし、ハイポジションもほとんど弾かない。
 音量もアンプにつなげばカバーできる。

 ウクレレで十分だ。
 ウクレレのジャカソロ弾きという、メロディとコードを一緒にストロークで弾く奏法は、ギターでは滅多にやらない。
 歌が下手な私にはもってこいだ。
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お花見同窓会に向けて

2015年03月28日 20時04分43秒 | 徒然(つれづれ)
 4月5日の日曜日は、大学時代の同級生の花見同窓会だ。
 ここ5、6年、毎年同じ時期に開催している。

 話の内容で、参加者それぞれが年々歳ををとって行くのがわかる。
 病気の話や孫が生まれた話、早期退職や役職定年の話が自然と多くなるからだ。

 大学時代は先のことなど考えず、その日その日を面白おかしく暮らしていた連中が、今や昔の長髪から立派な禿頭になったり、スリムだった体型がポッコリお腹のメタボ体型になっている。

 そこで私は一念発起で、ローカーボ・ダイエットに励み、大学卒業以来10kg程増えた体重を元に戻そうと考えた。
 あと2kg弱であの頃と同じ体重に戻る。
 花見までに1週間あるので、それも可能だろう。
 ここは体重だけでなく、ファッションも70年代風にしてみようと考えて、学生時代の写真を眺めている。
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バンド遍歴

2015年03月26日 19時58分23秒 | 徒然(つれづれ)
 ギターを弾けるようになり、独りで弾き語りするようになると、すぐにそれに飽き足らず、バンドを組もうと考えるのがギター少年の常だ。
 私も例外ではなかったが、九州の辺境の田舎町では、そんな人材などいなかった。

 京都の大学のフォークソング同好会に入って、初めて組んだバンドが、2人組のサイモン&ガーファンクルのコピーバンドだった。
 しかしすぐにフォークに飽きて、4人組のロックンロールバンドを組んだ。
 ビートルズやキャロルの曲を演奏していた。

 それから間が空いて、社会人になった30代の時に3人組のロックバンドを組んだ。
 それから、またまた間が空いて、50代の時に、たそがれオヤジーズというなんでもありの3人組のバンドを組んだ。

 どのバンドも短命に終わった。
 原因は音楽的志向の違いで、メンバーが同じ方向を向いて突っ走ることの難しさを痛感した。
 音楽を志す人間は、多かれ少なかれ、オレがオレがの主張が強く、協調性が薄いという事だ。

 その点、ローリングストーンズは、50年以上もほぼ同じメンバーでやっている。
 生ける伝説のバンドと言われるのも頷ける。

 私は今では、ひとりウクレレのワンマンバンドだ。
 これでいいのだ。 
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アメリカン・グラフィティ

2015年03月26日 07時43分35秒 | 徒然(つれづれ)
 ジョージ・ルーカスのスターウォーズ前の出世作。
 製作にコッポラ、配役にもロン・ハワードやハリソン・フォード、リチャード・ドレイファスなど、その後ブレークする面々が登場している。
 全編に流れるオールディーズが、観客の古き良き時代へのノスタルジーを誘う。
 低予算で世界的なヒット作になったのも頷ける。
 若きルーカス、起死回生の一発だった。

 この映画を観たのは大学3年か4年の時だ。
 ロードショーではなく、京都で有名だった名画座、祇園会館で、周回遅れの上映だった。
 当時世間でも60ティーズテイストやオールディーズを中心とした、60年代がプチブームだったように思う。

 カリフォルニアの田舎町のハイスクールを卒業して、地元での就職や都会の大学への進学を明日に控えた若者たちの、旅立ち前夜を描く青春群像は、九州の田舎町から大学生活のために、京都へ出てきていた私の心情とピタリとシンクロした。

 ハイスクールという少年期が終わりを告げ、大人の世界へ移行しようとする、まさに青春のひとコマ。
 バカをやるのも今日限り、思う存分楽しもうとするも、なんだか空回り、明日への不安も払拭できないままに夜は更けていく。
 そんな青春のもろもろの感情が入り混じった、ほろ苦くも懐かしい展開。
 それぞれのシーンに応じたアップテンポのロックンロールや、スローなバラード。

 映画の娯楽性を前面に押し出した、わかりやすく、単純に楽しめる作品だ。
 映画というものは、啓蒙されたり、学んだり、ましてや人生の指針とするべき類いのものではない。
 
 見終わった後の、おもしろうてやがて悲しき、みたいな切なさもよかった。
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学生時代の食生活

2015年03月23日 21時03分09秒 | 徒然(つれづれ)
 学生時代は親元を離れた下宿生活だったので、偏食に拍車がかかった。
 貧乏学生だったので、ほとんどは学食のハンバーグ定食か、王将の餃子&中華丼のヘビーローテだった。

 しかし生活費が乏しくなると、もっと安いものを食べざるを得ない。
 そんな時には、スーパーの安売りの卵とジャガイモ、それに賞味期限間近のベーコンを1週間分仕入れて、ゆで玉子&粉吹きイモ&カリカリベーコンにして食べていた。
 それもなくなると、実家から送ってくるチキンラーメンに、キャベツを入れて食べる生活だった。
 チキンラーメンは食事としてだけでなく、おやつや酒のつまみとしても重宝したものだ。

 その中でも、ゆで玉子とカリカリベーコンは、今でもマイ・フェイバリット・フードだ。
 行きつけのワインバーでも時々作ってもらっている。
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八月の濡れた砂

2015年03月20日 20時22分08秒 | 徒然(つれづれ)
 この映画、日活がロマンポルノ路線にシフトする直前に公開された映画で、私は高校2年か3年の時に九州の田舎の映画館で観た。
 
 主人公が高校生と言う設定だったが、当時の私には違和感てんこ盛りだった。
 こいつら何年、留年してるんや、みたいな大人びた高校生だったし、チンピラ大学生も、もろ大人じゃん、みたいな感じだった。
 リアリティにも欠けるし、筋書きもない、私が見てもメインキャストは無名の若手俳優で、金がかかってないなあ、という印象は否めなかった。

 今にして思うと、若手俳優たちの成り上がろうとする熱い思いや、監督として認められようとする、若き藤田敏八の意気込みが全編に溢れていたのはわかる。
 当時全米を席巻していたアメリカン・ニューシネマに触発されて、製作したに違いない映画と思うが、やはり上の意向や限られた製作費の影響で、ジャパニーズ・ニューシネマには程遠い出来になってしまった。
「俺たちに明日はない」や「イージー・ライダー」、「卒業」や「いちご白書」に較べるほうがどうかしてるが。

 しかし、青春の入口を通過したばかりの私には、何かしら言葉にできない悶々とした空気感というか、青春の焦燥みたいなものが伝わってきた。
 当時の邦画といえば、大人受けする戦争映画とヤクザ映画が大半を占め、当時の高校生は洋画ばかり観ていたような気がする。

 そんな高校生の足を映画館に運ばせた功績は一定の評価に値するものだ。
 ポルノまがいのタイトルもその一助になっていると思われる。
 鑑賞後は、解決されない青春のモヤモヤと倦怠感が、石川セリの主題歌とともに頭の中で渦巻いていた。
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知識は受け売り

2015年03月18日 22時02分57秒 | 徒然(つれづれ)

 知識人といわれる人に限らず、人みな知識と言うものは持ち合わせていると思う。
 学校で学んだ知識、読書で得た知識、マスコミやネットから仕入れた知識、仕事から吸収した知識、そして経験から身についた知識。

 よく考えてみると、知識と言うものは伝聞であり、他人が経験した事の追体験がほとんどのような気がする。
 経験から身についた自分だけのオリジナルな知識というものは、ほとんどないように思う。

 自分が知っている事は、何かからの受け売りであって、ネタ元を知っている人間はみんな知っている事だ。

 知識を述べるにあたっては、ネタ元を知っている人間が少ないほど、あるいは複数のネタ元絡み合って生まれた知識を持っていることが重要だ。
 これをできるのは、専門分野の研究者くらいしかいないのではないか。
 そしてその知識は一般人には何の役にも立たないだろう。
 
 知識をひけらかしたい衝動に駆られても、そこは謙虚に、ものの本によると、とか、誰それが言ってたけど、とか一言断りを入れるべきだろう。
 でも、内緒話と同じで、知ってることは、たとえ受け売りだったとしても、したり顔でひけらかして、ドヤ顔をしてみたい私なのです。

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リーマンよ、有休を取れよ

2015年03月18日 21時15分35秒 | 徒然(つれづれ)

 3月が年度末で、有給休暇の未消化分は20日まで新年度に繰り越しができる。
 新たな20日分と足して40日がその年の有給休暇となる。
 
 本年度の有休残分が30日以上もあり、とりあえず少しでも減らそうと、今週の金曜日の有休申請を出した。
 別に用事があるわけでもないので、どうやって時間を潰そうか思案中だ。
 箇条書きしてみよう。

 ○ウクレレ練習(どの曲も飽きたし、新曲は時間がかかるし)
 ○競馬予想(開催日じゃないと気合が入らないなあ)
 ○You Tube鑑賞(観たいやつはほとんど観てるし)
 ○青空文庫読書(眠たくなるなあ)
 ○昼飲み(自己嫌悪に陥るなあ)
 ○ネットサーフィン(みんな薄く浅い情報だしなあ)
 ○散歩(疲れるよなあ)

 多分何もしないうちに時間だけが過ぎていくんだろうなあ。
 私の人生と一緒だ。

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白秋って知ってるかい?

2015年03月15日 22時43分42秒 | 徒然(つれづれ)

 青春の反対語が白秋だ。
 ちょうど私の年代だ。
 
 歌や本やテレビ番組のタイトルに青春はあるが、白秋はほとんど見かけない。
 あっても面白いんじゃないか。

 飛び出せ白秋。
 ビバリーヒルズ白秋白書。
 愛と白秋の旅立ち。
 出演者がアラ還ばかりになってしまうな。

 白秋の門。
 おん年60歳の信介しゃんの回想物語。
 白秋の墓標。
 浩平くん、生き長らえてるやん。

 白秋時代。
 白秋の詩。
 白秋の影。
 傷まみれの白秋。
 落ち着いた達観あふれるタイトルだ。

 白秋68きっぷ。
 老人割引か。

 白秋のほかにも、朱夏、玄冬があるが、これらを冠した歌やテレビ番組もないなあ。
 
 やっぱり、青春の若さには勝てないなあ。
 がんばれ、白秋。

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北原ミレイの怨歌

2015年03月15日 21時00分23秒 | 徒然(つれづれ)

 1970年代の歌謡シーンに、暗い曲を歌う女性歌手が台頭した時期があった。
 カルメン・マキ、浅川マキ、山崎ハコ、りりィなどが代表格だ。

 そんな中でも異彩を放っていたのが、「懺悔の値打ちもない」でデビューした北原ミレイだ。
 前述の女性たちがどちらかと言うと、アコギが似合うフォーク系の歌手だったのに対して、北原ミレイは純然たる歌謡演歌畑の歌手だ。
 持ち歌の歌詞は阿久悠、なかにし礼をはじめ、当時の一流どころだ。

「懺悔の値打ちもない」も衝撃的な歌詞だったが、それよりももっとショッキングな歌がある。

「春」だ。 

 歌詞もそうだが、歌唱する彼女の声から溢れ出す、物凄い情念には圧倒される。

 曲の最後の一節が衝撃的だ。

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終わりかけの週刊誌

2015年03月14日 20時46分44秒 | 徒然(つれづれ)

 僕らの成長過程で、大きな役割を果たしたのが、教科書でも文学書でも、ましてや漫画でもない。
 僕らの思考回路や人生哲学に多大な影響を及ぼしたのは週刊誌ではないだろうか。

 インターネットなどなかった僕らの学生時代の情報源は、テレビと新聞、そして週刊誌だった。
 中でも高校時代から定期購読していた、平凡パンチとプレイボーイは、僕たちの青春のバイブルといっても差し支えないだろう。
 時事問題からサブカルチャー、連載小説、漫画やヌードグラビア、通信販売…若い僕らには情報の宝庫だった。
 
 スポンジが水分を吸収するように、僕らは週刊誌から得られる情報を灰色の脳細胞にインプットしていった。
 社会人になってからは、いわゆる大人の週刊誌、週刊文春や週刊新潮、朝日ジャーナルやサンデー毎日なども読んでいた。

 インターネットの普及とともに、僕たちは週刊誌を読むことはなくなった。
 電車の吊り広告やスポーツ新聞の広告で見る週刊誌の見出しは、今では何の想像力もかき立てない。
 少なくとも僕たちには、週刊誌はその情報源としての役目を終えた感がする。

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我が餃子の王将

2015年03月14日 19時59分12秒 | 徒然(つれづれ)

 1973年、京都で大学生活を送るにあたって、直面した問題が夕食をどこで食べるかだった。
 朝食は抜いてもいいし、昼食は学食で安く食べられる。
 それまで外食などしたことがない九州の田舎者が、限られた仕送りの中で、安く腹一杯に夕食を食べるには、どこがいいか皆目わからなかった。

 そこで手っ取り早くクラブの先輩に聞くと、開口一番に出てきたのが、餃子の王将だ。
 当時はまだ全国展開するずっと以前で、京都の中でチェーン展開する激安中華料理店だった。
 大学や下宿の近く、通学路の河原町にもあったので、すぐに常連になった。
 当時餃子が90円、中華丼が150円くらいだったと思う。

 餃子の存在は知っていたが、九州の田舎者は、それまで食べたことがなかった。
 初めて食べた餃子の味は還暦の現在まで尾を引いている。
 同時期に初めて食べてファンになった、マクドナルドやケンタッキーは、最近は年に数えるほどしか食べないが、王将の餃子は今でもヘビーローテーションだ。

 喧嘩別れして独立した大阪王将と区別するため、王将フリークは餃子の王将を京都王将と呼ぶ。

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君はジャズ喫茶を知っているかい?

2015年03月14日 19時26分11秒 | 徒然(つれづれ)

 私が大学生活を送った1970年代の京都には、ジャズ喫茶がいたるところにあった。
 覚えているだけでも、ビッグ・ボーイ、マンホール、しぁんくれーる、52番街、ブルーノート、ムスターシュ、蝶類図鑑…もっとあったように思うが忘れてしまった。

 最初はクラブの先輩に連れられて行ったのだが、そのうち独りで行くようになった。
 別にジャズが好きでもなかったが、コーヒー1杯で何時間でも粘れるし、貧乏学生の暇つぶしにはもってこいだった。

 大音量の中で文庫本を読むというのが、私のスタイルだった。
 門前の小僧じゃないが、よくかかる曲はメロディラインを覚えてしまう。
 何年か経ってから、いろんな場面でそのメロディと曲名がシンクロしたものだ。

 なんで、ジャズ喫茶だったのだろう。
 ロックやフォーク、歌謡曲だってある。
 曲の認知度からいっても、ジャズはニッチな世界だ。

 私が思うに全共闘世代と関係があるのかも知れない。
 政治的関心度が高く、議論を戦わせることが好きだったあの世代が聴く音楽として、ロックやフォークなど子供の音楽で、ジャズこそがいか様にも解釈できる大人の音楽だったからだろう。
 要は政治を論じる学生が聴くに値する、難解で知的な音楽という幻想があったのだ。

 そのジャズ喫茶も今や京都では、いや、全国でもほとんど見かけなくなった。
 ジャズ喫茶でジャズを聴いていた世代は、今でも家でジャズを聴いているのだろうか。
 学生運動と同じく、一時の気まぐれだったのだろうか。

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へんてこりんな白昼夢

2015年03月14日 12時41分14秒 | 徒然(つれづれ)

 早起きをして7時前に松乃屋にロースかつ定食を食べに行った。
 客は私ひとり。
 こんな時間からトンカツなんて食ってる酔狂者はいない。

 帰宅して競馬予想をしていると猛烈な睡魔に襲われる。
 8時半だが、とりあえず寝ようと床につく。
 あっという間に夢の世界へ。
 
 その時に見た白昼夢が以下のとおり。

 私は幼稚園児の娘と居間でテレビを見ていた。
 現在32歳の娘が、夢の中では幼稚園児なのに違和感はない。

 隣のバスルームでは嫁がシャワーを浴びているようだ。
 盛んにシャワーが冷たいという黄色い声が聞こえる。

 嫁が身体にバスタオルを巻いて、居間のドアを開け、私に石鹸を取ってと言う。
 私は嫁のバッグの中を探すが、なかなか石鹸が見つからない。
 
 嫁にあれこれ指示されながら、やっと見つけた石鹸を嫁に渡す。
 嫁がドアを閉めてバスルームに戻る。

 居間を振り返った私の目の前に、三連のガスコンロがあった。
 居間のど真ん中にコンロがあるのも変だが、なんせ夢だから、これも違和感はない。
 
 そのコンロが消し忘れたのか、赤々と燃え盛り、チラチラと炎も上がりかけている。
 このままでは火事になると焦ったが、水をかけるとコンロがダメになる、居間が水浸しになるという思いで、右往左往していた。

 幸いに火の手は弱まり鎮火しそうな雰囲気でほっとする。
 でも、待てよ、コンロには笛吹きケトルを乗せていたはずだと思い当たる。
 そのケトルが、そこにはない。
  
 娘に聞くと、居間のテーブルの上を恥ずかしそうに指差す。
 そこには、布巾をかぶせたケトルが見えていた。
 それを見て、なんや、お前がケトルをコンロから外したんやと大声で笑い、その笑い声で目が覚めた。

 時計を見ると10時前だった。
 1時間半ほどの不思議なデイドリームだった。

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