現在ではとんと聞かないイージーリスニング。軽音楽とでも訳せばいいのか。
クラシックほど堅苦しくなく、ジャズみたいに難解でなく、ロックのようにうるさくもない、イージーリスニングは一時期ミュージックシーンを席巻した。
高校、大学時代は街を歩けば、いろんな所から流れていた耳慣れた音楽。
喫茶店のBGMはほとんどコレで決まり。
その昔はスタンダードナンバーやポップスをオーケストラ用にアレンジしていたが、そのうちに映画音楽に取り入れられたり、それ自体をオリジナル曲として発表したりと、そのステータスを固めていった。
ポール・モーリア、ヘンリー・マンシーニ、パーシー・フェイス、フランシス・レイ・・・名だたるメロディ・メーカーが洋楽ヒットチャートにも登場していたあの頃。「夏の日の恋」「恋は水色」「ある愛の詩」「さらば夏の日」「オリーブの首飾り」・・・意識的に聴いたわけでもないのに、なぜか記憶の引き出しにちゃんと入っている曲の数々。今で言うところの「癒し系の音楽」か。
歌なしのインストだけで勝負できる曲が、今のミュージックシーンにあるだろうか。
大学に入学した当時にヒットしていたガロの「学生街の喫茶店」。
今や1970年代に学生生活を送った世代には、「なごり雪」、「いちご白書をもう一度」と並ぶ、永遠の青春フォーク歌謡だ。
昔から大学の周りには喫茶店が付きものだったが、それをテーマにした曲はありそうで、なかった。
当たり前すぎて、作詞家も見逃していたのだろう。
目をつけた山上路夫さん、あんたは偉かった。
京都で大学生活を送った私にも、私の「学生街の喫茶店」があった。
「スペース」という名のその店は、喫茶店にしては珍しく、住宅の2階にあり、漫画や週刊誌の蔵書が豊富で、2、3人のウエイトレスは日替わりのバイトだった。安くて美味しいクジラカツのランチが名物だった。
大学の校門前にあったその店は、所属していたフォークソング同好会の溜り場で、いつ行っても誰かしら知った顔がいた。
九州の田舎から出てきて、右も左もわからなかった私にとって、この喫茶店は、同好会の先輩や同輩たちとの音楽談義だけでなく、学生生活のあれやこれやを教えられた思い出の場所だ。
特に同好会やクラスメートの女の子連中を交えて、いろんな話をするのは、これぞ大学生活、これぞ青春、の思いだった。
ひとつ残念なのは、店内に流れる音楽がスタンダード・ジャズやイージー・リスニング系の曲で、ボブ・ディランが流れることはなかったことだ。
有名人の愛読書というのがある。
人それぞれであるが、1篇の小説を愛読書として上げているのを見かけると違和感を感じる。
愛読書というからには、それこそボロボロになるくらい、それまでに何度も何度も、読み返しているはずだ。
小説を、それがどんなに感動的な小説であっても、何度も読み返したりするものだろうか。
せいぜい時を隔てて1回か、2回読み返すくらいが限度だろう。
好きな曲を何度も聴く、たとえば、昔レコードが擦り切れるほど聴いたというのはわかる。
しかし、同じ小説を何度も読むというのはあまり聞いたことがない。
小説は音楽と違い、一度読んで筋書きがわかれば、何年か間隔をあけて、筋書きを忘れた頃ならば別だが、そうでなければ再読の興味は薄れ、刺激性は格段に低下するだろう。
聖書や思想書、哲学書や論文などは、その限りではない。
読むたびに新たな発見や解釈が得られるだろうから。
有名人のみなさん、愛読書を問われたら、ありませんと答えるか、聖書とか資本論と答えるべきではないでしょうか。
70年代初頭のミュージック・シーンに突如現れたグラムロック。
その代表格はマーク・ボラン率いるT・レックス。
中性的で金ぴかなコスチュームで奏でるは、当時の骨太のヘビーロックとは一線を画す、シンプルなビートと薄っぺらな電気的なノイジーサウンド。
その近未来的、世紀末的な、かつ嘘っぽく、不定愁訴を醸すようなサウンド。
新しいが、どことなく懐かしさも感じる、他のジャンルとは明らかに異質なサウンドが、当時マーク・トウェインの金ぴか時代や、サリンジャーやフィッツジェラルドに凝っていた私の心の琴線に触れた。
アルバムを買って聴いているうちに感じたのは、決して主流になることはなく、長続きしそうにもない脆さと、刹那的な享楽の悲しみだ。
ロックの過渡期の一種の徒花的サウンドだ。
そんなことは最初からわかりきっているという潔さと、独特の発声で歌いまくるマーク・ボランが狂おしいほど愛おしかった。
そして思ったとおりブームは短命に終わり、マークも29歳の若さで自動車事故により、永遠の20世紀少年になってしまった。
浦沢直樹の「20世紀少年」がマーク・ボランへのオマージュであるとしたら、あれはちょっと違うだろうと言いたい。
昨年末からの年末年始休暇、ゴールデンウイーク、夏休み、9月のシルバーウイーク、年末年始休暇と、9連休から11連休まで今年は大型連休が目白押しだ。
土日、祝日を加えると3日に1回は休んでいる計算だ。
昔は年末年始以外の大型連休は考えづらかった。
仕事が忙しかったし、有給休暇を取ること自体、上司や同僚の手前、気が引けたものだ。
よしんば、取れたとしても、平日にレジャーを楽しむなど、世間の勤労者諸兄に対して申し訳ない気持ちで、罪悪感めいた気分に陥ったものだ。
日本人特有の勤勉を尊ぶ美徳が、有休取得の大きな壁となっていたのだ。
それがいつのころからか、大型連休を取り海外旅行などする若い輩が出てきて、国はそれを奨励し、会社もそれを奨励まではいかなくとも、容認するような風潮になってきた。
そうなると、われわれ企業戦士も有休、連休を取らざるを得なくなり、それに慣れると当初の罪悪感も薄れてきた。
しかしながら仕事が習慣づいている企業戦士は、せっかく連休を取っても、やるべき予定も経済的余裕もなかった。
ただ家でゴロゴロして、女房子供の顰蹙を買うのが関の山だった。
役職定年を過ぎたあたりからは仕事に対する執着も霧散し、連休中にどこへも行かず、何もせずとも、それが悪しきことではないのだという達観を得た。
女房の諦め、子供の成長による価値観の相違は、たそがれオヤジを家庭、家族サービスの呪縛から解き放った。
自由になったたそがれオヤジは、趣味に没頭し、インターネットで懐かしい過去の日々に逃避し入り浸る。
何もせず、金も使わず、文句も言わず、自由な思想や想像の世界に遊ぶ。それもまた楽しからずやだ。
You tubeで何気なく拾って観た。思いがけず佳作だった。
デイヴィッド演ずる主人公トムの少年時代の回想録という設定。
トムの歳の離れた友達を演じるロビン・ウィリアムズが、知恵遅れの用務員パパス役でいい味を出している。
当時の妻ティア・レオーニを、少年時代のトムの母親役で出演させているのはご愛嬌か。
映画では、少年から大人になろうとしているトムを、大人になれないパパスは必死に引き止めようとする。
ネタバレになるので、これ以上は書かないが、この映画、何かに似ている気がした。
そうだ、「小さな恋のメロディ」だ。
トムがマーク・レスターで、彼が想いを寄せる少女メリッサがトレーシー・ハイド、トムとメリッサの恋路を邪魔するパパスがジャック・ワイルドだ。
デイヴィッド・ドゥカヴニーは絶対に「小さな恋のメロディ」を観て、子供心に感動したのだと思う。そして、それを自作の映画のモチーフにしているのだ。オマージュといったら言い過ぎか。
その証拠に主人公の名前がトム・ウォーショーで、「小さな恋のメロディ」のジャック・ワイルドの役名、トム・オーンショーとダブる。
トムとパパスが二人乗りで乗り回す、前部にボックスの付いた自転車は、「小さな恋のメロディ」のラストシーンのトロッコを彷彿させる。
教室での授業シーンや校長の説教シーンもシンクロしている。
私のフェイバリット・ムービーのひとつを、あのモルダー捜査官も好きだったんだなあと思った次第だ。
小説ではない。
当時の文壇の重鎮、かの文豪、志賀直哉に大上段から切り込んだ批判書だ。
曰く「志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。所詮あの人は成金に過ぎない。普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだからおそれ入る。阿呆の文章である。おまえはいったい、貴族だと思っているのか。ブルジョアでさえないじゃないか。「暗夜行路」? 大袈裟な題をつけたものだ。自分のハッタリを知るがよい。いったい、この作品のどこに暗夜があるのか。ただ、自己肯定のすさまじさだけである。君の文学には、どだい、何の伝統もない」云々。
何かの座談会で自著を批判された恨みの反論文だが、抜粋なので本文はもっと辛辣だ。
大文豪も太宰にかかったらケチョンケチョンである。
旧態依然の文壇の体制に、竹槍かかえて孤軍奮闘の体だ。
結局、文壇改革はままならず、自死を遂げるわけだが、その破れかぶれの心意気たるや見上げたものだ。
常識足りて価値を知る、で一般人レベルか。
知識足りて世界を知る、が最も上級のレベルだろう。
自問するに私のレベルは、常識足りてと知識足りての中間レベルか。
物事を判断するにおいて、その基準となる常識や知識は多岐にわたるが、すべて完璧に身につけるのは不可能だ。
人それぞれに得手不得手、好き嫌いと偏りが出るものだ。
卑近な例では、文系は得意だが理数系はからっきしだとか、天才物理学者が常識的なことを知らないとか、プロ野球選手やお相撲さんが中学生程度の学力しかないとか。
常識は義務教育程度で身につくが、知識はそれ以降の自主性や努力でその蓄積量が左右される。
ほとんどの場合は大学受験期がそのピークだろう。
私もそうだが、主に勉学の知識は高校、大学止まりだろう。社会に出てからの経験をもとに得られる知識、あるいは趣味性の高い知識はそれ以降にも蓄積されるだろうが、やはり価値判断の基準となる知識は高校、大学時代までに吸収した知識だ。
人はどうか知らないが、私の物事の価値判断の基準はそうである。
高校や大学時代に読んだ本、聴いた音楽、観た映画、付き合った人、聞いた話が、そのもとになっているのだ。
SF小説やビートルズ、「砂丘」や「小さな恋のメロディ」、友人や女の子や噂話など、大したものはないが、知識の広がりのキーにはなっているように思われる。
そのキーから自分なりに発展させ、模索し、発見し、関連付けられた知識の蓄積が、今の私の物事の判断基準だ。
アルバイトでもしようと漠然と考えていたが、親が世間体を気にするので、とりあえず学生時代を過ごした京都で、オイルの添加剤の販売会社に3月末ギリギリに入社した。
営業スキルとクルマの運転技術を会得できたらいいかという程度の軽い気持ちだった。
仕事はガソリンスタンドやクルマのディーラーに添加剤をセールスするという内容だ。
エアコンもついていない営業車に添加剤のケースを満載し、街道沿いのスタンドやディーラーを片っ端から訪問して、口八丁で売りつけるという営業形態だ。
初めのうちは門前払い同然だったが、通っている内にだんだん売れるようになったものだ。
キャンペーンと称して赤いツナギを着て、給油に来る車に添加剤を売りつけて、その方法をガソリンスタンドの若い社員やバイトの連中に伝授する。その見返りとして5ケース、10ケースと納品するのだ。
そんな仕事を5年半ほど続けて、京都の主だったガソリンスタンドの社員とは顔見知りになった。
ガソリンスタンドの若い社員やバイトは、例外なくクルマが好きで、劣悪な労働環境にも文句も言わず黙々と仕事をこなしていた。
クルマが好きな彼らは整備士やメカに詳しい人間を尊敬していた。
赤いツナギを着て、付け焼刃ながら添加剤がらみでメカの知識を披瀝する私も、一応一目置かれていた。
中卒や高卒の彼らはまだ幼くて従順だった。
教えたとおりに添加剤を販売して、私の営業成績アップに貢献してくれたものだ。
そんな彼らの夜の顔を一度だけ見たことがある。
夜の四条河原町で信号待ちをしていた時、たまたま通りかかった暴走族の一団の中から、こちらを見て笑顔で手を振る奴がいた。よく見るとガソリンスタンドの若者だった。族の中では結構偉いサンのようだった。
昼間はスタンドで働き、夜は暴走族で街中をブッ飛ばすという連中も少なくなかったのだ。
騒音を残して去っていく一団を見送り、これも青春かと思いながら、ハシゴ酒の次の店に向かった次第だ。
本物のミニにもそれなりのステータスがあったのだ。
ミニに憧れた田舎の貧乏青年はN360で我慢していた。
チューンナップしたNコロで田舎道をブッ飛ばすお兄ちゃんたちは、それなりにカッコ良かったものだ。
社会人になった私がミニを買った頃には、ミニはBMWやベンツを買えない奴が買う外車、ホンマもんのプアマンズ・ミニに成り下がっていた。
でも私はミニが好きだった。
当時はまだオースチン・ローバーという冠がついていた。
デカイ外車やスポーツタイプのクルマには何の興味もなかった。
英国製で右ハンドルということでミニ・スプライトを選んだが、ミニやフィアット500、ワーゲンビートルのような小さくて味のある車が好きだった。
狭くて細い日本の路地を走るには、オモチャ感覚のミニはピッタリだった。
マニュアル・トランスミッションというのも、市街地走行時の走りを実感させた。
ミニは当たり外れがあり、故障が多いと聞いていたが、運よく当たりだったみたいで、15年間故障知らずだった。
パワー不足を懸念して、エアコンもカーラジオもつけなかったので、家族は乗るのを嫌っていた。
股関節の置換手術を機に売り払ってしまったが、十分に堪能し元は取れたと思っている。
そんなミニも今やBMWの傘下に入り、大幅にモデルチェンジしてしまい、往時の面影はどこにもない。
たまに昔のミニを街で見かけると、頑張ってるな、と頬が緩んでしまう今日この頃だ。
昔は料理の旨さもさることながら、その安さが売りだったが、長年来の物価上昇や競合他社の進出に伴い、価格的な魅力は半減した。
料理の味自体は昔と変わらないので、なんとかコストダウンに繋がる策を講じたらいかがなものだろう。
材料費、人件費の圧縮は厳しいと思われるので、ここは料理の形態を変えてはどうだろうか。
現在もハーフサイズやジャストサイズという形で単品のコストダウンは図られているが、2、3品食べると結局は客的には割高になってしまう。
そこで、全ての料理を丼にするという案はどうだろう。
酢豚丼、ニラレバ丼、回鍋肉丼、唐揚丼・・・。
天津丼や麻婆丼があるのだから、違和感はないと思われる。
看板の餃子は単品で仕方がないが、麺類も丼だし、他の料理を丼化することで、食器の種類や収納スペース、洗浄時間は半減できる。
それらを反映させた料理は現在の単品価格、もしくは少し頑張って8、9割程度で提供できるだろう。
そうすることにより、丼や定食のバリエーションを増やしている牛丼チェーンとも互角に勝負できると思う。
最初から全店変更は無理だとしても、狭い店舗から変えていけばいいと思う。
10年後に王将の看板が「餃子の王将」から「丼の王将」に変わってたら面白いだろうな。
昔は毎日飲み過ぎるくらいに飲んでも二日酔いとは縁遠かった。
歳なのかな。
仕事の席についても身体がだるい。それにちょっと不定愁訴気味だ。
そんな心身的状況は、人には見せないようにカラ元気を発揮する。
アクビが出そうになったら背筋を伸ばし大きく目を見開く。
目と鼻が続いていて、鼻と口が続いているなら、口から出るアクビも目から発散できるはずだ。
電話応対の声も下腹に力を入れて、普通より大きめに発する。
そんなこんなをやっているうちに、二日酔いや不定愁訴は午前中で霧散する。
昼飯時になると俄然食欲が湧いてくる。
夕方になれば、性懲りもなく今宵の酒に思いを馳せる。
このコントロールをできない人間が、不調を引きずり、延いては心身に変調を来たすのだ。
極端な話、うつ病という状態に陥る者もいるかもしれない。
病は気からというではないか。
風刺漫画やテレビでの舌鋒鋭いコメントが売りだった氏にも、禿げというコンプレックスがあったのだと認識するに及んで、斜め上から目線の氏も我々と同じ人間だと安心した次第だ。
私は禿げてないので、氏の悩みの程はわからないが、一度ついた小さな嘘(カツラ)が大きな負担となり、それを公にするということは相当勇気が要ったに違いない。
人間誰しもコンプレックスの塊だ。
禿げは言うに及ばず、太っている、背が低い、胸が小さい、顔が不細工といった肉体的なものから、低学歴、仕事ができない、貧乏、小心、モテないなど、能力的、金銭的、心理的なものまでキリがない。
そんなコンプレックスをバネに成功を勝ち得たり、はたまた生涯引きずったりと人はそれぞれだろう。
冒頭のやく氏ほどの功を成した文化人でさえ、禿げというコンプレックスからなかなか抜け出せなかったのだ。
私の場合は歳を取るごとに諦めというか、気にするのが馬鹿らしく思えてきた。
自分が気にするほど人は気にも掛けていないものだ。
それはわかっていながらも、気になるのがコンプレックスたる所以か。
その手法だと、解釈がまちまちになってしまう恐れがあるので、私は俳句というものをあまり好きではない。
140文字制限のツイッターでさえ、伝えたい思いをうまく表現できないのに、17文字の文章で何が伝えられるのだろう。
作者の思いと受け手の感じ方が、ぴったりと一致することなどあるのだろうか。
作者は受け取り方を相手に委ねる限りは、自身の思いが正確に伝わらなくても、一応、雰囲気だけでも感じてくれたらOK牧場よ、と達観しているのか。
そんなんでええんか、松尾芭蕉よ。
俳句は好きでなくとも、心に残る芭蕉の一句はある。もちろん自分なりの解釈をしての上だ。
夏草や兵どもが夢の跡
巷で解釈するところの、奥州平泉の藤原一族の栄華など、私は知らんし、この句からイメージもできない。
夏草とか兵どもという圧倒的な強さが、単純にイメージされる。それが夢の跡と続けば、終わって久しい感じだ。
中学生の夏の頃授業で習ったように記憶しているが、定かではない。
高校の夏休みに、田舎の波止場から伝馬船で渡った無人島で、セイタカアワダチソウの生い茂る中を、小高い丘の頂上へ登ると、そこに小さな祠があった。
その時に私の脳裏に去来したのが芭蕉の例の一句だ。(この辺のくだりは拙著「さらば夏の日1970」に収録<Amazon Kindle Storeにて発売中>)
かつて、この無人島にも人が住んでいて、日々の営みが繰り返されていたのだろうと思い起こされた。
そして今は風雨にさらされた祠が、ひっそりと往時を偲ぶように佇んでいる。
この句にぴったりの情景だと思った次第だ。
青春の入口のそんな思いも、遠い過去の話で、それこそ今にして思えば夢の跡だ。
(ゲリラ豪雨には負けるやろ)
風にも負けず
(竜巻には負けるやろ)
雪にも夏の暑さにも負けず
(同じく、大寒波や干ばつには負けるやろ)
丈夫なからだをもち
(ジムにでも行って鍛えとんのかい)
慾はなく
(人間、欲がなくなったら終わりやで)
決して怒らず
(たまには怒らんと舐められるで)
いつも静かに笑っている
(ヘラヘラしとったらあかんで)
一日に玄米四合と
(四合は多過ぎ、三合にしとき)
味噌と少しの野菜を食べ
(蛋白質摂れよ、それと塩分控ええよ)
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
(飲み会で幹事割引適用か)
よく見聞きし分かり
(自己主張もせなあかんで)
そして忘れず
(嫌なことは忘れるに限るで)