★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

時の過ぎゆくままに

2022年01月31日 14時31分49秒 | 徒然(つれづれ)
 定年退職して早や4年目に突入した。
 在職中は退職後のことなど、漠然と考えることはあるにはあったが、それが現実になるとはあまり思っていなかった。

 それは、学生時代に漠然と考えた、就職するとか、結婚して家庭を持つとかと同じように、非現実的な思いに似ている。
 自分の未来の姿など、なかなか想像しがたいものだ。

 こうして退職後の引きこもり生活を送っていても、まだ退職したという実感はわかない。
 生活は続いているし、単に時間だけが過ぎてゆく。
 人生を時の流れとするならば、過去に漠然と思った未来は、どんなに遠くても、生きていれば必ず現実として訪れる。

 時間は自分の意識の外側を流れている。
 意識は子供の頃から延々と続いているし、自分自身はなんの変化もないように感じる。
 子供の頃の思いも変わらず今の意識の中に生きている。

 80歳、90歳の自分を想像してみようとしても、あまりにも漠然としているし、生きているかさえわからない。
 しかし、生きていれば必ず訪れるのだ。
 そして、今と同じように、意識は子供の頃から変わらない、と思うのだろう。


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本当に吸いたい?飲みたい?

2022年01月30日 14時02分34秒 | 徒然(つれづれ)
 去年9月28日に禁煙を始めて、11月5日の飲み会で解禁した。
 禁断症状はなかったが、酒席ではついつい煙草に手が伸びる。
 いわば酒のつまみのようなものだ。

 それ以降、また喫煙を再開したが、以前に比べると、本数は激減した。
 それまでは、手持無沙汰の時に、身体が求めてもいないのに吸っていた。

 いわば無意識のうちに、惰性で吸っていたようなものだ。
 それを旨いと感じたり、気分が落ち着いたりするわけでもなかった。

 今は、身体が煙草を求めている時にしか吸わないようにしている。
 そしてそんなケースは、思った以上に少ないのだ。

 これは煙草に限らず、酒においても言えることだ。
 自宅で酒を飲みたいと思うことはほとんどないし、飲み会ではそれが目的なので、飲まざるを得ない。

 ほんとうに飲みたいと思うのは、夏場のウォーキング途上だ。
 そんな時は、ファミレスやファーストフード店で隠れビールをしている。

 しかし、それも酒飲みや依存症の、頻度や飲み方ではない。
 適量以下だ。

 禁煙や禁酒が本当に必要なのは、依存症の人間だけだ。
 そしてそれを克服するのは、ほとんどの場合困難だ。

 一般人の吸い過ぎ、飲み過ぎレベルは、ほんとうに吸いたい時、飲みたい時、要は身体が求める時に、吸ったり、飲んだりすればいいだけだ。
 煙草や酒に手が伸びそうになった時には、ほんとうに今吸いたいのか、飲みたいのか、と自問することだ。
 それくらいなら、意識すれば可能なはずだ。
 

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美空ひばりという昭和

2022年01月29日 18時26分29秒 | 徒然(つれづれ)
 なんの気なしにミュージック・フェアの過去のカバー特集を見ていた。
 歌っている歌手には、他人の歌だから、少々のミスや解釈の違いは仕方がない、と思っているような節があった。
 某アイドル歌手が歌う「時の過ぎゆくままに」など、ちょっと歌のうまい素人以下の歌唱力だった。

 トリを飾ったのは、昭和歌謡史に燦然と君臨した歌姫、美空ひばりだ。
 歌ったのは、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」。

 さすがひばり、まるで自身の持ち歌かのように手の内に入れ、聞かせどころたっぷりの歌い方だ。
 憎らしいほどの余裕や、時折見せる笑顔も、ぜんぜん嫌味がなく、神々しいまでの存在感だ。
 バックにオーケストラと大合唱団を従えて、それを凌駕する歌唱力は鳥肌ものだった。

 ひばりの存命時は、なんの興味も示さず、聞き流していた自分が恥ずかしいというか、大損をしたような気がした。
 昭和歌謡や演歌に傾倒しつつある、我々前期高齢者の音楽タイムトラベルの行きつく先は、美空ひばりだと確信した次第だ。

 今後も美空ひばりを超える歌手はまず現れないだろう。
 一度ゆっくりとYouTubeで聴き返す必要がありそうだ。


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集中力の持続

2022年01月29日 12時30分54秒 | 徒然(つれづれ)
 人間の集中力というのは、一般人で約10分から15分くらいしか続かないらしい。
 それ以上無理をして続けようとすれば、疲労やストレスになってしまうという。
 言われてみれば、受験勉強や仕事の資料作成など、過去を振り返ってみてもそう思う。

 テレビの長寿番組、たとえば笑点やサザエさんなどは、一つのコーナーや一話が10分から15分程度の長さだ。
 これなど、視聴者の集中力を考慮した結果だろう。

 2時間ドラマなどが長続きしないのがわかる。
 斜陽の映画産業などもその例に漏れない。

 その点、バラエティなどは細かくコーナーを分けている。
 しかし、それもネタ切れや出演タレントの人気の陰りで、長く続けるのは至難の業だ。

 では、集中力を持続するにはどうすればいいか。
 簡単なことだ。
 1時間の集中力が必要なことをやる場合、15分集中したら、15分気分転換するか、他の事に集中すればいいのだ。

 しかし、そもそも私のような定年退職後の引きこもり生活者には、集中力を必要とする事柄がほとんどないのが現状だ。
 集中力の持続という疲労やストレスの原因がないのは、考えようによってはいいことかもしれない。
 

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自然治癒と自然温暖化

2022年01月29日 12時13分53秒 | 徒然(つれづれ)
 左の五十肩の痛みと右手の骨折の回復経過が思わしくない。
 なかなか痛みが引かない。

 自然治癒にまかせて、なんの対処もしていないから、当然と言えば当然かもしれない。
 また、よくよく考えたら、やはり寒さの影響も大だ。

 寒いと、外科的疾病の回復は遅いものだ。
 温めたらいいようなものだが、生来の面倒臭さで、長続きしない。

 日常生活に支障を来たす激痛なら、積極的な対処もするが、それをさせないくらいの絶妙な匙加減の痛みなのだ。
 日中はほかの事に気を取られて、それほど痛みは感じないが、就寝時は、時折目が覚めるくらいの疼痛が走る。

 困ったものだ。
 いずれにしても、自然治癒と同様、季節の自然温暖化を待つしかない。
 

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王将でビールにありつけず

2022年01月29日 10時37分28秒 | 徒然(つれづれ)
 今日は朝酒しようと王将へ行き、餃子2人前と生ビールを注文。
 餃子が出来上がり持ってきたオバちゃん店員が、アルコールはまん防発令以降、11時からになりましたと抜かす。

 時間を見ると10時前だ。
 おい、おい、注文を受ける時に言えよ。
 そうは思ったものの、そこは大人の対応で、文句は言わず。

 仕方なく、小ライスを追加。
 オバちゃんは申し訳なく思ったのか、焼きめしや中華丼に付くスープをサービスしてくれた。

 朝酒のつもりが、餃子ライスになってしまったとさ。


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春遠からじ

2022年01月28日 18時50分36秒 | 徒然(つれづれ)
 オミクロンの感染急拡大とは裏腹に、季節は確実に移ろっている。
 書斎の窓から夕暮れの空の明るさを見ていれば、日に日に陽が長くなっているのがわかる。
 朝のウォーキング中も、日が照っていれば、うっすら汗ばむほどの暖かさだ。

 まだ1月末だが、春も近い証拠だ。
 月曜日の憂鬱や金曜日の解放感とは無縁になった、毎日が休日の定年退職後の引きこもり生活でも、やはり春は待ち遠しいものだ。
 ここ数年、大阪の冬は暖かく、春の訪れも早いように感じる。

 あと2ヵ月もすると花見シーズンだ。
 オミクロンも急拡大、急収束という専門家の説もあることだし、一昨年、去年と中止になった、3年ぶりの花見が、無事に開催されることを願うばかりだ。


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飽和状態の自動車産業

2022年01月28日 13時44分54秒 | 徒然(つれづれ)
 日課のウォーキング途上で見るクルマの種類には、もはやついていけない。
 各社次から次に新しい車種を出し、今やその車名はもちろん、どのメーカーのクルマかさえわからない。

 似たようなクルマが多すぎるのだ。
 一目見て、車名を言い当てられるのは、相当なマニアだろう。

 私がクルマに興味を持ち始めたのは、小学校高学年から中学時代だ。
 当時は、クルマの形だけで車名やメーカー名が一目瞭然だった。

 各社、それぞれに個性的なクルマを生産していた。
 当時のクルマで、私の記憶するところでは、トヨタカローラ、日産サニー、スズキフロンテ、ホンダN360、三菱ミニカ、マツダファミリア、ダイハツベルリーナ、日野コンテッサなどがある。

 ほとんどが、今のようにカッコよさなど追求しない、実用本位のクルマだった。
 クルマ自体がステイタスで、それを持つことがカッコよかった時代だ。
 クルマが大型消費財となった現在とは雲泥の差だ。

 性能ではほぼ頂点を極めた今、各社はその豪華なスタイルと多様性で差別化をはかり、それが種類の多さに繋がっているのだろう。
 1960年代後半くらいの種類に戻せば、消費者のクルマにかける無駄な出費を抑えることができるはずだ。
 そうすれば、メーカーも他業種への転換が図れ、未来への展望も開けるはずだ。
 

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自意識過剰

2022年01月27日 13時54分31秒 | 徒然(つれづれ)
 自分自身というものを考えてみる。
 ここでいう自分自身とは、自分の意識のことだ。
 それを主体と定義すれば、それ以外は客体ということになる。

 見えるもの、聞こえるもの、臭うもの、感じるもの、要は、意識がコントロールする五感で感じるものすべて、言い換えれば、世の中すべてが客体だ。
 自分の意識が及ばないところの客体は存在しない。

 たとえば、どこかの山の中で木が倒れても、それを認識することはできない。
 ということは、そんな現象は起こっていないのと同じだ。

 どこかの山奥で木が倒れたという情報も、それを自分の意識が認識しない限り、情報として存在しない。
 情報として認識した時点で、意識がそれを作り出したということだ。

 自分の意識が存在しなかった生まれる前の過去は存在しない。
 その過去と思っているものも、意識が作り出した幻影だ。

 本来の過去は、自分が生まれてから、自分の意識が認識したものだけだ。
 それを経験といっていいかもしれない。
 それさえも、意識が作り出した幻影かもしれない。

 意識の入れ物の肉体自体も、意識が作り出した客体だ。
 極論すれば、世の中すべてのものは、自分の意識が作り出した幻影にすぎない。

 人生は意識が作り出した大いなる幻想かもしれない。


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孤独もなかなかいいもんだよ

2022年01月26日 12時46分15秒 | 徒然(つれづれ)
 友達がいない、あるいは少ないというだけで、世間は、社交性が欠如している、人付き合いが悪い、孤独な奴だ、と半ば変人扱いだ。
 孤独を愛するということは、マイナーなこと、あるいは人より劣っていることなのだろうか。

 性格的に、人との付き合いが苦手、あるいは意識的に避ける人間もいるはずだ。
 それを引きこもりなどと蔑視したり、極端な話、性格破綻者呼ばわりするのは、ちょっと違うだろう。

 私は定年退職後、自ら望んで引きこもり生活を送っている。
 満喫しているというほうが当たっているかもしれない。
 変に気を使わなくてもいいし、人から指図や強制されることもない、至って平穏な毎日だ。

 人と会わなくても、話をしなくても、なんのストレスを感じることもないし、寂しいなどと思ったこともない。
 サラリーマン時代と比べると、それこそ雲泥の差だ。

 それなりに、小さな楽しみは無数にあるし、精神衛生上もこれに優ることはない。
 人は、健康でありさえすれば、ひとりでも十分に生きていけるものなのだ。

 健康の反対のことは極力考えないことだ。
 明日は明日の風が吹くさ。
 

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友よ

2022年01月26日 12時06分32秒 | 徒然(つれづれ)
 中途採用で入社した会社で35年勤めて、2018年末で定年退職した。
 その間、いろんな部署を経験し、いろんな人間との交流があった。
 一緒に仕事をし、いろんな話もし、飲みにも行った。

 しかし、退職してみれば、そんな人間との交流は、ほんの一部を除き、ほとんど皆無だ。
 先方からアプローチもないし、こちらから連絡することもない。

 考えてみれば、彼らのプライベートはほとんど知らない。
 会社を介しての、仕事だけでの付き合いだったということだ。

 退職に限らず、それ以前に、部署が変われば、自然と疎遠になっていった。
 去る者日々に疎し、というやつだろう。

 いわゆる友達付き合いというのは、在職期間が長いサラリーマン時代の付き合いより、学生時代のそれのほうが長く続いている。
 それは、なぜだろう。
 私だけなのだろうか。

 考えられるのは、生活環境の違いかもしれない。
 学生時代、特に大学時代は、青春真っ只中の多感な時期で、親の庇護の下から離れて、独り暮らしを始め、なんの束縛やしがらみもなく、付き合いも損得抜きの純粋なものだった。

 サラリーマン時代になると、家庭を持ち、経済的な責任が発生し、会社や仕事という、ある意味、束縛があり、付き合いもうわべだけのものになったのかもしれない。
 会社や家庭というものが、付き合いの障壁になっていたのは否めないだろう。

 そんな中で、在職中に友と呼べる付き合いを得た人間も、少なからずいることだろう。
 その貴重な付き合いは、残り少ない人生において、大事にされんことを願う。
 

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飲み屋に幸あれ

2022年01月25日 18時41分30秒 | 徒然(つれづれ)
 勤めていた会社が、天神橋筋商店街の近くだったので、アフターファイブに飲みに行く店には事欠かなかった。
 日本一長い商店街はもちろん、その周辺は大阪でも屈指の飲み屋街だ。

 居酒屋から、立ち飲み、パブ、スナック、バー、寿司屋に焼肉屋、ワインバーに無国籍バーとなんでもござれだ。
 行きつけの店ができる年代までは、日替わりで、あの店、この店と飲み歩いたものだ。
 昔から続く老舗もあれば、チェーン店、地元に密着した店、個人でやっている店など、その形態も様々だ。

 しかし、時の流れは無情で、若い時に飲み歩いた店で、今も残っている店は数えるほどだ。
 しかし、しかし、飲み屋の件数は当時よりも増えている。
 潰れる店も多いが、それより新規開店のほうが多いのだ。

 新規開店の店は、押しなべて、若い店主がやっているのが特徴で、そのほとんどが3年と持たないほど短命だ。
 若いだけに開店もそうだが、閉店の決断も早いようだ。

 閉店した後には、すぐに別の飲み屋がオープンする。
 そんなことの繰り返しだ。

 私の行きつけの飲み屋は、通い始めて概ね10年前後は持っていた。
 そんなわけで、10年サイクルで、私の行きつけは変わったものだ。

 最後の行きつけの店は、私の退職後も、コロナ禍にも負けず、細々と続いている。
 今は年に数回訪れるだけだが、末永く続いてほしいものだ。
 

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オミクロンのもどかしさ

2022年01月25日 11時19分52秒 | 徒然(つれづれ)
 オミクロン株の感染拡大が止まらない。
 メディアは連日、芸能人の感染と濃厚接触のニュースを垂れ流しだ。

 そもそも、テレビで見る限り、マスクもつけず、密状態で、大声でしゃべりまくれば、感染力の強いオミクロンゆえ、感染は必至だ。
 自ら原因を作り、鬼の首を獲ったかの如く、感染発表をする。
 さながらマッチポンプ状態だ。
 感染した芸能人は、2週間も経てば、シラっとテレビに出ている。

 片や、市中感染も止まらない。
 特に小学生や幼稚園、保育園児のクラスター感染が顕著だ。

 密状態が原因なのは明らかだ。
 それが家庭内感染、濃厚接触者認定など、親の世代の自宅隔離にまで及び始めている。

 検査が行き届いていない現状で、この感染状況だから、潜在的な感染者数や濃厚接触者数は、数倍、下手をすると数十倍かもしれない。
 病床のひっ迫は、コロナ以外の緊急を要する患者の受け入れにまで影響が出てきているようだ。

 マスク、手洗い、うがい、人との接触の回避などの基本的な予防法で、感染リスクはかなり軽減できることがわかっているのに、それがある意味、困難な現状だ。
 エッセンシャル・ワーカー以外は、テレワークが推奨されても、出社する人間は出社するし、通勤電車は相変わらずの濃密状態だ。
 巷間囁かれる、オミクロンはただの風邪というのが、案外的を射ているのかもしれない。

 オミクロン株の弱毒性は、半ば検証されているようなものなので、政府は、ロックダウンなどの強力な手段ができないのであれば、この際、季節性インフルエンザと同様の、感染症5類への引き下げを断行したらいかがなものか。
 

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字あまりソングの功罪

2022年01月24日 15時18分40秒 | 徒然(つれづれ)
 昔は日本の歌の歌詞は1音1文字だったが、今や1音に何文字ものせる字あまり歌詞が主流だ。
 元を辿れば1970年代の吉田拓郎に行き着く。

 当時としては、それまでの歌のイメージをガラリと変える画期的な手法だった。
 もちろん、それは一時の流行りで、主流になるとは思わなかったが、その考えは違っていた。

 一時、ユーミンに代表されるニューミュージックが、その流れを元に戻すかに見えたが、サザンで再び字あまりソングは定着した。
 現在のJポップはほとんどが字あまりソングのオンパレードだ。

 今日びの若者はそれを苦もなく歌いこなすが、前期高齢者には至難の業だ。
 歌詞カードやテロップがないと歌詞が把握できない。

 我々、高齢者が昔懐かしの昭和歌謡や演歌に惹かれるのも、それが理由のひとつかもしれない。
 歌はメロディも重要だが、歌詞あってこその歌なのだ。
 歌詞に込められた思いは、字あまりソングではなかなか伝わりにくいものだ。

 英語と違い、日本語の文章は、肯定、否定を最後に持ってくるので、字あまりの歌詞を最後まで聴かないと、意味が通じない。
 1音1文字の昭和歌謡や演歌は、シンプルな歌詞で容易に最後を想像できる。
 その多くを語らないシンプルさの中に、思いの丈を込める技を、昔の作詞家は持っていたのだ。


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王将よ、初心にかえれ

2022年01月24日 15時00分38秒 | 徒然(つれづれ)
 先日の王将でのたそがれオヤジ飲み会で、餃子無料券を6枚もらった。
 期限が1月末までで、1回1枚しか使えないので、このところ王将ヘビロテだ。

 当然、餃子1人前だけで済むはずもない。
 まんまと王将の販促手口に乗せられている。

 また、現在、500円ごとにスタンプが貯まるスタンプラリーをやっている。
 その景品に餃子無料券があるが、今までは1人前で1枚使えたのに、今回から2人前以上で1人前無料という姑息な方式に変わった。

 コロナ禍で売り上げが減ったから渋くなったのだろうが、顧客にとっては有難味が半減だ。
 庶民の味方を標榜するなら、そんな姑息なことはやめてもらいたい。


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