またまた昔の話。
大学2回生から下宿を京福沿線の八幡前に移した。下宿から大学までは30分ほどで、以前の下宿と比べると半分以下の時間に短縮された。
下宿を早く出すぎた時や、試験前の時間調整などに時々利用したのが、京福の出町柳駅前のカミ家珈琲店だった。
駅前に並ぶ、さびれた商店群に同化したその佇まいは、下手をすると見落としてしまうくらいの、喫茶店らしからぬ風情だった。
小洒落た外観の喫茶店が多い京都の町には、似つかわしくない、昭和30年代の雰囲気を醸し出すその店は、白い日除けのテントに書かれたカミ家珈琲の赤い文字で、やっとそれが喫茶店だとわかった。
店内も同じように、仄暗く雑然として変な気取りもなく、古き良き時代を色濃く残した調度品も、軋みが聞こえるほどの昭和テイストだった。
京都を代表するイノダコーヒ店とは、ある意味、対極をなす庶民的な喫茶店だった。
コーヒーが苦手で、喫茶店でもコーラやレスカ専門だった私も、カミ家のコーヒーだけは美味しいと思った。
大きめのコーヒーカップにたっぷりと入れられたコーヒーは、苦味や酸味、渋味を極力押さえ、マイルドでまったりとした、他の喫茶店では味わえないない独特の味だった。
その芳香は鼻腔をくすぐり、熱く芳醇な味は舌に染み渡り、胃の腑をやさしく刺激して、朝の脳を覚醒させた。
根強いファンが多いというのも頷ける。
大学を卒業してからも、6年ほど京都に住んでいたので、年に3、4回程度、思いついたら行ったりしていた。
大阪に居を移してからは、何かの用事でもない限り、京都に行くこともなかったので、長らくご無沙汰していた。
2008年にネットの情報で閉店になったというのを知って、またひとつ、青春時代の思い出の場所が消えて、すごく残念な気がしたのを覚えている。
大学2回生から下宿を京福沿線の八幡前に移した。下宿から大学までは30分ほどで、以前の下宿と比べると半分以下の時間に短縮された。
下宿を早く出すぎた時や、試験前の時間調整などに時々利用したのが、京福の出町柳駅前のカミ家珈琲店だった。
駅前に並ぶ、さびれた商店群に同化したその佇まいは、下手をすると見落としてしまうくらいの、喫茶店らしからぬ風情だった。
小洒落た外観の喫茶店が多い京都の町には、似つかわしくない、昭和30年代の雰囲気を醸し出すその店は、白い日除けのテントに書かれたカミ家珈琲の赤い文字で、やっとそれが喫茶店だとわかった。
店内も同じように、仄暗く雑然として変な気取りもなく、古き良き時代を色濃く残した調度品も、軋みが聞こえるほどの昭和テイストだった。
京都を代表するイノダコーヒ店とは、ある意味、対極をなす庶民的な喫茶店だった。
コーヒーが苦手で、喫茶店でもコーラやレスカ専門だった私も、カミ家のコーヒーだけは美味しいと思った。
大きめのコーヒーカップにたっぷりと入れられたコーヒーは、苦味や酸味、渋味を極力押さえ、マイルドでまったりとした、他の喫茶店では味わえないない独特の味だった。
その芳香は鼻腔をくすぐり、熱く芳醇な味は舌に染み渡り、胃の腑をやさしく刺激して、朝の脳を覚醒させた。
根強いファンが多いというのも頷ける。
大学を卒業してからも、6年ほど京都に住んでいたので、年に3、4回程度、思いついたら行ったりしていた。
大阪に居を移してからは、何かの用事でもない限り、京都に行くこともなかったので、長らくご無沙汰していた。
2008年にネットの情報で閉店になったというのを知って、またひとつ、青春時代の思い出の場所が消えて、すごく残念な気がしたのを覚えている。