拙著「時空の接点」「ロールスボイス」「社内番外地」の3タイトルをAmazon Kindle Storeにて、3月5日17時まで無料キャンペーン実施中です。
<あらすじ>
「時空の接点」
2016年9月8日、通販会社を定年退職となった森岡は、最後の出勤日を迎えた。
35年間勤め上げた森岡の胸には、過去のさまざまな出来事が去来していた。
最後の挨拶を終え、会社をあとにした森岡は、とある喫茶店に入る。
1981年9月8日、森岡は7年間務めた石油製品会社を辞めようと決意し、転職活動の真っ最中だった。
2ヵ月ほどの転職活動の甲斐もなく、まだ次の会社は未定だった。最後の会社説明会の前に、天神橋筋商店街を彷徨していた森岡は、時間潰しに、とある喫茶店に入る。
その喫茶店で2016年の森岡と1981年の森岡の時間が奇妙な接触を果たす。
「ロールスボイス」
単身赴任の青柳は、大阪天満の欧風居酒屋『ロール』で、出版社課長の黒岩と、派遣社員の麻衣と知り合った。お互いにひとり暮らしの三人は意気投合し、気の置けない飲み仲間になった。
ある日三人は『ロール』のママの勧めで、バンドを組み、秋に開催される天満音楽祭出場を目指すことになった。
嫌々ながらも、青柳はベース担当になった。昔、ブルースバンドのギタリストだった黒岩や、ドラム教室に通っている麻衣はまだしも、青柳はギターは弾けたが、ベースは触ったこともなかった。
三人は貸スタジオで、音楽祭に向けた練習を始める。黒岩のオリジナル曲をマスターし、音楽祭に応募するためのデモ音源を、録音する日も間近となったある日、事件は起こった。
「社内番外地」
上司である部長との折り合いが悪かった村上は、営業部から販売促進部保険課へ左遷させられる。
そこは社内番外地と呼ばれる、所謂、落ちこぼれ社員の受け皿的部署だった。
服装の自由化にかこつけた、パンクファッションやタンクトップに超ミニの社員、マザコン社員や課長気分が抜けない役職定年社員など、一癖も二癖もある社員の集まりに、村上は先が思いやられた。
バンドのライブやキャバクラでの出来事、母親同伴での退職の申し出と、次から次へとやっかい事が頻発する。
それと同時進行で、会社も大きな転機を迎えていた。
天神橋筋商店街を借景に、村上のサラリーマン人生の過渡期を描く、ヒューマン企業ストーリー。
★この機会にぜひ、ご購読ください。
よかったでも悪かったでも、ほんのひと言でも、読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。
男は歳を取ったら禿げるか白髪になるかだ。
ほとんどの男は白髪になることを望むだろう。
しかしこればかりは神(髪)のみぞ知るところだろう。
幸いにも私は白髪派だ。
50歳過ぎた頃から目立ち始め、今では3割方白髪だ。
つい最近まで無駄な努力とわかりながらも、気が向けば、目立つ白髪を10本、20本と抜いていた。
しかし、抜いたあとから、白髪は生えてくる。すごい生命力だ。
そして、私は今日を以って白髪を抜くのをやめにした。
それは取りも直さず、老いに対する抵抗を、またひとつ諦めたということだ。
古くは老眼、難聴、顔のシミ、シワ、足腰の衰え、と老化に対する抵抗をやめてきた。
最後に残るのはボケに対する抵抗か。
これはウクレレの練習と小説を書くことで抵抗している。
それもいつまで続くことやら。
ほとんどの男は白髪になることを望むだろう。
しかしこればかりは神(髪)のみぞ知るところだろう。
幸いにも私は白髪派だ。
50歳過ぎた頃から目立ち始め、今では3割方白髪だ。
つい最近まで無駄な努力とわかりながらも、気が向けば、目立つ白髪を10本、20本と抜いていた。
しかし、抜いたあとから、白髪は生えてくる。すごい生命力だ。
そして、私は今日を以って白髪を抜くのをやめにした。
それは取りも直さず、老いに対する抵抗を、またひとつ諦めたということだ。
古くは老眼、難聴、顔のシミ、シワ、足腰の衰え、と老化に対する抵抗をやめてきた。
最後に残るのはボケに対する抵抗か。
これはウクレレの練習と小説を書くことで抵抗している。
それもいつまで続くことやら。
トランプ大統領が誕生して以来、アメリカの世論が真っ二つだ。
トランプ派、反トランプ派が反目し合っている構図だが、民主主義を重んじる国で、民主的な選挙で選ばれた大統領なのだから、選挙が終われば、ノーサイドいう訳にはいかないもんかね。
ここへ来て、トランプの強硬政策もあるが、それに対する反トランプ派の抗議は異常だ。
反トランプ派と目されているのは、文化人、知識人、富豪と呼ばれる、所謂、既得権益者層だ。
選挙終盤になってもヒラリーの勝利を信じて、ほとんど行動も起こさず、権力の上でのうのうと傍観していた人々だ。
メディアも味方につけているこの層は、今頃になって、抗議活動に躍起になっている。
今までに手に入れていた、権力や富や名声が揺らぐことに耐えられないのだ。
片や、トランプ支持派は、選挙期間中からトランプの声に謙虚に耳を傾け、グレート・アメリカの復活に期待を寄せた中産階級、それもロワミドル層の人々だ。
一見、過激で粗野なようで、的を射ているトランプの言葉に、心を動かされた人々だ。
大富豪のトランプも何度も破産という辛酸を舐め、トランプ派の人々の苦労を身を持って知っているはずだ。
それ故、メディアという隠れ蓑で似非正義を振りかざす、文化人、知識人、富豪に我慢がならないのだろう。
7カ国に対する入国禁止令にしても、そのほとんどを過去にテロ支援国家に指定したのは、オバマ大統領ではなかったのか。
反トランプ派は入国禁止に反対の立場だが、テロの危険性をどのように排除しろというのか。
入国審査には人手も時間もかかる。
とりあえず入国禁止にして、徐々に緩和していくほうが効果的ではないのか。
先日のアカデミー賞授賞式でも、政治的発言が見られたが、文化と政治はお互いに不可侵でなければならないはずだ。
作品賞のドタバタ劇は、本来なら『ラ・ラ・ランド』に決まっていたものが、何らかの政治的(比喩表現です)圧力で、反トランプ色を強く出すために、急遽、黒人をフィーチャーした、社会派モノの『ムーンライト』に変更されたのではないかという疑念が消えない。
トランプ派、反トランプ派が反目し合っている構図だが、民主主義を重んじる国で、民主的な選挙で選ばれた大統領なのだから、選挙が終われば、ノーサイドいう訳にはいかないもんかね。
ここへ来て、トランプの強硬政策もあるが、それに対する反トランプ派の抗議は異常だ。
反トランプ派と目されているのは、文化人、知識人、富豪と呼ばれる、所謂、既得権益者層だ。
選挙終盤になってもヒラリーの勝利を信じて、ほとんど行動も起こさず、権力の上でのうのうと傍観していた人々だ。
メディアも味方につけているこの層は、今頃になって、抗議活動に躍起になっている。
今までに手に入れていた、権力や富や名声が揺らぐことに耐えられないのだ。
片や、トランプ支持派は、選挙期間中からトランプの声に謙虚に耳を傾け、グレート・アメリカの復活に期待を寄せた中産階級、それもロワミドル層の人々だ。
一見、過激で粗野なようで、的を射ているトランプの言葉に、心を動かされた人々だ。
大富豪のトランプも何度も破産という辛酸を舐め、トランプ派の人々の苦労を身を持って知っているはずだ。
それ故、メディアという隠れ蓑で似非正義を振りかざす、文化人、知識人、富豪に我慢がならないのだろう。
7カ国に対する入国禁止令にしても、そのほとんどを過去にテロ支援国家に指定したのは、オバマ大統領ではなかったのか。
反トランプ派は入国禁止に反対の立場だが、テロの危険性をどのように排除しろというのか。
入国審査には人手も時間もかかる。
とりあえず入国禁止にして、徐々に緩和していくほうが効果的ではないのか。
先日のアカデミー賞授賞式でも、政治的発言が見られたが、文化と政治はお互いに不可侵でなければならないはずだ。
作品賞のドタバタ劇は、本来なら『ラ・ラ・ランド』に決まっていたものが、何らかの政治的(比喩表現です)圧力で、反トランプ色を強く出すために、急遽、黒人をフィーチャーした、社会派モノの『ムーンライト』に変更されたのではないかという疑念が消えない。
煙草と肺がんの因果関係から、導き出される肺がん死亡率の数値は既稿の通り、100人に0.4人の割合だ。
そんなごく小さな値を根拠として、嫌煙運動は過剰を極めている。
今では喫煙者は、会社はもちろん、飲食店、喫茶店、歩き煙草、挙句の果ては家庭でまでも、禁煙を強いられている。
紫煙を燻らせることができるのは、飲み屋や、ごく少ない指定喫煙場所だけだ。
2020年の東京オリンピックまでには、飲み屋も全面禁煙にする目標が掲げられている。
もはや嫌煙ファッショの態だ。
喫煙者による非喫煙者の健康被害が、嫌煙運動の根拠のようだが、前述の通り、喫煙による肺がん死亡率は微々たるものだ。
その数値を示すと、聞く耳持たないか、論点のすり替えで切り抜けようとする。論破されそうになると、決まって出てくるのが、不快な匂いや煙たさが耐えられないという意見だ。
それだと、口臭とか加齢臭と同じレベルだ。
口臭や加齢臭についても、嫌煙ほど強く拒否できるのか。
要はエチケットの問題ではないのか。
そう言ってくれたら、私も大人だから、反論はできないし、従わざるをえない。
なまじ、健康被害とか、まわりの寿命を縮めているとか、針小棒大に言うから反発するのだ。
日本の煙草の歴史は、16世紀末からと長い。
1966年には成人男性の83.7%が吸っていたが、嫌煙運動の影響か、今や30%を切ってしまった。
専売公社、現JT日本たばこ産業は、当時、新聞紙上で「今日も元気だ、たばこがうまい!」なんて、今なら大炎上ものの全面広告を打っていたものだ。
税収面からいっても、煙草の果たす役割は重要だ。
また、たばこは文化であり、嗜好品、贈答品であり、大人になるための通過儀礼、男のステイタスだったのだ。
昔の文豪たちにも愛煙家は多く、彼らの名作にも、重要な小道具として随所に登場する。
小説に限らず名作といわれる映画やテレビ番組にも、煙草は重要な役割を持って登場する。
女子供は一家を支える父親の煙草の香りを逞しく思い、若い女性は、紫煙の向うの男に憧れたものだ。
それが今や、JTは大幅な値上げを繰り返すし、嫌煙運動家は何の関連もないオリンピックに関連付けて、煙草を根絶しようと企んでいる。こうなったら、絶対に禁煙なんかしないぞ。
それにしても、世知辛い世の中になったものだ。
そんなごく小さな値を根拠として、嫌煙運動は過剰を極めている。
今では喫煙者は、会社はもちろん、飲食店、喫茶店、歩き煙草、挙句の果ては家庭でまでも、禁煙を強いられている。
紫煙を燻らせることができるのは、飲み屋や、ごく少ない指定喫煙場所だけだ。
2020年の東京オリンピックまでには、飲み屋も全面禁煙にする目標が掲げられている。
もはや嫌煙ファッショの態だ。
喫煙者による非喫煙者の健康被害が、嫌煙運動の根拠のようだが、前述の通り、喫煙による肺がん死亡率は微々たるものだ。
その数値を示すと、聞く耳持たないか、論点のすり替えで切り抜けようとする。論破されそうになると、決まって出てくるのが、不快な匂いや煙たさが耐えられないという意見だ。
それだと、口臭とか加齢臭と同じレベルだ。
口臭や加齢臭についても、嫌煙ほど強く拒否できるのか。
要はエチケットの問題ではないのか。
そう言ってくれたら、私も大人だから、反論はできないし、従わざるをえない。
なまじ、健康被害とか、まわりの寿命を縮めているとか、針小棒大に言うから反発するのだ。
日本の煙草の歴史は、16世紀末からと長い。
1966年には成人男性の83.7%が吸っていたが、嫌煙運動の影響か、今や30%を切ってしまった。
専売公社、現JT日本たばこ産業は、当時、新聞紙上で「今日も元気だ、たばこがうまい!」なんて、今なら大炎上ものの全面広告を打っていたものだ。
税収面からいっても、煙草の果たす役割は重要だ。
また、たばこは文化であり、嗜好品、贈答品であり、大人になるための通過儀礼、男のステイタスだったのだ。
昔の文豪たちにも愛煙家は多く、彼らの名作にも、重要な小道具として随所に登場する。
小説に限らず名作といわれる映画やテレビ番組にも、煙草は重要な役割を持って登場する。
女子供は一家を支える父親の煙草の香りを逞しく思い、若い女性は、紫煙の向うの男に憧れたものだ。
それが今や、JTは大幅な値上げを繰り返すし、嫌煙運動家は何の関連もないオリンピックに関連付けて、煙草を根絶しようと企んでいる。こうなったら、絶対に禁煙なんかしないぞ。
それにしても、世知辛い世の中になったものだ。
国立がん研究センターなどの研究班によると、喫煙者が肺がんになる可能性は、男性では非喫煙者の4.4倍、女性では2.8倍高いという。
厚生労働省の専門家会議が昨夏まとめた「たばこ白書」は、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」としている。
権威ある機関の報告だから、喫煙者の私も異論はない。その数字だけを見ると、誰しも、おお、4.4倍に2.8倍か、それは大変だ、と当然なるだろう。
喫煙者がその値なら、副流煙を吸わされる非喫煙者も、その半分くらいは影響があるのではないかと思ってしまう。
嫌煙運動の原点というか、錦の御旗はそれだ。
では、実際に肺がんで死亡する人は、年間何人いるのだろう。
統計では、2014年で73,000人ほどだ。
その年の日本の総人口が1億2,700万人だ。
そこから肺がんの発症リスクの低い30歳未満の人口を引くと9,200万人だ。
それを母数とした肺がん死亡率は単純計算で、0.08%だ。
当然、喫煙者、非喫煙者合わせての数値だ。
その数値が4.4倍になったところで、0.4%だ。
要は100人で0.4人、ということは、100人の喫煙者のうち肺がんで死亡するのは、1人いるか、いないかの確率だ。
250人でやっと1人の割合だ。
4.4倍という倍率にしても、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」だが、確定するには不十分のようだ。
これを多いと見るか、少ないと見るかだ。
私は少ないと見る。あなたはどうだろう。
厚生労働省の専門家会議が昨夏まとめた「たばこ白書」は、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」としている。
権威ある機関の報告だから、喫煙者の私も異論はない。その数字だけを見ると、誰しも、おお、4.4倍に2.8倍か、それは大変だ、と当然なるだろう。
喫煙者がその値なら、副流煙を吸わされる非喫煙者も、その半分くらいは影響があるのではないかと思ってしまう。
嫌煙運動の原点というか、錦の御旗はそれだ。
では、実際に肺がんで死亡する人は、年間何人いるのだろう。
統計では、2014年で73,000人ほどだ。
その年の日本の総人口が1億2,700万人だ。
そこから肺がんの発症リスクの低い30歳未満の人口を引くと9,200万人だ。
それを母数とした肺がん死亡率は単純計算で、0.08%だ。
当然、喫煙者、非喫煙者合わせての数値だ。
その数値が4.4倍になったところで、0.4%だ。
要は100人で0.4人、ということは、100人の喫煙者のうち肺がんで死亡するのは、1人いるか、いないかの確率だ。
250人でやっと1人の割合だ。
4.4倍という倍率にしても、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」だが、確定するには不十分のようだ。
これを多いと見るか、少ないと見るかだ。
私は少ないと見る。あなたはどうだろう。
拙著「退行催眠 記憶の回廊」をAmazon Kindle Storeにて発売中です。
<あらすじ>
化粧品販売会社に勤める時田は、転職歴3回の40歳のしがない独身サラリーマンだ。
天神橋筋商店街の路地裏の、寂れた昭和歌謡バー『ノスタルジア』が時田の行きつけの店だ。
店のマスターは精神的なトラウマから発声障害を患っている。
時田は夜毎そのバーで、常連の売れないバンドマンや還暦オヤジ、デリヘル嬢と安酒を呷る毎日だ。
ある夜、その店にマスターの同級生だという矢吹が現れる。
聞き上手の矢吹はすぐに常連客とも顔馴染みになった。
そんな矢吹はある日時田に、退行催眠で過去の記憶を再生してみないかと持ちかける。
将来も見えず、現状にも苛立っていた時田は、もし、そんなことができるのなら、懐かしい大学時代に戻ってみたいと思った。
驚くべきことに、退行催眠をかけられた時田は、あたかもタイムトラベルしたように、懐かしいあの頃へ戻っていた。
それは記憶の再生というより、過去を全くそのまま五感で体感するようなリアリティだった。
記憶の中の世界で、懐かしさを満喫するに従って、時田にある疑念が生まれる。
★ご興味のある方は、ぜひご購読ください。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。
今年最初のGⅠは、春の砂の王者を決めるフェブラリー・ステークスだ。
抜けた馬が不在で、混戦は必至だ。
予想オッズでは、前哨戦の勝ち馬カフジテイク、昨秋のチャンピオンズ・カップ2番人気のゴールドドリーム、昨年の覇者モーニン、前走まで4連続2着と手堅いベストウォーリアが上位人気だ。
しかしその4頭には、それぞれ不安要素があり、頭固定には心許ない。
カフジはマイル実績なし、ゴールドは前走大敗、モーニンは昨年のこのレース以来勝ち星なし、ベストは7歳の高齢だ。
4頭のあとに控える馬もパンチ力に欠ける。
いうなれば、どの馬にもチャンスはありということだ。
ならば、荒れることを期待したフォーカスで攻めたいと思う。
実績を度外視して、下位人気の馬で気になるのが、エイシンバッケン、アスカノロマン、ホワイトフーガだ。
大穴ならケイティブレイブだ。
フォーカスとしては上位人気馬と下位人気馬の組み合わせだが、これがなかなか難しい。
ここは三連単2頭軸マルチで、紐を5頭の30点で勝負だ。
軸は上位人気からモーニン、下位人気からアスカノロマン、紐は上位人気からゴールドドリーム、ベストウォーリア、下位人気からエイシンバッケン、ホワイトフーガ、あとルメール騎乗のノンコノユメを加える。
<予想>三連単マルチ30点
軸⑤アスカノロマン⑥モーニン
紐②ホワイトフーガ③ゴールドドリーム⑨ベストウォーリア⑪ノンコノユメ⑬エイシンバッケン
抜けた馬が不在で、混戦は必至だ。
予想オッズでは、前哨戦の勝ち馬カフジテイク、昨秋のチャンピオンズ・カップ2番人気のゴールドドリーム、昨年の覇者モーニン、前走まで4連続2着と手堅いベストウォーリアが上位人気だ。
しかしその4頭には、それぞれ不安要素があり、頭固定には心許ない。
カフジはマイル実績なし、ゴールドは前走大敗、モーニンは昨年のこのレース以来勝ち星なし、ベストは7歳の高齢だ。
4頭のあとに控える馬もパンチ力に欠ける。
いうなれば、どの馬にもチャンスはありということだ。
ならば、荒れることを期待したフォーカスで攻めたいと思う。
実績を度外視して、下位人気の馬で気になるのが、エイシンバッケン、アスカノロマン、ホワイトフーガだ。
大穴ならケイティブレイブだ。
フォーカスとしては上位人気馬と下位人気馬の組み合わせだが、これがなかなか難しい。
ここは三連単2頭軸マルチで、紐を5頭の30点で勝負だ。
軸は上位人気からモーニン、下位人気からアスカノロマン、紐は上位人気からゴールドドリーム、ベストウォーリア、下位人気からエイシンバッケン、ホワイトフーガ、あとルメール騎乗のノンコノユメを加える。
<予想>三連単マルチ30点
軸⑤アスカノロマン⑥モーニン
紐②ホワイトフーガ③ゴールドドリーム⑨ベストウォーリア⑪ノンコノユメ⑬エイシンバッケン
今年から、休日出勤の仕事が入るようになり、先週の土曜日に出勤したので、今日はその代休だ。
一応、代休は翌週の平日に取る慣わしだ。
私の場合、疲れのピークと思われる木曜日に取ることにしている。
月曜や金曜に取って、連休にする社員もいるが、長い休みは持て余すだけだ。
土日だと好きな競馬があるが、平日の休みは何もすることがない。
おまけに今日は朝から雨模様だ。
そんな中、昼食を取るために王将に行った。
何を食べるかしばし迷った末、ビール&ニラレバセットを注文した。昼酒だ。
カウンターの一番入口に近い席だったので、ガラスドアの向うに商店街の人通りが見える。
平日の昼間のアーケードの下は、雨の日ということもあり、人通りは多い。
仕事をしている人々を横目に飲むビールは、何となく後ろめたい。
サラリーマン気質が染み付いているせいだろう。
店内には昭和歌謡が物憂く流れている。
ああ、また不定愁訴が襲ってくる。
一応、代休は翌週の平日に取る慣わしだ。
私の場合、疲れのピークと思われる木曜日に取ることにしている。
月曜や金曜に取って、連休にする社員もいるが、長い休みは持て余すだけだ。
土日だと好きな競馬があるが、平日の休みは何もすることがない。
おまけに今日は朝から雨模様だ。
そんな中、昼食を取るために王将に行った。
何を食べるかしばし迷った末、ビール&ニラレバセットを注文した。昼酒だ。
カウンターの一番入口に近い席だったので、ガラスドアの向うに商店街の人通りが見える。
平日の昼間のアーケードの下は、雨の日ということもあり、人通りは多い。
仕事をしている人々を横目に飲むビールは、何となく後ろめたい。
サラリーマン気質が染み付いているせいだろう。
店内には昭和歌謡が物憂く流れている。
ああ、また不定愁訴が襲ってくる。
ラーメン、カレー、回転寿司はダイエットの敵だ。
三つとも好物だが、基本、禁食中だ。
しかし、先日、空腹の誘惑に負けて、回転寿司を無茶食いしてしまった。
案の定、体重2kgアップだ。
今後、気をつけることにした。
その三つを除いた料理をネットで検索して食べるのだが、二回目の訪問に至るケースは稀だ。
食べログなどで、口コミ人気の料理も、実食すると大したことはない。
十人十色を実感する。
今のところ、王将、吉野家、松屋あたりのB級フードのローテーションだ。
もちろんライスは小ライスの半分だ。
167cm、57kgという体型は普通だろうか。
三つとも好物だが、基本、禁食中だ。
しかし、先日、空腹の誘惑に負けて、回転寿司を無茶食いしてしまった。
案の定、体重2kgアップだ。
今後、気をつけることにした。
その三つを除いた料理をネットで検索して食べるのだが、二回目の訪問に至るケースは稀だ。
食べログなどで、口コミ人気の料理も、実食すると大したことはない。
十人十色を実感する。
今のところ、王将、吉野家、松屋あたりのB級フードのローテーションだ。
もちろんライスは小ライスの半分だ。
167cm、57kgという体型は普通だろうか。
今の会社に勤めて、34年になるが、その前に5年半ほど勤めた会社がある。
大学卒業と同時に入った、その中小企業の支店は、京都の烏丸三条にあった。
不動産屋の4階建ての自社ビルの3階だった。
社員5人の零細支店だ。
私はそこで車用の添加剤のルートセールスをやっていた。
朝、サニーのライトバンに添加剤のケースを満載して、京都中のガソリンスタンドを回り、商談しながら添加剤を降ろして、夕方、軽くなったサニーで帰社するのだ。
そんな仕事の繰り返しを5年半やった。
石の上にも三年というくらいだから、頑張ったほうではないだろうか。
肉体的にも精神的にも、今の会社の数倍はきつかったが、今にして思えば、懐かしい思い出だ。
昨日、セミナーの仕事で、久しぶりにその会社の近くのホテルに行った。
仕事の帰りに、足が懐かしい場所に向いた。
不動産屋のビルは健在で、2階から4階にはいろんな会社が入っていた。
私が勤めていた会社は、とっくの昔に、山科のほうに移転していたのは知っていた。
まわりの景色が変化する中、長年の風雨にも負けず、古色蒼然と佇んでいるビルは、ある種の感慨を誘った。
近所の行きつけの喫茶店や飲み屋は、当然のことながらなくなっていた。
そのビルだけが歴史の証人のように残っていた。
思えば、女房と出会ったのも、前の会社だ。
とりあえず、ビルの正面の写真を撮った。
私も歳をとったが、そのビルも歳をとった。
大学卒業と同時に入った、その中小企業の支店は、京都の烏丸三条にあった。
不動産屋の4階建ての自社ビルの3階だった。
社員5人の零細支店だ。
私はそこで車用の添加剤のルートセールスをやっていた。
朝、サニーのライトバンに添加剤のケースを満載して、京都中のガソリンスタンドを回り、商談しながら添加剤を降ろして、夕方、軽くなったサニーで帰社するのだ。
そんな仕事の繰り返しを5年半やった。
石の上にも三年というくらいだから、頑張ったほうではないだろうか。
肉体的にも精神的にも、今の会社の数倍はきつかったが、今にして思えば、懐かしい思い出だ。
昨日、セミナーの仕事で、久しぶりにその会社の近くのホテルに行った。
仕事の帰りに、足が懐かしい場所に向いた。
不動産屋のビルは健在で、2階から4階にはいろんな会社が入っていた。
私が勤めていた会社は、とっくの昔に、山科のほうに移転していたのは知っていた。
まわりの景色が変化する中、長年の風雨にも負けず、古色蒼然と佇んでいるビルは、ある種の感慨を誘った。
近所の行きつけの喫茶店や飲み屋は、当然のことながらなくなっていた。
そのビルだけが歴史の証人のように残っていた。
思えば、女房と出会ったのも、前の会社だ。
とりあえず、ビルの正面の写真を撮った。
私も歳をとったが、そのビルも歳をとった。