感情の上振れが感動で下振れが後悔だろう。
当然過去にはそれなりに感動も後悔もした。
しかし感動や後悔の要因は、鮮明には思い出せない。
ということは、今にして思うに、その要因は取るに足りないことだったのかもしれない。
後悔先に立たず、後悔後を絶たずというくらいだから、たぶん感動より後悔のほうが多かったはずだ。
いつの頃からか、感動のほうには縁がなくなり、後悔のほうはしないと心に決めた。
たぶん経験が大きく影響しているのだろう。
人は経験するほど何事にも感動しなくなり、後悔の無駄を知るのだろう。
現在の引きこもり生活が続く限り、今後も感動することもなく、後悔をすることもないだろう。
それが味気ない生活とは思わない。
多かれ少なかれ、喜びや悲しみという感情に浸ることはあるはずだ。
喜怒哀楽は、感動や後悔とはまた別のものだ。
★★漫画やアニメにおける作画のレベルは昔と比べると、格段に向上した。写実の精緻さ、デフォルメの的確さは目をみはるばかりだ。文学においてその傾向が見られないのは残念だ。可もなく不可もなく一定のレベルを保っている、いわゆる現状維持だ。漫画の世界では超絶技巧とは対極をなす、ヘタウマといわれる作風も健在だ。文学にはそれもない・・・いや、あったのです。文学界のヘタウマ小説、もしかしたらヘタヘタ小説かもしれません。拙著がまさにそうかもしれません。常識人のあなたは、できれば読まないでください。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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