★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

サラリーマン人生

2014年07月28日 19時59分40秒 | 徒然(つれづれ)
♪サラリーマンは~気楽な稼業ときたもんだ~という植木等の歌が、小学生のときに一世風靡したのを覚えている。
 東京オリンピック前の高度成長期で、その時から自分は社会の花形、サラリーマンになるのだと漠然と思ったものだ。
 
 そして後年その通りになった。
 しかし時代は植木等の時とは大きく変わっていた。
 不景気で就職難という時代でもあり、花形職業だったサラリーマンも、使い捨ての営業職を中心としたすべり止め職種に成り下がっていた。

 就職できただけでも儲けもの、それも一応サラリーマンだ。
 入社時には、会社がつぶれない限り、余程のミスをしない限り、役員は無理としても、管理職くらいまではいけるだろうと思った。
 そしてこれまた後年その通り課長になった。
 
 サラリーマンになったからには、社長を目指せ、それがだめなら取締役だ、百歩譲っても部長にはなれ、なんて巷間言われていたが、なんのなんの普通の人間には無理だ。
 同世代や下の世代で役員になった人間には、やはり人とは違った何かがあった。
 それは持って生まれた能力や性質、人間性はもちろんだが、運や要領や上司との相性、反骨精神や上昇志向などだ。

 あいにく平均的なサラリーマン思考しか持ち合わせていなかった私は課長どまりだった。 別に後悔はない。人の上に立って方向性を打ち出したり、マネージメントする能力もないし、そんな柄でもない。いかにミスなく目立たず、楽な仕事をするか、いかにストレスなく精神衛生の平穏を保つか、そんなことばかり考えていた。

 役員以外の社員が、圧倒的多数を占めるのがサラリーマン社会だ。
 その多数派の中の、平均より上のクラスの課長になれたのだから文句はない。
 多くの人間がそのようにサラリーマン人生を全うするのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書について

2014年07月26日 18時47分51秒 | 徒然(つれづれ)
 老眼なって10年ほどが経つ。それにともない本を読む機会が激減した。

 学生時代には月に10冊以上はコンスタントに読んでいたものだ。
 就職してからは、さすがに月に3、4冊ペースに落ちたが、それにしても今と較べると格段に多かった。
 今では字が見えにくくなったせいもあるが、興味をそそる本が少なくなったのも大きな要因で、年に2、3冊ほどしか読まなくなった。

 映画と同じで、本もベストセラーやロングセラーが少なくなり、生活の多様化に伴うターゲット層の分散化は、不特定多数が存在しなくなり、数打ちゃ当たる式の出版方法にならざるを得ないのであろう。質の低下、興味の減退は必然だ。

 物心ついてから現在までに何冊の本を読んだのだろう。
 漫画や週刊誌を除いても、1000冊は下らないと思う。
 しかし考えてみると、読んだ本の内容はほとんど忘れている。
 有名な小説でさえ、あらすじを言ってみろと言われると怪しいものだ。
 よしんば言えたとしても、その本が自分にどんな影響を与えたか問われると、明確に言えたものではない。
 
 これは私の読書が単なる娯楽か暇つぶし程度だった事を物語っている。
 という事は、今までの読書に費やした時間は無駄だったのだろうか。
 人生とか生き方への影響はほとんどないが、日常の文章の書き方とか読解力の向上、語彙やトリビアの増加には役立っているように思う。
 つまるところ、似非インテリの製造に役立ったわけだ。
 
 その昔は読書は高尚な趣味みたいに考えられ、感動や発見、人生の指針を与えてくれるものというイメージがあった。
 しかし、何千冊の本を読んだとしても記憶に残らないのなら、他の事にその努力や時間を費やすほうが懸命ではないだろうか。
 
 読書が娯楽や暇つぶしだとすれば、それは容易に他の事、たとえばレジャーやゲームやインターネットに取って代わられたとしてもおかしくはない。その程度のものだ。
 人の記憶力で、長編小説のストーリーや、難しい哲学めいた考え方を長期にわたって保持することは困難だ。一般人は決して植草甚一や松岡正剛のような読書の鉄人にはなれない。

「書を捨てよ、町へ出よう」と言う言葉を額面どおりに受け止めようと思うが、時すでに遅しの感は否めない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曜日に関する考察

2014年07月24日 21時06分30秒 | 徒然(つれづれ)
 一週間というのは仕事のちょうどいいサイクルであり、単位だと思う。
 その中の七曜日はそれぞれに独自の意味合いを持つ。

 週休二日の場合の土日は休日で誰もが待ち遠しい日だ。
 どちらかと言うと、土曜日のほうが翌日は日曜ということもあり、より休みを満喫できる。土曜の朝は平日より1時間早く、6時には起きて、早朝から営業している吉野家やマクドナルド、やよい軒や街かど屋でパワーブレックファーストを摂る事にしている。一日を有意義に過ごすための気力、体力を充実させるためだ。ちなみに平日は朝食抜きだ。
 日曜日は競馬中継が終わる午後4時頃までは気分もいいが、7時頃になると、例のサザエさん症候群でブルーになり、就寝時刻が近づくにつれ気分は最悪になってくる。

 月曜日は一週間の仕事始めで、土曜までの遥かな道のりを考えると、すごく憂鬱になる最も嫌な曜日だ。とくかく先を見ないように、今日一日を早く終わらせることだけに専念するようにしている。
 火曜日も月曜の気分を引きずり気分は重い。まだ先は見ないようにする。
 水曜日は週半ばで、どっちつかずの中途半端な日だが、消化した日も残っている日も考えない。その日を生きる。
 木曜日は疲れのピークだが、午後からは、明日一日頑張れば休みだと思うことで少し楽になる。
 金曜日はやっと週末で、一週間なんてあっという間やな、とか言いながら、明日からの休みには、これをしよう、あれもしようと思えばハッピーな気分になる。できるだけ夜を長く楽しくすることを心掛ける。

 要するに土日の楽しみのために平日はあるのだ。言い換えれば平日の犠牲の上に休日は成り立つのだ。平日の仕事で金を稼ぎ、休日にその金で遊ぶようなものだ。
 
 だとすれば、平日の憂鬱を軽減するには、曜日の感覚がなくなるほど多忙に平日を送るか、仕事後に楽しい飲み会や趣味の時間を入れ、いかにリフレッシュするかだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしも携帯電話があったなら

2014年07月20日 21時54分52秒 | 徒然(つれづれ)
 1970年代半ば、私が大学生だった頃、友達や女の子への通信手段は公衆電話だった。
 その頃はまだ赤い公衆電話で、電話ボックスではなく、店先に設置されているのが普通だった。
 京都で学生生活を送っていた私は、郷里の九州へ金送れの電話をする時には、貯金箱に貯めていた十円玉をわし掴みにポケットへ入れて、下宿の近所の雑貨屋へ向かったものだ。
 
 一旦外へ出ると、友達に連絡を取る手段はほとんどないに等しかった。
 用事がある時は、大学の食堂や近所のパチンコ屋、喫茶店、最終的には下宿まで探し回ったものだ。

 それでも生活はほとんど支障なく回っていた。
 携帯電話が普及した現在では考えられない事だ。
 金送れの電話も、友達との待ち合わせの連絡も瞬時にできる。インターネットでいろんな情報の収集も可能で、音楽も聴ける、写真や動画も撮れる、メールやSNSもできる。
 
 当時、携帯があったなら、まさに万能の利器だったかもしれない。仮定法過去にしたのは、それによる利便性は認めるが、弊害も考えられるからだ。
 確かに時間の節約は可能だろう。しかし節約できた時間はネットサーフィンやゲーム、LINEの無意味なやり取りなどで、浪費されていただろう。

 現在では、小学生までも携帯を持って、大人顔負けにゲームやLINEをやる時代だ。
 携帯がない生活は携帯中毒者は言うまでもなく、一般人でさえも考えられなくなってきている。
 
 友達が少なく、仕事でも携帯を使わないわたしは、かろうじて携帯のない生活は我慢できるかも知れないが、パソコンのない生活は考えられない。
 いずれにしても大切な時間を浪費しているのは間違いないが、かと言って、その時間の有効な使い道はなかなか考えつかない。

 おっと、携帯に着信だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリジナリティについて

2014年07月19日 17時00分12秒 | 徒然(つれづれ)
 ペプシのコークとの比較CMが話題だ。
 日本の国民性として、あまりにも露骨な比較CMは反感を招くだけで、逆効果になるような気がするが、そうでもないのだろうか。
 
 私は昔からコカコーラを愛飲している。ペプシを始め各社がコーラ飲料を出しているが、コークの味にはほど遠い。各社の技術を持ってしても、コークの味に近づける事や、それを凌駕する新しい味を作ることも困難なのだろう。
 牛丼でも同じで、吉野家の味を松屋やすき家が出すことは不可能だろう。
 コピー商品とオリジナルの違いがそこにある。
 王将の餃子と他店の餃子、ラーメン屋のラーメンとインスタント麺の違いもそこにあるのだろう。

 食品の味と同じように音楽にも味がある。
 三大ギタリストといわれるクラプトン、ペイジ、べックに、テクニックの面では遠く及ばないキース・リチャードのギターには、三大ギタリストがどう転んでも出せない味がある。
 You Tubeあたりで、超絶ギター小僧がキースのギターを完全コピーしているが、所詮テクだけの機械音、味どころかハートさえも感じられない。
 キースのアマチュアにもコピーできると思わせるようなギターの味が、ミック・ジャガーとの相乗効果、化学反応でストーンズを最高のロックバンドたらしめているのだろう。
 サザンにおける桑田佳祐もそうだ。
 歌もギターもアマチュアレベルだが、作る楽曲が彼にしか歌いこなせない味を醸し出している。

 どの世界でも名を成している人間には、先天的、後天的に限らず、誰も真似のできないオリジナルの味がある。もちろんその味を出せる分野があってこそだが、それに出会う、あるいは見つけることは容易ではなかっただろう。運も大きく作用しているだろう。

 自分にはどんなオリジナリティがあるのかを見つけるには、とりあえずは、何にでも首を突っ込む好奇心と継続する意志が大切なことは言うまでもない。
 
 あ~あ、好奇心はあるが、気力と体力がない還暦のオヤジの私。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれた時が悪いのか。それとも俺が悪いのか。

2014年07月18日 19時32分53秒 | 徒然(つれづれ)
♪ 生まれた~時が~悪いのか~それとも~俺が~悪いのか~
 オリジナルのブルーベル・シンガーズ盤より、「非情のライセンス」の主題歌としての天知茂盤のほうが有名な昭和の佳曲。
 この曲が流行った当時から、普通の人間なら当然のように、時代が悪いのではなく、自分に至らない点があるのだと言い聞かせて生きてきたものだ。

 それが180度変わったのが、あの2011年3月11日だ。
 天災は仕方がない。運が悪かったのだ。

 問題は原発だ。

 原子力の権威でさえも今後の見通しに関しては意見は二分している。
 特に悲観派の意見はSNSを通じて拡散し、曲解され、尾ひれ背びれがついて、徒に人心を不安に陥れている。
 政府を筆頭とする原発擁護派は火消しに躍起だが、汚染数値の過小評価や隠蔽体制、裏付けの定かではない安全性の強調など、説得性に欠けている。

 どちらが正しいのか、我々の何十倍も勉強してきたその筋の権威でさえもわからないのに、我々素人にわかるはずもない。チェルノブイリやスリーマイルの事故の影響も何年もたった後に表われ、今もなお続いているのは歴史が証明している。福島原発事故当初、チェルノブイリ以上と言われていたのが、政府の情報統制なのか、今やそんな話も出ない。
 毎日排出される汚染水が清水に戻ることは決してないだろう。

 確実にコントロールできないものを作ったのも、それを推進したのも国であり時代だ。
 東北東日本大震災クラスの地震が来れば、福島原発と同じレベルの放射能汚染が避けられないだろうことは、素人にもなんとなくわかる。
 汚染は現在生きている全人類が死に絶えた後も永遠に続く。

 時代が悪かった。
 救いは自分はもう還暦。生きるとしても、長くてあと20年。その期間で汚染状況が激変する可能性はないだろう。また体内被曝の蓄積による体調の悪化があったとしても、運が悪かったとあきらめもつく。

 今日を生きるしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の事は忘れたよ。先の事はわからない。

2014年07月17日 22時26分11秒 | 徒然(つれづれ)
「昨日? そんな昔の事は忘れたよ。明日? そんな先の事はわからない」
 カサブランカのボギーの有名なセリフだ。
 
 昨日とは言わないまでも、数週間前の事は案外忘れていることが多い。
 年のせいもあるだろうし、平凡な日々の繰り返しで別段変わったこともないので憶えていないのだろう。

 先の事は、生来の不精もあり、あらかじめ予定や計画を立てるのが苦手だ。
 仕事の予定や病院の検査など必要最低限はスケジュールに入れているが、その他の、主にプライベートに関しては、極力予定や計画は入れないようにしている。

 たまに、夏季、冬季の休暇の前に3時間刻み位のスケジュール表を作ったりもしたが、その通りに行動できた試しがない。
 外的要因からではなく、ほとんど面倒臭いという、その時々の気分の問題だ。
 人が絡んだ予定の場合は、仕方なく出かけるが、億劫でしようがない。
 いつも約束したことを後悔する。

 普段は極力約束はしない性質だが、断りきれない場合もあり、また酒の席では安請け合いすることもある。もちろん約束は必ず守る。
 
 自分では人付き合いは好きなほうではなく、酒も独り酒を旨としているが、それでも乞われると付き合わざるを得ない場合もある。

 なかなか自分の思い通りにいかないのが人生だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Melody Fair (小さな恋のメロディ)

2014年07月05日 14時49分14秒 | 徒然(つれづれ)
 この映画を観たのは高校3年の夏だった。
 九州の田舎の映画館で、同級生の彼女と一緒だった。
 彼女に誘われて、お子様の恋愛ごっこの映画はなぁと思ったが、ビージーズの曲が全編に流れるというフレコミだったので、コンサートのノリで映画館へ行った。

 映画が始まり、最初は音楽だけを聴いていたが、そのうちに画面の展開に引き込まれていった。
 映画の中で繰り広げられる、小学生の淡い初恋模様が、自分の思い出とシンクロして、面映いような懐かしいような気分になった。
 それぞれのキャラクターが、あんな子おった、あんな奴おったと思われるようなリアリティがあり、主題歌の「メロディ・フェア」をはじめ、ビージーズの透き通ったハーモニーは場面、場面にぴったりマッチして、胸キュン状態が高まった。

 ダニエルとメロディのぎこちなくも純粋な恋愛には素直に感情移入できたし、ジャック・ワイルド演じるトムの、友達が女の子に走った時の苛立ちや、その後のふたりを応援する優しさは、思わず涙腺を緩くするほどの名演技だった。

 その頃、田舎の映画館で観た「イージー・ライダー」や「いちご白書」、「レット・イット・ビー」に漂う虚無感とは対極の、さわやかな幸福感を、このラブストーリーは醸し出していた。
 ベトナム戦争末期のアメリカではヒットせず、日本でのみヒットしたというのも頷けるような気がする。

 ラストシーンで、トロッコを漕ぎながら未来へと旅立つダニエルとメロディのバックに流れる、CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」を聴きながら、エンドロールの最後まで余韻に浸っていたのは、後にも先にもこの映画だけだ。
 
 余談だが、この映画の中で出てくる雨の墓地のシーンや平日の海水浴場のシーンを、一緒に映画を観た彼女と再現したのも、今となってはいい思い出だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする