★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

少年老い易く学成り難し

2014年08月28日 19時45分22秒 | 徒然(つれづれ)
 高校野球を興味を持って観始めたのは、確か中学生の頃だ。
 高校生のお兄ちゃんたちが、プロ野球と同じような試合をしているのが凄いと思って観ていた。
 高校生になると、自分と同じ世代がやってるんだと感心しながら観ていた。
 大学生になると、年下のやつらが頑張っているなという思いで観ていた。
 それがだんだん年が経つにつれて、自分の子供より年下の子になり、今やプロ野球選手でさえ自分より若い。

 昔はおじさんたちがやっていたプロ野球を、気づけば、自分の子供と同じくらいの平均年齢の選手がやっているのだ。
 監督でさえも大半が自分より若い。
 それがいつの間にかという感じなのだ。

 自分よりもはるかに大人だと思っていた、学校の先生やスポーツ選手、歌手や俳優が、今や大半が年下だ。

 極めつけは総理大臣が、自分より12日遅生まれという事実だ。

 総理大臣イコール長老イコールおじいちゃんだと思っていたのが、今やタメなんだよねと思う還暦の私。
 
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アイス・バケツ・チャレンジ

2014年08月23日 12時26分47秒 | 徒然(つれづれ)
 ALS(筋萎縮性側策硬化症)研究支援のため、バケツに入れた氷水をかぶるという行為がアメリカから広まっている。
 スポーツ選手やミュージシャン、有名企業の社長や学者など各界著名人を巻き込んでワールドワイドに流行している。
 テレビニュースやYou Tubeなどで映像が紹介されて、一般人にも波及しているらしい。

 ALSという不治の難病と、氷水かぶりというオチャラケ行為がどうしても結びつかない。
 難病研究支援というならば、ALS以外にも難病は数多く存在するし、オチャラケ行為も、たとえばパイ投げとか熱湯風呂、コーラのイッキ飲みとか色々ありそうなものだ。
 売名行為という批判もあるが、すでに各界で名を成した人物には当てはまらないだろうし、有名人ではない人間が、氷水をかぶるくらいでは名は売れないだろう。
 寄付金集めが目的とするならば一人100ドルより、大金持ちの著名人が資財を投げ打てばそれで済む。

 ALS患者の苦悩が、面白半分のオチャラケ行為を見て、少しでも和らぐのだろうか。
 そもそもALSは重度になると、全身が動かないばかりか、自力呼吸も、意思伝達もできない反面、視覚、聴覚、思考ははっきりしているという、まさに生き地獄の状態だ。
 そんな人にアイス・バケツ・チャレンジを目の前で見せられるか。
 100ドルぽっちの寄付を渡せるのか。

 ちなみに10年前にわたしの親父はALSで亡くなった。
 親父がゆっくりと死んでいくのを、ただ見守るしかなかった自分の無力さだけを痛感した。
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終戦記念日

2014年08月15日 23時11分00秒 | 徒然(つれづれ)
 昨日は終戦記念日だった。
 ニュース番組では特集を組み、戦争の被害者として、当時は子供だった人達に、当時の映像をまじえながらインタビューをしていた。
 戦争の悲惨さを、これでもかとばかりに演出していた。
 この時期のテレビの恒例行事だ。 

 あの戦争が間違いだったことは、歴史が証明しているが、それは戦争に敗けたからだ。
 もし、勝っていたならば、どんな番組になっていたのだろうか。
 戦争には相手がいる。相手の言い分を一切排除した戦争番組にどんな意味があるのか。
 甚大な被害を蒙った、市井の人々たちだけをクローズアップして、戦争の悲惨さや残酷さを訴えようとしているやり方はいかがなものか。
 
 番組の作り手に戦争経験者はいるのか。
 何年も使い回されている映像を、なんの疑問もなく、毎年垂れ流している番組制作者は何を考えているのだろうか。
 この時期だけ特集を組んで、あとの日々はお茶らけのおバカ番組を流しているのに、なんの矛盾も感じないのだろうか。
 当時の政治家や軍の上層部を、完膚なきまでに糾弾する番組は作れないのか。

 終戦から70年近くも経っていて、戦争を知らない子供達や、そのまた子供達が大勢を占める現在に、テレビやマスコミは何を訴えようとしているのか。
 ゲームの中でバーチャルウォーを遊んでいる世代に、戦争特集は時代遅れのバーチャルリアリティとしてしか映らないのではないか。
 戦争の悲惨さを知ることは重要だが、次代を担う者たちはそんな経験もないし、生まれた時から平和を何の疑問もなく享受しているはずだし、これからの自身の将来に、大地震の憂いは考慮するかもしれないが、戦争というファクターを考える事はまずないだろう。
 
 集団的自衛権の行使容認も、戦争を知らない子供達世代の現内閣が、ゲーム感覚で進めているのかも知れない。
 尖閣問題、竹島問題、北方領土と日本を取り巻く現状は、一触即発と言っても過言ではない。だが、それを第二次大戦に結び付けて考えることには無理がある。時代が違うのだ。誰も戦争をしようとは思っていない。現代の戦争の恐ろしさをわかっているからだ。
 
 テレビの戦争特集が、それを新たな戦争の抑止力と考えているのなら、それは時代遅れも甚だしい。もし現代に世界規模の戦争が起こったならば、第二次世界大戦のように長期にわたることなく、短期間で終戦となるだろう。
 コンピュータ戦争と言われたイラク戦争の例を見るまでもなく、それ以上の破壊力を備えた現在の当事国が悪魔のボタンを押せば、世界が終わる事は目に見えている。
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真夏の9連休だ!

2014年08月08日 19時24分31秒 | 徒然(つれづれ)
 明日から夏季休暇、人もうらやむ9連休だ。サラリーマンでこの大型連休は珍しいと思う。

 若い時はそれなりに忙しい仕事の関係で、夏場に9日間も続けて休むなんてことは到底無理だった。1日の有休を取るのさえ気が引けたものだ。
 それが還暦間近のシニア社員ともなると、誰はばかることなく、余裕のよっちゃんで取得可能だ。仕事も、休んで滞る類いのものでもなく、上の顔色を窺う必要もなくなった。

 問題はこの大型連休をどう過ごすかだ。

 出不精なのでどこかへ出かける予定もない。
 日数を要する用事もない。
 もちろん潤沢な資金もない。
 単に勢いだけで取った連休なので、計画も立てず予定も入れていない。

 困った。

 また、何もしないうちに無駄に時間だけが流れていくのだろうか。
 別に何もしないことが悪いことではないと思うのだが。

 連休前後の土日は、競馬があるので何とかプチ充実を味わえそうだ。
 取り敢えず、昼飯をどこで食べるか決めることにしよう。といっても、王将、吉野家、やよい軒あたりのローテーションになりそうだが。
 夜の酒は3日ぐらいにしよう。1日は昼酒を飲みに行ってもいいかな。
 あとはウクレレとインターネットでお茶を濁すくらいだな。
 
 それでも随分時間を持て余しそうだ。

 久しぶりに小説でも書いてみようか。それもサラリーマン生活を総括するような企業小説がいいな。今なら半沢直樹とまでは行かなくても、四分の一沢直樹くらいは書けそうな気がする。
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グランド・ファンク・レイルロード

2014年08月03日 20時45分29秒 | 音楽
 1969年のウッドストック・フェスの前後あたりから、音楽シーンを席巻し出したヘビーロック(当時はまだハードロックとは言ってなかった)
 大御所のディープ・パープルやクリーム、ジミヘンやレッド・ツェッペリンなどの曲が深夜放送のラジオから流れ、音楽雑誌では特集が組まれ、田舎の高校生の私もレコードを買い漁っていた。

 ヘビーロックの大音量は、青春の入り口のモヤモヤや鬱憤晴らしにはもってこいだった。
 グループサウンズの歌謡曲ベースの曲も嫌いではなかったが、音の迫力が全く違っていた。 グループサウンズの場合は、歌詞とメロディを頭と心と、ちょっとばかり身体で聴いていた。
 ベビーロックは歌詞がほとんどわからないので、純粋にサウンドとして、頭ではなく身体とフィーリングで聴く。
 ステレオのスピーカーから身体に伝わる振動を「これが、音楽雑誌の解説にあったヴァイブレーションというやつか」と勘違いしながらも悦に入っていた。
 単純なギターリフやフレーズは、レコードに合わせて、通販で買ったエレキギターで弾いていたが、複雑なアドリブになるともうお手上げだった。ジミヘンやクラプトン、リッチーやペイジに合わせるなんてできるはずもなかった。

 そんな時、ヘビーロックシーンに彗星のごとく現れたのがグランド・ファンク・レイルロード(GFR)だった。
 ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドは、ツェッペリンを凌駕するような大迫力で、曲もシンプルなものが多かった。
 マーク・ファーナーの大音量のギターはクラプトンやペイジの重厚さ、流麗さに較べると、単純で力強くミーハー向けだった。
 ハートブレーカーや孤独の叫び、アー・ユー・レディなど、練習すればヘタながらも何とかレコードに合わせて弾けた。

 ロックは聴くだけのものではなくて、実際にバンドを組んで演奏するものだと実感した。 しかし悲しいかな、九州の辺境の田舎町にヘビーロックバンドをやるような高校生などいなかった。ましてやドラムとベースなど、どこをどう探してもいるはずもなかった。
 それと田舎の女子高生もヘビーロックなど知る由もなく、彼女らの気を引くためには、フォークギターで吉田拓郎や井上陽水をやるしかなかった。
 文化祭のミニコンサートでは、陽水の「傘がない」を歌いながら、GFRの「ハートブレーカー」を頭の中では歌っていた。
 コード進行がほとんど同じなんだよね。
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通信販売

2014年08月02日 11時46分23秒 | 徒然(つれづれ)
 九州の辺境で生まれ、高校三年までそこで育った私の、少年時代の楽しみの一つが漫画雑誌の中綴じの通信販売カタログを見ることだった。
 記念切手やモデルガン、レーシングカーや楽器など、当時田舎では絶対に手に入らない商品のカラー写真が、子供心を大いに刺激した。切手や拳銃の名前はカタログで覚えたものだ。

 最初は見て楽しむだけだったが、そのうち小遣いを貯めて、欲しい商品を買ったりもした。封筒に価格分の切手を同封して注文し、何週間かの後、モデルガンやレーシングカーが届いた時の喜びは今でも忘れない。

 トムソン社製のギブソンレスポールモデルのコピーギターを買った時は、田舎の幹線駅留めだったので、バスに乗って取りに行った。
 家に持って帰り梱包を解き、中から黒光りするレスポールギターが現れた時は、興奮も頂点に達していた。
 ギターアンプを持っていなかったので、ナショナルのテクニクスステレオに繋いで、大音響が鳴り響いた時には、おばあちゃんが驚いて飛んで来たものだ。
 エレキを初めて弾いたのがその時だ。当時流行っていた、クリームやグランドファンクのフレーズをコピーして、レコードに合わせて弾きながら悦に入っていた。

 大学に入学して京都で下宿生活をするようになってからは、欲しいものは街の店舗で買えるので、通信販売とは縁遠くなっていった。

 そんな私が中途入社したのが通信販売の会社だった。
 仕入担当で商品を決定する時には、少年時代の自分を思い浮かべながら、田舎で商品が買えない顧客に喜んでもらえるよう、夢のある商品、丁寧なスペック表示、写真写りに万全の心配りをしたつもりだ。

 会社人生も長くなり、業容も拡大するにつれて、だんだん商品からは遠ざかり、若い社員が作るカタログを見ると、夢のある商品は影を潜め、実用品や消耗品、価格訴求品やどこにでもある商品のオンパレードだ。
 世に商品は氾濫し、競合は増え、ビジネスはクレームを避ける保守的なものとなり、利益の追求、会社の存続が主要な目的となった現在では、それも仕方のないことかもしれない。
 
 高度成長期の消費欲求に、提示できる商品のバリエーションが追いつかなかった時代の、商品探しや開発の熱意、先走りすぎる過大コピーや商品自体の胡散臭さが醸し出す、カオス状態は今や昔話だ。
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