定刻の午後1時にメンバーが全員揃い準備体操が始まる。念入りにやっているのはキャプテンと小森の二人だけで、あとのメンバーは夏バテ気味にただ手足を動かしているだけの準備体操だった。
三年の島キャプテンは、がっしりと引き締まった身体で、ブロンズ色のヘラクレスを彷彿とさせた。砲丸投げでは県内でベストスリーに入る強者で、どちらかというと無口で黙々と砲丸を投げているタイプ。
もう一人の三年生、山口は185センチ、60キロの長身痩躯で、ヤリ投げが専門だったが、いつも身体のどこそこが痛いとか、疲れたとか言って、練習はいい加減だった。僕たちは秘かに、ヤリ投げではなく投げ遣りの山口と呼んでいた。
二年の三人は高木、村本、安田といい、陸上部にはただ籍を置いている程度で、掛け持ちでやっていたギター同好会のほうに力を入れていた。三人はスリーホンキーズというフォークバンドを作り、ピーター・ポール&マリーやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの曲をレコードコピーしていた。
準備体操が終わると、各自がその日の練習メニューを発表し、それぞれの練習に入る。僕と下川はクロスカントリーコースのスタート地点へ向かう。トラックのない第二グラウンドでは長距離の練習はすべくもなく、僕たちは、秋に催される校内クロスカントリーのコースを練習コースに決めていた。
コースは約10キロの距離で、僕と下川は同時にスタートするわけだが、肥満体の下川には10キロの距離はとうてい走破不可能であり、彼はスタートするとすぐ脇道にそれ、折り返し地点の海岸への近道を目指す。
正規のコースを走ってきた僕と、近道してきた下川が落ち合うポイントが、海岸の防波堤の近くにある『キッチン浜』という小さな食堂だった。
その日も、僕が『キッチン浜』に入って行くと、下川はすでにテーブルに座って、その頃田舎で流行の清涼飲料水、チェリオを飲んでいた。
『キッチン浜』には四人掛けのデコラのテーブルが四つと六人掛けのカウンターがあり、奥の壁には和洋折衷のメニューが貼られていた。テーブルの横の壁には、ビール会社のビキニのモデルのポスターと清酒会社のカレンダーが貼ってあった。
カウンターの上のトランジスタ・ラジオからは、ザ・ゾンビーズの『二人のシーズン』が流れていた。
窓からは、間近に海が見えた。
真夏の昼下がりの海には、照りつける太陽がスパンコールの輝きをまき散らし、水平線の上の積乱雲は巨大な綿アメのように白かった。
三年の島キャプテンは、がっしりと引き締まった身体で、ブロンズ色のヘラクレスを彷彿とさせた。砲丸投げでは県内でベストスリーに入る強者で、どちらかというと無口で黙々と砲丸を投げているタイプ。
もう一人の三年生、山口は185センチ、60キロの長身痩躯で、ヤリ投げが専門だったが、いつも身体のどこそこが痛いとか、疲れたとか言って、練習はいい加減だった。僕たちは秘かに、ヤリ投げではなく投げ遣りの山口と呼んでいた。
二年の三人は高木、村本、安田といい、陸上部にはただ籍を置いている程度で、掛け持ちでやっていたギター同好会のほうに力を入れていた。三人はスリーホンキーズというフォークバンドを作り、ピーター・ポール&マリーやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの曲をレコードコピーしていた。
準備体操が終わると、各自がその日の練習メニューを発表し、それぞれの練習に入る。僕と下川はクロスカントリーコースのスタート地点へ向かう。トラックのない第二グラウンドでは長距離の練習はすべくもなく、僕たちは、秋に催される校内クロスカントリーのコースを練習コースに決めていた。
コースは約10キロの距離で、僕と下川は同時にスタートするわけだが、肥満体の下川には10キロの距離はとうてい走破不可能であり、彼はスタートするとすぐ脇道にそれ、折り返し地点の海岸への近道を目指す。
正規のコースを走ってきた僕と、近道してきた下川が落ち合うポイントが、海岸の防波堤の近くにある『キッチン浜』という小さな食堂だった。
その日も、僕が『キッチン浜』に入って行くと、下川はすでにテーブルに座って、その頃田舎で流行の清涼飲料水、チェリオを飲んでいた。
『キッチン浜』には四人掛けのデコラのテーブルが四つと六人掛けのカウンターがあり、奥の壁には和洋折衷のメニューが貼られていた。テーブルの横の壁には、ビール会社のビキニのモデルのポスターと清酒会社のカレンダーが貼ってあった。
カウンターの上のトランジスタ・ラジオからは、ザ・ゾンビーズの『二人のシーズン』が流れていた。
窓からは、間近に海が見えた。
真夏の昼下がりの海には、照りつける太陽がスパンコールの輝きをまき散らし、水平線の上の積乱雲は巨大な綿アメのように白かった。