ウチから50mほどのところで行われます。すぐそば。
以前は同時に商店街主催の花火大会が行われてましたが、その衰退とともに花火は中止になり、祭り自体も寂しくなってきました。だって人出がぜんぜん違うんだもの。
この灯篭流しのお祭りも、公害が社会問題になったころは「灯篭がゴミになる」といわれて中止になり、「水に溶け、環境に影響がない灯篭を開発した」といって再開されたものの、その灯篭がまだろうそくに火が灯っているいるうちに“水に溶けて”沈んでしまうというなんとも情けない展開になり、結局昔ながらの灯篭に戻し、下流で全て回収するということで現在は行われています。
が、しかし、灯篭を流す場所が1ヶ所に決められて、しかも必ず祭り関係者に預けて流してもらう形をとり自分で橋の上からカギ金具つきの紐で吊るして流すという伝統の(?)方法がとれなくなりました。
さらに、流れる川の区間もほんの数百mしかなく、川を延々とゆったり多くの灯篭が流れるさまをみることができなくなりました。
風情がない。
環境問題はわかるけど、人々の祈りと願いを托して海まで流す・・のが本来の巴川の灯篭流しだったと、原住民の私は思います。いい智恵はないですかね?
清水では旧盆ではなく新盆なので、2週間後のみなと祭りを終えると夏祭りはおしまいケルです。盆休みの頃は本当に静かでただただ暑い夏となっているでしょう。
この風景もこのテンプレートには合いますねぇ・・
以前は同時に商店街主催の花火大会が行われてましたが、その衰退とともに花火は中止になり、祭り自体も寂しくなってきました。だって人出がぜんぜん違うんだもの。
この灯篭流しのお祭りも、公害が社会問題になったころは「灯篭がゴミになる」といわれて中止になり、「水に溶け、環境に影響がない灯篭を開発した」といって再開されたものの、その灯篭がまだろうそくに火が灯っているいるうちに“水に溶けて”沈んでしまうというなんとも情けない展開になり、結局昔ながらの灯篭に戻し、下流で全て回収するということで現在は行われています。
が、しかし、灯篭を流す場所が1ヶ所に決められて、しかも必ず祭り関係者に預けて流してもらう形をとり自分で橋の上からカギ金具つきの紐で吊るして流すという伝統の(?)方法がとれなくなりました。
さらに、流れる川の区間もほんの数百mしかなく、川を延々とゆったり多くの灯篭が流れるさまをみることができなくなりました。
風情がない。
環境問題はわかるけど、人々の祈りと願いを托して海まで流す・・のが本来の巴川の灯篭流しだったと、原住民の私は思います。いい智恵はないですかね?
清水では旧盆ではなく新盆なので、2週間後のみなと祭りを終えると夏祭りはおしまいケルです。盆休みの頃は本当に静かでただただ暑い夏となっているでしょう。
この風景もこのテンプレートには合いますねぇ・・