Fit in fits

たまに富士山を撮影しています。「富士山と乗り物のコラボ」を撮ることが多いです。他のネタはほんの少し。

東海オープン 御礼

2005-08-09 00:37:07 | ディスクゴルフほかFD関連
 今回、静岡での開催となった東海OPはこれまでで一番多い参加者となり、遠くより多くの方がいらしてくださってこちらとしても大変うれしく思いました。みなさんありがとうございました。

 キクチくん!初優勝おめでとう!

 ただ、4回のうち3回が8月初旬の開催でしたが、その3回とも全て霧の中の戦いとなり、富士山はほとんど見られずじまい。せっかく富士を仰いでのプレーがウリなのに肝心なのが見えないのは心苦しいです。できれば8月の後半の開催にしたいですね。

=追記=
 肝心の私の成績は、アマチュア・アドバンスクラスで3位でした。今年初の公式戦参戦で、しかもぜんぜん練習してなくて、特にティースローでは27ホール中、良かったのはわずかに2回だけだったわりには上出来!国体へ向けもっと練習をしないといけません
でもまぁ良かったな、結果だけは。プレーには全く満足していないけど。
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ウチの前の道路

2005-08-09 00:16:59 | 雑記帳
 江戸幕府が東海道の状況を把握するために、道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図が「東海道分間延絵図」です。
 東海道も含め、「五街道分間延絵図」作成の命が出されたのは寛政年中(1789~1801)のことで、文化3年(1806)に完成しています。絵図には、沿道の主な建造物では、問屋、本陣、脇本陣、寺社などが丹念に描かれています。また一里塚、道標、橋、高札なども描かれています。縮尺は、実際の1里を曲尺の7尺2寸に縮尺して描かれており、道の曲がりの急なところは、そのまま描いてしまうと地図の天地が長くなってしまうので、実際にはゆるい曲がりにし、そのわきにたとえば北に何分と記して、本来の曲がり具合を示しています。

 この絵図には清水のつまり当時の呼び名でいえば「江尻」の宿場のものも描かれています。なにかのきっかけでこの絵図があることを知り、ネットで探したらちょっとその画像がありました。その画像をよーく見るとウチの前の道路も描かれているのがわかります。約250年前にはもうこの道はあったってことなんですね。東海道からちょっと外れて巴川に突き当たる道でもっと歴史は新しいと思ってました。そして、その突き当たった川の対岸から細い道が今の上町などの当時の港辺りへ繋がってます。(当時は現在の巴川へ海から入って港橋辺りがその通り港だった) 川を挟んで道が繋がっているというのは「渡し」でもあったのでしょうか?現在の橋は大正時代にできたものですから。

 この絵図、現物を(写しもいいので)見てみたいですねぇ。


 ところで、歩いて東海道を行く旅を記している某サイトを見つけましたが、その中で・・

「JR清水駅からの大きい通り(国道1号)と交差、進んで郵便局先を右折、清水銀座商店街が宿場の中心。ほぼ中央に宿の説明板がある。本陣は二軒あったとあるが、それらしい史跡は見つからない」

・・とありました。そりゃ確かに史跡は見つからないかもです。でも、本陣の一つは今でも旅館として営業してますよ(後継ぎが無く今の代でたたんでしまうのだそうですが・・)。それを見逃したんじゃダメだよぅ。江戸時代から今まで同じ場所で同じ宿場として商売してるのなんてそうそうないはず。もったいない!
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