国内新車市場 軽自動車と高額輸入車 人気車種二極化進む
国内の新車市場で、軽自動車と高額輸入車がよく売れている。一方で、これまで主力だった国産の中・上級車種は総じて不振。「格差社会」の世相を反映するように、「人気車種の二極化が進んでいる」(国内自動車大手)格好だ。一部のメーカーでは軽自動車の新車投入を前倒しする動きも出始めた。【岩崎誠】(毎日新聞) - 4月16日
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千葉・市原の製油所で爆発 2006年04月16日09時33分(asahi.com)
16日午前5時40分ごろ、千葉県市原市五井海岸のコスモ石油千葉製油所の「重油間接脱硫装置」付近で爆発・火災が発生。同装置が燃え、約3時間後に鎮火した。同装置の運転作業員6人は避難して無事だった。現場からは一時、亜硫酸ガスが発生したが、県警などによると、濃度が薄く健康に直接の影響はないという。
そして、このお天気キャスター森田正光さんのブログにあった記述・・・
ところで、多くの人は「月に人間が現在も行ける」と考えている。アポロ宇宙船の成功は30年以上も前のことだから、そんな技術はとっくに乗り越えて、いまは行こうと思えばすぐにでも行けると考えてしまいがちである。
しかし実際には、どうも現代の人間は「月に行く技術」をもう失ってしまっているらしい。
それはそうだろう。アポロの時代とは何から何まで違う。飛行船の素材も違うし、それを作る道具もない。燃料だって違うし、細かい手作業の内容を知っている人もおそらくもういないだろう。設計図どおりにつくろうにも、その設計図自体を理解する人がいないかもしれない。
技術というのは、失われたら終わりなのである。
追伸
蛇足として云っておくと、気象の世界では天気図をきちんと解析できる人間が、いまどんどんいなくなっている。予報士の方、天気図を解析する能力を備えて下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/archive/2006/04/14
・・・この3つ、関連性はとくに無いように見えるのだけれど、実は今の日本に忍び寄る不気味な二極化の影のような気がするのだ。
バブル崩壊後の不景気で、かなり多くの企業がリストラを行い、かつての年功序列型賃金の名残で比較的高い賃金の年令層、つまり中高年の労働者が大量にクビを切られ転職を余儀なくされた。そして、景気が戻ってきてもその労働者が元に戻るわけではなく、賃金が安く、その後また不景気が来たらすぐにクビを切ることの出来るパート、バイト、派遣、そして若者に労働力はシフトされてきた。それでも不足する労働力は不法入国も含めた外国人が担っている。
親のしつけの悪さと「競争することを極端に排除した教育」を受けて我慢することができない若者は離職率が高く使い物にならないのが多く、いくらかは仕事もせず教育も受けないニートになっていき、逆に高い教育を受けて育った数少ないエリートが日本を牽引する大企業の入ったり官僚になっていく。(ただ、中には単に親の七光りのおかげで進学出来た者、競争に勝つことだけに懸命になり社会の規範を逸脱する輩もいる。ホリエモンを筆頭に)
いわゆる「勝ち組」は少数ながら多くの富を享受し、その一方で増えている「負け組」は日々の生活だけに精一杯で貯金ゼロの家庭も増えつづけている。
そして、勝ち組と思われる大企業でも現場のベテラン技術者などでも高賃金ゆえにリストラされ、代わりに導入された高機能の機械とまだ経験が充分とはいえない若年層が多くの現場に配置されている。 手仕事の技術の伝承と安全面での“経験則”から来るリスク回避能力の伝承はできないまま、「機械が代わりをできる」と信じられている。
軽自動車が売れる一方で高級外車も売れている(数では圧倒的に軽が多い)。工場などの安全管理では人件費がかかるので人を減らし、異常感知センサーなどが発達した機械を少数の人間が見張っているだけ。天気予報の精度は観測機器の高度化でよくはなっているが、人間がコンピューターが作る天気図ちゃんと読み取れない・・などなど、いろいろな二極化が進行し、その中間層が減るということは社会全体の安全、モラル、教育レベル、技術レベルの平均を下げているんじゃないかと、少数の専門職ばかりが発達して「周りが見えない」人間が増え、全体を見渡す能力が欠けているので「自分勝手」、「自己中心的」、つまり「自分さえよければいい」という社会になりつつあるような気がするのだ。
もう10年もすれば、「常識」というか「当然社会生活を営む上で知っているべき知識やモラル」というものがどんどん欠如した人が増え、「常識が常識として通じなくなる」社会になってしまいそうで怖いのだ。
「常識」というものも漠然としていて個人個人によって異なるし、私が書いたこの文もちょっとまとまりに欠けているのだけれど、このなんともまとまりに欠けることが、社会全体に忍び寄る影の「これ!」と特定できない不気味さの大きさのような気がするのだ。