吉香公園の日本庭園の入り口付近に国木田独歩の文学碑がある。
「欺かざるの記」(独歩の 日記)の一節が彫ってある。
「岩国の時代 を回顧すれば恍として更らに夢の心 地す/独歩」
独歩は岩国の地を踏んだのは明治11年(1878)8月から
明治16年(1883)父専八が岩国裁判所から山口裁判所に転任
するまでである。国木田亀吉(独歩)の8才から13才にあたる。
吉香公園の入口に錦帯橋創設の旧藩主吉川広嘉公の銅像の脇に
大きな樅(もみ)の木が立っている。このあたりが旧岩国裁判所
の跡である。佐々木小次郎商店隣の料理屋滝川の裏辺りに独歩は
住んでいたらしい。
錦見小学校の独歩の同級生で初代の岩国市長を勤めた永田新之允
(1971年没)の言によれば小学生時代の独歩のあだ名はがり亀
とか赤ざるとか呼ばれ腕白時代を楽しんでいる。
写真は2004-11-1撮影
「欺かざるの記」(独歩の 日記)の一節が彫ってある。
「岩国の時代 を回顧すれば恍として更らに夢の心 地す/独歩」
独歩は岩国の地を踏んだのは明治11年(1878)8月から
明治16年(1883)父専八が岩国裁判所から山口裁判所に転任
するまでである。国木田亀吉(独歩)の8才から13才にあたる。
吉香公園の入口に錦帯橋創設の旧藩主吉川広嘉公の銅像の脇に
大きな樅(もみ)の木が立っている。このあたりが旧岩国裁判所
の跡である。佐々木小次郎商店隣の料理屋滝川の裏辺りに独歩は
住んでいたらしい。
錦見小学校の独歩の同級生で初代の岩国市長を勤めた永田新之允
(1971年没)の言によれば小学生時代の独歩のあだ名はがり亀
とか赤ざるとか呼ばれ腕白時代を楽しんでいる。
写真は2004-11-1撮影