幕末の時代に岩国藩で活躍した砲術家
文政4年(1821)江戸に出て森重靭負(ゆきえ)に三島流の
砲術を学びました。この時岩国藩主吉川経礼のおかかえ力士
三保が関と親交を結び関取に日傘をもたせ関取の手をとって
街中を歩き江戸っ子の注目を浴びた。
その後徳山や萩で砲術の修業を積みました。
文政6年(1823)の頃には多くの門弟を抱えていました。
讃岐から岩国に来た丸亀の藩士からや岩国の土田湊らから
有益な砲術を伝授され、有坂流は益々隆盛となった。
さらに天保4年(1833)長崎の高島秋帆(しゅうほん)から
オランダの砲術を学びました。
その後鋳造の名人熊蔵の助けを借りながら横山(岩国)の馬場
で大砲の鋳造にまい進した。
有坂長為は西洋砲術家の大家として関西以西の第一人者とされ
諸藩から招聘があいつぎました。
安政2年(1855)に62年の生涯を閉じました。
吉香公園と岩国城とを結ぶロープウエーの山麓駅の裏に長為の
功績をたたえる記念碑があります。(写真)
文政4年(1821)江戸に出て森重靭負(ゆきえ)に三島流の
砲術を学びました。この時岩国藩主吉川経礼のおかかえ力士
三保が関と親交を結び関取に日傘をもたせ関取の手をとって
街中を歩き江戸っ子の注目を浴びた。
その後徳山や萩で砲術の修業を積みました。
文政6年(1823)の頃には多くの門弟を抱えていました。
讃岐から岩国に来た丸亀の藩士からや岩国の土田湊らから
有益な砲術を伝授され、有坂流は益々隆盛となった。
さらに天保4年(1833)長崎の高島秋帆(しゅうほん)から
オランダの砲術を学びました。
その後鋳造の名人熊蔵の助けを借りながら横山(岩国)の馬場
で大砲の鋳造にまい進した。
有坂長為は西洋砲術家の大家として関西以西の第一人者とされ
諸藩から招聘があいつぎました。
安政2年(1855)に62年の生涯を閉じました。
吉香公園と岩国城とを結ぶロープウエーの山麓駅の裏に長為の
功績をたたえる記念碑があります。(写真)