厳国山普済寺の創建前に記念碑のある場所に川崎の長江寺が
あった。その長江を号にしていた新井清次郎(古梅園の号もあり)
は中島門水の門下生で江戸派の俳諧をよくした。
長江は明治39年から浪花(大阪)に移り住む。
岩国の長江の門下生が大正6年9月に記念碑(写真)を建てた。
「さだめゆきや目になしけふの月」
厳寒に咲く梅は冬の夜も清香を放ち舞い落ちる雪が目に入らない
ほど梅の花に光を投ずる煌々と輝く今日の月が美しい。
写真は2004-11-20撮影
あった。その長江を号にしていた新井清次郎(古梅園の号もあり)
は中島門水の門下生で江戸派の俳諧をよくした。
長江は明治39年から浪花(大阪)に移り住む。
岩国の長江の門下生が大正6年9月に記念碑(写真)を建てた。
「さだめゆきや目になしけふの月」
厳寒に咲く梅は冬の夜も清香を放ち舞い落ちる雪が目に入らない
ほど梅の花に光を投ずる煌々と輝く今日の月が美しい。
写真は2004-11-20撮影