2021年6月14日の9:00~10:40にBSPで放送のプレミアムカフェ「池内博之の漂流
アドベンチャー(2018年放送)」をビデオで視聴しました。
そこで紹介されていた孀婦岩(そうふいわ)について上記番組より写真紹介します。
伊豆諸島の最南端にある火山性の岩です。ダイビングの名所として有名だそうです。
私は初めて知りました。
上の写真が伊豆諸島の最南端に位置する孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)
上の写真は孀婦岩の位置を地図上に記したものです。
孀婦岩(そうふがん)に関するYoutube動画をいくつかGooで共有させていただきました。
大海原に立つ孤高の岩 ~孀婦岩~
孀婦岩ダイビング1998
絶海の奇岩 孀婦岩
孀婦岩
関連サイト(気象庁)
孀婦岩の基本情報
所在地:東京都の伊豆諸島南方(所属市町村なし)東京より約650km
管理:東京都が直轄(東京都総務局の八丈支庁)
座標:北緯29度47分39秒、東経140度20分31秒
発見者:ジョン・ミアーズ(1756-1809)
2018年秋に放送されたNHKスペシャル『秘境探検 東京ロストワールド 孀婦岩』
では番組紹介で嬬婦(そうふ)岩の字になっています。
2022年2月16日(水)BSプレミアムで再放送されます。
以上は2022-2-16に追記
Wikipediaの解説をまず紹介します。
日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。
顕著な黒色孤立突岩。火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸である。
NHKや産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は
玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している。頂上付近には水面に対して
垂直方向の柱状節理が認められる。
歴史
孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス帝国のジョン・ミアーズ
(John Meares)であった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を
経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。
ミアーズ(1756-1809)の記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。
ミアーズは、この岩をその不思議な形から、『旧約聖書』創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった人物に見立てて「Lot's wife(ロトの妻(英語版))」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっており、実際よりも17度も東にされているが、その他の部分では正確な緯度が記録されているため、測量ミスではなく元テキストの誤記、誤植が原因であると考えられる。
日本語文献では、1885年の『寰瀛水路誌』(海軍省水路局刊)に初めて「孀婦岩」の名が現れる。「孀婦」とはやもめの意味であるが、これは「Lot's wife」を意訳したもので、やがて音読して「そうふ」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い[11][12]。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。
周辺では海底火山が活動中であり、1975年に北約500mの海域に緑色の変色水の発生が観測されたが、火山活動との関連性は不明である。
戦後、1946年(昭和21年)3月22日に伊豆諸島が本土復帰してから、1952年(昭和27年)2月10日に吐噶喇列島が本土復帰するまで、この岩は日本の最南端であった。
上の2枚の写真はジョン・ミアーズが描いた孀婦岩のスケッチ
上の写真はジョン・ミアーズが残した海図に刻まれたLot's Wife=孀婦岩
上の写真はジョン・ミアーズが残した海図(全体図)
ミアーズの海図で示された孀婦岩(Rot's wife)と実際の岩の位置は経度が大きく
異なっており、実際よりも17度も東にされている。
その他の部分では正確な緯度が記録されているため、測量ミスではなく元テキストの誤記、
誤植が原因であると考えられる。
上の写真はイギリス人探検家 ジョン・ミーアズ(John Meares)の肖像画
ジョン・ミアーズの人物紹介は下記サイトが詳しい。
Biography – MEARES, JOHN – Volume V (1801-1820) – Dictionary of Canadian Biography (biographi.ca)