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関西テレビ「兵頭大樹の今昔さんぽ」で紹介された摩耶観光ホテル on 2020-2-7

2020年04月07日 04時27分33秒 | 昔こんなものがあった 昭和編

1929年から1993年まで摩耶山の観光名所の一つであった摩耶観光ホテルが
2020年2月7日18時20分からの関西テレビ報道ランナー「兵頭大樹の今昔さんぽ」
という番組で紹介されていましたので摩耶観光ホテルを主題としてブログを書きます。

摩耶観光ホテルは地元ではヤマカンという愛称で呼ばれています。

本ブログでも以前に摩耶観光ホテルをテーマに書いていますのでリンクしておきます。

 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/1ade7c33304768777ae313f16e4ad65b

摩耶観光ホテルについてWikipediaより引用紹介します。

摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて神戸市灘区の摩耶山中腹に存在したホテル。

ケーブル会社の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部[1]、第二次大戦前
から戦中にかけては摩耶ホテルや摩耶山温泉ホテル・摩耶山温泉、
戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶国際観光ホテル、ホテル閉鎖後の1970年(昭和45年)
頃から1994年(平成6年)頃まで摩耶学生センター等と呼称された。
また摩耶観光ホテル・摩耶学生センターの頃から、マヤカン(摩耶観光ホテルの略語)
という俗称でも呼ばれている。設計者は今北乙吉[2]。
現在は廃業し、そのアールデコ風のユニークな建築は廃墟となっており、内部は
経年劣化による損傷が激しく危険であるため、完全に立入禁止となっている。

摩耶観光ホテルの歴史

 

上の写真は昭和4年(1929)11月16日に開業した摩耶倶楽部。

実際には昭和7年(1932)頃?の摩耶山ホテル

この建物が竣工したのは昭和4年11月6日ですが当初の用途は諸説があり明確では無いが

摩耶鋼索鉄道株式会社(現在の摩耶ケーブルを最初に敷設・経営した会社)の福利厚生

施設(摩耶倶楽部)として建設されたいう説が有力である。

実際には摩耶山ホテル、摩耶山温泉ホテルなどの名称で一般向けの複合娯楽施設として

オープンしていました。

摩耶鋼索鉄道株式会社が昭和5年(1930)11月に発行した一般向けパンフレットには

写真付きで館内が紹介されています。

1階(和室)、2階(洋室)計13室のホテル。

3階は食堂、娯楽場、温泉浴場

4階は摩耶山会堂(400人収容の余興場)

昭和5年(1930)4月にはケーブル摩耶駅からホテル4階部に直接連絡する渡廊下が完成

上の写真は摩耶山食堂(上述のパンフレットより)

上の写真は摩耶山温泉浴場(上述のパンフレットより)

上の写真は摩耶山ホテルの一室

上の写真は摩耶ケーブルの前身の摩耶鋼索鉄道

摩耶ケーブルの歴史についてはブログを作成していますのでリンクしておきます。

 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/68bbb3d79272943c6d830ebc3747a226

 

昭和18年(1943)から昭和20年(1945)にかけて軍用道路が完成し掬星台付近に高射砲

が設置されたりケーブルの線路が供出されたりでケーブルは営業休止となる。

昭和30年(1955)5月7日摩耶ケーブルが営業再開、7月12日奥摩耶ロープウェイ営業開始

昭和35年(1960)頃まで摩耶山ホテルは閉鎖 戦後引揚者らが住みついた時期もあり

上の写真は昭和36年(1961)摩耶ケーブルの親会社の阪神電鉄の意向で関西の

ホテル業者に売却、数千万円をかけて改装された。

摩耶観光ホテルの営業開始は昭和36年8月26日

 1・2階はホテル客室

 3階はロビー、カジュアルコーナーなど

 4階は大ホール、グリルなど

名物は「楠公鍋」や「摩耶鍋」

摩耶観光ホテルと摩耶鍋については下記のブログで紹介しています。

 

摩耶観光ホテル NHKBSプレミアム新日本風土記「廃墟」より

2013年 摩耶詣祭 in 天上寺&掬星台 on 2013-3-30

上の写真はかって摩耶観光ホテルで行われていたイベントの様子(大ホールにて)

 

 
昭和42年(1967)頃? 集中豪雨で土砂崩れ及び塩害被害でホテル営業停止

昭和45年(1970)頃 ホテル業者の依頼で管理人が住み込む

昭和49年(1974)学生のゼミ、サークル合宿などに限りホテル施設の一部を開放

          摩耶学生センターの営業開始

昭和50年(1975)10月1日 摩耶ケーブルが六甲ケーブルと合併(六甲摩耶鉄道株式会社)

昭和51年(1976) 天井寺の大半が焼失

平成5年(1993)頃 管理者の体調不良により摩耶学生センターの営業停止

平成7年(1995)阪神淡路大震災でケーブルカー、ロープーウェイの施設破損

平成12年(2000)3月摩耶ケーブルの施設六甲摩耶鉄道から神戸市に無償譲渡

          6月 ケーブル・ロープーウェイの復旧工事

平成13年(2001)3月7日「まやビューライン夢散歩」として運転再開

      

摩耶観光ホテルの位置

廃墟の案内人

現地の案内は上の写真の摩耶山再生の会の慈(うつみ)憲一さんと前畑洋平さん
前畑さんは産業遺産を記録・見学するNPO法人 J-heritage を主宰されています。

兵頭さん(中央)、向かって左が前畑さん、右が慈さん

上の写真は見学会の様子

廃墟の現況

 

廃墟施設としての活用


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