本日は昭和46年(1971)から平成11年(1999)まで存在していた東神戸公共フェリーふ頭
別名、東神戸フェリーセンターについて記事を書いていきます。
住所としては神戸市東灘区青木1丁目付近で現在はサンシャインワーフ神戸、ヤマダ電機、
スポーツDepo、オートバックススーパーなどのショッピング街となっています。
上の写真は昭和46年(1971)に撮影の東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)
出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page4-5
ここで、Wikipediaより建設経緯と縮小廃止の経緯について引用紹介します。
東神戸フェリーターミナルは神戸港のフェリー発着拠点の集約により、運航会社の負担
軽減と利用者の利便性向上を図るため、神戸市が建設したフェリー専用の公共埠頭である。
神戸市の埋立地である東部第三埋立工区および東部第四埋立工区の約7.7ヘクタールの敷地に、
運輸省から半額の補助を受け約23億円をかけて整備された。建設工事は1970年から開始され、
1970年夏に第四バースが完成、第三バース、第二バースも順次供用され、1971年7月の
第一バース完成により、計画されていた4バースが全面供用となった。管理運営のため、
株式会社神戸フェリーセンターが設立され、旅客サービス、ターミナルの運営、
港湾業務などを一手に引き受けた。
1971年10月時点では、10社(1日合計32便)が就航、1974年4月までに合計17社の就航が
見込まれていたため、東部第四埋立工区の東側に第五バースを新設、東京、鹿児島など
長距離航路専用バースとする計画が、1972年春に着工、年度内に完成のスケジュールで
進められた。工費約10億円は、神戸フェリーセンターが負担した。
阪神・淡路大震災で被災した後、復旧して運用を再開したが、対岸の六甲アイランドで
1988年から運用が開始された六甲アイランドフェリーターミナルや中央区の
新港フェリーターミナル(新港第三突堤)に航路が移転することになった上、
明石海峡大橋の開通により、ここを発着とする航路自体も減少したために
1999年3月閉鎖となった。
跡地はショッピングセンター「サンシャインワーフ神戸」となっているが、かつてフェリーが
発着していたバースの可動橋や、東西2つ存在した旅客ターミナルのうち西側のものは、
現在も残っている。
阪神電気鉄道青木駅が最寄り駅であった
上の写真はGoogleの地図より東神戸公共フェリーふ頭跡の位置を示したものです。
上の写真の手前は西の旅客ターミナルに使用されていた建物で現在は株式会社
神戸フェリーセンターの出資会社であるポート産業株式会社の建物になっています。
写真はGoogleストリートビューによります。
Googleの地図では東神戸フェリーセンター、加藤汽船、神紀フェリー乗り場などの表示が
ありますが、現地未確認につき現状どのようになっているか不明です。
昭和46年(1971)の供用開始当時に東神戸公共フェリーふ頭を利用していた運航会社と
航路は次のとおりです。 出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page5
関西汽船・加藤汽船(神戸~高松間)
日本通運・四国フェリー(神戸~高松間)
四国中央(神戸~川之江間)
ダイヤモンドフェリー(神戸~松山~大分間)
セントラルフェリー(神戸~東京間)
宮崎カーフェリー(神戸~宮崎間)
阪神バイパスフェリー(神戸~泉大津間)
共同汽船(神戸~徳島間)※共同汽船・共生汽船・関西汽船の共同運行
上の2枚の写真は現況。写真はGoogleストリートビューによります。
別名、東神戸フェリーセンターについて記事を書いていきます。
住所としては神戸市東灘区青木1丁目付近で現在はサンシャインワーフ神戸、ヤマダ電機、
スポーツDepo、オートバックススーパーなどのショッピング街となっています。
上の写真は昭和46年(1971)に撮影の東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)
出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page4-5
ここで、Wikipediaより建設経緯と縮小廃止の経緯について引用紹介します。
東神戸フェリーターミナルは神戸港のフェリー発着拠点の集約により、運航会社の負担
軽減と利用者の利便性向上を図るため、神戸市が建設したフェリー専用の公共埠頭である。
神戸市の埋立地である東部第三埋立工区および東部第四埋立工区の約7.7ヘクタールの敷地に、
運輸省から半額の補助を受け約23億円をかけて整備された。建設工事は1970年から開始され、
1970年夏に第四バースが完成、第三バース、第二バースも順次供用され、1971年7月の
第一バース完成により、計画されていた4バースが全面供用となった。管理運営のため、
株式会社神戸フェリーセンターが設立され、旅客サービス、ターミナルの運営、
港湾業務などを一手に引き受けた。
1971年10月時点では、10社(1日合計32便)が就航、1974年4月までに合計17社の就航が
見込まれていたため、東部第四埋立工区の東側に第五バースを新設、東京、鹿児島など
長距離航路専用バースとする計画が、1972年春に着工、年度内に完成のスケジュールで
進められた。工費約10億円は、神戸フェリーセンターが負担した。
阪神・淡路大震災で被災した後、復旧して運用を再開したが、対岸の六甲アイランドで
1988年から運用が開始された六甲アイランドフェリーターミナルや中央区の
新港フェリーターミナル(新港第三突堤)に航路が移転することになった上、
明石海峡大橋の開通により、ここを発着とする航路自体も減少したために
1999年3月閉鎖となった。
跡地はショッピングセンター「サンシャインワーフ神戸」となっているが、かつてフェリーが
発着していたバースの可動橋や、東西2つ存在した旅客ターミナルのうち西側のものは、
現在も残っている。
阪神電気鉄道青木駅が最寄り駅であった
上の写真はGoogleの地図より東神戸公共フェリーふ頭跡の位置を示したものです。
上の写真の手前は西の旅客ターミナルに使用されていた建物で現在は株式会社
神戸フェリーセンターの出資会社であるポート産業株式会社の建物になっています。
写真はGoogleストリートビューによります。
Googleの地図では東神戸フェリーセンター、加藤汽船、神紀フェリー乗り場などの表示が
ありますが、現地未確認につき現状どのようになっているか不明です。
昭和46年(1971)の供用開始当時に東神戸公共フェリーふ頭を利用していた運航会社と
航路は次のとおりです。 出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page5
関西汽船・加藤汽船(神戸~高松間)
日本通運・四国フェリー(神戸~高松間)
四国中央(神戸~川之江間)
ダイヤモンドフェリー(神戸~松山~大分間)
セントラルフェリー(神戸~東京間)
宮崎カーフェリー(神戸~宮崎間)
阪神バイパスフェリー(神戸~泉大津間)
共同汽船(神戸~徳島間)※共同汽船・共生汽船・関西汽船の共同運行
上の2枚の写真は現況。写真はGoogleストリートビューによります。
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