石の踊り

2011年03月31日 | Weblog


 今日はいかにも春らしい。光がいつもより輝いている。なんて喜んでいたら、午後になるとたちまち時雨てきて、黒い雲がでてくるわ冷たい北風が強くなるわで、風景は一変。

 しかし、みんな車にはガソリンが一杯入ったとみえて、ホームセンターにも電気屋さんにも車がいっぱいいて、道路に
も車が多くなりました。地震の前の雰囲気に戻りつつあります。

 

 燃料がなくて行くことができなかったのですが、私もガソリンが買えたので、久しぶりに知人の家に行ってきました。いろいろと話に花が咲いて、楽しいひと時がすごせました。

 それから近くの町にお昼を食べに出かけました。ホテルにくっついているレストランです。

 

 入口はこんな雰囲気。中に入るときれいな油絵が数枚。高台にあって、なかなかいいところです。この二枚は携帯で撮ってみました。縦横比が違います。

 

 地震の後にどう変わったか。少しずつ気づいていくものもあります。これは庭石ですが、まわりに隙間が出来ていました。それだけ揺れに振り回せれて動いたんでしょうね。踊りを踊ってしまったんだと思います。石のダンスです。

 

 ハウスの中の小松菜とシュンギクです。出荷停止とかで騒いでいますが、これくらい食べたってどうってことないので、そのうちに食べようと思っています。

  


     杉花粉薬効きすぎ眠い午後


ユンボー

2011年03月30日 | Weblog


 昨日はハッとしたり、不可能と思っていたことが出来てしまったりで、気持ちがかなり揺れ動く日でした。

 今日も、黙々と石を割り一輪車で運ぶ作業をしていました。「 仕事をした分だけは石が片付く 」 という信念ではたらきました。そしたら、やはり今日も良いことがありました。

 

 お昼を食べ、さーやるぞと身構えた時です。これが来たんですよ。私が黙々とやっているのが届いたのか、強い味方が姿を現しました。

 http://www.youtube.com/watch?v=6X6dNCkWSuI  

 

 そして、この状態が

 

 このようになったのです。さすがに機械の力はすごいです。それに、片づけた石はどうしようかと思っていたら、運びさえすれば市の指定してあるところに無料で運び入れることができるのだとか。
 工務店で大きなトラックで運んでくれました。まだ道路際が残っていますが、残りは明日以降にやれます。天気さえ大丈夫なら明日は終わります。しかし、天気が心配です。

 機械の力の凄さを感じました。大きな爪でガツンと掴んで軽々とトラックにのせていくんですからすごいです。

 

 だんだん花が多くなってきました。

   補) ユンボー : ユーフォー  関係なかったかな?

  
  毎年よ彼岸の入りに寒いのは    正岡子規

  廃 句

   毎年よ彼岸過ぎても寒いのは
   毎年よ春はいい加減に過ぎていく
   毎年よ親しい友と別れるは      転勤退職引っ越し
   毎年よ鶯まだかと気になるは
   毎年よ財布の中は空っ風


余計な仕事

2011年03月29日 | Weblog


 今日は暖かくて、春らしい日でした。東北地方にも早く春を持って行ってやりたいです。災害の上に雪が降っていては気の毒。

 

 草は少しずつ緑になっていますが、こういう丈の高い草のところは、この灰いろに変色した枯れ草を凌駕するほどの草が生えてこないと、いつまでも冬景色のままです。

 さて、よく 「 余計な仕事を作ってしまった 」 ということを言いますが、今日は正に余計な仕事を作ってしまいました。余計も余計、一時はどうしようかと青くなる寸前でした。
 
 

 厳寒じゃなかった、今日は温かいんだ。そじゃなくて、玄関のカギなのですが、これは地震でガンガンと何度もなんども勢いよく引っ張られたのでしょうね。板金が歪んでいるのが分かりました。地震のあとにどうも建てつけが悪いと思っていたんです。

 それで、この板金をはずして叩いて平らにしたんですが、ところが大失敗。上と下のネジをはずしたとたんカチャっと音がしたんです。この板金の後ろに雌ねじの役割をしている板金があったんです。それが下に落っこちちゃったんですよ。ゃ~~~~~~~~~っ 。 そうだったのかと、気づいてももう遅かりし由良之介。もう取れない。これは黒星大きな黒星。この穴の下は50cmもあります。最後にはサッシのワクを全部取り外さなければならないんだろうか。

 
 
 いろいろと試してみましたが、全部だめでした。釣り針のように針金を曲げて下ろしてみる  ダメ。 外から磁石を当てて上までずらしてみる  全然引っ張っていない。 枠のネジをはずしてみる  枠は完全に固定されていてびくともしない。

 しばらく考えていたら、あっそうだ。と思いついたものがこの上の写真にある部品です。これは何だと思いますか。 これはパソコンのハードディスクの中に入っている磁石で、ものすごく強い磁石です。この少し出っ張りのある部分が磁石になっています。これが二つ付いていてハードディスクの高速回転盤の上下に少し空間を持たせて付いているのですが、そこで読み取ったり記録したりしています。古いパソコンを分解したときに取っておいた部品です。

 これを麻ひもで吊るし、四角な穴から入れてみて、ストンと下に付いた感じがしたので、それからそっとひきあげてみると、あった~~~~~~~  。くっついてきたんです。それで、そっと抑えてさっそくネジ留めをしました。やったねー  。 いやー、冷や汗ものでしたー。  

 

 仕事が終わった後の気分は上の写真のような感じです。いやー、なんでも取っておくと役に立つものですね。今回ばかりはギブアップかと思っていました。運が良いことに、最後の策は一発で成功しました。


    目のふちが世界のふちや花粉症   山口優夢


  廃 句

    洟水を一升ほどもかみにけり
    この時期はティシューの箱がお友達
    こどはだは何というはだですか     この花は何という花ですか
    両鼻にティシューを詰めてふぁふぃふふぇふぉ
    これクシャミ熟睡の邪魔するでない


     


黙々と

2011年03月28日 | Weblog


 放射能が近づくのを阻んでいるので、被害がますます拡大しそうです。まったく、やっかいなものです。どうしてこんなやっかいなものを作ったのでしょうね。

 

 石の破壊はピンクの線で囲った分だけ進みました。下に植えてあるサツキがでてきました。かなり折れています。

 何せ、私一人では持てないほどの重さですから、おそらく一つが100kg以上はあるのではないかと思います。これをおおむね4つに割って運んでいます。

 

 運んだところも長く三段重ねになりました。いや、数えたら四段だった 。 重いので、やりすぎに注意です。あとでぐったりとのしかかるような疲れが来るとまずいですからね。

 叩き割っては息が切れ、運んでは息が切れです。しかし、雑草は取ってもまた出ますが、石は運んだ分だけ残りは確実に少なくなります。そういう風に考えないと、とてもこの仕事は続きません。黙々とやっています。

 

 こちらは重くてびくともしません。間伐材のようなある程度太い木で作った三脚を立てて、チェーンブロックででも吊りあげないと無理です。しかし、吊りあげたところで落としたりすると元の子もなくなりますから、これは専門家にやってもらうしかありません。

 

 
   ほのぼのと春こそ空に来にけらし
                天の香具山かすみたなびく    太上天皇


石を割る

2011年03月27日 | Weblog


 やっぱり温かく晴れると気分が違います。二日か三日ぶりにウォーキングをしました。風が北北東から吹くと、問題の原子炉の方角からの風になりますが、今のところはおおむね東か北西の風の日が多いです。

 野菜も早く食べられるようになって欲しいです。茨城のパセリは、ハウスの中での栽培なのに影響があるらしいのです。

 

 まるでインディアンののろしのような煙が。どこかで焚火をしているんでしょうね。ほとんど無風状態のようです。

 

 大谷石の塀がやられました。大谷石というのは、栃木県宇都宮市に大谷(おおや)という所がありますが、そのあたりで取れる石です。石としては柔らかなもので、金づちでたたくと少しずつ崩れるくらいのものですが、塀や石倉などによくつかわれてきました。

 ところが、重さの割にもろく、塀にするときに鉄筋を入れるとその分だけ穴が開けられるのでもろくなりますから、ほとんど鉄筋は入れないらしいです。そのために自身には弱いんですね。

 

 いつまでも崩れたままで汚く感じます。近所の工務店に処理を頼んであるのですが、家屋の修理の方が先ですから、いつ来てくれるかわかりません。それで出来る範囲でやってみようと思い、今日はこの大きな金づちで叩いてちいさくして、運びました。右側の金づちは普通の大工仕事に使うものです。

 

 重いので、一つのものを四つに割って運びました。それでも大変な仕事で、これくらいしかできませんでした。あまり一度にやりすぎると疲労のリバウンドがひどいですからね。

 鉄槌で2~3度叩くと割れます。小さくしても重たいです。今日は筋肉の運動をしてしまいました。まだまだ数パーセントしかできません。

 

 石の隙間に花が咲いています。すばらしい生命力。

 力仕事は、気分を変えて健康にします。何もしないと不健康な感じになります。今日は天気も良かったし、気分が久しぶりに晴れやかになりました。


     雲雀鳴く中の拍子や雉子の声          芭蕉
       ひばりなく中のひょうしや きじの声   


    


ガソリンを求めて

2011年03月26日 | Weblog


 どうも世の中がこう暗くてはブログを更新したくもなくなります。天災に加えて人災も起こるなんて。想定外なんて言葉があったんですね。作る時には想定しておいてくれたまえ。

 

 ガソリンを求める長いながい列です。これ、ちっとも動いていないんですよ。地震のあとで、毎日あちこちで見かける風景。そのうちに私もこの中に入らなければならなくなりそうです。並んでも2,000円分くらいしか買えないそうです。スタンドはここから1.5kmくらい先です。途中で必ずや打ち切りでしょうね。

 それっぽっち入れても仕事で歩いている人はすぐに消費してしまい、また並ぶようです。タンクローリーは数日おきにしか来ませんから、いつまでも同じような風景が続くわけです。悪いサイクルが始まっています。スタンドは毎回完売で儲かっているんですかね。「いやーだめなんスよ。」なんて言っちゃって、困った顔をして笑顔が絶えないなんてね。そんなこともないのかな。

 

 梅は咲いている時期が長いですね。まだ咲いています。今朝は鶯の声が聞こえました。

 今日は寒いので外にはあまり出ませんでしたが、そのうちにあたたかくなったら思い切り歩きます。元気を出さなければ。災害は災害として、早く一人でも多くの人が元気にならなければねえ。梅ぇ話がなにか無いですかね。

  放射能にはシーベルト。車に乗ったらシートベルト。歌曲「菩提樹」はシューベルト。幕末に来ていたドイツ人はシーボルト。海辺のそよ風はシーブリーズ。

 

 ブロッコリーは大きくなっていますが、寒さにやられたので料理してもへんな匂いがするので処分してしまいました。

 

 
  暑さ寒さも彼岸までとは誰が言ったのか。うそつき。彼岸過ぎても寒いじゃねえか、なんて文句言いたいですね。もっとも、桜の花が咲く時期にさしかかっていますが、桜の時期も寒いですからね。花冷えなんて言葉を聞いたことがあります。今年も花はしっかりと咲いて世の中を明るくしてくれるんでしょうね。

 



 


 


じゃが芋植え

2011年03月25日 | Weblog


 出来れば西風が吹いてくれることを願っています。素人考えですが、西に風が吹けば放射能は海の方に行ってくれると思っています。

 どんな装置でも安全ということは絶対にないということが判明したと思います。行政も企業もこれを機に、しかと肝に銘じて注意してほしいと思います。想定外も想定すべし。何百万人、いや国民全体に対してどう責任を取るのだろうか。責任というのは取れないものと思うべしダネ。

 

 なかなか連続して天気が続かないです。今日も午後は雨になるという予想なので、じゃがいも植えをしました。今年はキタアカリだけです。何とか世の中を照らしてほしい 「 来た明かり 」。
 
 二種類にすると多すぎて食べきれないので、一種類にしました。もし足りなそうならば、秋ジャガを作ろうと思っています。その時も願いを込めて  「 来る明かり 」 だ。

 

 ついでに、空いているところも耕してしまいました。菜花が花咲いていますので、これに種ができてしまうと雑草のようになり、種をまいた作物の養分を吸い取ってしまいますので、処分するなら今のうちです。もう、鶏にやったって飽きちゃって鶏はまたいで通る始末です。アブラナはケッコーなんて鳴いていますよ。

 

 腐っている木の根元に何かの種が落ちて芽がでてきました。世代交代です。古い木が養分となっているようです。山林ではしょっちゅうこういう場面が見られます。植物は落ちた処に生えて、そこで一生を過ごすことになります。しかし、生き残る確率は何十万文の一だとか。一番の加害者は人間なんでしょうね。この木の場合、私だ  。責任重大なり。

 

 
   きみに逢う以前のぼくに遭いたくて
                   海へのバスに揺られていたり  飛田和宏


    評論家ばかり活躍この三月
    評論家の話は飽きただから何
    難しい用語並べても減らぬなり          シーベルト、ベクレル
    ベクトルも分からないのにベクレルって?
    傲慢な欲を押し切りこの始末
    東京の霞が関に原子炉を


 


じゃが芋は まだ

2011年03月24日 | Weblog


 3月11日14時46分に起こった地震は、自分の地域ではどれくらい強かったのか、ついぞ知らずにいました。被害の方が大きくて調べようという気もおきませんでした。それで日本気象協会のサイトを探して調べてみたら、震度6弱だったそうです。東京でも震度5強だそうですから、あちらでもかなり揺れたんですね。

 私は、その時にはそら豆の苗を隣町のホームセンターで買っての帰り道で、六号国道を走っていました。何が車輪がワナワナするなー、こりゃ地震かなと思っていたらすぐにすごい揺れでピョンピョン車体が跳び上がるのではないかと言うような感じでした。対向車もすごく揺れてトラックも揺れて、みんな車がサンバのリズムで踊りを踊っているような感じでした。それに合わせて電柱が左右に揺れ、電線は縄跳びの縄のようにびゅんびゅんと揺れていました。まもなく止んだので、ホッとし5~6分で帰宅できましたが、大きな交差点は幸い信号がついていました。そのほかの交差点は停電です。そっと危なくないように通過できました。

 

 数日経ってから、納戸の壁が向こう側の天井裏にドサッと落ちているのに気付きました。ありゃーっ、これは面倒なことになっちゃった。下には布団などが積まれていますからね。

 しかたないので、二週間近くにも経ってからですが、片づけて修理しました。三角形になっている所を修理とは面倒な。本当は筋が横になるのではなく、縦になるようにしたかったのですが、板の都合でこうなってしまいましたが、他人(ひと)が来て眺めるような所ではないので、構わずやってしまいました。材料は、みんなあったものです。端切ればかり使いました。

 

 壁は、家が古いので土で出来ています。芯は竹を編んだもので、それに粘土を塗りこんで乾かし、最後に白い漆喰をかぶせたものですから、重さはあるし揺すられるのには弱いようです。農業用の箕(み)が落ちた土を入れて下ろすのに、大いに役にたちました。最後は天井裏に残った細かい土埃を掃除機で吸い取りました。

 仕事が終わって、ちょっとした達成感を味わいました。

 

 ジャガイモを植えるのに、たい肥、鶏糞、石灰、それにヨウリンを振っておいたのですが、この地震の騒ぎでまだ耕しもしないし植え付けもやっていません。まだ寒いので慌てず、ゆっくりやる事にします。

 別に蛇行しなくても良いんですが、耕したときにまんべんなくそれぞれが土中に混ざるかなと思って、遊び半分にやりました。緑色のがヨウリンです。これが馬鹿に値があがってしまったので、これからは買いません。輸入元の中国が輸出を渋るようになったとか。あるいは尖閣諸島の騒ぎのしっぺ返しなのか。

 


    生きがたき青春を過ぎて
              死にがたき壮年にあふ月光痛し   伊藤一彦

     http://www.youtube.com/watch?v=Qtp_R36KBPc


 


ウォーキングを始める

2011年03月23日 | Weblog


 大きな災害があると、新聞もテレビもラジオもその話題一色になり、他の話題を取り上げても、人の気持ちが付いていかないのか、関心を引くということがあまり無くなるようです。また、今度の地震のような災害が大きいと、普段なら面白いと喜ばれる番組もひんしゅくをかったりして避難の的にされますから、自粛しなければなりません。すると、やっぱり暗い話題が多くなり、不安と同情を買うものばかりになってしまいます。

 

 畑の青物は食べられなくなりました。ビニールをかぶっているものなら大丈夫ですかね。

 

 今年はスギ花粉が多いとか。私は例年はくしゃみがやや多いくらいだったのですが、今年は違います。眼のふちがかゆくて、何度もこするのでひりひりしてきました。メンタムを塗ったりして肌荒れの後始末をしています。クシャミは連続して出ます。マシンガンみたいです。

 写真は、雨のあと乾いたところに出来た模様です。これは花粉です。こんなに飛散しているんですね。だから私の首から上も悲惨な状態になっているんだ。飛散で悲惨。

 

 久しぶりに手を引いて、親子で歩けるうれしさにぃ~、小さい頃がうかんできますよおっ母さん~   おっと、あれは
東京だよおッ母さんでしたっけ。
 いや、あの、久しぶりにウォーキングを再開しました。食っちゃ寝の生活を余儀なくされていたので、健康が心配だったのですけど、これで気持ちだけでもひと安心です。

 じゃが芋を植えてありました。機械でやるととてもきれいに出来ますね。マルチの湖とでも言いたい風景です。

 


   春来てぞ人もとひける山里は
               花こそ宿のあるじなりけれ   藤原公任(ふじわらのきんとう)

             人もとひ = 人も問い = 人が訪ねて


                   


再開しました - 被害状況

2011年03月22日 | Weblog


 近い親類に不幸があったので休んでいましたが、久しぶりにブログを再開します。今日は天気が悪いです。昨日も悪く、うす寒くて雨がしとしとと降っています。今の雨はこの地域ではちょっと危険で、放射能を含んでいる可能性がありますので、できれば外に出たくないのですが、用事がないわけではないので仕方ありません。

 津波以後、問題となっている福島第一原子力発電所からは直線で我が家まで131kmあるそうです。どこかのサイトで、住所を入れると直ちに距離を計算してくれるところがありました。現在の放射能量を表示してくれるサイトもあるとか。気にしていたら切りがないのですが、気にしないと気になります。放射能が海の方に吹き流されるので、出来れば西風が吹くといいと思っています。

 東北地方の被害と比べたら、程度がかなり軽いですが、まとめて被害の写真を載せて見ます。

 

 雪見灯篭が倒れてしまいました。重くて直すことができません。割れたところはないようですので、あとで組み立ててもらおうと思います。 

  

 母屋は古いので土の壁が落ちてしまいました。ただ落ちるのではなく、下にあった人形ケースをこわしました。土なので、きれいにするのが大変でした。
 とりあえず主だったところを拾い運び出し、箒で細かいものを取り払ったところまでは良かったのですが、細かい粒子は停電なので、しばらくは掃除機で吸引できませんでした。

 新しい壁も随所にひび割れが見られます。

 

 このタイプの照明は、全部このようになっていました。笠が持ち上げられたと考えられ、縦揺れもひどかったことがわかります。

 

 裏の家では、漆喰と瓦の土塀が倒れ残骸が目立ちます。左端にまだ立っている部分が残っているのが見えます。物置の棟はこのようになってしまった家がかなり多く見られます。

 

 神社は灯篭が全部倒れました。特に、中央左の灯篭はかなり大きく、高さが5m以上あったものですが、壊滅しました。それぞれ石が大きく重いので手作業での片づけは限界があります。

 お墓は滅茶苦茶になっていました。

 今は、ガソリンがなかなか買えなくて、困っています。だんだん残り少なくなってきたので、タンクからガソリンを抜き取り、一台の車にガソリンを集めようと思っています。それが尽きたら困ります。それまでに、はやく買いやすくなってくれるよう、ただひたすらに願うだけです。

 行列して待って買っても2,000円分くらいしか買えませんので、買った人もすぐに行列しなければならないのではないかと思います。




 

 


屋根いろいろ

2011年03月15日 | Weblog


 今は福島県にある原子力発電所の事故がいちばん心配です。やっぱり人間には原子力はコントロールしきれないものだったようです。以前から、私はそう思っていました。不注意による事故、天災、変人の異常行動。そういうものに対しては我々の原子力に対する力は無力です。

 

 せっかくブルーシートで屋根を覆ったのですが、今日のやや強い風で剥がされてしまいました。まったくお気の毒です。素人にはせいぜいシートで覆うことしかできまないのに。ああ、非情。無情。

 

 どういう材質かはわかりませんが、たぶん瓦の形をした金属性の材質で作られたものが噴いてあるのだと思います。なんともないようで、こちらは安心。

 

 わが家は瓦の建物が五棟あるのですが、どういうわけか全くどれも被害がありませんでした。なぜなのか、さっぱり理由が分かりません。土が軟らかかったのでしょうか。

 

 今年は寒かったとは言え、最低気温は高かったのかもしれません。越冬した白歳に芽がでてきました。

 

 こちらは、脇の方からはみ出してきました。強い生命力。

 

 丸くならなかったものの方が強いようです。アブラナなどと同じように濃い緑色です。これも花芽を持っています。

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 早く事故がおさまると良いと思っています。私たちには思うことしかできません。被災地の皆さんは、はやくこの非常事態から抜け出られる日が来るようにと、願うばかりです。



   人間の社会なんてのは、うすい氷の上にたっているようなものだ。   Frosty   



不自由な三日間

2011年03月14日 | Weblog


 まず、ありきたりの言葉から。「 災害は忘れた頃にやってくる 」。 本当だ。忘れてはいないが、実感がない。交通事故も同じです。泥棒の被害も同じです。
 「 車に気をつけろ。」「 泥棒の被害にわないように注意。」 これらの警告に対して 「 はい、ハ~イのはい 」 なんて言う調子でしか反応していない。みんな他人事のように。だが、その被害に会った暁には顔は真っ青、気持ちはガタガタです。「 そーら見ろ」、と言われそう。

 

 地震が発生したときには、私は国道6号を走っていました。なんか横揺れがして車輪がワナワナワナという感じでした。「こりゃぁ地震だわ」なんて調子で走っていると、ますますワナワナ状態。電柱は左右に揺れ、電線は上下にびゅんびゅんゆれています。対向車のトラックなどはゆさゆさ倒れるのではないかと思うほど揺れているし、他の車もヒョンピョンワナワナ。もちろん全車がストップしていました。

 上の写真はわが家の石塀です。大谷石(おおやいし)と言われ栃木県宇都宮市大谷というところで取れる石です。もろいが重い石ですので、穴をあけて鉄筋を入れてもかえって弱くなるのか、鉄筋が入っていないので、このような状態になりました。どこも大谷石の塀はほとんどやられたようです。

 茨城県も津波が押し寄せ、近くの大洗町の低い所は海水がやってきたとか。しかし、わが県の場合は東北地方ほどではなくて、津波で亡くなった人はほんの数人とか。

 

 こんな状態で物が散乱です。「 めちゃくちゃでごじゃりまするがな。」 の口調は誰のか分かる方はいないでしょうね。  
    補) 「 めちゃくちゃでごじゃりまするがな。」  =  花菱アチャコの口癖セリフ
            だいぶ古いので知らない人がほとんどだと思います

 重いスピーカーがゴッツーーーンと床に落っこちたようです。床もさぞや痛かったことでしょう。どちらも大丈夫ではあったようです。

 母屋は60年くらい古いもので、壁が昔のままなので、一部落ちました。土なので、片づけに手間取りました。

 

 近所の瓦葺の屋根はほとんど被害を受けました。わが家では瓦葺の屋根は5棟あるのですが、幸いどれも被害を受けませんでした。受けたら雨の日が心配なことでした。

 さて、その後。

  地震直後は水道水が出方が細かったのですが、まだ出ていました。それで、すぐに水をためました。20リットルのポリタンクに二つ。1.5リットルのペットボトルに数本。
  手荒い水は、雨水をためておいた古いステンレスの風呂桶。蓄え十分。
  
  隣のおばちゃんが様子を聞きに来たので、二人に提案。いまのうちにコンビニで食料を調達。二人はすぐにコンビニに。たっぷりと食料を調達。買い終わったときには長蛇の列ができていたとか。

  なんでも早いもの勝ちのようです。気づくことが大切です。

  水も電気も来ない2日間。体は水冷摩擦の要領で行いました。冷蔵庫の冷凍食品は融けきれなかったので大丈夫でした。

  電気が来ないので夜はレースyのカーテンのみにして、外からの弱い光を便りに家の中を比較的楽に移動。要所にはロウソクを利用。もちろん懐中電灯も。

  小袋に携帯、小さな懐中電灯、ライター、財布などなどを入れ持ち歩く。

  それで、幸い、今までにコンビニやドラッグストア、ガソリンスタンドなどに行列は一回もせずに済みました。

  という具合で、水道は昨日3月12日。電気はいつからかはっきり分かりませんが、今朝の1時には来ていました。
 
  家を建てるなら、瓦はやめたほうがいいです。銅盤葺きが軽くていいですね。石塀も止めましょう。

話せばきりがないので、話はまとまりませんがこの辺で。みなさん、ご心配おかけしました。

 最後に、 東北地方の被災者の皆さん。謹んでお見舞申し上げます。


電気が復帰

2011年03月14日 | Weblog


14日夜中の1時に目が覚めたら電気が来ていました。みなさん、ご心配をおかけしました。電気が来ないのでブログの更新ができませんでした。

やっとニュースが見られます。各所の被害状況が初めてみられます。津波の様子が初めて見られました。これはすごい。衛星放送が見られるので、見ています。

ひどい。ラジオは聞いていました。比べたら私などは被害がゼロにひとしいです。

さて、被害ですが。大谷石の塀が崩壊。家は無事。屋根も無事。近所では屋根瓦かかなり落ちました。

屋内は物が散乱。だいたい片づけ終わりました。身体は私も奥さんも大丈夫。

水は地震後、少しずつですがしばらくでていたので、50リットル弱くらいは確保。手洗い水は古いステンレスの風呂桶に雨水をためておいたのでそれを使っています。これが大いに役立ちました。トイレは水洗はダメなので、手洗い水を利用。なお、貯蔵式外トイレもあるので、そこも時には利用。

食べ物は十分。それでも地震直後近くのコンビニで並ばないうちに買うことができました。しかし、電気が来ないのには困った。

いざというときには、ビニールハウス生活を覚悟していましたが、大丈夫でした。

spa

 


屏風ヶ浦

2011年03月10日 | Weblog


 近くにポストがないので、日本郵便にメールを出してポストを設置してくれとお願いしたところ、「現在設置の予定はありません」と冷たい返事。おいおい、誰の為の郵便事業なのかと問いただしたくなりました。「郵便は日本郵便の為の事業であります」と言う答が返ってくるんでしょうね。

 

 鹿島アントラーズのスタジアムです。「茨城県立カシマサッカースタジアム」と言うのだそうです。アントラーというのは「鹿の角」という意味です。鹿嶋なので鹿に因んだ名前にしたんでしょうね。

 応援に行って来たわけではありません。脇の国道50号を通っただけです。私は、サッカーの試合場のような騒がしい場所は嫌いなので、一度も見に行ったことはありません。

 

 神栖市(かみすし)というところの海岸に、ズラーーーーーーーっと風車が並んで立っています。いくつあるか分かりません。
 近くに鹿島臨海工業地帯 という大きな工業団地があります。

   

  千葉県の銚子という町に行って魚を食べて来ました。銚子は大きな漁港のある町です。醤油の生産でも有名です。

 

 銚子市にある屏風海岸。 犬吠埼(いぬぼうさき)という灯台で有名な所から南の方に長く続く絶壁があります。 

 

 長年かかって海岸が浸食され、絶壁が何キロにもわたって形成されたんでしょうね。

      

 移動したところは上記のとおりです。ピンクの線が移動した道。赤が風車群。 茶色の海岸線が絶壁のあるところです。
 銚子は利根川の河口に栄えた港町です。利根川をはさんで茨城県側には波崎港があります。

 風は冷たかったのですが、よく晴れていたので車の中は暑いことあついこと。真夏のような暑さでした。


    銚子は近くてもポストは遠い。不思議な位置関係。
    近くに漁港があるのにわざわざ遠くに。変てこな心の動き。
    ガラス一枚の外は冷蔵庫の中同然。ガラスの内側は八月の暑さ。
    帰宅したら腹を減らした猫が大騒ぎ。    
    
    


ふきのとう

2011年03月09日 | Weblog


 去年も同じようなことを言ったかと思いますが、本当に「春は名のみの風の寒さよ」と、そのままです。風の寒さどころか、風の冷たさよです。この試練を通り越さないと、あったかな春は来ません。そうは容易くは行かないんですね。

 

 いつのまにか、いくつもフキノトウが出ていました。黙って出るので、「出たよ~」と声くらいかけてくれればといつも思うんですよ。もっとも、見つかったら食べられちゃうので、それはないか。

 

 しかし、全体的にはまだこんな感じです。これが倒れ新しい勢いのある草が生い茂るには、まだまだ時間がかかりそうです。

 子どもの頃は、こういう風景はなかったです。こんな草が生えていたら、欲しい人ばかりいたものですから、たちまち刈り取られてしまいます。刈り取ったものは、茅葺き屋根の材料ですね。あるいは肥料にするとか。

 

 いつでしたか、古いセドリックの置いてある家で、こんどは古いクラウンがありました。古い車が好きなんですね。この型はマイナーチェンジを繰り返し、そうとう長い間売っていましたね。なつかしい。

 「 肘鉄クラウンさ~  」 なんて歌がありましたね。

 


    生まれきて息してゐるを〇(ゼロ)歳と
    言ふは失礼 数へなら一歳               伊藤一彦


      風が寒い風が寒い風が寒いよ~
      今日も歩く黙々歩く踏みしめ歩く
      五七五めちゃくちゃ廃句になりにけり
      フキノトウやっと出たかとむしり取り
      ウォーキング一万三千歩だから何