暮れ

2007年12月31日 | Weblog


 年末は忙しいのです。私はのんびりしていたいのですが、それでは家の中は汚いまま。なので、部屋の掃除やら何やらと動き回っています。暮れですからね。能率が悪くて空回りですけど、、。

  「早く過ぎてくれ」と思う年の暮れ  呆年

 酔っぱらいは飲んだクレ。新聞勧誘帰ってクレ。貸したお金を返してクレ。寒いから炬燵に入れてクレ。いたずら描きはクレヨンで、消すの大変やめてクレ。エジプト美人はクレオパトラ。シャレコウベ見つけたはクレ(暮れ)六つだった「野ざらし」落語。元気がないぞ青ぶくれ。などなど、いろいろなクレがありますね。

 子どもの頃は、どうして大晦日なんだろうと不思議に思いました。大きな味噌が置いてあるわけではないし、味噌の料理が出るわけでもないし、何で味噌なんだろう。味噌なんかより飴を食べたいと思っていました。

 ミソと言えば、ミソっ歯でしたね。年上の人たちが一緒に遊んでくれなくてミソッカスになったこともあります。あれは大ミソカとは、ソンナノカンケイナかった。友達にガッカリしてミソ(見損)こなったりしたときもありました。今は脳みそが心配な年頃です。ミソもいろいろありますね。世の中とても広いということが分かりました。

                味噌ラーメン

 昨日は一日中雨が降りました。連続ではなくて、降ったり止んだりです。朝のうちは、私の住んでいる班が神社を掃除したりお祭りの当屋をする班になっているので、神社の掃除をしました。およそ50人くらい集まりました。その時は降っていませんでした。

      なかよし

 その後は雨です。雷が鳴ったり、小豆大の雹が降ったりと、天気は荒れ模様でした。北の空を見ると、妖怪でもやってくるかのような、真っ黒い雲が押し寄せてくるのが分かりました。

 その晩は星空で~~す。カチカチに凍ってしまって、もうはぁ次は大変な朝でした。

     

 こ~んなに長い霜柱です。そして今日は快晴なので、いやはやどこからどこまでぬかるみになってしまって、すべって転ばないだけよかったな~、という状態です。

     

 クンタン作りを日の出と共にやろうと思ったら、なんと1cm位は雨がしみこんだのか、もみ殻が凍っていました。そいつを割って火をつけたのですが、そのあと次から次へと仕事があって、あっと気が付いたときには遅かりし由良の助。全部が井上さんになってしまいました。

 忙しいときには、やるもんではないですね。それでなくても忘れっぽいのに、、、。タバコを投げ捨てるのはポイ捨て。腹を立てるのは怒りっポイ。パが入ったらポパイ。くどくど言うのは愚痴っポイ。私の言うこと子どもっポイ。毒はポイズン。ポイもいろいろあります。

                 

 大晦日なのに、こんなこと考えていて良いのでしょうか。奥さんには内緒です。明日は来年なんて変な感じですね。忙しいところに手を出すとまずいので、無難なところで今からカレンダーでも交換しましょう。

 では、皆さん来年もよろしくお願いします。
 

                 

 補)井上さん

  http://blog.goo.ne.jp/classic555/s/%B0%DF%A4%CE%BE%E5
  をご覧下さい。 


アスパラの保温

2007年12月30日 | Weblog


 夏には、よくまあ飽きもせずに「暑い」という言葉を毎日まいにち連発します。冬はその逆で、毎日まいにち「寒い」と言います。言ったってしかたないのですが、ついつい気づいていても言ってしまいます。 晴れただの、よく降るだの、はっきりしないだの、その間には天気のこと言います。まずは挨拶は天気のことからでしょうか。

 わが家など、とても寒く作ってあるので、寒いときにはとても寒く感じます。南側はほとんど家の端から端まで掃出し窓になっています。西洋の家など写真とか映画で見ると、ほとんどがそのようになっていないで、腰高に窓がはめ込んであります。まず、それだけでも寒さが違いますね。

                  

   

 虫に喰われたのですが、なんとかキャベツだよと分かる状態で残っているのです。だめなので、鶏にやってちょうだいと言われているのですが、何とかならないものかと、まだ餌にはしていません。

 しかしまあ、何ていう食い方をするんでしょうね。モンシロ調子にのってこんな状態にしてしまって、、、。と、文句を言ってもしかたがない。少しは分けてやるべきかななんて、虫取りを怠っただけなのに、いかにも聖人君子のような言い訳をしているのであります。

 こんなキャベツでも、やれば喜んで食べてくれる鶏はとても偉いですね。食べ物に文句を言いませんからね。

   

 アスパラガスの霜よけには、今年はもみ殻クンタンにしてみました。理由はいくつかあります。

 まず、風でとばされにくい。もみ殻は飛ばされやすいので、その上になにか被せなければなりません。そのための資材が必要だし、被せたり取り払ったりの手間がかかります。

 次に、もみ殻の場合には春になったら取り除かなければなりません。それがあると、追肥をするのに邪魔です。もみ殻はそのままでは、水をはじいてしまい、肥料になりませんから。

 だた、保温力はもみ殻の方が良いのではないかと思います。物には長所と短所がありますから、全てに渡って良いというわけには行きません。今年はとりあえずこれにして、どんなものか見てみることにします。

                 

 徒然草の第五十五段に

  「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも
   住まる。暑き頃わろき住居(すまひ)は、堪へがたき事なり。」

 とあります。家の作りは夏向きに作るべきだ。冬は何とかなるもの。暑いときに、ひどい家は(暑くて)堪えがたいものだ。という意味でしょう。わるい家というのは、風通しなど悪くて暑苦しい家のことなんでしょうね。

 なので、私の家などはスースーして、とても寒く感じるのでしょうね。隙間だらけですよ。スースー庵とでも名前をつけましょうか。


    

 兼好法師が住まいのことを言っているのは、日本の夏は我慢するのが大変だからでしょうね。たぶん日本の気候は、冬は寒帯、夏は熱帯になってしまうからでしょうか。寒帯・熱帯が言い過ぎなら、亜寒帯・亜熱帯くらいになると言っても言いすぎではないような気がします。

                  

 なんか、数時間前に更新したはずなんですが、見てみたら更新されていないみたいで、同じようなことを二度も書いてしまいました。うかうかしてしまって駄目ですねー。確かにアップロードしたはずなんですけどね。しない家に電源を切ってしまったのかも、、、。トホホホホ。


きぬさや

2007年12月29日 | Weblog


 テンプレートを変えたのですが、どうも左の縦の欄が規定よりはみ出ているのではないかと思いつつ使っていました。それで、ちょっと不満だったので goo にメールを出してみたら、プロフィールの欄に長い文字列があるとデザインが崩れるとのこと。そこを修正したら直りました。しかし、私のディスプレイは横が短めなので、付随しているカレンダーのデザインが、はみ出る一歩手前くらいで納まっている感じです。奥さんの持っているパソコンの横長ディスプレイなら自然に見えました。
 
                  

 「恐怖」は英語で terror(テラー) です。これは別な読み方をすると テロ です。それに、~する人 という意味の ist と付けると terrorist となります。テロリストです。 テロはやめようよ。都合が悪くなると黙っテロと、消してしまうのはだめです。彼の国で流行っているこの方法は絶対に日本では流行って欲しくないです。

 同じ ist でも、バイオリニスト、ピアニストなんかになりたいですね。もう成れない。私はネムイスト(眠い人)です。

                  

   

 これは12月11日に載せたキヌサヤの写真です。かわいいね。

   

 こっちが今のキヌサヤです。あまり変わりませんね。育ちはいたってのろい(遅い)です。まあ、これくらいで良いのかもしれませんね。もう少し大きくなったら、ヒノキの枝先でも折ってきて簡単な風よけを作ってやろうと思います。風に振り回され、土に幾筋ものこすった円が出来るようでは具合が悪いですからね。


   

 昨日の薄い輪切りの大根は、こんな風になりました。中にユズが入っています。甘酢につけてあります。タクアンを食べるような音がするのですがタクアンじゃない。おいしいですよ。

   

 メロンパンにはメロンが入っていないんです。ジャムパンにはジャムが入っています。カレーパンにはカレーが入っています。そういう歌がありましたね。なるほどメロンは入っていません。でも、おいしいんですね。メロメロになるほどではありませんでしたけど。

      
 コラソン デ・メロン メロン メロン メロン ・・・
 

 今日は、ピザを食べて、マクドナルドのアイスを食べました。息子が休みで居ると食べ物が若返ります。こういうものは大好きです。

                

 テンプレートというのは、tenplate と書くのではなくて、template と書きます。意味は 「型版」 とか 「ひな型」、「定型書式」 などです。だから本当はテムプレートと書いた方がよいのでしょうが、そういう言い方はあまりしません。



しんみり

2007年12月28日 | Weblog

 早朝から、もみ殻燻炭作りを始めたのですが、何せ朝凪の時ですから、上昇気流も何もない時間帯なので、近所の空一帯を青い煙で覆ってしまいました。朝の失敗でした。憎たらしい隣人ならどんどんやってやりたいのですが、あいにくそういう隣人がいないので、意図的にはやれませんね。平和がいちばん。丁稚は荷番。三時のおやつはさつまいも。

     

 今日は忙しい日でした。朝から人が続けて来たり、やらなければならない仕事が次々とできたりして、気ぜわしかったですが、まあそういう日もあるんだろうと思って、たいして悩みもしませんでした。

 それどころか、餅を搗いたから持ってきたよと、一緒にイカの塩からも置いていってくれる友達がいたり。その塩からのおいしかったこと。その量が半端じゃなかったのです。だからと言って食べ過ぎてはイカん。気をつけなければ。

 また、別な人は自分で作った餃子をぎょうさん持ってきてくれました。これは、コックさんの作った餃子ですので、またおいしかったですよ。忙しくても、そういうことがあるから楽しいものですね。



                  ← 得意のマーク

    

 ソラ豆が元気にそだっています。自分で取った種が発芽したものです。こういうのはより嬉しいですね。うれしい・うれしや・うれしえすと。日本語を原級、比較級、最上級で表現してみました。

 穴を掘って体が熱くなって、hot・hotter・hottest。穴を、堀っと・掘ったー・掘ってすと。ついでに、疲れ・疲れたー・疲れてすと。

 ソラ豆の話があっちに飛んでしまいましたね。そらとんだことだ。少し発芽しなかったところもありました。それはそのままにするほかありません。春に蒔いてみようかなとも思っています。忘れそうです。忘れることに自信をもって自信あります。


    

 奥さんが、大根を干しています。これが乾いたら、お正月に何かをグルグル巻きにして、おいしいものを作ってくれるのでしょう。大根もこれくらいなら細身で食べやすいですけどね。で、細いと大根にならず、中根ということになります。大根も沢山できると、いいかげんになり、畑も大根雑。
  

    

 
 私のところにコメントを書いてきてくれたり、私も訪問して書いていた方、何人ものブログがストップしたままです。忙しくなってしまったのでしょうか。ちょっと残念ですね。寂しいです。皆さんお元気なんでしょうね。

 月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり とは、さすがに上手な文章ですね。その「年」も旅を続け、今年もおわろうとしています。そして、あと数歩で来年という新しい場所に旅の歩を進めるわけですね。しんみり。

  夜も更けてしんみりものを思うとき
         遠いむかしの日いと懐かし  御泉池

 あと数歩と言えば、駅から10mの所に何がありますか。

                  

 昨日のドライブの時の、残りの写真をここ
に載せておきました。ご覧下さい。

  補:答)
       10m = 1,000cm = センセンチ
        = 先生ん家(ち) = 先生の家でした


   

霞ヶ浦南岸

2007年12月27日 | Weblog

 
 はやく家の中に引っ込んでしまいたい寒さがあります。いつまでも外にいても平気な寒さがあります。たぶん、その時の気分や体の調子により、同じ温度でも違いがでてくるのではないかと思います。
 
 今のところは、毎日が外にいても平気な状態です。猫のように、竹やぶとかお茶の木の下の日だまりで昼寝をしたい時もありますが、あまり調子に乗ると風邪をひきますので、それはやりません。猫じゃないしね。それに、近所の人に見つかったら「とうとう。ねー。」なんて、誤解されますからね。まだモウロクには早い。モウロクに(もう、ろくに)寝ていないというのは事実ですが。

                   

 霞ヶ浦の南の方に行ってきました。道草ばかりしていました。途中の風景です。

  

 水戸の隣町の大洗(おおあらい)の海岸です。漁船が何艘もでていました。ここは砂浜が広いです。防波堤が伸びています。

  

 漁網の浮きです。以前は、ガラス玉が落ちていたのですが、今はプラスチックなので拾ってもつまらない。ガラス玉の緑とか青い浮きは、よく喫茶店などでオブジェとして飾られていました。

  

 ニャンパルさんが嫌いなアントラーズのホームグランド(コート?)です。おそらく鹿島スタジアムとか言うのだと思います。サッカーの扇子(せんす)でないので分かりません。これは鹿嶋市にあります。アントラーズのアントラーというのは、鹿の角のことです。「餡取らず」ではありません。

 奈良公演にいる鹿は、この鹿嶋から移したものだそうです。なにせ、この鹿嶋は藤原鎌足の一族の本拠地でしたからね。


  

 霞ヶ浦の南岸にある(と言っても岸から少し離れますが)大杉神社。ものすごく立派な社殿でした。びっくり仰天玉手箱。おおすぎぇー(おお、すげー)。← 苦しい

  

 本殿を囲う瑞垣(みずがき)には二十四孝の物語の彫刻がたくさん美しくはめ込まれています。これも素晴らしくて驚き桃の木山椒の木。

  

 国道の脇にあった、景行天皇の行在所(あんざいしょ:天皇行幸の際の仮の住まい)。景行天皇は、ヤマトタケルの父です。息子のヤマトタケル(日本武尊)は、はるか常陸の国まで平定するためにやってきて、帰りに伊勢の能褒野(のぼの)という所で死にますが、息子の歩いたところを見たくなり、はるばるここまで来て30日も滞在したと書いてありました。

 このあたりは、田んぼばかりです。丘があり、丘の上には工業団地があったり、競馬馬の大きなトレーニングセンターがあったりします。のどかな所です。

 ずっと南を流れている利根川の向こうは千葉県です。お昼は、潮来(いたこ)の道の駅で食べました。ナマズの天ぷらと、豚の角煮、それからサラダ二種類、ご飯にみそ汁。うまかったー。ナマズは珍しいです。



大汗をかいた日は気持ちがいい

2007年12月26日 | Weblog

 昼間に大汗をかいた日はとても爽やかです。午前中は土運びです。今日は軽トラ2台分運びました。午後は竹切りで、汗をびっしょりかきました。

 土運びのことを少しお話。隣の農家の畑が、こんど道路拡張でひっかかることになりました。それで、黒い畑の土は工事には使わないので、要らないから欲しいならあげると言います。それで、それじゃぁせっかくだからということで、すこしばかり運んでいるのです。

 道路拡張は、先に大きな団地ができるからです。残念ですが、私の土地はかかりませんでした。かかったら左団扇で暮らせたのに、、、。← 冗談 ← でも、少しは期待、、、 ← 親に怒られそう ← 明日、親の位牌に向かって謝ります。

                  

  

 その運んでいる土の一部です。これは軽トラ2台分の量です。山盛りにすると、重くて軽トラは苦しそうなので、あおり(荷台の囲いのこと)の高さくらいまでしか積みません。

 かなり肥料を含んでいるはずです。なので、ポットで種を蒔いたりするときに多く使う予定です。これだけポットに使ったら、畑じゅうポットだらけになり笑われますから、ポットの使用は自制しますけど。

 ポットと言えばハリー・ポッターはどうなっているんでしょう。この頃あの映画は見ていませんね。どの作も同じような感じがしてね。ポッターというんですから、ポットを作るひと、つまり陶工ですね。植木鉢でも作っていた人の子孫かな? 私の場合は陶工ではなくて投降ですね。誰にって? もちろん、ご飯を作ってくれる人にですよ。


  

 今年のアスパラ菜は蒔いた時と蕾が出来た時には、まだ気温が高かったので、蕾ができながら花も多く咲いてしまったので、あまり食べませんでした。それで、今の状態がこれです。菜の花のようになってしまいました。

  

 今朝の様子です。5時半過ぎころでしょうか。月は西です。寒かったですね。あの厳寒のなか、あいにくストーブの石油がなくなってしまったんですよ。しかたないので、物置まで給油に行きました。ネコちゃんがあとを着いてきました。毛皮一枚で四季を通しているんですから、猫はすごい。でも、猫が後をついてくるなんて、とても癒されますよ。かわいいと思いますね。

 
   茶香炉

 夜の散歩は団地に行きました。今は寒いので歩いている人は少ないのですが、団地の中は車の往来がほとんど無いので歩きやすいです。

 あちこちの点滅する飾りを見ながら歩きました。あれがあると、とても寂しくなり、夜の空気もよけい寒く感じます。その家の人にも見向きもされないで、ただひたすら暗闇の中で点滅を続けているんですからね。

 散歩のコースに「休んだり駆け足をしたりする店」が二軒もあるんですよ。つまり レスト(休息)ラン(駆け足)。これが困るのことです。あのイタリアンの香りがプ~~~~ンと匂ってきて、、、、。スパイスの香りが何ともねー。 つらい。・・・ スパゲティかピザでも、、、。ダメッ  ガクッ。
 
 ドボルザークの「スラブ舞曲第10番」を聞いていると、しんみりとして、遠い昔に失った記憶がよみがえって来そうな感じがします。

くりすます

2007年12月25日 | Weblog


 クリスマスの頃は冷えると言いますが、本当に寒いですね。テレビを見ていると、クリスマス・クリスマスとあっちでもこっちでもやってますが、まあ毎年の冬のこの季節の一つの楽しみ行事なんでしょうね。

 信心深い外人が見たら理解にクルシミマスですね。クリスマスなる語を分解すると、クリスト、つまりキリストとマスという語になります。マスはミサのことです。ミサはどんなものか、信者でないので詳しくは私には分かりません。祭日という意味はあります。キリスト降誕祭ということなんでしょうね。

 Xmas と書くのは、キリストのことをギリシャ語で、 Xristos と書くので、最初の文字 X と mas くっつけた略字です。X 'mas とか X-mas と  とか  を入れて書くのは間違いです。これは英和辞典で、かつて音節をはっきりさせるために付けていた記号を、正式なスペルだと勘違いして、広まってしまったせいです。

 音節というのは、母音を含む一連の短い区切りです。Christ で、イ という母音が一つの一かたまり。mas で、ア という母音のあるひとかたまりです。ですので、二音節の単語ですよという意味で、X 'mas または X-mas と、見出し語に表記されるわけです。その親切な表記が誤解され、流布してしまったということです。それで、今はその誤解を防ぐために、たぶん全部かほとんどの英和辞典には、Xmas と表記されているはずです。

                   

 クリスマスをどうすごすか、チャンスのない若者たちはクルシミマス。どんなチャンスなのか私にはわかりませんけど。私はクリスマスであろうがお正月であろうが、節分であろうが、とにかくチキンとかケーキが食べられれば、それで大満足なのです。イルミネーションも、ろうそく(仏壇にともすのではないのだからキャンドルと言いなさい と言われそう:南無喝囉怛那哆羅夜耶:ナムカラタンノトラヤーヤー)も、樅の木も要りません。ただただおいしいものを、、、、。

 お金がなくなっちゃった人のクリスマスは、「ジュングリ減る ジュングリ減る 苦しいな~ 越すに越せないお正月  」 となります。

  大晦日こえたら坊さん二人いた  (和尚がツー)

 何とかやりくり出来るひとは、「繰り済ます」です。考えてみたら、いろんなクリスマスがありますね。


  

 蒔く時期を失ってしまい、かなり遅くなってから蒔いたのですが、小麦がぞっくりと発芽してくれました。芽が出てくれてタスカッター。インドにある町カルカッタ。あなたの体重オモカッタ。重さが話題でヒドカッタ。あなたの言葉はイタカッタ。梅干し種はカタカッタ。今日は曇りでサムカッタ。・・・ もう止します。

 本当は沢山つくりたいのですが、それにはスズメの害を防ぐために、かなりの量の防鳥ネットをかけなければならないのです。それがとても大変だから少しにしたのです。その時期になると、スズメの舌を切ってやりたくなります。いや、それどころか焼き鳥にして食べてしまいたい。すずめ焼きですね。舌は塩タンになります。ちっちゃいので、いくら食べても食べた気がしない。食べタンない(食べ足りない)。


  

 隣のおばちゃんがニンジンを持ってきてくれました。ひとまず、猫の爪研ぎの脇に置いてありました。猫は迷惑ですね。文句は言いませんけど。ニンジンはたべませんね。それで新しいことわざ。「猫にニンジン」

 もらうのは、これで終わりではないのです。第二弾がそのうちにまた来ると思います。ですので、これを煮て食べたって限度がありますから、ジュースにして飲みます。これがまたおいしいんですよ。そして、絞りカスは鶏が喜んでたべるという構図になっています。100%が有効に消化できるということになっています。

 ジュースにしない場合は、ニンジンの炊き込みご飯に、ニンジンのみそ汁、ニンジンの漬け物に、ニンジンの炒め物、ニンジンのサラダに、、、。もう止します。

 ですので、わが家ではニンジンを作る必要がないのです。作っていても、もってきてくれるのです。ありがたいものです。ニンジンをたくさん摂取するので、朝日や夕日を見ると赤く見えるのです。馬のように顔が長くなったり、うさぎのように耳が長くなったりはしませんね。

   

 AM7(午前7時)や PM5(午後5時)なんて書くのも英語では間違いです。7 A .M.とか 5 P.M.となります。ドットが入ります。または 7 a.m.とか 5 p.m.と、小文字でも良いです。

 かなり前に、テレビで 11PM(イレブンPM)という番組をやっていましたが、あれは正しい言い方ですね。ドットは入れてなかったような。入れてたかな?

 映画で PM5 なんて表示してあるデジタル時計が出たのを見たことがありますが、たぶんあれは表示の仕方から見ると、日本製の時計なのかなと思いました。

 面白いのは、午後5PM なんて書いてあるポスターがありましたね。和訳したら、「午後午後5時」となってしまいます。午後を強調したかったんでしょうか。

 まあ、そういうことで寒いですね。冬ですから。


いそがしい日

2007年12月24日 | Weblog


 今日は忙しかったですよ。まず、午前中は神社の役員の作業奉仕、午後は演奏会、そして夜は忘年会です。

 まずは、朝の畑の様子から。  

  


  

 朝日に照らされて土の温度が上がり、蒸気が上がっている様子です。きれいだったですよ。まだ近所では深い眠りのようでした。この幻想的な風景を見ないとは、、、、。天気が良いと、体も躍動してくるような感じです。いろいろと仕事をしてしまいました。楽しいですね。

                   

 午後の演奏会は、高校の同窓の一人が、何とかという会社の社長をしているのですが、その彼が茨城交響楽団というクラシックのオーケストラの団長をやっています。それで、そちらから招待状が来たので、友達を誘って聞きに行ってきました。

 私の奥さんは奥さんで、職場の人が吹奏楽団に入っていて、その楽団の演奏会がこちらと重なってしまったので、奥さんも友達を誘って聞きに行ったという訳です。ややこしい。


  

 演奏はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」です。神田ひまわりという講談師が来てストーリーを語り、オーケストラが演奏という組み立て。写真で分かりにくいかも知れませんが、袴をはいてお辞儀をしようとしている人が、神田うの、じゃなかった、ひまわりさんです。語りをするときには、ステージの左隅で、座って机を例の扇のようなもので、パタンパタンと叩きながらお話をしました。さすが語りはお上手。一粒300メートル。グリコのマークです。万歳。

 音楽は全曲を演奏。ストーリー付きなので、何倍も楽しく聞けました。弦楽器がかなり多かったので、厚みのあるとてもきれいな音色が聞けました。演奏は、音がはずれるということは一切無くて見事なものでした。

  

 アンコールは、NHK水戸児童合唱団が一緒にクリスマスソングのメドレーです。この合唱団は、「くるみ割り人形」でも、第一幕でもオーケストラと一緒に歌いました。

  

 アンコールの二曲目は「きよしこの夜」をお客さんも一緒に、、、。お客さんは上手でないので合唱のレベルまでは行きませんでしたから雑唱です。指揮者は赤い服やら帽子やらを用意して、自分でも盛んに大きな口を開けて歌っていました。もちろん、かわいい合唱団も一緒です。この合唱団が加わると、ぐっと厚みが増します。くるみ割り人形と言い、アンコールの曲と言い、今日の演奏はクリスマス特集でした。

                  生き残りのチキン  

 夜は6人で、近所の赤提灯で忘年会です。いろいろと為になるやらならぬやら、世間話をそれこそたくさん聞いてきました。たまには、こういうのも良いですね。

 とても充実しすぎていた一日でしたね。朝のうちに調子に乗って、もみ殻燻炭を作ろうと思って火を付けたのですが、その後始末ができずに、燻炭は燃えてしまって、灰になってしまいました。


  


雨あがる

2007年12月23日 | Weblog


 私は、朝日新聞をとっていますが、ときどきライバルの新聞販売店が勧誘にきてうるさいです。「うちはずっと朝日だ。」と言ったら言うことに事欠いたのか、「変わってますね。」と人を傷つけるようなことを言ってしまったので、帰ってもらいました。「言われる筋合いはねえよ。」とは言いませんでしたけどね。腹もたちませんでしたけど。「失敗した~~。」と思ったんじゃないかなと思っています。こちらは時間がもったいない、早く帰ってもらえば何でも良いです。

 時は金なり 一瞬の光陰軽んずべからず 

 朝日にしている理由は、本の広告がよくでているからです。書評は毎日がいちばん量が多いのだそうですね。朝日の体質はあまり好みません。なのに取っている。なるほど、勧誘者の言うことは当たっていますね。

 「天声人語」も、途中まではけっこう面白いです。為になることが書いてあります。でも、途中からはすぐに政治の失態などの話になってしまい、世の中のうまくない部分をチクリと刺すようなことに話が進んでいくのです。

 最初の部分、つまり導入はそこに行くための誘い水みたいなものです。なので、そのおいしい誘い水の所だけをよんで、「やっぱり、そこに話を持っていきたいのか。」と分かったら、そこまでで終わりにすることが多いです。その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)。


                

 午後は晴れるでしょうという天気予報でしたが、ピタッとあたりその通りになりました。予報士はやったと思ったことでしょう。祝杯ものです。そしてエールを、ヨッホーなんてね。恐れ入谷の鬼子母神。


   

 午前中の写真です。降っていては日向ぼっこができません。椅子もテーブルもさびしそうです。まあ、こんな日があっても良いのではないでしょうか。恵みの雨ですよ。雨に濡れて露恐ろしからず。

   

 かなり降ったのに水は溜まりませんでした。この冬は今のところは土運びをやっているので、掘れません。もう、土運びも穴掘りも、いい加減にしようかなとも思っています。砂の層まではまだまだありそうですからね。2mくらいになると、土を運び出すには、いちいち梯子を上り下りして持ち出さなければなりませんから、とたんに能率が落ちます。もう一人いると良いんですけどね。山のあなたの空遠く。あなちがい。

    

 おととい、ニンニクの写真を掲載しましたが、あまりにも霜にあてるのも心配なので、不織布で覆ってみました。これなら霜にあたるのは避けられるかも知れません。ビニールを使うトンネルにすると、暖かくなりすぎるかなと思います。霜に当てすぎ「しもた」なんてことないようにね。


   

 天声人語は英語では vox populi, vox dei です。これは英語というよりラテン語です。vox は声。populi が 人民(people)、 dei は神様です。「民衆の声は神の声」とでも言えるでしょうか。


冬至

2007年12月22日 | Weblog

 本を読んでいたら、仏滅というのは元は物滅で、友引は伴引だったそうです。伴(とも)に引くで引き分けの意味だとか。また、あるサイトによると、中国から伝えられた時には、大安、留連、速喜、赤口、小吉、空亡だったとか。

 となると、何だか信じてよいものなのかどうか考えてしまいますよ。でも、まあ今あるあの先勝とか先負などには、何か信じさせる要素もあり、それはそれとして受け入れれば良いのかなという思いもなきにしもあらずのような気もするししないでもない。と、かなり曖昧なことしか言えません。

 いろいろな暦やら占いやらがあって、そういうものを全部取り入れて生活していったら、動きが取れなくなってしまいますね。でも、田舎では旧態依然として仏滅と友引だけはこだわっています。それくらいなら、まあいいやと思っているんでしょうね。私のそのひとり。

                  

 それとは少しずれますが、今日は冬至。卒業式に送る言葉に対して言うのが答辞。温泉でゆっくりは湯治。京都駅近くにあるのが東寺。あの頃は当事。酒造りは杜氏。「とうじ」にもいろいろあります。

 すぐに話題がそれて行くので、軌道修正して話はお風呂に行きます。それで、お風呂にはユズが入っていました。だから何なの? でも、そういう習慣ですから、ガチガチしないでユズりましょう。

 カボチャも食べました。もちろん自家製のカボチャです。これも古い信じごとの一つですね。パンプキンでは駄目なんですね。カボチャで無くてはね。それも本当は「カボチャ」でなくて、「かぼちゃ」が良いんでしょうね。

 明日では遅いんです。六日の菖蒲・十日の菊です。明日だって何も変わることがないと思うのですが、明日ではだめなんです。外人に「ドーシテ?」と聞かれたら、尻に帆かけて一目散に逃げるが勝ちです。外人は「ドーシテ?」が大好きですから。

   外人のドーシテたびに脂汗 
       ドーシテなしでしゃべりたいのに 

  
   

 こんなものを作ってくれました。ほとんどが自家製の材料なので、おいしさは何倍にもなります。こういうものが出たときには、どうしてもお代わりをしてしまいます。少し鍋に残ったら、必ずそれは残さないようになります。ドーシテ? あ”ーーーーーっ 


 これを食べていて思いついたのですが、

  ハヤシライスのライスをとればただのハヤシ
         ビーフシチューとどこがちがうの?

  あんパンのあんはパンの中にあり
         パンの外にはドーシテないの?

  ごはんにカレーかけてカレーライス
         カレーにご飯をかけてライスカレー?


                   


  

 説明がないと分からない写真です。これはある朝の霜柱です。なぜか、こういうのを見ると、サクサクと歩いてみたくなるのですが、それは私がまだ子どもだからでしょうか。

 サクサクと踏むのは霜柱 噛むのはかっぱえびせん

 サクサクと霜を踏むたび思い出す
       あの頃食べたかっぱえびせん


  

 日本は文化の吹きだまりですね。東の文化はだんだん普及してきて日本にたどりつき、現地ではとっくにそういう文化が無くなっているのに、日本では盛んであるというような事が多いみたいです。

 西洋の文化も日本に波及してきて、これまた日本で花開き西洋ではもう廃れてしまっているというものもあるとか。文化は辺境で満開になるものなんですね。

 そんなことを考えると、様々な暦などがあり、それによって生活が少し左右されるということもありますが、全体を考えるとすばらしい国であるように思えますよ。

 

良いニンニクを作りたい

2007年12月21日 | Weblog


 人の知恵は、積み重なって次第に高い文化が出来上がっていきます。しかし、積み重ならないこともあります。人知れず貴重なものがボツになってしまうこともあります。それは後継者がいなかったり、せっかく良いものができても、世の人に知られないままで、その人あるいはそのグループが消滅してしまう場合です。

 壊れたり燃えたりして伝わらなくなってしまうことも多いです。また、時代が変わり人の関心がなくなってしまうと、いとも簡単に滅びてしまう文化もあります。そういうのは、一種の絶滅種ですね。でも、生物は絶滅すると、遺伝子の操作で復帰させられない限りは、二度とは現れないですが、こちらは記録さえあれば、あるいは覚えている人さえいれば、何とか復帰できることもあります。

 野菜作りも、きちんどメモをして残しておくと、自分自身の中でも積み重なりが大きくなり、もっと良いものが出来るんでしょうね。行き当たりバッタリだから、さっぱり積み重なりません。駄目ですね。


  

 今度こそは良いのが出来て欲しいなと思っているニンニクです。追肥をしました。でも、もっと必要なのかもしれません。ただ、「過ぎたるは」という言葉もありますからね。特に肥料の多すぎるのはまずいのだそうですから。そのへんの加減が分かりません。

 植える際には堆肥をたくさん。追肥は11月と2月に化成肥料。液肥も可。と書いてある
サイトがありました。それに従ってやっています。


  

 ハウスのビニールを張り替えようと思って、脇を掘り終わりました。側面に張ってあるビニールは下の部分を埋めてあるので、ビニールの交換をするときには、掘り起こしてからでないとはずせません。

 しかし、ここにきて忙しくなってしまったので、いずれにせよ暖房はやらないのですから、いっそのことこのままにして、来春になってからにでもしようかということになりました。ここまで掘ったのに、、、、。でも、一仕事減りました。ホッ。


  

 毎朝、雲の具合が心配です。曇ればつまらない寒い日になってしまうし、降っても寒くて困ります。ただ晴れて欲しいだけです。なんでも、今度の土日は雨になるとか。

 でも、こういう可愛らしいお姉さんにソフトに説明されると、「まあいいかぁ。」ということに、、、。バカだねぇ  。それにしても、まあ天気のことですから、天まかせですね。運を天に任せるのですから、運天です。ハンドルがない。ブレーキもない。オイル交換も無し。車検も無し。費用はかからないですね。初めて気が付きましたよ。

 那須の話を
ここに掲載しておきました。ご覧ください。


  


那須へ

2007年12月20日 | Weblog


 木曜日は豆腐屋さんが来る日です。豆腐二丁と、アブラゲと厚揚げ(生揚げと言っています)を数枚ずつ置いていってもらうのですが、他にいろいろと食べ物はあるので、いつまでも煮物が残って飽きてきたので、豆腐二丁だけにしてもらうことにしました。豆腐なら、昼飯時にそれだけで一丁は軽く食べられますからね。

                    

 昨日は、隣の畑が一部道路拡張にかかってしまうので、黒い土をもらって運びました。午前中は一輪車で十数回運んだのですが面倒になり、午後は軽トラで運びました。土いじりはとても体に応えますので、いい加減にして止めましたが、全然疲れもせず、かえって運動をしたあとのような爽快感が残って気分が良かったです。今日も全然疲れた感じが無くて何ともないのは嬉しいです。 

 今日は、ひとりで   じゃなかった、那須までドライブ。ところが、どうして間違ったのか、北に向かうところを西に向かってしまったのです。車にETCをつけているので、たぶん高速道路が私を呼んだのでしょう。しかも時間帯サービスで料金は半額。ラッキョウ、じゃなかったラッキー

 それで、そのまま西向いて行ったら新潟県に行ってしまうので、三角定規の二辺を通るような具合になってしまったのですが、しかたないので途中から北に向かいました。いつもと違う景色が楽しめました。また、たぶんそのせいで交通事故に遭うはずだったのが遭わなくて済んだのかも知れません。

 いま、そういう番組を見ていたので、そう思っちゃうのかも知れませんね。 たぶんそうでしょう。 予知能力のあるというテレビに出た外人は、世界貿易センターに飛行機がつっこむなど、数々の予言をしているとか、、、。

 私の予知も確実です。明日の朝は間違いなく腹がへっているだろうとか、猫はニャーと鳴き、犬はワンだろう、ツーとかスリーとは鳴かないだろう、という程度の予知ですけど。もっとも、犬も遠吠えをするときには、フォーフォーに似た鳴き方をしますね。あくびをしたときにはナインなんて発音に近いですよ。


  

 この、那須というのは、あの源平・屋島の戦いの時に、平家の舟の上の扇の的を、矢で射落とした那須与一(余一)の古里である那須です。11男で与(余)一だったとか。(本当は 11 は 十一 と書きたいのですが、プラスマイナスと見えてしまうのですよ。)

 武士(もののふ)の矢並つくろふ籠手(こて)の上に
            霰(あられ)たばしる那須の篠原
                        源 実朝


 那須も山の近くになれば、今でも原野の状態の所があるくらいですから、当時は人の手はあまり入っていなかったはず。那須一族の支配していた地域は、もっと山から離れた低い地域で那珂川周辺です。


  

 正面が那須の茶臼岳あたりです。このあたりは広いですよ。東北道は矢板という町の北のあたりからです。車が少ない。空には雲があったりなかったりでした。運転するのが楽しい日でした。ここを時速 km(ちょっと具体的な数字は秘密です)で、デジカメをちょいと、、、。パチリ。

   

 だんだん近くなってきました。先日は紅葉の時期だったので、道路が混んでいましたが、今はスキーにはちょい早い時期だったせいか、車も少なく道路際にたくさんある店も活気が無くて、いかにもオフシーズンという感じがしました。すそ野は、まだ雪はありませんでした。

  

 妹夫婦が借りている畑から見た茶臼岳(那須岳)。左端と右端に稜線がうっすらと写っていて、山頂は完全に雲の中で見えません。いかにも吹雪いているという光景でした。その上は真っ青な青空でした。

 私の頭の中の空白の部分は、たぶんこういう青空のようになっているのかも知れません。青空を見るととても嬉しくなりますから。空白ではなくて、空青ですね。それにしても、お昼にご馳走になったハンバーグ(私の大好物)はチョーおいしかった。

                 


  

 下仁田ネギを焼いてもらいました。太くて甘くておいしかったですねー。まだまだありますから、もっと食べられます。これを串にさして、ネギとネギの間にはレバーなどは刺さっていると、もっとおいしいかも知れませんね。でも、最初はネギだけを味わうというのが筋でしょうね。もちろん、最初のひとつは醤油なしで食べましたよ。



時間はとまらない

2007年12月19日 | Weblog

 働いていても、昼寝をしていても、食べていても、息をしていてもいなくても ←苦しいー 時間というのは過ぎて行きます。

 ニュートリノという太陽から放出される物質は、あらゆる物を通り抜けて宇宙のかなたに飛んでいくそうで、これも止めることができません。よく止まるのがわが家の時計。私の記憶もストップすることがあります。思い出すのに一時間を要することもあります。

     

 時間もニュートリノも止まらない。かっぱえびせん も食べ始めたらやめられない止まらない。ニュートリノはどうでもいいですが、時間がしばらく止まっていてくれると良いのにと思うことがあります。逆のこともあります。

 かっぱえびせんは、どうして かっぱ なのでしょうか。

調べたところ、
http://www.calbee.co.jp/kappaebisen/history/anime.html に、その誕生の話がでていました。

 かっぱはともかく、もし時間が戻せたら、悪いことは全部ばれてしまいますね。死人は生き返り、墓から出られなくて、地下から「おーい出してくれー」なんて、あちこち聞こえてくるのではないでしょうか。食べ物は畑に帰ってしまいます。畑のキャベツは種になってしまいます。種は食べてもおいしくない。いろいろと都合のよいこともあるでしょうが、私など都合の悪いことばかり暴露されてしまいますね。やっぱり止まらない方が良いかも知れませんね。


   

 その止まらない時間が経過して、大河ドラマ「風林火山」はおわってしまいました。少し無理をしたところがあり、話の流れがぎくしゃくしていたところもありましたが、参考になることがありました。

 全く違うように描いた部分もあるみたいです。劇ですからね。板垣信方と言う、偉い武将が戦いで勇ましく死ぬ場面がありましたが、実は不意打ちにあい、全軍壊滅状態になってしまったのが本当のようだ、なんてことを大学の講座で教わりました。

 「たぶん、役者が千葉真一だから、かっこよく死ぬんじゃないですか。」と先生が言っていましたが、そのとおりに格好良い死に方をしましたね。


                

 朝から曇っています。寒いです。太陽が元気ありません。こういう日は昼寝に限るのですが、そうもしていられないので、土運びなどをやっています。一輪車で10台以上は運んだでしょうか。体が温まり、お昼ご飯がおいしい。そして、その跡はねむ~~~くなってきました。

  

 不織布で覆いきれなかったキャベツは、使い古しの防鳥ネットを被せました。この方がどれくらい大きくなったか見ることができます。もう、前回に作ったものは無くなったので、これが出来るのを期待しています。


   

 野菜と間違われそうですが、これはフユシラズという花です。

 冬の田舎は時間が止まったような風景です。華やかなところがなく、木々は木の葉が落ちて枯れたようになり、常緑樹は黒く見え、つまらない風景です。この辛い時をなんとか我慢して通り過ぎたときに、パッとあかるい春が来るんですね。

外出もまた楽し

2007年12月18日 | Weblog

 一日家に居ることができる日もありますが、今日のように用事が出来て、出歩かなければならない日もあります。まあ、それもちょっとした刺激になって良いかなと思いますが、あまりにも義理ごとが多いと疑問に感じてしまうものです。

 午前中はその義理ごとで出かけ、午後は中学校の学校評議員という役を仰せつかっているので、今日は学校に呼ばれて校長と一時間くらい話をしてきました。学校全体が一丸となって一生懸命にやっているのが分かり、頭の下がる思いがしました。

               

 帰り道は、子どもの頃からの癖で道草です。むかし、子どものころに、道路の轍(わだち)のあいだ生えた草、これを道芝といいますが、これを結んで、通る人がそれにひっかかり倒れるの期待して、よくいたずらしたものでした。ひっくり返ったのをみたことがないですけど。

 それで、道草をしたのですが、今日は古本屋さんに寄りました。と言っても、私は他には電気店とホームセンターしか寄るところがないのですが、、。そこでポップスとジャズのCDをあわせて3枚買ってきました。クラシックは気に入ったのがありませんでした。それに105円の本を一冊。


  

 しばらく楽しめます。この丸谷才一という人の本は面白いです。私が想像できないような面からぐりっとえぐるような見方をするんですね。別なテーマでも、こういう「~とは何か」などと名のついた本はいくらでもあるのですが、この作家のは「あ、その手のネ。」なんて思っちゃいけない。ちょっと手にとって最初の部分を読んでみると、なかなかどうしてユニークなアプローチであるような感じがしました。茶川龍之介じゃなかった、あれは「三丁目の夕日」に出てくる、いつも芥川賞に落選ばかりしているビンボー作家だった。そじゃなくて本物の芥川龍之介の言葉から始まっているのです。

 川龍之介が川賞をねらってる? おもしろい設定なんですよ。菊池 寛賞は 菊 痴漢 がねらっているとか、、、。ライバルは 与謝内科折檻 だったりして。

                 

  

 ほうれん草です。右が最初ので、次の二列がその次に作ってあるものです。このあとは種を蒔きませんでした。理由は簡単です。隣からもらうからです。出荷もれのがそれこそ沢山あるので、どうせくれてしまうので、私の所では作ってもしかたないというわけです。

  

 大根の煮物のやうなもの 好きな年になりにける、です。何かと言えば大根や白菜が入っているこの頃です。「おかわりちょう大根。」「寒いな。ブロッコリーと体がふるえてクシャミが白菜とでてしまった。」 隣では「ゴボゴボ」など咳をしている人が、「こまつ(た)な」、 「そのスルメ油菜あかんよ」、「それ苦手、キャーべつにして」、「それなら私にちょうだいネ」 なんてね。いつまでやってんだと怒られそう。


  
    12月はじめ わが家のもみじです

 昨日の竹の枝の払いかたですが、少々補足します。 の切り込みは斜め30度くらいが良いかもしれません。水平では刃がすべってあぶないことがあり、あまり角度をつけすぎても切り込みができません。また、大石の息子(↓)を入れすぎると逆に枝を切ってしまい、あとの始末がたいへんですから、ほどほどにですね。 ( 大石内蔵助の息子は主税つまり ちから )

 補)与謝内科折檻 与謝野鉄幹のパロディです 

               
    
ここにお話を載せておきました。ごらんください。



薄日の日は寒い

2007年12月17日 | Weblog


 晴れていても、薄雲が全体に広がっていると寒いですね。風がないのが幸いしています。部屋の中にじっとしていては寒くて、ついつい暖房器具に頼ってしまいます。と、費用もかかりますから、自分を燃やせば良いということになります。穴掘りなんかはいいんですけどね。滅多掘りっく症候群です。

 つまり仕事です。さて今日は何をやるか。やることばかりありますが、中でも大変なのが裏山をきれいにすることと、竹の伐採です。どちらも根気が要る仕事です。なにせ、やってもやっても量が多くて進みませんからね。

 今日は竹を切ろうと思ってとりかかりました。伐るだけなら簡単です。ただ倒していけばよいのですから。ところが、これを運び出して枝を取り払うのが面倒なんです。

  

 ここに写っているのは、仕事はじめの頃のなので数本ですが、とりあえず20~30本切り出しました。笹は燃えますが、一時燃え上がるだけで、火の持ち具合は極端に悪いので、ほったらかしておくとすぐに燃え尽きて火種がなくなり消えてしまいます。なので、沢山ためてから燃やそうと思っています。

  

 枝を払うのは、最初にナタの刃で の方向に向けて傷をつけます。それから、ナタの背で の方向から強く叩きます。するときれいに取れます。の作業を抜きにすると、枝と一緒に皮が長くはがされて、汚い仕上げになります。


  

 枝を払ったものは、邪魔にならないようにこんな風にして、しばらく立てておき、ここから適当な長さと太さのを選び仕事に使います。これから、ここにはかなりの量の竹が立てかけられる予定です。

 このたけたてかけにくいけどたてかけた

 たけをたてかけたたてかけたたけを

口がたけたけけけけたたた となってしまいました。速く言うのは難しい。

                

 昨日はビワの話をしたら、いま花が満開だよというコメントをいただきました。それで、わが家の実の生らないビワを見たら花が咲いていました。

  

 花が咲けば実が生る可能性はありますね。今年はビワのみが食べられるかもしれません。

 七つ八つ花はあれどもビワの木の
       実の一つだに生らぬ悲しき   老うた同感


    

 木の大きさはこれくらいです。「生らないと切っちゃうぞー。」というと生るものなんだそうですね。たぶん、言ったかも知れません。聞こえたんでしょうか。
              

 琵琶湖周航の歌

  われは湖の子 さすらいの
  旅にしあれば しみじみと
  のぼる狭霧や さざなみの
  志賀の都よ  いざさらば