外の風景をみると暗い気持ちになりそうです。そんな殺風景そうな景色。そして、強い冷たい風。さぶいのお。ああ天よおまえは無情・非情・薄情。見るのも鬱情。
さあてと、天気なんかは天に 「 明日はぜひよろしくね 」 とおまかせしてと。天気なんかにいちいち合わせてなんかいられるかという気持ち。
休耕田の中に子猫が散歩していました。ずいぶん前の話ですが、NHKテレビで何の番組だったか、偶然見たのですがその中の話では、動物でもなんでも子供は見てかわいくできているのだそうです。同族から虐待されないようになのでしょうかね。みんなで守ろうという気持ちを起こさせるためなのでしょうか。
人間は、人間を越えて動物や、爬虫類など - となると人によりけりかもしれませんが - 可愛く感じるように出来ているようです。
なのに、わが子を虐待する実の親があるとは。私にはまったく理解出来る範囲の外のことです。私が単純なせいなのでしょうか。もし単純なら単純で大いに結構なことですワイ。
街を歩いていると、こんな場所がいくつもあります。地震のあとの復興ができていないんですね。たぶん、手が回らないのだと思います。屋根などさっぱり修理が進んでいませんからね。
地震があったからと言って、にわかに職人が多くなるわけではないし、材料だってそんなにたくさん普段から揃えてあるわけじゃなし。誰だって一番早く直してもらいたいし。
うまく職人に頼めたところでは、あっちこっちで旧市内の古いビルなど、壁をなおしたり骨組みだけにして、内外装をまるっきりリフォームしているところもあったりとやっていますね。
チンゲン菜です。雑草の子供も育ってきました。やっぱり雑草でもちっちゃいのはかわいいですね。でも、そんなこと言っていたら、も少しした暁にはでっかくなって、アッカンベーをされますから、ちっちゃいうちにむしり取ってやりたいですが、とてもやりきれない。
この花は大好きですね。パッと輝くように赤く開いて咲いていますからね。上を見ると灰色の雲。地面をみるとこの赤い花。今日は 「 下を見て歩こう~ 」。 あっ、見たくない雑草も下にあるんだっけ。
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朝ごとに我がみるやどのなでしこが
花にも君はありこせぬかも 笠 女郎(かさのいらつめ)
毎朝家で見るナデシコがあなたであってくれたらいいのに
あるこす = あってほしい こす = 〔 他のものへの希望 〕
廃 句
東かぜ寒きさつきの晦日なり
東かぜ吹くな西風吹いてけれ 放射線は住人のいない海の方へ
バタバタと屋根のブルーシート旗のごと
ブルブルと震えつつ食うサラダかな さぶい~~~
片づけたはずのこたつに火がともり しあわせ~
台風は熱帯性低気圧に変わったと聞いたのですが、どうして夜かかなり風が吹きました。台風ほどは強くはありませんでした。しかし、雨はたっぷりで、もうしばらく水は見たくない。が、水は生活必需品。水を見ずしてはいられず。
時折り青空がこんな風にみえるのですが、
ほとんどが、まだこんな具合です。風も普段よりは強いです。西風のようです。
風が強いので、木の葉が裏返って白く見えます。こんなものよりも、スカートが風に翻っている図の方がずっときれいなんですけどね。
そういえば、この頃ふと気が付いたのですが女性のスカート姿はめっきり減りましたね。町に行っても大かたはズボン、なんていうと古いなあと言われますが、パンツ、この言葉には古いので抵抗を感じますけど、そのパンツをはいているんですね。女性のズボン姿なんてちっとも面白くない。優雅さがないですね。あれはどんなデザインにしたって実用品ですよ。モンペとおなじですよ。もっと遊び心がなくっちゃ。女性もゆとりがなくなりましたね。
そのうちにやがてスカートの無くなる日が遠からず来ますよ。 スカートをはいているのは女学生か、AKB48だけになっちゃうかも。 ・・・。 木の葉の裏返しから脱線してしまいました。北海道のトンネル内列車火災は脱線から始まったとか。気をつけよう。
そら豆はまだ空を見ています。もうちょい待たなくてはなりません。
スナップエンドウは作りすぎの模様。これは珍しく自分で茹でました。火を止めるタイミングが難しいですね。茹でたりなくてはもちろん味は落ちるし、ゆで過ぎるともっと落ちる。柔らかくなりすぎますからね。少しパリッとした感じがないとうまさに欠けます。
何度も火を止めてサンプルをかじってみて、やっと納得のいくところで火を止めました。そしたらグー。やったね。最高のゆで具合でした。指パッチンです。
シラー・ペルビアナ ( Scilla perubiana )とかいう名前なのだそうです。シラーという名のつく花がいくつもあるようです。そんなことシラーなかった。そんなシャレにはシラー。
ほととぎす二十六字は案じさせ 柳多留
ほととぎす、とまず始まって、和歌にするには二十六次足りない。
足りないあと二十六字の分は何か案じて三十一字に。こりゃたいへん。
皆さんは、雨の休日は何をしますか。朝はゆっくり起きる。そして新聞をじっくり読み・・・・・。さて、朝のひと通りの用事がすんでからです。どこに行っても雨です。
私は覚悟して、自宅にいることが多いです。モール街も良いですが、土日は人ばかりで私には合いません。私は少しの賑わいなら好きなのですが、混雑は大嫌いです。ですので、祭りとか花火というのは出かけて行かない、行きたくないタイプです。
光の量も強さも少ない弱いので、雨の日の画面は暗いです。何もかも濡れています。畑には出られません。草はこの時とばかり雨を吸って大きくなるんでしょうね。
さて、この頃は私は片づけものをしています。まず、地震で滅茶苦茶になったままな物置の二階。本をまとめてあるところ。この整理がたいへんです。この際、要らないとは思いませんが、たぶん二度と開かない読まない本や、二度とは使わないだろうものを思い切って、物によっては大げさに言うと、断腸の思いで - これも大げさすぎますので 胃のもたれ くらいにしておきます - で、胃のもたれの思いで捨てることにしました。何か変だな。
水辺の植物は喜んでいるでしょうね。
さてその片づけ作業が楽しいかというと、ちっとも楽しくはないのですが、今は物はお金さえ出せば比較的楽に手に入る時代ですから、ちょっとくらい無理して、なんて言う場合には買ってしまったものが沢山あります。
日蔭が出来ていますので、今日撮った写真ではありませんが、トウモロコシはこれくらいになりました。幸いカラスには種を食べられずにすみました。もっとも、種は毎年買っていますので、種には鳥の対策の薬品が塗ってありますから、大丈夫ですけど。
問題は出来てからです。まさか、稔りそうなトウモロコシに薬品を散布するわけにもいかず、仕方ないので見えにくい線を張り巡らすなどしなければなりません。全然そう言う対策をしていない地域もあるんですが、あれはカラスが来ない地域なのでしょうか。それとも、作っている量があまりにも多いので、多少の被害は無視できるのでしょうか。
雨の日には明るい色をした花を。
我が敵は砂漠の地平線に現るる
絶望という蜃気楼なり モーレンカンプふゆこ
我が敵は天災と一つ方しか見ない危険な天才
雨の日は何もかもゴミにしちゃえそうはいかず 部屋の片づけ
まだ5月だというのに、二つ誕生した台風が二つとも来るなんて。災害の上にまた災いを及ぼそうとしている天は何を考えているのか、さっぱり分かりません。
そもそも、その年の初めの頃の台風は普通はわが国には来ませんね。もっとも、今年も一号は熱帯性低気圧に変わってからこちらに来たわけですが、気象予報士によると、低気圧とは言え侮れないと言いました。どうして侮れないのかその理由は言いませんでしたが、たぶん風も少々強いとか、大雨をもたらす危険性は大いにあるということかなと推測しました。
涸沼(ひぬま)から海に流れ出る川、涸沼川は先ほどの大地震で堤防がぐずぐずになってしまいました。此処に来て台風の強い雨が降ると、崩れる心配があるそうです。この川は満潮時には海から水が逆流してくる、いわゆる汽水湖と言われる湖への川なので、大雨で海に出ようとする水と海から押し返してくる水が押し合いになると、水位がかなり上がる。上がると弱った堤防に負担がかかるということになります。
堤防の下には干拓した田が一面に広がっています。かなりの面積ですから、これが塩害を蒙るとかなりの米の減産になります。「 おい、源さん、大丈夫かね 」 なんてしゃれている場合じゃありません。
このせんべいはごっつくて大きくて、見るからにまずそう。しかし、勇気を出して食べて見たら、止められないとまらないでした。ごまの香りと、甘さ辛さの具合がちょうど私の舌に合っていました。
先日、大学の前の画廊で開かれたフルート・リサイタルのコンサートに行ってきました。ワン・コイン・コンサートと言いまして、入場料がたったの500円。ワイン・コイン・コンサートと読み間違えちゃった。酔っぱらっちゃったらフルートどころではない。オリーブを追いかけてはポパイにいつもやっつけられる野獣性を持ったブルート・コンサートになりかねませんからね。もっとも、ワインの代わりでもないでしょうが、休憩時間にコーヒーとケーキがでましたけど。
それはそれとして、いやはやCDやテレビなどで聞く音楽と目の前、手を伸ばせば届きそうなところで演奏する曲を聞くというのは、根本的な違いがあるのをまたまた実感。ほんとにうまい。上手。お見事。すごい。などなど絶賛の言葉の限りをつくしたい感じの演奏でした。
庭師さんがなかなか来てくれない。松の新芽はぞっくり勝手気ままに伸び放題。みっともないので、しかたがないから自分で新芽だけ摘みました。枝は剪定しないので、大きく形が崩れることはありません。
しかし、数本残しました。ここを積まなければ枝が伸びる。伸びればもちょっと形が良くなるかもしれない。伸ばした末に形がおかしければ、その時点できれば良いさ、ということで切り取らないでおきました。もちろん上を向いている新芽は下向きに矯正するつもりです。
先日も出しましたが、この花は100%花が開きました。すごい数です。輝くような赤なのでとてもきれいです。今年初めてこんなに花を咲かせてくれました。
たっぷりと真水を抱きてしづもれる
昏(くら)き器を近江(あふみ)と言えり 河野裕子
たっぷりと真水を抱きてやってくる
台風くるな絶対来るな
外に出るとそれほどでもないのですが、部屋の中にいると寒いです。風邪をひかないように要注意ですね。特に、夜中に布団をけっ飛ばしたりするとたちまちです。
あっちこっちで梅雨入りだそうですね。私の地域も梅雨に入ったそうです。つゆはつゆでも麺つゆなら・・・。
花壇にいつのまにか出ていた野バラに花が咲きました。このバラと言うのは九本仕立てにしてはいけません。家がみすぼらしくなります。バラック 。
こんな花です。この品種かどうかは定かではありませんが、おそらくこれは元首でもなく厳守でもなくって原酒ほにゃまたそうじゃなくって原種。やっと目的の漢字が出て来ました。
だとすると、日本の原種のバラがイギリスに渡って品種改良されて、いろいろな種類のバラになったという話ですが、ひょっとするとこれが元なのかも知れません。
奈良時代に書かれたという『常陸風土記』に出てくる茨城の語源になったイバラというのもこれなのかも。専門家ではない私には分かりません。
ハウスの中のぶどうに実が生っています。これくらいになりました。
やっとこさ芽がでました。災害は忘れた頃にやってくる。里芋とショウガは忘れた頃に芽が出る。
二階から見た裏山。椎の木はありません。右側の方が少し開けていますが、これは今年の冬にシイタケの原木として切ったり、保育園の玄関内にモニュメントとして使用するために伐採したためです。保育園ではちょっとした林の雰囲気にしてあり、フクロウがとまっていました。もちろん剥製です。
どうだんつつじの一種です。ぼかしになっていて、なんとなく都風です。こんな花もどうだんべえか ( どうでしょうか ) 。
今や夢昔や夢とまよはれて
いかに思へどうつつとぞなき 建礼門院右京大夫
けんれいもんいんうきょうのだいぶ
今は夢なのでしょうか 昔が夢なのでしょうか
こんな無残な結末は、どうしても現実だとは思えないのです。
うつつ = 現実
今日は、たまたまチャンネルサーフィンをしていたらMHK教育テレビで高校講座をやっていたので見てみました。恒星の最後というのがテーマでした。太陽はちょうど人生の真ん中辺にあるようです。中には角砂糖の大きさで10億トンの大きさの星があるとか。面白い。
ネットでさがしてみたら、その講座がそっくり動画で見られるんですね。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/chigaku/archive/chapter006.html
こう言うのを見ていると我々の人生なんて実にちっぽけなものだと思います。でも、そのちっぽけな人生は一人ひとりにとってたった一つの人生です。宇宙が大爆発をしようとしまいと、どうであれこっちの方が大切だわい。
実の景色も景色、鏡に映った景色も景色です。見る自分はどっちの人間なんでしょうか。鏡に映った自分も自分に違いない。鏡の中の自分は何を考えているんでしょうか。分からないんだから鏡の中の自分は他人? なんて遊んでいたら車が来て急にクラクションを鳴らされてドキッとして、ふと我に返る。田んぼで鳴いているのは蛙。私は急いで家に帰る。だめだこりゃ。クラクションから滅茶苦茶になっちゃった。
太平の思いを破るクラクション
たった一発で夢はめちゃくちゃ
昨日のあの山道を下っていくと、目の前に広場がありました。管理された道は良いですね。腹の足しにはなりませんけど空気はおいしいし。帰りに団子買って帰ろっと、なんて考えながら・・・・・。
パセリもあったかいハウスの中で冬を越し、子孫を残そうとしています。パセリの子はパセリ。ローズマリーにはなりません。なったら大変。宇宙の大法則が滅茶苦茶になってしまう。おだやかな生活も、あの津波で原発が壊れて自分の土地を追われおわれて生活滅茶苦茶・・・・・。まったく気の毒な話だ。 想定外なんてことで、大法則に則り行わないからこのようになるのでは?
かにかくに祇園はこひし
寐(ね)るときも枕の下を水のながるる 吉井 勇
かにかくに祇園はなつかし
あのあたり行ったり来たり歩きしものを
ジェット機の音に驚き空見れば
鉛色の雲に吹く風寒し
一人で留守番の日は、ほとんどしゃべりません。しゃべる方がおかしい。でも話をする時があります。話し相手は猫です。猫はただひたすらひとの話を聞くだけです。うなずきもしない。
ただ只管ひとの話を聞くという仕事があります。その仕事人はカウンセラーです。猫と違うことは、「 なるほど 」 「 へーぇ 」 などと言って相槌をうつこと。全国のカウンセラーのみなさん、猫と比較してごめんなさい。
昨日の夕方のウォーキングの時に見た夕やけです。今日の晴は保証されたような夕やけでした。小焼けって何なんでしょうね。意味はなく、夕やけに対してなんとなく小焼けが対になりそうなので、調子を合わせるために言っただけのことなんでしょうか。
有名な童謡とか、小説とかで使われなければ、その言い方は定着しないんでしょうね。たとえば、ここで私が 「 馬鹿たれ小たれ 」 なんて言ったって 「 何それ? 聞いたことないよ 」 なんていわれるのが落ちだね。
柿やブルーベリー、ブラックベリーに追肥をしました。ブラックベリーは花盛りです。柿とブルーベリーは小さな実が出来ていました。小さい実なので実ニ(ミニ)です。
雨のあとなので、草が出て来ました。ふたたび草に対して宣戦布告です。彼らはゲリラ戦で来ますからね。たいへんですよ。最後には負けます。
こんな日には、こういう散歩道を歩きたいです。さっき田んぼ道を歩いてきました。今日は今までのところ、14,000歩くらいです。
落花生を蒔いたのですが、種が余ったので味噌ピーを作ってくれました。これがまたうまい。買ってきたのは、何となく実の中まで湿り気が沁みとおっちゃっていますが、これは実は実として主張しています。絶妙のバランス。食べるのをやめるのが辛いくらいです。自家製ってこんなにおいしかったんだ。
自家製の種なので、何の処理もしていませんから、種はそのまま食品でもあります。
たちまちに君の姿を霧とざし
或る楽章をわれは思ひき 近藤芳美
雨はずいぶん降ったようです。今日も午前中はけっこう激しく降りました。雨が近頃のすべての嫌なことを洗い流してくれると良いですけどね。でも、かなり流してくれたのではないかと思っています。
この右前の大きな木立は他人の土地のものでちょっと邪魔なように見えるかも知れませんが、わが家にとってはこの木立がとても大切なのです。この木立の先はずーーーっと田んぼですから、これがないと台風のときにはまともに南風を受けることになります。
二階から見た今朝の雨の様子なのですが、雨つぶが写っていないので、あまり感じがでていませんね。ちょっと残念。
おいカメラ君、そこんとこをもうちょっとそれらしく写してくんないかなあ。飯はたっぷり食わしてやるからさ。と言いつつ充電器に手を伸ばし・・・・・。
(手の皺を隠すために手はぼかしました)
午後はどんどん晴れて、ウィスキーを駆けつけ三杯ほど欲しい状態になりましたね。 えっ? ・・・ ですが、気温が意外に上がらず、スカッとした良い日になりました。
白菜ができましたよ。まるで売っているみたいなものが出来て奥さんは満足気です。やっぱり採れるとうれしいですね。
色が白いから白菜と言うのだろうと思っています。百より棒が一本少ない白い菜で白菜と考えるのも楽しい。百は全部満たしている状態。それより一つ少なければ、これから成るぞという希望があります。
ゆふぐれにひらきはじめしなかぞらの
朴(ほお)の花白き夜となりたり 前登志夫
廃 句
いい日だねもったいないよないい日だね
毎日がもったいない日のはずじゃがな
気晴らしにお茶飲みにいったら定休日
団子屋の前を通れば欲しくなり
晴れになり猫がころがるアスファルト
補) 駆けつけ三杯 = サングラス
夏到来と思わせる二日半だったのに、昨日の午後からは急に気温がさがり、じっとしていると寒いくらいです。この寒さをどこかに保存できたら、そして真夏に鍵を開けてこの寒さを大気中に放出できたら最高ですね。最高の節電になりますよ。
さつま芋の苗を挿したところで雨になったので、まだ完全には立ちあがってはいませんが、元気になるのは間違いないかなと思っています。まだ苗は少し用意してあります。
これはわが家の庭ではなく、きちんと管理されたところですが、こういう庭を見て歩くのも楽しい季節になりました。あちこちに、欲張らなければ小さな庭をもっていて、自由に見て歩けるところもありますから楽しいです。
こちらはわが家のあまり手入れされていない庭です。
それはそれとして、まだ暑くてしょうがない時期なのでこんなこと言えるのかも知れませんが、夏の暑さも喜んで受け入れることができないから電気に頼ってしまうのかも知れません。頼ればたよるほど夏は暑く感じ、実際の気温もエネルギーを使った分だけより暑くなるんでしょうね。このいたちごっこのような行いは切りがないです。
そして、いたちごっこが続けば続くほど資源が枯渇していき、危険性もどんどん増していくのかも知れません。
ニラは順番に刈り取り食べています。しばらくするとまた生えて来ます。毎日食べるわけではないので、適当な量があればずっと食べ続けられます。便利です。どんどん食べちゃったときには、早く生えてこないかなあなんてニラとにらめっこです。
夕方に歩くことがあります。その時には、遠くの田んぼ道の方ではなくて、近くの団地造成地を歩きます。明かりの見えるあたりは、販売されて家が建っているところです。朝と夕と二度あるくと、12,000歩くらい歩くことになります。
団地の家の作りを見ていると、新しい洋風のデザインを加味したようなものは一般に窓が小さいです。これはエアコンを意識したデザインなのかなと思うことがあります。昔の家は南側の部分は、かなりの部分が開放されて風を迎え入れる構造になっていたはずです。
観覧車回れよ回れ想ひ出は
君には一日我には一生 栗木京子
一日 ー ひとひ
一生 - ひとよ
お彼岸をはるかにすぎても寒いのネ
常識は通じないのが常識と
暑くなり寒くなりつつ夏がくる
憂鬱な曇空だね月曜日
寒いのは天気のせいだけにして欲しい
暑い夏のような日の三日目です。その暑いさなかにさつま芋の苗をうえました。
ハウスの中に穴を掘り、冬を越した芋なのですが、勝手にふせた土の中から芽をだしています。別に床を作り芽出しをしなくても済みました。
それを掘り出して苗の長さに切り、畑を掘り起こして肥料をたっぷりと与えて挿しました。だいぶしおれちゃってますが大丈夫です。芋は強いんです。「 強芋ん 」 なんちゃって。
しかし、苗と苗との間が狭いのではないかと言う話になり、一本おきの間隔にして二本畝にすべきかどうか迷いに迷ってしまいました。穴の開いていた古いマルチを使用したので、その穴の間隔に植えていったものですから。
それじゃというわけで、近くの芋畑に見に行き苗と苗の間を見たところ、およそ私の手のひらを広げて親指と小指の間の広さくらいでした。つまりワン・スパン分でした。帰ってきて測るとぴったんこじゃないですか。やったね。新たに穴などあける必要なし畝をもうひとつ作る必要なしでした。 偶然とは言え、穴珍しのことなり。 マルチは芋を掘り起こすまでそのままです。
同じハウスの中ではシュンギクが次々と花を咲かせています。方やさつま芋のように、これからのものがあると思うと、方やこれから実をむすびおしまいにしようとしているものもあります。まるで幼児と年寄りのようだ。
お昼頃、そろそろ外の仕事をおしまいにしてご飯にしようかなと思う頃、にわかに東風が強く吹き出し荒れてきました。そして、それからはどんどん妖しい黒い雲が空を覆いちらほら雨が降り出してきました。
今日は茨城県は全県雷雨注意報が出ていましたっけ。ですが、明日のことはわかりませんが、いちおう暑さもこれでおしまいになったようです。体の疲れも取れると思います。たすかりました。それに、雨になりしおれた芋にも良い。
橘のにほふあたりのうたた寝は
夢も昔の袖の香ぞする 藤原俊成女
(ふじわらのとしなりのむすめ)
橘の花の香りがするあたりでうたた寝をしていると
夢の中でも昔懐かしいひとの袖の香りがするのです。
もう何年も前いや何十年前の話だったかもしれませんが、アメリカでは日曜日にはものすごく量の多い新聞がドサッと配達されるということを聞いたことがあります。アメリカでは、日曜日は家で過ごす人がほとんどなのかなと思いました。日本でも、そういう人が多いかも知れませんが、街や行楽地の人たちの数を考えると、日曜日は外出する人、なにか趣味を行う人が多いのではないかと思います。
私は、土曜日に配達される新聞が多いので困っています。どうして土曜日は普通の新聞のほかに二つも余計な新聞が入ってくるのでしょうか。朝日新聞を取っていますが、「 be 」 という意味のよく分からない余計な新聞が入ってきます。
裏山の新緑
その新聞は面白いのですが、この記事を分散して普通の日に載せてほしいです。土曜日だって余計に新聞を読む時間があるというわけでもないし、土曜日は一日が25時間あるわけでもないのです。アメリカではきっと日曜日は一日が34時間くらいあるんでしょうね。新聞は、駆け足でなく、ゆっくりとじっくり読みたいです。新聞社はそういう読者の気持ちが分からないのでしょうかね。いや、きっと読者は新聞社の意向に従えと思っているのかも知れません。 それが新聞の正義なのかも・・・・・。
ことし初めてアンズの実が付きました。はたして熟してくれるでしょうか。熟すまえに鴉のデザートになってしまうのでしょうか。袋で覆ってみましたが、次の日には袋が吹っ飛んでいました。だって、ととも袋で包みにくいんですよ。袋がけなんてやったことはないし。
小屋氏じゃなかった肥やしが足りないのでしょうか。あまり良い実がついていませんが、イチゴがあかくなってきました。これもカラスに食べられて欲しくないので、防鳥ネットをかぶせました。来るなら来てみなさい。たちまち足がひっかかり飛び立つことができなくなりますよ。そしたら、竿の先に逆さづりしてあげますから。
暑き日の暑きしごとに大汗ながし午後のまどろみこよなく楽し 言乃葉
地震・雷・火事・親父いや地震・地震・地震・地震
青葉花若葉花この半分を冬に欲し
いや冬は何もないのがいちばんだ
半世紀前の自分は今何をしていたろう
さえずりの一段と多いすずめかな
夏のような日が二日続いています。夏とは違うのは、空気が日蔭ではさらっとしていることです。真夏も、このようにさらっとしていたら過ごしやすいのですけどね。
今年は節電の年です。体が弱っている人や年寄りにとっては辛い夏になりますね。昔はエアコンが無かったとは言え、この頃のように暑くはなかったでしょうから、いまの人たちよりは過ごしやすい夏を送っていたと思います。
つつじは終わって、一息ついて次はさつきが咲きます。同時期に咲いていたら、つつじとさつきは区別がつきません。「 君はつつじかね 」 と聞いたら 「 あら、違いますワ。私はさつきよ 」 「 あ、そう。君、美人だねえ 」 「 あらお上手。それほどでも 」 なんてボッと花が赤くなったりして、そんな会話が出来たらいいねえ。庭を歩くのも楽しくなるなあ。考え過ぎじゃ。
」
山には、あちこちでこの花が咲いています。なんという木の花か分かりません。ガマズミにしては大木すぎます。ガマズミは低木と図鑑には書いてあります。
この木は10mくらいの高さはあります。 誰か教えてー。気になる木だ。ガマズミと言えばなんか意味が分からない名前ですね。ガマが墨を塗られたような。
ズッキーニは数多く芽が出たので、隣に分けてあげました。ちょいとデリケートなところがありますので、どれだけ正常に育ってくれるやら。好きーに勝手気ままにやられたのでは、ちと困る。
ウドの皮のキンピラです。気になるほどではない程度の筋っぽさがまたおいしさにプラス。
朝顔の双葉のどこか濡れゐたる 高野素十
廃 句
朝顔のゴーヤに席を譲るかな 緑のカーテン
カーテンの奥でみんなが苦い顔
朝顔の腫れぼったいは飲み過ぎか 発音は濁らない
一兆円金で済むならまだいいが そうはいかない原発事故
毒まんじゅう食べるな周りも大迷惑
暑くなってくると喉が渇きますが、その時に何を飲みますか。暑くても寒くても私はいつもおいしいと思うのは牛乳です。お茶もおいしいですが、少しもの足りない時がある。冷たいお茶は味がおちる。コーヒーはほとんどおいしいと思いますが、体調によっておいしい時と、そうでない時があります。
あとは味のあるものは多く飲むと問題を生じますから、どちらかと言うと遠ざかっています。たいていは糖分が入っていますからね。糖分のとり過ぎは当分は注意ですね。
スナップエンドウに続いて、キヌサヤも少し出来て来ました。まだ採っていません。なぜキヌサヤなんでしょう。さやを食べるからサヤエンドウは分かりますが。まあいいか。あまり考え過ぎると、夜眼が冴えてしまって寝つきが悪くなる。
少し気温が低いと、やたら親しくなりますね。暑いと遠ざかる。腹が減ると寄ってきて、食べるとそっぽを向くかの如くしらじらしい。それがいやだという人がいますが、私はありのままで結構なこった、と思っています。犬は家には上げたくありません。猫は入るなと言っても入ってくる、日本語が通じない。ふりをしているのかも知れない。
こたつは、ふとんをはずしてそのままテーブルにして使っています。やや寒いかなと思ったら、このまま布団なしでも電気をつければちょいあったかくなる。便利です。ここが世界でいちばんゆっくりできるところです。眠くなったら座椅子を倒して昼寝。それから宵寝は良いね。
こんな庭が欲しい。二三人、手入れをしてくれる人がいればの話ですね。自分でやるのは嫌い。それなら野菜を作っていたほうが、食べられる分だけ良いです。植木じゃ食べられない。と、食い意地がはっている食いジジイだ。発音が似ている。
これは、隣町のとあるところで右手の方にはブルーベリー畑がありますが、まだ実には早いです。ここにあるレストランでお茶でも飲もうかと思ったのですが、大人数の船客じゃなかったj中年女性の先客ありで、庭まで大きな声がきこえてきたのでやめにしました。紅茶の色は黒ずみ味は渋くなる。
むべ
廃 句
今日の日のようないい日は少ないゾ
近頃はニュースが気持ちを暗くせり
どこまでも歩調を拒む野党かな
ああ言えばこう言うというのが政治かな
がんばろう耳タコふたつ出来たぞえ
がんばった上にがんばれとは疲れるなあ
これからは電気が足りなくなる時代になるかも知れない。電気自動車が開発されているようですが、そっちの将来性はどうなるのか。せっかく、石油に頼らない時代になろうかと思っている時に、今回の震災に伴う原発事故は、電気に頼ろうとする意識に対してタックルをかけられたようなことになりました。
わが国のある大手自動車会社は、電気自動車を主流にしようと研究をすすめているとか。そういう未来を切り開こうとする会社にとっては大問題です。
田植えは大たい終わっていますが、こういう風景は今しかみられません。逆さにみる風景もおもしろいもの。田舎に住む者は、やれどこの店に何があるから行ってこようとか、あそこでは何とかアイスがおいしいとか、そういう楽しみはありません。が、少し移動すればそういう処もまったくないわけでもありません。若いうちは、こういう風景はちっとも面白くありませんでしたが、昔の人が愛でた自然の風景の移り変わりに、大いに面白みを感じる年ごろになりました。
くまがいそうです。この花は、年中日蔭のところに向いています。表に植えようものなら、すぐに枯れてしまいます。表に植えたい場合には、ほとんど一日中蔭っている処を作ってやらなければなりません。
あまり行きたくないようなところにひっそりと咲いている花です。そういうのもまた面白い。
大根です。土の色が変に写っていますが、変な土ではありません。写真のせいです。「 こら忠実に写せ 」 とカメラを叱ってやるつもりです。しかし、カメラはカメラの立場から 「 忠実に写しているつもりでっす 」 と云い返してくるに違いありません。
やっとスナップエンドウが実ってきました。今年は遅かった。
例年は北側にある廊下にある手荒いの蛇口が朝のうちだけ凍ることがあるのですが、今年は一度もありませんでした。特にものすごく寒いという日は少なかったということですが、全体的に気温の低い日が多かったということです。
さっそく採ってみたら、これくらいの量になりました。これから茹でてもらって食べます。おいしいだろうなあ。楽しみじゃ。
ところで、何でスナップとかスナックエンドウと言うのでしょうね。スナップってのは、あの指パッチンなんかの動作ですよね。スナックというのは何となくわからないでもないけど、おやつにこれを食べますかね。たべないこともないでしょうが、なにもそんな名前にしなくたって・・・。名前はともかく、おいしけりゃいいんですが。それを言っちゃあ何もかもつまらなくなる。
ということは、これからは自然のエネルギーから電力を取り出す方法がいいのでしょうか。そのまえに、電気にばかり頼らない意識を持たなくちゃなりません。節電なんてなまっちょろいことじゃなくて、むやみに電気を使う産業を見直すことかななんて、素人が口出ししてもしかたないことですが、それなりに何かを考えなくっちゃなんて思ってています。
ちはやぶるかものやしろの葵草かざすけふにもなりにける哉 藤原俊成
ちはやぶる 「神」にかかる枕詞。この場合は賀茂の社にかかる。
葵草かざす今日 = 葵祭り。 5月15日行われました
暑いかなと思うと、雷雨がきて風が変わり急に涼しくなります。油断できないなあ。
もっとも、世の中油断できないことは数限りなくあると思えばあります。が、そんなに気を張りめぐらしていたら、命が短くなってしまいそうです。適当な所で気をゆるめて、そのせいで風邪などひいて 「 あちゃー、失敗 」 なんて・・・。まあ、そうのが人生なんでしょうね。
白菜はこれくらいになりました。もんしろちょうが飛んでいますので、油断できません。もんしろちょうは試しに虫取り網で捕獲してみたのですが、あとからあとからやってくるんですね。
彼らは放浪者です。見ていると、時間をかけてけっこう遠いところから飛んできます。そしてまた、遠いところに飛んで行くんですね。楊枝でもプッと飛ばして、ぷつんと蝶に命中なんて。あ、それは 木枯らしのもんしろちょう だったっけ。なんちゃって。
昨日は、とあるところで編集の仕事をしていたので、数百歩しか歩きませんでした。まあ、そういう日もあるだろうとは思っていましたが、やっぱり数百歩では気になります。
それで、今日は少し場所を変えて歩いてきました。どうせならと、みごとな石楠花を数多く見ながらあるきました。
たくさん石楠花を植えてある寺があると言うので行ってきました。運よく、ちょうどまっ盛りでした。と言っても、種類によってはこれからというものもあります。
この写真では遠いところは花を出しきれませんが、針葉樹の木立のこちら側はずっと石楠花です。右手も左とおなじように斜面になっていてぎっしりと石楠花が植えてありました。
大きなだるまさんが石楠花畑をみおろしていました。「 こっ、こっ、これはすごいゾ 」 なんて思っているか、それともこんな色のついたものは修行のさまたげじゃ、と思っているやら。
しかし、我らと違って達磨さんともなれば、物も美醜には惑わされることなく、こころ穏やかに座っていることができるんでしょうね。
それだけでは歩き足りないので、石楠花の寺の近くの公園をあるいてきました。起伏のあるところをすすんで歩くようにしました。
広場から山道にはいると、こんな芸術作品がところどころに置いてあります。石畳の小道も凝っています。陶器の舗装です。
短夜の友誼これより乾杯に 雨宮更聞
友誼 : ゆうぎ = 友人としての情愛。友達のよしみ。友情。