ブログというのは、日記なので毎日更新しています。時間が取れないこともありますが、できれば更新しようと思っています。
今日は台風接近で、一日中雨や風が強くなったり弱くなったりしています。だんだん強くなってくるんでしょうね。こんどは、関東地方を直撃のようです。テレビの気象の報道の天気図で見ると、西日本では晴れて気温が30℃を上回り、ずいぶん暑そうですね。こちらでは寒いです。選挙は大荒れでしたが、天気も荒れていますね。
ニュースは台風と選挙後のことばかりなので、西日本がゆだっている様子は分かりません。ゆだっているのではないかという想像でものを言っています。ニュースというのは、かなり偏りのある報道をするものですからね。
こっちは、うすら寒いです。素足でいると冷たさを感じますね。
ハッと気が付いたら風も強くなっきたので、雨の中ハウスを閉めました。なにせ、マイクロトマトが外まで這い出してきていましたから、それをハサミや鎌で刈り切り、屋根のビニールは引き下げ、建物なら腰板にあたる部分、これを腰巻きと言うのだそうですが、そこは暑いので地面まで下げておきましたので、それを引き上げる作業です。雨にあたりながら、かなり時間がかかりました。
ウォーキングの時に見かける山栗ですが、だんだん実ってきたようです。食べてはこの方が栽培栗よりずっとおいしいですね。
我が家のも出来てきましたが、今年は落ち方が普通ではなく、だんだん落ちてくるのではなくて、急にどっと落ちてきています。おかしい。
毎年、少しずつ枯れます。その後は補充しません。仕事ばかりあって、休めないので、もう終わりにしようと思っています。元もと本数が少ないうえに、枯れる木は大きな木ですから、一本枯れただけでも収穫は激減ですね。
耕したところを、何ものかが歩いたようです。足跡に深さがないし、歩幅も狭いので、小さい生き物のような感じです。進む方向に迷いがあるようです。自分の歩みと重なるような気がして・・・。
こっちはまた、大きな足で体重もありそう。一体なんでしょうか。気になるなあ。害獣なら被害が及びますからね。
まあ、それはそれとして、足あとというのは何となくかわいらしくておもしろいですね。害獣も顔を見ればそれほど憎たらしくもないんですよね。うまく共存できれば良いんですが。
一日一村
野分して鼠のわたるにわたずみ
にわたずみ : 急雨のため庭にたまり流れる水
排 句
野分して猫の飛び越ゆにわたずみ
野分してあわてて閉めるハウスかな
総選挙荒れたあと来る野分かな
雨降って地固まるを信ずるな
雨降って地流れるがほんと哉
雨降ればあちこちひどい被害あり
足あとも被害が及ばにゃかわいいね
台風よ時速200で東行け
アッと言う間に太平洋はるか彼方 そんなわけ無いか
台風のおかげで出来る骨休み
台風のせいで動かず食っては寝
新政権インフル対策ぬかりなく
新政権雇用促進ぬかりなく
新政権経済復興ぬかりなく
新政権天下りなど何とする
午前中は、晴と曇りでした。午後になると、雨が降り始めました。きょうは涼しかったです。朝のウォーキングの時には普段より強い北風が吹いていました。きょうは風がありますから、もやは出来ません。
今回は台風の直撃があるかも知れません。茨城はあまり直撃は食らうことがないんですけどね。田んぼを作っている人はいつ刈るかが問題でしょうね。もう間に合わないし、まだちょい早いでしょうから、台風が行ったあとになるでしょうね。
高校の時の同じクラスの友達が、茨城交響楽団(略して茨響)というアマチュアのオーケストラの団長をしているのですが、彼から招待状がきたので、聞きに行ってきました。
曲は
モーツアルト「後宮からの誘拐」序曲
ハイドン 「トランペット協奏曲」
モーツアルト{交響曲38番 プラハ」
です。
トランペットのソロは写真に出ている女性です。このハイドンのトランペット協奏曲は特に大好きです。メロディが良い、曲の組み立てが良い。さすがハイドンです。この曲を聴くと体が生き生きとしてきます。演奏家は違いますが、ぜひクリックして聞いてみてください。この演奏より、今日の演奏の方がずっと躍動感がありましたね。
http://www.youtube.com/watch?v=eqLI32bYnSU こっちの演奏の方がいいかも知れません。
白いちょっとラフな感じのズボン(年齢的に私はパンツと言うのには抵抗を感じます)と上着姿で登場。軽快に吹き始めたときには、「いいなあ。」と、そのメロディが自分を明るい処に誘いだしてくれるような感じがして、嬉しくなってしまいましたね。
キュウリは、初代目がウドン粉病にかかりながらも、まだがんばっています。
二代目は、若々しく盛んに実がなります。
そして三代目。いやはや、生ること。とても食べ切れませんよ。キューちゃん漬けだって、そんなにたくさんは作れないし。それこそ、ご飯の茶わんにはキュウリ、みそ汁にはキュウリ、漬け物にキュウリ、炒め物にキュウリ、お茶はキュウリを煎じて・・・・。またバカなことを考えてしまいました。
でもまあ、出来ることは良いことです。生らなくてきゅうきゅうしているより、よほど良いです。
一日一村
宮城野の萩更科の蕎麦にいづれ
排 句
宮城野のhachiさん元気に野良仕事
宮城野の広き田んぼの飛行場
宮城野に早く高速届けかし 常磐道
宮城野の多賀城の夢はるかなり
今はただ嵐の前の静けさか
藁屋根に傘の駆け込む時雨かな
小夜更けてこおろぎの声きりぎりす
旅人の急ぎすぎゆく蕎麦畑
白き雨白き花の波蕎麦畑
何だってまた、涼風の日々のあとでこの残暑とは。ひどいざんしょ。でも、これがたぶん普通なんでしょうね。観念して、ゴロリとして強い日射しを避けています。
暑い日の始まりの時です。西洋人は太陽を黄色で描きますが、ほんとに赤でなくて黄色ですね。日本人の誰もが無意識に描いてしまう、あの真っ赤な太陽は赤い夕陽が脳裏にあるせいでしょうか。
一方、地表はもやです。ということは、空気の方が冷たい?
近所から、トラクターにくっつけるリアカー?をもらいました。これが裏山を切っている時にあったらなあと思いました。でも、これからも使うことはあると思います。
ロータリーをはずしてから付けるのですが、そのロータリーの付けはずしが面倒です。何せグリースで汚れるし重たいですからね。
くれた人の話では、1トン半くらいは載せられるそうです。米袋を運ぶのに使っていたのだが、今はコンバインの形式が変わって刈りながら袋入れをするのではなくなったので、必用が無くなったとか。捨てるわけにもいかず、物置の空間ふさぎになるだけだったそうです。誰に声をかけても欲しい人は居なかったとか。安い品物ではなかったんでしょうけどね。
とうもろこしは、二代目が終わって三代目を食べています。もう、これでおしまいで良いかなという気持になってきました。
今度は、ネットでフェンスを作っていますので、ハクビシンにはやられずに済みました。手間を惜しんではいけないんですね。
一日一村
船頭の棹とられたる野分かな
排 句
船頭が多くて舟が山登り
船頭の棹引く牛久の河童かな
花嫁の乗るふね船頭力入り
百姓が駆け込む納屋の野分かな
野分してバケツの雨を聞く夜かな
野分とは言葉ほどの情緒なし
我が心ときどきしばしば野分かな
世の中も止むことの無し野分かな
西行が衣ちぎれん野分かな
野分して芭蕉もころげる峠道
野分して鬼怒川まえに蕪村翁
船頭が遠くで聞くや盆踊り
盆踊り遠くで鳴ってりゃそれでいい
涼しい日がずっと続いたのに、今になって残暑とは。やっぱり自然はそうは甘くはない。厳しいざんしょ。あつい南風だと予報でも言っていましたね。そういう予報ははずれると良いですね。
予報は電波で飛ばすものだから、より天上界に届きやすく、その通りにしてくれているのかも。
井沢元彦という人が繰り返し言っているのは、言霊(ことだま)ということで、日本人も古い時代にはそうなって欲しいと言うと、そうなるんだと信じていたのだそうですから。でも、今でもそうですね。病室に四号室などないとか。彼は「言霊の国の掟」というタイトルの本まで書いていますからね。
ま、それはそれとしてと。話のはじめから脱線してしまいました。
今朝の東の空です。やっぱり秋の雲という目で見てしまいますねえ。朝の空というのは良いなあ。大抵は朝の空は好きですね。若い頃は眠くて、朝の空どころではなかった。うわの空だったです。夜は目が冴えにさえ渡ったものでした。今は目はいつも曇っていますね。脳の老化のせいですね。老化と同時に朗化もしているかも知れません。
子供の頃、ろうかをはしってはいけません なんて張り紙が小学校にありましたっけ。あれは違う ろうか でした。
昨夜、私の家の裏のほうで咲いた花です。何の花だか分かりますか。パッとネットのようなものが広がっています。
これはカラスウリの花です。これがなかなか見られない。月下美人の花のように、朝になるとネットのような部分が力無くなってしまいます。いつも忘れて見落としてしまうんですよ。カラスが教えてくれるといいんですけどね。カラスがカラスウリを食べているのは見たことがないですけど、食べるんですかね。
二代目ズッキーニが出来ました。うれしいです。食べました。今回はラタトゥーイユで、それをスパゲティにかけてもらいました。おいしかったですねー。
うれしさは、食べられるようになったと言うことと、後口がうまくいった、つまり成功したといううれしさですね。
一日一村
秋の暮辻の地蔵に油さす
排 句
秋の暮ちぢにものこそかなしけれ
秋の暮れ地蔵にぶつかり目から火が
秋の暮れ地蔵は硬いと思い知り
秋の暮れ夏より腹が減るわいな
秋の暮れ辻をよこぎる黒い猫
秋の暮れ目だけが辻を横切りぬ
秋の暮れカレーの臭い吾に帰り
秋の暮れランプを磨いた幼き日
秋の暮れ「紅孔雀」がはじまるぞ
腹が減り排句はきょうはこのへんで
テレビを見ていたら、西瓜というのは俳句では秋の季語なんだそうです。てっきり夏の食べ物ですから、季語は夏ということになるのかと思っていました。
秋である理由は、立秋をすぎてから熟して食べるようになっているからなんだそうです。なるほど、今年の立秋は8月7日です。今は、ハウスで作ったり、品種によってはもっと早く食べられるようになっているものもあるでしょうから、食べるのに適した時期はもっと早くなっているかも知れませんが、昔は遅かったわけなんでしょうね。
自然の恵みの条件も、どんどん人間が意図的に変えてしまっていて、それが当たり前になってしまっているのを改めて気づきました。
キャベツとブロッコリーの苗をもらいました。まだ小さい。
植えました。植えたらそれほど小さくないと判明。また、しばらく虫との戦いが始まります。ゲリラ戦です。
パソコンでラジオを受信しながら、ブログの更新をすることがあります。主に、NHKラジオとかNHKーFMを聞いています。民放は電波が弱く受信しにくいです。何でも首都圏が中心ですから、地方はだめです。もっとも、ラジオは民放は聞きたくありませんから、かまいませんが。
初代のインゲンは老齢化してしまいました。このままにしておけば、煮豆用として収穫できます。
二代目は、まだ高校生くらいです。花が咲いている段階です。そのうち、食べられるでしょう。呑気な話。
また、ゆでたのにかつお節をふりかけて、醤油をさっとかけて食べたい。
一日一村
小鳥来る音うれしさよ板びさし
排 句
小鳥来いカラスお前は遠くでな
小鳥来る庭うれしさよ風の音
なつかしやトニー・ザイラーのあのスキー
オリンピック・スキー三冠王トニー・ザイラー逝く
白銀は招くよ下手でもよくすべり
一語なら麻薬で二語ごちそう
だらだらと暑き日過ぎて行き
きょうもまたかくてありけり白き雲
あすもまたさすらう心秋のそら
青い菜の少ない頃になりにけり
鶏たちは朝昼夜とコケコッコー
鶏どもよ卵のひとつも産んでくれ
犬さんぽいとこの家でお茶いっぱい
犬さんぽ鎮守の杜でかしこみて
犬さんぽ造成地には家ひとつ
補) 一語 シャブ
二語 シャブシャブ
日射しが強くて日焼けに要注意です。紫外線が相当強いのではないかと思います。ただ、風はとても涼しいです。
今朝は夜明けが遅くなったなあと感じました。
駄目になったかなと思っていたズッキーニが、いったんは形が崩れ始まったのですが、ふしぎに持ち直し、花がさいて実がついてきました。黄色い花と、実が少し写っているのが分かるでしょうか。
素人の推測ですが、これはたぶんお天気が持ち直し、土も乾燥してきたせいかなと思っています。何にしても、実がなるほどまでになったのですから、うれしいです。急いで抜き取り捨ててしまわないでいてよかったです。
実の生る木にむかって、「そんなに生らないなら切ってしまうぞ。」 と言うと次の年には生るようになるとか。私はそういうことは言いませんでした。「どうぞお好きに」と言っただけです。
一方、こちらは新たに種をまき直して育てていたものです。やっと実がつき始めました。ズッキーニを作るようになってから三年目ですが、ついに秋まで食べられるようになりました。
少しずつですが、あの手この手を下手ながらも考えて、食べ繋ぐ方法を工夫したせいかなと思っています。来年はまた駄目かもしれませんが、とにかく今年は何とかやりました。
ゴーヤは、あまり食べなくなってしまいました。今年も自然にでたものを地這いさせています。一面に広がって、入っていけないくらいになっていますが、なかなか生りません。
と思っていたら、生っていましたよ。思い切って蔓を踏みながら中に入っていったら幾つもありました。
一面に葉におおわれていたので、色抜けしていて緑が薄いです。今年、はじめて食べることになります。去年は一本もたべませんでした。
これを食べてみたこともありましたっけ。ぜんぜんおいしくない。ただ皿に盛った料理に、いろどりを豊にするために載せるだけのものかなと思います。ワインにでも漬けておくとおいしくなりますかね。やる気は起きませんが。
一日一村
ひたと犬の啼(な)く町越えて躍り(おどり)哉
ひたと = ひたすら、一途に
排 句
ひたと止む蝉の鳴き声人が来る
ひたと抱きまあしばらくと猫帰る 野良をしていたんだな
空腹をこらえひたすら座禅かな
座禅会腹のなる音こだまして
ただ坐るこれを只管打坐(しかんだざ)と言い
うどん食ってしばし昼寝の二三人
政権のビジョン(vision)はオーケーとピジョン(pigeon)哉
それを聞き あ、そうはさせぬと首相かな
つくつくを聞きつくづくともの思い
吾と来て遊べやそこな暇な人
ゴーヤ出来今夜は苦い味をみる
出てこないどちらが先に思い出す 健忘症か年のせい?
出てこないナナカマドなる木の名前
そんなもの思いださずとも気にしない
風涼し財布の中はなお涼し
風涼し頭の中は吹きさらし
8月も終わりになってきました。北海道ではもうとっくに学校は始まっているようです。雪の多い地方でも始まっているでしょうか。そうでなくても、もうすでに学校が始まっているところもあるでしょうね。
土曜日が休日になってから、授業時数の確保にどこでもあれやこれや工面しているようで、一番利用しやすいのが長期の休みです。
しかし、今年は新型インフルエンザの流行のために、始まったとたんに休校なんてこともあり得ますね。夏休みに入るときに、すでに全校集会ができずに終業式ができなかった学校もあるくらいですから。
さつま芋の葉は元気なのですが、肝心の地下の様子が分かりません。もう掘って食べている人もいるようですので、手で探ってみましたが、まだのようです。そのうちに、もう一度みてみようと思います。
種をまくのがかなり遅くなってしまったオクラですが、苗全体も大きくなってきて、実もできています。ただ、やっぱり採るのがむずかしいですね。すぐに大きくなってしまいます。
それに、ナスやキュウリと違って、どうしても食卓に必用というようなものでもないので、つい見ないでしまいがちです。
久しぶりに、運搬用のパレットを天盤に使って、テーブルを作りました。野ざらしにしておくので、少しずついたんできますので、ときどきは補充しなければなりません。
これは、惜しげなく使えてなかなか便利です。何にでも使えます。今回は、主に野良仕事の合間に木陰でお茶を飲むテーブルに利用しようかなと思っています。
テーブルの高さはいつも70cmです。台所のテーブルの高さにしてあります。大工さんに見せたところ、だいたいテーブルはその高さに決まっているのだとか言っていました。
一日一村
女郎花(おみなえし)その茎ながら花ながら
排 句
女郎花 男郎花(おとこえし)は人気なし
女郎花しずかに咲いているがよし
女郎花君の瞳は100万ボルト 意味不明
男郎花君の瞳は1ボルト しびれない
秋の田の刈り穂の見られる頃になり
秋来ぬと目にもさやかに見えてきた さやかに = はっきり
夕されば野辺の秋風なお涼し
秋風やとうもろこしは尚うまし
風薫る秋には風は薫らない?
夏草のいきおいとまり秋の風
あぶら蝉つくつく法師に座をゆずり
みんみんはまだがんばると意地をはり
ニュース見りゃあの顔とその顔とこの顔 選挙
ニュース見りゃもううんざりの顔ばかり
白露の葉をこぼれ落つ秋になり
ホームセンターに行ったついでに、花木や野菜の苗のあるところに行ってみました。ブロッコリー、白菜、キャベツなどの苗がならんでいました。春の時よりは、はるかに並んでいる品目が少ないです。
春よりは確かに作れる野菜の数は少ないかもしれませんが、それと同時に、春のような希望に満ちた時期とは違って、野菜でも育てようかと思う人が少なくなっているからでしょうね。
落花生です。まだ十分には土中に実になる部分は入り込んでいないようです。蒔いたのがおそかったからなあ。もっとも、初めて作るのでどれくらいが標準は分かりませんが。
バッタがいました。形からして、おんぶバッタの雌かなと思いますが、正しくは分かりません。
畑仕事以外の野良仕事があまりにも多く、この頃は作っている作物を少なくしていますので、野菜の状態をお知らせすることがだんだんなくなってきました。
一日一村
いな妻や秋つしまねのかゝり舟
秋つしま = 日本の古称
かゝり舟 = 碇泊している舟
排 句
いな妻や家路を急ぐ遊ぶ子ら
いな妻やねこは平気で庭の石
いな妻やあの雲の下雨すだれ
いな妻や秋つしまねの行く先は
少しずつ空の澄み行く時になり
少しずつ風のおいしい時になり
この頃はよいニュースがないかしら
大麻とは大麻と違い紛らわし
大麻(たいま) = 栽培使用禁止
大麻(たいま) = 伊勢神宮や神社の御ふだ
芸能界道徳教育必修に
マニフェスト良いことずくめの百貨店
政治家は嘘つきにならぬようご注意を
芥川今度は読んでみようかな
たぶんまたがっかりするかも芥川
春の東風は刺すように冷たいのですが、夏の東風は涼しさを運んでくれるので、ありがたいです。なんとか、弱いながらも東風が吹いてくれているので、やや涼しい日になっています。
きょうの夜明けです。何となく秋の空。ウォーキングも楽になってきました。
自然に生えてきたナスです。三本ばかり奥さんが見つけて植えました。小さい実がなり始めました。今ごろからですから、なかなか貴重ですよ。しばらく、秋ナスを食べられそうです。秋ナスは飽きナスになるのではと思われそうですが、そうではないですね。
昨日、録画をしておいて見た映画です。題は「道」。かわいそうなジェルソミナという女性が旅芸人に連れられて旅をする話です。1954年のイタリア映画です。何となく心にズシーンときました。
今日見た映画です。「シェーン」という西部劇。こちらは1953年に作られたものだそうです。どちらも若い頃見たのですが、今見ると同じはずなのですが、見落としていたところがあったり、忘れていたシーンがあったりで、また違いますね。そして、どちらもまだまだ新しく感じます。
テレビのハードディスクにどんどん録画をするのですが、たまる一方なので、どんどん見ることにしました。ビデオの場合は用事ができたら、あとで続きが見られるのが利点ですね。
一日一村
番屋有る村は更けたりきょうの月
排 句
番小屋で語り更けたる秋の夜
淋しさに耐えたる人や京の月
波はただ寄せてはかえす松の月
若いころ思い出したるきょうの月
里川の流れにおどるきょうの月
じっとして月を見上げる蛙哉
来年の今月今夜もこの月夜
名月や今宵も照らす赤城山
名月や蕎麦でも食って行きなされ
名月を肴に酔いし八海山
若い衆(し)の品定め佳境里の月
年寄りの村は更けたりきょうの月
小夜更けてまたいつか見ん京の月
気温は高かったようですが、昨日のような無風状態ではなく、弱いですが東風があったので、昨日ほどは暑く感じませんでした。
まだまだ暑い日はあっても、だんだん暑さも腰が弱くなってくるのでしょうか。もう、そうなって欲しいです。体力が消耗してしまうと、流行宣言の出た新型インフルエンザにもかかる危険性がありますから。
生姜は元気です。いつもの年のように、なかなか芽がでて来ずにしょうがないなんて気を揉んでいたのですが、やっと出てからは一つも生長不良になるようなことはなく、育っています。
こんな具合です。私は、食べるのにはこれくらいの状態のが好きです。味噌をつけて食べるのが好きで、これくらいなら大きすぎず食べやすいです。食べはじめはガリガリと音がしますが、そのうちにサクサクになって、とてもおいしいですよ。
THE JAZZ MESSENGRS AT THE CAFE BOHEMIA という長いタイトルです。三枚組です。1955年のライブ録音と書いてありますが、昭和30年ですよ。私が中学生のころです。もう半世紀以上経っちゃったんですね。まだ日本は貧しい頃で、自家用車は普及してしませんでした。
このCDの音楽は大好きです。メンバーたちが一番元気だったころのものです。これを聞いていると、体が揺れてきますね。スウィングしてきます。この少し前から後の30年間くらいがモダンジャズの全盛期でした。もう、決して帰ってはこない演奏です。
一日一村
萍(うきくさ)のさそい合わせておどり哉
排 句
萍はさそい合わせる友があり
萍のさだまらぬ身の我がこころ
浮き草は水の流れに身を任せ
家にいて心は旅の秋の空
秋の風乗って行きたしパリの空
秋の風モンマルトルの白き丘
秋の風乗って行きたし京の空
秋の風五重塔を撫でていき
少しずつすこしずつ増す秋の風
少しずつひびき良くなるバイオリン
少しずつ変わり来るよな風の音
夕暮れを惜しみつつ鳴く里の蝉
栗の実の闇夜に落ちてわび住まい
街中の喧騒はるか秋の宵
マニフェストフェミニストと間違えり
言葉だけ変えても約束果たしかね
選挙カーどうしてあんなに騒がしい
選挙後も前くらい熱を出してくれ
造成地野生動物どこ行った
ハクビシンより人の方が癖悪し
そうだった私も人の端っくれ
今日は暑かったです。風も吹かず、気温は30℃くらいありました。湿度は約60%。机の上の鉛筆が腕にくっついてきて、途中で床に落っこちました。夏ですから、これくらい蒸すのはしかたありませんね。が、しばらく秋かと思わせる天気だった後なので、ちょいと辛いです。
ヤマトイモなのですが、面倒臭くなってしまってほったらかしにしてしまいました。肥料は時々はやっていますが、たぶん足りないかなあと思ってはいます。今年は彫り上げてしまおうと思っています。
栗畑の下草は、ある程度生やしておきます。端の方は邪魔なので、土にカミソリをあてるように刈り払い機で刈り取りました。先のほうにチラッと写っているのはもみ殻です。まだ使い切っていません。
それを積み上げます。堆肥にしてしまう魂胆です。これで、草の山が三つできます。色が斑なのは、下の写真に写っているものを混ぜているからです。
手前のチラッと写っている枯れた木の幹は、たぶん栗か桜かです。私は草刈り機や刈り払い機の刃がガツンとぶつかって機械に負担をかけるので、見えるように途中切りにして木が見えるようにしておきます。
その隣にあり、切った木を隠すように生えているのはタラの木です。自然に出ました。春に芽を食べようと言う魂胆なので、これは切らずにおくんですよ。些細なことでも、得することはそれなりに考えているんですよ。ヒッヒッヒ。
青草だけでももの足りないので、冬に山から持ってきた木の葉とかもみ殻燻炭などを混ぜておいた、半分堆肥状態になったものを混ぜて積み重ねています。
今は、雨がぜんぜん降りませんから、このままにしておいて、一回目の台風が来たあとで、きりかえし、次の台風でまた十分に水を吸わせてからカバーをしようと思っています。
ただ、それは計画であって、そううまい具合に事が運ぶとは限りません。でも、そうなると思ってやっているんですよ。ちょいおめでたいですね。ならなくても、大したことではないのでかまわないです。ならなかったら、ずっと野ざらしにしておくまでです。どうせやがては腐るものですから。
暑いさなか、埃を浴びながらそういう作業をやっちゃいました。快い疲れを感じています。暑い日にフーフー言いながら額を拭きふき鴨南蕎麦を食べたり、炎天下にこういう作業をして、大汗をかくのは実に気持ちいいものですねー。
一日一村
里人はさともおもわじおみなえし 「里」と「さと」の洒落?
排 句
里人はさとも思わじあきざくら あきざくら=コスモス
コスモスを見てても宇宙は分からんなあ
コスモスを見ていてカオスになりにけり
暑き午後耳をいやすはジェルソミーナ♪
涼風の稲の海吹く筑波山
暑寒といいつつ六十有余年
その割りに悟りははるか道半ば
だらだらと残暑の日々の流れゆき
村上のあの小説も売れ残り 書店に山積み
村上もポッターも売れ残り
タイトルにだまされ買うな新書本
マニフェスト俄作りを信じるの?
大丈夫?穴ボコだらけのマニフェスト
小銭持つ庶民をねらえ儲かるぞ
晴つづきそろそろ雷欲しいもの
晴と雨どうして適度にしてくれぬ
人心も天気も激しい時節也
昼寝が出来なかったので、体がだるいせいか、今日は暑く感じました。実際、暑かったのかもしれません。
ある編集会議に出て、午前午後と働いていたものですから、帰りの運転は眠くてしかたありませんでした。今もなんとなくボーっとした感じがしますので、排句作りは今日は厳しいかなと思っています。
琉球朝顔は、ちょうど窓のところを覆っていますので、良い日よけになります。なんとなく今年は茂り具合がちょっと悪そうです。花も少ないです。
この朝顔は、昼も咲いていて夕方まで咲きます。だんだんピンクがかってきます。実はできません。根が残り春になると芽が出ます。
キュウリは元気です。キュウリとナスの食卓にない日は無いです。キュウリの欠点は、葉の陰になっていてついつい見落としてしまい、すりこぎ棒のように太くなってしまうことがあることです。
それで味噌をすったらどんな具合になるでしょうかね。誰か試してみませんか。お前がやれ、なんて言われそう。
ひとりでに芽が出たキュウリも、だんだん存在感がでてきました。藁を敷いてやりましたよ。やったねとか、よくぞ、なんていう気持です。
地区の市民センターで見付けた本です。借りてきました。江戸から昭和にかけての街の変遷が書いてあります。
水戸はお城を挟んで西が主に武士、東が主に町人が住んでいて東の部分は下市(しもいち)と呼ばれてきました。もちろん町人も武士も、東西どちらにも住んではいたそうです。特にこの下市は栄えたのだそうです。この本は、その下市にある印刷屋さんが出版しました。
江戸時代の地方の街のことがけっこう詳しくでていて、おもしく読めました。
一日一村
遊行柳(ゆぎょうやなぎ)のもとにて
柳散り清水涸れ石処ゞ
注) 道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそたちどまりつれ
西 行
排 句
蕪村さんあいにくなとき行きなさり 今は柳緑に清水流れています
柳かげお化けは出番を待っており
柳下どじょうを今日も待っており
外人は柳が泣いていると言い そのように見えるのだとか
行く夏や時を惜しんで泳ぐ子ら
夕さりて花火大会あちらこちら
かんこ鳥なくや昔の繁華街
田の中に御殿のような街ができ
あな楽し新御殿脇にトラクター
ありゃ何だド田舎の丘に高きビル
驚くなそれは巨大電脳室
電脳室中はほとんど人が居ず
夕さりて一人わびしく蝉を聞く
夕暮れはなぜか心がさだまらず
インフルエンザのニュースが気になりますね。プロ野球の球団の選手3人が感染したために、その球団は行事に参加することを控えるとか。昨日は、今が冬である南米のチリの様子を報道していました。患者が多すぎて病院が程度の差こそあれ大小のパニックを起こしているとか。
日本は衆議院の選挙を控えて、それどころではないようですが、ここに来て死者を出している状態を憂えて厚生労働大臣が流行開始の宣言をしたとか。
クズの花が咲きました。
葛の花踏みしだかれて色あたらし
この山道を行きし人あり 釈 超空
道はあるが、誰も行きそうもない山道なのに、自分の前に行った人がいるらしいという証拠の踏まれたクズの花。自分の究めようとしている学問の世界のことを詠ったものなのでしょうか。彼は本名を折口信夫(おりぐちしのぶ)と言い、民俗学・国文学などが専門の学者です。
暴れ回るクズですが、花は地味できれいなものです。外国に行っては、かなり迷惑をかけているという話が新聞にでていました。
ごぼうは、こんな具合です。掘るときに楽かも知れませんが、この栽培で最大の欠点は水の管理ですね。油断すると水分が不足します。もっと油断をすると枯れます。いや、この場合は油断ではなくて、水断と言うべきでしょうか。
ブルーベリーは、まだ採れています。こんなに食べられませんから、ジャムにします。
この最大の欠点は、採るのに時間がかかることです。これをとるのに要する根気は、草むしりに引けを取らないくらいです。我慢強くないと、ほったらかしになります。とっているとポロポロとこぼれ落ちることがあります。
これを見たとたんに、気持が ベリー ブルー ( very blue ) になる人もいるでしょう。
一日一村
いなづまや堅田泊まりの宵の空 堅田:琵琶湖ほとりの地名
排 句
いなづまや琵琶湖のほとり浮御堂
いなづまや比叡の山の長き峰
いなづまやそろそろ雨も欲しいころ
いなづまやだらだら日々の過ぎるころ
いなづまやひまわり揺れて蝉止みぬ
盆の明け街を抜け行く午後の風
猫たおれ犬もたおれる焼けの午後
遠き空荒れの兆か雲光る
白き土西瓜ゆだるや午後の陽に
奥山の風が恋しい蒸しの午後
垂る稲穂選挙の車けたたまし
草むしり選挙の車行き過ぎぬ
風鈴のむこうで歌う蝉の声
幽陰の中を泳ぐや蚊一匹
白き道石に留まりしばった哉
道芝の葉もよじれるや盆あがり
宵の空いな妻つまに杯重ね
お天気は安定です。本当は、例年では8月の始めにこういう安定した状態が続くはずだったのですが、今年は全く違っていました。そして、今も大きな違いがあります。それは風の涼しさです。
久しぶりに、遊びに行ってきました。今日は日光です。朝食後に、出かけてみようかと言うことになって、それからの話でした。片道一時間半くらいで着きました。
いやはや、朝のウォーキングで一時間以上も今日は歩いたのに、また歩き回りましたよ。おまけに緩やかでしたが、長~~い傾斜も階段ある道です。
やっぱり日光は人気があるんですね。すごい人出です。外人が多かったです。歩くと体がほてって暑いのですが、風はとても涼しく気持ちよかったです。
あれっ? うちのミーちゃんが、置いて来たはずなのに、いつの間にこんな所に来て寝て居るんだろうと思ったのですが、落ち着いて見てみると毛並みが違いました。我が家の猫はキジトラに三毛風の色合いが入ったキジトラ崩れでしたっけ。
お昼は東照宮近くで湯葉料理です。量は物足りなかったのですが、たいへん結構な味でした。涼しいので、標高はどれくらいあるのか、レジのおじさんに聞いたところ650mくらいなんだそうです。
何せ、昨日は大汗を流してたくさん働きましたからね。今日は場所を変えて、いろいろなものを見たりお詣りしたりしながら、ウォーキングをしてもバチは当たらないでしょう。見たり、しゃべっちゃったり、聞いちゃったりしましたけどね。
サンダーソニア ( sander sonia ) という花だそうです。いま、庭に咲いています。
一日一村
稲妻にこぼるゝ音や竹の露
排 句
稲妻を撮ろうとしたがこりゃ大変
稲妻は光ってもいいが落ちるなよ
稲妻が光れば稲が実るとか
稲妻を取ってくれよと言う子無し
稲妻を取ったらたいへん大やけど
日光や湯葉の料理もまたけっこう
日光や外人のあいだに日本人
日光は帰宅し昼寝出来る距離
日光に外人を見に行くでなし
わからない言葉飛び交う陽明門
そんなとき見ざる言わざる聞かざるね
あらとうと青葉若葉に湯葉の味
雷は欲しいときには決して来ず
夕立や白い土打つ降り始め
夕立やマニフェストも何もくそくらえ
夕立や鳩も麻もずぶ濡れに
夕立や自転車の子は観念し
歓迎すべきことなのですが、やっぱり今年の夏はおかしいです。変です。大雨の後はきれいに晴が続いているのですが、「これでいいのかなあ」と思えるくらい爽やかな風が毎日ふいているのです。
今日は、外に出て畑仕事をしました。ギラギラ太陽なのですが、エイヤッと思いきり着がえて出たらなんだ、暑くないではないですか。実際は暑いのでしょうが、風が涼しいので仕事が楽にできるのです。
私は米は作っていません。毎朝ウォーキングをするところの田んぼの稲です。もうこんなに実ってきて垂れ下がっています。作柄は素人の眼ですけど、例年並みなのではないのかなと思っています。
北海道のような大きな面積をもって作っている野菜が、今年は雨のせいでだめなので、全体的に値上がりしているようです。茨城産のジャガ芋などは何の被害もなく出来たのでしょうが、北海道が不作なので、その分品薄になっているためでしょうか。
こぼれた種からですが、キビが実ってきました。キビ作りは一昨年止めました。穀類は一般に手間がかかります。特に脱穀と殻落としに手間がかかるので、楽をしたいと思うようになりました。キビしい。しかし、種を全く無くしてしまうのも、ちょっと残念かなと思ってこぼれて出た苗はなるべく抜かないで育てています。モロコシもモロくも続ける気持ちはなくなりました。
その先の方の雑草の生えているところは、栗畑の端です。下草を無くしてしまうと、実にはあまり良くないとか。なぜなのかは分かりません。実が早く落ちるなどと云われますが、どれだけ根拠があるのか不明です。
昨晩、月下美人が咲きました。今夜こそ咲くらしいと奥さんは絶対に忘れないようにしていたらしいです。外に出ると、もう甘い香りがしてきたので、これは絶対咲いていると断言。
きれいに、二つ咲いていました。このところ、毎年咲いてくれています。やっぱり素晴らしいですね。豪華なのですが、むやみに主張せず、むしろ控えめに咲いているような感じがします。そういう態度というのは大切ですね。花に態度も何もあるわけではないのですが、見る方はいろいろと感じるものです。そういう控えめな雰囲気は私は大好きです。
一日一村
英 一蝶(はなぶさいっちょう)が画に賛望まれて
四五人に月落ちかかるおどり哉
排 句
くらがりに胸ときめかす盆おどり
盆踊り田舎のネーちゃんこんばんは
笛太鼓耳に続くやいつまでも
ゆらゆらと浴衣のゆれて輪が動き
小提灯やさしく照らす宵の月
虫の音にショパンのピアノもの寂し
明日はまたいずこの空ぞ我がこころ
虫の音聞きつしみじみ居たり
英も蕪村もゆきて秋の空
蝉しぐれ背(せな)で聞きつつ草むしり
この草の生えるところも一部なり 世界の一部
この草の生えるとこからはじまれり
パリの街この畑の中も同じ娑婆
鎌を研ぐせなを過ぎゆく時の舟
「一晩中踊れたら」がなつかしや
若いころ毎晩聞いてたジェットストリーム
プレイボーイ平凡パンチも過ぎてゆき
今日はしも植草甚一の本見つけたり
あの頃は怖いものなど無かったね
行く秋や昭和は遠くなりにけり