そば

2015年12月31日 | Weblog


引越しのときには そば、年越しのときも そば。越す時には そば ということになっているのでしょうか。
今日はそば屋の忙しい日です。

  

お昼に食べてきてしまいました。けっこう賑わっていましたが、行列するほどではありませんでした。

 

久しぶりに県庁の展望の階まで上がってみました。天気が良すぎてまぶしくてよく写りません。
とにかく南側・千葉東京方面は地平線まで見えました。

 

筑波山はかすんでいました。明日の朝はご来光を見るのに山頂は込み合うのでしょうね。
私はご来光は家で拝むことにしています。

 

何か海の方をみると赤いものが見えるので、望遠で撮ってみたところ船であることが判明しました。この形ですとたぶん漁船ではないと思うので、大洗港や那珂湊港に入るものではなく、その北にある ひたちなか港 を利用するものかも知れません。あるいは、こんな赤いフェリーは見たことがありませんが、もしそうだったら大洗港に入るのかも知れません。

 
明日も、今日のようにのどかな日になると良いですね。

 
          


新宿末廣亭

2015年12月30日 | Weblog

     
昨日は久しぶりに東京に出かけていきました。JRの特急ですと、1時間ほどで上野まで行けるし、東京駅を通り越し品川までもプラス何分かで行けるのですが、やっぱり年のせいか、おっくうでついつい都市に背を向けてしまいます。

 

むかし、オーディオが盛んだった頃によく行った秋葉原なども、まさかメイドカフェに関心はもてないし、何だ神田の神保町にある古本屋街も、家に本が溜まりすぎてしまうので行けば買ってしまいますから、遠ざかっていることですし。

午前8時40分の特急で行ったのですが、ホームを吹き抜ける風はまだまだ冷たかったです。


         

毎年誘われているのですが、恒例の12月29日、「扇遊(せんゆう)と正朝(しょうちょう)両師匠の二人会という一年の仕舞いの公演を聞きに行って来ました。
やっぱりライブはいいですね。媒体物を通したものでは不可能な一種の気が伝わってきます。

噺はそれぞれ面白かったですね。剣術の名人に首を斬られているはずなのに、それに気づかず落ちてくる首を両手で押さえながら喋り続ける人の噺だったり、浜辺で拾った大金を酔っ払っていたために女房に隠され、あれは夢だったと言われぞれを信じてしまっていた魚屋が仕事に励む噺だったりと、お師匠さん二人はさすがに滲み出てえ来る味わいが素晴らしいです。安心して聞いていられます。

 

新宿末廣亭は古い建物ですが、それだけに味わいもまた格別です。時間が早かったので、行列はまだパラパラですが、このあと当日券で入ろうという人たちの長蛇ができました。
残念ですが、末廣亭の中や公演中の写真は禁止ですので、雰囲気は写せませんでした。

中の様子は 「新宿末廣亭 画像」 で検索すると見られる画像はあるようです。

 
                              上野~御囲地町界隈

昼に見るのとはまた変わった光景です。寒い中急ぎ足のひとが多かったですが、アメ横は買い物をする人・散策する人で相変わらず混雑していました。

 

ブログの友達が用意をしておいてくれた うなぎ を、夕闇迫る不忍池(しのばずのいけ)を見下ろすすてきなところで、いろいろなおいしいお話と一緒に堪能しました。

まさに非日常的な実に楽しい一日でした。



狂った天気

2015年12月28日 | Weblog


「 光陰矢のごとし 」 とか、「 行く川の流れは速くして・・・」 とか、時の過ぎるのは実に速いものだと人は言い続けてきたようです。誰もそう思ってきたのでしょうね。
だから、何も怖がることはないです。いや、怖がっているわけではないですが、「速いなぁ」とちょっと時を惜しむ気持は多かれ少なかれ大抵の人は思っているのだと思います。

 

このごろカラスが多くなってきました。たぶん、餌の都合かなと思います。少なくなってきたのかなと感じています。
里の餌はあまり頼りにしていなかったのが、いよいよ人家近くに頼らざるをえなくなってきたのでしょう。カラスはうるさいです。鳴き声はどうも好きになれません。

 

今年も年賀状つくりにがんばってくれました。これが切れると、弾のない鉄砲、餌のついていない釣り針、ご飯の入っていない茶碗、ガソリンの切れた自動車と同じことになります。

それにしても値段が高いですね。一箱5、000円を越しますからね。あるときに故障したプリンターを分解したら、一番底の部分にスポンジの厚い板状のものがあって、それが真っ黒に濡れていました。
たぶん、撥ねたインク、つまりジェット噴射でしょうからね、を受ける吸い取り紙の役割をしてきたスポンジかなとおもうのですが、それだけインクが無駄に出されているのかなとガクッときましたね。
 
機械を安く、インクで儲けようという腹も見え隠れするような商法と疑っています。

  
            西日を受けて暖かそうです  猫は身軽なのがうらやましいです

話はコロコロ変わります。今度は気候の話ですが、もしこのごろの気候が温暖化現象の影響なら、これからは今までの荒れ方などは序盤戦なのかなと思ってしまいます。暖冬がどうのこうのなど問題にならないくらい番狂わせの天気が続くのかななんて思ってしまいます。

それは、大きな川の上流に行くとちょっとした小部屋くらいの大きさの岩が川の真ん中に転がっていますが、あのような大きな岩を転がしてくるほど大雨が以前、何時のころかわかりませんが、確実に降ったことがあるという証拠だと思うのですが。

われわれが知っている天気の荒れで、あのような岩を転がすほどの大雨は今まで降ったでしょうか。

 

「 葦の髄(よしのずい)から天井を覗く 」 という言葉が昔のいろはカルタにありましたが、葦(よし または あし)の管を覗いて見える世の中は、ほんの一部しか見えませんから、大きな世の中を知ることはできません。
まあ葦などではなく、この目で見たって、そうは世の中分かるわけではありませんが。
私がこれからの荒れ模様のことを思うことなど、葦の髄からの言葉に近いものかも知れませんが、何かもっと荒れるのではないかという気がするのですが、それは杞憂で終わって欲しいもので、ぜひそうならないように願いたいです。

ただ、ある 「 日本の歴史 」 を読んだときに、静岡県にある、或る大きな川沿いの古代の集落の遺跡を見て行くと、時代とともに集落の跡が上流に移っていった形跡があるのだそうです。それは海面が上昇して、上へ上へと人を押しやったことを示すのだそうです。そういうことが起ころうとしているのかも知れません。



門松

2015年12月27日 | Weblog


北風がとても冷たく、背中の肩甲骨の間あたりがとても寒く感じます。

           

寒い日の午前に神社の役員さんが集まって神社に門松を立てました。鳥居と神社の前の二箇所です。

 

今は縄をなえる人が少なくなり、たいへんな時代になってきました。ホームセンターで縄を買ってきても値段が高いし、神社の場合は普通の縄と違い、逆によじるのでなおさら大変です。

 

    
 

社は小さいのですが、市の史跡になっています。そのわけが鳥居のところに立っていますが、写真を縮小すると文字が読めなくなってしまうので、二つに分けました。
追鳥狩は おいとりがり と読みます。勢子は せこ と言って狩を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手のいる方向に追い込んだりする役割の人のことです。

 

今まで暖かかったので、菜花が咲いてしまいました。2月ごろに咲く蝋梅が葉をつけたまま咲いてしまったり、本当に番狂わせの冬の始まりです。

何か良いことがあればと思うのですが、ニュースによると野菜の成長具合が狂ってしまって値崩れがしたりと、あまり良い話は聞こえてきませんね。

年が明ければ何か明るい話題が目白押しに聞かれるようになると良いものです。



大渋滞に考える

2015年12月25日 | Weblog


大晦日が少しずつ近づいてきているせいでしょうか、道路の渋滞が激しくなってきました。
昨夜はフルートコンサートがあるので、出かけたのですがすぐに大渋滞の中に巻き込まれ、時間に間に合わなくなり戻ってきてしまいました。

 

その渋滞を抜け出るのに、わき道に出ようとしたのですが、その道につながる交差点にたどり着くまででさえ、かなり時間がかかってしまいました。
渋滞に出会うたびに思うことがあります。

<あの大震災のあとは、道路が気味悪いほど空いていた>
   
そのことを思うと、渋滞は歓迎すべきなのでは? 世の中が活発に動いているということと思うべきかなと・・・。

                      

用事があり、海辺の町に行きました。魚市場は混雑をしはじめたようです。

    

カキフライのカキの大きいこと。刺身の一切れの大きいこと。魚市場のご飯はすごいです。

 

太陽の光を反射して海はとてもきれいでした。そとに出てもまだそれほどは寒くありませんでした。
風もなく穏やかな海でした。

 


ガラパゴス

2015年12月24日 | Weblog


日本の縄文式時代は一万年も長く続いたのだそうです。先日テレビでやっていました。そういう例は世界に類が無いそうです。狩猟の時代から農耕の時代になってしまったとか。
農耕に成功し、しかも集落の解体が行なわれなかった場所があるそうで、それが三内丸山遺跡なのだとか。

ここにもまた日本の特異なところが見受けられるそうです。太古の昔から特異なことは起こっていたそうです。周りを海に囲まれ、しかも決して小さな島ではなく結構大きな場所であったがために、独自に発達できただろうし、他からの侵略が行なわれなかったせいなのかなと思います。

 

今でも特異です。少し前までは、日本独自のパソコンが日本では大半使われていたし、今は携帯電話機がそうです。その現象を、その場所独特の発達、つまり進化をしてきたということにかこつけ、ガラパゴス携帯などと言われたわけです。ガラパゴス・パソコンとは言われなかったようですが、まさにパソコンもガラパゴスでした。

 
                            やっぱり手をだした~

ほかのことはともかく、わが身を振り返ってみると、何か私の生活もガラパゴス化してきているのではないかと・・・・・・

 

菜花の一種のノラボウナは、霜に影響されてみんな萎えてしまいました。しかし、これでまいってしまったわけではありません。これからまた立ち直ると思います。なにせ、冬の野菜ですからね。
ちょっと心配なのは、暖冬のせいで育ちすぎていることです。育ちすぎると体内の水分濃度が薄くなり凍る心配がありますからね。

 

しかしまあ、雑草はかなり枯れたのですが、中には生き生きとしてその数を寒くなってからも増やし、伸びてこの冬を謳歌しているものがあるのです。
もっとも、全部土地が禿げてしまったようになってもまずいでしょうが、これが春になってから、生い茂り根っこがしつこくガッチリと土を掴んでいますので、抜きにくいので行く先心配です。
見かけなかったような雑草が生えています。輸入物かと思います。中には生態系を狂わせるものもあるのではないでしょうか。



降りだして嬉しいこと

2015年12月23日 | Weblog


今日は、最初は青空が見えていたのですが、だんだん曇ってきて、午後4時半頃にふりだしました。ウォーキングの最中だったので、急いで帰ってきました。

降り始めると困ることの方が多いのですが、いまのところ思い当たることで一つだけ嬉しいことがあります。
それは、枯れ葉を積み上げた堆肥を作ろうとしているところに、雨が降ると木の葉にしみ込み腐りやすくなることです。

 

急いで帰ると体によいです。と言うと変な言い方ですが、急ぎ足ですから、「ためしてガッテン」によると体内にミトコンドリアと、私にはよく分からないのですが、とにかく良い物質が出来るのだそうです。
ですから、今日はたくさん水戸コンドリアじゃ無くって、ミトコンドリア、を体内に作ったわけになります。何も感じませんけど。

 

時間は前後しますが、今朝の日の出の様子です。お日様に力がありませんね。北欧のお日様のような感じです。
多少曇りがちだったのか、霜はおりませんでした。そういえば、ズンという感じの寒さはありませんでした。

   
             

昨日は冬至でした。取っておいたカボチャを食べました。もちろんお風呂は今年初めて生ったユズを入れました。
写真は、レンズが曇ってしまってダメでした。

 

テレビを見ていたら、何でも一万人によるベートーベンの交響曲第9番の演奏なのだそうです。すごいことを企画するものですね。
指揮者は、いま大活躍中の佐渡 裕(さどゆたか)という人です。とても、聞く側の人たちへの思いやりがあるのか、いろいろなことを企画して楽しませてくれます。
『題名のない音楽会』を毎週日曜日に放送しています。

 


楽あれば苦「蟻」

2015年12月22日 | Weblog


今はあまり言うひとはいませんが「楽あれば苦あり」と子どもの頃にはよく聞いたものでした。楽をしていると後で苦労すろとか、楽をしたと思っていたら苦しいときが来たとか。
ですが、たぶんこのことわざの言おうとしていることは、楽をして居ちゃいけない、後で苦労するよ、という意味なのでしょうね。


 

それがお話になっていて同じ教訓になっているものがありましたね。「蟻とキリギリス」の話でした。
苦労したけど、苦労しっぱなしで楽が出来ないでしまった、なんて言う不幸な人もいますね。ですから、苦労したら楽しんで、またせっせと働くなんてのが現代の生き方でしょうか。
と言っても、新聞を読んでいると、なかなかそうはうまく行く人ばかりもいないですね。何とかならないものかと思います。

 

こんなに支えをやっていてもアスパラガスは倒れてしまうのです。何かよい方法があると良いのですが、専門家のやり方を見てみたいです。
ハウスの中が好いという話ですが、まあ適当にやるのが家庭菜園ですからね。そんなに上手く行ったら出荷するようになってしまいます。

 

出荷するのはイヤです。規格に縛られ、検査を受け、それこそ一日中働きっぱなしです。私の職業は農業ではないのです。
規格が厳しいせいで、捨てられる農作物が多いのです。そんな無駄なことをやっていてはバチ(罰)に当たりますよ。
限りがあるエネルギー資源の無駄使いです。

 

農業をやらない人たちに農家の人たちが牛耳られるなんて、そんな理不尽な・・・・・。と思うのですが、考えが単純すぎるでしょうか。


 


難転

2015年12月21日 | Weblog


今日は月曜日です。月曜日は水戸はそば屋がだいたい休みです。ところが、おかしなことにたまたまなのですが、月曜日にはそばが食べたくなるのです。
今日は我慢をしました。いえ、我慢をせざるを得なかったからです。

 

憂鬱な月曜日という言葉をよく耳にしました。サラリーマンは一週間の仕事の始まる日ですからね。朝は早く起きて、いそいで味わう暇も無い朝食を取り、渋滞の中あるいは混雑の中を出勤しなければなりません。
そして仕事に行けば行ったなりに猛烈な仕事が待っているわけです。今はそれからは解放されていますが、それでもやっぱりやらなくちゃならないことは山ほどありますからね。

 

これは南天です。南天は難転ですね。日本人はこの種の発想に長けていますね。素晴らしいと思います。
他にも、水辺に生えている管のある植物 葦(蘆)。これは、本来は アシ と言っていたのですが、アシは悪し(あし)に通じると言うので、漢字は変えずに読み方や言い方を アシ から ヨシ というのを付け加えてしまったようです。もちろん ヨシ は 良し・好し・善し に通じますからね。

 

話は戻って、忙しい話ですが、ホームセンターなどに行って見ると、何も買わずにあちこち見て回っている年寄りがいます。
彼らは物を買うわけではないようです。何かその様子をみると分かります。ものを探すとか性能を確かめているとかいう目つきではありませんですからね。
要するに暇人です。何をして時を過ごそうかと、暇をもてあましているなら、もし出来ることなら彼らから時間を買い取りたいです。

 

かく言う私も人の何倍も時間を有効に使っているわけでは決してありませんが、何か忙しい中で空しく時間が過ぎ去っていくのを感じるのです。
まあ、あまり気にしないことにはしていますが。気にしていたらコタツにあたり、ビデオを見ながら居眠りなどしていられませんからね。






白い世界

2015年12月20日 | Weblog


夜明けは遅いし。日暮れが早い。まだ朝は辛いです。要するに冬に慣れていないかなと思っています。

 

このように夜明けは真っ白です。もちろん外の流しの蛇口からは一滴も水は出ません。
右端の方にある1.5mくらいの高さの木は ウシコロシ というもので、ウツギ と同じようによく土地の境に植えられているものです。

  

時々、犬のコロを連れて歩きます。出ると田んぼ、と言っても元は畑で、井戸を掘り水をくみ上げて田んぼにしているところですが、に出ると放してやります。
喜んで駆け回りますが、あるていど駆け回ると素直に私のところに来て紐に繋がれます。おりこうさんです。が、走り足りないと近くに来ても逃げる仕草をして、なかなかつかまりません。

 

その間、私は歩き続けます。早足とゆっくりを混ぜて歩きます。人は来ないし、車は来ても一台くらいしか通りませんから安全です。それに道は車一台しか通れないくらいなので、スピードは出せません。

 

こんな曲を見つけました。短いですが楽しい曲です。


ありがたや

2015年12月19日 | Weblog


寒くてさむくてサムくて仕方がありませ~~~~ん。今まで暖かかったせいか、やたら寒く感じます。もっとも、ろくに冬の暖かい衣服をきていないせいかも知れません。
さすが、夏ものは着ていませんけどね。晩秋くらいのものを着ているからかも知れませんね。

 

こんな季節ですよ。タクアンにでもするのでしょうね。先日と言ってもしばらく前ですが、11月22日 に掲載した柿の皮はこれに使おうと思っているのだとか。

 

それで、葉っぱの方はコレ、干し柿を寄せてそこにこんな風に干し始めました。タクアンを漬けるときに上に乗せるのだそうです。
残りの葉っぱは堆肥を作っているところに木の葉と一緒に積み上げました。

 

どこから飛んできたのか、室内にこんなものが・・・。とにかく、今はもう枯れ葉が庭を転げ周り猫がそれを追いかけ、庭の隅々の吹き溜まりには重なりたまって、植木の葉っぱの間にはくっつきまわりと、我が家の庭は木の葉の天国ですからね。

その木の葉が沢山落ちるので、良質の堆肥が作れます。そのおかげで野菜が育つという自然循環が成り立ち美味しいものが食べられるということになっています。
堆肥作りは、運動も兼ねて体を動かすことになりますから、木の葉を恨むようなことは一切できません。

 

庭の片隅に、きれいに万両が実をつけました。小鳥はまだ食べに来ません。餌がまだあちこちにあるのだと思います。

南天もしっかり赤い実をあちこちでつけています。学生の頃は、これに悩まされたものでした。「 試験で何点取った? 」 なんてね。もっとも、この南天のせいで、難を転じることができたみたいだったようです。
ありがたやありがたや。

 


~~~~~でした。   




冬の青物野菜

2015年12月18日 | Weblog


 毎日、沢山の方に見に来ていただいてありがとうございます。たいした内容でもない、拙い文ばかりのものですが、おかげさまでたいへん励みになります。

今日は、日が暮れかかっている頃にウォーキングをしたのですが、空気が冷たかったです。歩き始めは、あまり寒く感じるとだんだんしり込みをする気持が強くなりますので、寒さが辛く感じない程度に着重ねして出ることにしています。

そして、道も半ばを過ぎるころは少々暑く感じるくらいにすると、少し汗ばみますから、それも体に良いことかなと全くの素人の判断ですが、それを良しと言うことにして歩いています。

 

夜明けと夕暮れの写真は似ています。これは今朝の夜明けの様子です。星がひとつ写りました。明けの明星でしょうか。

地面は霜が一面におりて真っ白でした。

 

ほうれん草、リーフレタス、それにコマツナです。まだ青物が食べられます。と言ってもほうれん草は冬の野菜ですが。
青物野菜は夏ほど多くはありませんが、幸い冬を好むものがありますから助かります。今は流通機能が発達し冬でも夏野菜が食べられる時代ですが、私のように畑で野菜を作っている者には、自然が与えてくれる冬の青野菜はありがたいものだと感じます。

 

まだ庭の隅に咲いていました。春から夏にかけて咲くスミレの一種です。小さな可愛い花です。私は決して強く主張せず小さく可愛くきれいに咲いているこのスミレが大好きです。

このような花も好きですし、そっと咲いている山野草も好きです。

 

まいとし、友達から誘われて聴きに行きます。今年も楽しみにしています。普段はなかなか出かけられませんから、テレビで楽しんでいますが、ライブは面白いです。空気を伝わってくるものはライブでないと味わえませんからね。



 


今日の空は七面鳥

2015年12月17日 | Weblog


今日は、みっちり編集の仕事をしてきました。いやそのややこしいこと。写真入り、それも大きさが指定されているものを数枚入れながら、1ページがB5の大きさで三段組なのですが、そうなると入れる文字数が制限されますから、そこが腕の見せ所かなと思ってしっかりとやってきました。あ、いや腕と言うほどの腕はありませんが、まあそれなりに能力に応じて考えてきました。

落とせない伝えるべき情報は確保しなければなりませんから、新聞記者の苦労はよく分かります。

 

朝は曇りだったのですが、夢中で仕事をしているうちにこんなに晴れていました。軽トラのなかから撮影をしていました。
の~~~んびりと散歩でもしたい気分です。

 

外国にいる友達に手紙を出そうと思って、ほぼ一日持ち歩いてしまいましたが、うかうかすると郵便局が時間で閉まってしまいますから、考えた末に帰り道に通りがかるショッピングモールの中に郵便局があることを思いつきました。

 

中はもちろん賑わっていましたが、私が欲しいものはほとんど売っていませんから、そのまま車に戻りかえってきました。
考えてみれば、男ってのはつまらないですね。女性ならひと時楽しんでから帰ると思うのですが。

 

帰ってきてひと休みをしている間に、あんだ~?この雲は~~~~。なんか、急に変わるなぁぁぁぁ。
気温も下がって寒いこと。油断ならないですね。

そう言えばその日によって機嫌の違う人。お天気屋なんていいますね。そんなことを思い出してしまいました。
そう言う言葉もありますが、今日の空模様はまるで七面鳥でした。顔色が見るたびに違うとか・・・。


 


時雨かな いや違うかも

2015年12月16日 | Weblog


日暮れが早くて、なんとなく忙しいです。明るいうちにやってしまわなければと思う外の仕事がいろいろあります。
もう大丈夫かなと思っていると、また一つ思い出しては、また外に出たりすることが多いです。

 

田舎の夜景を楽しみながらウォーキングをすることがあります。遠く、ゴルフ練習場のあるほうの光です。
その向こうは空が隣町の明かりのために明るくなっています。

 

木の葉を積むんでは踏み、水をかけ、また積んでは踏みしています。これだけあってずいぶん積み重ねたように感じますが、これが腐ってしまうと、ぺシャッとして案外少ないものになってしまいます。
ですので、かなり多めに積み重ねないとガッカリします。

 

これからの季節は、俄かに空模様が妖しくなり、暗くなって風が起こり、パラパラと雨がおちてきたりすることがありますね。
いわゆる時雨でしょうか。今日は思わせぶりだけで終わってしまいました。でもまだ、夜になって雨になるかもしれないし、分かりません。

 

テレビの映画をカメラで撮ったものです。若い頃の樋口可南子です。きれいですね。テレビの画面をカメラで撮ってもけっこうきれいに撮れるものです。
ただ、カメラとテレビ画面は縦横比が違うし、なかなか水平に撮るのは難しいです。しっかりと正面に座して撮らないと撮った絵が横置きの台形になります。
また、正面に構えると、カメラからでた速度を決める光線が画面のガラスに反射して、それが撮れてしまうことがあります。



流行り

2015年12月15日 | Weblog


座ってばかりいると体に良くないのだそうです。立っているのが良いというので、外国では事務のしごとも立ってやっている所があるそうです。
テレビの報道番組でやっていました。あれは確か 「 クローズアップ現代 」 だったと思います。

疲れるでしょうね。あとは慣れでしょうか。しかし、一日中立っている仕事、例えば店員さんなどはふくらはぎあたりの血管に良くないのだそうです。

   
   < 一日中曇りでした。こんな風景です。暗いですよね。生命力を感じさせない。 >
 
下から心臓に向かって血液を流そうとする力が働くのだそうですが、それでも引力に逆らって下から上に押し上げるのは大変です。
静脈の中にバルブがついていて、下に血液が下がろうとするのを抑える働きをしているのだそうですが、立ちっぱなしですと、その弁が弱ってきて血液が下がるのをとどめる働きが弱るのだとか。

 
    < 車内から撮った昼下がりの水戸市内。
                地方都市の例にもれず、昔の賑わい今いずこです。 >
 
そう言うことを考えると、立ったほうが良い、たちっぱなしもよくない、となると何が良いのか分からなくなってしまいます。

素人ですから判断は間違っているかもしれませんが、その二つの説から考えてみると、姿勢はいろいろと変えながら生活することが良いということになるでしょうか。
医者にいわせるとまた、そりゃ違うよ、ということになるかも知れませんが。

 
 < チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で 1 位を取った
    諏訪内晶子さんのメンデルスゾーンとチャイコフスキーのバイオリン協奏曲 >


AKIKO SUWANAI(諏訪内晶子)1990 「The Violin Concerto in D major, Op. 35」

医学もそうかも知れませんが、学問などにも流行があります。本当はこう言う部門には流行などと言う浮ついたものは無いほうがよいのですが。
何時でしたか、もう何十年か前には主に小学校の算数の勉強の勉強で 集合 と言うのを盛んに教えたことがありました。

何でも集合集合と、まるで衆愚のような響きに聞こえてなりませんでした。今は集合のシュの声さえ聞こえてきません。あれは何だったのでしょうか。
まるでハシカにでもかかったような。そんなことでは、良くないと思います。やらされた生徒は偉い迷惑だったかと思います。

 

ブログを更新していると、よく部屋に入ってきてプリンターの上でこんな格好で寝始めます。
あいにく蓋に電源のボタンがついているので、スイッチがはいってしまいますから、紙や封筒などを幾重にも敷いて電源が感知しないようにしておきます。
良く見ると、片方の後ろ足がずり落ちているような・・・・・・。