昨年の春だけ、花粉症になったみたいで、その前の年は多少はクシャミが出たのですが、さほどでもなく終わり、今年も今の所は朝のうち、あるいは午前とか午後などに一時ちょっとクシャミが出る時がありますが、大したことはありません。
一度花粉症にかかると、その後ずっと苦しめられると思っていたのですが、そうでもないみたいです。ただ、今年は花粉が少ないと言う話を聞いたことがありますので、来年がまた平年並みかあるいはそれ以上多い場合には、アレルギー症状が出るかも分かりません。どうも、天気と同じように体のことは分からないことが多いですね。
タラの芽はまだですか~。待っているのですが。はやく食べたいのです。
冬は少なすぎ、春は花が多すぎます。桜など、早いところが得意げに写真を出していますが、遅い地域は羨ましいなと指をくわえて待っているだけ。花に文句を言ってもしかたがないですが。
人の体のことに話が戻りますが、ある栄養素が不足してくると、それを含む食べ物がとても食べたくなるのだとか。でも、そうでもないような気がします。たとえば、甘い物が好きな人は何時も甘い物を食べたいと思います。もし、甘い物はもう十分と体が信号を出せば、しばらく食べたくなくなるはず。そうしたら、糖尿病なんてものすごく少なくなるはずです。
ところが、テレビなどからの耳&目学問ですが、それは体の信号系統が狂ってしまい、どうのこうのという言い訳がましい説が出てくるのです。それは、別に医者や学者が悪いのではなく、体はそんなにきちんと物事を処理できないのだということだと思うのです。
昔の人たちは、医学が今のように発達していなかった頃、たとえば鎌倉時代とか、縄文時代など、どうしていたんでしょうね。クシャミばかりしていて、戦いに行ったは良いですが、すぐに敵に見つかりやっつけられてしまったとか、せっかく獲物に近づいたのに、そこでハ~~クションとやってしまったので、今度は獲物に追いかけられてしまったなんてことも? あったはず。
泥棒に入った家に人がいて、じっとしていたのですが鼻がムズムズ・・・・ いや、もう止しにしましょう。
廃 句
隣国を 敵視する癖 症候群
花粉症 おゝ君もかい 仲間だね 親近感
症状を 互いに報告 花粉症
消費税 小物買いだめ 気が済んだ?
渋滞の 訳がやっとこ 分かったよ もうすでに遅し
数十年前に、一人の人間が一国を支配して、ヨーロッパ大陸を中心に世界を震撼させたことがありました。たった一人でです。もちろん、たいへん上手に組織を作り上げて、彼に絶対服従のその組織を使ったからです。
一国一城の主の判断で、その家来たちの家族も含めた大集団が滅びることもあるし、離散してしまうこともあります。あの 『 忠臣蔵 』 で代表されるあの事件が誰でも知る代表的な出来事です。もし、主(あるじ)に聡明な判断や忍耐力があったのなら、大石内蔵助は表向きは歴史に名を残すことなく、平々凡々な家老のままで平和な毎日を送り生涯を全うすることが出来たかもしれません。
四十七士が本懐を成し遂げたことは日本人ならおなじみの話として、みんなが知っていることですが、離散せざるを得なかった家来たちの数多くの家族の人たちは、その後それぞれがどのようなうな一生を送ったのでしょうか。私はこの頃は、そちらの方が気になります。誰か学者で調べている人がいると思うのですが、ぜひ読みやすい本にして出版してくれると有り難いです。誰もまちがい無く大変な苦労をしたことだと思い
今度は本格的に雨が降ったので、出るに出られないでいたシイタケはにょきにょきと出てきました。今日も降っているので、これから出てくるのもあるかも知れません。出なくてもがっかりしません。あまり一度に出ると、食べきれませんし、飽きますからね。
昨日、海浜公園で食べたホットドッグはソーセージはビッグでした。普通の1.5倍から2倍近くあったのではないかと思います。
どこの売店も長い行列を作っていました。行列は好きな人も多いらしいですが、私はどちらかというと嫌いなほうです。他のところが長い列を作っていたのに、不思議なことにこのホットドッグの所は待ち人ゼロでしたので、そこでスイスイと買ってパクついたのですが、不思議なことに買っている人がいると、その後ろに付くと言う習性が人間にはあるのですね。たちまち長い列になってしまいました。それを見ていた私の脳内は?????で充満してしまいました。なぜだろう???
だれも買う人がいないと、「 どうせおいしくないんだろ 」 と思うのでしょうかね。「 食ってみなけりゃ分からないだろうが 」 と思うのですけれど。それに、ホットドッグなどは見りゃ味はどんなものか、おおよそは想像がつくというもの。変な癖があるものだわいと思いました。
タイトルは忘れましたが、子どもの頃に読んだ話があります。畑でお百姓さんが雨が降らないので嘆いていたのですが、その姿を見た雲の中の一滴の雨の滴が、「 ボク、雨になってお百姓さんを助けるんだ 」 とポツリと雲から落ちて畑にしみ込む。たった一滴じゃ何にもならないのですが、ほかの友達も 「 ボクも 」 「 ボクも 」 と言って彼の後に続いて落ちたので雨になって、お百姓さんは大いに助かり喜んだという話を思い出しました。
ホットドッグの行列と、そのお話の中の雨とは同じ性質のものではないのですが、ただ 後に続く ということでふと思い出した次第です。
そんな訳で春雨はしとしとと激しくはなく、おしとやかに降り続いています。気温は、三月の末ではまあこんなところでしょうね。暑くも無く寒くもなく、やや寒いくらいです。
先日植えたジャガ芋にはとても良い雨になったことでしょう。願わくば天にお願いしたい。これからの雨は多すぎず少な過ぎず、程ほどにしてもらいたい。人をあまり困らせない程度にしてもらいたいものです。
ちょっと、暖かすぎるのではないでしょうか。少しずつすこしずつ暖かくなるのでは無く、階段状に、しかも一段ずつではなく、数段分上昇したり下降したりと、押しつ戻りつしながら暖かくなっていく訳です。
毎年のことながら、相変わらず喜んだりぼやいたりするわけです。
国営ひたち海浜公園は人で賑わっていました。休みなので、子どもがたくさん来ていて、とてもよい風景でした。
駐車場はすごい車です。北関東一帯、湘南、横浜、福島、仙台などなどのナンバーがあちこちに見られました。高速道路が公園のすぐ近くまで来ていますので、とても来やすい位置にあるせいもあるでしょうね。
それに広場が大きくゆったりとした空間、海が見下ろせたり、遊園地もあるしと、いろいろな年齢層が楽しめる公園です。私たちは、もっぱら花を見ながら歩きました。何時も同じコースではウォーキングも飽きますので、今日は場所を変えて、楽しめるコースにしました。
花は、梅や水仙が見事でした。もう少しするとネモフィラの季節になります。チューリップも咲きます。
今日は、春らしく暖かです。「あたたか」と言う言葉に対する漢字は「暖」と「温」とありますが、ネットの辞書を引くと いろいろな用例がある中で、気温の場合には「暖」であり、物があたたかになっているというような時の表現には「温」を当てているようです。漢字は易しく覚えやすかったのですが、使い方は整理をしてみないと混同してしまいます。
そう言えば「暖冬」とは言いますが「温冬」とは言いませんね。「温湯」とは言うけれど、「暖湯」とは言わない・・・。
バナナ(芭蕉)の木は冬の寒さでこのように。 しかし、これから緑の芽が出て復帰するという話です。もらってきてから一年目なので、まだどうなるのか分かりません。
立ち上がり実が生ってくれるといいのですが、私の地方では無理なようです。せいぜい葉っぱでも見て楽しむ程度です。
ガラス越しに猫と対話。トントンと叩いて呼ぶと、寝ていなければ出てきて挨拶をします。カーテンが邪魔ですが、何とかかき分けて姿を見せてくれました。
田圃の縁は一面の芝桜。と、言いたいのですが、これはホトケノザです。田圃だからいいようなものの、畑だったらこりゃ大変。
名前は良いですが、まったく強くて邪魔な雑草です。ホトケノザは春の七草ですが、これではないそうです。いつの時代か分かりませんが、本来のホトケノザという名前をこの草が奪ってしまったようです。これは食べないそうです。食べるとどうなるのでしょうか。
私は、このような雑に扱われるようなものに、カミとかホトケなどの名前はつけない方が良いと思います。
今日も、しずしずと時が流れて行きます。時そのものは時刻が変わったところで、ガチャンとかいう音はたてません。人は区切りをつけたくて、時計などと言うものを生みだし、それを12×2に区切り、一区切りごとに音を出させるものを作りました。時間という観念を持っているのは人間だけなのでしょうか。
竹が、ほかの土地にまで侵略して困る話をよく聞きます。私のところでも、かつては孟宗竹と真竹の二種類があったので、その苦労はよく分かります。
実は、いまでも真竹の根っこが栗畑にしつこく残っていて、なんとか生き残ろうと、今は竹にはならず篠のような細い茎の笹をつけたのが、ちょっとでも油断すると出ているのです。放っておいたら立派な竹が生えてくるでしょうね。
この竹が有効に利用できたなら・・・・・。
突然、野外に現れたドラム群。なんじゃぁこれは? 実は、これは太い下水用の塩ビ管に黒いビニールを被せたものです。白いウドの芽を出したい訳です。ガムテープは風に裾がヒラヒラと舞わないようにです。紐は、なるべく緩まない特殊な縛り方をしています。最期まで緩まないでいるかどうかは不明。
今まではこの中にもみ殻を入れていました。いろいろ試してみたのですが、こんどは中には何も詰めないで、黒のビニールで覆ってみました。結果はどうなるのか分かりませんが、まあやってみることかなと思います。
私は米は作らないので、もみ殻はありませんから、他から調達しなければなりません。木の葉を詰めても良いのですが、葉っぱのままですと、ウドの芽は柔らかいので、くねくねと曲がりながら出てくるので、あまり具合がよくありません。それなので、今度は詰めずに空洞のまま、ということにしてみました。
大きな口を開けた木の怪物です。笑っているようにも見えます。
ジャガ芋を植えました。今年も2列。3kg分で、二つに割ったので、数は倍になりました。
一仕事終えるとホッとします。畝間は広めです。芋になってから、露出するものが出てきて、それがお日さまの光りを浴びると青くなりますので、その時に畝間が狭いと掛ける土不足になります。少しでも離れた所から持ってくるのは、一度や二度のことではないので、とても大変なことになりますからね。
廃 句
梅の花 数は多いが 実のほどは? どれだけ実になるか
ホーホケキョ 早く来いこい 梅の花
おい、風よ せっかくの春じゃ 弱く吹け
保育園 急にひっそり 春の午後 お昼寝の時間
小っちゃな手 芋を掘る声 思いつつ ジャガ芋植え
「6月はいっせいに花開く」と言うミュージカル映画の中に出てくる歌がありますが、6月でなく日本では春です。春はいっせいに花が開く時です。
冬はあまりにも花のない季節。それが過ぎると、もう世の中は花だらけの季節になりますが、今はその前兆です。梅が咲き、水仙が咲き、ヒアシンスが先、菜の花が咲き・・・・・・。
私のところでは、桜まで咲いてしまいました。もっとも、これはサクランボの花ですが。でも、桜はさくらです。あの、変な意味のサクラではありませんよ。
外出して観察をしていると、今はいろいろな服を着ている時期だなとおもいます。ダウンのジャケットを着ている人もいれば、シャツだけ、しかも数はごく少ないですが、半袖の人もいるくらいです。冬と初夏との間のまちまちな服装が見られる時期なのだなと思います。
まあ、何にしても厳しい冬は終わったのだなと思うと、ホッとしますが、緊張感がほぐれて、やっぱり眠い時期ですね~。
我が家の裏の草地に、今日は保育園生がきて遊んでいました。私の姿を見ると、一斉に走ってきます。可愛いですよ。
野の花を摘んだのを見せにくるところです。手に握っているのは、ホトケノザの花です。これな~に? ってみんな聞きます。 名前の知らない草の花の名前を聞かれると困ります (^^;)。
イチジクの枝を土に触れさせておく図。こうやって置くと、触れているところから根がでます。しっかり根が出来たら、本体の方から切り離し、別なところに植えて増やします。
イチジクは、木自体が甘い汁をだすのか、小さな種類のカミキリムシが芯に食い込み繁殖するので、しまいには枯れてしまいます。その時のために、こうやって苗木を作る事にしています。
もちろん、不可能な木もありますが、この方法で増やすことの出来る木があります。サツキとはつつじ類も出来ますが、梅雨の頃に枝を切り、土に挿し水かけを怠らないようにして根を生やさせる、いわゆる挿し木でもできます。が、この土に触れさせておく方法は、水やりをする必要がないので、木の形さえこだわらなければ、楽にできる方法です。
地植えのヒアシンスの花に高さが出てきました。
廃 句
やっと春 世の中みれば 不安だなぁ
なに故に 喧嘩しかける 隣り国
どじょっこや 鮒っこやっと 動けるね
買いだめに 走っていくら 得したの? 5%⇒8%
使い捨て 出来ずに物が 溜まるなあ
タケノコが皮を一枚いちまい剥がして行くほどではありませんが、少しずつ着ているものを脱いでいます。まだ、寒い日はあると思うのですが、あの寒のような寒さではないはず。
むしろ、冬に着ていたものをその通りに着ていると、暑くってあつくって、おまけにゴワゴワしてとても苦しく感じます。
羽根をバサバサやっているときに撮ったらしいのですが、今日はツバメが来ていました。そろそろ、巣を作る場所でも探すのでしょうか。気をつけないと座敷に入って来られてしまいます。座敷に巣を作られては困ります。糞の害がありますからね。糞を踏みつぶしてしまい「憤慨」なんちゃって。それに、留守にするときでも、鍵をかけられなくなってしまい不用心です。
ジャガ芋は切り口が乾いたので、植えようと思うのですが、他の雑用があって一日延ばし二日延ばしになっています。
まあ、今日明日中にというわけではないし、まだまだ大丈夫です。
今年も きたあかり だけ 3kg。 それでも全部は食べきれません。
エシャロットは、まだちょっと早いみたいです。まだ球が小さいです。しかし、食べきれないうちにどんどん育ち硬くなってしまいますから、早めに食べ始めたほうが良さそう。
ひさしぶりなので、特においしく感じます。パリッと新鮮。香りもさわやか。スカッと爽やかなのはコカコーラ。
懐かしい
廃 句
あれ作ろう これも作ろう もう止めた 定番野菜だけでいい
ツバメ来て 蛇が出てきて すぐお盆
住宅が 出来て森ひとつ また消えた 危ないから切っちゃおうっと
街中に 民家がひとつ 二つ消え マンションか郊外へ
通販が 栄えて街が がらんどう
穏やかな天気が続きます。今日は、白内障の手術後、初めて病院に行って検査をしてもらいました。
視力は1.2で正常です。術後の経過は良好なのだそうです。次回の検診の日にちを決めて帰って来ました。
予約の時間より早く行ったのですが、それなりに早く終わり、すべて終わった時には予約した時間より10分前でした。予約時間というのは何なのでしょうか。たぶん、単なる目安ということなのでしょうかね。来れば、その順番でやってしまうのでしょう。何せ患者はかなり多いですからね。この人は早すぎるから、Aさんより遅くBさんの前に、なんてカルテを手にしてトランプのカード並べみたいなことをやっている暇などないでしょうから。もっとも、カルテというのはドイツ語で、英語ではカードだそうですけど。
シイタケは雨のあと出ることは出たのですが、そのあと空気が乾燥してしまったので、干しシイタケに似た感じになってしまいました。
湿り気が多ければ、焼いてサッと醤油をかけ食べるとおいしいのですけどね。これを、少し水につけておいて食べるという方法もあります。
クリスマスの頃に咲かないクリスマスローズ。変な命名。
『 「 クリスマスローズ 」 という呼称はクリスマスのころに開花する 「 ヘレボルス・ニゲル 」 だけを指した呼称であるが、日本の園芸市場では 「 レンテン・ローズ 」 と呼ばれる 「 ヘレボルス・オリエンタリス 」 なども 「 クリスマス・ローズ 」 の名前で出回る。多くの品種は、クリスマスのころではな春に開花する。 』 と、ウィキペディアというサイトには書いてありました。
勝手に紛らわしい名前を付けるな~~~っと言いたい。
そんな名前をつけるより、どうせなら 「 梅見ごろ 」 とか、「 東風吹かば 」 とかの方がまだ季節に合っているような気がしますけど・・・。
廃 句
変な名前 白を黒だと 言うが如し
この頃は そういうことが 多いような
例えば怒っているのに「怒っていないっ」と言う人が多いですね。
経済の 復興だけが 能じゃなし
小保方さん 今ごろ何を してるやら 気の毒な感じがするのですが
「ソチはどこ?」 「韓国っ」と言った 人がいた
どうも、この頃は救急車のピーポーピーポーという音とか、消防車のウーウーという音が少しずつ多くなってきているような気がします。ピーポーの音とウーの音が一緒に聞こえることがあります。何でも、交通事故の場合には車両の火災も起こりえるので、救急車と消防車が出動することがあるのだとか。
静かであるはずの田舎住まいも、高速道路ができたために大変便利な思いはする反面、休日にはオートバイの大群団が来るので、ものすごい爆音が近づいてきて遠ざかって行くのです。まあ、一日中ではありませんからそれはそれですが、いろいろな音にプラスされますので、いやはやもう音だらけです。
ジャガ芋の種芋を植え付けようと思って、準備をしました。空いているところをまず耕しました。縦に耕したり横に耕したりと、小さな畑は工夫が大変です。もちろん、作るのは二人で食べるのと、保育園生が芋掘り体験をする程度の量ですから、耕したところ全部にジャガ芋を植えるわけではありません。
あれやこれやとやっていたら、西の方にものすごい煙が上がっているではありませんか。それがすぐ近所に見える野で、急いで駆けて行ったら近づくほど遠のいていくのです。
結局は、近所には関係ない隣町の、作物を作っていない空き畑の枯れ草を燃やしているのです。ですが、これはちょっと人騒がせなやりかたです。黒い煙が舞い上がったりしていたので、てっきり家の火災だと思いました。
いろいろな種類の水仙が咲いています。私は花は好きですが、これは何と言う花で種類がどうのこうのというのには、極めて弱いので水仙は水仙です。種類はどうでも良いという感じです。
人は何かなら何まで関心を持つことはできません。たとえ持ったとしても、人に与えられた時間というのは限られていて、その時間をどう使うかは人により違います。同じ家にすむ家族であっても、その使い道は立場により違うし、好みや優先順位などの考えかたも違いますから、違いは当然出てきます。
若い頃に、レオナルド・ダ・ビンチはすごく広範囲に亘っていろいろなことを知り実践した人だということを聞いたことがありましたが、いかに彼であっても天から与えられた時間は限りがあったはず。全く感知しなかったことも多々あったはずと思います。ただ、私のような凡人との違いは、記憶力はもとより、その突っ込み方や、ものに接した時に広がる脳内の想像力、創造力、判断力、推測力、企画力などなどが桁はずれに優れていたものと思うのですが、それがやっぱり天才である所以なのでしょうね。
偕楽園に梅を見に行って来ました。天気は上々。風もなく梅は満開。最高の観梅日でした。
偕楽園の下にも大きな公園がひろがっています
昔は 梅むすめ 今は 梅大使 です
好文亭と言われる建物 好文とは梅の別名です
偕楽園から見下ろした千波湖
南側には広い芝生も広がっています
その芝生でお昼を・・・ 「芝生に入っちゃダメ」 なんてことがないのが嬉しいです
沢山の人たちが芝生で食べていました
およそ3,000本あるのだとか
こんなゆるキャラも・・・ 水戸ちゃんと言うのだそうです 納豆の藁つつをかぶっています
常磐線、東京からの下り 観梅デーには偕楽園臨時駅で下車できます
千波湖はとてもきれいでした
ものすごい人出でした。
風は比較的強いのですが、雨のあとなので埃が立たずにいます。助かります。吹いてから雨のように逆だったらたいへんですけど。
天気は上々。庭に植えてあるクヌギはまだ葉が出ていません。庭に山の木を普通は植えませんが、一部にビオトープがあったので、その日陰には庭木より雑木の方がいいだろうと、庭師さんが植えていったものです。
もう見慣れたので、そのままにして置いても異様に思えませんので、敢えて切るようなことはしないで、そのままにしてあります。
そら豆はまだこんな具合です。全部がうまく発芽するわけではないので、少し斑になっています。
そら豆の種はけっこう値段が高いですので、発芽率が悪いと割高になります。
少しずつ花が多くなってきました。
今から暖かくなるという時期は良いですね。今から寒くなると言うときとは全然気持ちがちがいます。
If winter comes, can spring be far behind. と言う、イギリスの詩人シェリーという人の詩の一節にこのような文があります。日本では 「 冬来たりなば春遠からじ 」 と言う訳が有名ですが、この言葉の中には、春が強調されています。春はそう遠くは無いのだから、ちょっと我慢しましょうという気持ちも込められているわけで、冬はやっぱりあまり歓迎したくないのでしょうね。
春がきたなら、ずっと春でいて欲しいものです。
今日は一日雨でしょう。気温は低めですが、もちろん冬のような寒さではありませんので、まだ何かちょっと暖房は欲しいですが過ごすのは楽です。
「 春雨じゃ濡れて行こう 」 にはちょっとまだ寒い。「 春雨じゃ、急いで帰ろう 」 でしょうか。
いつもの見慣れた風景ですが・・・。 雨の様子はしとしと降り。風の日よりはずっと良いです。特に目の手術をしたばかりの私には埃っぽくないので助かります。まだデリケートな目に、細かい砂を吹くんだ空気にグラインダーを掛けられるような感じになってしまう風の日などは注意しなければなりません。
普段は通らない所ですが、先ほど用事があって通った道です。良い景色だなと思い、車を駐めて車内から撮って見ました。
これとは違った風景でしたが、こういうのを見ると、映画 『 第三の男 』 のラストシーンを思い浮かべます。
それから、これは神宮外苑の冬景色です。
埃がべったりとついた車は、使ったついでにカーポートに入れずに、わざわざ外に置いて、雨に埃を流してもらおうと思って出したままにしてあります。うまく行けば、洗車をしなくてもきれいになる。かな?
ひと雨ごとに暖かくなってくれれば良いのですが。でも、もうお彼岸ですから、確かに暖かくなってくれるはずです。そうでなければ困る。
この辺では静かな雨ですが、北日本はまた荒れるとか。いや、荒れているところがあるようです。かなり強い風が吹いているとか。
さまざまな災害が何時とは無しに大小襲ってくるものですが、それによって人はくじけずに強くなり、耐久性のある家を作り、少しの雨では崩れない堤防をつくり、揺れにも強く、燃えにくい家を作ってきました。
これからも、我々は腰砕けにならず、便所の火事にもならず、グッと歯をくいしばり何とかしていかなければなりません。そういう星に生まれたのですから。
今から30数年前に出版された本で、内容は少し古いのですが、この本の中に 他の惑星は変化がとても急激なのだが、地球は大変ゆっくりである。したがって、そのゆっくりした変化であるために生物が住める星になった というような内容のことが書いてあったのを正確ではありませんが覚えています。
確かに気温の変化も、天気も、地殻変動もたいへんゆっくりです。大地震が起こるのは突然ですが、それはゆっくりと移動してきた近くが突然バランスを失うからです。そういう突然さは免れないです。まあ、おおむねゆっくりですから、比較的安心して住めるわけです。昼間は灼熱地獄になり、夜になると氷の世界になってしまうと言うのでは、とても我々の祖先は生き残れなかったに違いありません。
ぜひ、これからもゆっくりと変化していって欲しいです。人が原子力などを使い急に変化させては生物全体が死滅します。地球は穏やかであっても、惑星の衝突などという宇宙からの襲撃が無いわけではありませんから。
三日間入院をして白内障の手術をしてきました。日帰りでも出来る所があると言うのですが、いずれ通院しなければならないようですので、入院が良いと思いました。
このような認識番号?を腕につけられました。まるで囚人? 今は、いろいろな病院でいろいろな事故があった末にこのようになったのでしょうが、本人であるかどうかを必ず確認します。
二年前に左目の手術をし、水晶体を交換したのですが、今度は右目が急速に具合悪くなったので、急いでお願いし行いました。これで、両目が正常にもどり今は眼鏡無しでディスプレイに向かっています。
新聞も眼鏡なしで読めるようになりました。 入院中は、ただひたすら食事が来るのが楽しみでした。
こういうキャップを被せられ、眼帯をして車椅子で手術室に向かいます。
手術の時間はよく分かりませんが、たぶん15~20分くらいだったのかなと思います。時間はそれより長く感じましたが、痛みは全然無くて、ただ恐怖感だけが私の脳みそを支配しました。それでも、二度目だったので強い恐怖感はありませんで、恐怖感というより緊張でしょうか。歯医者さんのあの椅子に座って、回転するあのイヤ~~~なけずり機、つまりドリルを待つ気持ちにも少しは似ているかもしれません。
先生や、看護婦さんたちはだいぶ手慣れたようで、もう、今までにかなりの患者の手術を手がけてきたらしいです。手術室から戻ってきても、自宅に帰ってきてからも痛みは全く感じられません。
パソコンOK。 洗髪 OK。こんな手術ってあるのでしょうか。あるんですね。
入院前のことですが・・・
コロは元気です。刈り払い機でカミソリでヒゲを剃るみたいに、地面を削りながら取った雑草をコロの所に集めました。これからコロは、この雑草をメチャクチャにしてくれるでしょう。
なぜ刈り払い機かと言いますと、冬から春にかけての草は、根の数がとても多く、鎌で切り取るのがとても大変です。最初は鎌で取りかかったのですが、時間もかかるし労力もたいへんなので、 とひらめいたのが、この横着な方法でした。
蛇足
前回の手術体験記は 2013年4月24日に書いてあります。
午前中は、村の鎮守様でお祭りがありました。末社(まっしゃ)と呼ばれている小さなお宮が数社ありますが、その中の一社の祭でした。
とある仕事をしていて、ある女性の方からもらった書類の入った封筒。裏にこういうシールが貼ってありました。女性の好みは素晴らしいですね。男の場合ですと、ただのり付けをするか、ホッチキスでバチンととめるか、あるいはセロテープぐらいなものですが、こういう楽しい気配りが嬉しいです。
さて、先ほどの話。神社の杜は深閑として、寒い中とても気持ちが良いです。「もり」に当てる漢字は二つあります。森と杜ですが、杜の方は日本で出来た漢字、つまり国字なのだそうです。他に、おなじみの国字は峠とか、裃(かみしも)、躾(しつけ)などなどあります。
杜は、通常「神社のもり」を言うときに使うのだそうですが、この頃はいろいろな所で使われるようになってきました。
夜の梅
先ほどからの話の続きですが、たびたび使われるようになってきた理由を私なりに考えてみました。一応、仮の結論ですが、それは 「もり」を表す漢字に「森」を使ったのでは、あまりにもありふれている。そこでいままではほとんど使われなかった「杜」という漢字を使うと、珍しさ、新鮮味、ちょっとロマンチック・・・・ のような特別な感じになるから、 と言うことなのですが間違っているでしょうか。
キヌサヤに今年はネットをかけています。霜が降りて溶け、そして根が持ち上げられて乾く。という悪い循環のある中で、おまけに時々強い風が吹き、根っこを中心に振り回され、葉っぱが土にこすれて同心円を描くということがたびたびあります。つまり、それだけ風に振り回されてしまうということです。
せめて、同心円を描かせられるという苦難はできるだけ避けてやろうと思って、そのような手を今年は使ってみました。中でぬくぬくと育っているようです。ネットですから、さほどは暖房の効果はないでしょうが、それでも無いよりは暖かいのではないかと思います。水滴が内側に付いているのがみえます。
まあ、それなりの効果はあったかなと思います。雑草が出ていれば、雑草にとってはもっと好条件になるのですけどね。
気晴らしに、お昼を食べに大洗海岸に行ってみました。
天気が良いし、風も穏やかでした。そのせいか、海岸もそれなりに賑わっていました。海岸は広く全部は一つの画面におさまりませんが、サーファーたちが群がり、車もかなり来ています。他県ナンバーも目立ちました。遠い所では湘南のナンバーもありました。いよいよシーズンです。
老夫婦が海を見ています。見ると、福島のナンバーでした。挨拶をすると、相馬から水戸に避難してきているのだそうです。いろいろと話を聞きましたが、この年になって何時帰れるか分からない避難生活を知らない土地で続けているとは、本当に気の毒な話です。同じ町内の人たちが、ごっそり一つに地区に移動してきているはずもなく、まったく孤立してしまった毎日なのではないかと思いました。
二人の背中はやっぱりさびしそうに見えました。気の毒だなあ。
さて、気を取り直して・・・。私は牡蠣フライ。刺身はホウボウだそうです。とても肉厚でした。んまかった~~~。
食べて外にでると、近くの大きな広場でフリーマーケットをやっていましたので、ウォーキングを兼ねてぐるぐる見て回りました。それこそ沢山の店が出ていて、かなり賑わっていました。
このあたりはマリンタワーがあったり、アウトレットがあったり、フェリー港、科学館、ヨットハーバー、お風呂があったりと、楽しいエリアです。
まだ寒さの戻りが多少はあるでしょうが、やっぱりもう春になってきているような感じがします。良い気晴らしになりました。