口あけて

2014年09月30日 | Weblog


    口あけて はらわた見せる ざくろかな

これは、イザヤ・ベンダサンという人の書いた 『日本人とユダヤ人』 という本の冒頭にある句なのですが、昔から言われて来た言葉なのだそうです。しかし、今はほとんど聞かれないですね。

 

父が買って読んでいたものです。角川文庫ですが、昭和49年(1974)に発売されたようです。書いた人は山本書店主と自分で言っていますが、たぶん山本七平という日本人がユダヤ人になりすまして書いたのだろうと言われています。

さて、その 口あけて~ の句ですが、どうやら武士道の心得について言っているらしいです。したり顔したような説明もしたくないので、どうぞ関心のある方は http://blog.goo.ne.jp/mushiba0/e/122e4aa91efe01cf9f87ead0996b6cbf をご覧ください。

それはともかく、この本は面白そうなので、ところどころは拾い読みしたことがあるのですが、今度は通して読んでみようと思っています。楽しみです。

 

ケールです。ずいぶん背丈が高くなりました。まだまだ食することができます。スムージーに入れたりしています。

 

昨日は、見事にたくさん作ってあるキャベツ畑の画像を出しましたが、今日は自分のところのです。ケールの仲間なのだそうです。食べきれるかどうか分かりませんが、とにかく比べたら、ほんの少々ですが、まあこんな具合です。

 

もらってきた時には、猫風邪は引いているわ、右前足は骨折するわでお医者さん通いをしましたが、今はまだ大人ほどではありませんが大きくなって、ずいぶん活発になりました。元気に飛んでいる蝶々などを追いかけピョンピョンと跳び上がったりしています。


  

    口あけて はらわた見せる アケビかな    パクリ
                                  
                               二つかかっていますよ
    窓越しに ジッと外見る 子猫かな
    軽トラで 田舎のドライブ これも良し
    温泉は 無いけど田畑  小川あり
    青空の 近くはやはり  危険あり      高い所だからナ
    

 


忘れないように

2014年09月29日 | Weblog


良い日は続きます。風も爽やか。

 

朝の一番撮りです。野菜の一番取りではありませんよ。すごいキャベツ畑です。これは専門家が作っているものでしょうね。
球になりかかっていますね。

 

柿の季節になってきました。

 

涼しくなってきてからモロヘイヤの新芽も出にくくなりました。そろそろお終いですね。それにしても、すごい勢いです。夏中食べていました。
茹でるとヌルヌル。そのヌルヌルのものは体に良いのだとか。

 
                                    ノゲイトウ

今夜は、月下美人が咲きそうです。忘れずに見ようと思って居ますが、いざ暗くなるとテレビが面白かったりして、なんか忘れそうな気がするなあ。
花も黙って咲きますからね。何か、ポ~~~~ンとでも大きな音がでると、「アッ」と気がついて見に行けるのですけどね。
鉢を移動するのも重くてたいへんですし・・・・・。


  
 
     これからは もの忘れを友に 生きるのだ
     思い出し  ダメだったりと  いろいろです
     今夜こそ  月下美人を   忘れまじ
     


その力に感動

2014年09月28日 | Weblog


青天の霹靂(せいてんのへきれき)とは、晴れ渡った空に突然、雷鳴がとどろくことを言いますが、昨日の御嶽山の火山爆発はまさにそれそのものです。雷のような音も聞こえたとか。
それにしても、数百人の登山客がいたという話ですが、人気のある山なのですね。私も若かったら、ぜひ登ってみたい山でした。木曽節に謡われている山です。

  
   

この歌は、本当に子どもの頃から聞いてきた歌です。子どものころは たび(足袋) という言葉も物もしっていましたが、あわしょ というのは分かりませんでした。少し大きくなってからは 袷(あわせ)の着物 のことだと分かった時期があって、何時だったかは記憶にありませんが、分かったということは覚えています。

 

つまらないことに・・・ と、思われるかも知れませんが、ニュースでこの画面を見たときに感動しました。救助に向かう人たちの長い列ですが、この力強い勇気ある人たちが黙々と噴火をしている山に向かって進む力と気持ちはすごいなと思いました。危険をおかして困っている人たちを助けに行くその力のある人たちが、もっともっといるはずですが、こんなにいるんだと思いました。

麓の農家でも被害が多少でているようです。早く治まって欲しいものです。

 

さて、下界はこんなに晴れ渡っています。やや風が強めですが、迷惑にならない程度です。とても良い天気の日曜日、ですね。

 
 

それで、しばらく遠ざかっていた畑のほうはどうかと言いますと、ナスはまだまだ大丈夫。とてもおいしい時期です。

 

大根は発芽率がよくて、健康(?)に育っています。土は表面が少々乾いてきました。まだ風では土埃が立たないですが、このまま青天が続くと乾燥しすぎです。もっとも、この下の部分はまだまだ湿気は保たれているはずですが。


また災害

2014年09月27日 | Weblog


次々といろいろなことが怒ります、じゃなくって起こります。こんどは火山の爆発です。

         
          今はこのように文庫本がでているようです

私がまだたいへん若いころ、調べたところ1980年(昭和45年)だそうですが、アメリカの航空宇宙局NASAで惑星探査の指導者であった、カール・セーガンという人が コスモス という本をだしました。宇宙のこと地球のことを一般人がわかりやすいように解説した本ですが、それを元にテレビでも放送されて大変な人気でした。
テレビ番組は夜の11時頃から始まったので、私はほとんど見ることができませんでした。今のように再放送は無いじだいでしたので、私は本を買って熱い気持ちで読んだものでした。

 
 
その話の中で思い出したことをひとつ。・・・

地球のほかの惑星の場合は変化が極めて早く激しいのだそうです。気温の変化や大地の変動、大気があったとすればその動きなどなどではないかと思うのですが。ところが、地球の場合はそのどれもが比較すれば極めて遅いのだとか。そのために地球上には生物が生きることが出来るのだそうです。確かにそうです。動きの激しい所では生き物などは生きていられませんし、子孫も残せません。

 

こういう風景を持つ惑星は、どうやらほかの銀河系にでも行かなければ無いでしょうね。いや、一つも無いかもしれません。

 

さて、この頃の外の様子ですが、相変わらず雑草は生え続け、今は盛んに子孫を残そうとして種が沢山できています。種になってしまうとやっかいです。それでも草の量が多くて、とても始末しきれません。
自然に任せるのが一番という農業法があるようですが、少量の出荷ならあるそうですが、大量に出荷する専業農家ではそういうことをしている処はないようです。

夏の野菜は順次収獲を終わり、すこしずつ殼を始末しているところです。それと同時に種まき、苗植えもすこしずつ・・・。


   廃 
        句

     天高く  などとのんびり してられない    また災害
     だからとて ここで慌てて  何になる
     天高く   なくても腹は  減るものさ
     雨の日は 腹がへらない ことはない
     猫二匹  俺んちにきて  喧嘩するな







筑波山

2014年09月26日 | Weblog


夏の疲れが残っているのか、まだ体力的に心配がありますが、あまりにも天気が良いので筑波山に行って来ました。

 

筑波山はいくつも登る道がありますが、今回は筑波神社の境内を抜けて、ケーブルカーで登ることにしました。この神社のところから登山となると、ちょっと今の体力ではきついです。

 

ケーブルカーを利用するのは、本当に何十年かぶりです。このほかに、まったく別な登り口の方からロープウェイもあります。
車内の案内の放送では、ケーブルカーとロープウェイの二つの乗り物がある山は珍しいのだそうです。

 

途中でくだりの車両とすれ違い。

 

晴れていましたから、眺めはとても良かったです。はるか向こうの方が霞んでいなかったら、富士山も見えたかも知れません。これは南西の方向の風景です。

 

下に見えるのは琵琶湖の次に大きい湖・霞が浦(かすみがうら)です。

 

ケーブルカーは、男体山と女体山の間の広場・御幸ヶ原が終点です。そこから、今回は男体山に登りました。こちらの方が女体山より傾斜が急なので大変ですが、ゆっくり休みながら登りました。

筑波山の遠景ですが、右が女体山、左が男体山。その間の低い所が御幸ヶ原と言われるところです。男体山の方が少し高いと言われています。

 

筑波神社の拝殿のすぐ裏には歌碑が所々に立っていました。これらは皆、万葉集の筑波山が詠み込まれている歌の碑です。

 筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
 筑波祢尓 可加奈久和之能 祢乃未乎可 奈伎和多里南牟安布登波奈思尓

 
 

お昼は、筑波神社門前にあるホテルで食べました。待っている間にお風呂があるので、ゆっくり入って汗を流しました。

天気は良いし、気温は暑くも寒くもなく、登るのに汗がでても涼しい風がなでて行ってくれるので、すぐに楽になりました。




アオマツムシ

2014年09月25日 | Weblog


いろいろな電子メールが使われて来ました。携帯やスマホのメールは別にして考え、パソコンを利用してのメールは、ブログの会社も扱っていましたが、この goo の会社などは、メールサービスは行わなくなってから1~2年経ちます。膨らんだ事業が少しずつ縮小され、終いにはブログそのものもなくなる可能性だってありそうです。

 

私は、あるブラウザーの電子メールサービスを受けていますが、この頃は携帯・スマホ・facebook、その他のサービスを使うことが多くなってきているのか、ブラウザ(yahooなど)の電子メールは通販とかその他の会社からのメールがほとんどになってしまいました。このデジタルの世界も刻々と変化しつつあります。変化すると、次第に親しくしていた人とつながりにくくなったりしますので、疎遠になっていくような感じがします。

友達まで使い捨てになってしまうようで、なんか寂しくもあり、情けなく感じさえすることもあります。

 

柿の葉っぱの中で虫が大きな音を出して鳴いていました。この図は背中を撮ったものです。体は左下を向いています。左右に一本ずつ触覚が伸びています。右上の方に背中の羽根が、これはやや広げた状態で写っています。

 

これは横向きで、背中からかなり羽根を離して振動させて鳴いていました。アオマツムシというのだそうです。

 

私の庭には、けっこう数が多いらしく、夕方になるとあちこちでコオロギの声に混じってきこえてきます。近くで聞くとうるさいくらいですが、遠くでコオロギの声と混じり合ってきれいな音色に聞こえます。

  
                                蕎麦の花

 
                          近くで見るとこのように

気ぜわしくて、少しニュースを詳しく見られないでいましたが、あの台湾から中国の方にかけて暴れていた台風は、台風で無くなってしまったのでしょうか。

今朝、テレビのデータ放送を見たら、その台風は何処にも表示されていなくて、低気圧の図が出ていました。そして、台風情報をクリックしてみたら、新しい別な台風がこっちを狙っているような図がでていました。とにかく、一つ台風が来ないでしまったということで、良かったよかったです。また、被害を受けるともう、本当に困りますからね。

 

 


千成りほおずき

2014年09月24日 | Weblog


世の中は分からないことだらけです。分かったようで分からないのが歴史。一体何が真相なのかさっぱり分かりません。もっとも、歴史に限らず、現代のことも同じです。今も大騒ぎになるような出来事、例えばいま騒がれている地震直後の原発事故に対しての対処のしかたなどは、一体どうしてそのようなことなのか、説あって分からないことが如何に多いことか。

 

草地にある千成ほおずきです。野生のもので、雑草です。草むしりの対象になります。

 

今はまだ青いのですが、熟すると赤くはならずに黄土色になります。浅草はほおずき市でも有名ですが、その元は東京の愛宕山に鎮座する愛宕神社から始まったのだそうです。
元はこの千成ほおずきだったそうです。

 http://sikisansaku.sakura.ne.jp/465_atago/houzuki.htm をご覧ください。千成ほおずきのことは書いてありませんが、BSジャパンでやっている「神社百景」で愛宕神社を放送しているのを見ていたら、ほおずき市のことが出てきて、元は千成りだったと言っていました。

この写真のほおずきは私のところに生えているものです。雑草なので、取り払ってしまいますが、根絶やしにはしないようにしています。

 
                         

もと、私の家の田んぼのあったあたりです。川を挟んで二カ所ありました。まだ幼い頃でしたが、春になると親が仕事をしているこの田んぼや脇を慣れている川でよく遊んだので、とても懐かしいです。

父母が耕していましたが、ここから家は少し遠いし、トラックも脱穀機なども一切なくて、他人にお願いして脱穀などをしてもらっていました。いちいち頼み廻るのが大変だったらしく、ほかの土地と交換をし、米作りは止めにしました。子どもながらも、そのことをよく覚えていて、懐かしさでジーンとくることがあります。

 

 

 
 


どんぐり

2014年09月23日 | Weblog


カレンダー通りにしか休めない人もいれば、4連休の人もかなりいたのではないかと思いますが、今日で連休は残念なことにおしまいになります。

全国的には、台風が来ている地域もありますが、概ね天気には恵まれたのかなと思っています。お墓参りに遠くまででかけた人あり、観光地に遊びにいった人あり、働いていた人あり、儲けた人あり、大損をした人あり、デートをした人あり、失恋のせいで暗い日々を送ったひとあり、悲喜交々であったことと思います。

 

庭に大きくなってしまったクヌギが二本立っていますが、今年はよくドングリをつけました。

 
                                   

クヌギのどんぐりは、このように細長いのではなくて、丸いものです。今年は、こんなに沢山落ちていましたので、集めてみました。今のところ、これくらいになりましたが、これからもまだ落ちるかも知れません。

せっかくのドングリですから、取っておいて春になったら蒔こうと思います。発芽に失敗するものもありますが、大部分は芽がでると思います。そうしたらプランターなどで2~3年育ててある程度大きくしてから、裏山に植えてやろうかと思います。

 

春も終わるころになると、このように発芽して、どんどん育ち木らしくなります。

 

今日はお彼岸の中日です。お墓参りに行ってから、いったん家に戻り、それから奧さんの実家にお線香をあげに行ってきました。
帰り道、観音様があったのでお参りをしに階段を上っていくと、寺の人が「どうぞ上がってお参りください」と言ってくれたので、観音様の前に座ってお参りができました。


    廃
  句

     中日は   暑くもなくて    寒くもなし
     穏やかな 日々が過ごせて 言うことなし
     秋の蚊は そのしつこいこと かゆいこと
     蚊が来たら 潰さにゃ戦い  終わらない
     デング熱  やっかいものが またひとつ



今日も良い天気

2014年09月22日 | Weblog


髪が伸びてくると、洗っても何となくかゆい感じがします。それなので、思い切って床屋に行って散髪してもらいました。
慣れということもあるでしょうが、女性はよくかゆくならないですね。私など、伸びてくるとうっとうしくてなりません。

 

花びらが大きく、種の部分が大きすぎないので、首が垂れ下がることがなくて、この種のひまわりが好きです。
花が垂れ下がらないのと花が大きすぎないことは、お供えの花にしたときにも具合が良いです。畑の空いているところや、花壇などあちこちに咲いています。

 

渋柿です。あかく柔らかになるまで置いておくと、とても甘くなります。

 

若い頃から聞いてきた アート・ブレーキ-とジャズメッセンジャーズ。この3部作はすばらしいです。本格的なハード・バップ・ジャズ。エネルギーに溢れた音楽。

 

今日も、天気がよくて良い秋の日でした。西の方は台風の影響で大変な状態だそうで。お気の毒です。


 
     



秋深し まだ早い?

2014年09月21日 | Weblog


お彼岸になってもまだ暑い、という年があるかと思うと。例年より遙かに暑い日々が続いたあと、ストンと物が落ちるように涼しくなり寒くなると言う、今年のような秋もあると言うことですね。

 

国道を走っていたら、こういう車が脇に来て信号で止まりました。これは珍しいとばかりにパチリ。インパラというロゴが読めたので、帰ってきてから調べたところ、シボレーのインパラというアメリカの車だそうです。
1958年から6年間作られていたそうです。こういう大きなアメリカ車が以前、と行っても10年になるかならないかくらい前ですが、若い人たちの間で流行っていたことがありましたが、ガソリンの値段が高くなってから、姿を消していました。どれくらい燃費がかかるのか分かりませんが、アメリカの車は一般にガソリンを食うそうです。並じゃないくらい食うそうです。

 
                          今朝の東の空

いろんな物が流行り廃っていきますが、過ぎてしばらくすると、とても懐かしく思うものです。当時は何となく反社会的で面白くないことが流行るななんて思ったことも、過ぎてみれば大したことでないことが多く、返って郷愁を誘いさえすることがありますから面白いものです。

この車だって、かなり不格好ですね。それでも、いま見れば お~、なかなか面白い格好をしているな~ なんて主観の目から客観の目に変わっている自分がいるのです。

 

もう紅葉している枝もあります。今は紅葉と書くことが多いですが、古くは 黄葉 とも書いたようで、今も書かないわけではありません。「こうよう」 とか 「もみじ」 と読みます。

 秋山の黄葉をしげみ惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも   柿本人麻呂
      (あきやまの もみじをしげみ まよいぬる いもをもとめん やまじしらずも)

 秋山の黄葉が繁っているので、迷ってしまった。
                   妻を探そうにも、山道が分からない。

 

町内の団地にある古墳。開発されるときに、これだけは残したらしいです。
古い土地のようで、幅が3mくらいある浅い川がながれていて、その両側に田んぼがあります。いわゆる谷田(やつだ)です。
大昔は、その水と田んぼがあるので川の両側には集落が点在していたようで、土器、石器や鏃などが今でも見つかります。

    

パン屋さんに置いてあったブロンズ像。何を持っているのかなと思ったら、大きなフランスパンを抱えているのでした。
こういう像もいいですね。女性のブロンズ像というと裸体が多いですが、私はそういうのは嫌いで、ごく自然な生活の一コマというものが好きです。


  廃 句
      
    秋深し 芋でもひとつ 蒸かそうか
    秋深し 冬になったら 石焼き芋
    秋深し 赤トンボの群れ まだ見えず
    秋深し 猫もコックリ 昼下がり





 


石岡散策

2014年09月20日 | Weblog


昨夜は、ちょっと寒くて夏掛けの布団では眠れなくなると思い、厚いものにしました。その布団の重いこと。

 
       

水戸からほぼ 20km くらい南にある石岡という町に行って来ました。ここは、その昔は常陸国の国府、つまり県庁所在地のような所でした。
その当時からずっとここの鎮座している総社宮にお参りをして・・・・・、

  
  

街に出ると、このような古い店の多いこと。以前、この夏ですがNHKの 『 家族に乾杯 』 という番組でも紹介されたことがあります。
もちろん、今の街並みですから、このような建物ばかりではありませんが、ほかから比べるとはるかに多いです。

 
 

こういう店 もありました。クリックしてみてください。

 

表通りに面する店では昔なつかしいおもちゃや、駄菓子、小物の手ぬぐい、お面、藍染めなどなどを売っていましたが、

 

その奥には座敷があり、このような急な階段を上っていくと

 

二階は、まるで 『龍馬が行く 』 のセットにでもなりそうな感じの座敷が・・・
ちょっとタイムスリップをしたような感じになります。

少し離れた所に車を置いて、場所を変えたウォーキングです。なかなか、車で通っても用事が無ければ国道もバイパスを通ってしまいますので、混雑した街の方を通らないし、通ったとしても素通りしてしまいます。ですが、わざわざ出向いて行けば、そう遠いところではないし、普段と違った風景が目の前に展開して楽しいものです。


思えば遠くへ来たもんだ

2014年09月19日 | Weblog


今日で、ブログを始めてから3450日になるのだそうです。「 思えば遠くに来たもんだ 」 と言う歌が昔ありましたが、数字を見れば、「 思えばずいぶん書いたもんだ 」 という感じです。

          
         今日はYoutubeの具合がわるくて,動画を貼り付けられませんでした。

 
  具合が良くなったみたいなので、追加して歌の動画を載せました。

考えてみれば、それだけ私も年を取ったということになります。よくもまあ、「 下らないことを毎日まいにち書いたもんだ 」 です。

思おうと思おうとしなくても、毎日まいにちの時間を惜しげもなく捨ててここまで来たのだとも思います。同じ状態では退屈しますが、過ぎてみれば 「 時間よ止まってくれ、このままで良いから。」 とも思うものです。

 

秋になったせいか、時のすぎゆくことを考えていたら、少しおセンチ気味の気分になってしまいました。
人は時には振り返ることも必要ですが、それは思い切り大地を蹴って前に進むように、振り払って前を向いて進むべきかなと思います。

 
                           そろそろ作り直さなくては・・・

秋の草はすぐに実をつけます。植物は、いよいよ自分の季節が終わりかなと、日照時間や気温の変化で鋭く感じ取り、子孫を残そうとするのだそうです。
人間は、そういう点では鈍感ですね。本来は備わっていたはずの、さまざまな本能的な感覚を、自分で発達させてきた文明のおかげで、いろいろな機能を失ってしまっています。
動物は、進化ということもありますが、基本的には千年や二千年経っても同じ状態ですから、本能は変わりません。ただ、人間とあまりにも密着して生きている飼い猫や飼い犬はどうだか疑わしい面もあるかとは思いますが、詳しいことは素人ですからさっぱり分かりません。

 





栗拾い

2014年09月18日 | Weblog


半袖でいると、夕方は寒いくらいになってきました。もちろん、虫の声は多く大きいです。毎晩、虫の交響曲が聞けます。

 

東の空なのですが、夕焼けです。秋らしい雲になってきました。

 

保育園生が栗を拾いにきました。どうやってイガに入った栗を取り出すのか分からないので、先生が手本を見せて下さいと言います。

          
今回は、大きな火ばさみ(石炭ばさみ)という金属のハサミを持ってこなかったので、靴でイガを開き手でつまんで拾いましょうと言うことになりました。
右から二番目の子が靴で栗をイガを開こうとしています。

 

かん高い興奮した声があっちこっちで聞こえて楽しい雰囲気になりました。
子猫のミーちゃんも一緒に遊んでいるつもりなのか、興奮してさかんに木登りをしたり駆け回ったりして、子どもたちにカワイイカワイイとなでてもらったり、楽しかったみたいです。

フェンスを隔てただけなので、園生はすぐに来られます。大抵の保育園では、芋掘りとか栗拾いなどは、バスをチャーターして遠くまで行かなければならないのですが、ここの保育園では楽に来られます。

 




腰痛により読書

2014年09月17日 | Weblog


昨夜は、一時ずいぶん激しく雨が降っていましたが、今日は曇り空とは言え、一日降りもしないで持ちました。空気がずいぶん落ち着いて、と言う言い方は空気と言う言い方で始まってしまったので、どういう雰囲気なのか、なかなかどう言う雰囲気かを捕らえにくい言い方ですが、雰囲気が落ち着いた一日でした。

 

数日、腰を痛めていますので、あまり外の仕事はしないようにしています。今日は落ち着いて、もみもみ機に寝そべるようにして座り、腰を中心に揉みながら本を読んだり、たまった録画をみたりしていました。

ふだんは、なかなか小説など読んでいられませんが、今日は働けないし、ひとりでいたものですから覚悟が決まりましたので、ゆっくりと読んでいました。

 

これは数日前からここに置いてある、使っていない部屋なので、こういう風に置いたままにしておけるのですが、ダンテの 『 神曲 』 の 「 地獄篇 」 です。いつかは読んでみたいと思っていましたが、ついつい後回しになってしまい、この年になってしまいました。が、なかなか進まないです。この後に 「 煉獄篇 」 と 「 天国篇 」 が待っているのです。まだ 「 煉獄篇 」 までしか買っていません。

 

今日のはこれです。これは読みやすいのですが、私が速読できないタイプなので、遅々として進みません。しばらく小説は読んでいなかったので、長いと飽きるのですが、これは全体としては繋がりがあるのでしょうが、章ごとのまとまりはありませんけど、短編の集まりのようなものなので読みやすい方です。今の自分と若くてワイルドかつガサツであった頃の自分の両方の年齢の人物が登場するので、より親密さを感じますが、これはたぶんこの作家の代表作ではないみたいです。さて作者は、どのように話をまとめるのでしょうか。

たまたま古本屋で見つけたもので、作家に惹かれて買ったものでした。この作家の作品は、彼自身も若かったので熱の入ったものが多かったせいか、若い頃はいくつか読んだことがありました。たしか、「 狐狸庵(こりあん)先生 」 と言う雅号を名乗っていたかと思います。

 

二階の窓から見える風景。もう、田んぼの稲はいつでも刈れる状態です。右手の立木の向こうは団地です。



   廃 句
      秋の声 そろそろ芋も 美味かろう
      稲刈りは 田植えほどには 慌てずに
      庭見れば いつの間にやら 枯れ葉舞い
      雑草は 今年もいやはや 豊作で
      コスモスの 倒れてなおも 上を向き

      


夕立

2014年09月16日 | Weblog


午後は俄に雲が北の方から延びてきて雨になりました。時間にしたら短かったのですが、低い所なら洪水になるのではないかと思うくらい激しく降りました。

 

こう言うのを 夕立 というのでしょうか。実際、夕立とはどういう現象を言うのか、何か定義があるのかなと思って、とりあえず幾つかネットの辞書その他でしらべてみましたが、簡単に言っているものを取り上げてみたいと思います。

  夕立  夏の午後から夕方にかけ、にわかに降り出すどしゃぶり雨。雷を伴うことが多く、短時間で晴れ上がり、一陣の涼風をもたらす。ゆだち。白雨(はくう)。 〔季語〕 夏。

と書いてありました。必ずしも雷を伴うものではないようです。今は夏と言うべきか、それとも秋なのか、まあ夏と考えて 夕立 と言えるかなと思いました。

 

スピードがあるので、ピントが付いて行けずぼけていますが、そっと忍び寄ってくるつもりなのでしょうか。まだ子猫なので、じゃれたくて真剣な眼差しで迫ってくるところです。

 

 

水引き草です。花が細い茎に咲いていて、オートで合わせるとピントはその向こう側に合ってしまうので、撮るのにちょっと手間取りました。細いものを撮るのはコンパクトデジカメではちょっと不自由です。
たとえば、蜘蛛の糸が一本スッと上下に見えたとすると、それにピントを合わせるにはとても難しいです。それなので、可能ならば同じ距離のところに自分の手を置いてそれにピントを合わせてから撮ることが多いです。上の写真は、まだまだピントは合っていません。

 

田んぼにいたアオサギです。これも、臆病で近づくとすぐに逃げますので、デジカメでできるだけ拡大して撮りました。一眼レフなら楽なんですけどね。持ち運びが大変なので、このごろは全く使わないでいます。


  今日の心配

     スコットランドはイギリスから独立するでしょうかね。