今のところ、寒さはさほどではないので助かります。
先月作った、この堆肥つくりの為の囲い。どんどんいろいろなものを放り込んでいるのですが、積んだ当初は山盛りになっていますが、程なく特に雨がたっぷり降ったあとは、かなり沈みます。そしてまた山から運んで来た枯れ葉を積みあげても、また沈みます。どんどん沈みます。
乗せた当初は空間だらけだったのが、時間が経つにつれて押しつぶされて沈むのではないかと思います。掘り返すと湯気が出てきます。発酵を始めたようです。
朝のドラマ「マッサン」に出てきた太陽ワインのポスターは、何かどこかで見たようなきがしていたのですが、急に思い出し右の画像を探しました。
ドラマではこの右のポスターに似せて左の太陽ワインのポスターを作ったんですね。
右の古いポスターは実際のポスターで 赤玉ポートワイン のポスターです。今のサントリーの前身の会社で作っていたとか。
マッサンとスコットランド人の奧さんエリーさんは実在の人物ですね。ドラマの鴨居社長も本物は名前こそちがいますが、実在していたわけです。
冬は、お日さまが西の方に移動すると長い影が出来ます。カマキリは姿を見なくなりました。もう限界でしょうね。気の毒ですが、自然のルールではそういうことになっているようですので、何とも仕方がないことです。
ドングリを拾い集め、このようにプランターなどに蒔いて発芽させたものが、少し大きくなってきました。そろそろ葉も落ちる時期ですので、裏山に適宜間隔をとって移植しようかと思っています。
裏山は、大木になってしまったクヌギやコナラが伐採したあとで、切り株から自然に芽が出るはずでしたが、大木になると非常に発芽が悪いようで、一部は木のない草だけの山になってしまいました。それなので、そこに移植しようと思っています。
よくもまあ、一日しとしとと降ったものです。多少小降りにはなりましたが。午後も遅くなってからは雨はあがり、青空が見えて来ましたが、もう洗濯物を出して乾かすほどの時間もお日さまの力もありませんでした。
外の仕事はありませんから、ちょっとホームセンターに行って用事をすませ、あとは家の中で本を読んだり、録画を見たりこまごました雑用をしたりしていました。
退屈はしません。この退屈と言うのは、年によって感じ方が違うもので、一番退屈をするのは幼児の頃です。すぐに飽きて仕舞ったのを覚えています。
例えば、母に連れられて1kmくら離れたお婆さんの家に行くときなど、 母の知り合いと出会うと、挨拶から始まり世間話を多少するのですが、こちらはすぐに飽きてしまい、手をひっぱったりグルグルと母の周りを回ったりした記憶があります。
年とともに感じ方の程度は違っていたようですが、若い頃までは退屈というのを感じました。 この頃は、家にいてもやりたいことが多いせいでしょうか、さっぱり退屈はしないし、むしろ時間が足りなく感じるくらいです。ですので、雨で閉じ込められていても辛いと言うことは全く感じませんね。
造成中の団地は、その速度はやや遅いものの新築の家の工事が次々に行われています。
自分で住んでいる家は古くなってしまっています。別に強い不満はありませんが、何もかもが新しい家に住むなんて夢のようで良いですね。
ネットを見ていると、誰それさんがどこそこのお寺に紅葉を見に行って来ました。なんていう綺麗な写真入りの書き込みがあります。私も先日、もみじ谷というところに見に行って来ましたが、そこも見事でした。
我が家にも、紅葉が何本かありますが、それぞれ色づいてきました。家の前の紅葉はこれくらいきれいになりました。母屋のまえにあります。
さて、我が家のミーちゃんは避妊手術で、今日もこのようなタオルのちゃんちゃんこみたいなものを着せられてしまって、何とも痛々しいです。
背中で紐で結んであります。傷口の当て物を口で取ってしまわないように、万全を期してこのようなことになっているのでしょうが、病院によってやり方が違うようです。
それにしても大げさだなと思っていますが、まあ大事をとって、この方が結果は良いのかもしれません。
おかげさまで、毎日を閑かに穏やかに過ごすことができます。田舎暮らし。そして、時々は町(街)に。
再び曇天の一日。老人の訪問に出かけていたら、途中で サーッと雨になりました。自転車なので急いで家に向かっていたら、程なく止んでしまったので再び続けました。
いかにも冬景色ですね。これは富有と言う柿の木です。枝だけになりました。上の方は、実を取りにくくなりますから、高くしないようにしています。またこの冬中に剪定をしようと思っています。
ミーちゃんは痛ましい姿です。いつものようにはピョンピョン駆け回らずに静かにしています。暴れるように動き回ると手術の後が心配ですが、その必要は今のところはないようです。
かわいそうに。動き回りたいのでしょうけどね。すこし、ごちそうでもやって慰めてやらなくっちゃ。
昨夜のお月さんです。今度のカメラは望遠にしてもブレが少なく、はっきり撮れます。まさに技術の進歩ですね。
今ごろ、またブドウ(巨峰)が稔りました。ほんの5~6房ですけど。甘いものもありますが、酸っぱいものもあります。もう少し枝にならせておけば良かったでしょうが、どんどん寒くなりますから、もう限界と思って取ってしまいました。
収獲が終わった後からもまた房ができて取れるなんて、こんなの初めてです。ハウスの中にあるせいかも知れません。取れれば嬉しいですが、手放しでは喜べないかも知れません。おそくまで出来ていると、来年の準備があるでしょうから、その分だけ収獲に影響があるかも知れません。
二日ほどぐずついて、今日はすっきりと晴れました。気温も上がったらしく肌寒さは無いです。やっぱり、晴れると特に何をするということで無くても、気分が良いです。
晴れたので電動アシスト自転車を持ち出し、2km以上離れた所にある公民館も兼ねている地区の市民センターまで市報をもらいに行ってきました。
市報は、町内会ごとに取り回しと言う回覧のような形式で配布されますが、高齢の年寄りたちは遠慮して町内会に入らないので、配られません。それなので、私は民生委員をしていますので、近況を伺いに歩くついでに、町内会に入れない年寄りに配ってあげています。
我が家で一番高い木であるケヤキの木は葉っぱがほとんど落ちました
年寄りが町内会に入らないのは、共同作業など一緒に活動できないからです。そうすると、いろいろなことをしてもらうだけの会員になり、負担をかけるので、精神的にも負担がかかり遠慮して抜けてしまうようです。
雨が降り、貯水槽の水は満タン。降っている最中にはあふれていたようです
町内会のありかたに問題ありとも考えられますが、やむを得ない面もあります。また、費用をかけないで配布するのも何か別な方法が無いものかと思う事もあります。会員でない人のところに配布しても、その人が次に回すのにかなり負担がかかる場合もあるし・・・。
小松菜は元気です。どんどん大きくなりますので、どんどん食べなくちゃ
まあ、何ごともパーフェクトにというわけにも行かないことがあります。そういう場合のお助けという意味で、私が配布してあげれば良いことですから。
町民全体にかかわる何ごとかがある場合には、町内会長あるいは町内会で考えれば良いことかなと思います。
朝から雨がしとしと降り、肌寒い一日です。青空がキラキラとまぶしい、もったいないような日もあれば、今日のようにまだ昼間なのに薄暗く、家の中では明かりをつけないと本は読みづらい日もあります。同じ一日・24時間なのですが、その日その日でさまざまです。
ゆく秋の形見なるべきもみぢ葉も
明日は時雨と降りや紛(まが)はん 藤原兼宗
去って行く秋の形見となるなずの紅葉は、冬となる明日には時雨と紛うように降るのだろうか。
今の暦ではすでに11月ですから、旧暦の言い方に当てはめると霜月。冬に入ります。今日は旧暦ではまだ10月 5日です。
これでは、ウォーキングはできません。合羽を着て歩く手もありますが、どうも気乗りがしません。「車が危ないし」なんていう理由をくっつけたりして。
猫だって散歩していないじゃないですか。あ、猫は濡れるの嫌いだし、合羽は無いし・・・。
今日は、お医者さんに行ってインフルエンザの予防注射を打ってきました。同じように予防注射の為に待っている人もいたようです。
予防注射をしたときには、30分は帰れません。人によっては、体に異常反応が出る可能性があるかららしいです。30分過ぎてから、帰るときに窓口に「体の異常はないですか?」と聞かれました。もちろん何ともありませんでした。
今朝のニュースの時間に、インフルエンザには先ずはマスクをすると効果がまあまああるでしょうと言っていました。もちろん、万能ではないようです。
また、マスクに手を触れないことが大切。菌が手につくので、せっかくマスクで防いでも何にもならないと言っていました。そして、マスクを捨てるときにはゴム紐を持ってゴミ箱へ捨てるのだそうです。これも、菌に触れないという理由からだそうです。
ネットを通しては感染しないんでしょうね。感染するのは、まったく働きが違うウィルスですね。名前は「ネット菌」???
昨日の白菜の保存ですが、どうしてもやっぱり2月も半ば過ぎ頃からは外側から傷んできます。外側の葉っぱをかなり取り払い、芯に近いところで、まだ大丈夫なところは食べることができますが、やっぱり今どきのころのと比べれば、新鮮度はかなり低くなります。
もうひとつの保存法は、頭頂部付近を藁などできっちり縛って畑でそのまま保存するというやり方もありますが、私の土地は俗に言う 「 寒さの通り道 」 にあたるのか、冷えが激しいので、その保存方法では効果は薄いです。
雨の水戸城址の堀あとです。銀杏が見ごろですが、晴れの日のようなきらきらする黄色ではなかったです。今が見ごろです。
春は手前に枝が少し写っていますが、桜が満開になった時が見ごろです。昨日は祝日でしたので、この右手の方にある県立図書館は今日が定休日になりました。フルート教室に行く途中にありますので、休日用の投函口に借りていた本を入れてきました。
激しい雨ではありませんが、一日中降っています。交差点手前は信号待ちの車の長い列ができていました。雨の日は、どうしても車が増えるようです。
ちょっと歩きでも良いかなという距離でも、降っていれば濡れるのを避けて車を利用しがちになるせいでしょうか。
どこの地方都市でもそうでしょうが、この頃は町の中心地に活力がなくなっています。県庁や市役所のような大きな役所が郊外に移転してしまったり、昔は核になる商店街しかなかったのに、今は郊外に大きな駐車場をもつ店が並ぶ時代ですから、どうしても信号を幾つも越えて入っていっても駐車場が不足する中心地は行きづらい場所になってしまっています。かつて栄えた所に人通りがなくなるなんて実にさびしいことです。
これも時代の流れなのでしょうか。地方の町は、ほとんどがバスや電車の運行サービスの乏しい田舎から買い物にくる人が多いので公共の乗り物は利用しにくいです。
きちんと無料の駐車場を供えたところでないと、行きづらいものです。
それはさておき、どんどん木の葉などを積みあげている堆肥作りの枠内は、山盛りになっていますが、この雨がしみ込み上の重みが下をつぶし、山盛りが平らになってしまうと思っています。そしたらまた、山から木の葉をさらってきて積みあげます。腐って堆肥になったときに、かなり量がすくなくなりますから、どんどん積みあげます。
今日もお祭りがありました。今日は新嘗祭です。本当は昨日のはずですが、昨日は別なお祭りが入っていますので、次に順送りされてしまいます。
白菜の一部を取り入れて、多少乾燥させて余敏な水分をとばしているところです。これは、風がよく通るところで来春まで 少しずつ食べるためのです。
まだ畑にあるものは、今から食べます。食べ終わったら、この干しているものになります。
CDウォークマンを聴きながら一人でウォーキングをしてきました。敢えて旧式のCDウォークマンを使っています。あまり多く入れられるものは、今なんというのを聞いているか分からなくなってしまいますからね。歩く時などは単純なものの方が良いです。
私は音楽ではなくて、落語とか、朗読、それから講演などの、つまりお話を聞きます。ですので、一枚のCDに一作品というのが聞きやすいです。複雑ですと、場合に寄っては立ち止まって調整しなければなりませんからね。
ムベがこんなにきれいに生っていました。と言っても私の所にもありますが、今年は形がわるいので撮るほどのものはありません。これは妹のところでとれたものです。
用事があって、更新の時間が遅くなってしまいました。
村の神社で、年中で一番大きな祭がありました。境内の掃除を終えてから、まずは幟旗を立てます。かなり大きいので、竿も重いですから、怪我に要注意です。下に立っている人と比較をしてみてください。
それから、総動員でいくつもの 注連縄(しめなわ)つくりを行います。だんだん、時代が代わってきて、まずは藁の調達に気を遣わなければなりません。
注意しないと、米の収穫の時に全部藁をチップ状態に刻みなから収穫してしまいます。刻んでしまってから、注連縄を作る藁を・・・と言っても、時すでに遅しです。短くしてしまったものは長くできません。
こう言うものを持って小さな注連縄ができるのを待っている人もいます。
祭は滞りなく行われ、最後には神社の中で宴会です。これを直会(なおらい)と言います。祭の特別なおめでたい状態から普通の状態に直って行く宴会だと言う話を聞いたことがあります。
宴会を行うのは、本来は神様が召し上がった酒や食べ物を神様の前でいただくことが基本なのだそうですが、生のものを料理したりすることは、ほとんど省略されてしまい、酒つまり御神酒(おみき)の他には別に用意されたものをいただくという のが普通になってしまいました。
終わって解散をしてから、疲れを癒やすために、市内の もみじ谷 というさほど広くないところですが、紅葉がきれいだというので見に行って来ました。
時間は午後も少し遅くなってしまいましたので、写真を撮るにはちょっと光が足りないかなと思ったのですが、きれいに撮れたものもありました。
もみじ谷は、偕楽園のすぐ近くです。この一体の公園を全部あるいたら、それこそ大変な距離になり、時間もかなりかかります。偕楽園の下にある公園を一通り歩いて帰ってきました。沢山の人が楽しんでいました。小さな子を連れたひとたち、犬と散歩をしている人たち、県立美術館の敷地内では、なにやらイベントがあって、かなりの人がいました。
近くで楽しんでいる人が、それこそ沢山いました。見ていてもなかなか楽しそうな雰囲気で微笑ましい風景でした。
三連休の初日です。良い天気に恵まれ、あちこち行楽地は混雑したのではないかと思います。何もしなかった人、楽しみを追いかけて行った人、仕事をしていた人、病院のベッドの上で過ごした火と、、勉強に励んだ火と、朝からずっと本を読んでいて、気がついたら薄暗くなっていたと言う人、暗い映画館で過ごした火と ・・・・・・・・ さまざまない過ごし方があったことでしょう。
ユキヤナギが一枝狂い咲き
シェイクスピアの 『 ハムレット 』 言葉に 「 いいも悪いも本人の考え次第。(小田島雄志訳): There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.」 と言うのがあります。
ことに当たり、それを良かったと思うかどうかはその人の思い次第だ、ということなのでしょう。私は何も教訓を垂れるつもりは毛頭ありませんが ー どうして「毛頭」 と言うのでしょうかね。昨今頭髪が気になるのですが ー 遠くに遊びに行けなかった人は自宅であるいは自分の町で、どう自分を楽しくさせることが出来たかでしょうか。
見ていると我が家の猫ちゃんなどは、上手に一人で遊んでいますね。風で転がる木の葉を追いかけて遊んだり、柿の木によじ登ったり、飽きたり疲れたりすると陽だまりで眠ってしまっていたり・・・・・。
自転車で目的地に向かうわけですが、今の放送は長崎県をやっています。特に観光地でも何でもない所がほとんどです。小さい頃に住んでいたところとか、大切な人と出逢った場所などなどへ行くわけです。

それで思い立ち、奧さんがまだずっと若い娘の頃に、頼まれて一時先生をしていた学校にに行ってみようということになりました。その町は自宅からはそれなりに遠いですが、幸い高速道路があるので、比較的近くまでは時間が稼げます。
もう、何十年も前のことですから、道路、特に当時は一番の街道として使っていた道路は、まず変わってしまっていることが多いです。拡幅されたり、バイパスができてしまったり。また、沿道の建物なども当時とはかなり違った物になっているはず。
それでも、なんとかたどり着くことができました。中学校なのですが、当時と同じだと言う所にありました。建物は、当時のとはもちろん違っているはずです。当時は周囲に家がずっと少なかったそうです。

そのあとで隣の町の、当時、住んでいた家のあっった所まで行ってみました。隣町と言っても、田舎の隣りですから、すぐ近くではありません。
自由に駐められる駐車場を探し、歩いて行ってみました。途中にある店などはまだ遺って営業しているのも多少あったようです。この路地の左側の牛乳屋さんの向かいに住んでいたのだとか。そこは、新しい誰かの家が建っていました(その家は写真に入らないように撮りました)。
行った先が、いくらでもあるような、特に観光地でもない平凡な寂しい田舎町でも、そこには多くの人たちの暮らしの積み重ねがあります。そこを歩き、見て、自分の内に湧いてくる何とも言いようのない気持ちを感じるのは、実に楽しいものです。
面白そうだと思うと、すぐに録画予約をしてしまうので、あとでその録ったものを見るのが大変です。録画を機械にやらせている間に私は別な仕事をしていれば良いのですから楽ですが、見るのには録画した時間だけかけて私自身が見なくてはなりません。
せいぜい、コマーシャル(CM)の部分を早送りするか、パーティションが自動的に切ってあれば、CMの部分は飛ばして見ることはできますが、それでもCMが大半ということはあまりないので、やっぱり見るのには時間がかかります。
矢印のところはCMであることが多いですので、そこはリモコンの などを押して飛ばします。
今日は、隣町の大洗という海辺の町のホテルに、一人暮らしの老人を招待して懇親会を開きました。たくさんの人が参加してくれました。挨拶のあとで歓談をしながら食事をして、カラオケで歌ったりお風呂にはいってもらったりして、楽しいひとときをすごしてもらいました。
主催は地区の民生委員です。それぞれ、係をきめて何かと退屈させないような企画ももりこんで進めていきました。
私の役割は司会です。帰りのバスの中で、何人かに感想を聞くと、今日のようにおしゃべりをしたことは無かったとか、楽しかった、ご飯が適量でおいしかったと、うれしい言葉を多く聞くことができましたので、行って良かったかなと思いました。
話は戻って、録画している番組は主に、映画や{BS歴史館」とか「歴史秘話ヒストリア」などの歴史物、それから芭蕉や王朝日記などの文学ものです。
また、それとは全く違って「日本の話芸」という中で主に落語も録画しています。なかなか落語をやることは少ないです。あっても、きちんと枕からはじまり、あまり話を短くしたりしないで放送する番組はあまりないです。
見ていて、感じる最大の敵は睡魔です。途中から眠ってしまうことが多いです。それでも、はっきりと覚えて居いるあたりまで戻して見直したりして、全部診ることにしています。欲しいのはただ一つ。時間です。見るのが大変でも、せっかくのチャンスですから、なるべく録画して見ることにしています。見ればなるほどと思う事がかなりあります。
昨日と打って変わって、きょうは曇り空の薄暗い日です。それに寒いです。だんだん、こう言う日が少しずつあるのは仕方のないことです。
家の近くの藪に這い回っていたクズの葉っぱが霜にあたり少々弱ってきたようです。地主が自分の屋敷に接したところならば、藪の掃除もするのでしょうが、離れたところにいる場合は、そのまま放置ですので、景色は悪くなります。山林には売買以外は薪をつくったり、木の葉をさらって堆肥にしたりする時代ではなくなったので、ほとんど価値を見いださない時代になってしまいました。
ビニールハウスの土に近い所ですが、この処は都合により二重になっています。そういう所にでも草は生えて、1mmも隙間のない狭い中、太陽に照らされて、ものすごく温度も上がるとおもうのですが、夏中生え続けていました。
これもまたここで子孫を残すのでしょうね。しかし、その強さにはあきれかえりました。水分は、たぶん下の土に外から少しずつ浸みて行った湿り気から取っていたのでしょうね。
ウォーキングの途中で、今日はあまり通らない所を通ってみました。下草がきれいに刈られて、通れるようになっていました。元々は普通の道路なのですが、誰も通らないし、通らないから管理もされないので、夏は生い茂って通れません。
とてもきれいな風景でした。山林の持ち主が林の下草と一緒に道路の草も刈ったのでしょう。ほとんどは篠のようでした。
こういう湿度のあるところは、夏は危険です。マムシが好きな場所ですから、注意しなければなりません。むやみに藪をかき分けて進んで行くと、足を噛まれる可能性があります。
古池や かわず飛び込む 水も無し
閑かさや キーンとする音 耳鳴りか
冬でさえ ミンミン聞こえる 人もあり
食い物も 無いのにカラス 挨拶に
寒いねえ 言えば少しは 温くなり
今年は、体力が弱ったのか、それとも寒くなるのが早いのか、寒く感じてしかたがありません。総じて、夏の間の運動量は例年より少なかったせいかも知れませんが。
今朝は大霜でした。至る所が霜で真っ白になっていました。真っ白と言っても、やはり雪のようにそれこそ一面雪の上にまた雪というような厚みはないので、白いと言っても白さは違いますが。
実際に写真に撮ろうとしても、霜は意外にそれらしく撮るのは難しいですね。これならば霜がおりている雰囲気は分かるでしょうか。
これで、色々な物が枯れると思います。まず、さつま芋の葉っぱは黒くくしゃくしゃになると思います。雑草はまだまだと言えるかも知れませんが。あまり、必要の無い物は強いんですよね。
もっとも、世の中にある一木一草と言えども、これ不要な物というのは無いといえるでしょうが。路傍に転がっている石ころだって、何かこの世を形成するのに役に立っているはずです。仏教に、一木一生悉皆成仏とか山川草木悉皆成仏とか草木国土悉皆成仏という言葉がありますね。言い出してそれっきりにするのは良くないことですが、私にはその意味を語るほどの資格はありませんので、何かで調べていただきたいです。
話をもどしますが、そうですので、雑草と言えども多少は酸素同化作用をしているはずだし、土が露出され風に飛ばされるのを抑える役割はしているでしょうし、改良して食べられるものになり得るでしょうし、動物の餌になるものも多々あるでしょう。役には立っているのです。エボラ出血熱などの病原菌などは、こりゃ困りますけど。
時々通る、隣町の沼の風景が青空を映して、とてもきれいでした。 誰にも見られない捨てられたような沼。
昔は、田んぼに水を引くための灌漑用の沼として作られ利用されていたのですが、今は減反に次ぐ減反により、米の価格が下がり、農業をする人が減り、捨てられた田んぼが多くなったので、この沼は不要のものとなってしまったようです。
そうなると、水のあるところですから、子どもが心配です。周囲には「あぶない」という看板がたくさん立っています。もし、何かがあったら、ほとんど人も通らないし、通ったとしても車で通ることが ほとんどですから、声は聞こえないし、低い水面は車からはみえませんから、たいへんな事故になってしまいます。
ミーちゃんは仲良くしたいらしく、このように寄っていくのですけどね。とつぜん下からワンと言われたので、ミーちゃんも慌てて猫パンチ。このあとも、なんどもコロの近くまで行っているのですが、「猫はともだち」 と言う気持ちになるには、まだまだミーちゃんの努力が要るみたいです。
ネットに繋ぐときに、最初に使うソフトは、インターネット・エクスプローラーとかファイアフォックスなどのブラウザーですが、どちらも使っていましたが、どうも重たくて途中でハングアップしてしまったりして、もどかしい思いをしていました。
そのことで愚痴を言っていたら、グーグル・クロームが軽くて使い易いと教えてくれた人がいましたので、それに切り替えたところ、今度は軽くて使い勝手がいいです。しかし、どのそふとも100点満点という訳にはいかないと思いますので、これから使いこなして行くにつれて、ちょっと足りない機能が見つかるかも知れません。
残りの柿を収獲しました。今年の熟柿方は例年通りではなくて、最初の頃は硬くて渋い実が急に柔らかいふにゃふにゃ柿になってしまうという熟し方でした。
甘柿のふにゃふにゃは美味しくありません。渋柿をふにゃふにゃにして、二つに割り、スプーンですくって食べるのは好きですが、甘柿はさっぱりおいしくないです。
しかし、寒くなるにつれて硬いまま甘く熟すようになってきました。天候のせいでしょうね。と、漠然と天候のせいに決めつけてしまいますが、実際は気温や雨などが熟し方にどう影響を与えてきたのかはさっぱり分かりません。
まだ青臭くて若い頃に見た Ben Hur (ベン・ハー)という映画。今の方式とは違って、ものすごく大きなスクリーンでみました。普通の映画のフィルムの幅は35mmですが、この映画は当時はやり始まった70mmという幅のフィルムで、大スペクタクル映画にふさわしいものでした。
その映画のサウンド・トラックが手頃な値段で手に入ると言うので、さっそく取り寄せてきいてみました。懐かしい。映画は何度も再放送されていますが、シーンに気持ちを奪われてしまうのですが、この映画の音楽だけを聞くのもなかなか良いものです。
サウンド・トラックというのは、フィルムに刷り込んで或る音を出す記号です。 上の絵で、左側がスクリーンに映し出される画像です。四角い穴はフィルムを送る穴。この穴に歯車の歯が入って回転するとフィルムが流れるわkですが、サウンド・トラックは映写機が右側の「この部分」のところを光で信号を読み取り音に変換する訳です。音の入ったトラック(磁気テープや映画フィルムなどの録音する部分。また、レコード盤の溝)なので、そのような言い方をするようです。
ここから取り出してレコードやCDにしたのがさうんど・トラックですが、普通は音楽は別に良い音で録音をして、 フィルムに効果音やら、俳優の声などといっしょに混ぜてサウンド・トラックをつくるわけですが、それでは会話などが入って、音楽だけ聞きたい人には邪魔です。それなので、別に録音をした音楽をサウンド・トラックと言っているわけです。
上の動画はイタリア映画「鉄道員」の、たぶんフィルムからとったサウンド・トラックをレコードにしたものと思います。朝の登校の様子やら、出勤の様子を描いたラストシーンですが、最後の頃1分45秒のころに、朝の挨拶やらサイレンの音などが聞こえます。今はこういう音のはいったCDは、ほとんど発売されないかも知れません。
動画からの映像です。最後の頃3分30秒のころに、朝の挨拶やらサイレンの音などが聞こえます。
サウンド・トラックの話が多くなってしまいましたが、中には映画そのものの臨場感が欲しくて、こういうレコードを求めた人も少なからずいたようです。
今は、テレビやDVDなどで映画そのものが簡単に見られる時代になったので、そういう物を求める人は少なくなっているでしょうね。
今回、私が買ったCDは映画のシーンの中の会話や雑音などの入っていないので、映画と全く同じ音楽ですが、たぶん別に録音したものだろうと思います。
冬に入るのに、夏の草花などの残骸を片付けなければなりません。昨日から今日にかけてやりました。
根っこを抜いたり、残骸を大きな剪定ばさみで切り取って燃やす所に運びました。まだ、煙が多いのですが、すこしずつ燃やし始めました。
大きな湖のような感じの青空。中央よりちょっと下、ずっと向こうに筑波山が見えます。
大きくすると、こんな感じになります。南側から見た筑波山です。右が女体山(にょたいさん)左が男体山(なんたいさん)。男体山の方が少し高いそうです。山道は険しいです。と、言っても女体山から比べれば、ですけれど。
↑ 私の記憶違いで、女体山の方が高いそうです。コメントにありました。ありがとうございました。
これ、スキーの時に着るものじゃないですか。まだまだ早いんじゃないのかなと思ったのですが、もう、そういう人もいましたね。
筑波大あたりの紅葉です。本物は、もっと紅葉らしかったです。道路がひろく(右の緑の植え込みの向こうが反対車線)、木も大きかったのでとてもきれいだったですよ。走りながら撮ったものです。もちろんのことですが、危ないので、じっくり構えては撮ることができませんでした。
関節に悪いかなと思って、このごろは歩きすぎないように注意しています。一度痛めてしまうと、何かと厄介ですからね。
と、昨日から今日の午前中いっぱい仕事をしたので、午後は筑波学園都市にドライブに行き、ショッピングセンターの周辺をたっぷりウォーキングをして帰ってきました。久しぶりに一万歩を越えました。
ビジネスマンらしい人が何人も黒い鞄を肩から下げて歩いている姿が見えましたが、町としてはまだまだ空間が多く、これからという感じです。
今日は、各種の大きな研究施設の建ち並ぶ方面にはいきませんでした。
そろそろ暖房器具が必要になってくるかなというところまで来ているような気がします。北隣の県まで雪が降ったという話ですし。
11月中旬ですからね。
サザンカが咲いています。赤が多いのですが、この色もすきです。なかなか写真では元の花の微妙な色合いを出すのが難しいですが、まあこのような感じのいろです。芯に近いところがやや濃い目の感じなのが良いです。
上空は、茨城空港の発着の飛行機も通りますが、羽田なのか成田行きなのか白い機体を光らせながらよく通ります。空もかなりの賑わいです。
このように、高く遠い上空を通る飛行機は音が少しは聞こえますが、騒音に感じることは全くありません。
これは、私の家の子猫ではありませんが、何となく動きが似ていて笑ってしまいました。
今日は、コスモスやら他の花など咲き終わったものとか、もう終わりに近い物の片付けをしましたが、とても終わらないので、続きはあとでやることにしました。
花の茎や葉などは、大きなハサミでちょん切って堆肥にしようと思います。積み重ねの上にどんどん重ねてしまいます。
しかし、だんだん茎なども萎えて来て、山ほど積みあげたものもペシャンコになってきますので、またその上に重ねて行きますと、またペシャンコに・・・・。そのくり返しをやっています。
しかし、ペシャンコになると言っても限度がありますから、そしたら山盛りにしてそのまま寝かせ、腐るがままにさせます。およそ二年もすれば堆肥になります。
雨水が浸透せずに、乾いたままの塊があちこちにできますので、ときどき混ぜ返しをして、隅々まで水分が浸透するようにします。