あこがれ

2008年05月31日 | Weblog

 今朝も天気が悪いです。6時頃から降り始めました。こりゃぁ本格的な降りですよ。寒さが戻ってしまいました。と言っても、もちろん冬の寒さではありませんから比較的楽です。そろそろ、このまま梅雨につながってしまうかな、なんてつゆ思ったりもしています。猫がやたら親しいのですけど。


      

 ハウスの中で、枝豆が大きくなってきてしまいましたので、畑に移植しました。枝豆は私は黒豆です。こだわっているわけではありません。どうでもええだ。こだわりは性格的にほとんど何事においてもありません。つまりいい加減な性格ということです。

 この枝豆は第2回目です。最初に作ったのを食べちゃったら物足りないかなと思って、段差的になるようにと作ってみました。余ったら、黒豆にして冬に煮てもらって食べればいいんですから、別に迷うことなしです。黒豆のことで悩んでもしかたない。

 この黒豆は2月に友達と真壁というところにお雛様を見に行ったときに買ったものです。自作の黒豆もありますが、今回は買った物を蒔きました。

          

 イチゴミルクを作ってくれました。甘い。おいしい。とてもグー。どうして世の中にこんなおいしいものがあるのか。ちょっと大げさかな? でも、そう感じるのだからしかたないです。


 

 親の時代は、たいへんな時代だったので花どころではありませんでした。しかし、私が大きくなってからは日本も豊になり、結婚してからは奥さんが花が好きなので、家は花がいっぱいになりました。私は花は詳しくありませんが、そこに咲いていればとても良いと思います。とてもハッピーな気持ちになります。


 


 日本の庭園には花はあまりありません。花があると庭の石や木から目が花に行ってしまうのだそうです。たぶん、日本の庭園にある花はたいていは野の花あるいはそれに準じたようなものが多く、さりげなく咲いているのが良しとされたのでしょうか。

 ボタンのような派手なものもありますが、それでも一面に咲かせるというようなことはありませんね。庭の木に花が咲きますが、一つ時にそうは多くは咲かないですね。桜があることもありますが、庭木としては主役にはならないような木(気)がします。

                     

 西洋でガーデニングが盛んなのには、一つのわけがあるようです。これは聞いた話です。アルプス以北は、がぜん植物の種類が少なくなるそうです。そして、暗く寒い。それで、無いものねだりのような気持ちが起こるのだとか。ゲーテがアルプスを越えてイタリアに入ったときには燦々と降り注ぐ太陽に絶叫したそうです。太陽の国イタリアに至りあ。オー・ソレ・ミオ! と言ったかどうか。アー・ワタシ・ワカラナイ。


      

 日本でも、最近はガーデニングに凝っている人が多いです。大抵は西洋風の庭づくりをしています。これも、たぶん日本になかった欧風の雰囲気を作りたいという、一種の無い物ねだりなのでしょうか。西洋の庭も魅力がありますね。西洋風の庭園も作りたいです。無理ですけどね。でも、あるといいなぁ。

 追)ウラさんは、あさりを取りに行くそうです。あさりもおいしいですね。あさりはしじみよりあっさりしていますね。


  一日一茶

    藪陰やたつた一人の田植唄


とりもどせないもの

2008年05月30日 | Weblog


 雨に日を楽しみました。昨日は来客はありませんでした。来たのは豆腐屋さんと風呂の灯油の補充のための油屋さんだけです。

 久しぶりに寒さを感じました。もうどうしようもなく眠くなったので、毛布をかぶって寝てしまいました。おかげでスッキリ。
 

      

 涸沼が近いので、しじみ汁を食べることが多いです。私はこれが大好きです。特に涸沼のしじみは海水と真水の混ざった水で育つのでおいしいとか。

 こどものころは、どうして殻が二つあるのに身がひとつしかないのか、不思議でした。身が二つ入っているといいなーと、真剣に思っていました。

 実は今でもそう思っています。理屈では分かっているんですけどね。気持ちはさっぱり
成長していない。 しじみを食べながらしみじみ思いました。


      

 アスパラガスに花が咲いています。花が咲けば実が生る。実ができたら蒔けば芽がでる。ということになりますから、無くなってしまった箇所に蒔き足そうと思っています。

      

 犬も鶏も、人もこのパンが大好きなんですよ。このパンは高いんです。生クリーム入りらしいので、かなりおいしいです。奥さんがパンを買ったついでに耳も大量にもらってきます。

 時々、鶏をおちょくります。これを一枚だけ投げ入れてやるのです。するとものすごい争奪戦が・・。小屋じゅう駆け回って食べていますね。しばらくしてまた一枚。またまた争奪戦。朝からなんと疲れる食事なことよ。 これを称してトット・レース。おかげで、運動不足は解消ですね。








 決して見くびっているわけではありませんが、風邪は何とか努力すると普通は治ります。そして元の身体になります。しかし、虫歯になったら戻れません。

 そういう戻れない身体に関することを話題にした番組を二つ見ました。一つは足がむくみます。静脈血管の中に弁があって、下に血液が戻らず心臓に帰るようになっているのだとか。ところがその弁が壊れてしまって、上に上りにくくなるのだすです。壊れた弁は治らないそうです。主に一日中立って仕事をしている人の場合が多いようです。

 そうならないようにするには、立ったままではなくて歩いたり座ったりすることだそうです。要するにふくらはぎの筋肉を使うことですね。言い換えればピンポンではなくて、ポンピングをすることだそうです。


 元に戻らない例で、もう一つは年を取ってからの瞼のゆるみだそうです。化粧などで瞼をこすりすぎると、瞼を上に戻そうと働く筋肉が弛みっぱなしになるそうです。これも戻らないそうです。   知らないってオソロシイ。


 とまあ、今日のブログは脅かしになってしまいました



 今日の開き直り
   元にもどしたからって何になる。いまさら恋をする訳でもなし。
   瞼なんか垂れたって・・・・。考えてみりゃ、年なんか取り戻
   せないんだし。でもやっぱり垂れない方が良い。

  


ラッキョウ漬け

2008年05月29日 | Weblog

 今朝は猫に起こされました。夜はいつも猫は外です。どんなに寒くても出て行きたがります。窓の外で「ニャー、もう起きろ~と言っていました。」

 彼女は、昨夜は鼠を一匹捕まえました。しばらくぶりの快挙です。なかなか鼠に出くわさなかったんでしょうね。その前は雀を捕まえてきました。

                      

 昨日は、ちょっとたいへんでした。「さて、仕事をするか~~」と思って着替えをして外に出たとたんに友達が「暇だ~~」と言って遊びにきました。私も、「まーいいか」と、内心ほっとして着替え直して、畑やら庭などを散策しながら雑談。彼は私の家の周囲が大好きだと言います。庭・畑・草地・雑木林・・・・。

 その友達が来ているところに、中学校の同級生が来て、彼が帰ると同時に従兄弟が軽トラを借りに来て、、、。とまあ、そういう人の出入りの多かった日でしたね。


      

 ラッキョウを漬けました。この写真はまだ作っている途中のもので、作った量はもっとあります。


      

 5kg漬けました。今回はたまり漬けです。瓶が小さかったので二つ目は少量です。家の中はラッキョウの匂いが充満しましたので、カラッと開け放しにしておきました。何か小説でも書くのでしたらタイトルは「ラッキョウの家」ですね。昔なら「らっきょう草紙」。


      


 人が来ない日は、まったくそれこそ誰も来ないんですけどね。来る日は重なります。不思議なものです。


      


 モロッコインゲンがさっぱり発芽しません。今年は諦めるしかないか。それとも、これからでも大丈夫でしょうか。始めて作ろうとしているので、さっぱり分かりません。

 生活のためには作っていないというのが最大の強みです。残るのは多少の不満くらいですから。

   
   一日一茶

      ちる花のわらじながらに一寝哉(ひとねかな)



 

ジャガ芋開花

2008年05月28日 | Weblog

 昨日の写真は夕方の琉球朝顔でしたが、今日は朝の花です。ご覧のように、朝(昼間)は青です。左のしぼんでしまったのは夕方の色でピンクのままでいます。




 昨日は、朝のいろいろな幼児(私はある面で幼児みたいなところがあります。それは自覚しています。)を、じゃなかった用事を済ませて、さて今日も頑張るぞと思っていた矢先にジャリーンと電話がありました。

 別な友達が遊びに来るというのです。ガクッ。というか嬉しい。さっそくコーヒーを入れて待っていました。夫婦で来てくれました。

 あれやこれや話が尽きません。庭を眺めながら近況報告です。彼等は、退職後にある夢があるのです。今までにいろいろと本やらレコードや CD などを読んだり聞いたりしてきたものがあるのですが、それをどこかに部屋を借りて気の合った人たちに気軽に利用してもらうサロンを作りたいと言うのです。それが実現しそうなレベルまで来たのです。

 私は手術をしたときなので、手伝いは出来なかったのですが、その変わりに軽トラを使ってもらいました。ずいぶん役に立ったようで嬉しいです。

 お昼近くまで話をしていきました。帰りに白菜にレタスのお土産をあげました。それに、幸いたくさん出来てきたキヌサヤの取り放題のおまけ付きです。


     

 自分で取るのも楽しいみたいです。取ってもらったのは、私が取ったってひとつも面白いことは無いし、時間もかかりますからね。

 花の苗をこんなにもってきてくれました。奥さんは外出から帰ってきて大喜びでした。


     

 今まで眠っていたように静かにしていた、インカのめざめが目覚めました。紫色です。


     

 こちらは黄色です。もちろんジャガ芋ではありませんよ。キュウリです。熟すると黄色で黄瓜ですね。キウリ→キュウリ。こっちは自賠、あ、それはこれは自動車の保険でした。自賠ではなく、地這いです。なんか夜ばいを連勝しちゃいますけど。いけないことですね。昔はさんざん。いや、そんなことはありません。私の時代には惜しいかな  、そういう習慣は絶滅していました 。藁が使い切れないほどありますので、たっぷりと敷けます。


     





 で、友達と庭を眺めながら話をしていて、草がでてきたのに気づいたものですから、お昼からは草の庭むしりではなくて、庭の草むしりをしてしまいました。

 この庭でいつも遊んでいるのは猫ですから、猫のために庭を作ってやったようなものですね。


  一日一茶

    信濃路の田植過けりいか(凧)のぼり
             いかのぼり = たこ(凧)のこと


追) どうして いか と言ったり、たこ と言ったりするのか。はっきりは分かりませんね。いか のスルメを考えると、その方がぴったりするのですが。関東では たこ で、関西では いか らしいです。今でもそうなんでしょうか。

平凡な暮らし

2008年05月27日 | Weblog

 日が昇り日が沈むの毎日です。当たり前のことですが、その通りの毎日であります。そして私は立ったり座ったり、右へ行ったり戻ったりの繰り返し。退屈もせず、むしろ忙しい毎日。幸せなのかどうかと言うと、特に変なことは何もないので幸せです。




 先日、石下町にドライブをしたときに、お土産に買ってきた琉球朝顔の花が咲きました。昼間は青っぽく、夕方はピンクになるよと言われたので、期待していましたが、そのとおりピンクになっていました。

 ハッと気が付いて、真っ暗になってから見に行きました。すぐに忘れる私です。気にしないきにしない。


      

 イチゴは一日おきに収穫しています。まだまだあります。食べ過ぎないように要注意です。


      

 蕗はもうそろそろ終わりです。でもまだ食べています。食べてもたべてもあります。


      

 スナップエンドウがかなり取れています。今回は私が茹でました。どんどん食べちゃってから写真に撮ることを思いついたので、これだけになっちゃいました。ゆとりがないですね。羊と一緒に空にいる男女などの絵を描く人がいましたっけ。ユトリロなんてね。思い出しちゃいました。私もユトリロになるよう心がけます。ゆとり郎ですね。








 カワイイ女の子がフライドチキンを食べて「しあわせ~」と言っているコマーシャルがありますが、軽トラで太陽が sun sun と降り注ぐ田舎道をトコトコと走っていると、最高に幸せな気分になります。のどかですよ。

 隣町の友達の所に白菜を二つ持ち、途中で饅頭を買って遊びにいって、お昼をご馳走になってきたり。帰ってきて、キャベツの青虫を潰し、犬とか猫をからかってみたり。彼等は笑いませんけどね。笑ったら気持ち悪い。

 とか何とか言って、今朝は1時間も寝坊をしてしまったのです。寝不足かな? 当たり前だ。昼寝は? している暇が無かった。


  一日一茶

     山吹や先御先(まづおさき)へととぶ蛙(かわず)



東山魁夷版画展

2008年05月26日 | Weblog


 最近、少しおかしいのではないかと思われそうですが、実はまた出かけてしまったのです。旧・下館市の筑西市へ行ってきました。

 目当ては「東山魁夷・版画展」です。そもそもの始まりは、先日石下町に行ったことからでした。豊田城に置いてあったパンフレットに、つくば市の小杉小二郎展と、筑西市の東山魁夷展の二つがあったのです。


   
               こ れ ら が 版 画 と は 、 、 、

 東京国立近代美術館でやっていたのを,、
見に行けなくて残念に思っていたのですが、筑西市なら高速道路も延びたことだし、すぐに行ける。

 というわけで出かけちゃったのです。幸い雨の日でしたしね。畑は私を呼んでいなかった。午後は晴れましたが土が重くてだめですしね。

 ところがどっこい、着いたときにはまだ開館時刻のずっと前。それではと、とっさに思いついたのは、兼ねてから一度は行ってみたかった所があったので、そこに足を伸ばしました。




      

 場所は栃木県の下野(しもつけ)市。ここに下野薬師寺跡というのがあります。

      

 薬師寺跡は広~~~く跡地が保存されていました。ここは、かなり前。日本に三カ所しか階段じゃなくて、怪談でもなく、戒壇が無かった時代にここにはあったのです。このほかには太宰府の観音寺と奈良の東大寺にあったそうです。

      

 こんな風に、ごくごく一部が復元されていました。それで、戒壇とはむずかしくて私もうまく説明できません。下手に説明すると、とんだことになりますからやめます。

 ここは、何年か前に歴史の本を読んだときに、それを書いた学者が何ページにもわたって書いていました。昔の記録が残っていて、解説しやすかったからかも知れませんが、その説明がとても興味をわかせたので、そんなに近くにあるなら、そのうちに行ってみようと思っていました。

 すぐ近くには、ちょっとした博物館もあったので、それも見ることができました。


     

 ところが今度は奥さんが、ここまで来たんならと、
花之江の郷というところに行こうというのです。それで、ちょっとまた足を伸ばして行っちゃいました。

 こんなところで、

     

 こんなお昼を食べ、       (スイートポテトがついていた!!)

     

 こんな花などを見てきました。これは九輪草です。

 で、最後に東山魁夷ということになってしまいました。素晴らしかったです。ちょうど、会場ではフルートの演奏がありました。絵に囲まれたところでのフルートもとてもよかったです。ライブ感がちょうどよくて、よく響きましたね。私の命はアライブで、気持ちはライブでした。

                      


     

 私のズッキーニはまだこれくらいです。とても花など咲くレベルではありません。支柱を立てましたが、まだ幹を結べません。風に振り回されるので、葉と葉の間に篠棒を立ててあります。


     

 左 畑で取れたスナップエンドウにレタスが入っています。
 右 自家製のケフィアヨーグルトにイチゴジャムです。


  一日一茶

    空豆の花に追われて更衣(ころもがえ)


イかエか

2008年05月25日 | Weblog


 何か劇的なこと、今回は大惨事でしたが、でもないと友好関係があいまいであり続けることしか出来ないというのは、あまり良いことではありません。

 庶民は一つのことに一喜一憂して興奮したり撃沈したりするものです。本当のリーダーは常にその上に立ち、よくないことは抑え良いことを伸ばす姿勢でいなければならないと思います。庶民が興奮しているからと言って、それを利用するというようなことではいけないと思うのですが。

 言うと切なくなり、深い溝に落ち込んでしまうので、こういうこととか政治のことは、あまり言わないことにしています。ねじれ国会なんて誰が言い始めたことなんでしょうか。本当にねじれているんでしょうか。何でも反対の党は だだっこ党 だと思っています。族の多い党は、、。そのくらいにしておきます。

                   

             

 サツマイモを植えました。植えたら雨になりラッキーストライク。これはたばこの名前だった。若い頃、いろいろと試してみましたが、一番おいしいと思ったのは缶入りの両切りピースでした。いちばんコクがあった。懐かしい。植草甚一なんておっさんが居たのもその頃だった。

 「平凡パンチ」に「プレイボーイ」。仕事についてから野球の審判をしていて、つい「プレイボーイ」と言いそうになって困ったこともありました。

                              

 また話題がそれる気配がしてきましたので、ハッと気が付き我に返り、、、。それで、今年は乾燥芋用の苗を植えてみようと思って、あちこち探してみましたが、その辺では売っていないので諦めました。撃沈。


       

 白菜ができました。レタスは、もうしばらく前から食べています。冬の白菜と何となくちがいます。田舎の人は「いいのができゃんしたね。」と言います。「良いのが出来ましたね。」という意味です。


       

 さっそく漬けてくれました。こういうのを田舎では「白菜のおごうご」といいます。香の物の「こうこ」の「こ」が二カ所濁点になった訳です。香の物、おしんこのことです。田舎は濁点が大好きです。茨城などは「いばらぎ」ですね。もっとひどいのは「えばらぎ」です。「い」と「え」の区別ができない。

 そういう先生に教わると、とんだことになる場合があります。

   「えー、では解答を言います。1番は ア が正解。
そんで、2番は エ だ。」
   「え? 先生、イ とは違うんですか?」
   「だから エ だ。」
   「先生 イ じゃないんですか。」
   「うっせーんだよ。だから エ だっつーの。」
  と黒板に イ と書く。 生徒は
   「オー、疲れる。」

 とまあ、そういうシーンが実際私が中学生の頃ありましたっけ。


 春白菜は整腸作用があるとか言いますが、変わりありませんね。いつも同じで各駅停車の普通列車です。あの頃、「平凡パンチ」にとりあげられる程の名歌が、大学の寮のトイレにかいてありましたっけ。

   七つ八つ音はすれども空ぶきの
        実のひとつだに出ぬぞ苦しき












 水やりは、外の蛇口で使った水をためておいて、それを使ったり、場合によっては井戸のように掘った穴からくみ出して使うことがあります。少しでも省エネに貢献しようと思っています。そのくせドライブなどしてしまうんですけどね。それはそれとしてまた別に考えます。

                  

 そのドライブ中に本の話になり、友達の奥さんがそのまた友達から本をもらってきて、どんどん読んでいるとか。その読んだのがどんどん貯まるのでもらって欲しいと言って、何冊かくれました。数えたら九冊もありました。ドヒャーッ。これ全部読まなければならない。

      

 また宮部みゆきの本が入っているゾ~~~ 。宮部みゆきの呪縛にかかっているんでしょうか。逃れられない~~~~っ。もう、こうなったら、彼女を暗殺しなければ呪縛から逃れられないのではないか。 どのケース(case : 事件)を参考にしたらよいのか。これ模倣犯? どうせなら、宮部みゆきの書いた本の中のを利用しちゃえば新たなミステリーが・・・。なんてことをミステリー風に表現してみました。

      


  一日一茶

     散りがての花よりもろき泪哉(なみだかな)
        散りがて  こらえきれずに散ること

  川 流

     花よりももろき泪もつ身かな

     泪橋越えて行こうぞあしたのジョー

     目に泪やまほととぎす初かつを

     みゆきなる名の女から逃してね  

     雨の朝きょうは今日とて何をする

   
     


またドライブ

2008年05月24日 | Weblog


 河童 さん は、毎日コメントを書いてくださっていますが、ありがとうございます。

 河童さんの町には沼があって、そこにはむかし河童がいたとか。江戸末期のそこの藩士に小川芋銭(うせん)という絵の上手な人がいて、河童の絵をよく描きました。彼の名前を読めない頃は、「おがわいもぜに」などと言っていました。今でも、漢字変換をするときには「うせん」では絶対に変換してくれないので、「いもぜに」と入力すると一発で正しく変換してくれますから、彼はいまも「いもぜに」ということになります。いつまでもそんなことを言っていると、「うっせーん(芋銭)だよ。」なんて言われそう。

 おそらく河童さんは、その沼に居たという河童に因んでハンドル・ネームにしてあるのかなと想像しています。はずれかな?

 むかし、ロシア人の講演を聞いたことがあります。ソ連が崩壊しつつあるときでした。講演が終わってから、彼に「ロシア」ってどういう意味なんですかと聞くと、「川に住むもの」という意味だと言っていました。その人は日本語を知っていたと見えて、すぐに「カッパ(河童)」と言いました。

 ロシアはルーシと言ったそうです。そういえば、「ベラ・ルーシ」なんていう国がありましたっけ。そういうことを思い出しました。川に住む者と言っても、水の中ではなくて川岸とか川のある地域という意味だろうと思います。

                      

 良い日が続きます。ドライブも続きます。昨日はつくば市まで絵を見に行ってきました。小杉小二郎展というのを県立つくば美術館でやっていますが、そろそろ終わりになるので二日連続の外出ですが、行ってしまえと出かけました。



 こんな絵を描く人です。私はこういう絵が大好きです。なんとなく子供っぽいようで、正直で、決して浅くなく何か内面に説明できないようなものを持っているような、うまく説明できない面白さを感じます。デフォルメの面白さもあります。

 写真では決して分からないような絵の具の使い方がよく分かりましたね。なるほど、そういう風に描いているから、こういう色彩になるんだななどとさまざまな発見を楽しみながら見てきました。

 久しぶりに好きなタイプの絵が見られました。絵だけでなく、立体もありました。

                      

      

 土の山の上で雉が鳴いていました。追い払わないので、だんだん大胆になりなかなか逃げません。逃げなくてもいいですけど。手の上に乗るようになったらつかまえて雉鍋でもつくろうかと、、、。胴があきます(補を参照)。

      

 ブロッコリーに土寄せをしました。両側からですから、エネルギーの消費が二倍できました。これで風に振り回されることがありません。これをやらないと風に「振られッコリー」になっちゃいます。


      

 ぶっかけうどんを作ってくれました。こういうのにも目がありません。おいしいものがいろいろあって幸せ気分です。名前が荒っぽいので、荒っぽく啜ったら、うどんの端っこが暴れて、やたらテーブルが濡れたり頬に滴が飛びました。


      

 ほうれん草です。次のを、また蒔いて置くべきでしょうか。迷っています。どうせ種があるんですから、蒔いてしまおうかとも思っています。あれこれ(方)考えて(連想)しています。











 なぜロシアの元は川に住むものなのか。私の想像ははずれているかもしれませんが、ロシアにはものすごく広い湿地帯があるのですが、それと関係があるのかなと思っているのですが間違いかも。


   一日一茶

     昼此(ごろ)やほろほろ雉の里歩き


   川 流

     昼頃や頭もうろう昼寝どき

     昼頃や腹は満腹頭は空っぽ

     昼頃や猫と二の字に横たわり

     昼頃や世界が全部夢になり

     昼頃や誰が来たって起きないゾ


 補) 胴があきます = 上段(冗談)です

      剣道で上段の構えは胴があきますからね。

  



 


ドライブ

2008年05月23日 | Weblog


 仕事と言うのは、切りがないほどあるものです。どうしてこうもまた仕事があるのか、不思議でなりません。至る所に生える雑草の除去つまり草むしり、枝片付け、竹きり、マメの手立て、新たに畝を作って種まき、追肥、取り入れ、後始末、焚き火、庭木の剪定、堆肥作りなどなど、まだまだあります。

 そんな仕事は、時にはそっちのけにして気晴らしが必要です。もっとも、適当に毎日気晴らしをしてはいますけど、大型の気晴らしも必要です。

 とおもっていたら、友達から電話があって、どこかに行こうということになりました。少し離れた所にドライブをしてきました。筑波山の西の方の町に行っていきました。


     

 つくば市の隣の町、石下(いしげ)という町に行って来ました。どおうしてこういう名前になったのか由来は不明です。写っているのは豊田城というお城です。これは昭和の城で、もともとこの地にはこういう城はありませんでした。なのに作ってしまったという大胆さ。

 豊田というのは、この地に平安時代(1,100年ほど前)に 平 将門(たいらのまさかど)という武将がいたのですが、その人の本拠地があって、そこが豊田という地名だったからでしょう。そこに館があったのだそうです。平安時代ですから、こういう戦国時代の形式の城は無かったわけです。


     

 鉄筋コンクリートの城です。色が白いので「しろ」。(← 嘘。言ってみたかっただけです。) こんなアングルで撮ると大きく見えます。実際、大きいです。中は博物館になっています。民具とか、歴史館もかねて、それからこの地出身の作家のフロアもありました。


     

 明治時代に作家・歌人である 長塚 節(ながつかたかし)という人がいましたが、その人の生家が同じ石下町にありますので、行ってきました。ここへはもう5,6回行っています。就職して最初は、このエリアに赴任したものですから、おそらく初めて行ったのは、かれこれもう40年以上も前のことになります。


     

 彼は、俳人・正岡子規より10歳以上も若いようです。子規の元を訪ねたときに互いに心が通じ合い、彼を師と仰ぐようになったとか。


     

 彼が使っていた離れの書院。「土」という小説を書きました。和歌をたくさん作っています。残念なことに、病気のために若くした亡くなってしまいました。実家は豪農で、県会議員も勤めていたとか。

 鬼怒川を夜ふけてわたす水棹(みずさお)の
               遠くきこえて秋たけにけり

 垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳を
               すがしといねつたるみたれども

 ものゝふの過ぎしいそ回(わ)のあたなみを
               勿来の関と人はいふなり 

    いそ回(磯回)  海辺の入りこんだところ。いそわ。
    あたなみ(徒波) いたずらに立ち騒ぐ波。
             変わりやすい人の心にたとえる。

 幼少の頃から、かなり才気が顕著に表れていたらしいです。おまけに教育を受ける環境も整っていたわけです。水戸の中学校(現・水戸一高)に入学したのだそうですが、身体をこわし4年生で退学したそうです。昔の中学は5年生まだあったとか。

 西行や芭蕉にあこがれ、東北北陸をはじめ中部関西九州と旅をして歩いたようです。100年後にいる私でさえ、そんなに歩いていませんよ。

 古今東西、日本全国、いや世界中にあちこちにこういう優秀な人が出るものなんですね。

    私にも少しで良いですから、才能の分け前を・・・・。

 
  狂 歌

    世の中に頭の良いひと数多し
           なのにどうして私は例外

    例外の無い規則はなしといえど
           私のばあいは例外にしないで


狂春

2008年05月22日 | Weblog


 風は東風が少し冷たいのですが、それだけに暑すぎず、とても爽やかな五月という日でした。こういう日は宝です。せっかく宝を授かったのですから、大いに楽しい一日を過ごしました。

 午前中は軽トラで、裏の草地から伐採した枝を運びました。裏の家の婆さんが曲がった腰で田うえ後の苗の補正をしていたので、そこに行って田んぼの向こう、遠くの県道を通る車を眺めながらおしゃべり。婆さんは、あまり人とのつき合いが無くなってしまったと、嬉しそうな顔をしていました。

 午後は芝生で読書をした後で、ニラを植えかえたり雑用をしたりしました。芝生の読書は最高に良いです。日射しが sun sun 。とときどき、そしてしょっちゅう気が付くと昼寝付きです。

                      

      

 いちごはジャムになりました。さっそく食パンにつけて食べてみましたが、「んーーー、うまい。」 出来たてのあったかいジャムも良いもんですね。

      

 これは、白い花をつけているのがスナップエンドウで、背の低いのがたぶんキヌサヤ(まだ生っていない)の蒔き足しで、

      

 これも今食べているスナップエンドウで、

      

 こっちがツル無しキヌサヤのようなのです。ツル無しとは言えども、少しは手を立ててやらないと、風が吹くと右に転げ左に転げしているうちに、隣のと絡み合い、せっかく生った莢がとりにくい状態に。

 何でこうなっちゃったかと言いますと、とにかく今年の春の私の心臓のゴタゴタで、何が何だか分からなくなってしまったのです。実の太り具合でキヌサヤとスナップを区別しています。食べると直ぐに分かります。

 今年のエンドウ類はごちゃ混ぜエンドウになってしまいました。私も奥さんもチンプンカンプン。首を傾げてばかりです。まあ、そういう狂った春もあるんでしょう。略して狂春。


 


     





 歌舞伎に出てくる石川五右衛門は「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」と言ったそうですが、私は「温泉や(spaのこと)浜寄す波は尽きるとも、世にブログの種は尽きまじ」と豪語できるといいですけどね~。

 先日、奥さんは職場の友達と歌舞伎を久しぶりに見に行ってきました。あれも楽しいものですからね。ストーリーなど、かなりゆがめてしまってもOK。ストーリーだけでなく衣装も顔もは大げさです。客に見える方の袖だけ やたら四角く大きくしてあったり、遠島を申しつけられた先は無人島であるはずなのに、どこかその辺に町でもあるのか、思いを寄せる女性が何気なくいたり、デフォルメだらけです。しかし、それでも何となく自然に感じちゃうんですからおもしろい。                     

 私のブログも千鳥足のデフォルメだらけです。読む方々の脳みそもデフォルメされてしまわないようにご注意ください。いつの間にかピカソの絵のような脳みそになっちゃったりして。私の頭は、もう修正ができませんけど。
 
                 

  一日一茶

     藤さくや木辻の君が夕化(けわ)ひ
               木辻 奈良の遊女町
 


いちご一会

2008年05月21日 | Weblog


 今朝は爽やかです。小鳥の声も一段と大きいような感じがします。元気ですね。あやかりたい。小鳥の元気さをうらやましがり、猫の毎日のんびりとした生活をうらやみ、うらやましがることが多いものです。

 台風の被害は何も無かったから良かったです。皆さんの地域でも、今回はさほどの被害は無ければと思っているのですが、いかがだったでしょうか。

 午後は晴れたので、急いでハウスを開けました。蒸し風呂状態になると、作物がダメになりますからね。一度失敗をしていますので、神経質になっています。

                      

      

 穴にはこれくらい水がたまりました。水の深さはわかりません。50cmくらいあるかもしれません。水面の右にポチッとあるのはペットボトルの底です。昨年、これを細工して、スズメバチを捕ったそのボトルです。風で転がって穴の中に入っていました。


      

 ウラさんからいただいた ほどいも(アピオス) の芽が出てきました。さっそく手を立てました。ツルが絡まりやすいように、竹には枝をつけておきました。5本くらい芽がでました。これからも残りが出るかも知れません。

 ほどいものことは、まだ良くは分かりませんが、アレルギーに効くというので、一度取り寄せたことがありましたが、発芽したもので、到着後しおれてしまって、失敗したことがあります。


      

 ソラ豆はまだ空を向いています。「しど」とならないとね。もうちょっと時間が必要ですね。これは自家製の種を使った物です。

 畑に直播きしましたが、発芽がまばらだったので、苗がぞっくりと揃わなかったです。私にはポットに蒔いてそれを植えかえるやりかたの方が向いていると思います。

 直播きの場合には、発芽まで時間がかかった上に、寒くなってくるので、蒔き足しが出来ませんでした。蒔いたのが遅かったのかもしれません。そこのあたりが残された課題です。










 さすがにこんなには食べられない。そこそこに出来て長~~く出来ていてくれると良いんですけどね。そうは行かないみたいです。

 あっという間の大切な出会いの瞬間を一期一会なんて言いますね。いちごから思いつきました。今日という日に会うのも一期一会。この一粒のイチゴを食べるのもイチゴ一会か。なんてまた真面目な顔をしてバカなことを考えてしまった。

 一日一茶

    ゆうぜんとして山を見る蛙哉


 補)「しど」
     ソラ豆ですから、「ドレミファ」が過ぎ、今は「ソラ」
     の「ソラ豆」です。「シド」で実が入るということです。



大根は黙して語らず

2008年05月20日 | Weblog


 すごい雨が降っています。風はややあるくらいです。天気図を見ると台風は来ない見たいですね。明日は温帯性低気圧に変わるとか。しかし、この様子では雨は降る見たいです。雨量はどれくらいになるか分かりません。ここのところ降っていないので多少はしかたありませんが、これでは降りすぎる。



 今からゴミ出しなんですよ。合羽を着た方がいいですね。雨樋もつまっているところがあるようですが、開通式はあとにします。

                    

 少し動くと汗ばむくらいの季節になってきました。寒くないので、着替えをして外にでるのには勇気を出す必要はなくなりました。

 前の畑を見て、裏の木の伐採の残骸を片付け、草を刈りと、さまざまな用事を平行してやっています。そのせいで、読書量はガタ減りです。減ったって宮部みゆきですから、どーってことありません。昼休みは毛布をかぶって熟睡。

                      

      

 サクランボの苗を二本植えてあったのですが、そのうちの一本が若芽が出ないんです。枯れたので一本を買い足しました。それにたくさん実がついていたのですが、赤くなり出したんです。でも、なんか数が減っているような。「アッ。遅かりし大星くん。」あわててネットを被せました。まだ少しは残っています。

 ところが  ところが  ァところ~~~が(と、歌舞伎調)。騙された。買ってきて植えてから、枯れたと思った幼樹から芽が出始めたではないか。何でまたその頃になって、、、。疲れるなもー  。まあ、いいか。一本多くなっただけですから。

 


      

 先日、植えたレタスミックスの脇で大根が静かに育っています。もっとも、大根ですからおしゃべりなどしませんけど。よくストレスがたまりませんね。ストレスがたまった結果、足が、、いや間違い  、根が太くなるんでしょうか。

 「それじゃレタスはどうなんだ?」
 「葉ばかりなっちゃっているではないか。」
 「ナスは?」
 「顔色が紫になっちゃってる。トマトは顔が真っ赤。」
 「・・・・  」
 「キュウリなど、極端にストレスがたまっちゃって、勾玉みたいに
  なっちゃうのさえあるんだ。それからジャガ芋など小鳥が目を覚
  ましたばかりのようなのもあるゼ。」
 「え?」
 「インコのめざめ なんちゃって。」
  「
・・・・・  」











 きれいな花の写真のあとでなんですけど、その馬鹿げたことを考えてみたりしながら野良仕事をするのも、けっこう楽しいものです。大根がおしゃべりをしたなら、ひとつ会話をしてみたいものです。「もう食っていいかい?」・・・・・ オソロシイ。

 でも、おしゃべりはしませんけど、それぞれ生き物は、精一杯生きていますね。雑草などすごいです。全力で生きています。刈り取られても、むしられてても子孫をどんどん残し、決して無くなりません。花も夢中で咲いていますね。だからきれいなんでしょうか。

 パンダのように、一種類か二種類しかのものしか食べないという種族は生命力が弱いですね 。人間は何でも食べるので繁殖してきたのではないかなと思いますよ。虫だっては虫類だって食べちゃいますからね。


  一日一茶

    ゆさゆさと春が行くぞやのべの艸(くさ)

 補)大星くん
     「遅かりし由良之助」
      歌舞伎では忠臣蔵の大石内蔵助は大星由良之助です。

 今日は気圧の変化が著しいのか、馬鹿話が多くなってしまいました。


「うど」

2008年05月19日 | Weblog

 一昨日は叔父の一周忌で、昨日は友人のお母さんが亡くなって葬式に行って来ました。生老病死(しょうろうびょうし)。逃れることは出来ないこととは言え、できることなら避けたいもの。しかし、それがかなわない事実ですから、実に残念であることばかりなのですが、受け入れていくほかありません。

                    


     

 シュンギクの花が淋しくしずかに清楚に咲いています。花がきれいなので、取り払うのが惜しく、そのままにしてあります。


     

 ウドの茎の上の方から芽にかけての部分と蕗の煮物です。こういうのも、なかなかの味がしてとてもおいしかったですね。

 ウドと言えば、いつも木こりの弁当でしたのですが、「うど」は若人(わこうど)、落人(おちうど)などの「うど」。これは「人(ひと)」の「ひ」が「う」に変わるウ音便というのだそうです。「あずさ2号」の狩人は「かりうど」。あれは信州信濃への旅でした。その後どうなったんでしょうね。・・・ 話を戻します。商人は「あきうど」でそれがまた変わり「あきんど(撥音便)」となってしまうという離れ業。

 たまに、あのお笑いの人、あの天真爛漫な顔を思い浮かべることもあるのです。


     

 載せきれないうちに「いろはにほへとちりぬるを」となってしまいました。これは水仙の一種です。名前は分かりません。



     

 あまり喜ばしいことではないのですが、これが裏の草地いっぱいにできると、それはきれいです。そして、ふわふわと舞いあがるんです。もうこれも散ってしまいました。


     

 白い物ばかり三種と続きます。ことしもたくさん花がさきました。ブルーベリーはまた豊作かも知れません。期待通りに行ってほしいです。


  一日一茶

    花の月のと ちんぷんかんの うき世哉


 台風よ 来るな


あるがままに

2008年05月18日 | Weblog


 やっと爽やかな日がやってきました。また崩れていくそうですが、それは多少はしかたないことです。良くなったり崩れたりするのが天気ですから。続けて崩れっぱなしというのが困ります。

                     

 叔父の一周忌がありました。お寺に行ってお経をあげてもらい、お坊さんから法話を聞かせてもらいました。インドの古い話を聞かせてくれたのですが、主旨は「あるがままに」ということでした。

 なんだか、2・3日前に偶然私がこのブログで言ったことと同じになってしまいました。つまりレット・イト・ビーです。 

                     

     
 

 

 

 寺は1,200年の歴史があるそうです。真言宗で長谷寺の系列だそうです。杉の木は樹齢1,100年。枝垂れ桜が有名です。

 ということは、この寺ができたのは西暦800年頃。平安京が出来て間もない頃ですね。この寺の歴史はわかりませんが、真言宗の宗祖である空海は774年の生まれだそうです。

 彼は修行中にとてもおなかがへってしまったときがあり、動けなくなってしまったとか。すると、あるお百姓さんがにぎり飯を持ってきてくれたんだそうです。それがきっかけとなり、自分のことを空海と名付けたとか。その時のお百姓さんの言葉は「これ食うかい?」→「食うかい?」→「空海」。 ウソのような嘘の話です。


 お墓参りをしてから、皆さんでハイカラなところに、、、。久しぶりに黒い服を着たのですが、なんとなく窮屈でした。この頃は、さっぱりネクタイを締めることがなくなりましたからね。


      

 レタス・ミックスを植えました(5月16日)。レタスばかりありますが、出来る時期がずれると思うので大丈夫でしょう。これで焼き肉を包んでたべたいです。おっと、肉は食べ過ぎに注意しなくっちゃ。肉を憎らしいと思うように暗示を掛けることが必要かも。でも、肉は食べ物で毒ではないのですから、適当につきあうことも大切な気もします。とまあ、気持ちは揺らぐのであります。


      

 アスパラガスが倒れないように支えを作ってやりました(5月16日)。今回は、支えの棒は篠を使い、横の支えは朝日もじゃなかった麻ひもです。

 それでも枠内で倒れるのがあるんですよ。そんなのは、この枠内の倒れている株の直ぐ側に篠棒を突き刺してやりました。

 来年もおいしいアスパラガスがでて欲しいです。あーすぱらしいでがす、なんちゃって。


      


 「あるがままに」の考えは洋の東西を問わず同じなんでしょうね。そういう、東も西も同じものなんだなぁと感じることは時々あります。


   一日一茶

     月花や四十九年のむだ歩き
             この年、一茶四十九歳


じゃがいも

2008年05月17日 | Weblog


 今朝も静かな夜明けです。ホトトギスが鳴き始めました。初音です。むかし、都のひとはこの初音を心待ちにしていたとか。できるだけ早く聞くことがよいと思われていて、早く聞ける所に住まいを移した人もあるとか。まだ鳴き始めは声をひそめて「忍び音」で鳴くとか。今朝のホトトギスは元気な声でした。

 ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ

                     式子内親王  


 あけみ蝶さんが信州の旅に行って来たそうですが、いいですね。まだ気は漲っては来ませんが、少しずつ私もどこかに行ってみたい気がしてきました。

 以前は、歩きで旅がしたいとしきりに思いました。出来ないこともないでしょうが、諸般の事情を考えると不可能だと思ったので、やったことはありません。テクテクと旧街道を歩いてみたいと思ったことがありました。

 信州という所は、私にとってはフォークソングの世界のような所です。とてもノスタルジックで、若者向きで、大自然の中にあり、信州と聞くと私の中では何か懐かしい取り戻せない何かが、ひょっとするとあるのではないかと思わせる所です。

                      

 学生のときに、飯山市の近くの村で合宿をしたことがありました。普通の農家に20人前後が泊まり込んで何日か過ごしました。その時に、電車にゆられ、バスに揺られていく途中、農家があちこちにあるのがもちろん見えるのですが、そのあちこちの農家の二階に学生がいるのが見えたんです。

 学生が部屋を借りて、勉強をしたり卒論を書いたりしているんだろうなぁと思いました。避暑であり、雑踏からの逃避でもあり、隠りでもあり、修行でもあったんでしょうね。

 合宿が終わり、お礼にと思って自分の町のお菓子などを送ったところ、秋になってリンゴ箱が送られてきました。そのリンゴのおいしかったこと。いまでも、あの農家のご主人の名前は覚えています。もう亡くなってしまったでしょうね。

                     

      

 キヌサヤは、いつも取りきれないほど生るのですが、今年は今のところわずかしか生らないので、こういう食べ方をしています。これもまたおいしいです。

 まあ、そういう年もあってもしかたないのですが、ちょっと残念です。もっと、しっかりと作らなくてはいけませんね。反省しています。

  

 ジャガ芋の土寄せは終わりました。遠い方に二種類。手前の木の棒を立ててあるところは13種類です。

 トラクターで耕したあとに雑草が出始めました。大きめの雑草は、アブラナです。このあとに、管理機で全部耕しなおしましたので、雑草はなくなりました。


       

 このように、名前を書いて立ててあります。はやく出来ないかナーと思っています。またレンジで温めて食べたいです。子供みたいですね。でも、そういうことは楽しくていいですよ。


      

 パンの耳です。耳というのは、どうしてそう言うのか分かりませんが、パンだけでなく布とか紙の端のところも言うようです。縁の厚くなったところを言うようです。

 それで、これをたくさんパン屋さんからもらってきてあります。鶏も犬も大好きなので、餌とかおやつにやっています。2年ほど前にも話題にしたことがありました。

 

 
  一日一茶

    信濃路の田植過けり几巾(いかのぼり)    

       いかのぼり = 凧(たこ)のこと