ガリバー旅行記 vs 御曹司島渡り 

2006年11月30日 | Weblog

郵政民営化法案に造反した元自民党の議員が、復党することでしばらくニュースをにぎわしていましたが、12名のうち11名が復党できて、一応落ち着いて来たようですね。

一人まだのようですが、強い信念があり、自民党の示した条件を 「踏み絵 」 と称して、その踏み絵を踏まないと言っています。偶然にも、先日私が紹介しました 「 ガリバー旅行記 」 のことを取り上げて、昨日の朝日新聞の 「 天声人語 」 が語っていました。作者のスイフトは、ガリバーは日本にきたときに踏み絵のことをちょっと書いています。「 天声人語 」 はそのことから書き始めていました。

それを読んでいたら、こりゃまた書かなくっちゃという気持になりました。またまたガリバーの話です。

ところで、ガリバーが書かれた頃と 「 御伽草子 」 が出来上がった頃とは、近いような感じがします。で、私が気にしている物語は、その 「 御伽草子 」 の中にある 「 一寸法師 」 と 「 御曹司島渡り 」 という話です。一寸法師の話しは有名ですから、皆さんが知っているのとほぼ同じなんですが、「 御曹司島渡り 」 は、ほとんど知られていません。
 
             

御曹司 ( おんぞうし ) というのは、平家の公達( きんだち )に対しての源氏の嫡流の息子たちを指す言葉です。中でも特に義経を指すことが多いですね。公達は、貴族の子息たちを指しますが、平家を特別に貴族扱いにして、そう呼んだのでしょうか。さて、その義経が御伽草子のなかでは、千島列島らしい方面に旅をするという、とんでもない冒険をすることになっているんです。        

いろいろな所に行くのですが、ここでは二カ所紹介します。まず小人の国です。上の絵にあるように、確かに小さい人たちのいる島に渡っています。

さて、ガリバーは最後の第四編では馬の国に行っています。我々の世界では人間が最高の生き物になっているのですが、そこでは馬が最高の存在です。そして、ガリバ
ーがある時に見た動物は、何とも言えないような軽蔑したくなるような様子をしている猿のような生き物でした。それはよく見ると自分と同じ姿形をした人間ではありませんか。そしてその生き物は、その世界ではヤフー(yahoo)と呼ばれているのです。


             

この絵は昔の絵ですし、物語の挿絵ですから、今私たちが描く馬の姿のようではありませんが馬の絵です。

ガリバーの中に書かれている話しと、この御曹司島渡りに出てくる話は同じではありませんが、どうもスイフトは、この御伽草子にヒントを得ているのではないかと思えてなりません。

鎖国の時代とは言え、西洋との交流があったわけですから、ひょっとするとスイフトはこの話を読んでいたかも知れませんね。確たる証拠は私には発見できませんので、単なる想像の域はでませんけど、この島渡りの話が御伽草子の中でも室町あたりに書かれたものであるなら、偶然でもないような気がしてなりません。


思いは巡るよ~♪ どーこまでーも~♪

2006年11月29日 | Weblog


ときどき、人並みに人生は短いなと思うことがあります。たぶん、そう思うということは一茶の俳句 ( めでたさも 中くらいかな おらが春 ) のような人生を歩んでこられたからだろうと思います。 辛くてつらくてしかたなければ、時の過ぎていくのが長く感じるはずですから。

人生を短くさせる要素が私にとってもう一つあります。それは欲です。欲と行っても、物が欲しくて高価なものを集めるとかいうようなものではなくて ( CDはたくさんたまってしまいましたが )、いろいろとやってみたいことが多すぎるのです。やる気の気(木)ばかり多くて材木屋さんです。

例えば、世の中のありとあらゆる本  を読んでみたいなんていう欲望。特にお経など、どんなことがかいてあるのでしょうか。読み切れないほど多くあるとか。コーランなどもまだ読んでいないし、古今東西のマスターピースつまり名作をことごとく読んでみたい。

          

世界の隅々まで見てみたい   と思うことがあります。タイムマシンにも乗ってみたい。クレオパトラとか小野小町はどんな顔つきをしていたんでしょうね。おっと、不可能なことばかりですね。だめだこりゃ。世界の隅々までみるのには、人生は短いし、そのようにはできていませんので、いつかあの世に行ったら可能になるかなと思ったりしています。でも、あの世  に行ったらこの世のことなど、関心が無くなってしまうかも知れませんね。

まあ、夢ですから思いが巡るのは勝手です。車に乗っているとき、布団に入ったとき、トイレに座っているとき、つまり三上(さんじょう)でそんなバカげたことを考えてしまいます。あ、もう一カ所ありました。病院で順番を待っているときです。退屈はしないですねー。いつの間にか熟睡して、夢の世界へまっしぐら~~。

 補) いつか取り上げたかも知れませんが、三上とは馬上・ 枕上(ちんじょう)・
    厠上(しじょう)で、文章を練るのに最もよく考えがまとまるという三つの場
    所。(広辞苑)
    つまりグッド・アイディアの浮かぶところですね。


ムード音楽

2006年11月28日 | Weblog


子供の頃から音楽が好きで、今でも好きです。私の音楽の歴史は半世紀に及びます。しかし、演奏はだめで聞く方ばかりです。楽器を多少はやってみたものの、子供の頃から若い頃にかけては、とても高価なものだし、習うチャンスどころか、いじくるチャンスすらほとんどありませんでした。今もある楽器をいじくっていますが、とても人前では聞かせることなどできない程です。

高校生の頃から、かなり聞く方に熱がはいりました。クラシック音楽のメロディーがはっきりしているもの、ポピュラー音楽 ( 映画音楽、ボーカルの入ったもの、演奏だけのものなど ) が大好きでした。

          

ポピュラー音楽で演奏のものは、主にムード音楽と言われていました。今はたぶんイージー・リスニングと呼ばれていると思います。たしか、ポール・モーリアが出てきた頃から、そう言われるようになったような気がします。ポール・モーリアは惜しいことに今月亡くなりましたね。

          

その前、つまりムード音楽の時代は、マント・ヴァーニとか、フランク・プウルセル、パーシー・フェイス、フランク・チャックスフィールドなどのストリングス・サウンドが活躍していました。その他にトランペットとかギターなど特定の楽器を中心としたオーケストラがありました。大抵はそのオーケストラのマスターが特定の楽器をえんそうしていましたが。それから、ラテンでもマンボとかルンバ、それからタンゴとか、ジャンルを特定したオーケストラがあって、とても楽しめましたね。

           

上の三枚の写真は、先ほど隣の部屋の片づけものをしながら、聞いていたレコードの写真です。友達からもらったもので、ジョージ・メラクリーノというイギリス人の率いるムード音楽のオーケストラです。いやはや、懐かしいこと。こういうオーケストラがあったのを忘れていましたよ。

今日は雨模様です。秋も深まり静かな宵は、こういう音楽を聞いて、しんみりと昔を思い出すのも良いですね。


御伽草子を話題に出したあとのフォロー

2006年11月27日 | Weblog

このブログを始めてからずっと長い間、誰からもコメントをいただくことがありませんでした。今はもう一つここから分離して別なところで野菜に関するブログを書いていますが、そちらには沢山コメントをいただいてありがたいと思っています。

コメントが無いからと言って、それで辞めようなとは思いませんね。だいたい、勝手気ままにやりたい性分ですから。この会社のブログは、管理者である私のような開設している人が編集するためのものがありますが、そこに「アクセス状況を見る」というのがあって、そこを見ますと、毎日190名台から260名台くらいまでの方々が訪問してくださっているようです。マイペースな、このへたくそなものを見にきていただくのですから、ありがたいと思います。

          きくいも

「 御伽草子 」 なんて話を持ち出してしまいましたが、私はその道の専門家でも何でもありません。関心がちょっとあったので、本を買ってきてすこしずつ見ているという程度です。自分に無かった世界ではありますが、よく考えてみると、自分に大いに関係があるような気がします。

昔、私が子供の頃に、おばあさんから聞かされた話、童話として読んだ話、ラジオなどで聞いた話、その原型がこういうものにかなりあるような気がしていると同時に、退職して田舎の暮らしを続けていると、狭い車が一台くらいしか通れない、へなへなと曲がりくねった田舎の道端に道祖神などが立っていたり、祠があったり、畑の中に何かひらひらするものがあったりするのを見ると、あながち関係のないものとは思えなくなってきました。

少し前に、じつはグリム童話は恐ろしい内容なんだよ、なんていうことを言っている本が、相次いで発売されたことがありました。今は少し下火になってきたようです。今のバージョンの話は現代人(の子供)に合ったようにリトールドされていますが、昔はけっこう残酷なのが普通だったり、復習するのがあたりまえというのが普通だったりして、社会は今とは違っていたわけですから、残酷なものが普通に受け入れられたでしょうね。また、科学的に分析して解決していく方法が今のようにありませんから、超常現象も身近なものとしてとらえていたのではないでしょうか。もっとも、超常現象を身近なものとしてとらえている人は今でもけっこういるとは思いますが。

浦島太郎の話は、かなり何度も聞かされておなじみのお話ですが、「 御伽草子 」 を読むと、私が聞いたり読んだものとはかなり違います。だいたい、子供達が亀をいじめていたなんて部分は全然出てきません。そういうところからして、私の関心を呼び起こしてしまったわけです。

てなことで、話をここでいきなり端折りますが、御伽草子の話はおもしろいですよ。チャンスがあったらどうぞ。

 補) 昨日の答。
     浦島太郎はその後、鶴となって飛び立ち、竜宮城のお姫様と夫婦になり、
     あるところにお祀りされているそうです。そういうところも童話として語られ
     るものには出てきませんね。


御伽草子(おとぎぞうし)

2006年11月26日 | Weblog


室町から江戸にかけて出来上がったと言われる本があります。それは御伽草子と呼ばれる本です。要するに おとぎばなし集 です。この中には、おなじみの 「 一寸法師 」 とか 「 浦島太郎 」 や 「 ものぐさ太郎 」 の話もあります。「 かちかち山 」 とか 「 さるかに合戦 」 などの昔話などは載っていないようです。そのようなものは、元はなんだったんでしょうね。特に一つの物語集に載っていたものでは無いのかも知れませんね。

                                  

私の持っているこの「御伽草子集」には載っていませんね。この本には全部が出てくるとは限らないようですが。実際にはいくつあるか分からないくらいなのですが、江戸中期に二十数編をまとめたのが、いま伝わっている御伽草子らしいです。

テレビのクイズに、浦島太郎は最後はどうなったか、なんてのが出たことがありましたね。答えはいじわるして 教えない。調べてくらっさい。  (答えはそのうちに、、、)

このおとぎ話というのは、どれも反(あるいは非)日常的のことが語られているようです。日常的ではつまらないからでしょうね。事件にならない。『 昔むかし、あるところに美しい王子さまがいて、隣の国にはこれまた美しい王女様がいました。二つの国はとても仲良しでした。そして、二人は結婚して子供に恵まれ、とても幸せな一生をすごしました。』 ではお話にはなりませんね。「 なーんだ、つまんない。」 と、子供にも大人にもそっぽを向かれてしまいます。

だから、体が異常に小さかったり、急に年寄りになったりと超常現象が起こる訳です。登場人物は作者の思い通りに動かなければならなくて、とてつもなく楽しいことのあとに、突然言いようのないほどひどい目にあったりして、手玉にとられるわけですから、かわいそうといえばかわいそうですね。生身の体を持つ人だったら、やっちゃいられないよと腹をたてることでしょう。小説でも何でも物語るものはそうですね。

そんなことを考えてみました。



ガリバー旅行記

2006年11月25日 | Weblog


近ごろガリバーと言うと、中古車のチェーン販売店がおなじみですが、この物語は子供の絵本などにあって皆さんはおなじみなことと思います。こびとの国が一番おなじみでしょうか。海岸に打ち上げられていたら、いつの間にか縛られていて、、、なんていうシーンがよく絵になっていますね。

この物語はイギリス(正確にはアイルランド)の作家であるジョナサン・スイフトという人によって18世紀半ばに書かれたものです。日本では江戸時代で、将軍吉宗の時ですね。享保の改革が行われていた頃です。

内容は、子供の読み物とはほど遠いものです。ただ、ガリバーは変わった世界に旅をして歩いたので子供向けの本に合う部分もあったんでしょうね。変わった世界というは、言ってみれば異界です。俗世から異界へ、そして俗世に帰ることを繰り返したわけです。

          

最初は小人国に旅をしたのは誰でも知っています。これはそんな国があるとは知らず、行くはめになってしまったのですが、あれこれあった後に、最後にはその国をあとにすることになりました。その訳は、王様の宮殿が火事になったのですが、水がなかったので、おしっこで消しました。それでいくらなんでも王様の宮殿をおしっこで消すとは、ということになり居づらくなってしまったので、おさらばしたわけです。去るにも、そろそろ故郷が恋しくなったからとか、飽きたからなんてことではなくて、きちんと去らなければならない理由をくっつけていたんですね。

そんなことは子供の本には載せられませんから、良いとこ取りというやりかたで童話にしてしまったということでしょうか。ガリバーは、大きく分けて4つの部分に分かれています。まず小人国、つぎに大人国。このころになると描写がどぎつく生りつつあります。次があちこち、最後に馬の国。あちこちの中には、あの宮崎だれとかという監督のアニメにもでてきたラピュタという空に浮かんでいる島にも行きました。こちらが本家です。そして驚くことに日本にも来ているんですよ。ちょっとだけですけど。日本のことは詳しく書いてありません。立ち寄った場所とか将軍にあったとか踏み絵がどうのこうのということが書いてある程度です。江戸とか長崎なんていう名前が出てきます。ということは、当時は日本は異界のひとつであったんでしょうか。

けっこう面白いお話が書いてありますよ。原題は
  Travels into Several Remote Nations of the World by Lemuel Gulliver


女性は汗をかかない?

2006年11月24日 | Weblog


このブログは元は家庭菜園を中心に、それからはみ出たいろいろな話題を載せてきました。家庭菜園のことは二カ所で書いてもしかたないので、主にhttp://blog.livedoor.jp/potatojaga/ の方にすることにしました。このブログは閉鎖しようと思いましたが、せっかく二年間の蓄積があるのにもったいないと思い残すことにしました。気ままに考えたことなどを取り上げて見ようと思っています。ただ、毎日更新できるかどうかは自信がありません。

いつも訪れてコメントを残していってくださる方々には、とても感謝しておりmさう。また、ときどき家庭菜園にはほとんど縁のない方も訪れてくださいまして、その中にはコメントを書いていってくださるのですが、それはとても嬉しいし、ありがたいと思っております。

ブログをどこかのカテゴリーに入れてしまうのは、当初から好きではなかったのですが、そうすると何を書いて良いやらわからなくなり、結局は長続きしなくなってしまいますので、家庭菜園を中心にと決めて始まりました。

           

汗は英語では sweat と言います。この語が一般的に使われるのかなと思いますが、一方私たち日本人にはあまりおなじみでない perspire ( パースパイァ 、名詞は perspiration ) という語もかなり使われているのではないかと思います。

古い言い方に Horses sweat, men perspire, wemen glow. という言葉があります。たぶん競馬場のような所での話だと思うのですが、 馬は汗をかき、男達も汗をかく、、、 という意味でしょうが、馬つまり動物の汗と、男つまり人間
かく汗が違うようです。この言い習わしでは、女性はもっと品よく 女性は頬を赤らめる、つまり興奮して顔が赤らむという言い方をして、汗をかくという表現を遠慮しているようです。なお、女性のところは glow でなくて glisten という言い方もあります。この場合は輝くという意味なので、興奮して目を輝かすことなんでしょうか、とにかく汗とは言わないんですね。

たぶん、イギリスの英語なのではないかと思いますが、こういう言い方はすばらしいですね。なるほどうまいなぁと思います。一種の婉曲表現でしょうね。

今日は、ふとこんなことを思いつきました。


自作の椅子でゆっくり

2006年11月23日 | Weblog

今日はうす寒い日になりました。まあ、こういうのが今の時期では普通なんでしょうね。でも、私の地域は晴の日が多いです。ただ、風は冷たくなってきます。特に午後になると離れ雲がぽかりぽかりと流れてきて、太陽をしばしば隠します。

            

庭を作り替えてから、離れの前を芝生にしました。芝は芝刈り機で刈るのではなくて、野良仕事に使う刈り払い機でやってしまいます。縁の石やコンクリートのあたりは、刈り払い機の刃を紐に交換して、紐が薙ぎきるというやりかたで刈っています。そうすると、金属の刃はありませんから、カチカチと石にあたらずに草を処理できます。

とびっきり良い芝生にはするつもりはありません。芝に使われてしまい、年中芝の上をはい回ることになりますからね。でもまあ、良いに越したことはありませんから、もちろんそれなりに努力はしますけど。

自分で作ったデッキチェア風の椅子にゆったり座り、先日作った長めの椅子をテーブル代わりにして、芝生で読書は気持良いですよ。ポカポカとお日様の光を浴びて、のんびりと静かにしばし本の世界に、、、、。

このデッキチェア風の椅子は、今は亡くなってしまった父がよく日向ぼっこに使っていました。気に入ってくれて嬉しかったですね。背もたれの勾配と座る部分の高さかげんが良かったんでしょうね。

お昼休み時など、しばしゆっくりするのにとても良い空間です。



郵便ですよ

2006年11月22日 | Weblog


昨年、荒れにあれた国会の郵政民営化法案ですが、反対した議員が復帰するとか反対だとか、まだ自民党内部ではくずぶっているようです。私は政治のことをブログでとやかく批評するつもりはありませんが、ちょっと気になることがありました。

昔は、郵便屋さんが自転車で来ました。霜どけの土の道を来るもんだから、タイヤにいっぱい泥がついて、たいへんでした。雪の日などは赤い自転車  が動かなくなっちゃって、本当にごくろうさまという感謝の気持ちが自然にわきました。

しかし、時代は変わり、この頃はバイクでサッと来てサッと帰ってしまうので、「 お茶を一杯どうですか。」 なんて言えないうちに行ってしまいます。能率第一の時代ですからね。

            

きのう来た配布物です。これは宅配便。ずいぶん来るものです。スカパーは契約しているから来るんでしょうね。あとはどうなのか、あ、道の駅じゃなかった、あのジェーなんとかでしたっけ、車の故障があったときに頼むところ。あそこの会員にもなっているので、雑誌が来ますね。

            

それに対して、やはり昨日きた郵便物です。たったこれだけ。宅配便とはえらい違いですね。郵便にすると高くなるんでしょうか。民営化しても大丈夫なのかな。

昔はひどかったねー。小包を出そうとして郵便局にいくと、

たすきがけにしろと言います。 → 紐は? → どっかで買ってこい。→ はい。 → 荷札を付けろ。 → 荷札は? → どっかで買ってこい。

郵便でしか出せないので、悔しい思いをこらえながらやってましたよ。あの恨みは忘れませんね。だけど、やはり郵便が廃れると心配ですね。がんばってくださいよ。あの、霜どけの土を自転車のタイヤから落とすために、郵便屋さんが棒を持ち歩いていた、あの頃を忘れないでねー。



止まない雨はないはずですが

2006年11月21日 | Weblog
「 止まない雨はない。」 という言葉を耳にしたことがあります。その方式で言うと、「 へらない腹はない。」 とか 「 とらない年はない。」 なんて、へんなことにも使えそうな気がしますね。いろいろ応用できます。

この、やがて止むはずである雨というのは、おそらく逆境のことなどを指すのではないかと思います。逆境があっても、いつかは日の差す時が来るだろうというような意味で使われるのだと思います。じっと怺えて耐え抜きなさい。ということを優しく教えているものと思います。

しかし、とうとう差すことが無く、降り続きっぱなしの雨もあるのではないでしょうか。近ごろは、行く先惜しい若い子供らが自ら命を絶ってしまうことが目立ちます。残念ですね。とうとう雨が止まないでしまったんですね。

もう少し待っていれば日が差したかも知れないのに。しかし、今までのことを煎じて考え、これからのことを推し量り計算する、つまり来し方行く末を考えると、雨は決して止まないという答えが出てしまったんでしょうね。一人ひとりの胸の内に降り続く見えない雨を、ぜひ止める方法を世間の人たちみんなで考えましょうよ。




             


   私がときどき思いつく言葉。 「 待てば海路の日和かな 」

                                          


  何か今日の 「 折々の歌 」 は気になる歌が出ていましたね。

  ありし日に覚えたる無と今日の無と さらに似ぬこそ哀れなりけれ

                                      与謝野晶子

なるほど、そういうことは大いにあり得ますね。自分のこととして十分とらえることのできる歌です。  禅の修行僧なら失格なのかな~~?


たそがれ清兵衛

2006年11月20日 | Weblog

久しぶりに小説を買ってきました。前回買ったのは、司馬遼太郎の 「 功名が辻 」 でした。これは文庫本で4冊ありましたが、たいして時間がかからず読み終わりました。

                           

今回は藤沢周平の 「 たそがれ清兵衛 」 です。藤沢周平は人気があるようですね。テレビのドラマで断片的に見たことはあります。藤沢は、大河ドラマなどに出てくるような人物は描かなかったのでしょうか。

            

何か、この本はいろいろな作品が入っています。「 たそがれ清兵衛 」 は短編なんでしょうか。それともこの本はダイジェスト版?? この清兵衛さんのほかに、うらなり与右衛門、ごますり甚内、ど忘れ万六、だんまり弥助、かが泣き半平、日和見与次郎、祝い人助八という作品が入っているようです。人物は全部あだ名が頭につく人ばかり。

                           

まあ、何はともあれ、この本をブック・オフで買ってしまったので、読まなけりゃならないと思って読み始めました。描写はたいへんなことなのに、さりげなく軽く書いてありますね。そこら辺が彼流の書き方なんでしょうね。

                           

ふだんは歴史・民俗・宗教などのものばかり読んでいますので、やたら時間がかかって少ししか読めません。地図を出してみたり、サイトを開いて関係するところを調べたりしながら読むこともありますからねー。まあ、どっちにしても楽しみで読むわけですから、何でも面白そうなものは手をだします。


曇天の朝は

2006年11月19日 | Weblog

今日は朝から曇りです。昨日、力仕事をしたし、午前中はちょっとした会議があるので、ノラ仕事は休みです。午後はどうなることやら、特に予定はありません。

朝食を済ませて、鶏に餌をやり風呂の掃除を終えて、新聞を見終えました。今日は本の紹介のページがありましたが、特に興味を引くものはありませんでした。寒いので、猫がきてホットカーペットのうえでイナバウアーをやっています。暖かくて気持がいいんでしょう。

               

そういう朝はこれ。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲 第1番・第2番。適当な静けさと騒がしさ ( という表現は少しおかしいかな?) が混じり合って、おもしろいメロディーラインを作り出しています。演奏家はボロディン・カルテット。1979年の録音とありますので、まだまだソビエト連邦であった頃です。いまのロシア連邦は1991年からと考えて良いと思いますから。メロディアというソ連のレーベルです。今もあるんでしょうね。旧共産圏のレーベルでは、チェコのスプラフォンなんてのがありました。今もあるかと思いますが。  

全体的に茶色がかった色合いです。ジャケットが寂しさをよく表していますね。寂しい時には寂しさを全身に浴びて味わうのが良いですね。この曲のジャケットにはふさわしいデザインです。

                             

今日の 「 折々のうた 」 は

      悪相の魚は美味し雪催(ゆきもよい)   鈴木真砂女

です。どうして名前に女をつけるのか。意味不明。

私は今日は川柳の方が良いです。

     叩いたら埃舞い立つ知事の椅子  渡部てい女 さん
                      
            この方も女がついています。

     TMはとにかく見た目の略と知り      真庭 誠 さん

           TM はタウンミーティングの略
           何だろう。T(適当な=いい加減な) M(ミーティング)かな?

まあ、朝ですから静かに一日を始めましょう。


 

タブー

2006年11月18日 | Weblog

ある本を読んでいたら、日本にはタブー ( 禁忌 ) が非常に多いと書いてありました。例えばトイレにつばを吐くなとか、夜に爪を切るなとか、履き物は午前中におろせなどなどです。

よく日本は文化の吹きだまりなどと言われますが、そのタブーもいろいろな文化が渡来してきて、消えずに溜まっているからでしょうか。先ほどの友引なんてのは六曜 ( 六輝 ) と言われる中国から渡ってきた、時や日にちの占いなんだそうです。その割にその知識を売って仕事をしている人がいますね。占い ( 売らない ) なんて良いながらネ。

このところずっと人気のある、阿部晴明などは陰陽師と言われ、陰陽道と五行の知識がすぐれていて、さまざまな超人的な仕業ができたそうです。陰陽は文字通りにすべてのものには陰と陽の二面があるという考えで、五行は木、火、土、金、水と五つの気が天地にはあるというあるというのですが、その二つの考えを結びつけたものだそうです。何かよく分かりませんね。

          

その他には風水なんて場所に関する占いのようなものもあるし、庚申信仰とか、さまざまな信仰や占いが混在しています。こういうものをどれだけ信じているかというと、馬鹿らしいと思いつつ、断ち切れないでいる人が大半です。

その他に、民間信仰があります。ちょっとした何かの出来事などがきっかけでタブーが生まれる。仏教説話などにこういう話がある。だからこういうことをしてはいけないんだ、などという考えが生まれてくることもあるでしょう。

もうひとつ大切なことは 言葉 です。縁起の悪いことにつながる言葉というのがあります。おめでたい席では、めでたさが停止してしまうから終わりなどとは言わないで、お開きにするなどと言ったりします。「 し 」 や 「 く 」 などは 「 死 」 や 「 苦 」 などに通じるので使わない。病院などでは4号室など嫌がる。観光バスも何台も連なっていく場合にはその数字は、もしものことを考えると困りますから嫌がります。

それから、言葉には力があり、そうなってしまうかも知れないので、悪い言葉は使うなと、大昔から言われてきました。逆に人を恨む場合には悪い言葉を使い、相手が逆境に陥るように願うことをします。

水辺に生えている草に 「 葦 」 というのがありますが、あれは昔は 「 あし 」 と言いましたが、「 悪し 」 に通じるので 「 良し 」 とか 「 吉 」 の発音と同じの 「 よし 」 としたとか。今ではどちらも言いますね。まあ、これはタブーとは違いますが、近い考えであると思います。

           

だから、たぶんタブーの数も多くなるのでしょうか。しかし、そういうことを気にしていたら何も出来なくなってしまいますね。人間は適当なところで、「 もういいや。」 という気持が生まれますから、適当なところまでそういうものとつきあって、あとは知りませんということにしながら生活していくほかありませんね。

今年も残り少なくなってきたので、暦を出してみたら、いろいろなことが書いてありましたので、そういうことを思ってしまいました。

ところで、このタブーという言葉ですが、元はポリネシア語で 「 聖なる 」 という意味があるのだそうです。聖なるが故に、畏れて犯すなという意味で使われるようになったのかも知れませんね。

今日はサツマイモを収穫しました。掘ったサツマイモをポンポン投げたりしたので、仕事ですから仕方ありませんが、食べ物をこんな扱いしても良いのかななんて、ふと考えてしまったものですから、仕事をしながらそんなことを考えてみました。



プディングは食べて見なけりゃ

2006年11月17日 | Weblog


今日は父の命日です。隣の県から妹夫婦が来てくれました。あいにく曇天で、寒かったのですが、まあどちらかというと穏やかな日でした。

屋根屋さんが来て、二階の瓦を一部取り替えて行ってくれました。雪が降ったときに、ちょっと止めておくタイプの瓦に変えました。これがあるのと無いのは大違い。無いと、屋根にたまった雪がドサッと落ちてきて、下にある土庇(どびさし)という長く出た屋根に落ちますから、すごい音がします。これが一晩中続くので悪い夢を見ます。

              

わが家から見ると300mくらい東の方に、市民野球場がありますが、その先の方はずっと何町歩も森になっています。ここが未開発の土地なのですが、これが団地になるということが本決まりになったようです。およそ700戸が建つそうで、取り付け道路が決まり、拡幅工事に入るとか。隣の家では畑がかなり削られてしまいます。

団地が出来るのは、わが家には幸い関係なく済んだもようなのですが、これから出来たらたいへんです。また通行量が増えて渋滞がひどくなる。700戸というと、毎日の車の出入りがけっこうありますからね。反対側の隣には6軒のミニ団地がありますが、それだけでもかなり日中に、ドアの閉める音がして出入りがありますからね。

小学校だって、また教室が足りなくなってプレハブ校舎がグランドに現れる可能性が出てきますね。

まあ、あちこち心配しても仕方ありません。ただ、どうなることか予測をしてみただけです。少しは環境が変わるのも良いのかも知れませんけど、、。

昨日は、みるくさんに教えていただいたABを買ってきました。なかなか売っていなくて、しかたないので注文しました。半分くらい聞いたところで 「 渡る世間は鬼ばかり 」 が始まってしまったので、中断・・・。譲り合いの精神を大切にしませう。

            
                    写真ぼけちゃった

寺神戸 亮(てらかどりょう)という人のヴァイオリンの無伴奏ヴァイオリンの演奏です。これが本当にすばらしい演奏です。すごい。ただただ感服。ソロであるだけに、彼の何というか強弱・間の取り方・ため・主の音の陰になる従の音というのか、その続き具合・などなど、これをじっと聞いていると虜になります。

プディング(プリン)は食べて見なけりゃ味は分かりません。音楽も聞いて見なけりゃ良さがわからない。満腹の時はプリンはおいしくない。音楽もどちらかというと喉が渇いている時がおいしくいただけます。もっとも別腹ということもありますが。

            近ごろ聞いたABで一番です。



補)下手な冗談です。実際はCDを聞いたのですが、点数はCDでは評価が低すぎるので、ABにしました。




オーストリアとオーストラリア

2006年11月16日 | Weblog

今日の夕方の民放でのニュースで、オーストリア大使館が、日本人に対して国名を変 えようとしているという話をしていました。オーストリアではなく、オーストリーと言うことにしつつあるとか。

日本人にとっては、オーストリアとオーストラリアは、発音が極めて似ていて紛らわしく、区別がつかない人もいるくらいです。街頭でのインタビューでも、実際に区別がつかない人がけっこういました。

         

しかし、ニュースの担当者が調べてみると、オーストリア大使館では電話口では「オーストリー」と言っていても、門柱の標識は相変わらず「オーストリア」です。名前を変えるということは大変なことです。関係機関に全て報告しなければならないし、パンフレットやら、ビザに関する業務やらゴム印 ( は使っていないかも知れませんが ) やら何やら、全て変えなければ生りません。ですので、もし変えるとすると、大変な仕事になるし費用もかかることです。

さて、どうしてこんなに紛らわしい名前になってしまったのか。英語を使っている国の責任のような気がします。オーストラリア Australia は英語で、南方の(国)という意味です。aust あるいは austral あたりまでが南という意味なんでしょう。ラテン語なので、詳しくは分かりません。ついでに Auster ( オースター ) と言うのは南風です。普通は使われませんが。

          

それに対して、オーストリアはドイツ語です( オーストリア語はドイツ語 )。エスターライヒとでも発音するのでしょうか。Osterreich というスペルで、O の上に ・・ が付きます。意味は東の国です。ヨーロッパのどこから見たらそうなるのか分かりませんが、まあ東の方にありますので、そういう言い方になったんでしょうね。

オーストリアという発音は、英語式です。なので紛らわしい発音になってしまったんでしょうね。英語の国の強引さが出ているような気がします。

スペインなんて国もそうですよ。現地ではエスタド・エスパニヨールです。昔はイスパニアなんて言ったことがありましたが、Hispania からきていたんでしょうね。スペインも英語式の表記です。

そういえば、日本も Nippon ではなく、Japan と言われてしまう。元は日本という発音から来ているんでしょうけど、、。素人の推測ですが、「 本日は晴天なり 」  の 「 日 」 は 「 ジツ 」 とも発音するので、だんだんに変わっていって 「 ジ 」 → 「 ジャ 」 と転化しるだろうし、「 本 」 は 「 ポン 」 だから 「 パン 」 になったのかなと思っていますがどうでしょうか。