昨日のような暗い日があるから、今日はとても明るく感じます。もう春になってしまったのではないかと思われる日です。一昨日は雲一つ無い日でした。
お天気は気まぐれです。ですので、お天気に合わせて気まぐれに行こうという気持ちになればどうと言うことは無い。とは理屈ですけど、まあそれなりに・・・。
今日は、久しぶりに散歩をしました。村の鎮守様に行って見たところ、杉の葉が参道にたくさん落ちていたので、掃いてきました。掃いているうちに気持ちも清々しくなりました。
一種のリセットですね。リ+セット=リセット 再びセットをする。つまりセットし直しということです。気持ちのリセット。
昨夜は十六夜の月でしたが、ものすごい霧でした。霧の中何枚も写真を撮ってみましたが、暗くてなかなか難しいです。
木の枝がお化けのように写りました。こういう写真もまあ面白いかなと思います。これ以上は三脚にでも固定して、長時間露出しなければ、良いものは撮れませんね。
でも、私は完璧なものよりも、未完成な不完全なものの面白さもあると思っています。
木の葉も写ってしまいましたが、フユシラズです。真冬に小さな黄色い花が咲き続いています。野の花が少ない時期なので、それなりに存在感があります。
今日は春のような日です。しかし、まだまだ春にはならないですね。なるといいですけど。とにかく今日も何とか穏(おだ)いに過ごすことができそうです。如月とも今日でお別れ、明日からはいよいよ弥生三月、春の月が始まります。
海に出て 木枯らし帰る ところなし 山口 誓子
一日の過ぎるのは早いものです。朝のうち、さまざまな仕事を終えてホッとして新聞を読んでいると結構時間が過ぎてしまい、もうお茶の時間くらいになってしまいます。
それから立ち上がり、今日は何かする仕事があったけかなあ? などと考えちょっと仕事の準備をしているうちにもうお昼です。
これは、よく見ないと「何これ?」なんていわれそうですが、松の木です。〇の辺りに根っこがあって、矢印のように右斜め上にそだっているのです。
元は山林で、このあたりは藪でした。そして上に檜の大木が何本の生えているところだったのですが、ここにこの松の種が落ちて発芽し、育ってきたのです。
ちょうど、先日2月14日に「置かれた場所で咲きなさい」という本を紹介しましたが、これこそまさにその典型だと思います。なんとか、支柱でも作ってやろうと思っているのですが、強風の時にどのように複雑にねじられるのか、簡単には支えの棒など立てられないかなと思っています。
フルート仲間が、滝廉太郎の曲を見つけてきました。自分に合うように書き換えてみました。
この曲はほとんど知られていないのですが、彼の話によると、明治期にはほとんどが西洋の歌に日本語に訳した歌詞をくっつけて歌っていたのだそうですが、それではおかしいと、奮い立ち先ずは四季の歌を作ったのだそうです。
山田耕筰作詞 滝廉太郎作曲
光はいつも 変わらぬものを
ことさら秋の 月の影は
などか人に もの思わする
などか人に もの思わする
嗚呼、鳴く虫も 同じ心か
嗚呼、鳴く虫も 同じ心か
声の悲しき
そのうち、春にはあの有名な「春のうららの隅田川~」で有名な「花」があるのですが、夏、秋と来て秋はこの歌だったのだそうですが、春の歌以外はあまり知られないでしまったらしいのです。
なかなか言い歌です。
ビーフシチュー
今日は、午前中は雨が降っていました。午後も、晴れずに曇ったままで湿度の多い日でした。
どちらかと言えば寒い日ですが、極端な寒い冬の嫌な日というほどでもありませんでした。
穏やかな人は一緒にいると心が和みます。少し激しい人でも、活動的な人と一緒にいるとヒントがもらえます。人それぞれですが自分に無いところが沢山あって、おつきあいをするのはとても刺激になります。
福寿草は、二つさいていて、一つの画面に収まらないくらい離れた所にそれぞれ咲いていました。しかし、その内の一つに仲間ができて、今日は三つです。
午後の陽だまりの中に静かに咲いていました。嬉しいですね。
水戸の老舗のそば屋さんです。今日は確定申告に行った帰りに天ぷらそばを食べてきました。午後も1時半すぎになってしまいましたが、まだまだお客さんはいます。
ここの天ぷらそばはイカの賽の目切りの天ぷらです。子どもの頃から食べています。久しぶりに味わってきました。
縮み小松菜の煮浸し
今日は久しぶりにフルート教室に行って来ました。何せ、二週間も全然練習が出来ず、まだ長い息は保つことができませんから、今日は遠慮しようかなと思ったのですが、他の人たちに尻を押されて教わることにしましたが、一曲演奏しただけで、先生にはこりゃダメだと分かっちゃいましたから、喉のこと、舌の位置、横隔膜の話など基礎的なことを沢山教わってきました。
今日は打って変わって穏やかな日です。荒れる日もあり穏やかな日もあり、人生いろいろですが天気もいろいろ。
風で飛ばされた石によりガラスが割られた車もあるとか。すごいですね。
栗の木の世代交代です。手前の根元から少し高く切られた栗の木がまだ存命中に落ちた実が拾われず発芽したのがその左上の苗。
草を刈るときに、惜しいので気をつけて刈り取らないでおいたら、けっこう大きくなってきました。そこに親にあたる木がとうとう虫にやられて枯れてしまいましたので、取っておいて良かったです。
伐られた木の幹には親指が入るほどの穴が空いています。これはクワガタとかカミキリの幼虫が食い破ったものです。木も痛かったでしょうね。
この木は、一度幹の上の方で倒されたのですが、その下に鉛筆くらいの細い枝があって、それで再生できたのですが、それでもなお痛めつかられてとうとう枯れてしまったものです。残念です。
冬のラベンダー。北海道で栽培されているくらいですから、とても寒さには強いです。手でなでると周りに良い香りが漂います。
大根を干しています。今回は切り干し大根ではなくて、軽く干して浅漬けになりました。おいしいですね。
クラシック名曲集です。比較的短い曲が11曲。なかなか良いですね。
二月は如月と言いますが、意味はいろいろ説があって定まらないようです。昔のことなので、分からなくなってしまっているのでしょうね。たぶん、誰も意味の事を書かなかったのか、それとも書いた物はあっても消失してしまったとか。いずれにしろ、文献のようなしっかりした資料がないと、「こう言う意味だ」とはいえないのでしょうね。
ただ、如月という文字は中国の二月にあたるものを当てた分けですから、日本語の意味は不確かになってしまってはいるけれど、漢字で表現は出来るということです。日本語のこれこれに当たる物は中国の此の漢字、というもの、つまり当て字が多いので、なかなか読めない漢字が多いわけです。それも、日本語には文字が無かったからですね。
今日は、とても風が強かったです。毎年、冬から早春にかけて何度か風の強い日があります。畑の土が舞い上がり、空の色がなんとなく薄茶色っぽくなりました。
せっかくの畑の良い土が飛ばされてしまいます。水により土が持って行かれるのは浸食。風の場合は風食と言います。そして、運ばれた土は何にも利用されない無駄な土地に落ちて行くのです。もったいないことです。
北西の風なので、家の前が吹きだまりになって、せっかくそうじしたのに、また木の葉を片付けなければなりません。
幸い、私が家の畑は山があったりするので、さほど強い風は来ませんでした。あまり強い風が来ると、廊下などは歩くとなんとなくジャリジャリしますからね。掃除しなくてはなりません。
麦は強いですね。しっかり根を張って、もう大丈夫ですね。これは小麦ですが、パンに向く種類なのだそうです。
吹く風を春の兆しと喜ばん この風こそが花誘う風
如月も残り少なくなりにけり いざ見に行かむ梅の花々
麦の芽の踏み締められてなお強し だらり穂を垂る水無月近し
休日になると、近くのホームセンターや電気器具の量販店にはドッと客が押し寄せて一日中賑わっています。震災直後はそれがなくて寂しかったのですが、やっぱり休日には道路はやや渋滞気味、駐車場には車がいっぱいというのが賑やかで良いものですね。
私は賑やかすぎるところは苦手なので、そういう賑わいは横目で見て 良かったよかった と喜ぶタイプです。
良い日で、お日様の光りが燦々とふりそそぎ、花も気持ちよさそうにさいています。暖かいです。
昨日、狐の嫁入りのひな人形を見てきた所は筑波山の麓の町、真壁(まかべ)という古い民家が並ぶところです。町をあげて、あちこちで通りに面したところ、奥座敷などにひな人形を並べてお客さんを待っているのです。
これは、昨日のあのロゴの壁のあった履物屋さんのひな人形。茨城県のこの地方は御影石の産地で有名ですが、同時に桐の下駄の産地でもあります。
私はそれも良いのですが、一番興味あるのはこの町の歴史です。古くから豪族が住んでこの地を治め、江戸の初期には、あの戦国時代に活躍した浅野長政が隠居領としてこの地に藩をもらい治めていた所です。その後、此の藩は笠間藩と一緒になり淺野家は笠間に、以後配置換えにより赤穂に移ったのです。
それとは違い、平清盛よりずっと前の祖先の平家の別れである、真壁氏という一族が治めていた土地でもあり城跡があります。私は、おひな様よりそっちの方を考えながら町を歩いていました。
テントの中
今日も、火燵から抜け出し暖かいテントの中で本を読みました。電気代もかからず石油も消耗しないのですが、ただ一つ欠点があります。それは暖か過ぎて眠くなることです。
単に冷たい風よけの為に設置しているものですが、ちょい貧乏くさいと想われそうです。しかし、この時期だけしか必要としないし、サン・ルームでは建物ですから、大げさになりすぎてしまいます。それに夏は暑すぎる。気が変わるまでこれで楽しもうと想っています。
幸い良い日が続きます。しかしまあ、霜のきついこと。でも晴が良い。
あと一ヶ月過ぎたらジャガ芋植えです。まだ早い。急いで事をし損じてはいけない。
これは白菜のおひたしです。え?と思われるかも知れませんが、要するに白菜のトウ立ちしたものです。つまり花芽。
茹でるまえ
味は独特ですね。それは葉物野菜ですから、ミカンとかリンゴなどのように、極端な別な味にはなりませんよ。でも、微妙に菜花などのおひたしとは違って、まろやかさがありますね。やや甘みも感じます。つまりおいしい。
履物屋さんのロゴです。さすが。下駄と草履。真ん中は藤の花だそうです。おもしろいですね。壁の一部です。
狐の嫁入り雛だそうです。馬子にも衣装というけれど、狐にも衣装ですか。
馬でも狐でもかまいわせぬわ 嫁に来てくりゃ何でも良い 独身多し親の気持ち
空は晴れても明るくならぬ 変だと想ったら夢だった
悪い空気を内緒で輸出 課税をしっかり国税局よ
隣りの人たちとの付き合いが大変だと思っている人は多いと思います。
あまりべったりと付き合ってしまうと、良いときは多いですが、時に煩わしいことがあるし。ちょっとした行き違いで、良い関係ではなくなり、しまいには反目しながら毎日を送るなんてこともあり得ます。そうなると、ともに近い場所を共有し、時間も共有している以上はとても不幸なことになりますね。
地球に一番近い隣人とも言える今日のお月さんです。月は遠すぎて月あえない。
で、何が言いたいかと言いますと、もちろん隣の国々ですよ。どうしてすぐに仲が悪くなってしまうのか。過去があるからでしょうね。過去は書き換えることができません。ですので、一番は許すことだと思います。加害者が被害者に許せか?なんていわれそうですが、それほか方法はないです。おまけに加害者の世代は完全に終わり、次の世代に移ってしまっているのですから。
フキノトウはまだでしたが、庭には福寿草が咲いていました。強い花ですね。一番寒いときに咲くというのですから。
次の世代に遺恨を残すと、若い人たちも悩みます。良い方向を見て進みたいものだと思うのですが。
ハウスの中です。こういうのを見ると、やっぱり作ってよかったなと思います。出費のことを考えるとき、「俺は呑兵衛ではないし、パチンコもやらないからな。」と考えれば気楽になります。
友達はだんだん帰ってしまい少なくはなるけれど、部屋の中はあったかいもんね。
論 語 知者は惑わず勇者は懼(おそ)れず
新論語 知者は惑わず馬鹿は懼れず
ことわざ 好きこそものの上手なれ
新ことわざ 好きこそ物が多くなり 断捨離あるのみ最後は自分を捨
なかなか、スッキリと風邪が抜けないので用心しています。ごろごろと火燵に寝転び、本を読んだり録画を見たりしています。
今日は映画を二本も見てしまいました。
今日は、きれいに晴れました。昨日の空とは打って変わって明るくなりました。
これはゴミ箱ですが、そのへんにあった端切れ板を打ち付けて作りました。したがって、板の厚みも幅も様々です。
まあ、こっちは作るのが楽しみなわけですから、厚みとか幅などは一向に気にしません。それに人目にさらすところに置いておくわけでも無いし。
この箱は燃えるゴミ専用の箱です。この中にゴミ袋をいれて一杯にしておき、ゴミ出しの日に取り出しておいてきます。大きな袋で3袋くらいまで入りますので、ゴミ出し出来ない時があっても、次までおいておけるので気楽にしていられます。
カラスも猫も入れませんから、荒らされることがないので安心していられます。
このほかに同じ大きさのものがもうひとつあって、それは資源ゴミなどを、仕分けしていれてあります。
あし長おじさんです。影が長~~~くなってきました。早く春になって欲しいです。梅の開花は遅いようです。
この頃は、梅の実の付き方が悪いです。ほんの数個しか梅がならないときがありますが、たぶん梅も受粉するタイミングが狂ってしまっているのではないかと思います。
咲いてから、寒い日が続くと実の付き方が悪いですね。うまく暖かい日が続くと豊作になります。
しかし、植物はしっかりと春の準備が整っているようです。そろそろ、蕗の薹などが気になってきました。探してみようかな。
今日の天気は典型的な冬日の風景ですね。こういう日は冬は長いと言っても、そうは数多くはないと思いますので、じっくりと味わって見るのも良いのではないかと思います。
鳥は寒くないんですね。うらやましいです。空は飛べるし。もし、私がカラスだったら、同じ所を行ったり来たりなどせずに、遠くまで旅をしてみたいです。昔から言うではありませんか。旅がらすなんてね。
「空を飛べたら」という歌がありましたね。
この冬は、例年よりもずっと寒いようです。それは植物の様子でわかります。
葉牡丹がこんなに沢山枯れたようになった年は知りません。ほとんど枯れないのですけどね。気温は計っていませんので、いつもの年より何度低いなんて言うことはできませんが、植物はこのようにはっきりと気温の低さを教えてくれています。
地震で、大谷石の下敷きになり折れてしまった柚子なのですが、それでも春には芽をだして、これだけ大きくなりました。しかし、厳しい寒さで枯れるのではないかと心配です。もし枯れても、また根もとから芽がでて再生して欲しいです。
あれほどの 人が車を 持ったなら 排気ガス来る
それなのに もっと車を 売りたくて
ブレーンなど どっさり居る党 居ない党
今はまだ 設計図描いて いる段階
私には ミックスジュースなら 知ってるぜ 何とかミクスなんて知らない
キッチンのリフォームをした時にいれたシステムキッチンの会社がいろいろな会社と合併して、営業所がどこに行ったのか分からなくなってしまいました。
蛇口の付け根にいれて浄水する部品を使い切ってしまったので、探しに行ったところ、やっと新しい社名のショールームというのを見つけたので、行って見ました。
ところがけんもほろろ。ホームセンターに行ってくれと言うのです。ショールームは、これからキッチンを作りたいと言う人の接待で忙しいようです。
その態度にムッとしました。でもまあ、そこで大きな声を出しても・・・・。
今日の空模様です。私の心は此処に太い鋭い稲妻が走っているという感じです。
それで、ネットを探したらサイトがありましたので、そこの問い合わせの欄に事情を書いて投稿したところ、電話で問い合わせが来ました。
そんな無礼な態度はないだろう。ショールームは結構だが、一端終わってしまった客は切り捨てなのかと詰め寄ったところ、相手はタジタジです。ショールームしか見つからなかったのだが、せめて引っ越しする時には、「今後は此処にお問い合わせ並びにお越しください。」くらいの表示をしておく心構えが必用だどうとか、ショールームにそれくらいの部品を用意して置いたって邪魔になるものでもあるまいと詰め寄ると、それはそうです。何とか改善するように努力しますというのでお終いにしました。
部品はホームセンターにはありましたが、その突き放すという態度に会社の横暴を感じたからです。あ~、今日は天気は悪いが良い日じゃワイ。
喉が痛かったり、咳がでたりしていると用心してしまいます。熱なんか出たりするとやっかいだなぁとか、別な病気を併発してしまうと困るし・・・と。
まるで砂漠に行ったような感じです。砂漠には木がない。人にやる木がない。やる気がない。トホホホホ。
ブログも何もしち面倒くさくなってしまって・・・。なんで面倒に しち がつくんでしょうかね。今日は思考力がないので調べていません。
ファインダーのない、オートフォーカスカメラでピントを合わせるって超難しですね。どうしても向こうの景色にピントが合ってしまうのですよ。
寒くても、春の準備は出来ているみたいです。猫も騒いでいるし。
天気が悪いと、気分もいまいち晴れ晴れしませんね。 「はればれ」とは言いますが、気持ちが「あめあめ」だ、なんて言いません。あめあめなんて言うと、「あめあめ降れ降れ母さんが~」という歌の文句になってしまいます。
また、「くもりくもり」は字数が多すぎるので「くもくも」あるいは「くもぐも」。これもないですね。なんてバカらしいことを考えていますが、あるかどうかは一応確かめてみるのも大事なことかなと思います。
こんなに大げさではありませんが、先日、冷たい北風の中を竹の伐りだしをやったせいか、風邪をひいてしまいました。早く治そうと思って出来るだけ寝てようかななんて横になっていると退屈しますね。
昔、水戸にも金山があったのだそうです。この地名・木葉下はアボッケ(意味不明)と読みます。木葉下は小松左京の「日本沈没」の中で、日本で最後に海中に沈む地名とされています。どうして、彼はこの地名を知っていたのでしょうね。大きな日本地図を壁に貼って、「最後の土地はどこにしようかな~」なんて言いながら、ダーツをエイヤッと投げたら木葉下に刺さったとか。まさか。
この説明によりますと、かつては全国で第三位になるほどの産出量があったとか。すごい。
穴の入り口です。こういうのがいくつか、今も残っているそうです。
水戸市森林公園の怪獣の森の下の方に金山あとがありました。
今日の書き出しの所の晴れ晴れ二関連しますが、晴れ は名詞です。動詞は今は 晴れる ですが、昔は、つまり文語形は 晴る(はる) です。晴美さんという、私が大変お世話になっている方がいますが、 はれみ ではなくて、 はるみ さんと言います。そう読ませるのは変だと思う人がいますが、全然無理なことはないですね。
東京には晴海(はるみ)という地名があります。
いったん行うと決めてしまうと、あとに引けなくなる場合があります。また、意地を通すことにより周囲に存在感を見せつける効果もあります。
しかし、今は良いことならそれは認められることが多いですが、そういう時代ではなく、もっと進んだ世の中になっているのではないかと思います。
高い所に上がって下界も見ると、毎日あくせくと一人相撲を取っている自分のことに気づくものです。たまには高い所に上って見るのも良いことですね。
私は中国のものとか古典に出逢ったときに、いつも原文と四つに取り組んでしまう癖があり、しまいには何を言おうとしているのかを見失ってしまうことが多いです。
それで、暫く前ですが古本屋でこういうのを見つけました。「なんじゃい、マンガなんかでわかるのかい」と、と思いながらも買ってしまったので、仕方なしに何年か後に読んでみました。
そしたら、なるほど老子や荘子がどのような事を言いたかったのかが良く分かるのです。こりゃあ良いやと思ってドンドン読んでしまいました。なかなか面白かったです。訳文があり、それをベースにマンガにしてあるので、要点は外れていないようです。こういうアプローチの仕方も専門外の分野では良いものかなと思いました。
すると、たまたま今日の夕方。NHKの「ゆうどきネットワーク」で、この本を書いた作者のインタビューをやっていました。
彼女の半生を簡単に振り返ってもらったり、この本のタイトルの言葉に出逢ったときのことを聞いているうちに、逆境に置かれたときに、この言葉に救われたのだそうです。彼女の生き方をインタビューの中で聞かせてくれましたが、とてもすばらしい人なのだなと思いました。そのうちにこの本も読んでみたいと思っています。
原文は Broom where God has planted you.
(神が植えたところで咲きなさい)
子どもの頃から、断崖絶壁に生えている木を見て、あそこにあの木の種が落ちた。神様が此処で生きなさいと命じたのでしょう。あの木は立派に何十年もあそこで生きているのです。というようなことを何かで読んだかね聞いたことがあります。同じような言葉は、たぶん沢山の人が様々な場で聞いたことがあると思います。
ハウスの中です。緑色の野菜はしばらく大丈夫です。
臘梅には種類があるそうですが、これは何という臘梅なのか、さっぱり分かりません。正確な名前を聞かれると、少なからず気持ちが狼狽します。
たぶん、全体が透き通るような黄色なので、素芯臘梅なのかなと思っていますが。
今年は、冬に入るころに一度咲いてしまったものがあるので、今咲いている数は少ないです。気温の変化により季節を間違えたのでしょうか。
晴れていたのですが、夕方にさしかかる頃ほんの少しですが、雨粒が車の窓に落ちてくるようになりました。
キーを打つ手がかなり冷たいですので、気温は低いようです。雪にならなければいいのですが。
昨日は竹を伐採してきたという話をしましたが、実はこちらにもこのような垣根があります。これは背が高いです。
これも同時に作ったので、ほころび具合は同じようなものです。庭師にすべて任せて作ってもらったのですが、この垣根が駄目になったら、背が高すぎるのでこれは廃止にしようと思っています。
ハウスの中に水菜が残っていました。この水菜はこれ自体あまり味はないような気がします。鍋物に使われますが、私はサラダなどにちょこっと入っていれば良いかなという程度です。
ひたちなか市の那珂湊地区にある反射炉です。水戸藩が作ったものです。反射炉というのは、炉の内部が上下に放物線状のカーブを描いたドームになっていて、熱が反射してより高い温度が得られるようになるという仕組みなのだそうです。
何とか文字は読めると思います
反射炉は、伊豆の韮崎にあるのが有名です。このような大砲など作るのに建設したのでしょうね。これを見ると、かなり沢山の鉄を使っていますね。相当重かったように見えますが、上り坂道など持ち上げるのは大変だったでしょうね。
午前中は、竹藪に入って竹の伐採をやりました。知人から真竹をもらい、竹垣を作り直そうという魂胆です。
しかし、なかなか細めのものが見つからず、選択に苦労しました。それからもうひとつ ~ 何か「相棒」の右京さんのような言い方ですが ~ 切った竹を運び出すのに大変苦労しました。その訳は、手入れをしていない ~ 今は誰も必用としない竹の生えているところなど手入れする人などいませんからね ~ 竹藪は竹がぞっくりと狭い間隔で立っているし、枯れたものが斜めに倒れかかっていたりするものですから、くねくねとロープのように自由に曲がらない長い竹を、間を通して空き地まで持っていくのがとても大変でした。
今の庭は2006年の6月に作ったのですが、その時の竹垣がいよいよ駄目になってきました。竹垣を作る時期も悪かったです。青竹ですから、寒い内に切って取っておいたわけではないでしょう。一番悪い時期に切った竹なので、持ちも悪かったのではないかと思いますが、それでもおよそ6年持ちましたから良いかなと思っています。
傷んで、このようになってしまい、もう限界を過ぎています。庭師さんが作ったものですが、今度は要領がわかりましたので、自分で作ろうと思っています。
いい眺めですね~~~
天 狗
あまり大きくはありませんが、ヤマトイモです。ヤマイモと同じ味です。違いは私には分かりません。ただ、これは長く地中に入り込まないので、掘りやすいです。
私は井戸掘りのような穴掘りは得意ですが、ヤマイモとかゴボウのように、狭い畝の間を深く掘るのが不得手ですし、狭いところを1m以上も掘るなんて大嫌いなものですから、ヤマイモではなくて、これを作ることにしています。雨樋のようなものを使って横長にヤマイモを作るという手もありますので、それも手がけてみようかなと思ったりしています。