電子書籍と言うものが世に出て、利用している人がいるようですが、その機械とソフトを売っている会社の一つが、事業をやめるのだそうです。その場合は、その会社から買った書籍つまり本は自分の物ではないのだそうで、会社のものなのだそうですから、そうなると撤退したあとは使えないということになるようです。
いま、撤退を予告している会社はユーザーに保障はする、つまりお金は戻しますと言っているそうですが、今後同じようなことが起こった場合、そのほかの会社が同様の保障をするという保障は無いそうです。
新しい方式の機械が世に出る時には気をつけなければなりませんね。あまり早くは飛びつかない方が良いかもしれません。
確かに本は腐るようなものではありませんから、買った場合には極めて長い時間保存されることになります。と言うことは長い間にはあふれてしまう。一つには、その欠点を無くすために電子書籍というアイディアが生まれたのかも知れませんが、別なとんでもない欠点が潜んでいたとは。すごい落とし穴でした。
水が干上がった沼
それに、本というのはせいぜい眼鏡をかけて読む程度で、なんの媒体もなく明るいところで開けば読めますが、機械の場合にはやれ電池が切れたとか、故障したとか、新しく出る本はバージョンアップをした機械で無いと読めないとか、修理不能の故障に陥った場合には、中に詰め込まれた何千冊もの本が一切読めなくなってしまうとかの、とんでもない欠点があります。
そこのところまで、よ~~~~く考えないと大変なことになりますね。私も新しい物には大いに関心があり、一歩踏み出すか迷ったりしていたのですが、そのニュースを新聞で読んだときには、迷っていて良かったなと思いました。電子書籍は買わないことに決まりました。
村境にこんなお札が立ててありました。これは、自分たちの住んでいる地域に、他所から悪い物が入ってこないようにと防いでくれるお札です。
昔の人たちは真剣に願って、こういうことを考えたのでしょうね。悪いものというのは、例えば疫病とか、禍をもたらす何か見えない力、すなわち鬼のようなものなどなのでしょうね。
鬼と言えば、節分が近づいてきましたね。
ここ数日、寒いとは言え、かなり緩んでいます。過ごし易いので助かります。このまま春になってくれというのは無理ですね。寒さの戻りは覚悟しています。
昨日と打って変わって今日は曇り空で、午後には小雨が降ってきました。朝の冷え込みはゆるいので助かります。
犬を連れてウォーキングに出かけました。田んぼの所に行くと放してやります。誰もいない。家も無い所です。犬は喜んで駆け回ります。ずっと以前はなかなか捕まらなかったのですが、この頃はしばらく駆け回ったあとではすぐに捕まります。おりこうさんになってきたんですね。
田んぼは、草地が増えて、草地の方が多くなっています。減反政策のせいなのか、それとも耕筰放棄なのか、耕筰縮小なのか。純農家は今はどんどん減少しています。米作りならなんとか何処かに勤めていても、作れることが多いですが、米の値段が上がらないと分が悪く、そんなら作らない方が良いということになります。気力減退ですね。昔から、農政策は no政策と言われて来ました。
雨が降らないので、川の水は少なく、色も赤茶けてきました。流はほとんどありません。普段は深いところで膝のあたりまであるのですが、今はこの通りです。魚もみあたりません。
魚はいつまでも、こういう所に残っていると、サギのような水鳥にすぐに捕まってしまいますね。なにせ、すぐに見つかってしまうし逃げるところがありませんから。
今朝は曇っていて撮れませんでしたが、これは昨日の朝の月です。どんどん細くなっていきます。
お月さんも太ったり痩せたり。リバウンドはないみたいです。
煮豆。たまにはおいしいですね。沢山食べるとお医者さんに・・・・・。
神社の鳥居が古くなってしまったので、作り直しをしました。水源なので、地盤が悪く、掘るとすぐに水が出てきてしまいます。地表から数センチのところを水が流れています。
一昨年の大地震の時に、水道が止まってしまいまって水に困った時がありましたが、多くの人たちが、この御手洗(みたらし)池に水を汲みに来ました。水量は豊富で、年に一度水を全部放出し掃除をしますが、すぐに満水になります。
一カ所でも、そういう所があると助かりますね。私は地震直後に細いですが、まだ水道から水が出ていたので、すぐにタンクに汲んで40リットルほど溜めておいたので、ここに来なくても大丈夫でした。
日によっては写真のサイズを編集したりすることに時間がかかり、ブログの更新も手間がかかることがあります。でもまあ、自分で自由にできる範疇にある遊びですから、楽しんでやれるのが良いことかなと思っています。仕事ですと、そうはいきませんけどね。
WINDOWS の場合は、使っているさまざまなソフトがバージョンバップをしたからと言って、必ずしも新しいものにするのが良いかというと、そうでも無い物がありますね。たとえば、インターネットエクスプローラー ( 略してIE ) を使って利用する場合と、ファイアー・フォックス ( 略してFF ) を使っている場合には便利さが違います。IE を新しいものにしてしまうと、メールの受信など、当面使えないことがあります。どの会社のメールを使うかにもよりますが。
何を作ってくれるのかな~、と思っていたら 芋もち でした。本当に米をついて作った餅に近い感じがして美味しいです。減量はジャガ芋です。
椎茸を栽培しようと思い、クヌギの伐採を始めました。ちょっと太くなりすぎです。切り口の直径は30cmにもなってしまいました。
根元に近い方の太いところは、薪ストーブを使っている知人がいますので、その人に譲ってあげようかと思っています。こう太くなると、運ぶのに大変ですし、マサカリで割ろうとしても、なかなか割れません。
原発事故のあとは、椎茸は良くないと言われましたが、近所であちこち検査をした結果大丈夫であることが判明しましたので、久しぶりに仕事を開始しました。
伐採には兄弟が手伝ってくれて四人の作業でしたので、かなり仕事はできました。一通り仕事が終わってから、久しぶりに一緒に庭の日当たりが良くて風が来ない暖かなところで昼食にしました。これがまた楽しいひとときです。
いももちも 出ました。食べるのが先にたってしまい、いももちの 写真は撮るのを忘れてしまいました。
昔の俳優や歌手の名前、しばらく会っていない知人など名前をなかなか即座には思い出せないことが多くなってきました。
今朝食べたご飯のおかずは何だったのか、というようなことは若い頃から、いや子どもの頃から思い出せないのが常でしたので、それは問題にしていませんが。
焼きネギはとても美味しいですね。これだけで、この皿に他の物を付け合わせないでも、醤油をさっとほんの少しかけただけで、とてもおいしいです。
さて、それで脳をどう動かして若さを保つことができるか。いろいろな本を見たりネットで調べれば方法は沢山あるかと思いますが、それも面倒なので自分で思いつくことをやっています。思い出せなかったら、少し待つ、思い出せるまでいろいろなヒントを自分で自分に発し、それを元に思い出すきっかけを作るなんてことはよくやります。
あいうえお順に言ってみる。と言うのもよくやりますが、あまり効果は無いです。しかし、たまにはヒットしますので、まんざら無駄でもないです。そういうことを行うのは、言ってみれば一種の 「 思い出しゲーム 」 でしょうかね。
道路際の枯れた藪の上に、庭木を切ったものを三四本このように、無造作に投げ捨てていった人がいます。自分の庭がきれいになって、さぞや満足でしょうね。他は汚くなっても良いのでしょうか。
これでは国はなかなか良くなりませんね。と、ちょっと大げさに考えすぎでしょうか。それにしても残念。
ブログを毎日更新するということも、先ず第一には、とても楽しいのでやっているのですが、第二には脳のためです。キーボードの前に座り、さてこれから何を書く?と思ってから、どれだけ早く思いついて書き始めるか。だいたい、今のところは数十秒以内あるいは数秒で書き始めています。まだ大丈夫かな? 衰えていないかな?と確認するわけです。そして、つまらないことと思われるかも知れませんが、成功した場合には(その程度ですから、必ず成功するのですが)、自分ひとりで喜ぶのです。それも、明るく生活するのに役立っているかなと思うことにしています。つまらないことだとは思わないようにしています。
甘さと塩味加減は文句なし
貝原益軒の『養生訓』の中で、行わない方が良いとするものに、「 さまざまなものを食べてみたいという食欲 」、「 眠りたいという欲 」、「 むやみに喋りたいという欲 」 を挙げているようですが、彼のような学者に反発するのも何ですが、私はこの三つは、むしろ積極的に行った方が良いような気がするのです。
二つ目の、眠りすぎは良くないかもしれませんが、あれこれ食べてみたいという好奇心は大切な気がします。気持ちが楽しくなります。食べる為にあちこち移動することがあります。そうすれば、気も晴れて楽しい気分になります。脳が働きます。注意することは、言うまでも無いですが食べ過ぎでしょうね。またおしゃべり。これも脳が働くから喋る、喋る為には脳を働かす。ということなのでは無いかと思います。
むっつり黙っている旦那よりも、おしゃべりな奧さんの方が長生きしますね。
まあ、江戸期と現代は生活様式も医学もさまざま違いますからね。江戸期はつつましく生きるのが美徳でしょうから。ただ、なにごとも 「 過ぎる 」 のは良くないのはあたりまえです。
とまあ、今日はそんなことを考えて見ました。
でした。
少し寒さがゆるんでいます。もっとも、大寒に入る前から大寒並に冷え込んでいたので、すこしは暖かい日があっても良いのではないかと思います。そういう望みは天に届くのでしょうか。昔の人は本気で懸命に祈れば実現すると信じていたのだそうです。それも一種の言霊でしょう。
「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた」(ウィキペディアより)
今日、歩きで通った沼は水が干上がっていました。ずいぶん雨が降りませんからね。沼の近くを流れている川は、水はたまっていましたが、流れはほとんど無いくらいでした。高い山に水源があるわけではなく、平地だけを流れる川ですから、雨が降らないと川ではなくなってしまいます。
寒くても、とれました。
ノゲイトウが、野外で立ったままドライフラワーになっています。いつまでこの状態で続くでしょうね。
近くにある竹藪なのですが、竹も管理しないとメチャクチャな状態になってしまいますね。風で倒れるものがあったり、枯れるもの、それから密集しすぎたり・・・。
あちこちに、竹藪が荒れた状態であります。竹の需要もほとんど無いくらいになってしまいました。竹製品はプラスチック製品に押されて利用されなくなり、あちこちで放ったらかしです。
問題はそれだけではなく、どんどん根っこが伸びて行き、隣の土地まで張り出していくので大変です。ここには家があったのですが、ほとんど竹やぶになってしまいました。竹はインベーダー(侵略者)です。
暖かい日が二日続きました。また寒くなるそうですが、その時が辛いだろうなと思います。
それでもまあ、暖かい日が時々あると肩の疲れもとれます。縮こまっていますから、肩凝り性の人は辛いでしょうね。
今朝の日の出
上空が不安定なのか、怪しい雲が出てきて風でも吹くのか変な感じになってきました。
以前にも出したことがありますが、近くに史跡があります。
この塚ところが殿様の本陣であったところです。
柚子は寒さと戦っています。枯れないと良いなとおもっているのですが。昨年は枯れました。ところが根元から新しい芽がでて、これだけ大きくなりました。
この立ち上がった木の間に、カラタチと思われる異種のものが一本出ています。たぶん、この木は接ぎ木で、台木がカラタチだったのかなと思います。そのカラタチは切り取らないでおきます。これが生きていれば、柚子の部分が枯れてもその付近からまた新しく柚子の芽が出るかも知れないと期待しています。苗が小さいうちは、さすがの柚子も寒さに弱いです。
なにかと用事がたくさん入り込んでいそがしくなってしまいました。用事というのは、簡単なこともありますが、複雑なこともあるし、出かけなければならないことも多く、急にできたり、やっっかいなものですね。
人と人との関係も場合によってはトラブルではありませんが、一度に話が進まないこともあるし。まあそれが世の中なのでしょうが・・・・・。
ブログは合間を見て、更新していますが、中断されて続きを何時間か後につなぎ合わせ完成させたりしています。
しばらく前にチューリップの球根をプランターに植えたのですが、大寒並の寒さが早く来たので、その寒さが長く続くと判断しプランターを物置に入れ、おまけに凍結を心配し、このように少しばかりの藁で囲ってあります。
そのせいかどうかは分かりませんが、このように芽が出てきました。大切なのはむしろこれからですね。
物置にいれておくと、早朝などはやはり屋内は外とは気温の差があるのが分かります。注意は暖かくしすぎないことでしょうか。ぬくぬくとした中で大きくさせてしまうと、寒さに弱いかも知れませんからね。
私が育てているのではありませんが、小麦はこのような状態です。昨年は見事に実って、その小麦で焼いたパンをいただいて食べました。100%自家製のパンですから味わいもまた格別です。
道ばたの檜ですが、昨年の強い台風で折られてしまい、そのままの状態になっています。今はどこの山林も管理は全くされていません。
昔は、枝を払い、藪になっている小さな木などを刈り取り、大きな木の枝を切り、燃料にしました。下草は刈って家畜の餌や木の葉と一緒に肥料にしたりしたのですが、そういうことは無くなってしまいました。早い話が燃料が別な物になり、肥料も変わり、生活状態も大いに変わってしまったたからでしょうね。山林は価値のないものになってしまいました。
土地も価値がさがり、土地をもっていても売買は停滞していますので、現時点では価値がないものと同様な状態です。
我が家の裏山は、屋敷と繋がっていますので、放置しておくのも汚く感じられますから、夏が過ぎたら下草を刈って管理をしています。
寒い時に外出しなくてはならないときに、背中に一まい使い捨てカイロを貼っておくとかなり寒さが違いますね。
襟巻きなども、かなり効果があります。
そして会話にはウィットとか軽い冗談などが入ると、雰囲気が明るくなり弾みがつくものです。駄洒落の連発は本人のみが満足という場もありますので、注意しなければなりません。
人と接し、人と話をするのは楽しいですから、脳が活動をし、ストレスが解消されて、免疫力もあがることと思いますが、相手によりストレスを他人に溜めさせるのが得意な人もいますから、そういうのは困ります。トラブルメーカーなんていうあだ名のつく人もいますね。
ゆずりはは、さすがに冬の寒さのために少し元気がありません。が、枯れるようなことは無いと思います。
バナナの木(芭蕉)も枯れてしまっています。バナナの木というのは、これは木ではないそうで、切ってみると葉っぱがグルグル巻きになっているのだそうです。全体は葉なのだそうです。
冬はこのようになっていても、暖かくなると緑の葉になります。しかし、夏になっても実はなりません。実がなるには暑さがたりないのか、それとも暑い期間が長くないとダメなのか。
もうおひな様が飾ってある店があります。春が待ち遠しいですね。この頃は、いろいろな所で町を挙げておひな様の展示をします。
また、大きな川をまたいで鯉のぼりをたくさんあげているところもあるし、数を多くして展示するというやりかたが流行っているようです。町おこしにいろいろな工夫を考えているようです。
しかし、イベントというのは一時的なものです。常に客を惹きつけるには、イベントにだけ頼らず、なにか根本的に考えて町に行く楽しみを長い間提供していくようにしないと、イベントの次の日はまたひっそりしてシャッターの下りた店が並んでしまうということになってしまうでしょうね。
朝井まかてと いう作家が、『恋歌(れんか)』 と言う小説で直木賞を受賞しました。歴史小説で、江戸幕末期の歌人・中島歌子という女性の生涯を描いたものなのだそうです。
この中島歌子という人はいろいろなことがあった末に、夫が水戸藩に仕えることになったそうですが、水戸藩は幕末に内乱があったりして、たいへん歴史が複雑になってしまうのですが、その内乱に関係し、夫婦で罪に問われることになったそうです。夫は亡くなりましたが、彼女は生き残り、明治期になってから、あの有名な樋口一葉などの歌の師になったそうです。
水戸は私の住む町。水戸のことを描いたものであれば、私はそのうちにこれを読まなければならないという気持ちでいます。楽しみです。
マウスですが、コードレスのものは少し使いづらいところがあるので、コードのあるものを使っています。
光学式なのですが、傷からの保護のために机に透明のビニールをのせているので、動きが正確ではありません。仕方なしにパッド代わりにノートの裏表紙を使っています。これがパッド以上に反応がいいのです。これは二冊目のノートです。一冊目はマウスの動く部分あたりが剥げてしまいました。
海岸にあった不思議な穴のあいた石。なんかの生き物が穴をあけるのだそうです。なかなか面白いので幾つか拾ってきてみました。
こんなところでも、ゲームに興じています。夢中になれるものが多い若さが羨ましい。
さてその、幕末の水戸藩内での争乱。吉村 昭という人が『天狗争乱』と言う小説を書いています。彼は本当のことを書くと宣言して書いていた小説家です。また、島崎藤村が、戦いに敗れて各地で戦いながら西に逃れていく兵士たちのことを描いた『夜明け前』という本を書いています。もっといろいろな本は出ていると思いますが、もしその気になりましたら、ぜひお読みください。
朝、起きたら雪でした。ほんの少しです。きっとさほど多くはない雲が通過していったのでしょう。
これも、いちおうは降雪ということになるんでしょうね。空気はとても冷たかったです。たぶん、こういう降り方をしたときの気温は雪国の気温より寒いかも知れません。刺々しい寒さを感じるものです。
少ししたら、すごい霧になりました。お天気もめまぐるしく変わります。霧になると言うことは大地より大気の方が気温が低いからでしょうか。
朝日はこんなににじんでいました。車の運転は危なかったでしょうね。
裏山で、山栗の実が落ちたままになっていました。一番上に写っている実は虫に食べられたあとがあるので、発芽は無理かもしれませんが、芽の出る胚芽というのでしょうか、それが食べられていなければ発芽するでしょうね。
リスのようなものは居ないし、野ねずみも減っているのか、落ちたままで残る栗がけっこうあるようです。あちこちに苗が出ています。この山栗は実は小さいのですが、栽培栗よりもはるかに甘みがあっておいしいです。
今日は、霧のあとは晴れましたが、相変わらず風は冷たかったです。今の季節は暖かい風などは望む方が無理というもの。期待など絶対にできません。
今日は東風で海からの風です。海風は冷たいです。夏は助かりますが、今はよけい寒くなります。
今日はフルート教室のある日で、出かけてきました。教えてもらったあとに、たっぷり二時間半練習で吹きっぱなしでした。それでもなかなか上手にはなりません。
車を、旧・県庁の駐車場において、建物の中を通って教室まで行きます。これは元の茨城県庁の建物ですが、レトロな建物で、よくドラマや映画のロケに使われます。靴音や人の話し声が反響します。
先日、瓶の中に入っていた猫のメイちゃんは、三日ほど行方不明でしたが、今朝帰って来たのだそうです。「何処へ行っていたの?」と聞いても応えてくれません。
昨年車にひかれて死んでしまった、我が家のミーちゃんの兄弟猫です。しょっちゅう我が家に来て遊んでします。
薄暗い寒いところにジャガ芋を保管していますが、それでも芽が出てきてしまいます。それで、まだ捨てるのにはもったいないので、芽を欠いて食べています。
種芋にはしません。自家栽培のジャガ芋はウィルスに感染している場合があるのだそうで、種芋は毎年買うことにしています。家庭菜園で栽培した野菜の種も、交配してしまい雑種になってしまっていることが多いです。カボチャなどは確かにカボチャの形にはなりますが、原種ではないことがあり得ます。
なお、ウィルスに感染して、病気のジャガ芋が出来た畑は、その後何年かジャガ芋が病気になる恐れがありますから要注意です。
これが好きなので、奧さんが時々かってきてくれます。このお菓子も長命です。今は美味しいお菓子がどんどんあとから出来ていますから、昔のは影が薄くなってしまっているものが多いです。
ケーキなども私には不二家のケーキが一番いいです。子供の頃、父に東京に連れて行かれ、銀座でしたか、不二家で食べたのを覚えています。あの頃は数寄屋橋があって、川が流れていました。そして朝日新聞社の建物もあったのを覚えています。
天気は良いのですが、風が寒いです。いや、寒いと言うより冷たいです。歩く時には首にはマフラー、手には手袋をはめないと、せっかく暖かい服装をしていっても、暖かさはかなり損なわれてしまいます。
泉 供花の『婦系図(おんなけいず)』の中で、「月は晴れても心は闇だ」という文句がありますが、この頃の空気は「空は晴れても空気は氷」という感じがします。この寒さがあるからこそ、人はより激しく春の訪れを待つのかも知れません。同じように熱い夏の末には涼しい秋を・・・。
待ちましょう。春の訪れを。
千波湖には一部氷が張っていました。水を撮るのはむずかしく、氷が張っている様子はなかなか上手い具合に撮れません。それで、撮ったものを少し処理をしてみました。画面を少し暗くしてみたら、それと分かるようになりました。
水面に漂う水鳥もいましたが、今日は岡にあがって日向ぼっこをしている水鳥が多かったです。
何の用事があってか、人の通る間をくぐって川の方に行く白鳥がいます。白鳥はクシャミをしなんでしょうかね。
白鳥のクシャミ。皆さんが考えることは手に取るようにわかりますゾ。
風が吹く度に、吹きだまりになる家の南側の庭は、いつもこのようになってしまいます。風のあとの掃き掃除がたいへんです。集めた木の葉は堆肥の一部にしますが、すべてゴミ出しをしている家は大変でしょうね。
指揮者の小澤征爾さんは、久しぶりに水戸に来て、水戸室内管弦楽団を指揮して行きました。彼は、このオーケストラの総監督と指揮者になっています。
昨年でしたか、具合がわるくなってしまい、二日目には指揮をすることができませんでしたが、今回は笑顔で最後まで出来ました。そして、二日目は、子どもたちの吹奏楽団の指導をしたそうです。表情はかなり明るくて止さそうでした。良かったよかった。
夜、寝ていて部屋がとても寒いです。ストーブをつけたまま眠るのは危険だと思って、それはやっていません。オイルヒーターを使うこともあります。でも、電気製品では電力を食う方だと思います。アンペア数が小さいので、ブレーカーが飛ぶかも知れないので、恐るおそる使っています。
寒いと思っていたら雪の朝になりました。かなり寒いですが、さほどは降らなかったのか、アスファルト舗装の上は早朝にもかかわらず溶けてしまっていました。たぶん、降りながら溶けていたのではないかと思います。
しかし、こういう所は舗装の上でも残っています。たぶん風が舞ってこのあたりは多めに溜まったのではないかと思います。
キヌサヤは、今はあまり大きく無い方が良いです。大きくしすぎると、葉が凍って枯れます。
まだ食べられずに残っています。南天は残っている実の数がかなり減って来ました。小鳥は多少はいるようです。このピラカンサス。右に傾いています。昨年の秋の台風で傾斜しました。他に、ビワや木槿の気、それからブルーベリーも傾きました。全部南を向いて傾いていました。そういうような木が傾いたのは初めてです。
小鳥が少ない理由を考えました。違法捕獲。餌が少ない。子育て環境の悪化。まだあるかも知れませんが、とりあえず、その三つのうちのどれでしょうか。三番目なのかなと思ったりしています。
野ウサギは見かけなくなりました。一番弱い存在です。ただひたすら逃げるだけです。武器となるような角も生えていないし、歯も武器になりませんし、体は小さい。
しかし、それもそうですが、あまり野ウサギを食べる動物は近くにいないですので、これも子育て環境がとても悪くなっているのではないでしょうか。小さな子ウサギなら猫や蛇の犠牲になる可能性は十分にあります。それにカラス。餌があります。ニンジンなど野菜を作っている畑はありますから。
野ウサギは可哀想な動物です。
ブログの更新を隔日にしようかとか、三日に一度にしようかとか、一週間に一度の更新にしようかと思う時があります。この頃、私の周辺のブログの皆さんはあまり活発で無くなってきたようです。
でも、きっと一週に一度となると、しまいには長期間ご無沙汰となってしまうかも知れません。毎日更新している人も、写真と十数行でお終いにしている人もいます。
キャベツ
毎日 「 ブログの編集 」 という所を開き、そこに出てくるアクセスした数の人数を見ると、「 おゝ、こんなに沢山の方が訪問してくれているんだから・・・。」 と思うと、それが励みになり何か書かなくてはという気持ちになります。みなさん、ありがとうございます。
臘梅(ろうばい)はこんなに咲いています。近づくと良い香りがします。花が少ない時ですので、存在感は大きいです。
ただ、この木は観賞には、向いていませんね。枝ぶりはまるで雑木山にある灌木のようです。
たまたま筒が捨てられてこのようになったのか、それともウナギの仕掛け?? ウナギはこういう所が好きですからね。もしかすると入っているかも知れません。
犬の散歩の時に見かけるのですが、いつも長靴を履いていくのを忘れてしまいます。夏なら、靴を脱いで裸足で川に入るのですが、今はちょっとその勇気はありません。もしも入っていなかったら、そのダメージは大きいですからね。それに、このままでは逃げられてしまいますから、片方に網でふさいでおかないといけませんし。ここに来ると大いに迷うのであります。
縁日に、このように仮のお宮ができると、賑わいに加えて縁日らしい雰囲気が出て、なかなか良いものです。
人が集まるときには、一様な店ばかりではなく、いろいろな分野のものが入り交じって入ってくると、変化が生まれ厚みが増しますます。魅力的なものになると思います。
きっかけはボランティア、あるいは商店街の有志が作るのが良いかなと思って見ています。私の属する地域のことではないので、静観しているだけですが。
今日は晴れました。空がとてもきれいです。高い所を飛んでいる飛行機も見えれば、低いとこを飛んでいる飛行機も見えて、空もけっこう賑やかなんだななんて眺めていました。のんきなものです。
どこからか風に吹かれてきたのでしょうか。今ごろ蝉の抜け殻が転がっていました。すだれ は使い古しのもので、泥が靴にくっついてこないように飛び石代わりに使っています。歩くところに一々飛び石を敷いてもいられませんからね。トラクターが通ったり、一輪車で通るような所には、このようなものとか、ムシロなどを敷いていますが、何せ広いのでカバーしきれません。
ムシロなどは風が強いと めくられて しまいます。そうならないように、クリーニング屋でくれる針金のハンガーを切って、ひらがなの し のように曲げ、それを適宜ムシロに挿して留めています。ハンガーは結構鉄が硬いので、役に立ちます。
足あと
トラクターなどの通らない所は、雑草が出ないように土をカバーする、やや丈夫なビニールを敷いています。それでも全部敷いたらお金もかかりますから、カバーしきれません。
ムベはとうとう霜にやられて、このようになってしまいました。 「 ムムー。ムベ がのお。むべなるかな ( もっともなことじゃ )。」
今までよく長持ちしたものです。
まだまだ厳しい冬は続きます。気をゆるめず生活していかなければなりません。近頃、ノロウィルスに感染したとかで、気の毒なことに沢山の子どもたちが被害を受けたということをニュースで知りました。なかなか、やっかいなことが起こりますね。互いに気をつけましょう。