何か騒ぎがあると「何だ? なんだ??」と、気がそっちの方に向きますから、家に居ても退屈しませんが、何もなくて「外出しない方が・・・」なんて言われると人は苦しくなるものです。
私も聖人君子ではなくて、人一倍気持ちの弱いものですから、誰とも交流なしに毎日まいにち畑を眺めていると、やっぱり「どこか放浪の旅にでも出てみたいな」と思うことがあります。
代わりにテレビを見て気を紛らわせたり、本を読んだりしていますが、そういうことに没頭できないものです。
やっぱり行動つまり動いていることが一番なようです。
しかしまあ、細かな用事のちょくちょくあること。草むしり、物を右から左へ動かす用事。
ちょっとした道具や機械などの調整。例えば鎌を研ぐ仕事とか、電気製品の不具合を叩いてたおしてみたり・・・。
あ、いや。それは直すとは言えませんけど。
でも、運良く直ったりすると、ご褒美にアイスをもらったり。
あまりパッとしない白の花ですが、これはピラカンサスです。こんなに花が咲くのですから、この分だけ実も生るわけでしょうね。
小鳥が喜びます。「これで何とか春まで持つことができるな 」と、さえずっているかどうかは分かりませんが。
と言うことは、私は小鳥の命を救うために実の生る木を植えていると言うことになります。
まだ一度も感謝状などもらったことは無いのですが。誰か伝えて欲しいですね。彼らはそれに気付かないのかも知れませんから。
そんなものは要りませんから家の前の電線にでも来て、みんなで合唱でも聞かせてもらえば良いですが。
水戸線大和駅
「 小人閑居して不善を為す 」 と言う言葉がありますが、まあ不善と言うほとでもないとは本人は思っています。
退屈ばかりしていると馬鹿馬鹿しいことを考えるものです。やっぱり小人であることには変わりないですけど。
しかし、今度のこの騒ぎで思ったのですが、我々人間の社会というものは、積み木とまでは行かないまでも、ちょっと何かがあると瓦解してしまう一歩か二歩手前まで行ってしまうかも知れないのだなと言うことです。
つまり、たいへん脆い面を持っているということです。これは恐らく今回のことは教訓にはなっても、根本的に変えることまではできないだろうなと思うのです。