今年の大晦日、カレンダーを新しいのにしたり、正月の準備を多少したりしました。
年越しそばを食べるのに、例年は家でたべるのですが、今年は外で食べようということになり、息子夫婦と一緒に出かけました。
となり町の作り酒屋で蕎麦もやっています。そこに地ビールを買うことも兼ねてと、先ずはそこに行くことにしました。
大晦日ですから、ゆっくりしているとそば屋は満席になってしまいます。思い立ったが吉日ではなく、吉時です。膳は急げです。本当は膳ではなく善ですけど、この場合は食べることですからね。膳です。
早めがよいこと間違いなしですから、急ぎ支度をして出かけましたが読みは見事に的中しました。予約しておいた人に席を先に決めるわけです。幸い、予約で満席にはなっていなかったので、すんなり食べることができました。
遅く来た人たちは、一時間待ちなどという声が聞こえてきましたよ。
今日は珍しく、胡桃入りそばです。セットになっています。ゴマのつゆにサッとつけて食べます。なかなか良かったですね。美味しかったです。
それにしても、酒蔵でそば屋とは。それもまたアリなんですね。
ネストビールはこんな感じです。外国でたいへん人気があるのだそうです。
夕食の時に、少し飲んで見たのですがコクがあり、香りもありました。ふだん、宴会などで出るビールよりずっと個性の強いものでした。
外国の人はこういうのを好むのだろうか、などと想像してみました。その想像は当っているのかハズレなのかは分かりません。
酒屋さんに行ったついでに、梅酒やら酒かすなどを手に入れてきたようですよ。
その後は、せっかくだからと言うことになり、ちょっと遠かったですが、大子町にある袋田の滝を見に行きました。
年越しそばとドライブと二つの楽しみが一度に味わうことが出来たかなと思っています。楽しかったですね。
現地で生産されているコンニャクやら湯葉など、それにアユの塩焼きまで買ってきました。
晩御飯は美味しかったですね。
http://www.kodawari.cc/?jp_home.html
ご覧くだされ
晴れて気持が良いのですが、風が冷たいです。もう正月が近いので、外での仕事はやりません。
昨日は、新宿まで落語を聞きに行ってきました。帰りが遅くなるのでブログは更新できませんでした。
ブログの友達から誘われて、毎年12月29日に出かけて行きます。テレビでも時々落語を見ます(聞きます)が、やっぱり目の前でやってくれる演技が楽しいですね。
いま食べているキャベツです。この寒さの中朝は特に冷えるのですが、元気なものですね。
ネットの中では、もっと若いキャベツが育っています。こっちの方が、大きくなるころはより寒いですよ。
冬の緑の野菜にはもってこいの野菜です。一個で大きいので、無くなるのが遅いからこれまた良いですね。
自家製の干し芋です。本々はサツマイモを作る予定ではなかったのですが、苗をもらったので作りました。
種類がいくつかあり、大体は干し芋用の芋ではなかったのですが、作って見れば美味しく食べられます。
自家製の干し芋切り器
ただ、干し芋用のものではない種類の中には繊維が多くやや強いものもあったので、ピアノ線で押して薄く切るわけですが、その繊維がピアノ線に多く引っかかるものもありました。
たぶん、それは普通に蒸かしたり焼き芋にしたりするのに向いている種類だったのでしょうね。
しかし、出来上がりは色合いに違いはあったり、食感の多少の違いがあったりはしますが、どれも美味しいです。
芋はあまり多くは作らなかったので、干し芋も作った量はさほどありませんでした。
いろいろと用事があるのに、ドアミラーの片方が折りたためたりそれが出来なくなったりするようになってしまいました。
人間の体は治療したり薬を飲んだり、あるいは何もしなくても自重していれば体が自然に治して回復することがありますが、機械は修理をしたり交換をしなければ回復するということはありません。
それなので、販売店に持って行ったところ、モーターがダメになって行くようなので、交換しなければならないが、部品を取り寄せなければならないということで、今日は修理はできませんでした。無駄足でしたが、一歩前進への一手と考えられるので、全くの無駄という訳ではありません。
すぐに修理をしてくれるものと思い、文庫本を一冊持って行ったのですが、読書できずに帰ってきました。残念。
ミツバに土かけをしました。高くして、白い茎を長くする魂胆です。ネギの白い部分を意図的に長くするのと同じ原理です。
春になり茎が土中で伸び上がり、上に緑の葉っぱが出たら少しずつ土を崩して食べる分を切り取ります。良い運動になりました。
切り干し大根を作っています。
大根は風呂吹き大根が好きな人が多いですね。私も好きですが、やはり一番はタクアンです。塩分を含んでいますので、残念ですが、たくさんは食べられないのが欠点です。
我が家で一番高い木、ケヤキの葉っぱがなくなりました。ケヤキは葉っぱの量が多いです。もっとも木の大きさが他の木と比べるとはるかに違いますけど。
寒さに強いホトケノザの花が咲き始めました。まだ小さいです。花はきれいなのですけどね。やたら増えてしまうんですよね~。
春の七草のホトケノザは、これではないそうですが、何時から名前が入れ替わったのでしょうね。名前が同じでは、間違えて食べてしまいそうです。
作業用の手袋だそうですが、もったいなくて使うには勇気が要ります。たいていは軍手で処理してしまいます。その軍手もボロになるまで使います。
戦後育ちで物不足の中で大きくなったものですから、ケチでだめですね。物をなかなか捨てられないです。
映画など特にそうなのですが、しばらく前に大評判になって映画館の前に行列ができたというような作品でも、時間が経って数十年後に見て見ると、どうしてあんなに騒いだのだろうと思うことがあります。
映画 Ben Hur
まあ、その当時は斬新で、ドキッとさせる描写や考えかただったのでしょうが、それが当たり前のことになり、やがては陳腐なものにさえ感じることがありますから、どうしてと言われても、その当時はドキッとしたんだよ、とでもしか言いようがないわけです。
時代と共に色あせてほころびて行くものがあります。しかし、時が経っても依然として輝き続けているものもあります。
残るものはすばらしい物なのでしょうが、滅びて行くものの中にもすばらしいものがあるはずです。ただ、時代が合わなくなってしまったので、省みられなくなるという不幸な目に合うものがあるものです。
しばらく前に、たぶん「サライ」と言う雑誌の付録に付いたCDですが、綴じ込んであった袋を切りとり、CDのケースにはめ込んで保存してあります。
こういう作品が入っているのですが、これを見るとすべてすばらしい作品で、時代が変わっても依然として演奏され聞かれつづけているもので、これらはすばてすばらしい作品で且つ忘れられずに来たものです。そういうものも多いのですね。
この小説は、私が若い頃はけっこうもてはやされた作品です。いま話題に出して見ると、私の世代では「これを読んだよ」と言う人がいます。ですが、今はほとんど忘れられているようで、「懐かしいなぁ」と言われます。私も読んだ一人なのですが、ほとんど忘れてしまっていたので読んでみようと探したのですが、どこかに行ってしまったので、新たに買って読んで見ました。ですが、さっぱり何も感じませんでした。ひとつには、もはや自分は若くないせいなのかも知れません。
すでに過ぎ去ってしまったものなのでしょうね。
夜明け
このブログも、毎日まいにちワイワイ・ガヤガヤといろんなサイトでいろんなことが書かれコメントされていますが、そのうち時代が変わると誰もやらなくなってしまうかも知れませんね。
そうなると寂しいですね。見る書く感想を述べると、何かの形で参加をするということが無いと消滅していきますね。
夕暮れ
朝が寒いですね~。起きてすぐに全部着替えるのですが、寒くてつらいです。
寒くても文句、暑くても文句です。人間は、温度の許容範囲が狭いんですね。
動物も、植物も文句は言いません。人間だけですね愚痴を言っているのは。しっかりしなくっちゃ。と思ってもやっぱり寒い。
縮こまってばかりもいられませんので、この頃は裏山で汗を流しています。ただ枯れ草を刈るだけでは倒すだけなので、それをまとめて踏みつけて目立たない作業も交えています。
誰も誉めてはくれませんけど、元気になりますよ。運動代りにやっています。辛くなったらオシマイ。
湿度が多くて寒い朝は、このようにかなり霜が白くなることがあります。それでも、猫は一晩中家の中にいると、外に出たがって駆け出しますね。元気なものです。案外、寒がり屋ではないみたいです。
こいういう朝は、耳隠し帽子を被ってでないと、耳がすぐにしもやけになってしまうのだす。耳が子どもの頃から弱いです。しもやけになってしまうと、暖かいところに行ったときにむずがゆくなります。
家の裏は雑木山になっていますので、枯れ葉が落ちて歩くとガサガサと音がします。よく見ると、これは栗の木ですが、このように葉っぱが全部落ちたものと、まだほとんど落ちないものがあります。
栗とかクヌギ・ナラなどは比較的若い木の場合は葉っぱが茶色く枯れ葉にはなりますが、落ちにくいです。春までこのように付いていて、新芽が出るときにポロリと落ちるというのが殆どです。
サザンカの葉っぱに反射する午後の光
年末のジャンボは当りませんね。買いませんでしたから。どうせ当らないだろうし、当ってもものを買うと家の中がまた狭くなるし・・・・・。夢がないですね~。
夜には夢を見ますが、この夢を録画できる装置ができたら買います。
それから、見た夢の場所がどこだか分かるとイイナと思います。実際に行って見たいなと思います。そういうのが私の一つの夢です。
日が落ちると、極端に寒くなるようになりました。ある一定の温度 - それが何度なのかは確かめたことがないので分かりませんが - より以下になると大変つらくなるようです。
それは、人により違うような気がします。私は子どもの頃から寒がり屋だったので、その温度は他人と比べれば比較的高いところではないかと思います。
冬なのに薄着の人はうらやましいなといつも思います。真冬なのに、夏の半そでシャツでいられる人もいるようで、それこそいちばんうらやましい人と思いますね。
なかなか雑用ばっかりあったり、用事ではなくても多少は読書とか楽器の練習とか、録画をみなくてはならないとか言うことがあったりして、日暮れがはやかったりすることもあり、この頃はあまり犬の散歩には連れていけなくなってしまいました。
今日は時間がとれたので、外出する用事の前に連れ出しました。田んぼのあるところに行ったら、紐から放してやります。
草地は一面に枯れ野原です。この頃はつる性の草が多いのか、冬になって一面に枯れると草自体の重さにより、ペシャンコになってしまうことが多くなって来ました。
以前は、ツンツンと茎が強くてなかなかペシャンコになりにくい草が多かったと思います。やっぱりつる性の草などに上に乗られてしまうことが多くなったのかなと思います。
犬は思いっきり田んぼやあぜ道を駆けまくっています。そういう時には呼んでも決して来てくれません。初めのころは、放してやって失敗をしたと思い、何度反省したことか。
しかし、今はなかなかつかまらないでも、そのうちに観念して繋がれるようになりました。そういう気持、つまり 「 もう繋がれても良いかも 」 という気持にさせる方法を発明しました。
犬にとっては、充てられたゴールドあるいはダイアモンドの時間です。普段は繋がれっぱなしですからね。
猫は放し飼いしても、そうは悪さをしませんが、犬は違います。人に吠え掛かり、危険な思いをさせます。畑を荒らします。他人の家の庭を傍若無人に走り回り、不快な気分にさせます。などなど、いろいろと人の住む世界に迷惑をかけることがあります。
猫は比べれば、その度合いは少ないです。この違いは習性ですから、どうしようもないです。やっぱり危険だからとか、威圧を与えるということで、繋いでおくのが一番ということになります。
しかたがないですね。
日が傾き始めるとズンと寒さが押し寄せてきました。やっぱり冬です。
糸魚川市の人たちもこの暮れの迫る中、本当に何も失くしてしまって気の毒です。
何だって、気の毒でない災難というものはあり得ないのですけどね。
自分がこのように身軽なら、高い木に登って枝打ちをすることなど樂なのですけどね。屋根は直すことができるし、テレビのアンテナだって楽に取り付けられるのですが。うらやましいです。
昨日は変な天気のことでスペースをかなり取ってしまったので、載せ切れなかったのですが、実はプチ・ドライブをしてきました。
日立市の海岸近くを通る国道沿いに味噌屋さんがありますが、そこの味噌がおいしいらしいというので行ってきました。
味噌屋の雰囲気と言うのは、大体は酒蔵のような古い和式の感じのするところが多いと思うのですが、そうではありませんでした。
味噌を作っているところはそうなのでしょうが、売っているところはこのようにモダンな店です。スイーツも扱っていたり、かと言うと甘酒を売っていたり、味噌入りのソフトクリームがあったり・・・・・。
何となく楽しい雰囲気で、お客さんがたくさん来ていましたなるほどね~。これじゃ、ちょっと行ってみたいなと思う女性は多いでしょうね。
。お客さんの顔が写らないようにと思って撮っていますので、人がいないように見えますが、そうではなく沢山来ていました。
万両です。寒さに強いですね。やがて小鳥の餌になる実ですが、実にとっては小鳥に食べてもらった方が良いのだとか。
まず、硬い種の部分は消化されずに出ますが、この果肉は発芽を抑制する成分があるのだとか、従って鳥の腹をくぐるとその成分が無くなるわけです。
それに遠くに行って実が落とされるわけですから、繁殖の範囲が広がるわけです。自然というものはうまく出来ているなと思います。
千両は私の所では寒すぎて枯れてしまいます。もう少し暖かい、茨城県で言うと南の海岸近くでは栽培が盛んで出荷している地域があります。
年の暮れ
笑っても泣いても迫る年の暮れ
またハズレじっと見つめる宝くじ
暇なのに忙しいふりする年の暮れ
人だけが暮れ暮れて行く年の暮れ
なぜ金が回ってこない年の暮れ
年賀状焦って書いてる年の暮れ
四季通し軽かった財布年の暮れ
そのうちにと思いつつも年の暮れ
何となくせわしい気のする年の暮れ
変な天気でした。どちらかと言うと、今の時期では暖かい日でした。
空模様が変です。昨夜は少し雨がふったようです。台風の雲のようでもあり、良く見るとそうでもない千切れた大小の雲の塊がゆっくりと西の方から東の方に移動して行きます。
雪国から山脈を越えてきた千切れ雪雲でもないようだし。
そして曇りの次が、こんなに晴れだったりして、その晴れた時の空のものすごく青いこと。
おゝ、今日はこれで張れだなと思いきや・・・。
次ぎはこうですからね。何か変な雲ですよね。車でいどうしているときには雨にも一時なりました。
まあ、空もたまには駄々をこねたりしたくなるんでしょうね。
一昨日は冬至でした。カボチャを食べました。カボチャは、何とか今頃までは持ちますね。これから先はちょっと・・・・・。
そして柚子湯。自家製の柚子です。今年は初めての豊作でした。柚子なんて普段はあまり馴染みが無い人が多いでしょうが、今年は多くできたので柚子ジャムを作ってもらって、プレーンヨーグルトに入れて食べています。
また、湯にといてお茶代わりに飲んだりしています。
新潟県糸魚川市で大きな火災が起きているとか。午後3時30分頃のニュース以降はどうなったか分からないのですが。
風が強い日だとかで、かなり燃え広がっているようです。
火事は燃え広がるし、何もかも失われてしまう可能性が大ですから嫌ですね。
さて、今日は雲の多い日でした。朝は雨が降ったりしました。きつくは無かったですが、雲の多い寒々とした日でした。
裏山は、雨があった後でカラッと晴れなかったので、露っぽいと思い、今日は草刈の作業はしませんでした。
衣服が濡れて風邪でも引いたらいけませんからね。正月から風邪で引きこもっていたなんて・・・。注意しなければなりません。
テレビを見ていると、何かとクリスマスの雰囲気が盛り上がってきているようです。若い人たちにとってはクリスマスは特別なのでしょうね。
私などには、ケーキが食べられる時くらいにしか思えないのですが。でもまあ、楽しいイベントの時期ということになるでしょうか。
ケーキを食べておいしさを味わい、その嬉しさに大いにケーキ(景気=)をつけるべきです。
のっぺりした、節のない毎日でもつまらないですからね。節目はくっきりとしたアクセントのある時でなければ。
次への飛躍のエネルギーとなることが大切です。大いに、体に脳に刺激を与えることが大切ですね。
特に、冬は寒さで身も心も縮こまってしまわないように気を付けなければなりません。
若者よ、大いに楽しむべし。
裏山は少しずつきれいになってきています。この先の方がまだまだ藪で、腰の高さくらいのゼンマイの枯れた葉っぱがあります。
それがヤマイモのような細い蔓と絡まりあい、見る目にも汚い感じで一叢大きな塊の茂みになっています。
そいつをやっつけなければ。
チア・シードと言うのだそうです。グアムにいる友達が送って来てくれました。
http://australiakara.com/chia/index.html にいろいろなチア・シードに関することが書いてあります。
食べ方もクリックして移動すれば書いてありますので、どんなものかある程度は分かるかなと思います。いろいろな食べ物があるものですね。
送ってもらうまでは、その存在すらわかりませんでした。
いろいろなコーヒーも一緒に梱包されていました。いつも決まったコーヒーになってしまいますが、味が微妙に違いますし、大いに感謝して楽しんでいます。
私は朝はほとんどが気持良く起きられるタイプなので、そういう面では感謝しています。誰に感謝するかと言うと、神様と生んでくれた両親と家族ですね。体は強靭ではないですが、まあまあの健康な状態は保てているかなと思います。ただ、脳ミソの出来具合は自分では正しく評価できないので、いいかげんですけど普通程度かなと自己評価をしています。要するにノーテンキですね。
争いごとが極めてきらいで、他人(ひと)が主張しているときには、そうかも・・・・などと言ったり、黙っていたりして譲っていることが多いです。別にそれによって天地が変わるわけでもないし。
今日は晴で、比較的暖かい日でした。午前中は会議がありました。大勢の人に会うのは楽しいですね。日ごろは、奥さんと猫ですから、二人と一匹の生活です。犬は外なのでまた別格です。
今日の集まりは隣の町内の公民館が会議場でしたが、隣の町内には江戸時代に水戸街道(陸前浜街道)が通っていました。その街道を中心に集落があり村が形成されていましたが、その昔の街道やら、集落の名前が書いてある大きな手製の地図が壁にかかっていました。
それなので、旧地元民数人を壁のところに連れていって、日ごろ疑問に思っていることをいくつか聞いて見たところ、見事に謎が解けました。それなので、今日はとても気分が良いです。
午後はひと休みしてから、裏山の草刈をしました。手の指くらいの太さの桑の幼樹が沢山でていて、刈り取っただけでは来春に根っこからまた芽がでてしまいますので、全部はとりきれませんが、できるだけ根っこを掘り起こしながら刈っていますので、なかなか仕事が進みません。
ほったらかしておくと、だんだん太くなって刈り払い機では刈り取れなくなります。根気が一番大切です。夏以来、久し振ぶりに大汗をかきました。
冬は西日が恋しいです。夕方、いつまでも西日が当っているといいなと思います。夏は逆で、暑すぎますけど。
今はお日様が恋しい時期ですから、お日様が東から西に移動するに連れて、家も常にお日様に正面を向くように動いてくれるとイイナなんて、子どものころはよく思ったものです。
昔はろくな暖房器具がなかったですからね。それに隙間風ばかり吹いていました。
コタツにあたっていると、戸板の節穴から風が入ってきたり、畳の合わせ目のところあらも吹いてきました。あれは冷たかったですね。
今の家はピッタリ密閉されているのでしょうね。我が家は古い家なので、薄暗くて寒いです。
カマキリは好きな生き物です。間違って草刈をしていて刈り取ってしまったようなときには、そっと拾って枝の茂みのところに持って行って引っ掛けて地面に落ちて腐らないようにしています。
夏になると、こう言う卵から生まれたカマキリが家の周りのあっちこっちで見られるわけです。カマキリは鎌を持っていても、草刈の手伝いをしてくれるわけではないのですけどね。
でもあのカマキリの形がイイナと思います。トンボとか蛙なんかも好きですね。
今年も日いちにちと少なくなっていくと言うのに、今日も編集会議があって仕事をしてきました。正月号を発行したいという希望に基づいて仕事をしているわけですが、何とかまとめることが出来て、今日でおしまいにし、印刷に回すことにしました。
今日は四人予定していたのですが、二人しか集まれませんでした。やはり、それぞれ忙しくなってきているようです。
帰宅してから、一人暮らし老人宅を数人回ってきました。みなさん、元気なようでホッとしています。
久し振りに自転車で出かけたのですが、体力が落ちているのを感じました。普通の自転車より電動アシスト自転車は重いです。
高速道路の側道脇にゴミを捨てて行く不届き者がいるようです。すこしばかりのゴミを人目を気にしながら捨てるとは、ずいぶん小作りなスケールなのだなと思いますね。ゴミ袋の一つや二つ分の費用を節約しても、いかほどの得になるのでしょうか。
自転車の話に戻りますが、平地は電源を入れないで走っていますので、重い自転車は負荷がかなりかかります。
普通の自転車より重いわけは、フレームなどが太くできています。それから、バッテリーとかモーターもついていますから、それらもそれなりに重さを増す原因となっています。
少し我慢をして走っていたら、そのうちに慣れてきました。ただ、関節を痛めたりするとまずいので、無理はしないようにしています。
写してから日数が経ちましたので、もう実は落ちてしまっているかも知れません。あるいは野鳥に食べられてしまったとか・・・。
裏山に落ちている山栗のイガですが、山栗は実が小さいので、イガもそれなりに小さいです。結構ネズミなどに食べつくされないようで、あちこちに苗が芽を出しています。
やはり、数多く実を生らせ、多少は食べられても一つや二つ残って芽を出させることができれば、子孫は残るという自然の考えかたなのでしょうか。
食べられた分は、他の生き物の存続にも加担できるということになるわけです。
朝は夏よりは遅いとは言え、5時半頃には起きるのですが、まだ暗いです。それに寒い。当たり前ですが。
起きたのにまだまだ暗いのは、あまり良い気持はしないですね。でもまあ、これが自然なのですから、仕方のないことです。
今からコンビニまでお買い物で~~~す
夏なら、4時半頃に草むしりを始めていることもあるくらいですからね。暑くならないうちにと思って早く始め、早めにおしまいにするという手を使っています。
暗いですから、まだカーテンや雨戸は開けずに録画を見ることにしています。番組表を見て面白そうなタイトルに誘惑されて、どんどん予約してしまうものですから、あとで見るのがたいへんです。
見る時間を捻出しなければなりませんからね。それにコタツで見ているといつの間にか夢の世界に移動してしまうものですから、同じところを何度も見ることになってしまったりして・・・・・。
ノーベル賞を取ってから、ボブ・ディランの番組がいくつかあります。私はフォークソングが流行った頃は20代だったのですが、ボブ・ディランは聞きませんでした。あまりラジオではやらなかったかと思います。テレビでも見なかったですね。
彼の作った曲では 「 風に吹かれて 」 と言う曲は好きでしたが、彼が歌ったものではなく、別な人たちのものばかりラジオでやっていたので、そちらの方ばかり聞いていました。
例えば、
それで、彼の詩に対しての文学賞ということなので、ビデオを見ながら詩に注目していました。歌は英語でどんどん進んでいきますから、すぐには訳せませんので画面の下の方にでるテロップを読みながら見ました。
話は変わって、今日も良い天気です。今日は裏山の草刈をやりました。この頃は腰に自信がありませんから、草地で使っている四輪の草刈り機を使って見ました。切り株があると、乗り上げてしまったりして、山の草刈りには向かないのですが、速度を最低にして回転する刃の位置を一番高くしてやってみました。おおむね成功です。刈り払い機で刈るよりも同じ時間内でしたら、こちらの方が多く刈れそうです。
裏山の脇を道路が通っていますので、あまり藪にして置くとタバコの火などを投げ込まれると危険ですし、それにいかにも荒れ放題の風景になってしまうので、気になります。
まあ、時間をかけながら少しずつきれいにしておこうかなと思っています。
長年、ブログ用に撮りためた写真の整理をしていたら、更新する時間が遅くなってしまいました。
ずいぶん撮ったものだと思います。これを、最後にはどうするかが問題ですね。まあ、削除してしまうほかないでしょうね。
オニユズとかシシユズとか言うそうですが、一つ収穫してみました。ほかのものと比べて見てください。すごく大きいでしょう。
マーマレードなどにすると良いかも知れません。パンにつけて食べるとか、あるいはヨーグルトに入れて食べることができると思います。
いつまでも木にならせておくと、本格的な寒さがくると痛んで腐ってしまいますからね。それまでには収穫しようと思っています。あと二つか三つあると思います
丹波の黒豆がこれくらい収穫できました。食べた分は撮れません。腹を割ってみても、もう消化してしまいましたから、撮れません。
来年は少し残してまた作ろうと思います。だんだん、この土地に慣れてくると良いかなと思っています。
豆は、その土地でできたものが一番良いという話を聞いたことがあります。それなら、この豆をこの土地に馴らすことができれば・・・・と考えています。
やっぱり良いですね。名曲がぞっくりと入っています。指揮者のカラヤンはさすが上手です。
これはロマンチック・カラヤンというタイトルですが、これではなくアダージョ・カラヤンというのがしばらく前に大ヒットしました。
天気が良かったので、鎮守様の小さなお宮のお祭が終わってから、つくば市の方をドライブしてきました。
今日のお昼はメキシコ料理です。あとは、どこも混んでいたようですので、半世紀くら前に通ったきりで、懐かしい田舎道の風景を楽しんで帰ってきました。
ドライブはいいですね。
何かを訴えている仕草ですね。目だけ出してこっちの様子を伺っています。たぶん腹が減っているのではないかと思います。
猫は辛抱強いですからね。何分でも動かずに待ちます。ですので、きっとじっと待ちに待ってネズミが穴の中から出てくるのを待つことができるのでしょうね。
このミーちゃんは腹が減っても鳴きません。じっと待つか足元にゆるく絡み付くくらいです。あまりしつこくありません。
一日一日と過ぎて行くのに、年賀状のデザインは決まったものの、まだ印刷の段階まで行っていません。
年賀状と言うのはやっかいですね。まったく来なくなっても寂しいし、かと言ってポストに投函するまでは憂鬱です。
天気は良いし、あったかだし、さて今日は何をやろうかと思っていたのですが、あっそうだと思いつき・・・・・。
本当に久しぶり、たしか2013年12月14日以来ですが、干し芋つくりをしました。その時の写真とほぼ同じになりますが、面倒くさいからこちら、つまり今日の結果を見るだけで結構です。
燃料はいくらでもあります。こういう竈(かまど)もあり、蒸かすにも蒸かし釜もありますから、道具は一式揃っています。
蒸かしあがったら、熱いですから軍手をはめて割り箸などで皮を少し厚めにしごき落とします。深めに皮剥きをするのは色を良くするためです。浅いと皮の近くは色合いが悪いからです。
そしたら、自家製のピアノ線を張った枠で上から軽く押し下で受けます。芋には筋があります。筋がピアノ線にひっかかります。
このように出来ました。切るための枠は自分で四角く作り、ホームセンターからピアノ線を買って来て張りました。
できるだけ強く張りますが、どうしても緩みますから、枠とピアノ線の間に、細い薄板を挟むと ピ~~~ン と張れますから良いです。
久し振りに達成感を味わいました。あとは天日干しを何日かやりますが、干しすぎると硬くなりますから、ほどほどの加減にしておいた方がいいですね。
硬いのは味が落ちますし、それよりも顎が疲れます。
噛み過ぎてあごの筋肉が発達し、エラガはってしまい、野球のホームベースのような顔にならないようにします。
家の脇を通る細い市道の下には水道管が通っています。本管ではありませんが、十数軒に水を供給する管です。
これが、数十年前に埋設された切りですので、古くなっているためなのか、あるいは家が増えつつあるので、今では役目を果たすには細いせいなのか、詳しいことはわかりませんが、いま取替え中です。
いま、ちょうど我が家の門口付近を工事していますので、多少は出入りに不自由な思いをしています。まあ、良くなるための工事と言うことですから仕方がないですね。
どうして冬になると工事が多くなるのでしょうね。予算の執行が送れるからだと言う人がいますが、本当かどうかは分かりません。
予算の執行は大まかに言うと、まず新年度になってから予算の計上がなされ、それを議会で審議し通過させ、それからどの工事を優先するかを考えて、業者をきめ発注する。それから、実際に工事に入るのだからだそうです。その間に私のしらない仕事の項目がいろいろとあるのかも知れません。業者を決めるのにも、さまざまな行程がからむのでしょう。
社会の構造は、人間の体と同じように複雑、かつ知り尽くせないものが多いのでしょう。一つの物にしても、知り尽くせないほどいろいろあるのだと思います。
すべてを知っている人がいたとしたら、何をやってんだか?と思うかも知れませんね。
今日は、午後から集まりがあって出かけてきましたが、帰宅したのは中途半端な時間なので、ひと休みをしていると、もう午後も遅くなってしまいました。
それなので、夏ならまだまだ外にでて仕事ができるのですが、冬はもう夕闇せまってきますから、できません。これじゃ、運動不足にもなりますね。
千波湖には野鳥がたくさんいますが、今はたいへんです。鳥インフルエンザにかかって死んだ白鳥がいるとかで、石灰をまいて消毒していたり、あまり近づかない方が良いという話も聞いています。
せっかくの市民の憩いの場が病原菌に奪われてしまいました。憩いどころではありません。鳥にとっては命の危険があるわけです。次から次へと知らずに飛来して来ていると思いますが。
今日は外出する際に、そのことに気づいたので、普段なら千波湖のほとりの道を通って行くのですが、別な道路を迂回して行きました。
我々の世界は、いつになっても新たな病原菌が生まれてきて心配は絶えないものです。