言ったり、書いたりするのは、ある意味でむずかしいことです。言ったことや書いたものが一人歩きを始めるからです。前の総理の小泉さんが「自民党をぶっこわしてでも、、」と言ったことは、「、、、てでも」と言ったはずなのに、今度就任したある大臣は「ぶっ壊されたのですから」と言っています。いつのまにか、ぶっ壊されていたことになっています。私にはぶっ壊れたのか、まだ壊れていないのかは分かりませんが、壊されたとは誰も言わなかったし、何にも書いてなかったような。それとも、壊れたことを私が知らないのか。記者は記者で、いつどのようにぶっ壊れたのですかと聞く人もいない。記者もいいかげんだなぁと思います。
「美しい日本」という言葉も、この頃は総理の人気が低いので、皮肉な表現に利用されることが多いです。言った総理は、さぞや困ったものだと思っていることでしょう。日本は美しいはずだし、美しくあるべきだし、(もっと)美しい国にしていこうという意味合いで言ったのではないかと想像しますが。
わたしは、誰に味方をしようというつもりで言っているわけではありません。そういうものだという例を挙げただけのことです。近ごろ騒がしい政治のことの例になってしまっただけのことです。私が、政治の話をするなんて珍しいでしょう? 素人だから出来ないんです。それに、漱石が「草枕」で、「知に働けば角が立つ、 情にさおさせば流される、意地を通せば窮 屈だ。 とかく人の世は住みにくい。」 と言っていますが、その件(くだり)がいつも気になっているものですから。関わりあうと泥沼に引きずり込まれる。会議などでもそうですけど、ひと言意見を言うと、それを受けて言う人がいるので、ずるずるとひきずりこまれるものです。曲がりなりにもこれはこのごろ変なブログになってしまっていますが、家庭菜園ブログでもあるしね。
やがて
?
蝉も、ついにツクツクボウシが鳴き始めました。この蝉がとどめです。ニイニイゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、ミンミン、そしてツクツクボウシと、5種類ですね。
ヒグラシだけが気になります。ほかの蝉の名前は、鳴き方で名前を付けています。ヒグラシだけが鳴く時間で名前が付けられています。夜明けにも鳴くのに。ヨアカシというと意味が違っちゃいますね。一晩中眠らなかったということに。目明かしなんていう職業が江戸時代にあったとか。コインを投げるのが得意な人もいたとか。金持ちなんですね。架空の人物らしいですが。「あらえびす」と自称する野村胡堂という作家の作品ですね。
もっとも、アブラゼミも鳴き方ではなくて、体の色から来ているのかも知れませんね。私は鳴き方からかなと思っているのですが。

昨日は涼しいと思われる日だったのですが、案外暑い日でした。ひと頃のように、何もしないでいても汗が流れるという暑さではありませんでしたが、妙に疲れる日でした。
動くと、けっこう暑いのです。ある意味で仕事をやりにくい日でした。暑いならはっきり暑いと分かるような方が私には良いですね。
草むしりは、二三日の間だけですけど一段落ですね。まだまだ生えている所はありますが、そこは無視です。虫は害を与えるなら無視できませんが。信号を無視するのは、信号虫です。金の虫なんていう虫がいますが、あれは昆虫じゃなくてほ乳類ですね。なのに虫。虫が好かない奴なんてのもありますから、やっぱり人間は虫になっちゃうときがあるんですね。腹の中にも虫がいますね。その虫がおさまらない時があったり、良くないことをすると、体調が悪くなりますね。虫を起こすとか言いますね。虫をわずらったり。時には良くないことを知らせる虫もいます。無視できない虫の話でした。
話の本筋が何であったか、ここで気づきました。雑草取りの話でしたっけ。これからの雑草は、すぐに実をつけますから要注意ですよ。実りの秋ですからね。「道の小草にもヤレ米がなるよー
」ですから。自然農法をやっている方に、雑草抜きは自己満足とか達成感を味わうにすぎない、何せ一定の広さの中に雑草の種は何十万も落ちているのだから、と言われたことがありました。
確かにそうですね。それに対しては何の反論もできないのですが、ただただ美化のためにやっているようなもの。しかも、多大の時間と疲労という犠牲を払って。でも、今の体系の畑づくりでは雑草は取らないとね。その方の考えは正しいと思うので、いつも私の頭からは離れません。
いろいろと、考えさせられますな。秋ですからね。何の関係があるんだ? と言われそうですが、何となくです。もの思う秋とでも、、、。まだ天は高くなっていませんけど。馬も肥えないのかな。この頃、近辺にいないので分かりません。

山の雑草ですが、山仕事はしばらくしないことにしました。定期的にお医者さんに行っていますが、先日、「蜂に刺されると場合によっては命を取られますよ。」と言われてしまいました。そうだ、つまらない山仕事で命を落としたんじゃ割りに合わないと思ったものですから、蜂が動かなくなってからにします。蜂とはち合わせしないようにね。はち巻きしても効果はないでしょうから。朝顔は地植えでも鉢植えでもよし。青森県にある町は八戸。ローマ市内にはバチカン市国があります。戦国武将は蜂須賀小六。おっと、またーー。脱線。ためして脱線。昨夜やっていたのは「集中力」でした。脱線が本線になってしまった私には、集中は無理無理。

アスパラの茎が倒れるので、縛りに行ったら、おいしそうなのが出ていましたので、5~6本取ってきました。だいぶ茂ったので、少しは取っても大丈夫だろうと判断できたものですから。さっそく夕食に。ほんのり甘みがあっておいしかった~~。来年は頑張っておいしい芽を出してもらわなきゃ。それには、しっかり肥料をやろう。

四角豆もできていたし、オクラも出来ていました。大きくなったオクラははさみで切り落としました。落とした数の方が、取ってきた数よりはるかに多いです。トホホ。でも、猫のミーちゃんがすぐ脇にきて応援していてくれました。彼女は「はたけ」という単語を覚えたようです。「はたけに行こう」というと、気が向いたときには付いてきます。
座布団十枚
カボチャのポタージュというのか、スープとでも言うのでしょうか、いちおうポタージュと言った方が格好良さそうなので、ポタージュとしておきますが、それを作ってみました。何と料理らしい料理は初めてです。ずっと前に奥さんに作り方を教わって、冷蔵庫の扉に貼って置いたんですよ。奥さんが職場に行っている間に、ちょっとチャレンジしてみようと思いました。
カボチャ1/4を薄切りにしてフライパンで炒めました。火が強すぎて少し焦がしました。初めてですから、ドンマイです。次に、タマネギとベーコンをみじん切りにして炒めます。ベーコンはあったらしいのですが、見つからなかったのでハムにしました。その次には水に入れて、煮込んで牛乳を適当に、塩こしょうを適宜。コンソメは入れないでしまいました。今度ね。煮立ったら最後にバター。
牛負けた~~ 
晩ご飯に食べてもらいましたが、奥さんからは◎をもらえました。私もおいしかったと思います。息子は私が作ったなんて、シンジラレナイと言った感じ。砂糖は全然使わないのに甘いこと驚きです。初めてにしては出来すぎのような。良すぎると、これからが恐ろしい。芥川賞を取った作家は次の作品に悩むそうな。次はたいていダメですね。賞は励ましなのに、かえって負担になり再起不能になってしまう人もいるんじゃないかと思います。円形脱毛症になってしまう人も居るんじゃないでしょうか。そういう賞は励ましの賞ではくて、「禿げ増し」の賞ですね。賞に恵まれない私のひがみでしょうか。応募もしていないのに。カボチャのポタージュの話が、芥川賞の話になってしまうんですから、ハッと気づいた私も驚きドテカボチャ。
HISAさんのブログに地蔵盆の行事のことが書いてありました。私の地域では、あまり行われないのでこのお話は珍しいです。家庭内では、やっているところもあるのかも知れません。お寺に行くと何らかの形見られるかも知れませんね。地蔵盆は裏盆とも言われるとか。その頃まで盆提灯を下げておく家がありますね。お盆は盂蘭盆会と言われ、8月も終わり頃のは地蔵盆あるいは裏盆だそうです。
昔からの行事や祭がどんどん無くなって行きます。たとえ残っていたとしても、「見る参加」ばかりあって、「やる(行う)参加」は減っていきます。祭など「見る参加」だけではつまらない。本当の楽しさは、たいへんですけど「やる参加」ですよ。祭だけでなく、何事も行う側での参加がないと、常に見るだけでは本当の大人になれません。さまざまな職業、さまざまな考えを持つ人、こういう人ともみ合いながらまとめて行って、形のあるものを作り上げていく時に人間が成長するものと思います。理屈だけの人間は半人前のような気がします。職場では偉くても社会ではね。若くしてチャンピオンになってしまうスポーツマンの中には、子供みたいで精神的に成熟していない人がいますからね。
藪の中のホオズキ
今日は、絵と言い、写真にも、いきものが多く登場しましたね。なんか、どんよりしていますね。予報では降るのだとか。そしたらゆっくりできます。降ってくれ~~~~っ。