むかし、中国のある所の木こりが道に迷ってしまいました。歩いて行くと洞窟の中で碁を打っている二人の子どもがいました。二人に勧められるままに、アーモンドのようなものを食べると腹が減っているのも満たされたので、斧を地面に置いてしばらく二人の勝負を見ていました。そのうちに、ふたりに言われてハッと気がつくと地面に置いた斧の柄がすっかり朽ち果てていました。二人に別れを告げ里に戻ってみると、何と里ではもう何十年も年月が経ってしまっていたそうです。(爛柯)
まるで日本の浦島太郎のような話。二人の子どもは仙人だったらしいのです。仙人の世界は人間の一生はわずかな時間にしか過ぎないようです。仙人になってみたいものですね~。人が千人集まっても仙人にはなれませんね~。せめて何かの専門の担当つまり専任にはなれますけどね~。
夏の夜の怪談話ではないですが、夏の昼下がりの仙人の話でした。
さっぱりお金は貯まらないのですが、これは金の生る木
人間界は相変わらずどろどろしていますね。仮に、人間全体が人を騙して儲けようとしたり、領土を広げようと思ったり、仕返しをしたり、気にくわない人を作ったり、戦争をしたり、むやみやたらに贅沢をしたりと、そういうことをしなければ、この世は仙人の住むような世の中になるかも知れませんね。
天災があったり、暑さ寒さがあったりは仕方がないことですが、せめてそれだけで済むような現実の世界なら、かなり住みやすい所となるのですけどね~。
浦島太郎の話が日本の歴史上最初に出てくるのは、『日本書紀』だそうですが、その『日本書紀』が書かれるまえに、今ではもう失われてしまった本があって、そのような話はいろいろな地域にあったかも知れないらしいです。
人の一生はさまざまだとは言え、何十年もありますが、仙人にとってはそれは一日くらいの長さでしかないかもしれません。私は知りませんが、ひょっとすると現在と過去と自由に往来できるかも知れないし。そうなると、簡単に歴史を変えてしまったりしたくなるので、やっぱり人間は仙人にはなれませんね。
廃 句
暑くても 良いと思えば 楽になる 仙人への第一歩
いろいろと 人は考え 過ぎるかも
退屈と 肩こりだけは 無くなった
八月だ さあお盆だぞ 立秋だ いっそがしいこと
コッペパン 囓っていた頃 懐かしい