あちこちのセスバニア

2005年09月30日 | Weblog

 

何度もセスバニアの話になりますが、この不思議な植物を初めて、おそらくこの地域でも初めて作ったものですから、その様子を記しておきたいと思います。 

こんな感じの実が生ってきました。かなり細長いです。豆です。いくつ入っているのか数えてもみませんが、一列になっています。種を買ったときには、おおよそ米粒の3分の1くらいだったので、サヤはこれ以上にはならないかと思います。

試しに色々なところにまいてみました。畑、畑の外、雑草の中、上には木などはないが、完全に日陰のところなどです。雑草の中は背丈が30cmくらいにしかなりませんでしたが、枯れはしませんでした。結実はおそらく無理かと思っています。

日陰の所は、何年も木の葉などがつもっていて、おまけに湿気のおおいところなのですが、これはまあまあと言ったところでしょうか。

畑と畑の外は育ちが良いです。一番は畑の外です。まいたのが最初だったし、おそらく草などが何年も積み上げられたところだったせいもあるかと思います。

畑は元肥はやりませんでした。追肥だけでしたが、となりの大豆に近いところの成長が良いです。確実に大豆の栄養を横取りしています。

 

畑とその脇のところは、おそらく根を深くおろしたにちがいありません。また、日陰の所はいま花が咲いていますので、結実するのではないかと思われます。ただ、日陰なので、実はできても種になれるかどうかは疑問。

 


2005年09月29日 | Weblog

もらってきた藁の一部を重ねあげました。不本意ですが、こんな風になってしまいました。

子供の頃の記憶ですが、昔は手刈りだったので、元のところがぞっくりと揃っていました。それなので、小束にしてもきちんときれいに束ねることができました。

ところが、今度もらってみてびっくり。確かに藁を刻まれずに長いままの状態で稲刈りはできますが、手刈りのように元がそろわなかったのです。それで、はじめの頃は自分の腹を台代わりにして、元をそろえようとしたのですが、腰折れになってしまったり、はかまの部分が刈った藁より下まではみでていたりして、うまくそろえられませんでした。

時間はどんどん経ってしまって、精神面の負担も大きくなってきたので、もうどうでもよいと思って、とにかく束ねてもってきました。重ねてみて再度落胆。「どうも気にくわないなー。」という気持ちです。

でも、要は使うことですから、見栄えは悪くても機能第一で行くことにしましょう。


鶏小屋の掃除

2005年09月28日 | Weblog

 

ずいぶんほったらかしにしていたものですから、今日は鶏小屋の掃除を思い切ってしました。それには鶏が邪魔になりますから、全部外に出してやりました。彼らは特に黒い烏骨鶏の方は奥の方に入れておきましたので、なかなか出られません。外が何であるか分からないようです。

 

それで、そっとそっと追い立ててやっと全部を外に出して、じっくりとなかを掃除しました。ずいぶん色々な物が積もりつもっていたものですから、鶏糞と餌の食べ残しとかなどが2輪車に2台分もありました。それは畑に持っていってばらまき、午後になってからトラクターでうないこんでしまいました。そこはエシャレットやニンニクなどを近々植えるつもりでいます。

鶏たちは、ほぼ一日あちこちをかき立てて突っついていました。黒の鶏は臆病で、最後まで隊を崩さなかったですね。それに対して白の方は私に付いてくるものがいたり、一匹だけかなり小屋から離れたところに探検に行くものやら、あちこち散らばっていました。

 なかなか良い風景です。これがいつも放し飼いが出来ればもっとよいのですが、それが出来ないのが誠に残念。でも、久しぶりに秋晴れのもとで日本の原風景の一つが見られたような良い日でした。鶏があちこちで遊んでいて、猫が縁側でまるくなり、犬が庭を駆け回る風景が好きです。

 

 


くず栗を煮て食べる

2005年09月28日 | Weblog

 

                     イガも燃料に

小さなものだの、虫食いだの、おに皮が破れたのだのと、くず栗がけっこうでるものです。どちらも等外品になりますので、処分しなければなりません。と言っても、どう処理したらよいかが問題です。いちばん簡単なのは何も考えずに焚き火にくべてしまうとか、穴を掘って埋めてしまうことです。

しかし、食べ物はそうは簡単に捨てられないのが戦後育ちの悲しい性格。いろいろと考えてきましたが、たいていは煮て食べることにしています。それでも、めずらしいものでもなくなれば、煮たって食べないことが多いものです。

それで、今年からは残りは一部を除いて、金槌でたたきつぶして鶏にやっています。粉砕しますので、固い組織が破れるので彼らにも食べやすく、えさ代の節約に役立っています。えさ代と言っても、たかだか一ヶ月に3袋で、金額にすれば3,000円かかるかかからないかですので、ほんのたばこ銭くらいで済むのですが、食べ物の納得の行く処分には精神衛生上は大いにためになっています。

それでも、粒の大きなもので皮だけ裂けたものは、鶏にばかりやってしまうのももったいないので、昨日は茹でることにしました。そういう理由で等外品になったって、栗は栗ですので、おいしさには変わりのないもの。それで携帯かまどを持ち出してきて、端材を燃料におよそ一時間。仕事をしながらやりました。

時間をたっぷりかけてゆであげて、おに皮をむきやすくするために、しばらく熱湯に浸したままにして置いた結果、渋皮もなかなか剥きやすくなりました。中身はばらつきがありますが、固めで黄色い粒にあたると、それはそれはおいしいですね。

 

              かなり食べちゃってからの写真ですけど、、、

燃費はゼロ。仕事の合間に燃料をくべにくればよかったので時間のロスもほとんどゼロ。    と言うことで、気持ちよくおいしいものが出来ました。ああ、秋の味覚。楽しいネ。

 

 

 


風に弱いセスバニア

2005年09月27日 | Weblog

風台風でした。風速はそれほどでもありませんでしたが、セスバニアが傾きました。丈が高い上に細いですし、葉も多いので風には弱いのは当然でしょうね。

試しに1kgを何カ所かに分けてまいたので、ぞっくりと広い面で栽培していないせいもあるとも考えられます。これからどれだけ立ち直るか、それとも枯れていくか観察に興味ありです。コスモスのように倒れても、そこから上に伸びるというような生命力があるかどうか。

私は、どこも刈り取って緑肥にはしなかったのですが、そういう場合には根がどこまで下に伸びているか計るのはどうするのか。はかれないような気がすますが。それからもう一つ、茎が枯れたらその始末には手間がかかるかどうかも興味ありです。刈り取りに苦労するようですと、来年からの栽培は迷います。

茎は固そうです。枯らした茎は何かに利用できそうか。例えば、篠のようにちょっとした豆の手になるとか、畝の目印になるとか。あるいは、やるつもりはないがすだれのようなものが作れるくらい強いか。種がどうこぼれるのか。どれくらいの量が取れるのか。飼料になるか。

なにせ、私にとって初めての植物ですし、近隣の誰も作ったことのないものですので、興味は大いにあります。



イチジク

2005年09月26日 | Weblog


イチジクができました。気が付くと、もう駄目になってしまっているものもありました。彼らにも甘くておいしいのでしょうね、スズメバチが何匹も食べに来ています。

作物も、時期が来ると「熟したよー」と声をかけてくれると良いのですが、畑やら庭やら林やら、あちこち周り切れません。何か良いアイディアが浮かばないかなぁと思っています。

インゲンも大きくなってしまっているし、オクラも種がとれそうなほどになってしまうし、巨大ナスがぶらさがっているし、ミニトマトは土に散乱しているし、、、、。

そう言えば、モロコシはいつ刈り取ったらよいのやら、まだ見極めがつきません。初めて作る作物はタイミングが分かりませんね。

我が家では小判がありませんので、「猫にイチジク」・・・ <3秒沈黙>  ・・・だめだこりゃ。





くずジャガ

2005年09月25日 | Weblog

7月10日にとったジャガイモは、2ヶ月経って傷んできたものが出ました。中には完全にミイラ化したもの、腐って水分が出始めたものがあります。それで、ぜんぶ選り分けました。

くずジャガがけっこうでました。腐った物はもちろん捨てて、残りは一部穴があいたもの、色が悪いもの、青い部分のあるものなどは残しました。

こういうものの利用は鶏の餌です。悪い部分を取り除き、よいところを刻んで、そのまま小屋に投げてやると食べます。これは岩手にいる大規模の専業農家の方から教わりました。小麦やジャガイモ何十トンと生産する方で、私の農業のいわば先生です。(その方には迷惑でしょうが、私が勝手に先生にしてしまっているのですが)

一つ開ければ、それにヒントを得て次からつぎへと餌の工夫は続きます。くず栗まで粉砕して与えています。そのせいで、今までは燃やして処分していたくず栗は、無駄なく処分できるようになりました。そのおかげで、毎日配合飼料を与えていたのですが、教わった次の日から配合飼料はほとんど与えていません。その代わり、ありとあらゆる餌になりそうなものは与えて、バラエティに富んだ栄養が行き渡るように心がけています。

しかし、夏から秋への時期は畑でいろいろなものがとれますが、冬から春にかけてです。くずジャガもそのうちに底をつくでしょう。これから出来るくずサツマを貰ってくれば、その代わりが出来ます。葉ものは種類は限られますが、与え続けられるのではないかと思っています。

とか何とか、いろいろと考えるのもまた楽しいものです。涼しくなって、今まで一つかゼロであった産卵も多くなってきました。そのうちに卵を抱き始めたら、鶏の数も増えるでしょう。ヒナができるのが楽しみです。


台風の被害ひとつ

2005年09月25日 | Weblog

台風は雨が少々と風が多少強く吹いた程度でした。が、ひとつ被害がありました。栗の枝が一本風をまともに受けたか折れました。

この木は、両親が栗栽培を始めた時に植えた最初の木の一本です。あと数本残っています。樹齢はおよそ40年です。カミキリにやられ、クワガタにやられ、クリタマバチにやられても、しっかりと値をおろして生き抜いてきました。根元のところより、少し上の枝が2本生えだした所の方が太いです。

この木は、イガのトゲが長くて比較的柔らかで実は大きいです。大栗の基本となるような形をしているような感じがしています。

私が百姓をやるようになってから、土地を少し多めに使うようになり、この木の下をすれすれにトラクターが行き来したりして、多少邪魔になってきたのですが、とても惜しくて切れない木です。猫もよくよじ登って遊んでいます。鶏小屋によい日陰を作っています。

落とされた枝には口の開いた栗が5~6個前後、まだ実りに早めのイガが10数個付いていました。しかし、このひと枝くらいでは木全体には何も影響を及ぼしません。




メダカ&フナ

2005年09月24日 | Weblog


私が子供の頃は、戦後の焼け跡の時代でした。進駐軍がジープに乗ってきて、ガムを貰った記憶がかすかにあります。彼らは全部同じ顔に見えました。

国民全体が貧しかったので、子供の私たちが遊ぶ物がありませんでした。おもちゃはありましたが、すぐに飽きてしまう簡単なものしか無かったので、遊ぶのは外がいちばんでした。

幸い田舎に住んでいたので、野山が遊ぶ場所になりました。林に入りワラビを探し、田んぼでドジョウをとり、川でフナやアユを追いかけました。秋はキノコ狩り、そして山栗を生で食べ、ヌリデのしょっぱい実をなめては吹き出し、冬は田んぼのツンツンでた刈り跡を下駄の歯でけずって、その下駄でスケートをしました。

ある日、川で遊んでいたら長いものが泳いでいます。「とーちゃん、へびだ。」と大声をだすと、父が田んぼから大急ぎで駆けてきました。父は蛇でなく、ウナギだと言い、すぐにつかまえました。もちろん、その日の晩飯はウナギでした。そんなことも思い出します。

そんな幼い頃の生活が今でも忘れられず、一夏のうちに少なくても一日は魚とりに出かけます。私は釣るのではなく、網で追いかける取り方です。子供の頃は釣りなんて高尚な遊びはやりません、いや、道具がないのでやれませんでした。

今はフナなどを捕ってきます。それを池や水槽に入れて泳がせます。水槽にはフナのほかにドジョウが泳いでいたり、マルタがいたり、ボラの子供がいたりします。水槽の中を見るのはなかなか面白いものです。金魚を飼っている人は多いと思いますが、私には金魚ではつまらない。飼うとしたら、水槽の中の彩りを添えるくらいの程度にしか考えません。

数年前に、田んぼの縁の小川で魚を探していたら、取り残された掘りの水たまりにメダカが沢山泳いでいました。このままでは、持ち主の考えが変わり、掘りの水を抜いたり、あるいは埋めてしまったら、ここのメダカは絶滅してしまうと思って、自信はありませんでしたが、少しすくいとって自分の池に放してやりました。

彼らは元気に泳ぎ回り、子供ができてふえました。それを従兄弟がそれを見て欲しいというので分けてやりました。ところが、何の不具合が生じてか私の池のメダカは居なくなってしまいました。ごく小さな池だったので、カエルに子供を全部食べられてしまったのか、あるいは水が夏の太陽の下で湯になってしまったのか。

井戸のコンクリート枠、これを「コガ」と私の地方では言いますが、これに底を付けて水がためられるようにしてある、もう一つの池があります。これに、先日従兄弟が、私のところから持っていったメダカの子孫を少しもってきてくれました。里帰りみたいです。この池なら水の量も多いし、大丈夫かなと思っています。これが今元気に泳いでいます。来春は子供ができればと期待しています。

ところで、彼らの祖先のいた、その掘りは今はなくなってしまいました。細々とですが、彼らの子孫が我らの池で元気に泳いでいるのです。もし、自然の中で彼らの安住の地を見つけることができたら、彼らの一部をもどしてやりたいです。




ぶら下がりトウガン

2005年09月23日 | Weblog

栗の木にはい上がったトウガン。実が大きくなってきました。あまり大きくすると、枝が折れてしまうかもしれませんので、このあたりで蔓を下におろしてやりましょう。

それにしても、このトウガンの生命力はすごいです。もっとも、ここは堆肥のあるところなので、栄養は満点ですから。先ほどは、別のところで芙蓉のしたで大きくなっているものを見つけました。これくらい手を入れなくても出来てしまう作物がたくさん欲しいものです。

そんなこと簡単。トウガンを主食にすりゃいいんだ。 ムムムムリダーっ!!!



キビの収穫

2005年09月22日 | Weblog

残りのキビを収穫しました。キビは、穂がザランとして垂れ下がっているので、実っているように見えますが、穂に触れてみるとさっぱり実っていそうにみえません。しかし、黄色く色変わりしているので、実っていると思うことにして、刈り取りました。(実際は、実の一部をもんで種を出してみればよいのですが)

以前にも書きましたが、赤系の細い糸のネットを鳥よけに使っていたので、穂のつぶつぶがネットの外に出ていたりすると、とても取りにくい状態になっています。丁寧にほどくか、あるいは一輪車の上に持っていって、思い切りちぎり取るかです。どっちのやり方もやってみました。後者は、はるかに時間の節約になることはあたりまえ。

赤く丸くしてあるのが防鳥ネット。こんがらからずに上手に丸めたので、他に何かに使えそう。柿に使うかイチゴに使うかというところか。

このキビは知人から、どちらかというと強制的に与えられたものですが、自分も感心が無かったわけではありませんので、取れ高はどれくらいか知りませんが、とにかくもみすりと乾燥をして、ご飯に炊き込もうと思っています。

肥料は、堆肥に豚糞、化成肥料をやったので、それなりに収穫高はあったと思います。初めて作ったので、豊作だったか不作だったかは全く不明。写真は収穫の一部です。一輪車を使うのが良いと思います。理由は、一輪車の中でこぼれた実は取りやすい。

穂刈りして、殻の部分は力をだして(体脂肪消耗のため)全部抜き取り。殻は堆肥にする予定。


ゴーヤもそろそろ終わりです

2005年09月22日 | Weblog
夏の間ずいぶんできて、おいしく食べられたゴーヤも秋風が立つと、黄色くなるのも早くなり、そろそろ終わりかなという感じがしてきました。

中には赤いジャムのような甘いゼリー状のものに包まれた種があります。カラスがこれを食べにくることもあります。これしか食べなかった人も昔はいたとか。

これからは秋の食べ物に移っていきます。


芸術の秋

2005年09月21日 | Weblog



Omnis ars naturae imitatio est.       Seneca(セネカ)
           All art is but imitation of nature.
        人の作ったものはすべて自然の模倣にすぎない

   《補》
      ars(ギ) = art(英)  
         元々は「技術」とか「人工(の)」とかいう意味であったとか

      Art is long, life is short.  Ars longa, vita brevis.
                        ↓   ↓  ↓  ↓
                       技術  長い 人生 短い


      Art is long and life is fleeting. Longfellow
            芸術は長く、人生は短い

               fleeting : はかない、短い、つかの間の



鶏のおやつ

2005年09月21日 | Weblog

小玉スイカを割ってみたらこんなに赤く実っていました。鶏たちは間違いなく喜びました。夢中で食べています。鶏はスイカが大好きです。やはりジューシーで甘いし美味しいんでしょう。

まだまだ、しばらくはありますので彼らも楽しめます。もらうまではストックがあるなんて、彼らには分かりませんけど。気楽でいいですね。

このあと、キビも出来てきたようだし。そのうちに収穫しようと思っています。田んぼの藁を束ねる仕事をすると、けっこう落ち穂がありますので、拾ってきてやると、とても喜びます。穀類は特に好きなようです。腹の保ちがよいし、穀類は彼らにはいわば主食ですね。


ヤーコン

2005年09月20日 | Weblog

昨年はじめて作ってみました。その時はどちらかというと失敗。芋があまり育っていませんでした。それにもめげず、今年もまた作りました。昨年の芋も残して置いたので株は5株になりました。

今年はうまく行ったら、作り続けたいと思っています。ヤーコンは、さくさくした歯ざわりでどくとくの食感を持っています。キンピラにも合います。

この頃はいろいろな作物が作られるようになり、昔ながらのものも作りますが、遊びでめずらしいものにチャレンジしている人も多いと思います。ゴーヤなどもその一つです。そう言う中で、だんだん作られなくなっていくものも出てくるんでしょうね。

そう言えば、ゴマなどは作られなくなってしまいました。実が出来る頃は、葉っぱが全部イモムシに食べられてしまって、ただの棒が畑にぞっくりと立っている光景を子供のころに見たのを覚えています。

あの頃は、麦畑も多くて、私の家の畑の中を歩いていると、ヒバリの雛が巣の中に数羽いて黄色いくちばしを大きく開けて鳴(泣)いているのを見かけたものでした。もう見られない光景です。