お天気のことですから、いつまで今の良い天気が続くかわかりませんが、とにかく今日も良い日でした。
歳末助け合いの募金に相棒と二人で行って来ました。
昨日の夕方、ウォーキングの時に撮りましたが、実際はもっと赤かったです。何かソフトを操作して赤の部分を濃くできると良いのですが、そういうものは持っていません。
こちらは今日の朝焼けです。これは肉眼で見えたくらいの赤に撮れました。
せっかく、きれいだなと思って撮るのですから、そのように撮れると良いのですけどね~。
キジが我が家の東の方を歩いていました。これはオスです。オスはきれいです。
人は見慣れているのですが、そこは野生の生き物ですから、用心深いです。できるだけ近寄って、限界のところで望遠にして撮りました。
幸いにげませんでした。
季節が行ってしまわないうちにと思って、気晴らしにリンゴ狩りに行ってきました。
こんなにたくさん生っているんですね。運転中に街道沿いで生っているのを見かけますが、近くまで歩いて行って見るのは初めてです。
ひとつ大きく撮ってみました。おいしそうですね。このままガブリと囓ってみたいです。
まだリュウキュウ朝顔の葉はこのように緑色をしていますが、明日からは11月になります。霜月です。
いよいよ寒くなります。
日暮れが早くなりました。ウォーキングをしていると、「 あっ、明かりをつけてくればよかった 」 と思う日が多くなりました。家に着く頃はかなり暗くなってしまいます。
赤トンボも、日中は飛んでいますが、かなり少なくなりましたね。短い命なので、気の毒に思います。
まあ、神様が大昔にそのようにセットしたのでしょうから、しかたがないことですけれど。
アリジゴクの巣
自分の家に住んでいる時には、外出するなんてことは全くゼロなのでしょうね。しかも、ご飯はこの穴に入って来て出られなくなったものだけなんて、そうラッキーなことばかりもないでしょうから、たいへんではないかと思います。
それぞれ空腹に耐える毎日なのか。それとも、「 まあこんなもんだよ 」 と思っているのか・・・。
転げ落ちた蟻こそたいへんです。もう、出られないのですから、それこそ地獄ですね。雨のほとんどかからないところに巣をくっていますね。
伐採の仕方に失敗した古い株
どうして失敗かと言うと、こんな低い位置で木を切ってしまったからです。山の草を刈るときに、どれほどこの株に刈り払い機の刃をぶつけたことか。
その度に、刃も歯車もそうとう傷めたにちがいありません。この頃は、もっと高い位置で切る 途中切り という方法で伐採することにしています。
途中切り
こうやって、草の丈より高めに幹を残して置けば、見えているので、そこに刃をぶつける可能性が少なくなりますからね。
機械の保護には大いに役立ちます。
また、根がくさってしまった時には、上の幹のところを持って前後左右に揺するとポロッと根本から取れてしまうことがあるので、結果としては抜くことになりますので、作業には手間がかからないというメリットがあります。
落花生の天日干しは終わりにしました。大粒の良いものが採れました。食べ過ぎないように注意します。
ネットをかぶせておきました。カラスが来ないようにするためです。カラスは落花生が大好きですからね。
今日は、虐待されていたという子犬を連れて歩いている人に会いました。保護されている施設からもらってきたのだそうです。
もの言えぬ子犬に虐待とは可哀想なことをするものです。これからは犬が大好きな人に飼われて良い日々がすごせることでしょう。
秋の良い日 三ヶ月も四ヶ月も続いてくれたらな~
そのような日が終わったら、もう春だったりして・・・
あり得ないありえない
ばかばかしい話でした
良い天気です。気温は22℃くらいあります。風は気にならなかったので、そよ風以下くらいの風速だと思います。
秋になると、小鳥の声がよく聞こえるようになるのは、気のせいかもしれませんが、今日はよく聞こえます。
こういう小鳥が来ていました。鳴いていたのですが、時間が経ってしまったので、どういう鳴き方だったか忘れてしまいました。
何とか飛び立ってしまう前に撮れたのですが、空が明るいので逆光のようになり黒っぽくしか撮れませんでした。残念。
これでは、名前を確認できないですよね。私には何という名前か分からない小鳥です。
ネギが採れました。真夏の暑い中で、茎の白い部分の深さの溝を掘ったということになります。
毎年、真夏の行事です。暑い中に大汗をかきながら掘る作業で、そっと人に見られないようにと、街灯のあかりで夜に掘ったこともありました。
人に見られると、怪しまれたり変におもわれたりしまうからね。変なのかもしれませんけど。
なぜ夜かと言うと、昼よりずっと涼しくなるので、作業しやすいのです。ただそれだけの理由なのですが、気を遣います。
トウガラシの一種のタカノツメ、赤と黄色。キウィの支柱を利用して干し始めました。
何年か前ですが、種を蒔くのを忘れちゃって一時途絶えたことがありますが、復活してそれからは作っています。
忘れることを忘却と言いますが、私が子どもの頃に、ラジオから次のような言葉が何度も流れてきました。
「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・・・・ 」 あとは知りません。
その頃に、一世を風靡したラジオドラマ 「君の名は」 の冒頭の部分です。映画にもなって大騒ぎされました。私は何がなんだか分かりませんでしたが。
まだ、私が洟を垂らして遊んでいた頃のことです。
と、タカノツメから、数十年も遡った子供の頃の、そんなことを思いだしました。
子どもの頃と言えば、今の小学生は、こんなことをやっていますからね。金管バンドです。私が小学生のころは、そんなのありません。
バケツなどを叩いていましたね。そんなこをしていると、「 何やってんだーっ.早く風呂を汲めー 」 なんて親におこられたりして・・・。
バケツで、井戸から十何回も水を風呂に運んだものでした。井戸と風呂の間の距離のあることあること。
あの頃は、父親はまだ地震・雷・火事・親父と、立派に第4位にいました。
親父の順位はとっくに消え去りました。今は第4番目は空位ですね。
そう言えば、四位脱落の少し前のころでしたか。怒られたあとで子どもが言う言葉がありました。
それは 「グレてやる 」 でしたっけ。私が少し大きくなってからなので、その言葉は使ったことは無かったです。
仕事が現役中の時には、「 さーこれから出勤して何と何をまずやってから、次はあの仕事が待ってるな-」 などと考えながら車の運転をしていたものでした。
懐かしい三十数年の日々でした。そういう緊張が無くなるとホッとすると同時に、何だか何かが足りないような気がしたりします。
人の心は、なかなか落ち着かないものです。毎日まいにち待っていた日が来ると、案外がっくりと来たり、物足りなかったりするものです。
人ってのは変ですね。
若い元同僚に出逢った時に、「 旅行はあちこち行ってるの?」 と聞かれたときには、「 え? まだ何処へも行っていないし、そんなに旅行家のようにしょっちゅう行くはずないじゃないか。」 と口には出さなかったですが、静かに思ったものでした。
話は変わって、昨日の朝日新聞に 「 本屋さんが減って寂しいですか?」 というタイトルの記事がありました。
「 はい 」 と答えた人の割合は77%でした。水戸でもはるか以前から比べたら減っていますね。
個人経営の書店は無くなったかも知れません。ということはチェーン店ばかりということになります。
本屋さんが減って寂しいと思うその理由は、じっくりと本が選べない、知らなかった本との出会いが減る、書店独特の雰囲気が味わえない、などなどでした。
私の思いは、三番目ですね。知らなかった本との出会いがあるのが良いなと思っています。
いいえ、と答えた理由は、図書館を利用、ネット通販出買う、時代の流れだから、寂しかったが慣れてしまった、などなどでした。
買うのに先立って、自分で選んでおく傾向が強い人はネットで買うでしょうね。
東京の人に聞いたところ、沿線ではほとんど本屋さんは無くなっているそうです。新宿とか渋谷とかのような繁華街にしか無くなって来ているとか。
私は、ほとんど毎週日曜日には用事があるので ついでに書店に行きますが、そこで 「 こんな本があったんだ 」 と新しい発見があるのが楽しいです。
それは古本店ででもそうです。買うか買わないかはそれから迷いながら判断します。
どうして買うか買わないか迷ってしまうか、その理由はとても読むスピードが遅いからです。
本に出逢ったからと言って、次々に買ってしまうと、読み切れず、つんどく(積ん読)ことになってしまうからです。
あ~、速読ができたらな~~。
ときどき、イソップ物語の話の中の何かを思いだすことがあります。
いろいろありましたが、肉片をくわえた犬が橋を通るときに川面をみると、一匹の犬が肉をくわえている。それも欲しくてワンと鳴いたら肉が川に落ちてしまった。なんてのを今思いだしました。
旅をしている主人と召使いが宿に着いたとき、主人は召使いに靴を磨いてくれといったけれど、召使いは、どうせ明日も旅をして汚れるのだから、靴を磨かなかったとか。
食事時になったけど、召使いの分がないので食べものが欲しいほしいというと、どうせ明日になればまた腹が減るのだからと言われた。という話も思いだしました。
どうせ忘れるのだから、本を読んだって勉強したって無駄だとか、似たようなことはたくさんありますね。
私などその典型的なサンプルと思っています。どうせ本を読んでもわすれる。映画を見ても忘れる。などなどたくさんあります。
少し話がずれていきますが、食事などは必要な栄養を摂らなくては、と思うより美味しいかどうかの方が先に立ってしまったり。
電柱や電線は無いものと思って見てください
人と言うのは、利口な部分とバカな部分が適当に混在しているから面白いですね。
またその反面、そういうことがとんでも無い問題を起こしてしまったり、昔なら戦に発展してしまったりと・・・・・。
そんなことを思ったりして、草むしりをしながら楽しい思いをしました。それが楽しいのかしら? と思われそうですが、中には楽しいこともありますよ。
気にくわない奴と会って話をしなくっちゃならないなんて時には、思いっきり 生ニンニク をたくさん食べていって、「 おはよう 」 なんて臭い息を相手にかかるように挨拶をしてやるとか・・・・・。
もし、才能があるならば、落語の 「 まくら 」 くらいの話が作れると、もっともっと楽しいでしょうけどね。
先ずは天気から。晴れです。気温は20℃。現在は無風に近い状態です。
家庭菜園の仕事は、やるとしたら今は草むしりくらいです。
ダイコンやブロッコリー、白菜、ネギなどなど例年同じようなものを作っているものですので、取り立てて書くほどのものもないです。
書いても、同じようなことばかりです。
そろそろおしまいになります
セイタカアワダチソウが裏山に少しずつ多くなりかかっているので、とりあえず種が出来て増えないようにと、黄色い花を切り取りゴミ袋にいれ、草そのものはできる限り、根ごと引き抜いて枯らしてしまうようにしています。 まあ、そういう仕事はたくさんあり、細々とやっています。
歳末助け合いの募金をもう一人の委員といっしょに、担当区域内にある会社にして訪問してお願いしていただいていきました。
誰も忙しいですから、たまたま社長さんが仕事で留守だと言うところもあります。そういう所は、後日また出直してお願いします。
枯れてしまった柿の木にひこばえが出てきたとか、幹からも枝が新しく生えてきたという話は以前しましたが、その後も順調に延びてきています。
これで、厳しい冬が心配なのですが、来春また新芽が出てくると、それでひと安心できるかなと思います。とても嬉しいです。
ぜひ、生き返ってほしいなと思います。私と一緒に大きくなり、同じ時間を重ねてきた庭の柿の木ですからね。
ちょっと、大げさな言い方ですが、独特のうまくは言い表すことが出来ない思い入れがあります。
今年も、センブリの花が咲きました。真っ白なので、目立ちます。すぐに、「 あ、センブリが咲いた 」と気づきます。
煎じて飲んだことはないです。試しに茎を折ってひと噛みすると、それはもう苦いことにがいこと。
ナツメという木に、このような果実がなります。食べられます。うす甘いのですが、さっぱり美味しくはないですね。
私がまだ小さな子どものころは、終戦後でしたので甘いものはあまり無くて、こういうものもそれなりには美味しくて食べたものでした。
今は、贅沢になってしまっていますからね。美味しくないですね。それでも、これもきちんと肥料をやって、上手に栽培すればもっと美味しくなるのかも知れません。
せっかくあるものなので、時には木が枯れることもありますから、数本は育てておこうとおもっています。我が家での絶滅危惧種にはしたくないなと思っています。
若い頃に流行った曲を集めたCDを、ランダム(順不同)によく聞きます。聞いたものは、重ねておきます。
もう、さんざん聞いて聞き飽きたはずなのですが、時間をおいて久しぶりに聞くと、あの自分の黄金時代だった頃が思いだされて懐かしいです。
CDは傷つかないし、腐らないので良いですね。
家の後ろの方にある保育園の子どもが遊びにきました。ドングリがたくさん落ちている木の下に行って、ドングリ拾いをして遊びました。
クヌギと言う木のドングリで、こんなに丸っこい形をしています
こんな風にして一本のロープにつかまって歩いてきました
置いてあるのをみたら、こんな形をしたロープです 手作りらしかったです
天気が良かったので、先日収穫した落花生の殻を全部むいて干してから、ドライブにいってきました。
隣の栃木県にある栃木市という、昔の蔵がたくさん残っている街へ行きました。
これは蔵の中を改造して、美術館にしたものです。
好古館の看板もさながら、その隣にある「 日光例幣使街道 」 と言う標識を撮ったつもりです。
例幣使というのは、江戸時代に朝廷から徳川家康が祀られている日光東照宮の祭に派遣された使いのことを言います。
その使いが通る道のこと例幣使街道と言います。
あちこち、散策してきました。観光客もけっこう来て散策を楽しんでいました。
久しぶりになかなか良かったです。
家を出てすぐに高速道路があるので、殆どが高速で行けますので、距離の割にはたいして時間はかからず一時間とちょっとで行くことが出来ました。
昨夜は雨が降ったようです。猫に夜中に起こされて、降っているらしいということを感じました。
夢では無かったようで、水槽の水が増えていました。
今日はカラリと晴れました。ですが、じっとして風を浴びていると寒いくらいになりました。
秋の青空はきれいですね。雲も一段と白く感じます。
キバナコスモスはあっちこっちで咲いていますが、もうおしまいですね。
花が全部落ちて、種や茎のところが濃い茶色になってしまい汚く立っているものが目立ってきました。
どんどん片付けてはいますが、次からつぎへとそれが増えて来ています。
家の近くの県道は細くて、大型車がすれ違う時には気を遣うくらいの幅です。昔からのサイズです。自転車で通る中高生や小学生など、登下校が心配です。
センターラインなど引ける広さが無かったのですが、今度ひろがることになりました。
先ずは電柱の移動です。クレーン車が3台きて三本の電柱で一斉に工事をやっています。
子どもの頃からの景色が少しずつすこしずつ変わって行きます。
レストランの入り口の飾り 店に帰るということなのでしょうか
私も少しずつ年を取ってきました。
偶(たま)にはちょっぴり後戻りしてくれても良さそうなものを。
↙
蛙に因んで若蛙(わかがえる)。・・・・・・・・
青空を見上げゾクっとする神無月
神無月耳の中にはまだ蝉が 耳鳴りでした
小学生姿が見えぬ神無月 少子化
年寄りの散歩姿の神無月
田をわたる風にふるえるひつじかな
「刈り取った稲の株から再び生えてくるひこばえを穭(ひつじ)といい、
一面に穭の生えた刈田を穭田(ひつじた)という。」 (『俳句小歳時記』大泉書店)
寒くなりました。何となく脚から足首あたりにかけて、スースーと涼しさを通り越したような寒さを感じる季節です。
もっとも、もうあと10日も経たないうちに11月ですからね。寒くなっても当たり前です。
多少、降るんじゃないかと不安な時もありましたが、幸い晴れでした。
ツバキは花の準備をしています。少しずつ蕾が膨らんで来ています。
一方、こちらはハッと気がつくと、栗の大木の穴にシメジらしいキノコが生えていました。雨はふらなくなったので、すこし張りがなくなっていますが。
フルート教室から帰ってきたら、井戸コガの上にダイコンが一本
一月末に行われる、フルートの先生の門下生たちの発表会があります。もう、その時の課題曲が決められていて、それを教わっています。
今回は最初に6小節の前奏があり、途中で19小節のピアノの間奏が入ります。どちらも、演奏し出すタイミングが難しいです。
何せ、そういう経験はほとんどしていませんから。でも、必死に練習してそういう経験を積み重ねることが大切でしょうからね~。元気を出してやるしかありません。
辛くなったら逃げよう。逃げ切れるなら。
気が弱いお前には逃げ切れることなど出来はしない。
山の向こうには、もっと良いことがありそうな気がする。
行ってみると良い。今より良いことがあるよ。
しかし、振り返ると今の方が良いと思うかも知れない。
艱難辛苦集より
音楽ファイルやら画像ファイルを、どんどんハードディスクに入れておいたら、満タンになってしまい、ブログように新しく撮った写真を、ハードディスクに入れることが出来なくなってしまいました。
それで、その整理にかなり時間がかかってしまいました。間違えて削除してしまった画像があったり・・・。
日頃から、きちんと整理しておかないとダメですね。とは、思うのですが普段はやっぱりいい加減にしたままになってしまいます。まったくしょうがないですね。
昨晩は、お月見でした。暗くなると良く撮れないので、夕暮れ時に東の空に上がったお月さんを撮りました。
今年も、ススキを取ってきてお供えをしました。団子の代わりにおはぎにしました。
今年も、この花が咲いています。覚えていたはずなのですが、名前はど忘れをしています。
近くで見ると、なんかいいな~と思うのですが、これはその気になっているとやたら増えます。
そして、ツタを四方八方に張り巡らせて、あとで剥ぎ取るのがちょっと大変になります。ほどほどに生えさせておく程度が良いかなと思います。
外でお茶を飲んでいたら、こいう蝶が来て盛んにあちこち飛び回っています。これも、名前は分かりません。
今ごろになると、あまり蝶もいなくなってきていますので、珍しいと思って見ていました。地面にとまって呼吸をするように、羽根を閉じたり開いたりしていました。
海辺の街の風景。道路のところで段差ができて、それがずっと段になって海岸まで続いています。
今日も良い日でした。今日はファイル管理に時間をたくさん取られてしまって、更新が遅くなってしまい、内容も適当になってしまいました。
「 もう、ここで70年生きているけど、こういうのは初めてです 」 と言うような場面を、このごろよくニュースで見ます。
信じられない災害が、日本のあちこちで起こっていますね。まったく、困ったものです。
ネットのニュースでは、砂漠の国カタールというところでは、一日に一年分の雨が降ったとかで、洪水が起こったそうです。
砂漠の国で洪水とは・・・・・。 たまげた・駒下駄・日和下駄。
自然界でも驚くことがありますが、人間界では驚くことばかりです。そして不条理な事件が多いこと。
我が家でも、ちょっと驚くことがありました。木の上の方を見たら、あれ~~~? なななんだ、巨大トカゲが木登りをして・・・・・。
と、思いきや。なーんだ枝が折れて枯れたところが、まるで大きなトカゲが空をみているような格好にそっくりだったわけdす。
台風で倒されたり、枝が折られたりしたコキアが目立ったので、この辺りに生えていたものは全部抜いてしまいました。
それで始末に困って、こんな風に重ねました。そのうちに雨がふったりして、ペシャンコになってしまうと思います。
この作業だけでも、けっこう汗を掻きました。仕事をすることは運動をすることに近いですね。
そういう作業をしていると、あっちに行けば後からついてくるし、またこっちに来ればついてきます。かわいいものです。
できれば、手伝ってくれるともっと可愛いのですが・・・。
柚子がちょっと色づいて来ました。
ですが、まだ大半は緑色をしています。まだ、慌てることもないですが、今の家のあるところに住んでから68年になりますが、何度植えても枯れてしまって、ほんの数年前にやっと根付いた苗です。
寒いので、美味しく食べられる蜜柑のような柑橘類は育ちませんが、柚子とかカラタチなどは何とか根付きます。
県内でも、もっと北の山や海が近くて陽だまりの出来るところでは夏みかんなどが採れるところもあります。
その土地の地形によって大きな違いがあるようです。我が家は惜しいかな ちょっと寒い地域にあるようです。
地震・雷・火事・竜巻 親父は落選です
地震・雷・火事・カーチャン
地震・雷・火事・息子(または娘)
猫に小判
犬に広辞苑
猿に論語
私にダイヤ
青空なのに、わずかですが雨が霧よりやや大粒ていどの大きさで降ってきたりして、どうも天気が安定しないようです。
しかし、これでもまだ良い方で、竜巻などが起きたらそれこそ大変です。テレビでは、そういう場合には 「 頑丈な建物 」 に避難してください。と、何度も言っていますが、頑丈なというのはどういう建物なのか。
私の住んでいるところにはビルなど一つもありません。あったとしても、「 はい、ごめんなさい 」 と、気軽に入れてもらえるのかどうか。
クヌギの木の下に、ドングリがたくさん落ちています
別に、文句を言うつもりはないのですが、報道するにはそのように注意を促すことは必要でしょうが、はて?ビルなどないのだが、と私と同じ気持ちになる人たちは多々あると思います。
午前中は、大汗をかいて垣根の剪定をしました。ツルのある植物が植え込みの中から生え出していて垣根の頂上部に這い上がり、きたなく繁茂しています。
これは根こそぎ退治しなければ年々茎は太くなるし、根っこもしっかりしてくるので、いちいち屈んで枝切りばさみを土中に刃先をつっこんで切ったり、それでもダメならノコギリで根っこを切り取るほかないです。
疲れる仕事です。剪定は進むのがかなり遅くなります。
脇を通っている細い道路は私の山を通って右に迂回し、その先にある太い町道に交差するよう、どうやら工事は完成したらしいです。
これから検査を受けて、通れば開通なのでしょう。
左に真っ直ぐ伸びる古い町道は、太い道路に交わるところで五差路になっているので、閉鎖するのだそうです。
ここに、ずっと長く垣根がありました。もう刈り込む必要はなくなり、これからは楽にしていることが出来ます。
道路が一本新しく通ると、かなり景色が変わるものです。ずっと広いと思っていた私の山林も、新しい道路から見れば、ずいぶん狭くなったなと思いました。
もっとも、その分だけ草刈りをしなければならない面積が狭くなるわけですから、私はずいぶん楽をすることになるわけです。嬉しいです。
毎年、山が荒れないようにとやっているこの草刈りは、私にはかなりの負担になります。ぎっくり腰の一歩手前くらいに腰が痛くなります。
見事に晴れたかと思うと、もくもくと妖しい雲が広がり、パラパラと雨粒が落ちてきます。と思っていると、また晴れたり。
奧さんは洗濯物を出したり入れたりと忙しい日でした。まったく空におちょくられた一日でした。
ドウダンツツジが紅葉しはじめました けっこうきれいに赤くなります
先ずは、堆肥の切り返しをやりました。大汗をかきました。
切り返しというのは、木の葉などをただ腐らせた場合は.雨水などが浸透せずに、乾いた団塊が出来てしまう可能性があるからです。
1~2 度は、そういう塊を崩し壊し、混ぜこぜにする作業をします。それを切り返しと言っています。
ラッカセイを作ったのですが、もうそろそろ良いかなと思って収穫しました
抜く前はこんな具合だったです。細くて赤い糸の膨張ネットをかぶせていました。
特に端っこのところは四面ともピタッとネットが土に着くように重石をしておきました。
カラスがピョンピョンと跳ねてきて、端っこをほじくり実を食べるからです。端が大事です。
ラッカセイはカラスの大好物ですからね。
出来具合は良かったです。かなり大きくなっているものが多かったです。やっぱり、肥料をきちんとやっておくと、応えてくれるようです。
この夏は極めて小雨だったのですが、その影響は受けなかったようです。ラッキーでした。
収穫してから乾燥をしなければなりませんが、ちょうどビニールハウスが空いているので、熱しすぎないように両サイドをある程度の透き間を作り、開けっ放しにしてあります。
そのままですと、これまたカラスに入り込まれそうなので、膨張ネットをカーテンのようにぶらさげました。
入り口もネットのカーテンを下げて入れないようにします。彼らは羽根に損傷を受けるのを嫌いますから、効果は抜群だと思います。
鳥のように飛べると良いなとおもいます。渋滞無しで、いろいろなところを見て歩けますネー。
見て歩きは大好きです。しかも、観光地では無いところを。「 こころ旅 」 はフツーの景色の中を自転車で進んでいきますが、そのフツーの景色が面白くて大好きです。
下らないものでも、せっかく書いたものだから、たくさんの人に見てもらえるとイイナとは思ってはいます。
しかし、ブログのランキングには関心がないので、一応は日本ブログ村というのに入っていますが順位が出るので、今はバナーと言われるページの最下部に出るマークは見えないようにしています。
今日は、また曇かなと思っていたのですが、そのうちにあれよあれよという間にきれいに晴れてしまいました。
よかった。やっぱりしばらく曇の日が続くと、この明るい青い空が良いですね。
保育園生が来てさつま芋を掘っていきました。たぶん一番年上のクラス?かなと思います。
そう言えば、クラスという言い方は無いのかも。では、何と言っているのでしょうか。〇〇組とでも?
ヒマワリももうお終いです。倒れるものも出てきました。このヒマワリは大好きです。
大きすぎず、出しゃばりすぎずやさしく、たくさん咲きます。
リュウキュウアサガオはまだ咲いています。ですが、今年は極端に花の数が少なかったです。
蔓や葉っぱは例年通りに旺盛だったのですけどね。天候のせいかなと思っています。
ちょっと暗い画像ですが、猫のミーちゃんはブログの更新を始めるとどこからかやってきて、私の膝の上で睡り始めます。
同じ姿勢でいるとだんだん足が痛くなるんですけどね。でも、ぐっすりと寝ていると動いてしまうと目が覚めてしまいますので、それが気の毒で。
コロを亡くしてからは、なんかもっともっと優しくしてやらなければ、という気持ちが強くなりました。やっぱり寄ってくるものは可愛いです。
灰句
風青く やや黄味がかる 時がすぎ
朝顔や さつま芋まで 多雨のせい
子供らの 笑顔をかくす でかい芋
本を読む ページの上に 赤トンボ
赤トンボ 「あなたの夢を 諦めないで」
夢をあきらめないで 岡村孝子
ブログの更新をしようと思ってパソコンを立ち上げたのですが、その間にいつの間にか眠ってしまいました。
この頃、ものすごく寝つきが良いです。なかなか眠れないよりずっと良い方かなとは思っているのですが。
すぐに睡るのは癖になってしまったようです。
なかなか天気がはっきりしません。昨夜は明け方頃に雨が降ったようです。今日は、なんとか降らないでいます。
午前中は一人暮らしの年寄りの訪問に行って来ました。みなさん、元気でした。
一人、留守だったのですが、その近所を歩いていたらな~~んだ、近所に行って入り口のところのベンチでお話をしていました。元気で何よりです。
そういう風景というのは良いものですね。
「 座って、一緒に話でもしましょう 」 と、その家の主が言うので敷地の広い入り口に置いてあったベンチに座ってしばらく世間話をしてきました。
同じ町内に住んでいても、なかなかそういう機会もないので遠慮しないで、しばらく話をしてきました。楽しかったです。
今日は、もうスズメバチは仮に飛んでいても子育ては終わっているので、向かって来て刺すようなことはしないだろうと思って、自転車で出かけました。
しばらくぶりの自転車は、それなりに足の筋肉も衰えてしまったのか、けっこうきつかったですね。それに、電動アシスト自転車は、電源を入れないで乗っていると、重量があるので、かなり負担になります。
平地は運動の為に電源は入れないで乗っています。
この人なんかは、毎日乗っているでしょうから、軽い自転車に乗っているせいだけではなく、体が慣れてしまっているので、あまり疲れないのでしょうね。
岩手県の久慈市なのだそうですが、彼が指している先は、この石の塔の頂上なのですが、そこまで津波が高く押し寄せたのだそうだと言っている場面です。
隣町まで藤田嗣治展を見に行ってきました。先日、NHKが彼のことを詳しく報道する番組をやっていたので、見たくなりました。
入場するときにもらったものにあった絵です
隣町と言っても、今は市町村の合併があったので昭和の時代なら間に二つ別な町が入ってしまうくらいの離れた距離にあります。
その後、街を少し散策しました。気晴らしになりました。