きのうは、典型的な冬空の一日でした。一日中曇りで風があり、とても寒い日でしたが、そんな天気なのにどうしてか一日中外にいました。
デジタルテレビに強制的にするという、政府の方針には大反対です。が、いつまでも各国に遅れていてはという気持ちもあるのかなとも思います。問題は買い換えですね。
私の場合は、コメントへの返事にも書きましたけど、テレビはいずれ長くはかからずに壊れるものだと思って、完全デジタル化までの時間を考え、かなり前にアナログ式のを買うのを止めにしていました。計算通りに二台だめになりました。残りの一台が健在です。でも、あと四年持つかどうか。
ビニールハウスが破れてきました。何とか今まで古いビニールなどを充てて、ごまかしてきたのですが、いよいよ駄目です。
こんな破れ目があちこちにあります。この部分は、暑いときには巻き上げ、寒いときには下げるということをしょっちゅうやっているところなので、傷みが激しいです。
「破れ傘刀舟」というテレビ時代劇がありましたっけ。中村(萬屋)錦之助がやっていました。どうして思い出したかと言いますと、CSテレビでやることがあるからです。「てめぇら。ゆるせねぇ。たたっ切ってやる。」と、かん高い声で叫びますね。医者なのに悪人とは言えども人の命を奪うという矛盾。
このハウスは破れハウスです。題名をつけるなら「破れハウスどうしよう」です。主演は温泉亭主(spa)。そのほかの脇役はコロとミーちゃんと烏骨鶏多数です。悪役はトウモロコシやイチゴを食い荒らし、卵をかすめていく悪党のカラスと、キャベツや白菜に穴を開けて平気な顔をしているヨトウムシ。それに加えて、茄子を食い荒らすテントウムシダマシ。ストーリーはこれら悪党と戦う、破れハウスを根拠地とする温泉亭主とコロやミーちゃん、それからその他大勢の烏骨鶏たち。それがなんとか努力の末に、、、、。いや、まだ話すのは早い。
天井も大きく裂けて、なんとか修理で間に合わせています。台風のような強風がきたら、風が中にはいって、骨ごと吹き飛ばされ裏返しされることになります。そういうのを隣の畑で見ました。そうなると骨は曲がってしまって、もう使えません。
それで、ビニールを張り替えることにしました。これはちょっと大仕事なのです。まず、半分から下の部分をはずします。それには裾の部分は土に埋まっていますので、周りをぐるりと掘り起こさなければなりません。
長さが10m以上ありますから、時間がかかります。急ぎの仕事ではないので、じっくりやることにしています。
ゴボウも掘ってみました。これは大浦ゴボウです。クズゴボウが多いです。それに一番太いのは、断面が円でなくて楕円形です。でも、ゴボウはゴボウです。ゴボウの味と食感があるはず。出荷するものではないのだ。と、開き直り。しかし、ゴボウってのは見栄えが悪いですね。大根のように女性のふくらはぎは連想しませんね。これは男の痩せたスネっぱぎです。
その、よりによって寒い日に、午前中も午後も外にいられたのは、こんな汗ばむ力仕事をしていたからです。寒さが助けになりました。最初は、外に出るには勇気がちょっと要りましたけどね。
掘りながら考えました。葉物は収穫が楽です。根菜はやや大変。ゴボウやヤマイモはものすごく大変。穀類は取り入れてからがたいへん。茎を切り離し、脱穀して干さなければなりません。葉物はすぐに食べる。例外は漬け物。根菜は比較的長持ちする。一番持つのは穀類。
人間は、大昔から農作物の特徴をうまくつかんで、やりくりしてきたんですね。我々は昔の人たち、つまり我々の祖先の努力のおかげであぐらをかいて生活できるんですよ。ありがたいものです。つい忘れがちですが、祖先の恩を感じ敬うべきです。以上。道徳のお時間は終わり。起立 。礼 。着席 。
チンコロワンワン(ヤブラン)の実が生りました。今は、この実で篠鉄砲を作って遊ぶ子供はいません。やがて小鳥が食べにくるんでしょう。
昨日は、ライブドアのブログにコメントが書き込めませんでした。なにか不都合がプロバイダーの方で起きていたのかも知れません。今日はなおっていたら書き込みますからね。
曇りの日は、やたら暗い日になってしまう時節になりました。今朝はとても夜明けが遅いです。なにやら雨になるとか。もっとも台風が来ていますからしかたないですが。
しばらく前に買ったテレビが、とうとう駄目になってしまいました。画面が突然うすい黄色な幕を張ったような色になってしまい、それが続くとパッと元にもどったり、まるでネオンサインのようにそれが点滅するようになったりしていました。
我慢して見ていたのですが、とうとうこりゃ駄目だということになり、ついに、とうとう、やっとのこと、なんとか覚悟をして買い換えてしまいました。
最初は古いアンテナ下ろしです。何やら硫黄島を思い出させるような構図になってしまいました。屋根の上の二人の持っているものは銃ではなくて、ドライバーだのペンチだのモンキーレンチなどです。平和な構図です。
ついていたアンテナは、私が自分で買ってきてくっつけた最大の大きさのアンテナです。これは裏山の木が高くて感度が悪かったので大きなものにしていました。もう古くて一部が壊れています。
電気屋さんの車の中はキョーミが沸きます。なんか楽しそうなものがたくさん詰まっている感じ。
それで、午前中いっぱいかかってやっとテレビが見られるようになりました。壁に穴をあけたり、BS、CSも以前と同じように見られるようにしたので、時間がかかってしまいました。
アブラナが大きくなって密集してきました。これもこんなに食べられませんね。これは一種の風よけになってくれると思います。乾いた土が風で飛ばされないように役立ちます。
これから の燃料が取れないですかね。要するに天ぷら油で走る車が出来ればいいんです。街道沿いにはいつも良い臭いがして、天ぷらが食べたくなっちゃったりして。天ぷらやさんが大繁盛。そのせいで、日本国民全体の体脂肪率がとてつもなく高くなったとかならないとか、、、、 。また想像が深入りしそうなので、このへんにしておきます。
ヤーコンのキンピラです。うす甘くてサクサクしておいしいですよ。味のことですから、これ以上は説明してもしかたありません。芸能人などはよく言っていますよね。「甘くてそれでいてしつこくなく、もっちり感があって、、」とかなんとか言ったって、味そのものは食べてみなくちゃ分からないのだ。
テレビはもちろん地上波デジタルです。この略語は好きではありません。別な言葉を連想してしまいます。もっとましな略語ができなかったのか、その無神経さに少し腹だたしさを覚えます。
つまらないところに腹を立ててるな、なんて言われそうですね。たしかにつまらないことだ。でもマスコミはもう少しいろいろなことに気配りをしなくっちゃね。
今日は寒そう。これからどんどん寒くなりそうな気がします。今日はシャベルで、いつもの穴ではなくて、別なところの穴掘りで、長い溝掘りです。汗がでるまでやります。
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方(どかた)の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
この歌を歌っていた頃は、丸山明宏は男だった、、、、。
本当に夜明けが遅くなり、夕方が来るのが早くなりました。地球の緯度の高いところでは、もっと極端なようです。北極に近いところでは、一日のほとんどが暗闇に近い状態にまでなるそうな。
というと、赤道付近は一年中を通してほとんど同じなのでしょうか。気温もほぼ同じ。違うのは雨期と乾期があること、くらいしか私には分かりません。それも、どういう周期で来るのかとなると、さっぱり分かりませんね。
コロを連れて散歩。まだほんの子供の頃、つまり小学校に上がる前のことですが、近所の二つくらい上の子供が 「散歩しているんだ。」と言ったのを覚えています。どこで言ったかも覚えています。本宅の脇に道があって、そこが切り通しのようになっていて、そこで言ったんです。
私はなんのことだか分からなかったですが、「三歩以上歩いているじゃないか。」と思ったことをはっきり覚えていますね。さんぽ 違いです。ブラジルではサンバ。赤ちゃん取り上げるのは産婆。議論によくあるのは賛否。童話にでてくるのは ちびくろサンボ。
近くに運動公園があるので、そこにコロを連れていきます。公演の中は野球をやっている人以外にはいないので、放してやります。途中まで行ってから振り向いて、「もっと行っていいの?」 と言いたいのか、こっちの様子をみるんですよ。カメラを意識しているわけではありません。
コロで思い出したのは車の名前コロナ。こんな歌がありましたっけ。
ニッサンするのはパッカード 骨のずいまで シボレーで あとでひじてつ クラウンさ ジャガジャガのむのも フォドフォドに ここらで止めても いいコロナ ~~
通算、三台も乗った車です。乗用車に徹していてとても良い車でした。
掲載が遅くなりましたが、リラさん から だだちゃ豆 をもらいました。ありがとうございます。茶色い。少し調べてみたら、山形県の鶴岡市でしか取れない と書いてあるサイトがありました。埼玉県で取れるじゃぁないか。 とすると、茨城県だって頑張らなくっちゃ。ニャンパルさんに怒られるかもしれませんが、浦和の赤に勝った鹿の角だって頑張ったんだから。サッカーの扇でもないですけど。とにかく、茨城でも作れるのではないでしょうか。腕のほどは自信がありませんが。
近くで見ると、やっぱり何となく大豆のようです。だだちゃ というのは父親という意味だそうです。これはどこのだだちゃの豆かね? ときいたことからだそうで、、、。 父親というより、父ちゃんとか、親父という感じなんでしょうね。 http://www.dadacha.jp/dadacya/dada03.html に名前の由来が書いてありました。
はっきりは言えませんけど、私の今までの大変すくない知識から判断しますと、枝豆は黄色い色をした普通の大豆より、青とか黒とか茶色とかと、べつな色が付いたものの方が、よりおいしいという感じがするのですが、、、。、、。
わが家の畑にある新芽です。しんめと言えば「しんめ」という方言が私どもにあります。「知らないだろう」という意味です。「おめーら、こういうのを知んめぇ。(お前等はこういうのをしらないだろう)」のように使います。
話は戻って、こういうのを見ると、とても嬉しくなります。「お、できてるな。」という感じは、釣りをしていて「お、引いてるな。」と思うのと同じうれしさですね。世話をして育てていると、出来るものだなぁ としばし眺めるわけですよ。ささやかな喜びと楽しみです。
カリフラワーとは兄弟くらいの関係にあるとか。築地市場からの情報です。お昼頃、築地からの中継でやっているんですよ。
一発屋のヒット曲、「バラが咲いた」。一発ヒットすると、あとはでたらめでもやらない限りは、ずっと食べていけるんでしょうか。「二人で名前消して~~」と歌う曲は名前が思い出せませんが、あのビンコの長い歌手もあの曲しか歌わないですね。
まだまだ咲いていますよ。ここは梅の木の下なのですが、葉が無くなったとは言え、上になにかあると霜のおりかたが違うんでしょうね。
「良きこと聞く」なんて言葉を鍵にしたミステリーがありましたっけ。よき というのは斧で、ことは琴。聞くは菊。三人娘の名前でしたね。そのミステリーの題名は良く覚えていなくて、はっきりしないのですが「犬神家の一族」だったかどうか。
補) 浦和の赤 = 浦和レッズ
鹿の角 = アントラーズ
扇 = fan = ファン
新芽 = ブロッコリー
11月23日に話題にしました
穏やかな天気に恵まれた三連休も終わり、私を残して奥さんも息子も勤めに行ってしまいましたので、昨日は私は犬のコロと、猫のミーちゃんと、多少の烏骨鶏相手の一日でした。
それぞれ言葉が通じないので、物足りないと同時に煩わしさもないという両方を味わう日でもありました。一方的に私が話しかけ、聞くほうにはさっぱり私の意図とすることが理解できないというのも面白いものです。訳がわからないからしかたないので、尻尾を振ってごまかしていたり、ゴロゴロと喉を鳴らしたりしていました。
畑の野菜どもは黙して語らず。もっとも、大昔のそのまた大昔は、植物も石のようなものもしゃべっていたそうで、それを喋るのを止めろと神様決めたのだそうです。何かに出ていました。
野菜が喋ったらたいへんですね。「あ、まだ早い。まだ取らないでくれ。」とか、「命を全うしないうちに収穫してしまうなんて、殺人(植物だから何というのが正確なのか)の罪ではないのか。訴えてやる。」とか、「なんで俺が産んだ卵を食べちまうんだよ。ひどいじゃないか。人間はみな泥棒だ。いや強盗だ。」なんて、コケーコッコと合唱されたらたいへんですからね。
それこそ、こっちがノイローゼになってしまいます。食べる物なんか無くなってしまう。動物どうしでもそうですね。言葉が通じないから食ったり食われたりと、すんなりいっているんですね。
犬だってそうです。「何で猫だけ鎖がないんだよ。何で俺だけ繋がれていなけりゃならないんだ。」と凄まれたりとか、「一生のお願い。この鎖をほどいて。でないと私死んじゃうから。」なんて泣き落としにかかられた日にゃ、もうこっちの体がねじれてしまう思いになってしまいますよ。
さてさて、そんなバカげた話はさておいて、、、。でも自由にそんなことを考えるのも面白いですね。農園で飼っている動物たちが反乱を起こすという話がイギリスにあります。ジョージ・オーウェルという人が書いた「アニマル・ファーム(動物農園)」という本です。なるほど一理あるなと思わせる本です。
それで話を元に戻したいのですが、何が元だったか。とにかく、、、、霜がおりたので残りのヤーコンを全部掘り出しました。と言っても正確には全部ではないのです。別なところにもあるのです。が、とにかくきちんと作ったところのを掘りだして、それを先日紹介したハウスの中の穴に埋めました。そのあとはトラクターで地ならしをしてスッキリ。
これは茎の根元にじかについている部分です。この紫色のところが来年の新芽になるんだそうです。このまま埋めておくと春には芽がでてきます。
まとめて埋めて、春になったら小分けして植え直すか、いま植えておくという手もあります。私はポツリポツリと離して植えてしまいました。来年になったら追肥で養分はまかなおうと思います。
裏山の仕事は、スズメバチがまだ心配なので、その後は手を出していません。もう霜が何度も降りたくらいだから、大丈夫だとは思いますけど、なにせ二度も刺されちゃっているので、三度目の正直と言う言葉がありますから、用心することにします。
でも、正直に私の気持ちを分析すると、実はもっと巣に出くわして、どんどんやっつけたいというのが本音です。危険なものをやっつけるというのは、快感ですからね。達成感でもありますし、征服欲を満たしたいという気持ちもあります。「やっぱり俺は危険なことが好きなんだ。 」と思いますね。
ニャンパルさん に教えていただいた 「三丁目の夕日」 はこんな感じの漫画なんですね。本屋さんにあったら読んでみようかなと思っています。映画とは雰囲気が違うかもしれませんね。
三連休中は、朝晩の冷え込みこそありましたが、天気に恵まれ、寒い風も吹かずに穏やかな日でした。
畑はどんどん寂しくなっていき、いままで作物があり、その下を緑で埋めていた雑草もなくなり、まるでさら地のような部分があちこちに見られます。
冬野菜があるとは言っても、夏から比べれば、蔓が這い出して多くの面積を占めるようなものもなく、種類ははるかに少ないので、畑全面を覆うどころか、土が顔をだしている部分の方が多いかなと思うくらいです。
やっぱり冬は寂しいですね。その分だけ休めますけどね。日だまりの芝生で新聞や本を読む時間が少しはとれるようになってきました。
いろいろな季節があり、その季節毎にやることが異なるってのも良いものですね。
「always 続・三丁目の夕日」を見てきました。
こんなシーンは無かったナー。これはカレーのCMです。でもあのころは、カレーは大ご馳走だった。今もカレーは人気がありますね。
見栄っ張りの はとこ の女の子が同居することになり、喧嘩ばかりしていたんですが、女の子の性格がどんどん変わり、さびしいお別れのシーンです。男の子が貯金をして、東京タワーにのぼるお金を作っているのかなと思っていたら、女の子のに色鉛筆のセットを買って贈ってあげたという場面です。「大きくなったらお嫁さんになってあげる。」と言われてびっくり。
昭和30年代の設定だそうです。私の中学から高校あたりの頃のことです。東京タワーは出来上がっていました。第一作は、タワーがどんどん高く作られていくシーンが出てきたとか。
原作は漫画なのだそうですが、なかなか面白かったです。それにちょっぴり泣かすシーンもありました。パロディーも結構ありましたね。「君の名は」を彷彿とさせるシーンがあったり、「踊る大走査線」の柳葉さんと同じスタイルと行動をする男がでてきたり、芥川をねらう貧乏作家の名前が茶川龍之介だったり、、、。
夜の8時からの最終公演でした。帰りはおそくなりましたね。
こんなシーンはありませんでした。これは映画でなくって、わが家のプランターのワケギです。時は昭和30年代ではなくて、平成10年代です。今年は畑には植えませんでした。以前も言いましたが畑まで取りに行くのがたいへんですから。
このワケギというのは、ワケギを取ってきたから何を作ろうという食べ方はあまりしませんね。「 ♯♭※ を作ったからワケギ取ってきて 」と頼まれることがよくあるように、作ったものにより使われる材料という場合がほとんどというより、全部です。
ですので、畑まで出ていくのがたいへんなんです。特に今どきは霜どけで履き物に泥がつきますから、長靴にはきかえて行くという手間がかかりますからね。
それより、台所の流しの上によくある手で下げる戸棚がありますね。あのように、縁側あたりにいて手で下げるとキャベツのプランターだったり、こっちのを下げると、、、、。バカらしいから、その話は途中で止めます。ハッと気づきました。いつものように、ついつい。
どうして出ているのかわからないのですが、ハウスの真ん中にこの里芋があるんですよ。あまりにも邪魔なので撤去しました。真ん中は通路になっていますが、そこは肥料分が少ないので、食べられるほどの芋はたいしてありませんでした。
夏中、トマトを取りに行くのに、そうとう邪魔だったはずですが、なぜ早く撤去しなかったのか、自分でもわかりません。無意識に無視していたんですね。
こういうことってのは、他の場面でもあるものです。第三者ならパッと気づくのですけどね。「なんでこれがここにあるの? 邪魔じゃないの?」と聞かれて、「あっ、そうだった。」と気づくものってないですか?
奥さんが、さかんに花の苗を植えてはいるのですが、やっぱり冬は花の数も少ないです。苗では写真に撮ってもしかたありませんからね。
これは うめもどき です。裏山に沢山あって、歩くと足にからまって邪魔です。庭に移したものはきれいな実が生ってきれいです。小鳥はいち早くこの実を食べますが、今年はまだ食べられませんね。山に餌があるのかなと思います。
これは野生ですが、盆栽用に改良したものは実がかなり大きくなって、小豆くらいになるでしょうか。
「三丁目の夕日」に出てきた人たちのように、毎日は穏やかで出来るだけ自分に正直に生きることが一番かなと思いますね。
きょうも、平和な日であると良いですね。
今日は新嘗祭(にいなめさい)の日です。当番になっている班なので、午前8時に地区の公民館に全員が集まって打ち合わせをしました。全員で40数名来ますから大所帯です。
新嘗祭は、今年とれた新穀をもちより、恵みに対して神様に感謝の気持ちを表す祭です。
それからお宮にいって幟旗を揚げます。旗竿は長さがありますから、かなり重いものです。これを竿を立てておく張り綱(支線;トラ綱)を張って立てて、そして幟旗をあげました。
片方あげおわって、もう一方のをあげているところです。幟も大きいので重さがあってたいへんです。
なんとかきちんと決まりました。これが、雨など降ってくるとたいへんなんです。濡らしてしまうと、大きいのでそれを乾かすところを見つけるのが大仕事。
そのままにしてしまうと、くろいカビがはえてしまいます。なので、雨模様の時にはあげないようにしています。
一方、女性たちは公民館でなにやらやっています。
どうやら、これは里芋のようです。これはおいしかったですね。
あとは、神社でお祭りがあり、公民館で当屋を中心に直会(なおらい)がおこなわれました。里芋ももちろんでましたよ。
直会というのは、特別な状態、つまり はれ(晴) から、普通の状態である け(褻) に直っていく時の宴会のことです。
ほぼ一日がかりのお祭りでした。とても疲れました。
ムベです。アケビに似ています。アケビと違って、これはアルコール分がありません。
いまが一番よい色をしています。一度食べてみようかなとも思っています。食べれば今よりは少しはましな状態になるかもしれませんからね。
補)アルコール分が無い = 酒がない
= さけない = 裂けない
昨日は ごじんじ で一日かかってしまいました。明日は 新嘗祭 がある予定で、私の班が当番になっていますので、明日は8時に公民館に集合して準備にかかる予定です。
今日は何もありませんので、そのへんの片付けをしました。柿を全部取ったり、キウィを取ったり、四角豆の手を取りはずして、あの妖怪の姿をつぶしたりしました。蔓はしばらくそのままにしておいて、カラカラに乾かしてから片づけようと思っています。
意外に種は取れませんでした。実が青いまま霜にあたったので、青のままグニャグニャになっています。それでは実は形は種でも、種にはなっていないでしょうね。
四角豆の種は丸でした。
イチゴです。去年植えかえたので、こんどは植えかえません。毎年植え替えをすると良いのかもしれませんが、せっかく根付いてランナーを出して、それが根付いたところなので、そっとしておくことにします。
追肥をわすれると酸っぱいイチゴになりますから注意です。その時にはジャムという手がありますけど。
沢山取れてもイチゴ。おしゃべりしながら食べてもイチゴ(一語)。一生にたった一度の逢瀬は一期一会。酒の弱い人は飲んでも一合。雪国は越後。・・・・ また行き過ぎてしまった。
近くではこんな感じです。畝をつくって植えたのですが、ランナーが畝の形を見えなくさせてしまいました。まあ、おいしいのができれば何でもいいです。イチゴ農家のような世話はできないので、こういった具合でやるほかありません。
子供の頃は、おばあさんの家に行くと春はイチゴがいっぱい生っていました。おばあさんひとりなので、食べないのでしょうか。私が全部食べちゃいました。そのおいしいイチゴが今でも忘れられません。おばあさんとイチゴの思い出です。
ほんの一部ですが、タカノツメを取りました。近所の人の話しによると、トンガラシの部類は陰干しが良いとか。それで、日向においといたのですが、陰に持っていきました。
なんでタカノツメというのか分かりません。とにかく動植物というのはおかしな名前がついていますからね。謂われはあるんでしょうけど。
あまり辛いものが多いと、元の味がわからなくなってしまいます。ちょっと締まりをつける程度の辛さが欲しいことがありますから、これは重宝します。
よく、味を引き出させるという言い方がありますが、その引き出させる程度というのが良いですね。
白菜の漬け物などに、よくニンニクなどをいれる家庭がありますが、私のばやい(場合)は白菜と塩分だけのものが好きです。入れてもタカノツメを少々ですね。ニンニクに白菜の旨みをごまかされてしまうような気がして。まあ、人それぞれでしょうけどね。
そばなんかも、もり が一番そばの味を感じるでしょうね。水で食べるなんてのもありますが、あれはちょっと無理しているかなと思います。つゆにつけるくらいはしないとねー。つゆがそばをよりおいしくさせてくれるんですからね。
天ぷらそばなんてのが一番そばの味をわからなくさせているような気がします。ただのそばであれば良いような。というのは多少言い過ぎですけど。
露と落ち露と消えにし我が身かな
浪速のことは夢のまた夢 豊臣秀吉
そういう辞世の歌を思いついちゃったのです。 つゆちがいでした。
そんなことで、今日は更新する時間が遅くなりました。え?どんなことで?と聞かれそう。片づけものをしていたからです。
ずいぶん早い雪の訪れのようですね。紅葉を見に行ったら雪景色だったとか、雪が降る前に山の訓練をしようとしていたら、雪が降って雪崩になり遭難してしまったとか。
雪がたくさん降るというのは、今どきあまりにも突然なことなんだそうですね。突然というのは面食らいますね。
今日もこのあたりは良い日ですよ。風が少しありますが、仕事をしていては涼しいくらいです。明日もあさっても良い日だと良いです。むりかな。
今日は11月23日。勤労感謝の日です。サラリーマンの人たちは三連休の初日ですね。
この日は私たちの地域では ごじんじ と言って、お祭の日です。子供の頃は、この ごじんじ というと、いろいろなご馳走を母が作ってくれたものでした。ミニ正月版と考えれば良いでしょうか。甘酒が飲めるので嬉しかったです。
甘酒を飲む茶碗は、ご飯の茶碗がほとんどでした。理由はわかります。米の粒が流れ落ちやすいからです。茶飲み茶碗などでは、最後にやわらかな米の粒が残りますからね。
ごじんじ って、未だにどういう漢字を充てるのか、どういう意味なのかが分からないのですが、想像すると 御神事 のことなのかなと思うのですが、それは発音だけから類推しているだけで、正解の強力な根拠にはなりません。
今日は神社ではお祭りがあります。つぎの日、つまり11月24日には新嘗祭(にいなめさい)という祭があります。本当は新嘗祭は23日だったのではないかと思います。ごじんじ は10月15日だったとか。
ブロッコリーができました。売っているくらいの大きさになりました。青虫に食べられてもたべられてもがんばってくれました。私もずいぶん取り払って協力しましたけどね。
どんな意味なのだろうと思って、いろいろなサイトを見てみたところ、書いてありましたね。その知識を拝借しますと、芽とか茎という意味なんだそうです。イタリア語だとか。意味が分かればな~~んだですけど、日本語では名前になりませんね。「今年の芽は良くできたよ。」「何の目? 猫の目? 蛇の目?」なんてね。め 違いを起こしたりして。
イタリアでは、どう区別しているんでしょうね。「やあ、今年のブロッコリーはすばらしいなぁ。」と言うので、食べるブロッコリーかなと思って、山々の新芽が素晴らしいという意味だったりして。勘違いした人は、全山がブロッコリーだらけだと思い、どこなのか見に行ってみたいなんてね。
寒さが来たので、アスパラ菜のように、同じ房の中でまだ蕾があるうちに花が咲いてしまう、というような現象は起きなかったので助かりました。
前回の写真とあまり変わりがないように見えますが、たぶんわずかでも太っているのではないかと思います。
下仁田ネギは初めて作っているのですが、これくらいになれば、もう食べられるのかなと思っています。鍋ものも始まったことだし。焼き葱なんてものやってみたいです。
りんどう がまだ咲いていました。島倉千代子の歌を思い出します。
昔は、ごじんじ の日がまちまちだったので、互いに懇意にしている家に呼ばれたり呼んだりして、家々で宴会をもよおしたようです。
それで、この地域は生活簡素化の運動により、どの地域も ごじんじ が11月23日にまとめられてしまったとか。ですので、私の町内以外の地区では、今日が新嘗祭並びに ごじんじ になります。私の地域は、神社のもともとのお祭りが引っ越しになって今日になったので、新嘗祭が一日遅れになってしまいました。新嘗祭は今はつぎの日曜日に行うことになっています。
ややこしいです。
そんなややこしい三連休の始まりです。
寒いけど良い朝です。
野菜作りは、適量に作るというのが難しいですね。たいていは作りすぎです。作りすぎは食べ過ぎにつながります。
作りすぎの原因は、ちょうど良い量かなという程度では、なにかあったら出来ないでしまうのではないかなという不安があるからです。それから、これくらいだとすぐに食べ尽くしてしまうのではないだろうか、という心配が生じるからです。
それは、自信がないからでしょうね。多めに作っておくと安心できます。しかし、本当はそういう理由は たてまえ のような気がします。実際は欲張りだからかなと自己分析しています。
昨日は、とある所に行って事務的なことをやっていたので、せっかくの良い日だったのに、ほとんどお日様の暖かい日射しを浴びないでしまいました。もったいない。
でも、他の三人と仕事の合間にいろいろな話ができましたので、刺激になりました。たまには人にあって、いろいろと雑談するのも良いですね。
妖怪四角豆も、だんだんここで勢いがなくなってきました。もう霜を何度も浴びていますからね。ここで朽ち果てるのではないかと思います。でもまだ緑なんですよ。茶色になったら、一気に解体しようと思っています。
これは何だか分かりますか。海のものか、それとも山のものか。海にあるわけないですね。
秋の夜を長しと言えど積もりにし
恋を尽くせば短くもありける
突然ですが、万葉集を読んでいたら、巻第十(第十巻)に誰かが作ったものがありました。つまり詠み人知らずです。
秋の夜は長いとは言っても、積もりつもった恋の思いを晴らすのには、なんとも短いものだ という意味なんでしょう。若い頃は楽しいですね。
私は若くないのですが、気持ちは若くてまだ二十代です。でも私の場合は恋心ではなくて、いろいろな世の中の雑事を考えていると、それはもう長い夜なんてありませんね。
こんな危ないのもありましたよ。
黄葉(もみじは)の過ぎかてぬ子を人妻と
見つつやあらむ恋しきものを
もみじが過ぎてしまうように見過ごすことができないあの女(こ)なのに、人妻だからじっと見ていなければならないのだろうか。こんなに恋しいのに。「黄葉の」は「過ぎ」の枕詞で、「かてぬ」は不可能という意味だとか。やり過ごすことが出来ないということでしょうか。
大昔も人の思いは同じですね。こういう歌は現代でも新鮮です。大川栄作の「さざんかの宿」と同じような世界に突入寸前の歌ですね。いままさにわが家では赤だのピンクだのと、山茶花の花は満開の時です。
上の赤い球をみていたら、それがルビー見みえてきて、そんなことを考えてしまいました。「あ、畑のルビーだ」なんてね。
これは、アスパラガスの実です。この赤い球の中に黒い実が入っているのです。みなさんに考えていてもらうあいだに、万葉集の歌を二つご紹介したまでです。万葉集も面白いですね。
撮ってから少し日にちが経ってしまいましたが、ターサイは何とかそれらしくなってきました。一部、虫にやられたものもあります。白菜とキャベツの虫取りに気を取られていましたから、こっちはほったらかしでした。というより、虫がつくなんてことは考えもしませんでした。野菜ですから、虫がつく可能性はあるのに、私にとっては初めて作るやさいなので、頭がそこまでは回転しなかったんですね。回転しなかったのだからどうしようもない。
回転寿司ならいつだって行きたいですけど。だいたい十皿ですね。これを越えるか越えないかです。越えると言うことは、ルビコン川を渡るかどうかの覚悟が必要で、今なら海外旅行に行くような覚悟が必要です。何で? と言われそうなので、説明します。(ここで改行)
それはお金の問題ではなくて、栄養過多の問題だからです。なんか十皿までなら安全圏のような気がするんです。そんなわけないのにね。ハッと気が付けばターサイとは関係なかった、、、。
今日は晴れるのかどうか。外の今の様子はまだ暗いので分かりません。そうとう寒くなってきました。石油ストーブをたくようになりました。今朝も霜がおりるんでしょうね。
4時に起きたら、すぐに猫のミーちゃんが外でニャンと私を呼びます。毎晩、外ですからね。毛皮を着ているので寒くはないんでしょうか。夏も冬も、この毛皮一枚で過ごしているわけです。これこそ正に正真正銘の一張羅(いっちょうら)ですね。負けた~~ 。
そろそろ夜明けが近いので、時間的に腹が減ってきたんでしょう。家の近くをうろついているんですね。いつ眠るのかなと思いますよ。あ、昼間でした。昼間はいつも座布団十枚でした。
補)ルビコン川を渡るかどうかの、、、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1474407.html
をご覧ください。
暑い夏が長かったので、ついこの間まで夏だったような気がして、どうも霜がおりているのが実感できません。そういう気持ちなせいか、今年は種まきをしないでしまったものがいくつかあります。一番の失策はスティック・ブロッコリーです。これも蒔かないでしまいました。アスパラ菜は、かなり遅く蒔きました。出ないかも知れません。明日はパラパラ出るかなと、毎日思っているのですが、、、。
気候のせいばかりでもないでしょうね。タイミング悪く、外出が続いたなんてことも、忘れさせる一要因であります。もう一つの要因は ど忘れ です。これがくせ者ですからね。この頃は、畑と物置との間の往復が多くなりました。道具類を持っていくのを忘れるということです。
老化現象であることは確かなのですが、それに加えて、一度にいろいろなことを考えているせいもあるだろうと思います。たとえば、種まきをしている最中に、モン・サン・ミッシェルのことを考えていたりとか。
フランス語は分かりませんが、たぶん モン は山、つまりマウント。例えば モン・ブラン は ブラン山 ですね。無理に和訳をすると、なんか変ですね。逆に「月山(がっさん)」などは、英語に直訳するとおかしいですね。マウント・ガツ。おかしい。
モン・ブランと言えば、この頃すぐに思いつくのがケーキ。私はモンブランが大好きです。
ケーキ選び 迷ったときにはモンブラン
次に ブラン とは何だろうかと考える。想像ですが、たぶん英語で ブランク つまり空白の 白 でしょうか。というと、全部訳すと「白い山」。
マッター・ホルンなんていう名前の山がありますが、あれは想像でしかわかりません。「待ったー・ホルン」つまり、ホルンはここではあまり出しゃばらないで待っていろという、オーケストラの中のことなのか。そんなことあるわけない。ネットで調べたら、マッターは牧草地。ホルンは山頂という意味だそうです。そう言えば ホーン は 角 でしたっけ。あの楽器は 角 角笛 ホルン という流れになるんでしょうか。
サンはセイント、つまり 聖 。ミシェルはマイケルで人名。無理に訳すと 「聖マイケル山」 かな? 想像ですから、間違いかもしれません。
脱線してしまいました。それで、忘れごとですが、そんなことを思ってやっていたら、やれ堆肥なしで種を蒔いちゃったなんてことだってあり得ますね。まあ、これは収入をもたらさない作業ですので、農家から比べると考えが甘いです。要するに遊びですから気楽にやることが大事です。もっとも、農家と比べるのがおかしいんでしょうね。
霜のあさ。だらだらと暑い夏の朝より、ピリリと締まって緊張する冬の朝の方が好きです。清楚な感じがします。これより寒いと縮こまってしまいますけど。そのぉ、これより寒くなるんですよね。このあたりで、何とか手をうてないものでしょうか。
き~た~かぜ吹きぬく~ 寒い朝も~ 心ひとつで~
なんていう歌がありましたっけ。そういう歌は今は出来ないですね。
汽車の窓から ハンケチふれば~
牧場(まきば)のおとめが 花束なげる~~
良い歌ですね。それにくらべて、この頃はなんか訳の分からない、というより何て発音しているのか日本人である私にも分からない歌がありますよ。なんで、そんな格好をして、眉間にしわをよせて怒鳴り回して歌わなければならないのか。あれでは世界平和は訪れない。すさび の 音が苦(おんがく)ですね。
こちらは荒んでいませんよ。緑のピーマンが赤くなりました。まるでパプリカ。パプリカのようにして食べられるでしょうか。チャレンジしてみようかな。これをパプリカとして出荷したら、罰せられるでしょうね。罪の名前は分かりませんが、一種の不当表示ですね。そしたら、あの有名ないくつかの食品関係の会社と並んで有名になれますね。
私の作った、特製ヤーコン料理です。
作り方
ヤーコンを少々
スライスする
レンジでチンをする 茹でても結構です
マヨネーズをかける
マヨネーズの上から醤油を少々かけると
もっとおいしくなります
とまあ、簡単にできます。味はグー。ヤーコン特有の、うすい甘みとサクサク感がマヨネーズとマッチして、それなりにおいしいです。何せ作るのが簡単。
反省 マヨネーズをもっと上手にかけるんだっけ。
例えばネット模様になるようにとか。
今日もいい天気です。雲はほとんどありません。でも、午後になるとどうなるか。何せ太陽が恋しい季節ですからね。雲が出ないように、寒い風が吹かないようにと、ただただ願うだけです。もっとも、寒くなったら部屋に入って、本でも読めば良いんですから、鍋しかないんです(補)。心配などせずに、気楽に行きましょう。
きょうも良い日でありますように。
補)鍋しかない = 釜はなし = かまはない
例) そんなの無くたってかまわないね
日向ぼっこをしながら本を読んでいると、つい睡魔が襲ってきて、いつの間にか楽しい夢の世界にどっぷりと浸かってしまい、さっぱりページが進みません。これが近ごろの悩みです。本は睡眠薬ですからね。これは処方箋が要りません。安心して服用できます。なお、その本が赤犬のしっぽなら、より効果があります。
眠い。眠たい。ねぶたい。ねぶた。となっていったとか。真偽のほどは分かりませんが、ある民俗学の本に書いてありました。昔から睡魔はたいへんな相手だったんですね。眠たさも、すごい地域興しに役立っているわけだ。私の眠たさは何にか役立たないでしょうか。
眠たさも中くらいかなおらが秋 一冊
とまあ、中くらいにしたいですが、今のところ眠たさは 大 です。
山ちゃんさんの地域に、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)というところがあるというのですが、眠たさも 大ねむ小ねむ があります。北陸に親不知子知らずという海岸がありますが、眠たさもレベルにより 親ねむ 子ねむ があります。お大臣に、、、いや、もう止そう。
昨夜は、いつの間にか雨になっていました。今朝は降っていませんが、まだ曇天です。昨日の予報ですと、今日ははじめが寒くて、だんだん暖かくなり昨日より気温があがるとか。すごしやすくなるということです。ほんとうかなぁ。
信じられなくて信じたい天気予報
都合わるいと信じたくなくなり
木枯らしが吹いて、あちこちに木の葉を置いていってくれました。こういう芝の上は掃きにくい。これは、裏山の木の葉ではなくて、池の脇に植えてあり、この写真で芝に影をおとしている くぬぎ の葉っぱが大半ですね。
こっちは裏山に高くそびえている けやき の葉っぱです。けやき は葉が多いので、これからは掃き掃除が大変です。昨日はブロアで葉っぱを寄せてから取り払いました。ブロアも良いですが、欠点があります。電源が必要なので、ケーブルも用意しなければなりません。
- 今朝の小さな悟り -
ものは長所と欠点を同時に備えている
人もそうかも
これは、本当はつるし柿にする柿ではないのかも知れませんが、食べきれないので吊してみました。霜が降りて、風もでてきているので大丈夫かも知れません。大半は熟して落ちてしまいました。熟して柔らかくなったのは、鶏が大好きなんですよ。甘いからなおさらなんでしょうね。
熟すことを、このあたりでは あかるむ と言います。うむ とも言います。これは辞書にあり、熟む という漢字が当ててあります。あかるむ はありませんね。想像ですけど、あかるむ は 赤くなる から来ているのでしょうか、赤む という言葉があり、赤くなる という意味があります。
それはともかく、実を落として、皮を剥いて、吊すという行程には、結構な時間がかかりました。犬をからかったりしながらだったせいもあるかも知れません。からかわれた犬がカラカラ笑ったら気持ち悪いね。
わが家の枯れ葉は、イブ・モンタンの「枯れ葉」のような雰囲気をもたらしませんね。明るい雰囲気で、
木枯らしで吹き寄せられた庭の枯れ葉
カラカラとあっちへ行ったりこっちに来たり
しています。
補) 赤犬のしっぽ
尾も白くない → 面白くない
東京歩きの第2回目は、がらりと雰囲気がかわりましたよ。ぜひご覧ください。
このところ朝は冷えますが、三日続けて腫れです。けっこうなことです。やっぱり晴れた方が気分が良いです。
昨日は、いつも家にばかり居ると硬直してしまって、だんだんおかしくなってしまうかなと思い、奥さんと東京に出かけてみました。晴れだし、蜂刺されは腫れが止まったし、寒くもないし、とても気持ちの良い散歩でした。
その中味は http://blog.livedoor.jp/potatojaga/ をクリックしていただければ、みられますので、ぜひ千客万来、おいでください。コメントは要りませんから。
と、最初に宣伝です。
小さくて、か細くて心配だったタマネギですが、なんとかほとんど全部が引っ掻く、いや間違い、活着しました。
今年は絶対に成功させたいです。去年のタマネギの残りが、いまこれくらいの状態のがあるんですよ。それも悲惨ですからね。
タマネギですから、たまにお願いしています。 お願い=祈ぎ(ねぎ) 今日は、欄外の 補 は今のところ無しです。
富有(ふゆう)という種類の柿です。私はこの種類が好きです。適度なとろみがあり、ジリッと来るのに似た甘さがあります。
今年はおかしいんです。半分だけ熟して、半分は熟すのにまだ早いというのが多くて、待っていると熟した部分と、熟しすぎた部分になってしまうんです。甘柿の熟しすぎはおいしくありません。
気候のせいにするのは簡単ですが、ひょっとして肥料のやりすぎかも知れません。あるいは持ち主に似てきたのか。私の想像では、最後の推測が当たっているような気がするのですが。 性格も木に移るのか。オソロシイ。
ガンとして私の性格が移るのを拒否しているのは、猫のミーちゃんですね。彼女は偉い。犬のコロは論外。バカみたいにチンチンしていますから。チンチンコロコロ チンコロリン です。
こっちは渋柿。霜がおりたので、今度は干し柿にできます。しかし、これを取って皮を剥いてという作業をする気になるかどうか、その気持ちは柿の木にひっかけておきましょう。
柿食えば渋いとしらず渋い顔 脂氣(しき)
「あぶらっけ」と読まないでね
柿食えば隣の客も渋い顔
同じ失敗おたがいさま 渋顔(じゅうがん)
柿食って国会中継渋い顔 酷会(こくかい)
柿食えど柿食えど我が暮らし金持ちにならず
じっと手を見る 焚木
(たくぼく)
うしころし
かまつか
ウシコロシの別名はカマツカ(鎌柄)です。なのに違う。たぶん種類の違いでしょうか。ウシコロシの方は、わが家が出来る前から、この土地に生えていたものです。境を表す木として植えてあります。
カマツカは奥さんが、柳生慎吾さんが八ヶ岳でやっている 八ヶ岳倶楽部 から買ってきたものです。やっぱり売っているものの方が良いですね。
てなことで、今日はここまで。
一度、文を全部つくり、アップロードしましたが、そこでログインをせよというメッセージ。なんでそうなるの。全文がパーになってしまいましたよ。腹が立つかとおもったら、そうでもなかった。腹は朝食後なので、そっちに集中力がいってしまっているようです。
腹は立て ずに寝せておくことにしませう 。 朝ですからね。一日の始まりです。みなさん、今日も良い日であって欲しいですね。
今朝も霜がおりています。昨日は午前中に晴れたのですが、洗濯物は完全には乾きませんでした。太陽の力の衰えを感じます。布団も干したのですが、日向の臭いは弱かったです。屋根の上に上げた水もぬるかったです。今までは晴れれば、水を足して冷ますくらいに熱くなったのですが。
それでも、年間の量にしたら、相当な石油の節約になっています。ぬるくても、その温度にまで上げるのに、かなりの石油を使うわけですから。
もみ殻燻炭を作るときに、シジミなどの貝殻を乗せておきます。すると、熱で貝殻がボロボロになり、畑に撒いたときにカルシウムとして作物に吸収されやすくなるとか。これっぱかりの貝殻を畑に入れたとて、どれだけの効果があるか疑問ですが、捨てるよりはプラスになるかなと思っています。
シジミは、毎週のように誰かが売りにきます。もちろん涸沼のシジミです。この湖はわが家の南方ほぼ4kmのところにありますが、満潮には海水が上がってくる汽水湖と言われる湖です。簡単に言うと、川が極端にふくれたところとも言えます。そう言うところのシジミはおいしいのだとか。
ここの他に宍道湖とか十三湖のシジミが有名だとかいう話です。燻炭の話がシジミになってしまいました。もちろん、海も近いのでハマグリやアサリなどをはじめ、貝類はたべられますけど、、、。私は有名にならなくて良いと思っていますけど。やたら減って困りますからね。資源には限りがありますから。
ビニールハウスの中は今はレタスだけになったので、かなりスペースがあります。それで、穴を掘りました。芋を埋めるつもりです。穴はあまり深くしません。深くすると、芋が少なくなってくると掘り出そうとするときに、奥さんのお尻が天上を向いてしまいますからね。
レタスどもはびっくりしたでしょうね。埋められるんじゃないかななんてね。「ほっといてくれ 」と言っていましたよ。「レタス」なんてね。
まるで古代人が残した遺跡のような、、、。埋蔵文化財ですね。これが見つかると、工事はストップです。調査が終わるのには最低一ヶ月、、。
これは違いますよ。これはわが家で取れた超グロテスクな芋です。そこで武蔵は考えた。どうせ食べにくい、このグロ芋は最後まで残るのだ。それだったら、一番下が良い。残ったら、来年の苗芋にしよう。
一人での閣議が決定し、ご覧のようなグロ芋を積み上げました。底にもみ殻を敷いて、芋の塊が高くなると、壁際にもみ殻をいれて、それを繰り返すと、底も周囲の壁際も上ももみ殻にすっぽりと包まれるというやりかたです。
そして、上には藁束を三束ほど投げておきました。奥さんに審査を受けます。①藁はバラした方が良いか。②上に土をかけるべきか。かけると、何となく掘りたくなくなるのです。手が汚れるし、作業も少し大がかりになりますから。③藁は要らないか。④藁を取って土をかぶせるか。
埋めたのは芋全体の半分くらいです。形の良いのはどうするかです。埋める一番の目的は、来年の2月頃の一番寒いときを越えさせるためですから、その前に食べるのなら、敢えて埋める必要はありません。袋にもみ殻を入れて、その中に芋を入れておけば良いことです。
ハウスの中の穴ならば、芋も冬が越せます。外の穴ですと、ちょっと無理ですね。日だまりの出来る、北に高い土手でもあるところなら、外の穴でも冬が越せます。私のところでは平らなので、土手がない。土手がないので、カボチャもドテカボチャにならず、ドテナシカボチャです。
今朝は少し寒いですが、とても気持ちの良い夜明けです。朝ご飯はとてもおいしかった。でも眠いですね。朝寝、昼寝、晩寝。まるでお茶漬けの名前みたいです。気分も体も跳ね回ってじっとしていられないですから、寝てばかりもいられないですけどね。
今日は新語を二つ作りました。
1 グロ芋
2 ドテナシカボチャ
補) Let us alone. ほっといてくれ。
レタス アローン と聞こえます。
alone は一心に掘っていたので
聞こえませんでした。
天気情報では、寒くなるよ と言っていましたが、寒くなりました。初霜です。まだ、本当に寒いなぁという感じはありませんが、霜が降りているのですから、寒いにちがいありません。気温は外で0.5℃です。湿度が83%。
いよいよ冬に向かって季節が歩き出しました。そのうちに池に氷が張ることでしょう。
まだ暗いうちに撮りましたので画面は暗いです
心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどわせる白菊の花
凡河内躬恒
おおしこうちのみつね
笹の葉に置く初霜の夜を寒みしみは付くとも色に出でめや
紀 友則
この頃は午後になると、この日だまりで椅子に座って本を読むことが多くなりました。芝生と庭を前にして、ポカポカと暖かくて気持ちがいいです。しかし、昨日は東風が寒かったですね。
私は外にいるのが好きなのですが、これからは庭を見て、日向ぼっこをしながらの読書は辛くなるのではないかなと、ちょっと心配しています。
花を入れておく、小さな移動式の四角形のビニールハウスを芝の上に置いて、それに入っていたら風が十分に除けられて楽しく詠めるかななど、ちょっと考えています。周りの人が見たらおかしいですかね。おかしくてもやるか、おかしければよしたほうが良いのか。そこが問題だ。そのまえに、お金。「そんなお金なんかありませんっ。 」と、おっかね~。 お金。ちょうだい。 ← と、小さな声で、、、。
先日、似たような写真を見ていただきましたが、今日のはほうれん草だけではくて、ミズナや小松菜、カブも入っています。取れる野菜はすっかり様変わりしました。
鍋物になりました。ちょうど、カニやらカキやらもありました。それにシイタケ、大根も入っています。豆腐屋さんも来たところでした。「おいおい、朝からかい?」なんて言われそうです。朝に更新しているのに夜食べた物を書いているなんて、おかしいですけど、そこは頭の中で引き算をして見てください。
体が温まって、「しあわせー」と、どこかのフライド・チキンのコマーシャルみたいな気分です。わが家では鍋奉行なんてのはいません。強いて言えば鍋物をつくる人でしょうか。つまり奥さん。でも、奉行の雰囲気はありませんね。そういう意識もゼロみたいです。鍋を前にして奉行なんて侮行だ。
きょうは父の命日です。今から花を用意して、お墓参りに行きます。天気に恵まれ、朝は清く初霜が降り、良い日です。
みなさん、どうぞ今日も良い日でありますように。
補) 紀 友則(きのとものり)の歌はむずかしいですね。
笹の葉に降りた霜が、夜がさむいので凍みついても
色にまでは、、、。つまり(笹の葉ですから)紅葉
するとまでにはならないだろう。と言うのが文字通
りの解釈でしょうけど、「夜の」あたりからは人の
世のものごとに対する比喩でしょうか。
今年の秋は、ひとつ助かることがあります。それは風が吹かないことです。 は多めでしたが、ビュウビュウ吹く風がないので、毎日は穏やかです。空の も午後になるとポカリポカリと北西の方からやってきて、日射しを遮り、ブルブルっと寒気がするように、気温がサッと下がるということがまだありません。しかし、その穏やかな天気も何時までかはわかりませんけど。
スズメバチに刺されて、今日で三日目ですが、医者に行くようにリラさんから強く勧められました。今日は行こうと思っていたのですがやめます。というのは、腫れが引いて、痛さも無くなっちゃったんですよ。少し余韻があるくらいなんですよ。
もう、これ以上は刺されてはいけないですね。山仕事は霜でも降りてからにしましょう。普通は地べたに巣を作るのは大型のスズメバチですが、今回は小型のだったので被害も少なかったのではないかと思います。どちらかというと、運が良い方だったのかも。
ヤーコンです。だいぶ上部は大きくなりました。ここは道路ぎわで、早く陰ってしまう所です。作物を作らなくてもよいようなところに作ってみました。肥料は元肥だけで、あとは追肥は一切しませんでした。
一部を掘ってみたら、これくらいに大きくなっていました。これくらいの大きさが良いですね。サツマイモのように、「お前はバカか」と言いたいくらいに大きくならないのが良いです。
しばらくぶりに会った友達に、家に誘うときみたいな名前です。「やー近藤君、やー来んかね、私の所に。」「やーこんどにしよう。」・・・・ 道路が「やーこんでるなぁ。」 / 「ヤーコン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン 鰊来たかとカモメに聞けばぁ、 、、」 ・・・・・ それくらいにします。
そういうバカげたことを考えながらエッチラオッチラと、掘っていたらお昼近くになったので、家に戻ろうと思っていたら、あっちの方からわが家のミーちゃんが私の方を目指して歩いてきます。でも、何か歩き方が違う。口から何かが垂れている。
来たっ。ネズミだ。はるばる遠くからくわえて見せに来たんですよ。カワイイね。久しぶりのネズミ。この頃は、ミーちゃんが取ってしまうので減ってきているのか。久しぶり、と言っても先月にもとりましたけど、に見ました。ネズミがどこにいるか分かりますか、なんて言いませんからね。
家に持ち上げられると困りますから、急いでガラス戸を全部閉めてしまいました。もちろん誉めてやりましたよ。忙しいときには「猫の手も借りたい」なんてよく言いますが、猫は猫で自分の仕事をちゃんとしているんだなぁと思いましたね。普段はそういうことを忘れているんですね。ミーちゃん、やっぱり普段は座布団十枚の上に寝ていていいよ。
ハマギク
???
ヤーコンの効用は、どんなものがあるのか分からないんです。ただ体に良いから、という程度で作っているんですけど、それでもバカみたいですから、今度よく調べて見ようと思います。
というのは、作るという気持ちは起きないくらい簡単に作れるものですからね。ただ、芋を取って、茎の根元のところにある紫の部分を、茎ごと無造作に埋めておけば出てくるんです。一カ所に伏せて置いて、それを春になってから、適当な間隔に堆肥などを入れて埋めておくと、ちゃんと出来ているんですから。
そんなわけで、今日もおだやかに夜が明けました。国会では、いろいろと大変なようです。ひとつ、公平にやってください。我々庶民は、今日も穏やかにすごしましょう。