暑かったり涼しすぎたりと、毎日違います。当たり前の話ですが、それにしても目まぐるしく変わりすぎる。
また台風がくるのだそうです。時期的にまだ台風は来る可能性があるはずです。来る度に大きな被害があって、この洪水とか崖崩れなどは太古の昔から、さっぱり無くならない災害なんですね。いくら文明が進んでも、自然を克服するなんてことは出来ないのでしょうね。
川の側が便利とか、海がなければ仕事にならないとか、山間部では山の縁でも住むことの出来るスペースがあれば家を建ててそこに住むでしょうし。
誰もが、被害のほとんど出ない台地に住むなどということはあり得ないですから。
シソの実が出来てきました。紫のと、緑の二種類が生えています。それぞれ用途が違いますが、匂いは同じようですね。嗅ぎ比べたことはありませんので、微妙な違いは分かりません。
一種の苔なのでしょうか。モチノキの幹に出来ているのですが、なんとなく面白いので撮って見ました。ミッキーマウスを思い出しそうなものもあります。
ヤーコンですが、他の用事に気を取られて、草むしりまではしたのですが、追肥を怠ってしまいましたから、芋の出来具合は期待できません。
それにしても、世話の要らない作物で、育てるのはとても楽です。
今日は、脚のけいれんの様子を見ながら作業をしました。刈り払い機で堆肥の周りの雑草を刈ったり、隣との境の草を面積というより長い距離にわたって刈り取りました。今はもう、オヒシバとかメヒシバ、その他の雑草はかなり種を持っています。種を拾う訳にはいきませんから、来年また草が出るのはしかたのないことです。
土手になっているところは、草がなくなると土がサラサラと落ちて、雨の時にはまとまってくずれますから、草も役に立つわけです。
スズメバチがイチジクの実を夢中で食い漁っています。パリパリと食べる音が聞こえます。越冬のための栄養が欲しいのでしょうか。彼らは甘い物が好きならしくて、柿にも集まってきます。
ピントが地面に合ってしまいましたが、今はあまり警戒心がないので、このように石炭ハサミでも摘めるくらいです。
巣作りの時期ではないので、攻撃性は低く、取り逃しても周りを飛び回るだけで刺そうとして近づくことはほとんど無いです。それなので、魚取り網(たもあみ)でそっと網の中に誘い込むと、彼らの習性で上を向いて跳び上がり網にかかりますから、地面に網を伏せて踏みつぶします。
追ってもまた来るし、やっぱり夏は危険なので、来年のことがありますので駆除が一番と思います。
ゴーヤの種がこぼれて芽が出てしまいました。これは成長しても、これからだんだん寒くなりますので、越冬はできません。発芽しなかった実が来年出てくるわけです。
この頃の今の季節は10年前より1.5ド以上平均気温が高いのだそうです。完全に温暖化現象と言えます。
夏と冬が長く、春秋が短いのはやっぱり温暖化現象でしょうか。いくら温暖化と言っても冬は平均気温がそれなりに上がったとしても、やっぱり寒いでしょうから、冬という季節はあるわけなんでしょうね。冬がなくなったら、それこそ春から秋まで夏ということになり、冬は秋または春と言うことになるのでしょうね。
そうなると、植物はすべて生態系が変わると思います。いつ種ができるのか、いつ発芽したらいいのか、どうなっていくのでしょうか。夏に繁殖する昆虫はどうなるのでしょうか。蚊は強いので冬でも飛び回るでしょうし、スズメバチも活動をすることになるかも知れません。
緑の葉は紅葉です。秋にはそうとうきれいなことでしょうね。その紅葉も 「 いつ紅くなったらいいんだ~~っ 」 と言うことになるでしょうね。
動物は、種類によっては季節を待たずに、年柄年中繁殖するかも知れません。地球は生き物がいっぱいになり、ひしめくことになるかも。
リュウキュウアサガオは、朝は青菜のですが、午後はピンクがかってきます。まだまだ咲き続けます。
廃 句
暑いだの寒いだの言っても普通が良い
あまりにも便利になりすぎ つけ が来た?
明日のこと考えない人多すぎる
一人勝ち長く続いてつまらない 大相撲
記録より誰が勝つかが面白い
昨日は久しぶりに大仕事をしたので、夜になってから両足の前内側がけいれんして困りました。ただ、ピクピクと筋が動くだけではなく、けいれんはものすごい痛みが伴います。どのような姿勢をとっても効き目がありません。仕方がないので、軽いマッサージをしていましたが時間が来て自然に治りました。
若い頃と違って、しばらく休めていた筋肉を過度に疲れさせるといろいろな不都合なことが起こるものだなと思いました。いくらでも出来るからと言って、仕事のしすぎは良くないなと反省しました。今日は何ともありません。
今日は、何日かぶりでアブラゼミの鳴き声を聞きました。しかし、蝉の声はたった一匹が鳴いただけで、あとに続くものはありませんでした。
いよいよ夏の昆虫類は引退のようです。ただ、秋の虫は賑やかに鳴いているし、スズメバチなどは、やたらその辺を飛び回って、柿やイチジクの実にくっついて、パチパチと音をたてて霧中で食べているのを見かけます。
千葉県香取市佐原地区
スズメバチは今は餌をあさってきているものは、さほど危険ではありません。人の周りをブンブン飛び回ることはあっても攻撃してくる様子はありません。
手に持ったもので運が良ければ叩き落とすことも出来ます。もちろん、間違えて近くに手をやったり、つかんでしまったりしたら、それは刺されるにきまっています。
昼間仕事をすれば暑く、朝晩は涼しく、夜は特に明け方は寒いです。気温の変化が激しいので、気が緩めば風邪のばい菌に責められそうな時期です。気をつけなければなりません。
仕事をすると大汗をかきますが、救いは風が涼しいことです。光がつよく、空は青く雲は白く、とても良い日です。
枯れたものやら、台風で大枝が折られてしまった物を含めて4本栗の木を切り倒しました。中には幹の直径が30cmくらいのものもあったし、どちら側に倒しても良いというもほはほとんど無くて、むやみに切り倒すと他の木に被害を与えたりしますので、用心して引っ張り、なるべく望ましい方向に倒さなければなりません。
《 さびしい散歩道 》
奧さんが海辺の町に住んでいる友達の所に用事があると言うので、運転して行ってきました。二人のお宅に寄ったのですが、これはそのうちの一人の方の庭からの眺めです。あまりにも素晴らしい眺めなので、撮ってきました。海を通る大きな船がよく見えます。
帰りには海辺に降りてみました。そろそろ夕方にさしかかるころの時刻です。テトラポットにぶつかる波がしぶきになって飛んで来ます。
そのしぶきを浴びながら車が行き来していました。私が時々行く近くの海は砂浜がけっこう広くて、町はあまり波打ち際には迫っていませんから、そことはまた違った風景で面白かったです。
カマツカ。硬い木で、鎌の柄にしたとかいうことから名前がついたそうです。ウシコロシの一種です。別名ウシコロシと書いてあるようですが、私の土地に生えている境木にしてあるウシコロシは、実が小さくて、これとは品種が違うようです。これは、野生のものかもしれませんが、観賞用として買ってきたものです。
競争がないと、社内の雰囲気は緊張感がうすれてだれてしまい、決められた仕事も適当に済ましてしまうようになるのでしょうか。やっぱり、研ぎ澄まされたような気持ちになり、他に遅れを取ったら相当額の損失になるという危機感がないとだめです。
昨日は、ブログを更新したころからずいぶん雨が激しく降りました。しかし、長時間は続かずいいかげんな降りに終わりました。風は今もやや強めですが、ものが吹き飛んだりするほどではありません。
もう台風は一番近い距離からは過ぎて行ったのでしょうか。青空が見えています。
毎年、夏はあちこちに勝手に生えて適当に実を付けてきたトウガンですが、今年はこれ一個だけのようです。草地のは、きっと刈り取ってしまったようです。畑のはむしってしまったようです。
トウガンはいつも一個食べる程度です。今年はこれを大きく、と言ってももうずいぶん大きいですが、して種は取ろうかと思っています。
栃木県栃木市にある室の八嶋というところは、煙が立っているという言い伝えがあります。何年か前にもここを訪れた時に紹介したかと思いますが、
煙たつ室の八嶋にあらぬ身は
こがれしことぞくやしかりける(大江匡房)
と、歌にも詠まれたことがあるほどですが、どうして煙が立っているのかは分かりません。先日訪れた時には、このように本当に煙が立っていました。
と言うのは実は近所の当番の管理をしている人たちでしょうか、掃除をして落葉などをたき火にしていたわけです。この人に 「本当に煙が立っていますね」 と言ったところ、笑っていました。煙が立っている室の八嶋を訪れたのは初めてです。
打って変わって今日は雨模様の夏の日です。少し動くとびっしょり汗をかいて、シャツは絞れるほど汗で濡れます。疲れやすい日。まさに台風接近の日そのものです。こんどは東海上を通過する予定だとか。台風の目の西側にあたる場合は風はあまり吹かなかったと思うので、少しは気楽な気持ちでいます。
昨日は、帰り道の久喜という所を通っていると、このような高いアンテナが二つありました。この形はラジオの中波放送のアンテナにちがいありません。NHK第一放送などは中波という電波を使って放送されるものです。こういう所に中波放送のアンテナが二本立っているということは絶対にNHKのアンテナに違いないと思いつつ帰って来て、さっそくネットの地図で調べたところ間違いではありませんでした。
第一放送と第二放送のアンテナだそうです。これは車の中から信号待ちの時に助手席の向こう側の景色を写したものです。てっぺんまでは画面に入らないでしまいました。
インゲン豆がたくさん出来ました。茹でて鰹節をかけ生醤油をさっとかけたものも美味しいですが、私はこの油炒めが大好きです。たくさん出来たので、たくさん作ってもらっています。
気の毒なことに、アブラゼミがなんとか力をふりしぼってつかまったのがこの芽がでて二年目の栗の幼樹です。もうあの暑い夏がすぎ、涼しくなってしまって力が出なくなってしまったのでしょうね。
鳴きながら、あるいは飛びながらそのまま昇天できたら一番幸せでしょうに。これだけ近寄っても逃げる力がないようです。
あとはそっとしておきました。
朝のドラマ「あまちゃん」はいつも元気ですね。朝ですから、こういう元気なドラマが一番いいですね。もう終わってしまうそうで、ちょっと残念ですが、良いものは良い状態で終わるのがいちばんです。人気がありながら、だんだん人が離れていってしまうほど長くやるのはよくありません。
文字ははっきりと読めると思います。昨日、川越市の露地をあるいていて発見したものです。もう、ほとんど残っていない武家屋敷だそうですが、これを詠むと「そと囲いはカラタチの生け垣でなければならぬ」というきまりだそうですからすごいきまり。そして、この屋敷にはそのカラタチの生け垣が残っていました。
カラタチは、トゲが大きく枝葉密に複雑に絡まりちょっと人がそれをかき分けて通るにはとても困難だったからでしょうか。
それに常に緑ですから景観は良いはずです。他の理由はわかりません。
天気の良すぎる日には、できれば家を離れたいです。理由は、仕事をしすぎたりして体調を崩すといけないからです。
天気が良いのに、のらりくらりとして居るのは精神衛生上あまりいいことではありません。二人のうちのどっちかが草むしりなどを初めてしまいます。すると、二人で外の仕事になり大がかり、大汗掻いてぐったり・・・。
毎日それではいけませんので、今日は仕事から逃げ出しました。
道路が混むので躊躇してたのですが、川越まで出かけてみました。やっぱり高速道路も東京方面に向かうとなると車は多くなります。
常磐道→外環状線→関越道を経由して川越インターで降ります。外環状線も関越道も車は多かったです。もっとも、これらの路線は何時も多いですが。
最初は江戸幕府第三代将軍・徳川家光が生まれ、春日局が家光を育てたところと言われる喜多院という寺にいきました。
座敷の方から本堂に向かう通路、ウグイス貼りの板で、歩くとキュッキュッと音がします。中央あたりは数メートルの長さの橋になっています。
座敷になっている部分や本堂は、どこでもそうですが、ここでも同様に撮影禁止です。
次に、循環バスで川越城に行きました。今日は休館日ですが、以前に中をみたことがあるので、差し支えはありませんでした。途中、映画「ウォーターボーイズ」のモデル校になった川越高校の前を通過しました。
その隣りに三芳神社というお宮がありますが、そこは童謡の「通りゃんせ」の歌の発祥地です。循環バスの運転手の話では、神社はずっと以前からこの地にあり、そのすぐ近くに川越城が出来て神社の境内は城内に繰り込まれてしまったので、それまでお参りができた庶民は出入り禁止となってしまったのだそうです。つまりお参りが出来ないということです。そのような市内の観光案内もやっていました。
それで、こっそりとお参りに行き、つかまった人があったりしたのだそうですが、それでもこっそりお参りをする人がいたのだとか。それで、「通りゃんせ通りゃんせ・・・行きはよいよい帰りは怖い・・・」という歌詞なのだそうです。そのうちに、庶民もお参りができるようになったそうです。
あとは歩いて蔵のずらっと並ぶ通りに行き散策してあるきました。
最後に喜多院の境内にある五百羅漢の内から少し。鼻くそをほじくっている羅漢、内緒話をしている羅漢、腰をもみもみしている羅漢、もっとたくさんの表情があり、とても面白かったです。
およそ10,000歩あるきました。運動になりました。
毎日のことですから、例えば隣のうるさい奧さんにちょい気になる言葉を言われて仕舞ったなんてことは仕方がないにしても、概ね穏やかに過ごせれば良しと言うことになります。
やれ疲れたとか、飲み過ぎたとか、熱っぽいとか体に関するトラブルも大小併せていろいろとあります。生身の体などと言うこともあるくらいですし。
全く笑点、じゃなくって焦点の合わない写真になりましたが、これは合わなくて当然です。目で見ると、人が歩いている辺りは完全に外だということが分かるのです。そして、向こうに道路があり車が通っているのですが、写っているのはガラスに反射した建物の内部の通路です。外と内が二重に見えておもしろいと思って撮ったのですが、それがカメラでは出し切れなかったのは残念です。
冬は卵で越冬するのでしょうか。毎年暖かくなってくると見かけるようになります。我が住まい周辺の可愛い生き物のひとつです。
元気です。もうそろそろかなと思っているのですが。
石けんの木と言われるエゴという木です。この実を水に入れてこすると泡が出てくるので、そう言われるらしいです。
こんなに実がなったら、そこら中に芽がでて仕方ないですね。これは大木になりますが、用材としては使わないものです。
しばらく前に何枚か撮った夕焼けの様子の一部。撮るタイミングが良かったみたいで、夕焼け時にこんな雲は珍しいです。ブログを始めてから、いつもポケットにカメラを持ち歩くようになりました。この写真などは専門家が見ればたいしたことはないかもしれませんが、私にしては面白く撮れた方かなと思っています。
廃 句
涼しいなと思っていたら暑くって
気をつけようこれじゃ下手すりゃ風邪を引く
願わくばこのまま真っ直ぐ砂漠まで 台風
放射能本当に大丈夫なんですか 世界の人たちをだまさないでね
脱線は起こるべくして起きたもの
急に風が強くなり涼しく変わり空がくもり、夏の空気から秋の空気に変わりました。何故そうなるのかは私には分かりませんが、当てずっぽうで言えば前線でも通過して行ったのでしょうか。雨でも降れば時雨れてくるなんていう言い方をするのでしょうね。
「しぐれ」と言って時雨と書くそうですが、俳句では冬の季語になるのだそうです。調べてみたら、「秋から冬にかけて」起こる現象のようです。秋は含まれないのですね。どうも、俳句は素晴らしい表現法ですが、季語という縛りがあり、時雨のように秋は含まれないというのではきつすぎて私は好きになれません。今起こっている現象なので、うまく詠んだつもりが、そういうことで駄句となってしまうのは、実につまらないことだと思います。
昨日の夕陽です。太陽はもっと赤かったです。どうも、見た目のような色合いが出ないです。カメラが勝手に調整してしまうのでしょうね。と言っても、勝手にやらせているのは私ですけどね。全部オートにセットしてありますから、私のせいだと言えますね。
二度災害にあった柚子です。一度は石塀が地震で崩れて、重い石が載ってしまい根元から折れてしまいました。それでも、その根元から新芽が出ました。
ところが、二度目の災難は今年の冬の寒さです。それで葉っぱが全部枯れてしまいました。いよいよこれで駄目かなと思ったところが、このように見事に復帰してくれました。
ところが、葉っぱの細かい幹も一緒に生えてきたのです。これは、どうもカラタチなのではないかと思います。察するに、これはカラタチを台木にして、それにこの柚子を接ぎ木したものではないか。それで、災難に刺激されてか、台木のカラタチが目覚めてしまい、育ち始めたのではないかと思うのですが、間違いでしょうか。
田んぼに立つシラサギ。撮り終えて、連れてきた犬と歩き始めて気がつきましたが、手前左の方に猫がいました。
そっと近づいて捕まえようとでもしていたのでしょうか。野生動物の世界ですね。
一種の天水桶ですね。このコンクリートの筒は、かつて井戸の中に入っていました。土が崩れるのを防ぐためです。
私の地域では、コガと言っています。普通は井戸コガと言いますが、正式には何というのかは分かりません。これを円く縦に深く掘った穴に下から積み重ねてきて、地上に一つ分だけ露出させて、その上にポンプと蓋を置くわけです。
私の所では、そのコガに底を着けて水槽にしています。中にフナやドジョウが泳いでいます。幸い、イチジクの葉っぱが日陰を作っているので、真夏でも水温はあまり上がらずに魚には、まあまあ暮らしやすい温度ではなかったかと思っています。
今日は土曜日です。朝、早くからバイクの調整をし、出かけた人もありました。台風のあと、ずっと晴れて良い日が続いています。今日は少し夏に戻った感じがしました。ですが当然、真夏の暑さではありません。
沼にはあまり水がありません。木の間から夕陽が漏れて水面に明るく反射をしていました。この沼はおそらく水田に水を引くためのものです。川の脇が膨らんで沼になっていますが、水門を閉めてありました。水が入らないようにしているのかも知れません。たまっている水は、おそらく台風で降った雨水だと思います。
水鳥が一羽。他のアオサギは逃げていきました。アオサギがいちばん臆病です。沼の周りにはたくさん 危険だから近寄らないように という意味の札が立っていました。休耕田から耕作放棄田に変わっていった田が多いので、この沼の役割は半ば終わっているのかも知れません。何か寂しさを誘うものが漂っているような気がします。時代が大きく回転したのかなと思います。一度か二度、子供の頃に泳いだ記憶があります。
高速道路の向こう側に夕陽が沈もうとしています。秋ですので、見る見るうちに沈んでいきました。じっと眺めている私は暇人。
加山雄三の 「若大将のゆうゆう散歩」 を見ています。地井さんとは違って、彼は「上から目線」だと言っている人がいますが、確かにそういう感じはします、しかし彼は「最初から主役を演じてきた人」であるので、いちいち頭を下げながら人に接していたんではおかしいなと私も思います。
これは新木場だったかと思いますが、造船の会社を経営している人。その技術を活かしてオーディオ・スピーカーを作ったという場面です。すごく良さそうなスピーカーです。オーディオの盛んなころは、素人でも音を出す元の円錐形のスピーカーを買ってきて、設計図を描き箱を作っていた人がよくいました。この人は、このような色合いの材料を使って、本来の仕事であるそれはすばらしい大きな船も作っています。
やってみたいものです。
ミニトマトはこのように実が落ちて、来年もまたこの辺りに自発的に芽がでるわけです。トラクターで何度か耕すので、種はあちこちに広がり雑草のように出てきます。その中から、この辺に今年は作ろうかという所だけを残して、あとは草と同じように取り去ります。ずっと何十年もそのようなことが繰り返し行われてきました。
廃 句
繰り返し毎年作るトマトかな
散歩していろいろ思う秋の暮れ
蝉の声次第しだいに遠ざかり
まだ早い過ぎるを惜しむ夏があり
夏が過ぎ眺めるだけの海になり
動くと汗をかいて、休むと涼しい。涼しいことは誠に結構な話ですが、少しくらい動いて大汗をかくのがちょっと苦手。
も少し気温が下がると楽なのですが。
昨夜は月見でした。お供えをしてお月様に日頃平穏にくらしていることを感謝してお辞儀をしました。
幸い、栗やブドウが出来たのでお供えすることができました。
月夜の足もと
伏見とうがらし
稲刈りが終わって、盛んに脱穀しているところが多くなってきました。玄米にして出荷したり、あるいは自宅で保存したりするのでしょう。この頃は、自宅で米専用の冷蔵庫を持っている家もあります。長い間に渡っておいしいまま保存が出来るのだそうです。
せっかく日本は米所でたぶん唯一と言って良いくらい自給率100%以上ある食品だと思うのですが、それほど取れるのですから、米を使って例えば米粉で作ったパンやうどんなどをもっと普及させたりする努力をしたらどうかなと思うのですが、自助努力が必要だと思います。
さまざまな分野の産業を、ますます盛んにして行くために、特定の狭い地域だけの特産品などというような小規模の努力は見られますが、いろいろな面での大規模な努力が足りないような気がするのですが。
それには、農林水産省や経済産業省のようなところが大規模に運動を広げれば、国民がついて行くと思うのですけどね。
風がすずしくてとても気持ちがいいです。と同時に少しずつ昼が短くなってきていますね。
夏の疲れからか、草取りの労働から少し解放されつつあるので油断しているせいか、朝寝坊しがちなこの頃です。
昨日の栃木市散策では、たくさんの写真を撮ってきましたが、このブログでは少ししか載せられませんでしたので、 栃木市散策 1 と 栃木市散策 2 に載せておきましたのでご覧ください。
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夕陽がとてもきれいだった日に撮っておいた写真です。立っている木はカリンです。
青空がとてもきれいな季節になりました。まだ日中は動けば暑いですが、真夏の暑さから比べたらとても楽です。この季節がずっと長く続けばと思わずにはいられません。
蒲(がま)の穂です。もう破れて中から綿のようなものが飛び出してきているものもあります。もう、しっかりと秋になっているところも見うけられます。
ニラは柔らかい芽がでるようにと、地面近くから刈り取りました。
働き過ぎ ー と言っても他人から言わせれば 「何だそれくらいで」 なのでしょうが ー と疲れと寝不足が蓄積したせいか、昨日は気勢があがらずに、ややぐったり気味でした。それで、寝るのも早めにしたせいか、今日は見事に快復できました。休んで良かったです。やっぱり気をつけなければ。特に薬も飲まず ー と言ってもなにも特効薬はもっていませんし ー 何もしないで元にもどれました。
昨夜は、月がきれいに見えました。体をなるべくぐらつかせないようにして撮りました。かなりぐらついたので、月が少し大きめに撮れてしまいました。
その月夜に月下美人が5つも咲きました。この夏二度目です。
せっかく体調が戻ったので、今日は用心して外の仕事をしないようにしましたが、何せ風が涼しく、天気は極めてよかったので、絶対に出てせっせと雑草の始末やら、倒された背の高い野菜や花の片付けなどをしてしまうのに違いありません。
それで、家にいなければやらないんだという考えに至り出かけてしまうことにしました。目指すは栃木県の栃木市です。
今日は歩く日。それも急ぎではなく散歩と決めて、ゆっくり市内を散歩しました。
「日光例幣使街道」は江戸時代に、天皇の使い(例幣使)が日光の東照宮に奉納するものを持った使いを派遣させたのですが、その使いが通った道です。例幣使は旧・中仙道を通って、群馬県の高崎市の倉賀野というところで中山道と分かれてこの街道を通ったということです。
昔、手前の巴波川(うずまがわ)を利用して栄えた商家。
蔵。 栃木市は蔵の町といわれています。この蔵は生活が大変な人たちに仕事をしてもらうために作ったという 「お助け蔵」 と言われるものです。
今は中は美術館に改造されています。昔、『週間新潮』という週刊誌の表紙を飾った谷内六郎という人の作品を展示していました。
そんなわけで、元気になった状態で歩数は稼げたし、再び疲れることもなく過ごすことができました。帰宅は早く、3時40頃には戻っていました。
もっとたくさんの写真を撮ってきたのですが、これくらいにします。
やっぱり涼しくなりました。ずいぶん楽です。ただ、日差しが強いのでまぶしかったです。
空気も乾燥してきたのでしょうか。何となく感じが違うような気がします。
トンボをみていると、空をすいすい飛ぶことができて良いなとはもちろん思いますが、こういう難なく飛ぶことができる生き物を作った神様はすごいと思います。
それも、夏にしか生きさせないで、あとは惜しげもなく葬り去り、来年もまた同じように数え切れないほどのたくさんのトンボを生まれさせるのですから、普段は何も考えずに見ていますが、これはものすごい技だと思います。
鳥もそうです。そういう生き物を徹底的に研究し、真似て何百という人を乗せて飛べる飛行機を作る人間もすばらしい。まだ未完成とは言え、じつに事故の少ない空飛ぶ乗り物。しかも、成層圏にまで達するほどの力を持ち、地球の裏側まで一気にいける乗り物。
栗ごはん
まだまだ神様にははるかに及ばないとは言え、やっぱりすごいです。しかも、今は宇宙まで行けるものを作ってしまうのですから。
人を運ぶことはすばらしいですが、同時にはるか離れた所の人たちを殺す道具にも使ってしまう人間。そのような、ものすごく未熟なところも兼ね備えている人間。地上の他の生き物にとっては、意識こそしないですが、人間というものはまったく迷惑な生き物に違いないはずです。
ネットを利用して、はるか遠い所の人と友達になり、楽しい通信が出来る一方、ネットによる誹謗中傷もどうじに存在する、そういう正の面と負の面を供えたもの。そういう負のものを取り除く遺伝子の改良が行われると良いかなと思う事もありますが、それもまたとても危険なことです。やっぱり努力しかないですかね。
あはれ昔いかなる野辺の草葉より
かかる秋風ふきはじめけむ 後鳥羽上皇
台風は行ってしまいました。昨日、少し激しい雨が降って、今日少し強い風が吹いたくらいでした。
栗の太い枝が3カ所折られました。実が付いていたので残念ですが、もう45年くらいは古いものなので、仕方がありません。栗は枝が比較的弱いのにどんどん幹から遠いところに伸びて行きます。
ですから、風を受けやすく折れやすいのです。木の性質ですから、しかたがありません。
夕焼けがきれいでした。
飛行機も飛び始めたようです。台風は私の推測では上陸したあとで、たぶん日本アルプスが屏風のような役割を果たして、かなり勢いを弱めてしまったのではないのかなと思っています。
だいたい、上陸するとその後は勢力が弱まりますからね。
インゲンが取れました。
で、まずはこれで・・・。
また咲きそうな気配です。これで二度目です。
廃 句
芭蕉野分して夜更けに雨を聞く夜かな
台風や通ったあとの忙しさ 枝片付け
二日間どこへも出ずに暮らしたり
虫の音が一段強い今宵かな
参道を木の葉埋めて風止みぬ