シオン
ブロッコリーは、今のところ何かアクシデントでも起こらない限りは大丈夫です。たった2本ですが、いま成長中のものより先だって実っている株があります。
こんな具合です。出来すぎという感じもします。冬瓜やらシソなどに囲まれていますので、ついつい見落としていました。オンブバッタが乗っているのが分かるでしょうか。
オンブバッタが今年は目立ちますが、この害は何かあるのかなと、今ちょっと気になります。
篭に入れたら、かなり大きいなと感じました。「 大きいことはいいことだ 。」 なんていう文句が昔ありましたね。あれは何のコマーシャルだったか。さて、食べたらどうだろうか。
こんな具合にサラダにしてもらいました。大丈夫、とてもおいしかったです。烏骨鶏の卵と、オクラも一緒です。こちらの皿は全部自家製の材料です。左は肉ジャガ。ジャガイモは自家製。こうなると、野菜をつくっていて良かったという喜びが味わえます。
秋の空はきれいだなぁ。空をしみじみ見上げてしまいました。雄大ですね。秋になると空気が澄んで、バイオリンの音色がよく通ります。「 秋の日の ヴィオロンの ため息の 身にしみて ひたぶるに うら悲し 、、、、」 という詩を思い出します。秋には「 パリの空の下 ( Under Paris Skies ) 」 という曲がいかにも合うなと思います。そういう年でもないかな。
ここから現実にかえって、、
少しばかり雑穀を作りましたので、わが家もちょっとした収穫の時期です。先日はアマランサスを収穫しましたが、今度はキビを収穫しました。今年は来年の種を取る程度にして、少しにしました。
ミカン箱よりは大きい箱なのですが、この程度です。これで種だけにしたら、ほんの一握りです。今年はネットをかけなかったので、雉に倒され食べられ、雀に食べられて、茎が滅茶苦茶になり、さんざんな目にあいました。キビしいですね。なんだか、雑穀も面倒くさくなってしまいました。けっこう手がかかりますからね。これからモロコシが待っています。
こんな段ボールも、多少は用意しておかなければなりません。プラスチックの容器でもきちんと揃えておけば良いのでしょうけどね。ただ、段ボールは種などを乾かしたり、乾いた状態を保つには向いています。プラスチックは乾きにくいですね。自然の素材の方が良いみたいです。住宅のCM風に言いますと、自然の素材は呼吸していますからね。
庭に広げて乾かすには、これも自然の素材を使ったムシロとかゴザが良いです。ブルーシートでは何となく湿っぽい感じがします。それに地面に接した裏側は結露します。結露したところに土が触れて付き、穀物に土がまざることがよくあります。やはり天然素材が良いですね。
キンモクセイ
これが風向きによっては庭にただよい、畑にもただよい、何とも言えないいい気分になります。癒しですね。
9月23日(土)の朝日新聞朝刊の 「 天声人語 」 には、めずらしくジャズの話が出ていました。この 「 天声人語 」 というのは、もっともこればかりではありませんが、最初は 「 オッ 」 と言わせるような書き出しがよくありますが、結局は政治の批評などになってしまって、「 なんだ、そこへ行く為の導入だったか。」 なんていう書き出しが多くてがっかりさせられてばかりいます。
しかし、今回はちがいました。最初から最後までマイルス・デイビスとジョン・コルトレーンの話でした。1950年代、60年代を中心に活躍した面々。その中の二人ですね。どちらも私は好きです。
左がマイルスの「カインド・オブ・ブルー」 右がコルトレーンの「至上の愛」
(それぞれ試聴できます。)
音楽の話とか料理の話は、実際に聞いたり食べたりしないとピンと来ないところがありますから、あまり深入りした話は止めにしますが、こういう音楽を聞くと若い頃を思い出して、ジンと来るものがあります。音楽そのものに思い出が裏打ちされているというわけです。
「 あの頃はオレも若かったな。」 とか、「よく滅茶苦茶をしたっけな。」 などということを思い出しますね。こういう音楽家たちも、若い頃は若さをしたようで、コルトレーンなどは麻薬にただれていたそうです。記事によると、そのコルトレーンをマイルスがぶん殴って諫めたことがあったとか。なんか、大げさに聞こえるかもしれませんが、彼らは命がけで音楽をやっていたような気がします。気持もハングリーだったので、良い音楽が作れたのかなと思うことがありますね。よけいな話ですが、ハングリーだったころの淡谷のり子の歌もすごかった。伊香保にあるオルゴール博物館で、彼女のSPレコード聞かせてもらってから、大嫌いだった淡谷のり子が好きになりましたよ。
種類は不明 甘さ抜群
大雨が降ったので、合羽を着て作業をしました。蚊がたくさんいましたね。不快指数は100でした。ものによっては待ったなしの収穫もありますからね。もうだいぶ慣れました。困るのは、あと少しで終わるのにナー、と言うときに来客があることです。そういう時というのは、よくトイレも我慢して作業していますから、あ~~~っ つ・ら・い~~。早く帰ってチョーーーー。
新しい早口言葉 : 「 うちに来る客はよくしゃべる客だ 」
昨日は、お昼頃から雨になりました。ちょっとした会議があって、偕楽園の近くに行ったのですが、終わる頃になって雨になってしまい、萩の花は見ないで帰ってきました。
吉ちゃんさんから、どんなカメラを使っているのかという質問がありましたので、昨日のコメントの続きで話題に挙げてみます。
これは、ごく普通のよく売られているタイプのものです。casio の Exilim という 3倍ズーム付きのものです。ある時から、どうやってもピントが合わなくなってしまい、すべてマニュアルで焦点を合わせながら使っていました。難点は、晴天の元では後側にある液晶の画面が暗くて焦点が合わせられないことです。いろいろと考えた末に、設定をリセットしたら、ピントも合うようになりました。
これは canon の EOS Kiss と言う一眼レフです。レンズは、やはり canon の フィルム用のカメラ EOS のをそのまま使っています。本当はデジタル専用のレンズが良いそうですが、お金がたいへんなので、これを使っています。長いレンズが 105mm~300mm のズームで、短い方が 35mm~105mm のズームです。左のは、レンズの先端に付ける接写用のレンズです。ケンコーの No.3 です。撮影距離は 120~35cm と書いてあります。あまり使いません。倍率が上がると、ピントの深さが短くなるので焦点が合わせにくいですね。
ケンコーの接写用レンズ
カメラはあまり使わなかったのですが、ブログを始めてから頻繁に使うようになりました。特にデジタルは撮ってすぐに使えるので、カメラを使いたいという気持が強くなりました。失敗してもまた撮れる。撮っても費用がかからない。そういう利点もあります。
接写レンズを 300mm に付けた場合です。レンズを重ねているので、少し霧がかかったように見えます。これは、やりすぎです。よく見ると、切手は羽根のあたり、文字は左の上の方にピントが合っているようです。晴天の元に、つまり強い光の中で虫などを撮る時はけっこう撮れます。接写ならマクロレンズを使うということもありますが、どちらが良いか分かりません。
写真の腕に自信は全くありません。下手くそです。 でも、なんとか情報は伝えられます。そのつもりで使っています。自分で変わったなと思う点は、物をマクロとミクロの両方の見方が少しできるようになったことでしょうか。つまらないと思って、無視していた物にすばらしいものがあることに気づかされることが多くなりました。
いろいろなブログを見ていると、本当にきれいに撮れているサイトがあります。私にはどうしてもそのようには撮れません。発色が違うのです。トリミングをしているのかなと思うことがあります。それはしているかどうかは分かりません。
倍率のあるレンズを使うと、前後がぼやけて撮りたいところだけがくっきりしますので、効果が出ます。うまく行くと楽しいです。
元の同僚の方からもらった花が多いです。苗でもらうのですが、最初は小さくてなかなか育ちません。心配をよそに、どんどん育ってくれて揃ってくれました。たくさんもらうので、あっちにもこっちにも花があります。
さて、オケラじゃなかった、オクラは見ているつもりなんですが、どうしても見ない日ができてしまいます。オクラだけを見に行くという特別にイベントを作るというような、、、。とにかく習慣にしなくてはだめですね。「 アっ!!」 と思った時には、すでに遅しということが多いです。
これじゃどうしようもない。切り取ってすてるのももったいないし、かと言ってたべられないし、、、。 しかたないので、種にしてみます。市販の種が一番でしょうが、取った種をどこかに置き忘れてしまったということが無ければ、試してみようと思います。( 忘れる自信は大いにあり。「 お蔵入り 」 なんちゃって。)
「 ちょっとそこまで来たので、食べておくれ。」 と言って、大根を置いていってくれた人がいます。この人は大根作りの名人です。その人が言うように大根の種を蒔くのですが、なかなか上手にできません。スが入ったり、下で枝分かれしてしまったり、変化に富んだ大根作りは こちらの方が名人 です。
今日は朝から曇天で暗いです。そのうちに雨が降り出すとか。今日も一日がんばって行こ~~。
キュウリは全部で3度に分けて作りました。最初に苗を植えたものは、まだ健在です。あの、畑が洪水になったときに板をわたして取りに行った、そのキュウリです。先の方は冬瓜の蔓が延びてきてごちゃ混ぜになってしまいました。
3度目に植えた苗からも取れ始めています。しかし、2度目の苗がおかしいです。上の写真のように、たいへん影が薄いそんざいになってしまいました。蔓は枯れてはいませんが、葉がなくなってしまいました。
それで、肝腎のキュウリはどうかと言いますと、こんな具合です。とぐろを巻いたり、ひょうたんのようになってしまったり、丸っこくなってしまったりで、およそキュウリらしくありません。虫の被害なのか、それとも病気なのか分かりませんが、とにかくこれはもう無視するほかなくなりました。ほかにもあるので、大騒ぎするほどのことではありませんが、ちょっとした珍事です。
ウドの花 2
まったく、何をどうしたらよいか分からないままに、アマランサスという作物をつくってみました。ケイトウのような作物です。ケイトウと遠い親戚にはなっているようです。
茎に土寄せをしなかったせいか、倒れました。倒れたところから上を向いて茎がまがりました。下に種が落ちて芽を出し始まったので、穂を刈り取ってみました。
実は種を蒔くときからわかっていたのですが、とても細かいものです。ですので、不器用な私は蒔くのに大変でした。穂に当たる部分は、キビとかモロコシのようには、カラカラには乾いていないので、カビが生じやすい感じです。数日干していますが、何かまだ湿っぽいような気がします。
http://www.afftis.or.jp/ToshiSakumotsu/amaranthus/amaranthus2.html によると、 「 小麦粉,精白米,そば,ハトムギ等の穀物に比較して,蛋白質,脂質,繊維,鉄,カルシウム,リン,カリュウムなどの成分値が高い。」 とあります。成分の一覧表もそのサイトにありますが、それはコピーできませんので、興味のある方はそちらに移って確かめてください。種をまく前に一度ご飯に入れて食べてみましたが、何の味もしませんでした。
珍しいもの好きな私なので、一度は作ってみようと思ったわけです。来年も作るかどうかと言いますと、たぶん面倒なので作らないと思います。こういう作物は、たぶんあまり普及しないでしょうね。
センナリホオズキ(千生りほおずき)です。赤くなりません。雑草です。毒があるという人がいますが、実際はどうかわかりません。ことしはこの雑草とカヤツリソウが畑でちょっと目立ちました。
藁は全部運び終わりました。そして、足場パイプで作った物置に全部入れました。これで雨が降っても大丈夫。久しぶりの肉体労働でした。つかれた~~~。
今日はギャグは梨です。あっ、言い直し。無しです。
藁は、午前と午後とに分けて運びました。ほとんど運びましたが、あと少し一時間くらいやれば終わるだろうというところにまでたどりつきました。かなりの運動量になります。昼休みには熟睡してしまいましたよ。これができるから、また動けるんですね。眠るということはエネルギーを蓄えるということですよ。 いつでも、どこでも眠れるのが特技です。
いま、その藁を入れるところを考慮中です。スペースはあると思っていますが、昨年の1.5倍くらいの量をもらったものですから、少しはみ出るかも知れません。わらわはわらをなんとしようかの。 おっと、私は男だった。おやじギャグわらわないでね。まあ、何とかなるでしょう。
テントウムシダマシにやられていたナスは、被害にあった実を全部切り取って、処分しました。その後、新たに花が咲いて、実になってきたものがあります。テントウムシダマシは繁殖期を過ぎたのか、その後は被害が出ずに、回復しつつあるようです。
このナスも剪定もしないままになってしまいましたし、支柱もあまり立て直さなくなったので、一部枝が折れているところがあります。被害にあってから、いいかげんになってしまいました。ところで突然ですが、長ナスってなんでしょう。
遅かったエシャロットも、ぼちぼち芽が出始めました。元気よさそうでしょう。まだ全部は揃っていません。まったく芽の兆しの見えないものもあります。種の不良もあると思います。これは、種の球根が多すぎるくらい量があったので、多少は芽が出ないのがあったくらいの方が良いです。
やっと 爽やかな風 が吹く季節になってきましたね。今年の夏は、暑さが苦しくなかったです。もっとも、適当に熱射を避けていましたけど。暑いときには、むしろ暑さに向かっていってしまった方が楽のような感じがします。これからは、秋を堪能するように心がけます。秋はいいなぁ。冬も良いです。インフルエンザや風邪が流行るのが嫌ですけどね。ひとつ 大きい秋 とまで行かないとしても、中くらいの秋 を見つけるように心がけたいと思います。
(補) 長ナス = ナース = 看護婦(士)さん
黄色いでしょう
トレニア
稲刈りの真っ最中です。早い人は8月の末頃から始まっています。あっちでも、こっちでもコンバインの音が聞こえます。今は、刈り取った米はコンバインの中にためて置いて煙突のようなところから、トラックに吐き出すことができます。
トラックは、その米を家に持っていって乾燥機に直接入れられるのだとか。なので、刈り取った時点では、布の袋に入れてそれを積み卸したりする労力はかけずに済むそうです。楽になりました。その代わり、このコンバインは、なんでも300万円もするとか。ヒャーッ。すごい。
手前は私の畑の青シソと赤シソ その向こうがゴボウに失敗した他人の畑
わが家の畑の前の方の田んぼです。ここの田んぼの持ち主の孫さんが刈っています。彼は、お祭りの時に山車に乗って舞いをやります。おとなしくて働き者のいわゆる良い奴です。
その田んぼから藁をもらうことにしてありました。藁は普通は上の写真のようにチップになってしまいます。この方が集めて燃やし易いし、何かと扱い易いのでしょう。長いと始末するにはやりにくいですから。
昨年、公民館の一斉清掃の時に、たまたまこの田んぼの持ち主のジイさんと、お茶の時間に隣りに座ったのがきっかけで、藁をもらうことになりました。昨年は、なんとおよそ50年ぶりに藁束をつくりをしましたよ。子供の頃に手伝ったとき以来です。でも、やりかたは覚えていましたね。
三つ子の魂、、、、とは、こういう場合には使って良いのかな。使えない、つかえない。これは気質とか性質のことを言うんでしょうね。それより、昔とった杵柄(きねづか)が良いようですね。
ところで、ざっとこんな風にチップにしなかった、長いままの藁が残されていました。これを集めて、大束にまるきます(束ねます)。これはかなりの運動ですよ。汗がでます。急いでやったら息が切れます。帰りはきれません。分かるかなー?
軽トラに軽く2台分ほど運んできました。手で刈り取ったものでないので、切り口に藁の袴がだらしなく付いたままでいます。一通りは自分の腹にぶっつけながら切り口を揃えたのですが、腰砕けになって、きれいにはそろえることができませんでした。
まだまだ田んぼには残っています。この3~4倍くらいは運ぶようになるでしょう。ことしは沢山もらって、畑の空いているところに敷き詰めて見ようと思ってます。雑草の生え方がかなり違うのではないかと思っています。これはテストです。ダメなら次からは止めます。敷き詰めるには薄くては効果がないので、ある程度は厚めに敷くようになるでしょうから、たくさんもらう必要があります。一日に2~3時間くらいしかこの仕事はやりませんから、あと3~4日くらいはかかるかもしれません。
憂きことを思い連ねて雁がねの 哭きこそ渡れ秋の夜な夜な 凡河内躬恒
(おうしこうちのみつね)
すごい赤でしょう
毎日の生活がワンパターン化してきてしまいました。ワンパターンは、決まったことをやれば良いのですから気疲れしない、苦労も無し。ただ汗を流すだけ。だから楽。ということになるのかなぁ。特に今はやりたいこと、と言うより出来ることがほかに無いので、このままで生活することにしよう。 どうせ、現役で働いていたときもそうだったんですから。何てこたぁないさ。ハハハハハ。
こんな風に撮れば少しはロマンチックに見えるでしょうか。このカメラは、どんなに工夫してもピントが合わなくなってしまったのですが、リセットさせたら一発で合うようになりました。デジタル独特のトラブルです。人生もこうできると良いんですけどね。もっとも、そうなると私などは、きのうリセットして今日もまたなんて、しょっちゅうリセットばかりしていることになりかねませんね。
トウガンの季節です。里芋の葉の下にゴロゴロ、キュウリと一緒にゴロゴロ、栗山にゴロゴロ、ハウスにゴロゴロ、堆肥の上にゴロリと、あることあること。これくらいスイカが熟れたらよかったのに。
こんな風に料理をしてもらいました。大根のようには味がしみ込んでいませんでしたが、おいしかったですよ。名前は何というのかなぁ。名前より味が大切ですね。しかし、こんなにたくさん今年もできちゃって、どうしようか考えるのも疲れますよ。豊作って何なんでしょうか。
ねじばな
なんばんぎせる(ススキに寄生)
台風は、まだ北海道あたりにいるようで、油断できない状態です。青森のリンゴはどうなったんでしょうか。大丈夫だと良いですね。この、いろいろな被害に含めて農作物の被害は受けた側の気持がよく分かります。少しばかり多めの雨を降らした程度で過ぎていってくれると良いのですが。
置き物のように撮れてしまいました
その台風で、すこし天候に狂いがでたのか、その後は暑いです。秋は着々と迫ってきていると言うのに。秋刀魚がうまい。また、このブログに関しては、ものを言っても唇なんか寒くなりませんから、楽しいですね。
少し前の写真ですが、ミツバが順調です。アゲハの幼虫の被害にもあいませんでした。ニンジンも被害ゼロです。この調子ならおいしいミツバがたくさん食べられます。
張ってある紐は倒伏防止
アスパラガスはこんな具合です。枯れた後にまた青いのがでたりしています。だんだん枯れて行くんでしょう。そして冬に入る前に、全部刈り取ります。来年からは4年目に入りますから、たくさん食べられることになります。気が変わらなければ来年はホワイト・アスパラはやりません。となると、それなりに旬のものを食べていることになるかなー。トウガンなんかも食べますからね。あまりうまくないみたいですが。小屋の中に延びてきたミニトマトの葉っぱなんかを飛び上がって食べているみたいです。
アブラナは後遺症?が見られます。つまり、取り入れの後、あちこちに出ていること出ていること。まるで雑草です。でも少し大きくしてから にやると喜んで食べてくれるので、少しもじゃまにはなりませんね。仕事の区切り目に、このアブラナを小脇にかかえて鶏小屋に行くと、かれらの宴会が始まるというわけです。
配合飼料だけで飼っている人が多いでしょうが、どちらかと言うとわが家では残飯とか、くず野菜、くず雑穀、雑草などが多い、いや、ほとんどそうですね。パンの耳も食べているか。
さて、今日の話はトリがトリを取ったようです。 お後が、、、 よろしいようで。m(_ _)m
台風13号は、とんでもない被害を九州にもたらして、日本海に抜けて行きました。まったくひどいね。どうしてこんなことが起こるのか。自然の力はすごい。私の地域は、せいぜい雨がたくさん降ったくらいでした。風はありませんでした。あったと言えばあったのですが、ごく普通の毎日吹く風の程度です。ビニールハウスを守るなんてことはちっとも思いつきませんでした。
雨は大雨になりました。それでも畑が冠水するほどではありませんでした。それに、たくさん降っている時間はごく短かったです。
しかし、その後が、、、、。 あ つ い、、、、。 暑かった。それに湿っぽくて弱りました。 そのじめじめした暑い中で、二度ほど栗拾いをやり、あとはゆっくりしてしまいました。空では雷がゴロゴロ、私は畳にゴロゴロ。猫も脇でゴロゴロ。
母は92歳です。市が主催する敬老会があったのですが、母は出席できませんので、記念品を取りに行きました。帰りにケーキ を買ってきて 「 お め で と う 」
朝のドラマ 「 純情きらり 」 も、もう終わりに近づいてきました。最初は面白くなくて、ぜんぜん見ませんでしたが、そのうちに毎朝見るようになりました。この若い二人はめでたく結婚。わたしは 井川 遙 の演じる二女が良かったナーと思います。落ちついていて控えめで、そしてしっかりしていて決して目だたない。井川さんもきれいだねー。
おや? こんな花の中に里芋が、、、。これはヤツガシラです。昨年、ここに穴を掘ってヤツガシラを保存したのですが、取らなかったイモから芽が出たものです。こんなに立派になって、きっと土地が豊かなせいなのかなーと思いました。ありがたい、ありがたい。
私は、どちらかと言うと耕したり草を刈ったりチェーンソーを使ったりするような、力仕事の方が向いているような気がします。何を植えたらよいか何時まいたらよいかとか、種まきとか取り入れは奥さんの方がはるかに向いています。私は緻密性に欠けるので、本格的な農業には向いていません。いいかげんなんですね。専業農家でなくて良かったです。
珍しくというとちょっと大げさですが、自分で気が付いて収穫してきました。ミニトマトはジュースになりました。トマトの皮とか種は鶏が食べました。インゲン豆はゴマ和えになって食卓に出されました。インゲン豆はまだまだ出来ます。これはツル無しで後口のものです。前口のものは先代の種がこぼれて脇から芽がでて、それに豆が生っています。この豆も強いですね。
その後口のインゲンです。花が咲いていますから、まだまだ取れますね。hachi さんは、「よくたかり豆 」というのを作っていて、これがこれからはインゲンよりはるかにおいしいと言っていますが、それもインゲンの仲間なんでしょうかね。ここでまた下手なダジャレを一つ。 「 これはインゲン、私はイイカゲン。」 お後が、、 、 、 いや、今日は話題がまだあるんです。
ブロッコリーはこんな具合になっています。根本に土寄せをしてあります。鍬で土を掘り寄せるのを、私たちは 「 さくを切る 」 と言いますが、「 さく 」 というのは畦という文字を書くらしいです。辞書では 「畦( うね )」 と言う字で書いてあります。「 さくを切る 」 という表現の例文もありました。よく 「 さぐ切りやったげー?」 なんていうことを言いますね。さくの 「 く 」 は濁ります。「 ~かい?」 は 「 ~げー?」 となります。
「そうだろうな。」 なんてのは、「 んだっぺな。」となります。「 ん 」で始まる日本語の貴重な例です ( と、ちょっと大げさかな )
気持をオープンにすれば、こだわりなくいろいろなことができます。作物でも、種類が沢山ありますから、作るものと作らないものが出てきます。ごく一般的なものでも、何かこだわりとか、ちょっとしたつまらない理由で作らないものがでてきます。
私のところでは、ナス・キュウリなどは例外ですけど、隣からもらえるものはあえて作りませんでした。しかし、みさんさんのブログを見ていると刺激を受けますね。「 そんなら、オレもチャレンジしてみっか。」 という気持になります。オープン・セサミですね。
そんなわけで、少し気持をオープンにして、ゴボウを作ってしまいました。ゴボウは作らなかった理由ははっきりしています。掘るのがたいへんだからです。山芋もそうです。
大浦ゴボウ(手前)とサラダゴボウ 区別不可
リラさんに指摘されたので、間引きを少ししました。間引きした方がはるかに良いのは分かっていますが、ケチな性分なんでしょうか、出来ないんです。それに他の仕事が入ってしまうと、ついついやらないでしまうということに、、、。
いつ収穫したらよいか、種の袋をなくしてしまったので分からなくなってしまいましたが、とりあえず掘ってみました。左がサラダゴボウで、右は大浦ゴボウです。大浦ゴボウは種の袋の写真では、もっと太くて短いという記憶があるんですが。
大浦ゴボウは、あまり深く掘らなくても収穫できました。しかし、サラダゴボウは何だこりゃー。深いではないか。面倒くさがり屋なので、途中まで掘ってひっぱってみましたがダメでした。それで、ほとんど先端の方まで掘ってしまいました。ただの穴を掘るのは好きなんですが、こういうのは、ゴボウを切ってしまいそうな気がして、疲れます。
出来具合はどちらもまちまちです。ごく細いのあり、これなら良いかなというのもあり、枝分かれしてしまったものありですね。でも何とかたべられるでしょう。なにせ、すぐ隣の畑では、このゴボウが枝割れしてしまって、出荷できずトラクターで耕してしまいましたから。それと比べたら私のなどは素晴らしい。食べられますから。( 実は採算は関係ないからですけど。)
まあ、これくらいのものが出来れば、自分としては合格かなと思います。それにしても不良品が多いねー。しかし、それでも作った喜びが味わえました。ところで、これから掘る量は、これの10倍くらいはありますかね。「 たいへんだー、こりゃー。」 と 「 渡る世間は鬼ばかり 」 の宇津井健の口調で言ったりしています。
蝶の乱舞 撮るのがむずかしかったーーー
きょうはオンブしていないね
急に涼しくなってしまいました。彼岸まではまだ少しあるので、まだ暑い日が来るかもしれません。昨日はかなり日差しが強かったのですが、風がすずしかったので助かりました。太陽からのエネルギーがどれだけ強いか、屋根に上げた風呂用の水の温度で分かります。日差しは強そうでしたが、水の温度は真夏のようには熱くなりませんでした。
シソに花が咲き始めました。これから小さな実ができますが、これを塩漬けしたものは、口の中でプチプチして、独特の香りがして好きです。ことしはシソジュースにして、ずいぶん飲みました。
この、フォークリフト用のパレットに四つ足を付けた低い台に座って、畑をながめながら、トマトハウスから取ってきたトマトをガブリと食べるのが好きです。汗の流れる疲れた体が本当に休まります。
余談になりますが、こういう工作物はネジを使うとよいのだとか。ギシギシと揺らされることが多いので弛みやすいです。ネジならキチッと締め付けていますので、ゆるみにくいとか。確かにそうですね。釘だとだんだん弛みます。
この屋敷と畑が続いているのが、なんとも便利です。用事があってもすぐに家に戻れるし、畑で使う物を忘れてもすぐに取りに戻れます。野菜を取りに行くにも、ちょっとつっかけを履いて行けるし、これが一番ですよ。猫のミーちゃんに 「 畑に行こう。」 というと、ちゃんと分かって、あとをついてくるから可愛いものです。
ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん 西行