『斬る』を観ました。
前回の『剣鬼』と同じく、監督が三隅研次で、主演が市川雷蔵のチャンバラ映画です。
『剣鬼』が1965年公開で、『斬る』は1962年の公開ですから、私が12歳の頃の作品です。
映画が斜陽期に差し掛かりつつあった頃かと、後からふり返って見て、1950年代が頂点でしたから、60年代前半の真っ直中では、“ちょっと陰りが”位の認識が、ぼちぼち出始めた頃かも?
それで、『剣鬼』ですが、『斬る』と同じく、ストーリーも判り易く、テンポよく、画面に引き込まれる面白さで、やっぱり!チャンバラ映画はイイ!と思わせる作品です。
後で確認したら、上映時間は、何と、何と、驚きの1時間10分。それなりの物語を1時間ちょっとに、よくもまあ詰め込んだものだと、感心したのでした。
今回も、剣鬼と同じく、主人公には出生の秘密があり、その秘密が不幸を引き寄せ、悲しい結末を向かえるお話。
飯田藩の藩主が江戸屋敷に囲う「妾」に狂い、家来一同が藩の存続の危機として案じるなか、側女中“藤子”が「妾」の命を奪い藩の危機を救う、その藤子が後に主人公信吾の母となるのです。
藩主以外は救世主として考えているのですが、藩主にとっては寵愛する女を殺し憎き犯罪者。藤子を罰する為に、江戸から飯田藩に送られる道中、長岡藩の藩士「多田草司-天知茂身」に寄って奪還されるのです。
この奪還作戦は、殿の正妻、家老、そして家来一同の企てだったのです。妾を殺されて頭に血が上った殿に、冷静な判断が出来るまでの冷却期間を置く策なのでした。
草司と藤子は山奥でひっそりと暮らし、二人の間には子供も生まれ、それなりに幸せな日々、この“子作り”も策のうちでした。母となった藤子です、殿もそうは無碍に極刑を科すことは無かろうと考えたのです。
しかし、寵愛する女を殺された殿、いつまで経っても怨みを抱き続け、一年の歳月の末に遂に藤子は捕らえられ極刑を下されるのでした。
それで、飯田藩主以外は藤子を救世主として考え、打ち首を介錯を引き受ける者が居らず、夫である多田の介錯で藤子は命を絶たれるのでした。
互いに、藩政の混乱を避けるため採った行為、藤子の介錯で藩政が混乱するのは不本意、夫の手により命を絶たれるのは本望と、刀を振りあげた夫に、微笑み送る藤子、しっかり受けとめる多田章吾。
何とも、美しい情愛と云うか、何とも、恐ろしい信念と云うか、正義をつらなく、これぞ武士の鏡? 武士の妻の鏡? 自己の利益の為にでは無く、世のために命を捧げることの美しさ?
ホント! 美しいのですが、怖いのです。そして、藤村志保は怖さを秘めた女優です。
それで、何ですが、藤子の介錯を拒否する「飯田藩士達」です、藩主の怒りが治まって居ないのを知っているのに、隠れ住む藤子を、本気で捜し出すのは、何か変だと思うのです。
飯田藩主が女に狂い藩政を危うくしている話しは、長岡藩主にも伝わり、そうか、それでは、と、藩士多田草司を差し向け奪還作戦を決行したり。
刑の執行後、残された子供は、小諸藩の藩主の計らいで家来に育てさせたりと、飯田藩主以外世間も、周囲の藩も、上から下まで藤子の味方なのです。
そんな藤子を、世間の風に逆らい極刑にするのも変だし、そんな事情が幕府の耳に入らないのも変なのです。耳に入れば藩はお取り潰し、それが為に藤子は妾を殺したのですからね。
それで、飯田藩の藤子と長岡藩の多田と間にできた子供は、小諸藩の家臣の手に寄り育てられ、立派に成人するのでした。この飯田藩、長岡藩、小諸藩の関係がよく判りません。
成人し立派な武士となった“信吾(市川雷蔵)”は、突然、“何となく”諸国を巡る旅に出たいと云いだし、父も、藩主も、「不幸な運命の子」だからと、旅に出させて貰えるのです。
3年間諸国を巡り戻った信吾、何故か何処かで剣術の技に開眼していたのです。開眼する過程はよく判らないのです。兎に角、剣の達人になって返って来たのです。
そして、剣の技は不幸を招くのです、剣の“技”が“禍して”育ての親と「妹」を殺されてしまうのです。虫の息となった「父」から、出生の秘密を明かされる信吾。
信吾は直ぐに下手人を追いかけ、一瞬にして二人の下手人を切り捨てるのです。
この時の市川雷蔵の殺陣は見事でした。一瞬で二人を倒すのです、あまりの速さに、一度観ただけでは、何が起きたか理解できませんでした。
3度くり返して見て、やっと、刀さばきが解ったのです。私が高齢者で動体視力が落ちたこともありますが、それにしても、見事な刀さばき、市川雷蔵は凄い!と、ホントに、ホントに、感服した次第。
そして、父と妹の敵を討った信吾は、故郷を捨て旅に出るのでした。そして、いろいろあって、幕府の高官のボディガードとなり、攘夷で暴れ回る水戸藩に高官と乗り込みます。
幕府の命に従うよう説得する渦中、水戸藩の謀略に嵌り高官は虐殺され、信吾も高官の傍らで切腹自害で、物語は幕を閉じます。
それにしても、冒頭で“妾”に短剣で斬りかかった藤子を観たとき、あれ、この女優は誰だっけ、見たことがある、でも、誰? 暫くして、藤村志保と気が付いたのです。
晩年の藤村志保しか知らなかったのです。このときが映画出演の第二作目で、まだうら若き23歳でした。それでも、単なる美人女優ではない演技です。
それと、市川雷蔵ですが、この時、32歳と若いです、そして、この作品の5年後に亡くなります。
もう一つオマケに、ちょっこし映画の絶頂期を調べて見たら、制作本数を指標とすると、1960年が公開本数が547本で最高で、スクリーン数も7457で最高でした。
と、云うことで、市川雷蔵のチャンバラ映画は最高でした。
それでは、また。
映画『剣鬼』を観ました。
三隅研次監督、市川雷蔵主演 原作柴田錬三郎で1965年10月の公開です。
面白かったです、飽きることなく、最後まで観てしまいました。あっと云う間の1時間23分でした。
見終わって感じたのは、何か、紙芝居でチャンバラを見ていた感覚でした。
1965年ですから、私が15歳でたぶん中学3年の頃です。あの頃は、もう、映画も全盛期から斜陽期への過渡期的な頃だったと思います。
全盛期のチャンバラ映画は、ハラハラとドキドキで、笑いあり涙ありで、最後は正義が勝って、ハッピーエンドで、観客はヨカッタ!ヨカッタ!で、映画館を後にしたのでした。
勧善懲悪でもなく、誰が勝った負けだでもなく、笑いもなく、ハーピーエンドでもなく、ど真ん中の大衆娯楽作品でもなく、時代劇としては、微妙な作品だと思います。
微妙な時期ですから、市川雷蔵の化粧も白塗りで、アイラインはバッチリキメキメで、二枚目で、大衆娯楽ど真ん中の色を引き摺っているのでした。
大衆娯楽的作品として、ストーリーの展開の速さ、ストーリーの分かり易さ、これは、観ていて、とても、とても、ここち良かったです。
主人公の設定とかは、それなりに考えると、それなりに疑問とか、謎とか、隠しテーマとか、深読みも?楽しめる作品だったりして、ここいら辺が過渡期の時代劇なのです。
それで、ストーリーなのですが、藩主の奥方に使える女中が、奥方の臨終の床で賜ったのが、何故か『斑の大きな犬』で、賜った女中も子を産み落として直ぐに謎の死を遂げるのです。
奥方も、女中も、死を遂げるシーンの背景に、うめき声とも、喘ぎ声ともとれる、犬の声と、犬のアップが映し出されるのです。
女中の死に際では、犬の声と重なるように、喘ぎ声をあげ、身もだえるシーンが映し出されるのです。奥方も、女中も、犬と交わり狂い死にしたと、城中では、家来一同みんな、そう囁くのでした。
そして、女中の産み落とした子は、下級武士の家に引き取られ育てられるのでした。犬と人間の間にできた「犬子」と云われつつ、蔑まれながら、虐められ、それでも、挫けず真面目に育って行くのでした。
それにしても、犬と人間の交合により子供が産まれた、と、匂わせる、暗示させる設定、生物学的にはありえないのですが、文学的にはありえるのです。
獣婬は、古今東西の歴史上、よくある事でもなく、それほど珍しい事でもないのです。
製作意図として、人間の業とか、欲望とか、罪深さとかを、隠し味とし、作品としての、厚みとか、奥行きとか、重みとか、単なる薄っぺらなチャンバラ映画ではないと、そう主張したかったのでしょう。
それで、犬の子と囁かれている子供に、犬が斑模様だったので、班平と命名するのは、かなり変です。そうあからさまに「犬子」を背負わせてどうするの?
成長して、何故か花造りの名人となったり、また、何故か、馬と同等の早足で、殿様の遠乗りのお供をに引き上げられたり、何故か、居合いの達人にその技を伝授されたり。
そうでした。殿様は狂い死にした奥方の息子で、かなり狂気的な行状で、母の血を受け継いでいると囁かれ、藩の存続を危ぶまれる存在なのです。演じた“戸浦六宏”は、とても、とても、犬顔でした。
犬との関わりを暗示させる二人り、狂気の殿様と、驚異の走り、驚異の剣の使い手、互いにもに、その宿命に、それとなく気づきつつ、繋がっていくのです。
斑平は、花作りを愛しつつ、殿様を守る為に、十数人を容赦なく斬り殺す。一時、そんな己に疑問を抱くが、人を斬り殺す魔力からは逃れることはできないのです。
取り憑かれている、呪われている、宿命として、狂気として、鬼として、斬り殺し続けるのです。
まあ、そんな、屁理屈はこれぐらいにして、兎に角、展開の速さ、殺陣の見事さ、美しさ、市川雷蔵は、とても、とても、素晴らしい時代劇役者です。
まあ、気楽に、あまり余計なことを考えずに、チャンバラ映画として、とても、とても、楽しめる作品です。
それでは、また。
三隅研次監督、市川雷蔵主演 原作柴田錬三郎で1965年10月の公開です。
面白かったです、飽きることなく、最後まで観てしまいました。あっと云う間の1時間23分でした。
見終わって感じたのは、何か、紙芝居でチャンバラを見ていた感覚でした。
1965年ですから、私が15歳でたぶん中学3年の頃です。あの頃は、もう、映画も全盛期から斜陽期への過渡期的な頃だったと思います。
全盛期のチャンバラ映画は、ハラハラとドキドキで、笑いあり涙ありで、最後は正義が勝って、ハッピーエンドで、観客はヨカッタ!ヨカッタ!で、映画館を後にしたのでした。
勧善懲悪でもなく、誰が勝った負けだでもなく、笑いもなく、ハーピーエンドでもなく、ど真ん中の大衆娯楽作品でもなく、時代劇としては、微妙な作品だと思います。
微妙な時期ですから、市川雷蔵の化粧も白塗りで、アイラインはバッチリキメキメで、二枚目で、大衆娯楽ど真ん中の色を引き摺っているのでした。
大衆娯楽的作品として、ストーリーの展開の速さ、ストーリーの分かり易さ、これは、観ていて、とても、とても、ここち良かったです。
主人公の設定とかは、それなりに考えると、それなりに疑問とか、謎とか、隠しテーマとか、深読みも?楽しめる作品だったりして、ここいら辺が過渡期の時代劇なのです。
それで、ストーリーなのですが、藩主の奥方に使える女中が、奥方の臨終の床で賜ったのが、何故か『斑の大きな犬』で、賜った女中も子を産み落として直ぐに謎の死を遂げるのです。
奥方も、女中も、死を遂げるシーンの背景に、うめき声とも、喘ぎ声ともとれる、犬の声と、犬のアップが映し出されるのです。
女中の死に際では、犬の声と重なるように、喘ぎ声をあげ、身もだえるシーンが映し出されるのです。奥方も、女中も、犬と交わり狂い死にしたと、城中では、家来一同みんな、そう囁くのでした。
そして、女中の産み落とした子は、下級武士の家に引き取られ育てられるのでした。犬と人間の間にできた「犬子」と云われつつ、蔑まれながら、虐められ、それでも、挫けず真面目に育って行くのでした。
それにしても、犬と人間の交合により子供が産まれた、と、匂わせる、暗示させる設定、生物学的にはありえないのですが、文学的にはありえるのです。
獣婬は、古今東西の歴史上、よくある事でもなく、それほど珍しい事でもないのです。
製作意図として、人間の業とか、欲望とか、罪深さとかを、隠し味とし、作品としての、厚みとか、奥行きとか、重みとか、単なる薄っぺらなチャンバラ映画ではないと、そう主張したかったのでしょう。
それで、犬の子と囁かれている子供に、犬が斑模様だったので、班平と命名するのは、かなり変です。そうあからさまに「犬子」を背負わせてどうするの?
成長して、何故か花造りの名人となったり、また、何故か、馬と同等の早足で、殿様の遠乗りのお供をに引き上げられたり、何故か、居合いの達人にその技を伝授されたり。
そうでした。殿様は狂い死にした奥方の息子で、かなり狂気的な行状で、母の血を受け継いでいると囁かれ、藩の存続を危ぶまれる存在なのです。演じた“戸浦六宏”は、とても、とても、犬顔でした。
犬との関わりを暗示させる二人り、狂気の殿様と、驚異の走り、驚異の剣の使い手、互いにもに、その宿命に、それとなく気づきつつ、繋がっていくのです。
斑平は、花作りを愛しつつ、殿様を守る為に、十数人を容赦なく斬り殺す。一時、そんな己に疑問を抱くが、人を斬り殺す魔力からは逃れることはできないのです。
取り憑かれている、呪われている、宿命として、狂気として、鬼として、斬り殺し続けるのです。
まあ、そんな、屁理屈はこれぐらいにして、兎に角、展開の速さ、殺陣の見事さ、美しさ、市川雷蔵は、とても、とても、素晴らしい時代劇役者です。
まあ、気楽に、あまり余計なことを考えずに、チャンバラ映画として、とても、とても、楽しめる作品です。
それでは、また。
前回の続きです。
『銀座化粧』のお話です。
バーの客に支払う金が無い云われ、友達と待ち合わせているからと、別の居酒屋まで「付け馬」として付いていき逃げられたり。
バーのママから借金返済の相談をされて、心当たりのある男に援助を頼んだら、倉庫で関係を迫られ拒絶したり。
お妾さんしていた過去に、旦那の子供を胎み、産む際に生死を彷徨い、その時の旦那の対応に感謝し、落ちぶれ別れたいま、時々金の無心に来るが、それなりに対応していたり。
水商売の女としては、脇が甘く、金の為なら嫌な男でも受け入れる女でも無く、過去に恩にはそれなりに感謝の気持ちを忘れない。
ヒロイン雪子は、狡さもなく、こころ優しく、島崎藤村の詩集を口ずさむ、とても素敵な女性なのです。42歳になっても、清き乙女心を残した女性なのです。
現実には、ちょっと有り得ないような設定? でも、世の男として、成瀬巳喜男として、きっと、そんな女性がいて欲しいとの、願望が創りだした雪子さん。
そんな、雪子の前に、理想的な男性が現れます。元女給仲間の静江が“純愛相手”と称する男が上京し、旦那の都合で、静江は雪子に東京案内を頼むのでした。
それで、横道に逸れますが、静江が案内できない理由として、“婦人民主クラブの用で”との台詞があります。
1946年に宮本百合子、佐多稲子、山室民子、関鑑子、羽仁説子、松岡洋子、加藤シヅエらによって結成された団体です。さり気なく時事ネタを潜り込ませています。
“婦人民主クラブ”で思い出すのは、“ドクフレン”です。“毒婦”ではなく、“独婦”で、独身婦人連盟のことです。
終戦直後は、結婚適齢期の男女比に不均衡があったのです。戦争で男が大量に死んだ為に、男が2百数十万人不足していたのです。結婚できない女性が大量に発生していたのです。
ですから、男にとっては選り取り見取りで、女性にとっては選り好みしづらい環境だったのです。平和になって死の恐怖から解放され、反動として生に目覚め、性に目覚め、男と女は日ごと夜ごと励み、ベビーブームが起きたのでした。
そういう背景があっての、雪子の男性選び、結婚願望、フツウの家庭、ふつうの奥様願望なのです。
それで、純愛相手は長野の大地主の次男“京助”、測候所の職員で、若くてハンサムで、夜空の星を愛し、詩を愛し、モーパッサンを愛し、とても、とても、純情で純粋で世間離れしている男なのです。
雪子は、もう、一目惚れで、結婚を考えたりするのですが、小学生の息子が一時行方不明となり、店の女給仲間で、妹のように可愛がっていた“京子”(香川京子)に京助の世話を頼むのでした。
そして、そして、京助と京子は一晩で、こころを通わせ、結婚の約束をしてしまい、雪子の儚い夢は破れるのでした。京子と比べたら、雪子は条件が悪すぎるのです。
それにしても、若くて美しくて、純情可憐そうで、女給とは思えない、見えない、京子役の香川京子です。1931年12月の生まれですから、このとき19歳です。我が茨城県は行方市の出身。
それで、夢破れた雪子ですが、元の旦那が訪ねて来て、金の無心をされる前に、雪子から、
『お金ならダメよ!・・・私もこころを入れ直して、しっかり働くわ、結局、今となれば春雄だけがあたしの頼みの綱』
と、語るのです。母と息子と二人で生きていく決意を固めたのです。
息子が唄う、春が来たの歌声が流、川岸には芽吹いた柳、店に向かう雪子の後ろ姿のシーンでエンドマークとなります。
始まりの季節、春で、終わらせた処に、監督の意図を感じたのですが、考えたら(ちょっとだけ)公開が4月14日でしたので、単なる製作時期によるものかも?
この後、世の中はほどなくして高度成長の時代に突入し、雪子もパトロンの必要もなく、自分で店を持ち、春雄も立派に成長し夢を叶え科学者となったと、思ったり、したのです。
田中絹代は、それなりに好演していました。原節子のような美人でもなく?強い個性もなく?小柄で可愛らしいのですが、色気はあまりなく?それなりに、フツウの日本女性を演じることのできる女優だと思います。
始めから、終わりまで、楽しめました、面白かったです。白黒で観る昔の銀座界隈の風景が、とても、とても、懐かしかったです。
そして、そして、春雄の、坊ちゃん刈り、半ズボン姿に、昔の自分の姿を見ているような感覚になりました。
そば屋にひとりで入り、夕食の“かけそば”を注文するシーン、ガンバレ!と声を掛けたくなりました。そして、“かけそば”を手繰りたくなりました。
はい、これで、『銀座化粧』を終わります。
それでは、また。
『銀座化粧』のお話です。
バーの客に支払う金が無い云われ、友達と待ち合わせているからと、別の居酒屋まで「付け馬」として付いていき逃げられたり。
バーのママから借金返済の相談をされて、心当たりのある男に援助を頼んだら、倉庫で関係を迫られ拒絶したり。
お妾さんしていた過去に、旦那の子供を胎み、産む際に生死を彷徨い、その時の旦那の対応に感謝し、落ちぶれ別れたいま、時々金の無心に来るが、それなりに対応していたり。
水商売の女としては、脇が甘く、金の為なら嫌な男でも受け入れる女でも無く、過去に恩にはそれなりに感謝の気持ちを忘れない。
ヒロイン雪子は、狡さもなく、こころ優しく、島崎藤村の詩集を口ずさむ、とても素敵な女性なのです。42歳になっても、清き乙女心を残した女性なのです。
現実には、ちょっと有り得ないような設定? でも、世の男として、成瀬巳喜男として、きっと、そんな女性がいて欲しいとの、願望が創りだした雪子さん。
そんな、雪子の前に、理想的な男性が現れます。元女給仲間の静江が“純愛相手”と称する男が上京し、旦那の都合で、静江は雪子に東京案内を頼むのでした。
それで、横道に逸れますが、静江が案内できない理由として、“婦人民主クラブの用で”との台詞があります。
1946年に宮本百合子、佐多稲子、山室民子、関鑑子、羽仁説子、松岡洋子、加藤シヅエらによって結成された団体です。さり気なく時事ネタを潜り込ませています。
“婦人民主クラブ”で思い出すのは、“ドクフレン”です。“毒婦”ではなく、“独婦”で、独身婦人連盟のことです。
終戦直後は、結婚適齢期の男女比に不均衡があったのです。戦争で男が大量に死んだ為に、男が2百数十万人不足していたのです。結婚できない女性が大量に発生していたのです。
ですから、男にとっては選り取り見取りで、女性にとっては選り好みしづらい環境だったのです。平和になって死の恐怖から解放され、反動として生に目覚め、性に目覚め、男と女は日ごと夜ごと励み、ベビーブームが起きたのでした。
そういう背景があっての、雪子の男性選び、結婚願望、フツウの家庭、ふつうの奥様願望なのです。
それで、純愛相手は長野の大地主の次男“京助”、測候所の職員で、若くてハンサムで、夜空の星を愛し、詩を愛し、モーパッサンを愛し、とても、とても、純情で純粋で世間離れしている男なのです。
雪子は、もう、一目惚れで、結婚を考えたりするのですが、小学生の息子が一時行方不明となり、店の女給仲間で、妹のように可愛がっていた“京子”(香川京子)に京助の世話を頼むのでした。
そして、そして、京助と京子は一晩で、こころを通わせ、結婚の約束をしてしまい、雪子の儚い夢は破れるのでした。京子と比べたら、雪子は条件が悪すぎるのです。
それにしても、若くて美しくて、純情可憐そうで、女給とは思えない、見えない、京子役の香川京子です。1931年12月の生まれですから、このとき19歳です。我が茨城県は行方市の出身。
それで、夢破れた雪子ですが、元の旦那が訪ねて来て、金の無心をされる前に、雪子から、
『お金ならダメよ!・・・私もこころを入れ直して、しっかり働くわ、結局、今となれば春雄だけがあたしの頼みの綱』
と、語るのです。母と息子と二人で生きていく決意を固めたのです。
息子が唄う、春が来たの歌声が流、川岸には芽吹いた柳、店に向かう雪子の後ろ姿のシーンでエンドマークとなります。
始まりの季節、春で、終わらせた処に、監督の意図を感じたのですが、考えたら(ちょっとだけ)公開が4月14日でしたので、単なる製作時期によるものかも?
この後、世の中はほどなくして高度成長の時代に突入し、雪子もパトロンの必要もなく、自分で店を持ち、春雄も立派に成長し夢を叶え科学者となったと、思ったり、したのです。
田中絹代は、それなりに好演していました。原節子のような美人でもなく?強い個性もなく?小柄で可愛らしいのですが、色気はあまりなく?それなりに、フツウの日本女性を演じることのできる女優だと思います。
始めから、終わりまで、楽しめました、面白かったです。白黒で観る昔の銀座界隈の風景が、とても、とても、懐かしかったです。
そして、そして、春雄の、坊ちゃん刈り、半ズボン姿に、昔の自分の姿を見ているような感覚になりました。
そば屋にひとりで入り、夕食の“かけそば”を注文するシーン、ガンバレ!と声を掛けたくなりました。そして、“かけそば”を手繰りたくなりました。
はい、これで、『銀座化粧』を終わります。
それでは、また。
前回の続きです。
1951年公開の『銀座化粧』のお話です。
夜の銀座で美しく着飾り、化粧を施し、色香と酒と会話で、男を楽しませる女給達の、男と女の、恋愛、結婚、子供、家族、家庭、そして、それで、女の幸せとは?
そんな化粧の下に隠された、女ごころの移ろいを、こころの“ひだ”を描いた作品です。成瀬巳喜男としてはスランプを抜け出し、名作『めし』に繋がるキッカケとなった作品だと思います。田中絹代もこの作品で低迷期を抜け出したそうです。
それで、男と女の関係ですが、作品にはいろいろなパターンが登場します。
ヒロイン雪子は長唄の師匠の二階に間借り、師匠の旦那はバクチ好きで働かず、師匠に養ってもらう髪結いの亭主。
昔の女給仲間の一人は、男に囲われたお妾さんで、経済的な苦労はなく、愛や恋は別の男性との純愛で、心の平衡を保っている。
今の女給仲間の一人は、貧乏役者と結婚し子供もいて、経済的には苦労しているが、苦しいながらも楽しい我が家的生活。
雪子は、過去、お妾さんをしていたが、相手の男が経済的に困窮し、子持ちの女給生活に戻り、フツウの結婚、フツウの奥様、フツウの家庭への憧れを抱いている。
それで、結婚なのですが、ここでは恋愛結婚に憧れているのです。時代は1951年ですから、恋愛は少数で、多数派はお見合いなのです。
そうなんです。この恋愛結婚が曲者なのです。現在、問題になっている、少子高齢化の“少子”は、“少婚”が原因で、そのタネはこの時代に蒔かれていたのです。
現在“少婚問題”の原因の一つとして、非正規雇用の拡大もあげられますが、恋愛結婚至上主義が第一義的な問題だと、そう考えるのです。
少婚は“しなくなった”のではなく、できなくなったのです。男女ともに、結婚対象への要求が過大になってきているのです。
少婚化で、晩婚化で、男も女も社会的経験を積み、いろいろと結婚への条件が厳しくなって来ているのです。少婚→晩婚→難婚→少婚の負のサイクルに嵌っているのです。
恋愛も、結婚も、性格だとか、容姿だとか、体型だとか、趣味だとか、ファッションセンスだとか、経済力だとか、ライフスタイルだとか、互いに抱く夢だとか、かなり、かなり、面倒で厄介な、シロモノになったのです。
昔は、お見合いで、両親が、周囲が、相手を決め、当人同士の愛とか恋とかは関係なかったのです。一緒に暮らしていけば、それは、それで、それなりに情が湧くのです。
男と女がひっつけば、そかなり嫌な奴でなければ、それなりに暮らしていけるのでした。むかし、結婚は簡単だったのです。
愛だ恋だと、ムズカシイことを言い合うようになったのは、人類の歴史上、日本の歴史上も、遂、最近も、最近なのです。
そうなのです。日本で、愛だ、恋だ、恋愛結婚だと、一般庶民もそんな風潮に染まりだし、流行始めた時代が、1950年代なのです。かなり断定的ですが、まあ、そんな処で間違いありません。
それで、成瀬巳喜男監督ですが、この銀座化粧が1951年4月14日の公開で、原節子主演の『めし』が同じ年の11月23日の公開です。
『めし』は、堅気の夫婦で、熱烈な恋愛で、周囲の反対を押し切り、結ばれた夫婦。しかし、数年の歳月が流れ、愛とか恋とか、まったく関係のない、退屈な日常と、経済的な不満から、離婚を考え、そして家を出て、そして、それなりに元の鞘に収まる、と云った作品。
『銀座化粧』は、水商売の女性の、男と女、愛、恋、結婚、堅気の結婚生活への憧れを描いた作品。
女給雪子が望むの男性像は、美男で、教養もあり、優しくて、ロマンチストで、そして、そして、なんと云っても経済力もある、そんな、とても、とても、子持ちで、40過ぎでは有り得ない高望み。
そんな背景、そんな思いで、アレや、コレヤで、物語は展開していくのです。
きょうは、ここまでとします。
それでは、また。
1951年公開の『銀座化粧』のお話です。
夜の銀座で美しく着飾り、化粧を施し、色香と酒と会話で、男を楽しませる女給達の、男と女の、恋愛、結婚、子供、家族、家庭、そして、それで、女の幸せとは?
そんな化粧の下に隠された、女ごころの移ろいを、こころの“ひだ”を描いた作品です。成瀬巳喜男としてはスランプを抜け出し、名作『めし』に繋がるキッカケとなった作品だと思います。田中絹代もこの作品で低迷期を抜け出したそうです。
それで、男と女の関係ですが、作品にはいろいろなパターンが登場します。
ヒロイン雪子は長唄の師匠の二階に間借り、師匠の旦那はバクチ好きで働かず、師匠に養ってもらう髪結いの亭主。
昔の女給仲間の一人は、男に囲われたお妾さんで、経済的な苦労はなく、愛や恋は別の男性との純愛で、心の平衡を保っている。
今の女給仲間の一人は、貧乏役者と結婚し子供もいて、経済的には苦労しているが、苦しいながらも楽しい我が家的生活。
雪子は、過去、お妾さんをしていたが、相手の男が経済的に困窮し、子持ちの女給生活に戻り、フツウの結婚、フツウの奥様、フツウの家庭への憧れを抱いている。
それで、結婚なのですが、ここでは恋愛結婚に憧れているのです。時代は1951年ですから、恋愛は少数で、多数派はお見合いなのです。
そうなんです。この恋愛結婚が曲者なのです。現在、問題になっている、少子高齢化の“少子”は、“少婚”が原因で、そのタネはこの時代に蒔かれていたのです。
現在“少婚問題”の原因の一つとして、非正規雇用の拡大もあげられますが、恋愛結婚至上主義が第一義的な問題だと、そう考えるのです。
少婚は“しなくなった”のではなく、できなくなったのです。男女ともに、結婚対象への要求が過大になってきているのです。
少婚化で、晩婚化で、男も女も社会的経験を積み、いろいろと結婚への条件が厳しくなって来ているのです。少婚→晩婚→難婚→少婚の負のサイクルに嵌っているのです。
恋愛も、結婚も、性格だとか、容姿だとか、体型だとか、趣味だとか、ファッションセンスだとか、経済力だとか、ライフスタイルだとか、互いに抱く夢だとか、かなり、かなり、面倒で厄介な、シロモノになったのです。
昔は、お見合いで、両親が、周囲が、相手を決め、当人同士の愛とか恋とかは関係なかったのです。一緒に暮らしていけば、それは、それで、それなりに情が湧くのです。
男と女がひっつけば、そかなり嫌な奴でなければ、それなりに暮らしていけるのでした。むかし、結婚は簡単だったのです。
愛だ恋だと、ムズカシイことを言い合うようになったのは、人類の歴史上、日本の歴史上も、遂、最近も、最近なのです。
そうなのです。日本で、愛だ、恋だ、恋愛結婚だと、一般庶民もそんな風潮に染まりだし、流行始めた時代が、1950年代なのです。かなり断定的ですが、まあ、そんな処で間違いありません。
それで、成瀬巳喜男監督ですが、この銀座化粧が1951年4月14日の公開で、原節子主演の『めし』が同じ年の11月23日の公開です。
『めし』は、堅気の夫婦で、熱烈な恋愛で、周囲の反対を押し切り、結ばれた夫婦。しかし、数年の歳月が流れ、愛とか恋とか、まったく関係のない、退屈な日常と、経済的な不満から、離婚を考え、そして家を出て、そして、それなりに元の鞘に収まる、と云った作品。
『銀座化粧』は、水商売の女性の、男と女、愛、恋、結婚、堅気の結婚生活への憧れを描いた作品。
女給雪子が望むの男性像は、美男で、教養もあり、優しくて、ロマンチストで、そして、そして、なんと云っても経済力もある、そんな、とても、とても、子持ちで、40過ぎでは有り得ない高望み。
そんな背景、そんな思いで、アレや、コレヤで、物語は展開していくのです。
きょうは、ここまでとします。
それでは、また。
先日、『銀座化粧』を観ました。
去年の暮れ、双子ちゃんのパパから借りて、暫くそのままにしてあったのです。久しぶりの映画鑑賞でした。
先ずは、冒頭から、それなりに引き込まれるストーリー展開、そして、そして、何よりも、白黒の画面に映し出される1950年代の東京の風景の懐かしさです。
1951年4月公開、私が生まれたのは1950年1月ですから、1歳3ヶ月の時の作品となります。
1951年の風景は、私がものごころが付いた頃の風景と、それほど違いはないと思うのです。それでも、作品の舞台は東京の“ど真ん中”『銀座』で、私が住んでいたのは東京の“ど外れ”の板橋区。
それでも、まあ、銀座とは云っても、終戦直後で表通りから一本路地を入れば、もうそこは“ど外れ”と大して変わらない風景。
それで、銀座のバーのホステスで、チーママ的存在で、小学生(10歳)の男の子を抱えるシングルマザーで、“そろそろ何とかしないと”、と、思いつつ、中年に差し掛かり、それなりに焦りと不安を抱えるヒロイン。
それで、ヒロインを演じる“田中絹代”ですが、1909年11月の生まれですから、撮影時はほぼ42歳。作品の中で“40を過ぎると・・・”の台詞から役柄と実年齢はほぼ同じ。
現在と当時では、40歳前半の、世間的受け止め方は、かなり、かなり、異なると思います。現在よりも、かなり、かなり、老け込んでオバサンの領域に相当脚を踏み入れたお年頃?
ですから“そろそろ何とか”も、かなり、かなり、“切迫的そろそろ何とか!”なのだ、と、そう思うのです。
画面に映る田中絹代は、いまの42歳と比較すると、ほぼ10歳は老け込んで見えるのです。女優の42歳で“アレ”ですから、フツウの42歳はかなりなものだったのです。
それで、双子ちゃんのママですが、ヒロインほぼ同じお年頃ですが、とても、とても、そうは見えないのです。
はい、それでは、超可愛い!双子ちゃんのツーショットです。
もう、こんなに大きくなりました。いまでは伝わり歩きができるようになりました。来月には遊びに来るのです。
はい、きょうは成瀬巳喜男『銀座化粧』のおはなし、これでお終い。ほんのさわりだけで、失礼しました。
と、云うことで、次回も銀座化粧のお話です。
それでは、また、次回をよろしく。
去年の暮れ、双子ちゃんのパパから借りて、暫くそのままにしてあったのです。久しぶりの映画鑑賞でした。
先ずは、冒頭から、それなりに引き込まれるストーリー展開、そして、そして、何よりも、白黒の画面に映し出される1950年代の東京の風景の懐かしさです。
1951年4月公開、私が生まれたのは1950年1月ですから、1歳3ヶ月の時の作品となります。
1951年の風景は、私がものごころが付いた頃の風景と、それほど違いはないと思うのです。それでも、作品の舞台は東京の“ど真ん中”『銀座』で、私が住んでいたのは東京の“ど外れ”の板橋区。
それでも、まあ、銀座とは云っても、終戦直後で表通りから一本路地を入れば、もうそこは“ど外れ”と大して変わらない風景。
それで、銀座のバーのホステスで、チーママ的存在で、小学生(10歳)の男の子を抱えるシングルマザーで、“そろそろ何とかしないと”、と、思いつつ、中年に差し掛かり、それなりに焦りと不安を抱えるヒロイン。
それで、ヒロインを演じる“田中絹代”ですが、1909年11月の生まれですから、撮影時はほぼ42歳。作品の中で“40を過ぎると・・・”の台詞から役柄と実年齢はほぼ同じ。
現在と当時では、40歳前半の、世間的受け止め方は、かなり、かなり、異なると思います。現在よりも、かなり、かなり、老け込んでオバサンの領域に相当脚を踏み入れたお年頃?
ですから“そろそろ何とか”も、かなり、かなり、“切迫的そろそろ何とか!”なのだ、と、そう思うのです。
画面に映る田中絹代は、いまの42歳と比較すると、ほぼ10歳は老け込んで見えるのです。女優の42歳で“アレ”ですから、フツウの42歳はかなりなものだったのです。
それで、双子ちゃんのママですが、ヒロインほぼ同じお年頃ですが、とても、とても、そうは見えないのです。
はい、それでは、超可愛い!双子ちゃんのツーショットです。
もう、こんなに大きくなりました。いまでは伝わり歩きができるようになりました。来月には遊びに来るのです。
はい、きょうは成瀬巳喜男『銀座化粧』のおはなし、これでお終い。ほんのさわりだけで、失礼しました。
と、云うことで、次回も銀座化粧のお話です。
それでは、また、次回をよろしく。
先日、『ディア・ハンター』を観ました。
この映画のタイトルとベトナム戦争関連?の話しだとは、うっすら知っていました。
公開は1978年、ベトナム戦争が終わってから3年後です。
舞台はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にあるクレアトン。製鉄所で働くロシア系移民の若者の青春を、ベトナム戦争を背景?として描いた作品?
何故にペンシルベニアで、ピッツバーグで、クレアトンで、ロシア系アメリカ人なのか、意味が有るのか?無いのか?作品からはよく判りませんでした。
それで、公開がベトナム戦争が終わって未だ?3年と云う時間が微妙で、アメリカが初めて敗北したベトナム戦争、アメリカとって、国民にとって、その受け止め方は、とても微妙な時期?だった事を踏まえて観るべきなのかも。
それで、出征前、バーのカウンターで一人酒を呑む、グリーンベレーの軍曹に、若者の一人が、ベトナムの戦況を聞くと、軍曹は吐き捨てるように『クソだァ』と二度も云わせているのです。
※これは、1968年にジョン・ウェイン主役で制作されたプロパガンダ映画『グリーン・ベレー』に対しての皮肉かもね。
そんな世相で、そんな背景で、兎に角、三人の若者の青春映画?なのです。
それにしても、それにしても、前半のドンチャン騒ぎの日常風景がとても、とても長いのです。いつ、どこで、ベトナムに舞台が移るのか?と、気になって、気になって、しまうのでした。
見終わって気が付いたのですが、上映時間は3時間ちょっとの大長編だったのです。
ドンチャン騒ぎの日常から、ベトナム戦争への場面転換は、たぶん、一瞬にして、突然であろうと予測していたら見事的中。でも、まあ、それなりに、普通に予測できる場面転換?
米国本土の平和な?フツウの日常と、ベトナムの戦争の日常との落差を、それなりに意図したそれなりの演出なのでしょう。
新聞テレビで見るベトナム戦争とは異なる生の戦争。兵士も、農民も、老人も、女子供も、泥まみれ、血まみれで、森も町も村も道路も橋も、破壊し、焼き尽くし、殺し、殺される、そんな戦争と米国本土の日常とが、同時進行している現実。
ベトナム戦争は、初めての非対称の戦争? 通常戦の米軍に対して、ゲリラ戦の北ベトナム軍。米兵にとってすべてが敵で、すべてが戦場で、人間の肉体的にも、精神的にも、限界を越えた戦争。
ベトナム人の正義への確信が、アメリカの正義に勝ったベトナム戦争。アメリカは軍事的にも、政治的にも、経済的にも、そして道義的にも、敗北したのです。
でも、しかし、ベトナム戦争を敗北し、それなりに反省したと思ったら、湾岸戦争、そして、イラク戦争、アフガン戦争、そして、テロの拡散で連鎖で、憎しみの増幅で、日常の破壊で、難民の増大です。
シリア情勢ががそれなりに落ち着いたら、国連の平和維持軍が派遣され、日本も当然に参加する訳です。
シリアの内戦?は国家間の通常戦争ではありません。宣戦布告も、停戦も無いのです。前線も後方も無いのです。
そして、日本でも、『グリーン・ベレー』とか、『ディア・ハンター』みたいな映画が作られるのでしょうか?
知恵のある動物は、何だカンダと理屈をつけて、争い、殺し合う、戦争を好む?
戦争と云う、極限の緊張感に、極限の使命感に、それなりに魅力を感じるのでしょうか?
平和を守る為、家族を守る為、祖国を守る為、と云って、また、また、あちらこちらの国々で、戦争が始まる条件がそろいつつある、きょうこの頃。
日本でも法整備は完了しましたので、あとは、その時が、いつなのか?だけです。
でも、しかし、皆さん、ホント! 戦争はクソです! 大糞です!
それでは、また。
この映画のタイトルとベトナム戦争関連?の話しだとは、うっすら知っていました。
公開は1978年、ベトナム戦争が終わってから3年後です。
舞台はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外にあるクレアトン。製鉄所で働くロシア系移民の若者の青春を、ベトナム戦争を背景?として描いた作品?
何故にペンシルベニアで、ピッツバーグで、クレアトンで、ロシア系アメリカ人なのか、意味が有るのか?無いのか?作品からはよく判りませんでした。
それで、公開がベトナム戦争が終わって未だ?3年と云う時間が微妙で、アメリカが初めて敗北したベトナム戦争、アメリカとって、国民にとって、その受け止め方は、とても微妙な時期?だった事を踏まえて観るべきなのかも。
それで、出征前、バーのカウンターで一人酒を呑む、グリーンベレーの軍曹に、若者の一人が、ベトナムの戦況を聞くと、軍曹は吐き捨てるように『クソだァ』と二度も云わせているのです。
※これは、1968年にジョン・ウェイン主役で制作されたプロパガンダ映画『グリーン・ベレー』に対しての皮肉かもね。
そんな世相で、そんな背景で、兎に角、三人の若者の青春映画?なのです。
それにしても、それにしても、前半のドンチャン騒ぎの日常風景がとても、とても長いのです。いつ、どこで、ベトナムに舞台が移るのか?と、気になって、気になって、しまうのでした。
見終わって気が付いたのですが、上映時間は3時間ちょっとの大長編だったのです。
ドンチャン騒ぎの日常から、ベトナム戦争への場面転換は、たぶん、一瞬にして、突然であろうと予測していたら見事的中。でも、まあ、それなりに、普通に予測できる場面転換?
米国本土の平和な?フツウの日常と、ベトナムの戦争の日常との落差を、それなりに意図したそれなりの演出なのでしょう。
新聞テレビで見るベトナム戦争とは異なる生の戦争。兵士も、農民も、老人も、女子供も、泥まみれ、血まみれで、森も町も村も道路も橋も、破壊し、焼き尽くし、殺し、殺される、そんな戦争と米国本土の日常とが、同時進行している現実。
ベトナム戦争は、初めての非対称の戦争? 通常戦の米軍に対して、ゲリラ戦の北ベトナム軍。米兵にとってすべてが敵で、すべてが戦場で、人間の肉体的にも、精神的にも、限界を越えた戦争。
ベトナム人の正義への確信が、アメリカの正義に勝ったベトナム戦争。アメリカは軍事的にも、政治的にも、経済的にも、そして道義的にも、敗北したのです。
でも、しかし、ベトナム戦争を敗北し、それなりに反省したと思ったら、湾岸戦争、そして、イラク戦争、アフガン戦争、そして、テロの拡散で連鎖で、憎しみの増幅で、日常の破壊で、難民の増大です。
シリア情勢ががそれなりに落ち着いたら、国連の平和維持軍が派遣され、日本も当然に参加する訳です。
シリアの内戦?は国家間の通常戦争ではありません。宣戦布告も、停戦も無いのです。前線も後方も無いのです。
そして、日本でも、『グリーン・ベレー』とか、『ディア・ハンター』みたいな映画が作られるのでしょうか?
知恵のある動物は、何だカンダと理屈をつけて、争い、殺し合う、戦争を好む?
戦争と云う、極限の緊張感に、極限の使命感に、それなりに魅力を感じるのでしょうか?
平和を守る為、家族を守る為、祖国を守る為、と云って、また、また、あちらこちらの国々で、戦争が始まる条件がそろいつつある、きょうこの頃。
日本でも法整備は完了しましたので、あとは、その時が、いつなのか?だけです。
でも、しかし、皆さん、ホント! 戦争はクソです! 大糞です!
それでは、また。
前回の続きになります。
そして、たぶん、“海街diary”のお話は最終回です。
それで、700円で買い求めたパンフレットでの是枝監督のお話です。
『もちろんこの映画の主人公は四姉妹であり、すずが自らの生を肯定し、幸が父と母を受け入れるまでの物語だと考えても間違いではない』
はい、確かに、間違いなく、“幸が父と母を受け入れる物語”であることは、観ていて自然に受けとめられる展開になっていました。
でも、“すずが自らの生を肯定し”は、それなりに分かるのですが、それなりに受けとめられる、印象に残るシーンが記憶に無いのです。
オジサンとしては、只一つ印象に残ったシーンは、風呂上がりバスタオル一枚で身体を包み、縁側に出て、庭に向かって両手を目一杯広げて、バスタオルを解き放ったシーンです。すずちゃん、とても、とても、可愛かったです。
と、ここまで書いてきて、そうか!そうか!このシーンが、このシーンこそ、“自らの生の肯定”を象徴していたのか、と今になって思うのでした。
バスタオルを解き放ち、こころも解き放ったのです。でも、このシーンが物語の展開で、どのあたりだったかは記憶にないのです。
それで、やっぱり、幸を演じた“綾瀬はるか”と、すずを演じた“広瀬すず”の、それなりの存在感の差と、わたしとの年齢的な距離感の差が、観ているときの、受け止め方、印象の差になっていたのかも知れません。
そして、
『しかし、それ以上にこの映画の中心にあるのは、街とそこに日々積み重なっていく時間であるのではないか。・・・過去も未来をも飲み込んだ「時間」こそが、この作品の主人公ではないか』
映画の中心は、主人公は、街、そして、過去も未来も飲み込んだ時間ですか。ムズカシイ表現です。
いろいろな人が居て、去って行く人が居て、来る人が居て、いろいろな人が暮らして、いろいろな物語があって、いろいろな人が生まれて死んで、そして、そして、それらが、いろいろ絡み合って、いろいろ繫がりあって、移ろうこと・・・・・。
『・・・この映画を、もし、美しいと感じてもらえるのだとするならば、それは、鎌倉の風景や四姉妹の容姿が美しいからだけではなく、恐らくは、海のそばの街が、すずも二ノ宮さんの死も幸の選択も、すべてを受け入れてそこにあるというその包容力に起因するのではないか?』
“海のそばの街が・・・すべてを受け入れ・・・そこにある・・・包容力に起因”ですか、ますますムズカシクなります。
街に包容力ですか・・・、街とは、自然条件と人の営みです。自然条件は人の選択です。海の見える風景を選び、そこに街をつくる、街の風景も、歴史も、作ったのは人、街に何を想い、なにを感じるかは人それぞれ。
この作品“海街diary”では、当然、海の街としての鎌倉が描かれています。でも、鎌倉は山の街でもあるのです。自然条件の海街。歴史条件の山街。
作品には、歴史的なものを感じるシーンは映し出されません。しかし、鎌倉と聞いただけで、それなりに観る側は、いろいろとその背景を想像し、いろいろと思い描き、物語に入っていくのです。
それで、何だっけ? そうでした街の包容力でした。まあ、人の目に映る自然条件と、人のこころに映る歴史条件と、いろいろな人の営みが、いろいろ絡み合って、街の包容力ですかね。
海街で、目の前は海で、遙かなたで、水平線で、雄大で、人の営みの、あれやこれやの小ささを、すべて流し、すべて赦し、すべてを受け入れる・・・・・・。
東北の地で、鎌倉に似ている景色をすずと眺めていた父、鎌倉に似た景色に残してきた三姉妹に想いを馳せていた父。父のすずへの愛情は、残してきた“三姉妹への愛情”でもあった、と思います。
幸は、すずに逢い、すずと暮らし、すずを知り、父を知り、母を知り、これまでの想いを清算したのでしょう。そして、医師との不倫関係も清算したのだと・・・・・・。
医師との不倫関係を続けていた幸、父への、母への、復讐という気持ちが、気づかない、こころの奥底に、無意識の中に、潜んでいた気がするのです。
父と母から“捨てられた子供”と云う意識から解き放たれ、自由に一人のおとなの女性として生きていく幸・・・・・・・。
まあ、うる覚えの記憶を手繰りよせ、パンフレットで監督の意図を読み、いろいろと、作品を捏ねくり回しまし、書き散らしました。
そして、いま、もう一度、観たくなりました。“海街diary”とても楽しめる作品でした。
でも、もう一度は、数年先になると思います。たぶん、来年にはフジテレビで放送される筈です。そして、数年後にはNHKBSで放送される筈です。
もう一度は、NHKBSを録画してじっくり観たいと思います。そのころは70代になっている訳で、いろいろ見方も変わっていることでしょう。
これで“海街diary”のお話はお終い。
それでは、また。
そして、たぶん、“海街diary”のお話は最終回です。
それで、700円で買い求めたパンフレットでの是枝監督のお話です。
『もちろんこの映画の主人公は四姉妹であり、すずが自らの生を肯定し、幸が父と母を受け入れるまでの物語だと考えても間違いではない』
はい、確かに、間違いなく、“幸が父と母を受け入れる物語”であることは、観ていて自然に受けとめられる展開になっていました。
でも、“すずが自らの生を肯定し”は、それなりに分かるのですが、それなりに受けとめられる、印象に残るシーンが記憶に無いのです。
オジサンとしては、只一つ印象に残ったシーンは、風呂上がりバスタオル一枚で身体を包み、縁側に出て、庭に向かって両手を目一杯広げて、バスタオルを解き放ったシーンです。すずちゃん、とても、とても、可愛かったです。
と、ここまで書いてきて、そうか!そうか!このシーンが、このシーンこそ、“自らの生の肯定”を象徴していたのか、と今になって思うのでした。
バスタオルを解き放ち、こころも解き放ったのです。でも、このシーンが物語の展開で、どのあたりだったかは記憶にないのです。
それで、やっぱり、幸を演じた“綾瀬はるか”と、すずを演じた“広瀬すず”の、それなりの存在感の差と、わたしとの年齢的な距離感の差が、観ているときの、受け止め方、印象の差になっていたのかも知れません。
そして、
『しかし、それ以上にこの映画の中心にあるのは、街とそこに日々積み重なっていく時間であるのではないか。・・・過去も未来をも飲み込んだ「時間」こそが、この作品の主人公ではないか』
映画の中心は、主人公は、街、そして、過去も未来も飲み込んだ時間ですか。ムズカシイ表現です。
いろいろな人が居て、去って行く人が居て、来る人が居て、いろいろな人が暮らして、いろいろな物語があって、いろいろな人が生まれて死んで、そして、そして、それらが、いろいろ絡み合って、いろいろ繫がりあって、移ろうこと・・・・・。
『・・・この映画を、もし、美しいと感じてもらえるのだとするならば、それは、鎌倉の風景や四姉妹の容姿が美しいからだけではなく、恐らくは、海のそばの街が、すずも二ノ宮さんの死も幸の選択も、すべてを受け入れてそこにあるというその包容力に起因するのではないか?』
“海のそばの街が・・・すべてを受け入れ・・・そこにある・・・包容力に起因”ですか、ますますムズカシクなります。
街に包容力ですか・・・、街とは、自然条件と人の営みです。自然条件は人の選択です。海の見える風景を選び、そこに街をつくる、街の風景も、歴史も、作ったのは人、街に何を想い、なにを感じるかは人それぞれ。
この作品“海街diary”では、当然、海の街としての鎌倉が描かれています。でも、鎌倉は山の街でもあるのです。自然条件の海街。歴史条件の山街。
作品には、歴史的なものを感じるシーンは映し出されません。しかし、鎌倉と聞いただけで、それなりに観る側は、いろいろとその背景を想像し、いろいろと思い描き、物語に入っていくのです。
それで、何だっけ? そうでした街の包容力でした。まあ、人の目に映る自然条件と、人のこころに映る歴史条件と、いろいろな人の営みが、いろいろ絡み合って、街の包容力ですかね。
海街で、目の前は海で、遙かなたで、水平線で、雄大で、人の営みの、あれやこれやの小ささを、すべて流し、すべて赦し、すべてを受け入れる・・・・・・。
東北の地で、鎌倉に似ている景色をすずと眺めていた父、鎌倉に似た景色に残してきた三姉妹に想いを馳せていた父。父のすずへの愛情は、残してきた“三姉妹への愛情”でもあった、と思います。
幸は、すずに逢い、すずと暮らし、すずを知り、父を知り、母を知り、これまでの想いを清算したのでしょう。そして、医師との不倫関係も清算したのだと・・・・・・。
医師との不倫関係を続けていた幸、父への、母への、復讐という気持ちが、気づかない、こころの奥底に、無意識の中に、潜んでいた気がするのです。
父と母から“捨てられた子供”と云う意識から解き放たれ、自由に一人のおとなの女性として生きていく幸・・・・・・・。
まあ、うる覚えの記憶を手繰りよせ、パンフレットで監督の意図を読み、いろいろと、作品を捏ねくり回しまし、書き散らしました。
そして、いま、もう一度、観たくなりました。“海街diary”とても楽しめる作品でした。
でも、もう一度は、数年先になると思います。たぶん、来年にはフジテレビで放送される筈です。そして、数年後にはNHKBSで放送される筈です。
もう一度は、NHKBSを録画してじっくり観たいと思います。そのころは70代になっている訳で、いろいろ見方も変わっていることでしょう。
これで“海街diary”のお話はお終い。
それでは、また。
この手の作品を観に行く人は、何を期待して行くのでしょうね。
何て、他人事のようですが、わたしがこの作品を観に行った動機は、何となく、映画を映画館で観たくなったからです。
そして、前日にネットで上演作品と、上映時間を見ていたら、是枝監督で、綾瀬はるかで、11時25分からで、これが丁度いいとなったのです。
是枝作品は、前回の、何だったっけ?子供の取り違えの?・・・・・・・。そうでした!『そして父になる』でした。あの時は、見終わって、“それらしく的”で、消化不良的で、何ともつまらん作品でした。
それで、この日、他の上映作品はオジサンには関係無い作品ばかりで、オジサン的な作品は『海街diary』だけでした。と、云う訳で、かなり、かなり、消去法的選択の結果でした。
『海街diary』のタイトルを見たのもその時が初めて、テレビで作品の広告を見た記憶もありません。まあ、最近はテレビはあまり見ないし、特にフジテレビ(制作に一枚噛んでいる)はまったく見ません。
それで、当日は日曜日で観客は10名ほどで、一日一回だけの上映でした。この手の作品は、“綾瀬はるか”をもってしても、この程度の観客動員数なのでした。
それで、パンフレットを読んでみて、えッ!そうだったの!、そんなの見ていて分かるか?的で、やっぱり作品の意図と、一般人の見方はすれ違うようです。
それなりの批評家にも評価され、それでいて一般人も分かり、楽しませる作品、大衆娯楽作品であって、芸術作品なんて、そんな事は、とても、とても、いまでは無理難題?
昔の、小津や成瀬の作品も、当時は娯楽作品であって、後の批評家が、いろいろと作り手の意図を、拘りを、読み取り、高く評価したものと考えますが、ホント!それって!一回見ただけで分かったの?
やっぱり、映画も、小説も、何度も、何度も、見直し、読み返して、理解するものもの?
1回目は、それなりに感覚的に、第一印象的に、さらりと流し見?して、よかったら、何度も、何度も、見直して、味わい尽くし、しゃぶり尽くして、楽しむ?
そうか、そうか、そう言うことなんだ。と、只今、ひとり納得。
そう言うことで、この作品は、何度も、何度も、くり返し観たい作品なのです。見直して、味わい尽くし、しゃぶり尽くすことのできる、いろいろと、いっぱい詰まった作品です。
何か、結論めいて、これでお終い的ですが、まだ話しは続くのです。
それで、パンフレットで是枝監督は作品の意図を、
『この作品は父親やすずの母親、三姉妹のおばあちゃんといった、いなくなった人たちをめぐる話しとしてできあがっています。回想シーンではなく、仕草やセリフ(しらすトーストもそうですね)などを通じて、いなくなった人たちの痕跡を表現し、いなくなった人への想いが彼女たちにどう影響しているかを描こうと考えました。アジフライのエピソードを入れたのは、消えていくものもあれば受け継がれていくものもあるということを表したかったからです。そのように未来の時間まで視野に入っているところがこの作品の大事な部分だと思います』
と述べています。
それで、この“回想シーンではなく、仕草やセリフ(しらすトーストもそうですね)などを通じて”と云うところですが、「仕草やセリフ」と云うよりも、私としては、仕草やセリフ、そして、そして、“食い物”を通してと、強く言及される、と、思っていたのです。
いなくなった人の想い出は、わたしにとって、なんと云っても“食い物”と繋がっているのです。そして、作品でも、そんなシーンが多くあり、それなりに“食い物”に拘っていると思っていたら、それほどでもなかったようです。
やっぱり、当日、昼飯前で腹を空かして観ていたのがいけなかった?
それと、“アジフライのエピソードを入れたのは、消えていくものもあれば受け継がれていくものもあるということを表したかったからです”と云ってるのですが、そう云うシーン、そう云うセリフがまったく、記憶に、印象に、残っていません。
それと、次女のベッドシーンから始まったのは、“もちろん全体が死で覆われた作品なので逆にベッドシーンからはじめたかったこともありますが、これが、彼女たちの居場所にかんする物語だからです”は、よく分かりません。
わたし的には、長澤まさみの足の爪のアップに、ペイントに、それなりの伏線が、と、思っていたのですが、関係無かったのです。でも、とても意味ありげに描かれていたのですが・・・。わたしの見間違い、思い違いでした。
全体が死で覆われている印象も抱きませんでしたし、それと、法事や葬式やお墓は好きだし、居場所なんてあまり気にすることなく生きてきたし、よく判らないのです。
自分の居場所とか、生きることの意味とか、ホント、あまり考えないのです。いい加減で、お気楽で、♪そのうちどうにかな~るだろう~的人間なのです。
それで、父も母も、他に好きな人をつくり、娘を捨て、家族を捨て、家を捨て、出て行った理由は特に語られていません。その理由が三姉妹の生き方に大きく影響したと思うのですが、理由それ自体に重きを置いていないようです。
と、まあ、今日はここまで。
兎に角、それでも“海街diary”イイ作品です。
皆さん、観に行きましょう。もう、やってない?
それでは、また。
何て、他人事のようですが、わたしがこの作品を観に行った動機は、何となく、映画を映画館で観たくなったからです。
そして、前日にネットで上演作品と、上映時間を見ていたら、是枝監督で、綾瀬はるかで、11時25分からで、これが丁度いいとなったのです。
是枝作品は、前回の、何だったっけ?子供の取り違えの?・・・・・・・。そうでした!『そして父になる』でした。あの時は、見終わって、“それらしく的”で、消化不良的で、何ともつまらん作品でした。
それで、この日、他の上映作品はオジサンには関係無い作品ばかりで、オジサン的な作品は『海街diary』だけでした。と、云う訳で、かなり、かなり、消去法的選択の結果でした。
『海街diary』のタイトルを見たのもその時が初めて、テレビで作品の広告を見た記憶もありません。まあ、最近はテレビはあまり見ないし、特にフジテレビ(制作に一枚噛んでいる)はまったく見ません。
それで、当日は日曜日で観客は10名ほどで、一日一回だけの上映でした。この手の作品は、“綾瀬はるか”をもってしても、この程度の観客動員数なのでした。
それで、パンフレットを読んでみて、えッ!そうだったの!、そんなの見ていて分かるか?的で、やっぱり作品の意図と、一般人の見方はすれ違うようです。
それなりの批評家にも評価され、それでいて一般人も分かり、楽しませる作品、大衆娯楽作品であって、芸術作品なんて、そんな事は、とても、とても、いまでは無理難題?
昔の、小津や成瀬の作品も、当時は娯楽作品であって、後の批評家が、いろいろと作り手の意図を、拘りを、読み取り、高く評価したものと考えますが、ホント!それって!一回見ただけで分かったの?
やっぱり、映画も、小説も、何度も、何度も、見直し、読み返して、理解するものもの?
1回目は、それなりに感覚的に、第一印象的に、さらりと流し見?して、よかったら、何度も、何度も、見直して、味わい尽くし、しゃぶり尽くして、楽しむ?
そうか、そうか、そう言うことなんだ。と、只今、ひとり納得。
そう言うことで、この作品は、何度も、何度も、くり返し観たい作品なのです。見直して、味わい尽くし、しゃぶり尽くすことのできる、いろいろと、いっぱい詰まった作品です。
何か、結論めいて、これでお終い的ですが、まだ話しは続くのです。
それで、パンフレットで是枝監督は作品の意図を、
『この作品は父親やすずの母親、三姉妹のおばあちゃんといった、いなくなった人たちをめぐる話しとしてできあがっています。回想シーンではなく、仕草やセリフ(しらすトーストもそうですね)などを通じて、いなくなった人たちの痕跡を表現し、いなくなった人への想いが彼女たちにどう影響しているかを描こうと考えました。アジフライのエピソードを入れたのは、消えていくものもあれば受け継がれていくものもあるということを表したかったからです。そのように未来の時間まで視野に入っているところがこの作品の大事な部分だと思います』
と述べています。
それで、この“回想シーンではなく、仕草やセリフ(しらすトーストもそうですね)などを通じて”と云うところですが、「仕草やセリフ」と云うよりも、私としては、仕草やセリフ、そして、そして、“食い物”を通してと、強く言及される、と、思っていたのです。
いなくなった人の想い出は、わたしにとって、なんと云っても“食い物”と繋がっているのです。そして、作品でも、そんなシーンが多くあり、それなりに“食い物”に拘っていると思っていたら、それほどでもなかったようです。
やっぱり、当日、昼飯前で腹を空かして観ていたのがいけなかった?
それと、“アジフライのエピソードを入れたのは、消えていくものもあれば受け継がれていくものもあるということを表したかったからです”と云ってるのですが、そう云うシーン、そう云うセリフがまったく、記憶に、印象に、残っていません。
それと、次女のベッドシーンから始まったのは、“もちろん全体が死で覆われた作品なので逆にベッドシーンからはじめたかったこともありますが、これが、彼女たちの居場所にかんする物語だからです”は、よく分かりません。
わたし的には、長澤まさみの足の爪のアップに、ペイントに、それなりの伏線が、と、思っていたのですが、関係無かったのです。でも、とても意味ありげに描かれていたのですが・・・。わたしの見間違い、思い違いでした。
全体が死で覆われている印象も抱きませんでしたし、それと、法事や葬式やお墓は好きだし、居場所なんてあまり気にすることなく生きてきたし、よく判らないのです。
自分の居場所とか、生きることの意味とか、ホント、あまり考えないのです。いい加減で、お気楽で、♪そのうちどうにかな~るだろう~的人間なのです。
それで、父も母も、他に好きな人をつくり、娘を捨て、家族を捨て、家を捨て、出て行った理由は特に語られていません。その理由が三姉妹の生き方に大きく影響したと思うのですが、理由それ自体に重きを置いていないようです。
と、まあ、今日はここまで。
兎に角、それでも“海街diary”イイ作品です。
皆さん、観に行きましょう。もう、やってない?
それでは、また。
前回の続きです。
それで、衝撃的なことは起きない、平凡で、普通で、坦々として、何処にでもある、くり返しの日々を送る中に、それなりの人生がり、感動がある・・・・・・。
でも、まあ、それなりに、ある時、ある場面を切り取れば、平凡でも、普通でも、坦々でも、何処にでもなく、くり返しでもない、日々があったりして、と思ったりもするのです。
両親が家を出て行き、三人の姉妹は祖父母に育てられ、出て行った父が亡くなり、腹違いの妹を引き取り、四人で暮らし始める。まあ、あまり、世間では、身の回りでは、見たり、聞いたりはしない家族・・・・・・。
父が、母が、家を出たのは?、祖父母が亡くなったのは?、いつの頃だったのか?観ていてはっきりしなかったのです。たぶん聞き流したのだと思います。
そこで、想像としては、父が出て行ったのは、長女が小学校の高学年で、次女は小学校低学年で、三女は幼稚園の頃。母が出て行ったのは、その数年後?祖父母が亡くなったのは、長女が社会人になってから?
作り手は、それなり時間をかけて、計算し、場面を設定し、台詞を作り、そして、何度もくり返し演じ、作品を完成させるのですから、登場人物の関係が、時間的前後関係が、頭の中にこびり付いている訳です。
でも、観る方は一瞬で消えていきます。自然に、普通に、観ていて、聞いていて、それなりに印象付ける描き方であって欲しい、なんて思ったりするのです。
連れ合いが帰りがけに『樹木希林と三姉妹はどう云う関係だったの?』聞いてきました。わたしはその関係をしめす“台詞の一つは”覚えていました。
樹木希林が仏壇に向かって『姉さんも・・・』と云う台詞から、たぶん祖父の妹で、三姉妹からは大叔母にあたると解釈しました。
でも、しかし、祖母の妹でも、単なる親戚のオバサンでも、ストーリーに影響は無いのです。でも、しかし、父と母が三姉妹を捨てた時期は、父と母への想いに大きく影響すると思うのです・・・・・・。
あれ、何か、つまらない事を、ダラダラと書き流しているような?
それで、長女の看護師ですが、いい加減な両親を反面教師として、厳格な祖父母に育てられ、きっちり、真面目で、几帳面で、いい加減は許せない性格なのです。
でも、しかし、職場で既婚の医師と、それなりに迷いながら、悩みながら、決断を先送りにしつつ、ずるずると不倫関係を続けているたりしているのです。
几帳面な彼女は、部下の看護師が記録した患者の尿の排泄量が140リットル?と記入されているのを見つけて、怒りまくるのです。
でも、しかし、そんな看護師が患者に信頼されていることを知り、また、その看護師が死に立ち会う様子を見て、看護師として、人として、患者との寄り添い方を学ぶのでした。
そして、その事を不倫相手の医師に話し、医師もまた、そんな同僚が居ると話し、二人はそれなりに納得したりするのです。
そんな、こんなで、云われたことは、云われた通りにおこない、習慣とか規則とかには従い、しっかり、きっちり、誤りのない生き方に、すこし疑問を抱きはじめる・・・。
それで、変化への一つのエピソードとしては、この話し、ちょっと安直すぎて、作品の流れから、違和感がありました。
それで、“すず”をとおして見えて来る父の姿に、長女の気持ちは、すこしずつ、すこしずつ、父への想いに、母への想いに、変化が起こり、不倫関係にも変化が起こるのです。
それで、何ですが、すずと幸との、記憶に残るシーンとか、台詞とか、あまり覚えていないのです。男子に混じって元気に走り廻り、ゴールを決める、そんなサッカーのシーンだけが記憶に残っています。
それに、信用金庫勤めの次女も、窓口業務から融資担当に変わり、世の中の厳しさを知り、ダラしない若い男と別れ、いい加減から、それなりに深刻に、人生を考え始めるのです。
でも、しかし、これまでとは違う、生真面目な上司の姿に、恋心を寄せ始めるのです。でも、この上司に妻子がありそうで、この先、修羅場が待って居そうな、そんな気持ちを抱かせるのです。
と、云う事で、人生いろいろあって、自分の都合だけで行動したり、時には間違った判断をし、時には習慣とか規則を犯し、いろいろあっての人間、完璧な人など、この世には一人も存在しない。
間違ったり、悩んだり、迷ったり、怒ったり、反省したり、泣いたり、笑ったり、いい加減だけでも、几帳面だけでも、生き辛く、いろいろあっての人間、いろいろあっての人生、正解はなく、すべてが終わるとき、それらしき答えが、見えたり、見えなかったり・・・・・・。
まあ、そんなメッセージを作品から受け取ったり、想いを馳せたり、巡らしたりしたのでした。
そうでした。三女の千佳ちゃんですが、二人の姉の生き方、父と母への想い、冷静に見つめ、受けとめ、自由に生きているのです。変化はあまりしないのです。
まあ、こんな人たちが、あの鎌倉の街で生きていくのです。
やっぱり、“綾瀬はるか”が主役でした。とても、とても、おとなで、魅力的な女性を演じました。きっと、きっと、代表作になると思います。
と、まあ、ここ迄で、わたしの感想は終わりです。
それで、いよいよ、是枝裕和監督の考えを知りたくなりました。
買い求めたパンフレットを読みたいと思います。
それでは、また。
それで、衝撃的なことは起きない、平凡で、普通で、坦々として、何処にでもある、くり返しの日々を送る中に、それなりの人生がり、感動がある・・・・・・。
でも、まあ、それなりに、ある時、ある場面を切り取れば、平凡でも、普通でも、坦々でも、何処にでもなく、くり返しでもない、日々があったりして、と思ったりもするのです。
両親が家を出て行き、三人の姉妹は祖父母に育てられ、出て行った父が亡くなり、腹違いの妹を引き取り、四人で暮らし始める。まあ、あまり、世間では、身の回りでは、見たり、聞いたりはしない家族・・・・・・。
父が、母が、家を出たのは?、祖父母が亡くなったのは?、いつの頃だったのか?観ていてはっきりしなかったのです。たぶん聞き流したのだと思います。
そこで、想像としては、父が出て行ったのは、長女が小学校の高学年で、次女は小学校低学年で、三女は幼稚園の頃。母が出て行ったのは、その数年後?祖父母が亡くなったのは、長女が社会人になってから?
作り手は、それなり時間をかけて、計算し、場面を設定し、台詞を作り、そして、何度もくり返し演じ、作品を完成させるのですから、登場人物の関係が、時間的前後関係が、頭の中にこびり付いている訳です。
でも、観る方は一瞬で消えていきます。自然に、普通に、観ていて、聞いていて、それなりに印象付ける描き方であって欲しい、なんて思ったりするのです。
連れ合いが帰りがけに『樹木希林と三姉妹はどう云う関係だったの?』聞いてきました。わたしはその関係をしめす“台詞の一つは”覚えていました。
樹木希林が仏壇に向かって『姉さんも・・・』と云う台詞から、たぶん祖父の妹で、三姉妹からは大叔母にあたると解釈しました。
でも、しかし、祖母の妹でも、単なる親戚のオバサンでも、ストーリーに影響は無いのです。でも、しかし、父と母が三姉妹を捨てた時期は、父と母への想いに大きく影響すると思うのです・・・・・・。
あれ、何か、つまらない事を、ダラダラと書き流しているような?
それで、長女の看護師ですが、いい加減な両親を反面教師として、厳格な祖父母に育てられ、きっちり、真面目で、几帳面で、いい加減は許せない性格なのです。
でも、しかし、職場で既婚の医師と、それなりに迷いながら、悩みながら、決断を先送りにしつつ、ずるずると不倫関係を続けているたりしているのです。
几帳面な彼女は、部下の看護師が記録した患者の尿の排泄量が140リットル?と記入されているのを見つけて、怒りまくるのです。
でも、しかし、そんな看護師が患者に信頼されていることを知り、また、その看護師が死に立ち会う様子を見て、看護師として、人として、患者との寄り添い方を学ぶのでした。
そして、その事を不倫相手の医師に話し、医師もまた、そんな同僚が居ると話し、二人はそれなりに納得したりするのです。
そんな、こんなで、云われたことは、云われた通りにおこない、習慣とか規則とかには従い、しっかり、きっちり、誤りのない生き方に、すこし疑問を抱きはじめる・・・。
それで、変化への一つのエピソードとしては、この話し、ちょっと安直すぎて、作品の流れから、違和感がありました。
それで、“すず”をとおして見えて来る父の姿に、長女の気持ちは、すこしずつ、すこしずつ、父への想いに、母への想いに、変化が起こり、不倫関係にも変化が起こるのです。
それで、何ですが、すずと幸との、記憶に残るシーンとか、台詞とか、あまり覚えていないのです。男子に混じって元気に走り廻り、ゴールを決める、そんなサッカーのシーンだけが記憶に残っています。
それに、信用金庫勤めの次女も、窓口業務から融資担当に変わり、世の中の厳しさを知り、ダラしない若い男と別れ、いい加減から、それなりに深刻に、人生を考え始めるのです。
でも、しかし、これまでとは違う、生真面目な上司の姿に、恋心を寄せ始めるのです。でも、この上司に妻子がありそうで、この先、修羅場が待って居そうな、そんな気持ちを抱かせるのです。
と、云う事で、人生いろいろあって、自分の都合だけで行動したり、時には間違った判断をし、時には習慣とか規則を犯し、いろいろあっての人間、完璧な人など、この世には一人も存在しない。
間違ったり、悩んだり、迷ったり、怒ったり、反省したり、泣いたり、笑ったり、いい加減だけでも、几帳面だけでも、生き辛く、いろいろあっての人間、いろいろあっての人生、正解はなく、すべてが終わるとき、それらしき答えが、見えたり、見えなかったり・・・・・・。
まあ、そんなメッセージを作品から受け取ったり、想いを馳せたり、巡らしたりしたのでした。
そうでした。三女の千佳ちゃんですが、二人の姉の生き方、父と母への想い、冷静に見つめ、受けとめ、自由に生きているのです。変化はあまりしないのです。
まあ、こんな人たちが、あの鎌倉の街で生きていくのです。
やっぱり、“綾瀬はるか”が主役でした。とても、とても、おとなで、魅力的な女性を演じました。きっと、きっと、代表作になると思います。
と、まあ、ここ迄で、わたしの感想は終わりです。
それで、いよいよ、是枝裕和監督の考えを知りたくなりました。
買い求めたパンフレットを読みたいと思います。
それでは、また。
前回の続きです。
それで、三姉妹の母親なんですが、厳格な教育者の一人娘?ですから、当然に、まさに、両親を反面教師として、その対極を求めたと思うのです。
かなり自由と云うか、いい加減と云うか、手間を掛けない、煮込まない“シーフードカレー”的?な人なのです。
そんな、煮込まない、手間を掛けない、女の選んだ男も“シーフードカレータイプ”でした。当然、厳格な両親と対立し、二人の関係も、それなりに煮詰まることなく破局し、二人は別れ、家族を捨て、別々の人生を歩むのでした・・・・・・。
まあ、そんな、こんなで、祖父母に育てられた三姉妹、両親の影響は直接的に無いと思いますが、きっと、きっと、祖父母を通しての両親像を、何度も、何度も、聞かされつつ育った筈です。
長女は、ものごころ付いてからですから、捨てられた意識は強く、両親への反発も一番強く、真面目に、地道に、看護師の道を選んだのでした。
次女は、信用金庫勤めですから、それなりに真面目なのですが、異性にはかなり、かなり、ゆるく、そんなところは両親に似ているのかも。
三女は、まったく、祖父母にも、両親への反発もなく、影響もなく、かなり、かなり、自由な性格。
それで、見逃したのか、聞き逃したのか、父が、母が、家を出て行ったのはいつ頃なのか、よく判らなかったのです。それなりに重要なので、それなりの台詞があったような、無かったような・・・・・・。
それで、原作者ですが、女性?だったと思いますが、父が再婚して生まれた子供も女の子、最初の子供も、三人すべて女の子。これは、父と云う男を、女の目をとおして描き、そして、その事で、“四人の女の物語”になっている・・・・・・。
まあ、そんなところが、おじさんとして、男として、作品の中に入り込まず、かなり第三者的に眺めていた・・・、そんな気がします。でも、じんわりくる作品です。
四人の女性、ひとり一人を主役に、四つの作品が作れそう。そして、また、海猫食堂の主人(風吹ジュン)と、山猫カフェの主人(リリーフランキー)との恋も面白そう。まあ、いろいろ詰め込まれている作品です。
原作が女性?で、女の視点で描かれた物語を、男性の視点で描く? 原作とは、かなり異なる展開なの?
まあ、それは、それとして、腹違いの妹“すず”を引き取る三姉妹。
“すず”が健気に父を最後まで看病したことを知った幸。
それで、幸が“すず”の事をどうして知ったのかがよく判らなかったのです。次女が長女に向かって『さすが・・・??????・・・だね』の台詞がよく聞き取れなかったのです。
かなり後になって長女の幸が看護師で、同業者として、父の入院先に電話を入れ、それなりに様子を聞き出していたと納得したのです。
それで、一緒に暮らす事を言い出したのは長女の“幸”でした。“すず”が父親に抱く思いに、自分の知らない父の姿を探し、それなりに理解したかったのでしょう。
父としても、それなりの反省を踏まえての再婚。娘への接し方も、思いも、それなりに素直になっていたと思います。“すず”の爪にペイントはしないのです。
“すず”と暮らした日々こそ、父の一番幸せで、父らしい人生の日々で、想いを残す鎌倉で食べた“シラストースト”を作り、“すず”と一緒に食べ、幸せを噛みしめていたのです。
そんな父が大好きだった“すず”。
そんな“すず”を見て、父への想いが少しずつ変化していく“幸”。
そんな物語が、鎌倉を舞台にして、描かれるのです。
父の葬儀、海猫食堂の女主人(風吹ジュン)の葬儀、祖父?祖母の?法事、人の死で、その儀式で、人生と云うものを、それなりに語りかけてきたりするのです。
お寺、葬儀、お墓、そんな事が近くなったてきた今日この頃、いろいろと、人生なんて事を考えたりするのです。
鎌倉で、法事で、葬式で、お墓で、これだけで、かなり見ていて飽きないのです。鎌倉の風景に物語を感じてしまうのです。
それで、風吹ジュンが半袖で、店先で手を振るシーンなんですが、二の腕の弛みが、アップで映し出されるのです。弛んだ肉ならまだしも、弛んだペラペラの皮膚がヒラヒラと揺れるのです。
これは、もう、衝撃!でした。老いたるとは云え、あの“風吹ジュン”を知る世代として、絶対に許せないカットです。
死を間近にした姿を、あのヒラヒラで表現した?そうだとしても許せません! もう少し考えろ是枝!
ちょっと興奮して感情的になってしまった。
兎に角、見終わって、暫く椅子に座って、その余韻を楽しめる、とてもイイ作品です。
それでは、また。
本日も暑い!
それで、三姉妹の母親なんですが、厳格な教育者の一人娘?ですから、当然に、まさに、両親を反面教師として、その対極を求めたと思うのです。
かなり自由と云うか、いい加減と云うか、手間を掛けない、煮込まない“シーフードカレー”的?な人なのです。
そんな、煮込まない、手間を掛けない、女の選んだ男も“シーフードカレータイプ”でした。当然、厳格な両親と対立し、二人の関係も、それなりに煮詰まることなく破局し、二人は別れ、家族を捨て、別々の人生を歩むのでした・・・・・・。
まあ、そんな、こんなで、祖父母に育てられた三姉妹、両親の影響は直接的に無いと思いますが、きっと、きっと、祖父母を通しての両親像を、何度も、何度も、聞かされつつ育った筈です。
長女は、ものごころ付いてからですから、捨てられた意識は強く、両親への反発も一番強く、真面目に、地道に、看護師の道を選んだのでした。
次女は、信用金庫勤めですから、それなりに真面目なのですが、異性にはかなり、かなり、ゆるく、そんなところは両親に似ているのかも。
三女は、まったく、祖父母にも、両親への反発もなく、影響もなく、かなり、かなり、自由な性格。
それで、見逃したのか、聞き逃したのか、父が、母が、家を出て行ったのはいつ頃なのか、よく判らなかったのです。それなりに重要なので、それなりの台詞があったような、無かったような・・・・・・。
それで、原作者ですが、女性?だったと思いますが、父が再婚して生まれた子供も女の子、最初の子供も、三人すべて女の子。これは、父と云う男を、女の目をとおして描き、そして、その事で、“四人の女の物語”になっている・・・・・・。
まあ、そんなところが、おじさんとして、男として、作品の中に入り込まず、かなり第三者的に眺めていた・・・、そんな気がします。でも、じんわりくる作品です。
四人の女性、ひとり一人を主役に、四つの作品が作れそう。そして、また、海猫食堂の主人(風吹ジュン)と、山猫カフェの主人(リリーフランキー)との恋も面白そう。まあ、いろいろ詰め込まれている作品です。
原作が女性?で、女の視点で描かれた物語を、男性の視点で描く? 原作とは、かなり異なる展開なの?
まあ、それは、それとして、腹違いの妹“すず”を引き取る三姉妹。
“すず”が健気に父を最後まで看病したことを知った幸。
それで、幸が“すず”の事をどうして知ったのかがよく判らなかったのです。次女が長女に向かって『さすが・・・??????・・・だね』の台詞がよく聞き取れなかったのです。
かなり後になって長女の幸が看護師で、同業者として、父の入院先に電話を入れ、それなりに様子を聞き出していたと納得したのです。
それで、一緒に暮らす事を言い出したのは長女の“幸”でした。“すず”が父親に抱く思いに、自分の知らない父の姿を探し、それなりに理解したかったのでしょう。
父としても、それなりの反省を踏まえての再婚。娘への接し方も、思いも、それなりに素直になっていたと思います。“すず”の爪にペイントはしないのです。
“すず”と暮らした日々こそ、父の一番幸せで、父らしい人生の日々で、想いを残す鎌倉で食べた“シラストースト”を作り、“すず”と一緒に食べ、幸せを噛みしめていたのです。
そんな父が大好きだった“すず”。
そんな“すず”を見て、父への想いが少しずつ変化していく“幸”。
そんな物語が、鎌倉を舞台にして、描かれるのです。
父の葬儀、海猫食堂の女主人(風吹ジュン)の葬儀、祖父?祖母の?法事、人の死で、その儀式で、人生と云うものを、それなりに語りかけてきたりするのです。
お寺、葬儀、お墓、そんな事が近くなったてきた今日この頃、いろいろと、人生なんて事を考えたりするのです。
鎌倉で、法事で、葬式で、お墓で、これだけで、かなり見ていて飽きないのです。鎌倉の風景に物語を感じてしまうのです。
それで、風吹ジュンが半袖で、店先で手を振るシーンなんですが、二の腕の弛みが、アップで映し出されるのです。弛んだ肉ならまだしも、弛んだペラペラの皮膚がヒラヒラと揺れるのです。
これは、もう、衝撃!でした。老いたるとは云え、あの“風吹ジュン”を知る世代として、絶対に許せないカットです。
死を間近にした姿を、あのヒラヒラで表現した?そうだとしても許せません! もう少し考えろ是枝!
ちょっと興奮して感情的になってしまった。
兎に角、見終わって、暫く椅子に座って、その余韻を楽しめる、とてもイイ作品です。
それでは、また。
本日も暑い!