歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

志村坂下・蓮根町 ② 高島平駅の高架を支えるモアイ像と生き残っていたダイエー志村店はサンゼリゼ店でした!そして懐かしのダニエル・ビダル!

2017年01月12日 | 東京の風景

前回の続きです。

都営三田線の高島平駅で降り、これより「ふるさと」の蓮根町に向かって歩きます。

駅前の道は「高島通り」です。前回、「高島平通り」と書きましたが、平らは入らなかったのでした。まあ、有っても、無くって、大して問題は無いのです。

それで、因みに、この高島通りは、終点西高島駅の3百メートル先で、埼玉県に入り「笹目通り」と名称が変わります。境の町並は連続していて、何か、とても、腑に落ちない変な感じなのです。

境には「白子川」と云う細い川が流れているのですが、川は境ではなく、境界線はジグザグに川の両岸を行ったり来たりしているのです。たぶん、曲がりくねった境界線が、昔の白子川の流れた名残なのでしょう。 

境界線の話しはそれくらいにして、話しを戻します。高島平駅を出て、高島通りを蓮根町を目指し歩きます。

この通りの風景は年に2~3度車で通過する際に眼にする風景です。でも、高架の柱のこの顔には気が付きませんでした。

さすが、東京都の交通局です。財政に余裕があるのです、こんな遊びができるのです。遠い南の海に浮かぶ、小さな島の石像を連想させます。まあ、いいと思います。

歩道橋に上がって埼玉方面を望みます。

かまぼこ屋根が高島平駅です。

こちらが東京方面となります。

それで、この歩道橋の近くの高島通りに、不自然な出っ張りがあるのです。写真を撮り忘れましたが、団地側の道路脇に排気筒?通気筒?と思われる設備があるのです。

と云う事で、これは間違いなく、以前は川だったのを暗渠にした為の出っ張りだと判断。平らにしなかったのは、川の水深とか、水面の高さとか、いろいろあって、工事費用面から、平らよりも、出っ張りを選択したのでしょう。

帰宅後に調べたら、やっぱり、むかし、ここには川が流れていました。それで、この昔の川の名残ですが、これから歩きまわり、昔の懐かしい風景を探す大事なポイントとなりそうです。

むかし家の近所には、川と云うか、どぶ川と云うか、家庭の排水とか、工場の廃液とか、そんなモノが流れる川が幾筋かあり、いろいろな想い出と繋がっているのです。

そんな想い出を探して、高島通りを歩きます。それにしてもこの高層アパート群は、とても、とても、冷たく、殺伐感が漂います。この日は寒かったのと、北側で日陰で、寂しさ感が増幅されたのでした。

殺伐感と云えば、むかし、ここは、自殺の名所だったのです。昔とは、1970年代の初め高島平団地が生まれた直ぐの頃からで、当時は高層アパートが珍しかったのです。1980年には飛び降りた人の合計が133人に達したそうです。

そこで、対策として、こんな柵が設置され、一件落着となったそうです。

何か、とても、暗い話しになってしまいました。話しを変えます。

話しは変わって、高島通りを蓮根町に向かい、道の両側は商業区域に変わります。昔は田圃とか原っぱでした。

こんな広い道も、こんな交叉点も信号も有りませんでした。 ここの「ダイエー」は生き残ったようです。

調べてみたら、この店の名前は、何と、何と、“ダイエー板橋サンゼリゼ店”と云うそうです。あの“シャンゼリゼ”とは異なるようです。

シャンゼリゼと云えば、「オー・シャンゼリゼ」の「ダニエル・ビダル」です。ホント!可愛らしい女性でした。

そう、1970年代の始めの頃でした。日本語版も出て大ヒットしました。ダニエル・ビダルは日本のコマーシャルでも大活躍しました。歯磨き粉のコマーシャルを見た記憶が残っています。懐かしい!

それで、ここまで歩いて来て限り、昔の風景を思い起こさせるモノには、未だ出会っていません。

もう少し歩くと、そろそろ、我がふるさとに入ります。そこには、懐かしい小学校と、消防署と、公園と、神社がある筈です。

この先は次回とします。

それでは、また。

  

 

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志村坂下・蓮根町 ① 都営三田線に生まれて初めて乗って高島平へ!そして生まれ故郷の蓮根町を巡り歩きます!

2017年01月09日 | 東京の風景

行って来ました、歩いて来ました、見て来ました、食べて来ました、そして、想いを巡らしてして来ました。

久しぶりの東京歩きで、そして、ふるさと歩きです。

5日の誕生日に思い立ったのです。

そうだ!生まれた町を歩いてみよう!

そして、7日の土曜日、東京に向かいました。

常磐線から山手線に日暮里駅で乗り換えです。この鉄板の屋根を支える支柱にレールが使われているのです、石垣から張り出したこの感じがとても好きなのです。

そして、山手線の入線は、いつも、この位置で待つのです。この“狭っこい”隙間がいいのです。立ち食い蕎麦屋は店仕舞いしたようです。

山手線ホームに立ち食い蕎麦屋は時代遅れ?それとも、経営者が高齢となり後継者も無く店仕舞い? 

それにしても階段下で、蕎麦つゆの匂いは辺りに漂うのですが、遠くからも見えず、場所が悪いのです。味に自信があれば地の利の悪さは問題無いと思うのですが・・・。

兎に角、そば屋店仕舞い問題を、あれやこれやと考えつつ電車を待つのでした。数分して山手線が入線。車内はほぼ空席は無し、立ち客はチラホラ程度の乗車率。

数分で巣鴨駅に到着、階段を上がり、改札を抜け十数メートル歩き階段を下り、十数メートル歩き改札を抜け、また階段を下り、地下鉄都営三田線に乗り換えます。

電車が来る迄、何処で降りるか迷ったのです。私の生まれた“ふるさと”は、駅で云えば蓮根駅、でも、子供のころの埼玉方面の行動範囲は、終点の西高島平駅辺りまで、都心方向は志村坂上辺りまででした。

駅としては、蓮根→西台→高島平→新高島平→西高島平、となっているのです。終点の西高島平の数百メートル先は埼玉県となります。西高島平までは東京の端っこで板橋区なのです。

いろいろ事柄を考慮し熟慮を重ね、降車駅は高島平と決定。地下鉄三田線は、蓮根駅の二つ手前の“志村坂上駅”の先で、国道17号中山道の地下から地上に顔を出し高架となり中山道を離れ、志村三丁目駅→西台駅→蓮根駅で、高島平通りに出るのです。

高架を走る車窓の景色に、昔の想い出を探そうと席を立ち、左のドアの窓から辺りの景色に眼を走らしても、右のドアから眼を走らしても、まったく訳が分からない景色が続くのです。

それにしても、空いている車内で高齢者?のオジサンが右に左にキョロキョロしている様子は、乗客の眼にはかなり怪しく映った事でしょう。でも、そんな事は気にして居られないのです。

兎に角、懐かしいのは、志村坂上とか、志村三丁目とか、蓮根とか、駅のホームの案内看板の文字だけでした。

左右をキョロキョロしているうちに目的地の高島平に到着。

ここまで書いてきて、気が付いたのでした。都営三田線に乗ったのも初めて、高島平駅に降りたのも初めてでした。

この辺り車では何度か通過しているのですが、電車で訪れるのは初めてだったのです。駅周辺の道路際の景色には見覚えがあり、それほど懐かしさは感じないのでした。

高島平団地の反対側の景色は初めてですが、何処となく北千住駅の匂いを感じました。

東京の外れで、駅の周辺で、商店街となれば、何処でもこんな雰囲気なのです。

 昔は、このあたりは、ホントに、ホントに、何も無い原っぱでした。

これより、昔の懐かしい風景を探して、さまよい、うろつき、歩き回ります。

そうでした、懐かしい昔とは、生まれてから小学校の3~4年の頃までの思い出です。

と云う事は、いまから、五十数年前の事となります。

でも、つい最近のような気もするのでした。

それでは、これから、出発です。

今日はこれでお終い。

それでは、また。

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浜離宮は浜松町駅のお隣だった!山手線でキメキメの女性を眺めたりして大都会を味わいました

2016年09月15日 | 東京の風景

昨日は久しぶりに東京をほんの少し歩きました。

ちょっとした用事で浜松町駅で待ち合わせをしたのです。

待ち合わせ時間の30分ほど前に到着し、駅周辺を歩きます。

昼休みの時間帯で、“社員証”を首からぶら下げた人達が多く行き交っていました。

何処にも属さず、そして、あまり世の中とは繋がっていない身には、何処かに属し、そして世の中と繋がっている「証」は、それなりに羨ましくも思えたりするです。

いつもの日常では、同年配か、それ以上と接触するのがほとんどの毎日、都心の昼下がり、年下の人達の行き交う姿を見ていると、現在に、時代に、取り残されているの?と、思ったりしたのです。

でも、まあ、渦中にいるよりも、離れていた方が、ずっと、ずっと、いまが見えるのだと、思ったりもしたのです。

まあ、それで、兎に角、浜松町駅は40数年まえに3年間ほど、通勤で乗り降りしていました。通い始めた頃に、貿易センタービルが着工して、そして、竣工して暫くしてその会社を退職しました。

ビルが竣工して直ぐ、ビルのレストランで食事をした記憶があります。レストランでフォークとナイフの食事は、それが人生で初めての経験でした。確か女性と二人だった・・・と思うのですが、誰だったかは記憶にありません。

駅舎は昔のままで、貿易センタービルも昔のまま、そして、改札を出て通りの向かい側には、数年前に四谷から移転した文化放送のビルを眺め、そうか、そうか、ここにね、と、思ったり。

驚いたのは、浜離宮が駅の隣りだった事です。駅からはもっと、もっと離れていると記憶していたのです。

そんな、こんなで、30分ほどが過ぎ、待ち合わせの相手が到着。貿易センタービルの地下に入り、飲食店街の居酒屋でランチを頂き暫し歓談。

帰りの山手線の車内では、色と云い、デザインと云い、生地と云い、着こなしと云い、バックと云い、靴と云い、化粧と云い、髪型と云い、立ち振る舞いと云い、なかなかキメキメの20代後半?の女性に出会いました。

どんな仕事をしているのか、いま何を考えているのか、いろいろ想像力を刺激されました。キメキメの女性は有楽町で降り、颯爽とホームを歩いて行きました。

さすが大都会で、東京で、山手線で、有楽町です、オジサンは本日、いろいろな刺激を受け、上野駅で降り、常磐線で帰路に着いたのです。

常磐線は車内に入っただけで、田舎の空気が流れ始め、何とも、緊張感が無くなり車内は茨城県となるのでした。

兎に角、やっぱり、たまには、大都会で、それなりの、ストレスに、身体を晒すのは身も心も、それなりに刺激され、シャキットして、弛みがとれて、それなりに必要と感じた一日でした。

それにしても稀勢の里、昨日は、栃の心に立ち会いの変化で負けました。余裕が無いのです、落ち着いて相手を見る事ができないのです。

それでは、また。

 

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東京ゲートブリッチ ⑤ 日本土木学会23年度田中賞を受賞していました

2016年05月19日 | 東京の風景
前々回の続きで、最終回です。

ゲートブリッチの中間点に辿り着き、暫く上空の旅客機を眺めたり、遠くの水平線を眺めたり、都心の高層ビル群を眺めたり、時々行き交う車を眺めたりして、それでは、そろそろ戻ろうか?と云う事で、珍しく対岸より渡ってきた男女二人連れの後に続いたのです。

この二人、仲がよいのか?悪いのか?手と手をしっかり繋いでいるのですが、言葉を交わす訳でもなく、見つめ合う訳でもなく、辺りの景色を眺める訳でもなく、唯々、黙々と歩いているのです。もしかして歩き過ぎて疲れた?


昇降機塔に到着です。来た時には気付かなかったのですが、エレベーター前に、なにやら“賞状とメダル?”が展示されていました。


土木学会には“田中賞”なるものがあったのです。ゲートブリッチは23年度に受賞していたようです。


因みに、23年度受賞は、ドバイ首長国のメトロ高架橋と、

※日本土木学会HPより転載

愛媛県の生名橋と、

※日本土木学会HPより転載

JR東日本の第三吾妻川橋と、

※日本土木学会HPより転載

広島県の広島空港大橋での4件でした。、

※日本土木学会HPより転載

写真で見る限り、東京ゲートブリッチが一番規模も大きく、技術的にも、外観的にも、素人眼には頭一つ抜け出している気がします。特に、ドバイの高架は何が優れているのか理解不能。

それにしても記念のメダル?が、とても、とても、ショボイ!です。それにしても、世の中、いろいろな分野で、いろいろな賞があるものです。田中賞、初めて知りました。


エレベーターに乗り込み二人だけで地上に降ります。因みに階数ボタンは1・8・9の三つです。戸閉めボタンはしっかり押します。

最近のエレベーターは音もなく振動もなく、とても滑らかに動きます。因みに、わたくしは20代の数年、エレベーター業界で働いていました。


地上に降りると、釣り客が、いっぱい、いっぱい居ました。暫く眺めていたのですが、魚を釣り上げる人は居ませんでした。まさに、魚より釣り人の方が多いいのでした。ゴールデンウィーク、まあ、釣れなくても楽しいのです。


こちらの売店は釣り餌も売っていました。


釣り客よりも、サイクリングの自転車が、いっぱい、いっぱい、いっぱい。


こちらのオジサン、お腹がパンパンです。自転車が可哀相です。タイヤがパンク!しますよ。


キャンプ場は、青い空、白い雲、緑の芝生、海からの風、最高です。


オチビちゃんの髪がカワユイ!


共同の炊事場。


キャンプはイイです!でも、しかし、キャンプの経験はありません。


この日は暑く、自販機でお茶を買い日陰を目指します。


日陰でお茶を飲みつつ暫しの休憩。


お茶を飲み終わり休憩タイムはお終い、次は排泄タイムです。その手の設備がありそうな建物を目指します。元気な子供達がいっぱい!いっぱい!で、楽しそうな声を張り上げています。子供会でしょうか?


サービスセンターです。都立と思っていたら若洲公園は江東区の施設でした。


ここでキャンプの手続きをするのです。


5月1日です。もうすぐ端午の節句です。


トイレを済ませ、バス停に向かう途中、子供達の歓声が聞こえて来ました。いろいろな自転車に乗れるのです。


こんなのとか、


こんなのとか、


こんなのとか、


こんなのとか、


なかでも、これが一番楽しそうでした。二人が乗っている筒状のモノが回転するのです。二人は楽しそうにキャーキャー声を上げていました。因みに有料です。


楽しい、ゴールデンウィークの風景です。予定より早めでしたが、バスの時間も丁度よく、駅に向かうことにしました。帰りのコースは行きとは異なるのでした。これって循環バス?

コースは異なっていても、飛ばす、飛ばす、すっ飛ばす!の、都バスでした。

7~8分で新木場駅に到着。


念願叶っての“東京ゲートブリッチ”でした。


それでは、また。

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東京ゲートブリッチ③ 東京湾は霧?靄?スモッグ?PM2.5?で視界不良?で眺めはチョット?でした!

2016年05月10日 | 東京の風景
前回の続きです。

高架下の道を昇降塔に向かって歩いています。

東京ゲートブリッチも間近に迫って来ました。

昇降塔には、当然にエレベーター、そして、螺旋階段も設置されています。当然、我々はエレベーターで昇ります。


昇る前に、暫し、ゲートブリッチを眺めます。何だか、思い描いていたよりも、チョッピリ小っちゃい気がします。


テレビで開通時の映像を見てからはや四年の歳月が流れ、橋への思いが募り橋を大きく膨らませた?

でも、やっぱり、間近に見るゲートブリッチはデカイ!


東京都港湾局のHPによるとこんな大きさになっています。

橋梁の高さ     87.8m

航路限界高     54.6m
 
橋 梁 重量     約36,000トン
     
橋   長         2,618m

建 設 費      1,125億円



と、云うことでした。間近で見てこんなにデカイと1125億円も、まあ、そんなものかと、思えてくるのです。

兎に角、橋の下では、ゴールデンウィークで、釣りやサイクリングで賑わっています。


エレベーターに乗り込みます。乗客は同じ年格好の夫婦が一組だけ、旦那は釣り竿とクーラーボックスを携えています。まさか!橋の上から釣り?


エレベーターが動き出し、真下を撮ったり、


キャンプ場を撮ったり、


ゴルフ場を撮ったり、


海を撮ったり、


橋を撮ったり、


どちらの方向も、ガラス越しとわ云え、何だか景色はボンヤリなのです。東京湾はうっすらと霧に包まれているのでした。

エレベーターを降り、遂に、念願叶って、東京ゲートブリッチを歩きます。それにしても、人影は疎ら、車の姿も疎ら、連れが一言『橋は、やっぱり、遠くから眺める方が・・・』


先ずは、真下を見下ろします。かなり、かなり、おへその辺りが“こそばゆく”なります。細くて高いのはまったくダメなのですが、高くても横に長いのは何とか大丈夫。


遠くを眺め、


風力発電の風車を発見。それなりにデカイ!ゆっくり、ゆっくり回っていました。


いよ、いよ、橋の中間点を目指します。それにしても、誰も居ません。見物人が沢山、沢山居ると思っていたのですが、何か、とっても、拍子抜け・・・。


兎に角、期待に胸膨らませ、緩やかな上り勾配を中間点を目指して歩きます。

今日はここまで。


それでは、また。



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東京ゲートブリッチ② 都営バスは湾岸の街を 都バス! 飛ばす!で 若洲公園を目指します!

2016年05月06日 | 東京の風景
前回の続きです。

バスに乗り込みます。本日は“Suica”を使用しています、年寄りにはとても便利です。バスは時刻表どおりに新木場駅前を発車します。

乗車率はざっと見で3割程度、すべての乗客は、たぶん終点若洲キャブ場までの様に見えました。何たって、この日は日曜日です、全員仕事に向かう顔には見えません。


駅前広場から左折して大通りに出ます。車の姿も、人影も、まったくなし、休日です。


道は広く、街路樹も、植え込みも、きれいに整備されています。両側に民家はなく、倉庫とか、工場とか、空き地とか、すべてが、とても整然として、人間のニオイがしません。海に近い埋め立て地の風景です。


それで、驚いたのは、何と云っても、バスの走る速度の速いこと、制限速度を多少はオーパーしているような、生まれて初めての経験です。

あまりの速さに“さすが都営バスだねェ!『ホント!飛ばす!』”と、親爺ギャグを一発飛ばしたのです、がァ!連れ合いは、窓の外を眺めて、“道は広いし、緑もあってきれいね!”と呟き、ギャグには無反応でした。残念!

ギャグが滑って、独り外を見つめ“都バス!飛ばす!と心の中で呟いていたら、突然のクレーン群が出現。


嬉しくなって、もう、アッ!クレーンだァ!クレーンだァ!叫んでしまいました。 


大好きなのです!工事現場と建設機械!


凄いです!クレーンの大群です、


青空をバックにして、空色のクレーンの林立、壮観です!興奮です!これだけの大群は生まれて初めて見ます。


興奮しつつ、クレーンの大群を過ぎ去ると、見えて来ました、海です!東京湾です! 


ヨットハーバーです! 行楽気分のスイッチが入ります!


あっと云う間に、終点若洲キャンプ場に到着。東京都港湾局のHPには新木場からバスで15分とありましたが、乗車時間は7~8分でした。

バス停をふり返ります。道路の上に覆い被さる巨大なフェンスは、向かいのゴルフ場から飛び出してくるボールの防護柵と思われます。


バスから降りると、この看板が眼に入りました。ゲートブリッチへの近道です。知りませんでした。ゲートブリッチへの道を下から“えっちら、おっちら”歩いて行くのかと思っていたら、近道があり、途中にエレベーターがあるようです。


公園の駐車場入り口です、まだ空きがあるようです。料金は一日500円。通常土日は午前中で満車になるそうです。


高架下を昇降塔を目指して歩きます。遠くに、小さく、ゲートブリッチが見えて来ました。


いよいよです!遂にです!念願の東京ゲートブリッチ!です。

この先は次回。


それでは、また。



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東京ゲートブリッチに行って来ました!① 事前調査の駅前ランチは???

2016年05月03日 | 東京の風景
遂に!念願叶って『東京ゲートブリッチ』を確かめて来ました。

思い起こせば、ゲートブリッチの完成を伝えるニュースがテレビの画面から流れ、画面を見つめ、いつか、必ずと誓ったあの日から、かれこれ、え~~と、え~~と、何年になるのか?

いま調べて見ると、2002年着工で2012年の2月12日に開通でした。と云うことですから、かれこれ4年の歳月が流れて、そして、遂に、この眼、この脚で、確認です。行こうと思えば、いつでも行けたのですが、この間、その存在を忘れていたのです。

そして、ゴールデンウィークで、世間様につられて、何処かに出掛けねば!と思い立ち、首都圏の外れの、そのまた外れの住民としては、混雑の無い都心に思い馳せ、ゲートブリッチが頭に浮かんだのでした。

東京ゲートブリッチはこんな所に在ります。


そして、5月の1日に決行となったのです。当日は、天気も、気温も、風もOKなので、絶好の東京ゲートブリッチ日和なのです。兎に角、橋は海面から50数メートル?なので、風が強いと通行禁止になるのです。

それで、兎に角、新松戸で武蔵野線に乗り換え、乗車時間36分で新木場駅に到着。それなりの人が下車しました。ホームからエスカレーターで下り、改札を抜け、また、エスカレーターで下り、出口です。


こんな感じの駅前風景。


駅構内はそれなりの賑わいでしたが、


駅前広場を見渡すと、人影は疎ら。皆さん、どこに消えたの?


ふり返って駅舎を眺めます。高架で線路の上に、また線路で、東京メトロと、JR東日本と、東京臨海高速鉄道が走っているのです。


到着したのが11時半過ぎで、予定どおりで、事前調査で決めていた場所でランチタイムです。ここからバスに乗り15分で橋に到着しますが、食事の場所は無いので、駅前と決めていたのです。

それで、この洋風居酒屋ですが、ネットで調べて、ランチもやっていて、それなりのメニューで、それなりの雰囲気と、判断したのです。

でも、しかし、店の前に近づくにつれ、階段を登るにつれ、店のドア前に立つにつれ、店内にに入るにつれ、メニューを携えて現れたお兄さんの服装を見るにつれ、これは、もしかして、判断を誤ったか?との思いが、強く、強く、頭を駆け巡ったのです。


そうなんです!本日は二人連れです。連れ合いも“改札を抜けた所にいろいろお店があったのに、何か、ここは、ちょっと、どうもねェ~”との、キビシイご指摘を受けたりしたのです。

でも、もう、席に座った事だし、今日のところは、と云う事で、連れ合いは、タイカレー、わたしは、ハンバーグとフライミックスと、ビールを注文。


味のほうは、不味くもなく、価格に見あって、それなりで、兎に角、無事終了。ポテトフライがごっそり載ってました。カレーが850円で、ハンバーグが1100円でした。食事の開始から終了まで客は我々だけでした。

※写真を撮るの途中で気付きかなり残骸的風景。

兎に角、食事を終えバス停に向かいます。12時29分発の若洲キャンプ場行きです。


駅前に立つ“NEC日本電気”のビル。“あら!こんな所にNECが”と連れ合いの呟き。彼女は昔社員だったのです。“NECソリューションイノベータ”とあります。とても、とても、最先端的な社名です。

バスは時刻表どおりに発車しました。これから、いよいよ東京ゲートブリッチです。



この続きは次回とします。


それでは、また。


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南青山7丁目辺りが南千住7丁目に見えたり?ヒッピーお爺さん?に遭遇したり

2015年07月08日 | 東京の風景





















































※70代と見られる、現役ヒッーピー?の匂いを漂わせるお爺さんでした。こんな処が南青山?






南青山7丁目辺りでした。



それでは、また。


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広尾ガーデンヒルズフォレスト辺りで解釈改憲と集団的自衛権に思いを馳せ序でに百田尚樹君に同情したり

2015年06月29日 | 東京の風景





























































































このような環境で、安倍内閣の解釈改憲と、集団自衛権に思いを馳せると、どんな答えが出て来るのでしょう・・・・・・。


それにしても、です。自民党本部で行われた「文化芸術懇話会」での、講師!?百田尚樹氏の発言。何たって、“文化芸術懇話会”で、その講師が、あの百田クンですから、まさに喜劇!

安倍総裁も、青年局長も、謝罪の必要はありません。謝ったところで、考え方を変わる訳ではありません。各選挙区の選挙民の責任で処理して下さい。

百田クンのレベルの方と、日本国総理大臣が親しくお付き合いし、公的な場でも発言させ、百田クンを錯覚させ、舞い上がらせ、自分を見失わせた、安倍クンの政治家としてのレベルに問題があるのです。

百田クンとは、居酒屋で酎ハイ飲みながら、バカ話しをしたら、とても、とても、楽しく、酒が進む事と思います。



それでは、また。


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東京都体育館は40数年の時が流れ四角から丸く変わっていました

2015年05月21日 | 東京の風景
前回の続きです。

新国立競技場の解体現場を後に周囲を彷徨きます。

何を隠そう、今回の彷徨きには目的があるのです。目的があって歩き廻るのは彷徨くとは云わんか?

目的とは、首都高の出入り口と、その付近の様子と、姪の住むマンションへの経路と、その付近の様子を探るのが、今回のミッション?の目的なのです。

双子ちゃんに会いに、93歳の母を車で連れて来る為の下見なのです。私も65歳の高齢者、寄る年波には勝てないのです。

中央高速に繋がる4号新宿線ですが、昔、勤め先の関係で、幡ヶ谷料金所を上がったり下りたりしていたのですが、外苑は通過するだけで、付近の状況が分からないので不安なのです。

知らない土地でも、地方の田舎道であれば、それは問題無いのですが、大都会東京のど真ん中で、ウロキョロは、とても、とても、危険なのです。

と、云う事で、先ずは、首都高の出入り口を目指します。

見えて来ました。


ここは、出入り口ではなく、入り口専門のようです。それにしてもです。この案内標識は、いったい、ぜんたい、どうなっているのか?知っている人には必要なし、でも、しかし、必要としている人には、一端車を道路脇に停車して、じっくり、しっかり、眺めないと、何のコッチャ?となります。 

※帰宅後に地図を改めてじっくり眺めたら、下り線の外苑出口は信濃町駅の側、外苑東通りに出口がありました。今回は、いろいろあって事前調査不足。

ゴチャゴチャ標識に文句を云いつつ、信濃町方面を目指します。駅らしき建物が見えて来ました。意外と近い。


信濃町駅です。線路は谷底?を走っていろので、何か駅舎ぽっく見えません。


首都高と中央線。彼方には新宿副都心。


右手、慶応病院の脇を歩きます。


緩やかな坂道、後ろをふり返ると、こんな風景。


下り坂を右にカーブして、付き当たった先に、新宿御苑の裏門?


この建物、何か、とても、宗教関係的な匂いを漂わせています。信濃町と云えば、あの関係の建物と思ったら、やっぱり、創価国際友好会館別館の看板を発見。ホント、独特のデザイン。


別館の先、中央線のガードをくぐります。


首都高の出入り口を発見。


それにしても、このお家、ツタが絡まり、周囲の景観とは、とても、とても、異質な空間、もしかして、だけど、異界への入り口?


隣は下り線専用の入り口。


“東京体育館”の裏側を歩いています。昔は“東京都体育館”と、云っていたような気がします。もしかして?私だけが云ってた? こちら、彼の有名なテニスの壁打ち場。


何か、昔は、この壁が、もっと、もっと高かった気がするのですが、もしかして、別の場所にもっと高い壁が? それにしても、テニス壁打ち練習場との表示がありました。昔は、勝手にやっていて、柵などありませんでした。


壁打ち施設の先を右に折れ、東京体育館の柵に沿って歩きます。


左手、マンションのベランダには洗濯物が、ひっそりと、隠れるように干されています。もっと、もっと高く掲げて陽の光を、いっぱい、いっぱい、浴びさせてやりたい!と、オジサンは思ったのです。都会では洗濯物も、それなりに苦労しているようです、


右手には体育館らしき建物。


そして、東京体育館の全景です。見た瞬間に違う!と叫び(こころの中で)ました。こう云うんじゃないのです。昔は、四角かったのです。見るからに体育館的な建物だったのです。


高速下の千駄ヶ谷の駅、これは昔と変わりません。


しかし、この体育館と云い、

※何か、新国立競技場とデザインが似ているような?気がしないでも無い。この手の施設はそれなりに、こう云うデザインになる時代的傾向があるの?

こちらの風景と云い、


昔とは、違うのです。そきほどから、むかし、むかし、を連発していますが、昔とは、今からたった40数年前のことです。

調べてみたら、体育館は今から29年前1986年(昭和61年12月)に工事が始まり、1990年(平成 2年)に新装開館していたのです。建て替えではなく、改築なのでした。

と、云うことで、むかしとは、いろいろ変わった、と、云う、お話でした。

こちら、本日の歩いたあたりの地図。


高速の出入り口確認はできませんでしたが、周囲の様子とか、昔との違いとか、それなりに確認することができました。


それでは、また。

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