歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画『小さいおうち 』 ④ 戦争の魔力と魅力

2014年02月21日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回に引き続き、何故?を考えたりします。

タキは何故?家族を、家庭を、つくろうとしなかったのか?

戦争の時代を生きぬいたタキの戦後は、時子から正治に宛ての手紙と、正治の描いた赤い屋根の“小さいおうちの絵”と、その想いでのなかで、ひとり生きていたのです。


たぶん、それは、“小さいおうち”での数年間の経験が、タキにとって“人生のすべて”だったのです。

“私に人生といえるものがあるなら”と云う曲を思い出します。タキにとって、赤い屋根の小さなおうちで過ごした数年間だけが人生だったと・・・・・・。まあ、それも人生。



東北の貧しい農村から、時代の先端の東京へ、そこで見た小さいモダンな家と、モダンで耀いていた時子、はじめて意識した異性の正治、ひとつ、ひとつが、タキには、初めての経験であり、強烈で濃密な時間だった。

そして、戦争という時代背景が、より人生を濃密にしたのです。そこが、戦争の怖さ、恐ろしさ、そして、魔力と魅力、なのだと・・・・・・・。

悲しくも辛いタキの人生、でも、何故か、羨ましい時を過ごした、とも、思えたり、するのです。戦争はドラマチックなのです。平和は単調で退屈で薄いのです。

だから、戦争は怖い。

濃密な時間を創ったのも戦争、濃密な時間を破壊したのも戦争。

国家と国家が武力で闘うとき、世の中はとても、とても、濃密になり、判り易くなります。

生き方も、暮らし方も、考え方も、国家が国民に与えてくれ、悩むことなく暮らしていけるのです。多少の不都合があったとしても、みんなが、みんな同じであれば、辛くはないのです。

作品の中でも、戦争は“政治家が何とかしてくれるだろう”との会話があるのですが、何とも成らず、時子も焼かれ、家も焼かれて、地上から消滅してしまうのです。

だから、だから、普通の人が、普通に、暮らしているだけでは、突然、戦地に送られ、家は空襲で焼かれ、人は焼き殺される。だから、だから、戦争には反対しましょう、とのメッセージなのです。

そして、戦争と過去の話しではなく、当然、今、目の前で起きつつある危機に対してのメッセージです。

でも、しかし、です。

悲惨でも、残虐でも、苦しくても、恐ろしくても、辛くても、腹がへっても、相手のいることであり、闘わなければ、自分が、家族が、殺される状況で、それでも、あなたは武器を持って起ち上がらないのか?

武力による衝突が起こり、戦端が開かれてしまえば、もう、なにもかもが、遅いのです。

戦争は悲惨だから反対!なんて事は、とても、とても、云っている場合ではなくなるのです。

勇ましことを、大声で叫ぶ方に、人は流されてしまうのです。

どのような事でも、どのような状況でも、反対というのは、とても、とても、消極的な選択で、少数派で、変わった奴で、正しくない、と、そう、思われ易いのです。

このあたりが、とても、とても、ムズカシイのです。

力強く、幅広く、積極的な選択としての反原発を、普通の人が主張し、多数派を形勢できるチャンスを都知事選で逃しました。

兎に角、反対することが、少数派でいることが、それは、それで、世の中の、ひとつの、役割として、体質として、職業として、躰に染みついた方達はがいる?

まあ、そういうことで、“小さなおうち”はしっかりとして、丁寧で、正しく、それなりに良く出来た、戦争反対の作品なのですが、やっぱり、弱々しいのでした。

後、一回ほどは、“小さいおうち”の話しです。


それでは、また。

コメント (1)
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