歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

志村坂下・蓮根町 ⑮ スダジイで「こころ旅」で火野正平で山手線か?山の手線か?で占領軍の影が! 

2017年03月30日 | 東京の風景

一週間とちょっとのご無沙汰でした。

東京歩き、志村坂下・蓮根町シリーズです。

そして最終回です。

兎に角、歩いたのは1月の7日で、今日は3月29日で我が家のご近所でも、ちょっぴり櫻が開花しました。

そして、朝のウォーキングでマスクを外しても、眼も鼻も異常無しになりました。スギ花粉は峠を越えたようです。まあ、歳の所為で身体も年々花粉に過剰に反応する能力が低下したようです。

まあ、兎に角、それで、氷川神社に居るのです。

境内の木々は板橋区の保存樹木に指定されていました。

スダジイだそうです。所謂、ドングリの木です。

ちょっと調べたら、驚きの事実が判明しました。もしかして?驚くのは私だけ?

スダジイのドングリは食べられるようなのです。それも生でもOKだそうです。ドングリはすべて食べられないと思って、60有余年生きてきたのです。椎茸のホダ木もシダジイだそうです。

スダジイは鎮守の森の代表だそうです。もしかして、飢饉に備えて植えたのでしょうか?アオダイショウなどの住処になっていることもあるそうです。以前、我が家の庭にも青大将は姿を見せたことがありました。 

そう云えば、思い出しました。あの、「こころ旅」の自転車オジサン火野正平が以前生で囓っている場面がありました。

それにしても、「こころ旅」は7年目に入ったそうです。火野正平が自転車に乗れなくなるまで続きそうです。彼と私はほぼ同年齢。

それで、兎に角、話しは氷川神社を後にして、帰途につくのでした。都営三田線の駅を目指すのです。

蓮根駅前通りに出て、さて、右に行くか?左に行くか迷ったのですが、右に曲がった方が巣鴨に近く乗車料金が安いと判断。

地下鉄の高架?を辿って駅を目指します。

高架下を通って左に曲がります。

駅が見えて来ました。

志村三丁目駅です。

こんな処に駅があるのです。駅前広場もありません。バス停もありません。お洒落な店もありません。でも、都営三田線なのです。

都営三田線は板橋区の外れから、都心の大手町、日比谷を通り、三田、白金、高輪、目黒まで通っています。ここも東京、ここが東京、これでも東京と、沿線の風景は驚くほどの変化するのです。 

Suicaで改札を通過します。地下鉄ですが階段を登ります。

ホームにはホームドアが設置されています。

志村三丁目の先で、三田線は本来の地下鉄になります。

巣鴨で降りて、JRは、アレッ!山の手線?山手線?どっちだったっけ? はい!直ぐに調べます。

調べました。そうでした! 山手線と書いて「やまのてせん」が正解でした。第二次大戦後、占領軍の命令で「山手」と書いて、「やまのて」は判りにくいので、「やまて」となったのです。

そして、1971年に駅名に「ふりがな並記」が決まったとき、「やまて」から、歴史的経緯を考慮して、本来の「やまのて」に戻ったのでした。こんな処に戦争の影が、占領軍の影があったのでした。

私は1950年の生まれですから、物心が付いた頃には「やまてせん」でした。そして、21歳になって「やまのてせん」となり、いまでも、時々、どっちだか?判らなくなるのです。

1971年頃までは、「やまのてせん」と云うと年寄りと見られ、若い人は「やまてせん」と呼んでいたのです。

そして、いまでは、若い人は「やまのてせん」で、年寄りはいまだに「やまてせん」と呼ぶ方がいるのでした。

兎に角、まあ、わたしには「やまのて」でも、「やまて」でも、この際、どっちでもイイのです。

兎に角、都営三田線志村三丁目から、巣鴨で山手線に乗り換え、上野で常磐線に乗り換え、帰宅の途に着いたのでした。

と、云う、事で、今回の「志村坂下・蓮根シリーズ」は、どっちでもイイ話しで終わります。

 

それでは、また。

 

コメント (2)
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