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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

体内被曝2万2千ベクレルは杜撰な管理が原因ですか?いいえ人間は神ではありません!絶対はないのです!

2017年06月08日 | 世間話し

7日、日本原子力研究開発機構の茨城県大洗町にある「大洗研究開発センター」の燃料研究棟で男性作業員5人の被曝事故が発生しました。

外部被曝では無く、最大で2万2千ベクレルの内部被曝だそうです。放射性物質を鼻から吸い込んでの被爆。

そして、又も、事故に対する、新聞やテレビの「管理体制が杜撰では?」との論調です。

これまでも、ずっと、ずっと、原子力関連の事故に対して、いつも、いつも、原因は管理体制が杜撰との論調。

私に云わせれば、報道論調こそが、とても、とても、とても、杜撰!なのです。

そもそも、人間は杜撰なのですよ。

放射性物質を扱うことは、とても、とても、とても、危険なのですが、何日も、何ヶ月も、何年も、同じ作業をくり返していると、緊張感は、少しずつ、少しずつ、消えてしまうのです。

何日も、何ヶ月も、何年も、緊張感を持続する事は、とても、とても、不可能なのです。そんなに持続していたら人間はぶっ壊れてしまうのです。

ですから、防護服や防護マスクを着用していても、吸引してしまうのです。これまでも問題無かったから、今日も大丈夫となり、いい加減な着用は仕方がないのです。

そして、また、放射性物質の容器を開けたら、ビニール袋が破裂し放射性物質が飛散する事態は、想定外との見解。

世の中は、想定しない事は起こるのです。

想定外と、作業の慣れからくる油断、人間ですから、これは、良くあることなのです。

容器に入っていたのが、「放射性物質」であった事が問題なのです。ソースや醤油であれば何の問題も無いのです。

ですから、問題は「放射性物質」なのです。

福島の原発事故も、火力発電所であったなら、発電できなくなるだけで、大した事故では無かったのです。原発だから大惨事で、今現在も収束せず、事故は進行中なのです。

放射性物質を扱うには、誤りを「絶対」に起こさない事が前提なのです。しかし、人の世には絶対はありません。

ですから、このような事は、何度も、何度も、くり返します。

ですから、放射能事故を無くすには、放射能物資を今後使用しないことです。でも、原発は稼働し、廃棄物は増え続けています。

今回のような事故を無くすには、核兵器として、発電エネルギーとして、放射性物質を絶対に使わないことです。

平和維持に核兵器は必要ありません。

戦争ボケの戯言です。

電気は他の手段で充分賄えます。

さよなら原発!  さよなら核兵器!

そう云う事です。

 

それでは、また。 

 

 

コメント (1)
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