7日、日本原子力研究開発機構の茨城県大洗町にある「大洗研究開発センター」の燃料研究棟で男性作業員5人の被曝事故が発生しました。
外部被曝では無く、最大で2万2千ベクレルの内部被曝だそうです。放射性物質を鼻から吸い込んでの被爆。
そして、又も、事故に対する、新聞やテレビの「管理体制が杜撰では?」との論調です。
これまでも、ずっと、ずっと、原子力関連の事故に対して、いつも、いつも、原因は管理体制が杜撰との論調。
私に云わせれば、報道論調こそが、とても、とても、とても、杜撰!なのです。
そもそも、人間は杜撰なのですよ。
放射性物質を扱うことは、とても、とても、とても、危険なのですが、何日も、何ヶ月も、何年も、同じ作業をくり返していると、緊張感は、少しずつ、少しずつ、消えてしまうのです。
何日も、何ヶ月も、何年も、緊張感を持続する事は、とても、とても、不可能なのです。そんなに持続していたら人間はぶっ壊れてしまうのです。
ですから、防護服や防護マスクを着用していても、吸引してしまうのです。これまでも問題無かったから、今日も大丈夫となり、いい加減な着用は仕方がないのです。
そして、また、放射性物質の容器を開けたら、ビニール袋が破裂し放射性物質が飛散する事態は、想定外との見解。
世の中は、想定しない事は起こるのです。
想定外と、作業の慣れからくる油断、人間ですから、これは、良くあることなのです。
容器に入っていたのが、「放射性物質」であった事が問題なのです。ソースや醤油であれば何の問題も無いのです。
ですから、問題は「放射性物質」なのです。
福島の原発事故も、火力発電所であったなら、発電できなくなるだけで、大した事故では無かったのです。原発だから大惨事で、今現在も収束せず、事故は進行中なのです。
放射性物質を扱うには、誤りを「絶対」に起こさない事が前提なのです。しかし、人の世には絶対はありません。
ですから、このような事は、何度も、何度も、くり返します。
ですから、放射能事故を無くすには、放射能物資を今後使用しないことです。でも、原発は稼働し、廃棄物は増え続けています。
今回のような事故を無くすには、核兵器として、発電エネルギーとして、放射性物質を絶対に使わないことです。
平和維持に核兵器は必要ありません。
戦争ボケの戯言です。
電気は他の手段で充分賄えます。
さよなら原発! さよなら核兵器!
そう云う事です。
それでは、また。