”どうする家康”見ています。
今回は珍しく”3~4本まとめ見”ではなく、5月28日放送の「岡崎クーデター(20)」を単独で視聴しました。
このクーデターですが、一部の家臣団により、武田との開戦直前に起こされるのです。
それなりに、段々と興味をそそられ「どうなる家康?」との思いに駆られつつある今日この頃。
兎に角、三河松平家は、東に駿河の今川、西に尾張の織田、北の信濃に武田と、三方を強国に囲まれていた弱小国。
そんなこんなで、家康の母は、織田方に近い”水野家の娘”、妻は、今川方に近い関口家の娘だったりしているのです。
家康は幼少期には織田、その後、天文16年1547年に家康数え6歳で今川義元に人質に出されているのです。人質とはいえ、今川家では身内同然に育てられていたようです。
こんな松平家ですから、家臣団も一枚岩では無く、織田派と云うか、今川派と云うか、反織田派と云うか、反今川派と云うか、いろいろだったようです。
ドラマでは、このクーデター、反乱の決起情報が内部より、家康の妻瀬名が事前に知る事となり、失敗に終わったのです。
このクーデターの理由をドラマでは、”桶狭間の戦い”以降、今川から織田に乗り換えた事で、信長から徹底的にこき使われ、休むこと無く各地での戦の日々、家臣団の”戦疲れ・織田疲れ”が原因と描かれています。
この件について、磯田道史さんは「徳川家康 弱者の戦略」で、今川は伝統と格式の老舗企業で、織田は無理難題を押しつけるが、急成長するベンチャー企業」と述べています。
又、両者の違いを、今川は文化権威の信者、織田は軍事暴力の信者、権威で支配統治するのか、力で支配統治するのか、との違いを述べています。
確か、だいぶ前の回で、人質時代の若き家康が、今川義元から、国の統治は、仁愛に基づく王道であるべき、武力による統治、覇道であってはならない・・・云々、いろいろ叩き込まれていました。
そして、織田信長のやり方は、家臣に「織田疲れ」を生じさせ、その最終的帰結が明智光秀による”本能寺の変”だと述べています。
これって、磯田さんの独自解釈?単に独自表現?まあ、それにしても、なるほど、なるほど、と思ったりするのでした。
桶狭間の戦いで、王道が覇道に負けて、家康は宗旨替え、織田との同盟関係を結び、戦いの日々。そして、家臣団の反乱。
そして、そして、家臣団の反乱に止まらず、妻の瀬名が、武田の秘密工作員の”千代”と接触、怪しい動きをするのでした。
※千代は古川琴音
桶狭間で織田が勝利し、今川義元は戦死。家康は今川から織田方に宗旨替え。この頃より瀬名は、織田方となった家康を快く思っていなかった?と云うか仲は終わっていた?
桶狭間以降、浜松城に家康、岡崎城には妻の瀬名、息子の信康、娘の亀姫。家康一家は別居生活で家庭崩壊?
それにしても、武田の配下、千代ですが、敵の情報収拾、内部攪乱工作と、かなり優秀な工作員です。演ずる古川琴音の”妖しさキャラ”そのまま?
それに対して、今回の千代によるクーデター工作、そして、以前に領内であった一向宗の反乱、ともに、千代の工作と見抜いていた瀨名。
”可愛いキャラ”の有村架純ちゃんが、可愛い顔で、可愛い声で演じることで、とても、とても、底知れぬ不気味さ感がありました。
どうも、二人は手を組むような雲行きで、次回に続くとなりました。
次回は如何に?ですが、ネタバレになりますが、瀨名と信康は、歴史的事実として、家康の命で処刑されたそうです。
次回(6/4)は、このあたり顛末が描かれると思います。
それなりに、期待しています。
それでは、また。