前回?の続きです。
見えて来ました大仏様。思っていたより、小さいのか?大きいのか?何とも微妙なサイズです。
小学校の遠足で訪れて以来、かれこれ50有余年の歳月を経ての再会です。
大仏様とセーラー服の女学生、とてもイイ風景です。
それにしても大仏様、お近くで拝見すると、やっぱり、ちょっと小さくなった?
こちら、半世紀前の記念写真。たぶん小学校の4年生か5年生だったような?それにしても、首無し大仏はないと思いますよ写真屋さん!
因みに、これが半世紀前、小学生だった私です。クラス担任の顔、校長の顔、級友の顔、じっくり眺めていると、ひとり、ひとりについての想い出が、仕草が、声が、不思議と蘇ってくるのですよ。ホント!
こちらの大きなワラジは、私が1歳の時に、我が茨城県は常陸太田市中野町の松栄(まつざか)子供会が奉納し、それ以来3年に一度新品と交換しているそうです。新規制作は高徳院が?
大仏様の体内には20円を払うと入れます。20円と云う拝観料、何とも微妙です。
お背中には二つの窓。
昔は無かった?大仏様を囲む鉄筋コンクリートの回廊。
裏手にはトイレがありまして、
とても明るく掃除が行き届き清潔です。兎に角、神社仏閣は清潔が第一です。
用を足して、大仏様を仰ぎ見るとほお骨の辺りに光るものを発見。
金箔です。むかし、むかし、大仏様は全身金箔で包まれていたそうです。その一部が今でも残っているのでした。
この大きさで、全身金箔で輝いていたら、これは、もう、誰も、彼も、手を合わせ、ひれ伏し、ありがたい!ありがたい!と、呟き、感動し、涙を流したことでしょう。
やはり、偉大なもの巨大で輝いていることが大事なのです。
偉大で無いモノも、巨大で輝いていると、それなりに偉大に思えてしまう効果があるのです。
そんな思いを抱きつつ、ふり返りつつ、大仏様を後にしたのです。
後、一回ほどで鎌倉のお話は終わりそうです。
それでは、また。
見えて来ました大仏様。思っていたより、小さいのか?大きいのか?何とも微妙なサイズです。
小学校の遠足で訪れて以来、かれこれ50有余年の歳月を経ての再会です。
大仏様とセーラー服の女学生、とてもイイ風景です。
それにしても大仏様、お近くで拝見すると、やっぱり、ちょっと小さくなった?
こちら、半世紀前の記念写真。たぶん小学校の4年生か5年生だったような?それにしても、首無し大仏はないと思いますよ写真屋さん!
因みに、これが半世紀前、小学生だった私です。クラス担任の顔、校長の顔、級友の顔、じっくり眺めていると、ひとり、ひとりについての想い出が、仕草が、声が、不思議と蘇ってくるのですよ。ホント!
こちらの大きなワラジは、私が1歳の時に、我が茨城県は常陸太田市中野町の松栄(まつざか)子供会が奉納し、それ以来3年に一度新品と交換しているそうです。新規制作は高徳院が?
大仏様の体内には20円を払うと入れます。20円と云う拝観料、何とも微妙です。
お背中には二つの窓。
昔は無かった?大仏様を囲む鉄筋コンクリートの回廊。
裏手にはトイレがありまして、
とても明るく掃除が行き届き清潔です。兎に角、神社仏閣は清潔が第一です。
用を足して、大仏様を仰ぎ見るとほお骨の辺りに光るものを発見。
金箔です。むかし、むかし、大仏様は全身金箔で包まれていたそうです。その一部が今でも残っているのでした。
この大きさで、全身金箔で輝いていたら、これは、もう、誰も、彼も、手を合わせ、ひれ伏し、ありがたい!ありがたい!と、呟き、感動し、涙を流したことでしょう。
やはり、偉大なもの巨大で輝いていることが大事なのです。
偉大で無いモノも、巨大で輝いていると、それなりに偉大に思えてしまう効果があるのです。
そんな思いを抱きつつ、ふり返りつつ、大仏様を後にしたのです。
後、一回ほどで鎌倉のお話は終わりそうです。
それでは、また。