歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

どうしちゃたんだろ? 藤圭子は???

2006年10月23日 | その他
兎に角、ホントに懐かしかったのです。
何十年ぶりに「あの藤圭子」がしゃべるのを見ました。

昨日、「日本シリーズ」の中継で1時間以上遅れて、やっと画面に映ったのです。
すっぴんに近かったけれど、「娘」より美人です。娘は「怪しい感じの親父」に似ているのでしょう。

それで、あのアメリカでの「大金没収・麻薬疑惑」について、「ワンボックスカー」のなかで、早口でしゃべりまくっていました。

「5000万程度の現金はいつも持っている」

「パスポートを見て、この五年間は世界中を旅していて、日本にはほとんどいない」
「一人で世界中のカジノを回り、高級ホテルのスィートに宿泊して、移動はファーストクラス」

「年間、一億円ぐらいは使うから」

話している画面の下にテロップで、彼女の昨年の収入は1億7千万と流れていました。娘の所属事務所の社長としての収入だそうです。

驚きましたね。しかし、一人で大金を抱えて、博打をして世界を歩いている何て、いったいどういう生活なのか?

昔、引退する少し前だったと思うのですが、誰もいない、日比谷野音の客席に座りインタビューに答えている彼女を思い出すのです。

その時、白のブラウスに黒のタイトスカートであったと記憶しています。

「唄う事は楽しくない」
「歌のイメージと本来の自分とではギャップが大きすぎる」

そんな内容の話しをしていた記憶があります。その時は引退することには触れていなかったと思います。

彼女の歌は「演歌」ではなく「怨歌」だと言われていました。

当時、五木寛之の演歌小説が売れ、その主人公の演歌のプロデューサーが、北の寂れた漁港の居酒屋、一人カウンターで『演歌は不幸でなければ唄えない』と顔に皺をよせ、手にはコップ酒、遠くを見つめて呟くように言うシーンがあった・・・・・・・ような気がした。

そんな時代の中で、「小説と怨歌」のイメージにぴったりな、幸薄い、影のある歌手「藤圭子」・・・・・・・という記憶があります。
私も、当時そういう藤圭子が好きでした。

しかし、日比谷野音でインタビューを受ける藤圭子は、別人だったのです。
明るくて、良く笑い、良くしゃべる女性だったのです。
そんなギャップに苦しみ、彼女は引退を決意したのでしょう。
引退した時、私はそう感じました。

そして、今、50代になった藤圭子。
悲しいけれど(何故か悲しそうに見えたのです)。今、彼女の「歌」が聞きたいと思うのです。ここまで、いろいろなことがあったと思います。

焼酎を片手に、画面の藤圭子を見つめ「今のあなたの歌が聴きたい、唄ってほしい」そう思ったのです。



新宿のお寺「大聖院」境内で見つけた「新宿のおんな」の碑。
去年、「太田道潅」の関連で、大聖院に「紅皿欠皿」の碑を見に行った時に、たまたま出会いました。

誰も居ない境内、ひとり碑の前で呟くように唄ってしまいました。
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1 コメント

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Unknown (さかいのぶよし)
2021-07-17 04:53:01
因果は廻る。藤圭子さんは新宿で亡くなった。若くして、カネも男も子供を手に入れると引退後は時間との闘い。精神のバランスは崩れた。安室奈美恵さん的にあほくさいけど寄付金してれば。社会的存在で生きて、生かされている。
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