歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

②善福寺川に昭和34年事件当時の風景が?

2013年03月05日 | 東京の風景

昨日の続きです。

昭和34年3月10日、宮下橋の下流15㍍でスチュワーデスの死体が発見され、橋の下にはパラソル、30㍍下流にオーバー、40㍍下流にマフラー、60㍍下流に黒のパンプスが発見されたのです。

何て、現場の状況を書いても、興味の無い方には、何のコッチャ?なのです。それでも、書き続けるのです。

それで、被害者が、当時も今も、女性の憧れの職業で、それも外国の航空会社の“客室乗務員”で、それもかなりの美人です。

そして、重要参考人が、神聖なクリスチャンで、そのなかでも戒律の厳しいカトリックで、それも西洋人で、世俗とは隔絶され、愛欲とか金銭欲とか、まったく無縁と思われている神父で、これはもう、世間は注目する条件が揃っているのです

被害者の交遊関係から神父が捜査線上に浮かんだのです。重要参考人と云うよりも、ほぼ容疑者として事情聴取を受けていた神父は、6回目の事情聴取を目前に、日本を出国してしまったのです。

出国時の、あれや、これやの状況と、被害者がそれほど優秀では無いのに関わらず、BOACに入社出来た謎。これらから、単に情痴のもつれ的事件ではなく、かなり背後には、相当大きな闇が存在する、何て、憶測を生んだようです。

それで、事件現場当日、神父の白いルノーと同じ車が現場で目撃されていたり、被害者の胃の内容物の“缶詰の松茸”を、神父が買い求めていた証言、事件前後のアリバイの不確実なこと、いろいろあっての重要参考人でした。

神父を取り調べたのが、あの警視庁捜査一課の“平塚八兵衛”でした。神父が国外に脱出して事件はその後迷宮入りとなり、1974年3月10日時効となりました。

事件が発生したのが昭和34年ですから、1959年で今から53年も前の事件です。そんな事を思いつつ、善通寺川を上流に向かって歩いたのです。


当時の善福寺川は、ゴミが浮かび、悪臭を放ち、黒く濁っていたそうですが、今では、こんな風景に変わったのです。


対岸の風景を眺めていたら、


これは、もう、昭和34年がそのまま?と思われる家屋、廃屋?を発見。


松本清張の随筆「黒い手帖・・・中公文庫 昭和52年10月20日四版」の、“スチュワーデス殺し事件”の項に

『・・・死体が倒れていた現場は、少し離れて私道の橋があって、その橋を渡ると百姓家で川に面したところは竹藪や雑木がいっぱい生えていて、夜、人の歩きが滅多にないだろうと思われるところである』

そんな記述があり、それは、もしかして、この風景?この辺りに、スチュワーデスの死体が横たわっていたの? 何て、思いに囚われるような、あの時!ここで!と、云ったような場所です。

でも、しかし、事件はもっと上流で起きていたのです。この家は、済美養護学校を少し過ぎたあたりで、現場の宮下橋は地図で“大宮八幡前”と書かれているところです。


善福寺川はこの辺りで湾曲して一旦北に向かいそして南下するのです。私の歩いた道筋を赤い線で示しました。この日は残念ながら、時間の都合で宮下橋まで辿ることは断念したのでした。

それでも、それなりに、昭和34年3月10日に発生した“スチュワーデス殺人事件”の現場近くを漂い、当時の、事件の、匂いを感じて、それなりに、満足、満足なのでした。

でも、しかし、いつの日にか、宮下橋の現場をこの脚で踏みたいと思っているのです。

死体が発見された3月10まで後5日です。3月10日と云えば、東京大空襲があった日でもあります。

東京大空襲と云えば、爆撃を終えて帰還するB29が墜落した現場が、我が家から自転車で約30分ほどの山の中にあるのです。何か記念の行事でもやるのか?

まだ、善福寺川に沿って歩きます。

それでは、また。

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①善福寺川で神父とスチュワーデスと“松本清張”

2013年03月04日 | 東京の風景

曇り空の寒~~い月曜日です。

今週は明日の火曜日あたりから、春の陽気になるそうです。

先日の土曜日、久しぶりに東京に行って来ました。でも、歩きまわるのが目的ではなく、ちょっとした用事があり、車で出掛けたのです。

それでも、すこしだけ時間が空き、周囲を歩きました。時間にして45分程度の散策でした。

実は、前日よりそれなりに歩く場所は決めていたのです。前日の思惑としては2時間は歩けると思っていたのですが、残念ながら45分だけで、目的地には辿り着けませんでした。

それで、その場所とは、ここから、始まるのです。


と云っても、この写真からは、誰も、何処だか判らないのです。俺は判る!何て、近所の方が居たりして・・・・・・。

都内にしてはそれほど?の料金です。家の近所では一日最大700円です。


駐車場の料金を眺めつつ、時計の時間を気にしつつ、目的地を目指します。


ここから、何故か? モノクロの世界にスリップします。この住宅地の佇まい、それなりに漂う空気に、どことなく、京成とか、東武とか、北千住とか、堀切とか、そんな地名とは異なる匂いを感じるのです。たぶん、半分は私の思い込み?


でも、やっぱり、この建物の感じ?は、押上とか、鐘ヶ淵とか、町屋とか、すこし匂いが・・・・・・・。

こんな建物も、塀とか、木立の様子とか、違うのです。


この神社も、どことなく、それとなく、違うのです。


兎に角、違うと思えば、違う風景に見えて来るのです。


“目的の川”が見えて来ました。


ここは、何を隠そう、あの“善福寺川”なのです。ここは杉並区の大宮八幡の近辺。


善福寺川、大宮八幡、と云う事は、神父とスチュワーデスで、殺人事件となるのです。

あの“松本清張”が昭和34年に発生した事件を小説化した「黒い福音」の舞台です。それで、雰囲気をだすために、写真はモノクロにしたのでした。


昭和34年ですから、1959年で、今から53年ほど前の話で、知っている人は知っている、知らない人は知らない、遠い昔の事件です。


何故に?そんな事件を?と、お思いでしようが、そのキッカケは、ローマ法王ベネディクト16世の退位でした。

法王の退位も、その背景には、きれい事ではない、ドロドロとした世俗的、本能的、欲望が見え隠れしている・・・・・・、そんな巷の噂に、53年前の事件を思い出したのです。

53年前の容疑者?ではなく、重要参考人“ベルメルシュ神父”のまわりにも、いろいろとドロドロとした噂があったのです。

曇り空の寒い日には、松本清張が似合うのです。


それでは、また。





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