歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

旧岩崎邸で占領軍参謀第2部に!キャノン機関に!戦後の闇に!思いを馳せる!

2019年03月21日 | 東京の風景

前回の続きです。

湯島天神を参拝してランチタイムとなり、事前に調べておいたファミレスに向かったのです。

そして、記憶した地図を頭に浮かべつつ歩いたのですが、それが、その店が見つからないのです。通りを一本間違えたかも? と、思いつつ、連れには「大丈夫なの?」と云われつつ、彷徨ったのでした。

記憶より、かなり離れたところでそのファミレスを発見! でも、事前調査では店舗は2階なのに、発見したその店はビルの1階にありました。

後で調べてみたら、目的の店は「上野広小路店」で、入った店は「妻恋坂店」だったのです。まあ、距離的には予定より1.5倍程度の差でした。

そんな事で、見つかって!よかった!よかった!で食事の写真を撮り忘れました。食べたものは、私は、糖質オフで、奮発してローストビーフにサラダ、そして、ハイボール。連れは何とかの盛り合わせ?のようなものでした。

食事を終わって、これより岩崎邸に向かいます。

途中で、こんな建物に出会いました。

この一画だけ昭和が残っていたのです。これは、ランチの場所を間違えた御陰?

天神下交差点を左折して、春日通りを10数歩のところで右折。

右折して、数十歩のところを左折。

この民家も昭和の香り。

工事用遮蔽板には旧岩崎邸の写真。

入り口に到着。

門を入って数十㍍直線の緩い坂。

数十㍍の緩いカーブ。

数十㍍先に入り口が見えてきました。

 木々の間から、大邸宅が見えます。思っていたよりも、かなりデカイ!

敷地の外周部を半周ほど巡ることで、屋敷の広大さを演出しているのです。

入り口で入館料200円を払います。65歳以上は半額です。ここは都立公園。

なかなかの建物。

明治29年(1896年)に建てられたそうですから、123年の時が流れているのです。設計は英国人のジョサイア・コンドル。

17世紀の英国・ルネサンス様式の西洋木造建築として有名だそうです。コンドルと云えば、現存する有名どころとしては、北区滝野川にある「旧古河庭園の洋館。こちらは石造り。

古河庭園と云えば「古河財閥」で、旧岩崎邸と云えば、三菱財閥の創始者、岩崎家の邸宅です。財閥の方たちは、明治時代にこんなお屋敷に住んでいたのです。

話は逸れますが、三菱と云えば、造船部門は大型客船で大赤字、原子力はお先真っ暗、家電・ICは台湾・韓国・中国に負け、自動車は燃費不正でルノー・日産グループの傘下に、期待の国産旅客機のMRJは開発計画が大幅に遅れる等、最近の三菱グループには、暗い話題ばかりです。

まあ、腐っても?三菱財閥、金融部門は大丈夫?そのうち息を吹き返す? そういえば、三菱マテリアルも何か不正があったよね? ホントに日本の企業は歴史的後退期?  まあ、私が、そんな心配をしたところで、ねぇ・・・・・・。

それにしても、たいしたものです。お城のような建物です。

玄関から振り向くと、周囲の風景はこんな感じです。

それにしても、この角度から見ると、何か、戦争中、南方にあった、陸軍司令部的な趣。三菱のスリーダイヤには、それなりに戦争の匂いと云うか、陰と云うか、漂うのです。 

戦争と云えば、この邸宅は、第二次大戦後の一時期、占領軍に接収され、占領軍参謀第2部(G2)直轄の秘密諜報機関、キャノン機関の本部になっていたのです。

まあ、そういう、敗戦直後の混乱期、裏の、影の、闇の、舞台となった場所なのです。

戦後の三大謀略事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、それぞれが米国の秘密諜報機関が、関わっているとか、いないとか、いろいろあるのです。

まあ、そういうことで、謀略事件に関わっていたかも知れない、そんな歴史的場所を、この目で見て、この脚で歩き回り、この手で触って、カメラで記録にとどめ、何かを、感じとりたかったのです。

そういうことで、旧岩崎邸の見学となったのでした。

それで、建物は重要文化財で、すべて手で触れることは禁止。当日は休日で、建物内部の撮影は禁止。この目で見て感じるだけとなりました。

本日は、ここらで、おしまい。

次回は、内部の見学となります。

実は、何を隠そう、ここだけの話ですが、こっそり、影に隠れて内部も撮ってきたのでした。

と云うことで、次回、内部の写真も掲載します。

それでは、また。

 

コメント (1)
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